ルミール村での忌まわしい事件もベレスとジェラルト、そしてセイロス騎士団の尽力によりようやく鎮圧され、ガルグ=マク大修道院にも束の間の落ち着きが戻りつつあった、そんなある日のこと。カシアンはガルグ=マク大修道院の一室で、ベレスとユーリスと共に向かい合っていた。部屋の中央の大きなテーブルには、フォドラ全土を示す地図と、最近起きた様々な事件に関するメモや報告書が、カシアンの手によって整理され、広げられている。カシアンの左肩と右足にはまだ包帯が巻かれていたが、彼の思考はいつも通り冴え渡っているようだった。
会議の本題に入る前に、カシアンは真っ直ぐにユーリスを見た。
「ユーリス。改めてになるが、先日は本当に助かった。貴殿が譲ってくれたあの楔帷子がなければ、私の負傷はもっと深刻なものになっていただろう。致命傷を避けられたのは、間違いなくあれのおかげだ。感謝する」
ベレスも静かにユーリスに視線を向け小さく頷いた。
「…ユーリス、ありがとう。カシアンを…先生を助けてくれて、本当に感謝してる」
彼女の声には、偽りのない誠実な響きがあった。
ユーリスは二人の真摯な感謝の言葉に、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「へっ、礼なんていいって言ってんだろ。大体、あのセンセが簡単にやられちまったら、俺たちの計画も、町の連中の新しい生活も、全部ご破算になっちまうんだからな。当然のことをしたまでだ。それに…」
彼はちらりとカシアンを見た。
「センセが機転を利かせてくれたおかげで、俺たちも助かってるしな」
カシアンはユーリスの言葉に軽く頷くと、テーブルの上の地図を示し、本題を切り出した。
「さて、今日の議題は、我々が直面している、そしておそらくはフォドラ全土に影を落とそうとしている『見えざる敵』…先日私を襲撃してきたモニカと名乗った暗殺者や、長年書庫番トマシュになりすましていたソロン、そして彼らが所属すると思われる謎の勢力について、現時点で我々が把握している情報を整理しその正体と目的を分析することです」
部屋の空気が、引き締まる。
カシアンは、まず地図上のある地域を指し示した。
「ここ数ヶ月でフォドラ各地、特にこのガルグ=マク大修道院周辺で発生している不穏な事件…ロナート卿による教会への反乱、ルミール村での住民の狂乱事件、そして未知の魔獣の出現と、私への暗殺未遂。これらの事件が発生した場所を地図上にプロットしていくと、ある明確な傾向が見えてきます。それは、事件の多くが、アドラステア帝国とファーガス神聖王国の国境線に沿った地域、特に王国の南部に集中しているということです」
彼はペンを取り、地図上のいくつかのポイントを繋ぐように線を引いた。
カシアンは慎重に言葉を続けた。
「しかしこれらの事件が全て、単一の、巨大な組織によって計画・実行されたと断定するのは、現時点では早計です。それぞれの事件の背後には、異なる動機や目的を持った複数の勢力が存在し、偶然同じような時期に活動を活発化させたという可能性もあります。」
ユーリスは腕を組み、厳しい表情で頷いている。
「確かにな。一枚岩の敵だと思い込むのは危険だ。だがあの魔獣やなりすまし野郎のやり口は、普通の盗賊や反乱分子のそれとは明らかに違う。何か、もっと厄介で、根深いものが絡んでる気がするぜ」
「ええ、私も同感です」カシアンは同意した。
「次に、我々が直接的、あるいは間接的に接触した、敵対的な個々の存在について、判明している特徴を整理してみましょう。炎帝、死神騎士、そして先日私と対峙したモニカ、ソロン(トマシュ)。彼らには、いくつかの共通する特徴と、それぞれに注目すべき特異点が見られます」
彼は指を折りながら一つ一つ挙げていく。
「まず彼らに共通しているのは、セイロス聖教会に対し極めて強い、そして中長期的な計画に基づいていた敵意を抱いているという点です。彼らの行動は、単なる破壊衝動ではなく、明確な目的意識に基づいているように感じられます」
「次に彼らの多くが長距離の瞬間移動を可能にするワープを使用するということです。これは彼らの神出鬼没な行動と、我々の追跡を困難にしている大きな要因の一つです」
「そして最も警戒すべきは彼らが異形の魔獣を人工的に作り出し、それを兵器として使役する、我々の知らない高度な技術を保有しているという点です。これはアカデミーで教えられる知識を遥かに超えた、英雄の遺産に近い力と言えるでしょう」
