道徳以外を教えます   作:マウスブン

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11月 内政

元貴族の館、その埃っぽさがまだ少し残る広間には、カシアンとアビスの住人たちが集まっていた。ユーリス、ハピ、バルタザール、コンスタンツェといった顔役たちに加え、この新しい町での生活と運営に強い関心を持つ者、あるいはカシアンによって何らかの役割を与えられようとしている者たちが、真剣な、あるいはまだ半信半疑な表情でカシアンの言葉を待っている。広間の壁には、町の古地図と、カシアンが新たに描き加えたと思われる防衛計画や区画整理の案が貼り出され、部屋の隅には、地味な服装ながらも明らかに実務能力の高そうな、帝国から派遣された内政官が数名、控えめに控えていた。

 

「さて、皆さん。今日、こうして集まっていただいたのは他でもありません」

カシアンは、広げられた地図の前に立ち、集まった人々を見渡して静かに語り始めた。

「我々がこれから生活し、活動していくこの町の『統治』について、その基本的な理念と目指すべき方向性を共有し、皆さんの理解と協力を得るためです。我々は、ただこの場所に身を寄せるのではありません。この町を、我々自身の力で、外部の脅威から安全で、生活に困窮することなく、そして何よりも『合理的』で効率的なコミュニティへと変えていく。そのための第一歩として、統治の骨格を定める必要があります」

 

カシアンの言葉に、アビスの住人たちの間に、期待と、同時にわずかな戸惑いの空気が流れた。「統治」という言葉は、彼らが長年過ごしてきたアビスの自由(あるいは無法)な環境とは、少しばかり相容れない響きを持っていたからだ。

 

カシアンは、そんな彼らの空気を感じ取りつつも、構わず自身の統治理論を展開し始めた。それは、歴史や政治学、経済学、そして彼自身の冷徹な合理主義に基づいた、独特なものだった。

「我々が目指すべき統治の最終目標は、極めてシンプルです。それは、外部からの不必要な干渉を可能な限り排除し、我々が持つ限られた内部資源…すなわち、物資、土地、そして皆さんの持つ労働力や特殊技能を最大限に活用し、コミュニティ全体の安全と生活水準を、最も効率的な方法で向上させること。そのためには、過去の慣習や、非合理的な感情論、一部の者の特権意識などは、可能な限り排除していく必要があります」

 

「その目標達成のためには、まず明確な組織構造と、それぞれの役割分担が不可欠です。防衛、食料・物資管理、インフラ整備、そして我々の新たな基幹産業となるであろう酒造、さらには住民間のトラブルを調停し、規律を維持する役割…。これらの分野ごとに責任者を明確に定め、迅速かつ効率的な意思決定と、その確実な実行体制を構築します」

 

「そして、最も重要なのが法と規律です。この町は、無法地帯であってはなりません。さりとて、帝国の複雑で時に矛盾した法体系をそのまま持ち込むのも非効率的だ。我々は、このコミュニティの実情に即した、シンプルで、合理的、かつ誰もが理解・遵守できる、厳格な基本規律を定める必要があります。規律を破った者に対しては、情状酌量の余地なく、公平かつ迅速な処罰が下されるべきです。それが、全体の秩序を維持する上で最も効率的な方法だからです」

 

カシアンの語る理想的な(あるいは一部の者にとっては息苦しい)統治論に、アビスの住人たちは静かに耳を傾けていたが、その表情は様々だった。

 

ここで、カシアンは部屋の隅に控えていた内政官の一人に視線で合図を送った。内政官は心得たとばかりに前に進み出て、カシアンの理論に対し、実務的な側面からの補足説明を始めた。彼は、帝国での長年の行政経験を持つであろう、落ち着いた物腰の人物だった。

