道徳以外を教えます   作:マウスブン

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12月 白鷺杯

白鷺杯当日。ガルグ=マク大修道院の中庭や広場は朝から特別な活気に満ち溢れていた。舞踏会本番に向けて練習に励む生徒たちの熱気、飾り付けられた回廊、そして祭り気分を楽しむ教師や騎士、修道士たちの笑顔。誰もがこの年に一度の華やかな催しに心を躍らせている…はずだった。

 

しかしその賑わいの一角でひときわ異彩を放つ一団がいた。カシアンが、教団事務局から許可を取り付け堂々と露店を開いていたのだ。店の前には手書きで「カシアン先生謹製 特製ドリンク各種 & 産地直送 絶品グルメ!」と書かれたどこか怪しげな看板が掲げられている。

 

そしてその店を切り盛りしているのはカシアン本人だけではなかった。彼が西の町から連れてきたアビスの住人たち――いかつい顔つきの元傭兵や、日に焼けた元土木作業員といった風体の男たちが、「へいらっしゃい!」「安いよ安いよ!」と、お世辞にも洗練されているとは言えないが妙な迫力のある呼び込みをしているのだ。彼らにとっては大勢の、そして金払いの良さそうな人々が集まるこの日は、まさに絶好の「書き入れ時」と映っているのだろう。彼らの作る、見た目は武骨だがボリューム満点の串焼き肉や、ハピやコンスタンツェも作ったのであろう意外にも繊細な味わいの焼き菓子や冷たいデザートは、物珍しさも手伝ってか、生徒たちの間で早くも評判となっていた。

 

そして店の奥では店主たるカシアン自身が、涼しい顔で「特製ドリンク」なるものを販売していた。それは、彼が秘密の酒蔵で作り上げた、様々な種類の自家製酒だった。色とりどりの液体が並べられたカウンターの前には好奇心旺盛な生徒たち(もちろん、カシアン曰く「酒が飲める年齢限定」だが)が列を作っていた。

 

「これはベリーを数種類ブレンドし、特殊な酵母で長期熟成させた果実酒です。甘口ですが、後味はすっきりしていますよ」

「こちらは、薬草を数十種類漬け込んだ、滋養強壮にも効果が期待できるリキュール。少量で体が温まります」

「そしてこれが私の一押し…純粋な麦芽のみを使用し、三回の蒸留を経て極限まで純度を高めたスピリッツ。アルコール度数は…まあ非常に高いので、取り扱いには十分ご注意を」

 

カシアンはまるで高名なソムリエか錬金術師のように、自作の酒について流暢に説明しながら、次々と注文をこなしていく。その手際の良さと怪しげだが魅力的な商品の数々に店は驚くほどの繁盛ぶりを見せていた。

 

しかしその光景を眉間に深い皺を寄せて見ていた生徒がいた。真面目で正義感の強い金鹿の学級のイグナーツだ。彼は意を決してカシアンのカウンターへと進み出た。

 

「カシアン先生! 少々よろしいでしょうか!」

「おや、イグナーツ殿。何かご注文ですか?」

カシアンは悪びれもせずに尋ねる。

 

「いえ、そうではありません!」イグナーツはきっぱりと言った。

「先生、これは一体どういうことですか!? 白鷺杯という女神に捧げる神聖な舞踏の祭典の日に大修道院の敷地内で、このようにお酒を販売されるとは…! 教育者としてあまりにも不謹慎ではありませんか!?」

 

カシアンは、イグナーツの真っ直ぐな抗議に、やれやれといった表情を見せた。

「不謹慎ですか。ですがイグナーツ殿、ご安心ください。この露店の出店は事前に教団の正式な許可を得ております。規則に則った合法的な商業活動ですよ。それにアルコール飲料の販売に関しては購入希望者には必ず年齢を確認し、それ以下の生徒さんにはあちらの美味しい果実水をお勧めしております」