ベレスはカシアンの言葉に静かに耳を傾けながら、時折、何かを深く考え込むような表情を見せていた。彼女の脳裏には、自身の内に宿るソティスの力や、英雄の遺産の秘密との関連がよぎっているのかもしれない。
「そして彼らの最も厄介な戦術が潜伏と『なりすまし』です」カシアンの表情が険しくなる。
「死神騎士はイエリッツァであるとみて間違いないでしょう。ソロンに至っては、書庫番トマシュという、誰からも疑われることのない温和な老人になりすまし、少なくとも1年以上は教会内部の情報を収集し続けていたのです。彼らの潜伏能力と忍耐力は、常軌を逸しています」
「そして、今回のモニカと名乗った暗殺者…クロニエです」カシアンはベレスを見た。
「彼女は保護された実在の生徒、モニカになり代わり、この大修道院に潜入しました。前の二人…ある程度の社会的地位や長年の信頼関係を築き上げていたイエリッツァやトマシュとは異なり、彼女がなり代わったのは、一介の生徒だった。なぜあえてそのような、得られる情報が限定的な立場を選んだのか…その理由は現時点では不明です。」
「なるほどな…」ユーリスは顎をさすりながら唸った。
「ワープに魔獣、それに化け物じみた長期間のなりすまし、か。確かにとんでもねえ連中が相手だってこったな。普通のやり方じゃ、尻尾も掴めそうにねえ」
カシアンは一旦言葉を切り広げられた地図とメモに再び視線を落とした。
カシアン、ベレス、ユーリスの三人は、広げられた地図と報告書を前に、重い沈黙の中にいた。先ほどの情報共有と分析によって、彼らが対峙している敵が、単なる盗賊や反乱分子ではなく、フォドラの根幹を揺るがしかねない、高度な技術と長期的な計画性、そして深い悪意を持った謎の組織であることは、ほぼ確実となった。
カシアンは、しばしの沈黙を破り、静かに口を開いた。
「我々が対峙している敵は、極めて危険で、その全貌を掴むのは容易ではない。現時点で、その黒幕…全ての計画を操っている中心人物を特定することは、残念ながら不可能です」
彼は現段階での結論を冷静に述べた。
「じゃあ、どうするってんだ、センセ?」ユーリスが腕を組み、苛立たしげに尋ねる。
「敵の正体が分からねえまま、いつまた襲われるかビクビクして待ってるってのか?」
「いいえ、もちろん違います」カシアンは首を振った。
「正体が不明ならば、闇雲に犯人捜しをするのは非効率的です。今はむしろ、我々が得ている断片的な情報から、可能な限り犯人像の輪郭を絞り込み、その上で彼らが次にどのような行動をとる可能性が高いかを予測し、有効な対策を講じることに注力すべきでしょう」
彼はペンを取り、メモにいくつかのキーワードを書き出しながら、自身の推論を語り始めた。
「まず犯人グループの中心人物について。彼らは相当な年齢…おそらくは中年以上に達している可能性が高いと考えられます。ソロンが『トマシュ』として長い期間潜伏していた事実が、その強力な裏付けとなります。彼らの計画は数年で完結するような、短絡的なものではない。もっと長期的で、根深い目的を持っているはずです」
「次に彼らの所属、あるいは少なくともその行動原理に関わる重要なヒントが、先日私を襲撃したモニカ(クロニエ)の行動に隠されています」
カシアンはベレスを見た。
「考えてみてください。もしあの暗殺者や彼女が属する組織が、王国や同盟といった、帝国と潜在的に敵対する勢力であったなら、ガルグ=マクに潜入した彼女が最優先で狙うべきターゲットは誰だったでしょうか?」
ベレスは少し考え「…エーデルガルト?」と答えた。
「その通りです」カシアンは頷いた。
「帝国の唯一の皇位継承者であるエーデルガルト殿下を暗殺、あるいは誘拐すること。それが帝国を最も効果的に弱体化させ、王国や同盟に非常に利をもたらす行動のはずです。しかしモニカはそうしなかった。彼女は拾われて以降狙える立場に居ながらエーデルガルト殿下には一切手を出さず、あろうことか、私のような、一介の教師に過ぎない人間を、わざわざ狙ってきたのです。そしてその理由は上からの指示…つまり彼らの組織内部の都合だったのでしょう。」
「これは非常に重要な示唆を含んでいます」カシアンは続けた。