「カシアン先生の基本理念に基づき、具体的な運営方法について補足させていただきます」内政官は丁寧な口調で言った。

「先生の仰る組織構造ですが、具体的には、町の代表者数名による『運営評議会』のようなものを設置し、防衛、生産、インフラといった各分野の責任者を選出するのが現実的かと存じます。評議会は定期的に開催し、計画の進捗状況や問題点を共有し、意思決定を行う。責任の所在を明確にすることが重要です」

 

「規律に関しましては、完全に独自のものを制定するのは、帝国の法との整合性や、近隣領主との関係性を考慮すると、現時点ではいくつかの困難が予想されます。まずは、基本的な治安維持に関する条例…例えば、窃盗、暴力行為、無許可での武器使用の禁止などから始め、徐々にこの町の状況に合わせた独自のルールを整備していくのが現実的な手順でしょう。処罰についても、帝国の法を逸脱しない範囲での、公平性が担保された手続きが必要です」

 

「資源管理については、カシアン先生も重視されていましたが、まずは町全体の資産と、住民一人一人の持つ技能や労働力を正確に把握するための台帳を作成することが急務となります。そして、定期的な棚卸しと報告義務を設ける。また、町の運営に必要な費用をどう賄うか…税の徴収、あるいは労働奉仕といった形での貢献を求める仕組みも、早急に検討しなければなりません」

 

内政官による現実的で具体的な説明は、カシアンの語る理想論に、具体的な形と、同時に実行に伴う困難さをも示していた。

 

カシアンの理論と内政官の実務的な話を聞き、アビスの住人たちから、堰を切ったように様々な反応や質問が飛び交い始めた。

 

「なるほどな、センセに役人さんよ」ユーリスが腕を組み、面白そうな、それでいて探るような目で言った。

「理想は結構だが、実行するのは相当骨が折れそうだぜ。特に、あんたらの言う『合理的』な規律ってやつで、俺たちみたいに地下で好き勝手やってきた連中を、どうやって縛るつもりだい? 素直に従う奴ばかりじゃねえだろうし、反発もかなり出ると思うがね?」

 

「…なんか、ルールとか決め事とか、いっぱいあって面倒くさそう…。でも、前みたいにいつ誰に襲われるか分からないよりは、安全になるなら…まあ、仕方ないのかなぁ…」

ハピは少し憂鬱になりながらも、わずかな期待を覗かせている。

 

「酒造で利益を出すなら、作った酒をどうやって売るかも考えねえとな」元商人だったという男が口を開く。

「帝国内での販売許可は取れるのか? 安全な輸送ルートは? 他の酒造業者との競争もあるだろうし…」

 

「町の防衛についてだが、壁や罠も大事だが、住民自身の戦闘能力も上げるべきじゃないか? 全員とは言わんが、有志に基本的な武器の扱いや集団戦術を訓練する機会を設けるのはどうだろう。」

屈強な元傭兵が提案する。

 

活発な質疑応答が繰り広げられる。アビスでの経験に基づいた現実的な意見、個人的な願望、そして新しい生活への期待と不安。カシアンはそれらの意見に冷静に耳を傾け、時には鋭い指摘で議論を促し、時には内政官に具体的な説明を求めた。内政官もまた、帝国の法や行政手続きの知識に基づき、実現可能な範囲や必要な手順について丁寧に答えていく。カシアンの理想と理論、内政官の実務知識、そしてアビスの住人たちの多様な経験と意見がぶつかり合い、混ざり合っていく。

 

やがて、議論が一段落したのを見て、カシアンは全体をまとめるように言った。

「多くの課題や懸念があることは承知しています。理想通りに進まないことも多々あるでしょう。ですが、思い出してください。我々には、他にはない強みがある。私の持つ知識と計画性、帝国から派遣された彼ら(内政官たち)の実務能力、そして何より、ここにいる皆さん一人一人が持つ、困難な状況を生き抜いてきた経験と、多様な能力、そしてこの町をより良くしようという強い意志です」

 