彼はもっともらしい説明をするが、その目が笑っているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「しかし、先生!」イグナーツは食い下がった。

「許可を得ているからといって許されるものではありません! 現にあちらをご覧ください!」

 

彼は近くの木陰やベンチが並ぶ一角を指差した。そこには無残な光景が広がっていた。カシアンの「特製ドリンク」の洗礼を受けたのであろう生徒たちが数名、顔面蒼白でぐったりと横たわっていたり、植え込みに向かって激しくえずいていたりするのだ。明らかに飲みすぎて悪酔いしている。

 

「あれは一体どういうことですか!? 彼らは明らかに先生のお酒が原因で気分を悪くしています! 一体、どんなものを売られたのですか!?」

イグナーツは詰め寄った。

 

カシアンはその惨状を一瞥しても、全く動じる様子を見せない。むしろ少し楽しんでいるかのようにも見える。

「ああ、彼らですか? おそらく私の自信作である高純度スピリッツを試されたのでしょうね。確かにあれは非常にアルコール度数が高い。ですから購入される際には、何度も、それはもう丁寧すぎるほどに『これは大変強いお酒ですから、決してそのまま飲まず、必ず水や果汁で最低でも10倍以上に薄めて、ほんの少しずつ味わってくださいね』と、口頭でも、看板でも、それはもうはっきりと注意喚起はいたしましたとも」

 

彼はわざとらしく肩をすくめてみせる。

「彼らが私のその親切な忠告を守らず、若さ故の過ちか、あるいは好奇心からか、無謀な飲み方をしてしまったのだとすれば…それは残念ながら、自己責任というものです。まあ若いうちの失敗は良い人生経験になったのではないでしょうか?」

彼は全く悪びれる様子もなくそう言ってのけると、次の客に笑顔で酒を注ぎ始めた。

 

「なっ…! そ、そんな…!」イグナーツは絶句する。

 

さらにカシアンはまるで追い打ちをかけるかのように、客寄せのためのパフォーマンスを始めた。彼は小皿に取り分けた自身の高濃度スピリッツにおもむろに火打石で火花を散らした。すると、青白い炎が、メラメラと勢いよく燃え上がったのだ!

「おおーっ!」「すげえ! 燃えてるぞ!」「あんな強い酒なのか!?」「逆に飲んでみたい!」

周囲で見物していた生徒たちからは危険性も忘れて、歓声とどよめきが上がる。カシアンの思惑通り酒を求める客の列はさらに長くなった。

 

カシアンは、燃えるアルコールを指差しながら、笑みを浮かべて宣伝を続ける。

「ご覧ください! このように純粋な炎を生み出す、最高品質のスピリッツ! 少量で心も体も燃え上がること間違いなし! …ちなみに万が一、この炎のようなアルコールで気分が悪くなってしまった方のために、特製の即効性酔い覚まし薬も、あちらの売店で絶賛販売中です!」

彼はアビス組の店を指差す。

「白鷺杯の本番、意中の異性の前で醜態を晒したくないという方はぜひお買い求めください! こちらも私の研究の粋を集めた自信作です!」

見事なまでのマッチポンプ商法である。イグナーツはもはや呆れて物も言えない。陰からカシアンを観察していたエーデルガルドも頭を抱えている。

 

ひとしきり自分の店が繁盛しているのを確認するとカシアンは列の対応をユーリスに任せ、料理やデザートを売るアビス組の店舗へと足を運んだ。

「それで、こちらの売り上げはどうですか?」

いかつい顔に似合わず器用に串焼きを焼いていた元傭兵が顔を輝かせて答えた。

「へへっ、絶好調ですぜ、センセ! この肉も嬢ちゃんたち(ハピとコンスタンツェ)が作ってる甘いモンも面白いように売れていきますわ! いやー、流石は貴族様のお坊ちゃんやお嬢ちゃん方だ、金払いが景気いい! アビスにいた頃には一日でこんな大金、夢にも見れませんでしたぜ!」