「考えられる可能性として最も高いのは、彼らが少なくとも現時点では、アドラステア帝国そのものと敵対しているわけではない、ということです。むしろ帝国の有力貴族以上、少なくとも深い利害関係を共有している可能性が高い。そして彼らの真の敵はセイロス正教会とみなしてよい。」
「一部には西方教会が全ての黒幕ではないか、という憶測もあるようですが」カシアンは付け加えた。
「これも可能性としては低いと私は判断します。彼らが教会に対し強い反感を抱いているのは事実でしょう。しかし、彼らの組織力や資金力、そして何より技術力、高度な魔獣技術や転移魔法といった力は、彼らの手に余るものでしょう。」
カシアンの冷静な分析に、ユーリスは唸り声を上げ、ベレスは静かに聞き入っていた。犯人像の輪郭が、少しずつ見えてきたような気がした。しかしその推論は、ベレスにとって新たな、そして辛い疑問を生じさせた。
「……先生」ベレスが心配そうな、そして少し怯えたような声で尋ねた。
「もし、犯人が…その、帝国に関係する者たちだとしたら……私が担任をしている、黒鷲の学級の生徒たちも…関わっている?」
彼女は自分の大切な生徒たちに疑いの目を向けなければならないという事実に、明らかに心を痛めている。
カシアンはベレスのその苦悩を察したのか、いつもより少しだけ柔らかい口調で答えた。
「生徒たち自身がこの陰謀の計画者や『主犯』である可能性は低いでしょう。彼らはまだ若く、経験も浅い。これほどまでに大規模で、長期にわたる計画を主導できるとは到底思えません。また私がモニカに襲われたとき、一応エーデルガルトに救われたことからも、皇帝直属ではなく、有力な公爵あたりが最有力候補です。地方貴族がこんな遠大な計画と実行できるとは思えないので、一旦は除外で良いでしょう。」
しかし、彼は厳しい現実も付け加えることを忘れなかった。
「ですが…残念ながら、可能性として否定できないのは、生徒たちに極めて近しい人物の中に、この組織の首謀者、あるいは有力者が存在する可能性は高い。そして彼らに協力している可能性は否定できません。」
カシアンの言葉は残酷な現実を突きつけていた。ベレスはその可能性に、静かに目を伏せ唇を噛み締めた。エーデルガルト、ヒューベルト、フェルディナント…彼らの顔が脳裏に浮かぶ。信じたい気持ちと、拭いきれない疑念の間で、彼女の心は激しく揺れ動いていた。
場の重苦しい空気を断ち切るように、カシアンは話題を切り替えた。
「…さて、犯人像の特定については、今後も地道な情報収集と分析を続けていくとして。次に、我々が取るべき具体的な対策についてです」
彼の表情が、再び指揮官としてのそれに引き締まる。
「敵はソロンやモニカだけでなく、我々の知らないさらなる刺客やより強力な魔獣を追加で送り込んでくる可能性があります。」
「これらの予測される脅威に対し、我々はこの西の拠点を中心として、独自の防衛網と、即応可能な迎撃体制を早急に構築する必要があります」
彼はユーリスに向き直った。
「そして、その実行部隊としては…セイロス教会を待つことなく、ユーリス、そしてアビスの皆さんの力を主体として、今後の対策を進めてほしい。……私は何故かレアに仕事があると言われており当分はガルグ=マクから離れられません、あなた方だけが頼りです。ですがこれだけ事件が多発していますと、今後も領主や国同士の争いが生じる可能性も高いです。その際に成り上がるための助走として活用できます。」
その言葉にはセイロス教会への根深い不信感と、アビスという裏の力を最大限に活用しようという、カシアンの明確な意志が込められていた。
ユーリスはカシアンの提案に、当然だとばかりに不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「へっ、ようやく話が見えてきたじゃねえか、センセ。俺たちアビスの力が必要なんだろ? いいぜ、その話、乗ってやる。地上のお偉方なんかに頼らず、俺たちのやり方で、奴らに目に物見せてやろうじゃねえか。センセはどんと俺たちに任せとけ。」
犯人像の輪郭は朧げながらも見え始め、同時に新たな脅威への具体的な対策が動き出す。カシアン、ベレス、そしてユーリス。それぞれの思惑と立場が交錯する中で、彼らは見えざる敵との戦いという、共通の目的に向かって、さらに深く、そしてより危険な道へと足を踏み入れていくことになった。静かな会議室には、嵐の前の静けさのような、張り詰めた決意が満ちていた。