彼は集まった全員の顔を見渡し、力強く宣言した。

「理論と実践を融合させ、対話を重ね、失敗から学びながら、一歩ずつ着実に進めていきましょう。この町を、我々自身の手で、誰にも脅かされることのない、真に自由で、安全で、そして豊かな拠点へと築き上げていくのです。これは、単なる町作りではない。我々の新たな生き方を賭けた、壮大な実験であり、戦いです。皆さんの協力を、改めて要請します。私は、皆さんを頼りにしています」

 

カシアンの言葉に、広間に集まったアビスの住人たちの目に、新たな決意と、困難な目標へ共に挑むという連帯感、そして未来への確かな希望の光が灯った。

 

 

 

 

町の統治に関する活発な議論が交わされた授業兼説明会が終わり、アビスの住人たちが、新たな計画への期待や不安、あるいは具体的な作業の段取りなどを話し合いながら広間から退出していく。広間には、後片付けをするカシアンと、腕を組んで壁に寄りかかり、その様子を眺めているユーリスの二人だけが残った。

 

ユーリスが、片付けの手を休めないカシアンに声をかけた。

「なあ、センセ、あんた、こんなところで呑気に授業なんかやってて、本当に良かったのかよ?」

 

カシアンは書類を整理する手を止めずに尋ねる。「…と、言いますと?」

 

ユーリスは呆れたように言う。

「とぼけんなよ。今頃、ルミール村じゃ、とんでもねえ騒ぎになってるはずだぜ。村中の人間がおかしくなっちまうって、あの気味の悪い事件だろ? あんたほどの頭脳の持ち主なら、原因究明か、あるいは事態収拾の指揮かなんかで、真っ先に駆り出されてもおかしくなさそうなもんだがな。こんな辺境の町でのんびりしてる場合か?」

 

カシアンは、ようやく書類から顔を上げた。

「ええ、ルミール村での異変については、私も報告を受けて把握しています。確かに、看過できない深刻な事態でしょう」

彼はこともなげに続ける。

「ですがご心配なく。あちらには既に、ベレスとジェラルト殿、そしてセイロス騎士団の精鋭部隊が派遣されています。彼らの力をもってすれば、事態の収拾は時間の問題でしょう」

 

彼は、片付けた書類の束を脇に置き、言葉を続けた。

「私の現在の最優先任務は、この近隣付近の防御体制を確立し、住民の安全を確保すること。これは、レア様やセテスからも直接指示を受けていることです。ルミール村の混乱に乗じて、この周辺地域で略奪や騒乱が起こる可能性も否定できませんからね。これも重要な役割分担、適材適所というわけですよ」

カシアンの説明は理路整然としており、彼がここにいる正当性を主張していた。

 

「ふーん、まあ、あんたがそういうなら、そういうことなんだろうな」

ユーリスは納得したのか、あるいは追及を諦めたのか、肩をすくめた。

 

カシアンはふと思い出したように言った。

「それよりも、ユーリス。貴方には伝えておくべきことがありました。先日、ガルグ=マクで少々厄介な出来事がありましてね」

 

「あん?」

 

「長年、大修道院の書庫番を務めていたトマシュという老人がいたのですが…」

カシアンは声を潜めた。

「実は彼、全くの別人…それも、我々の知らない強力な闇魔術を操る、老獪な魔道士がなりすましていたことが判明したのです。どうやら、教会内部の情報を探るために、最低1年以上潜伏していたようです」

 

「なっ…! なりすましだと!? 」ユーリスの表情が険しくなる。

 

「ええ。我々で追い詰め、正体を暴くことには成功したのですが…」

カシアンは、わずかに悔しさを滲ませた。

「残念ながら、あと一歩のところで取り逃がしてしまいました。手負いではありましたが、まんまと姿をくらませてしまったのです」

 