彼の顔には偽りのない喜びが浮かんでいた。

 

「よろしい」カシアンは満足げに頷いた。

「ですが油断は禁物です。昼の部はそろそろピークを過ぎるでしょう。夕方からは客層も彼らが求めるものも変わってきます」

彼は次の指示を出す。

「今度は白鷺杯で意中の相手に贈るための、見栄えの良い花束や、洒落たデザインの装飾品…あるいはそうですね、少し曰く付きの縁結びか何かに効くという触れ込みの『お守り』のようなものに商品を切り替えます。そちらの準備は抜かりなく進んでいますね? 夕方からの第二部も今日一日で、我々の当面の活動資金を稼ぎ出す勢いで、しっかりと頼みますよ」

 

カシアンは悪どい商売人のような、あるいは全てを計算し尽くした冷徹な戦略家のような、不敵な笑みを浮かべた。そして、次の指示を出すために、賑わう人混みの中へと自信に満ちた足取りで消えていった。

 

白鷺杯という華やかな祭りの裏で、カシアンとアビスの住人たちによる、抜け目がなく、少々問題のある商売が繰り広げられていく。

 

 

 

 

白鷺杯の喧騒もようやく遠のきガルグ=マク大修道院に深い夜の静寂が訪れようとしていた頃。カシアンは自室に戻り、一人、机の上で今日の「戦果」を確認していた。テーブルの上には、日中の露店で稼ぎ出した金貨や銀貨が、小さな山を成している。木箱の中には、夕方から販売した花や装飾品、そしていかがわしい『お守り』の売上も加えられ、その総額は彼の当初の予想を遥かに上回っていた。

 

(ふむ…これは驚いた。今日の売り上げだけでアビスの者たちの当面の生活費と、町の壁の修復費用の一部が賄える計算になるな。祭りの熱狂と、人々の購買意欲…実に興味深い現象だ。需要と供給、そして適切な価格設定と…少々の『演出』があれば、これほどの利益が生み出せるものなのか)

 

彼は金貨を一枚指で弾きながら満足げに思考を巡らせていた。

 

(なるほど…今日だけは、私もあの空の上に鎮座ましますという『女神』とやらに、少しばかり感謝の念を捧げても良いのかもしれないな。この結果は、実に…素晴らしい)

 

彼にしては珍しい思考に耽っていると、コツコツ、と控えめなノックの音が部屋の扉から聞こえた。こんな夜更けに誰だろうか。

 

「どうぞ」カシアンが応じると扉が静かに開き、そこに立っていたのはベレスだった。彼女はいつもの落ち着いた教師の制服に身を包んでいた。その表情も普段通りの静かなものだったが長い一日の終わりを示すような、わずかな疲労の色が見て取れた。

 

「おや、ベレス」カシアンは、金貨の山から視線を上げ少し意外そうな顔で彼女を迎えた。

「どうかしたか? わざわざ私の部屋まで。今日の貴女は、白鷺杯の舞踏会で、生徒たちから引っ張りだこだったと聞いていますが。…やはり少し疲れましたか?」

 

彼は立ち上がり戸棚から清潔なティーカップを二つ取り出すと、先日イングリットたちにも淹れたハーブティーの準備を始めた。湯を沸かす魔道具が静かに起動音を立てる。

 

ベレスは静かに部屋に入りカシアンの言葉に小さく頷いた。

「……ああ。少しだけ、疲れた」

彼女は部屋の中央にあった椅子に、促される前に静かに腰を下ろした。カシアンが淹れてくれた温かいハーブティーを受け取ると、両手でカップを包み込み、ゆっくりと一口すする。ふぅ、と彼女の唇から小さな安堵のため息が白い湯気と共に漏れた。

 

部屋にはハーブの穏やかな香りと、窓から差し込む月明かりだけが満ちていた。しばらくの間、どちらからともなく言葉はなく、ただ静かな時間が流れる。

 