「はっ、なりすましに、闇魔術師、おまけに逃げられた、と来たか!」ユーリスは吐き捨てるように言った。

「そりゃあ、厄介極まりねえ話だぜ、センセ! …くそっ、この町の警備も、もっと厳重にしねえとな。見張りも増やすか…。おい、皆にも伝えろ! しばらくは単独行動は極力避けて、必ず二人以上で行動するように、ってな!」

彼は即座に危機感を募らせ、具体的な対策を口にする。さすがはアビスの顔役といったところか。

 

そして、ユーリスは厳しい視線をカシアンに向けた。

「それより、センセ。あんただよ、あんた。一番危ねえのは。大丈夫なのかよ?」

 

「私、ですか?」カシアンはきょとんとした顔をする。

 

「とぼけんな! その闇魔術師野郎に、顔、バッチリ見られたんだろ? 正体を暴いた張本人であるあんたを、真っ先に狙って復讐しに来る可能性が高いんじゃねえのかって聞いてんだ! あんた、頭はキレるかもしれねえが、腕っぷしは一般兵士未満なんだからよ!」

ユーリスは本気で心配しているようだった。

 

しかし、カシアンの反応は、ユーリスの心配を裏切るものだった。彼は、まるで他人事のように、軽く首を傾げて見せた。

「ああ、そういえばそうですね。確かに、顔はしっかりと見られましたし、彼が私に敵意を抱いているのも間違いないでしょう。復讐ですか…なるほど、その可能性は考慮に入れていませんでしたねぇ」

彼は顎に手を当て、少し考える素振りを見せる。

「それは、少々…いえ、かなり面倒なことになりましたね。さて、どうしましょうか」

その口調には、自身の身に迫るかもしれない危険に対する危機感が、驚くほど希薄に感じられた。

 

「……はぁぁぁぁ~~~~っ」ユーリスは、天を仰いで深いため息をついた。

「どうしましょうか、じゃねえだろうが! この朴念仁! 少しは自分の身の危険ってもんを考えろってんだ! あんたが不意打ち食らって、あっさりあの世行きにでもなったら、俺たちの計画も、この町の連中の新しい生活も、全部パーになるんだぞ! 分かってんのか!?」

彼は本気で苛立っているようだった。

 

ユーリスはしばらくカシアンを睨みつけていたが、やがて諦めたように、再びため息をついた。

「…ったく、本当に世話の焼けるセンセだぜ。あんたを見てると、こっちの寿命が縮まらぁ」

彼はぶっきらぼうに言い放った。

「仕方ねえな。後で俺の部屋まで来い。昔、裏の仕事で手に入れた上等な楔帷子(くさりかたびら)があるんだが、今の俺にはちとキツくてな。それをくれてやるよ。服の下に仕込んどけば、無いよりは万倍マシだろうが。まあ、気休めかもしれねえけどな」

それは彼なりの不器用で、しかし実直な気遣いの言葉だった。

 

カシアンは、ユーリスの意外な申し出に、少しだけ目を丸くした。そして、普段の彼からはあまり見られない、素直な響きで答えた。

「おや…それは、実にありがたい申し出ですね。感謝しますよ、ユーリス。…あとはもし誰かに捕まった時のため、緊急事態での互いの連絡方法はついでに考えておきますね。」

 

「ふん、礼なんて言われる筋合いはねえよ。俺たちのためでもあるんだからな」ユーリスは照れ隠しのようにそっぽを向き、

「ああ、緊急連絡方法は任せた。さっさと後片付け済ませて、取りに来いよな!」と言い残し、足早に広間を出て行った。

 

カシアンは、ユーリスの去っていった背中をしばらく見送っていた。彼の意外な優しさに、少しだけ心が温かくなったような気がした。しかし同時に、逃亡したソロンという新たな脅威、ルミール村での異変、そして自身の身の安全…。問題は山積みだ。彼は再び地図に視線を落とし、静かに、しかし確実に、次なる思考を巡らせ始める。この新天地での生活は、決して平穏なだけでは終わらないだろう。それを彼は、誰よりも理解していた。

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