やがてベレスがカップをテーブルに置き、カシアンを見上げて尋ねた。その声は夜の静寂に溶け込むように、穏やかだった。

「……先生は、誰とも踊らなかったの?」

 

カシアンは自身もカップを片手に、壁に寄りかかっていた。彼は肩をすくめて答える。

「ええ、残念ながら、その機会はありませんでしたね。ご覧の通り私は日中、ささやかな『商売』とその後の計算に没頭しておりましたので。このような貴重な利益獲得の機会を逃すわけにはいきませんでしたから。」

 

「……そう」ベレスは短く応じわずかに視線を伏せた。

そして次の瞬間、ベレスは静かに立ち上がりカシアンの前に進み出た。そして彼が全く予想していなかった言葉をはっきりと口にした。

 

「……なら、私と踊らない?」

 

「………え?」

 

カシアンは、ベレスの突然すぎる提案に完全に思考が停止した。彼の表情が珍しく、あからさまな驚きと困惑に染まる。ダンス? 私と? なぜ、今、ここで? 彼の頭の中で、いくつもの疑問符が高速で点滅していた。

 

ようやく我に返ったカシアンは戸惑いを隠せないまま、慌てて言い訳のような言葉を口にした。

「……その、ベレス。私は、その…ダンスの類は、全くと言っていいほど嗜んでおりませんで。貴女のような方に失礼になるかと…。それに、非常に、下手です。足を踏んでしまうかもしれませんよ?」

 

しかしベレスはそんなカシアンの狼狽ぶりにも、静かに首を横に振っただけだった。

「それでも、いい」

彼女の声には有無を言わせぬような、穏やかだが確かな響きがあった。

「上手い下手は関係ない。カシアンと踊ってみたい」

 

そう言うと、女は、カシアンに向かって、そっと右手を差し出した。月明かりに照らされた、白く華奢な手。

 

カシアンは差し出されたベレスの小さな手と彼女のまっすぐな、感情の読めない、しかし何かを訴えかけているような大きな緑の瞳を交互に見つめた。彼の合理性は、この状況の非合理性を激しく訴えている。ダンスなど何の利益にもならない。時間の無駄だ。しかし、目の前の彼女の静かだが強い引力に、彼は抗うことができなかった。あの夜、彼女からブレスレットを受け取った時と同じような、理屈では説明できない何かが彼の心を動かしていた。

 

彼はためらいがちだが後戻りはできないと覚悟を決めたかのように、ゆっくりと自分の手を伸ばし、ベレスの差し出した手を取った。彼女の手は、少しだけ冷たかった。

 

部屋にはもちろん音楽など流れていない。窓の外から聞こえるのは、遠くで鳴く虫の声と、風の音だけ。カシアンは、ぎこちない動きでベレスをリードしようとするが、やはりステップは覚束ない。ベレスは、そんな彼の不器用さを、責めるでもなく、むしろ優しく受け入れるように、彼の動きに合わせて、静かにステップを踏み始めた。

 

月明かりが差し込む部屋の中央で、ゆっくりと円を描くように回り始める。それは白鷺杯の華やかな舞踏とは全く違う、誰に見せるでもない、ただ二人だけの、不器用で静かなダンスだった。

 

言葉はない。ただ触れ合う手のひらの温かさ、互いの呼吸、そして静かなステップの音だけが、二人の間に流れる。カシアンの心の中には、依然として当惑があった。しかしそれと同時に、これまで感じたことのないような、穏やかで、少しだけ温かい、そしてひどく不可解な感情が静かに、しかし確実に広がっていくのを感じていた。

 

この予期せぬ月下のダンスが彼らの間に存在する複雑な関係に、どのような意味をもたらし、どのような変化を引き起こすのか、それはまだ誰にも分からない。ただ星が静かに見守る夜の中で、二人の時間はゆっくりと、そして確かに流れ続けていくのだった。

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