道徳以外を教えます   作:マウスブン

3 / 95
鷲と獅子と鹿の戦い

鷲と獅子と鹿の戦いの火蓋が切られた。ガルグ=マク大修道院に隣接する広大な演習場には、日の光が降り注ぎ、三つの学級の旗がそれぞれの陣地ではためいている。皇帝の赤を掲げる黒鷲の学級、王国の青を掲げる青獅子の学級、そして盟主の金を表す金鹿の学級。生徒たちの顔には、緊張と興奮、そしてライバルへの闘争心が浮かんでいた。

 

カシアンは金鹿の学級の生徒たちと共に、割り当てられた陣地の後方に位置していた。彼の前には、地形模型と駒が置かれた簡易的な作戦盤がある。事前に伝えた作戦はシンプルだ。序盤は無理な攻勢に出ず、防御を固めて中央の丘を確保。クロードの機動力を活かして敵情を偵察し、黒鷲と青獅子がぶつかり消耗するのを待ってから、漁夫の利を狙う。それが最も合理的で、勝利の可能性が高いとカシアンは判断していた。

 

開始の合図となる鐘の音が、演習場に響き渡る。

 

「よし、作戦通り、まずは守りを固めるぞ!」レオニーが気合を入れて槍を構える。

「ええ~、面倒だなあ…」ヒルダは大きな斧を肩に担いだまま、早くも欠伸を漏らした。

「うん、作戦は完全に飲み込めました」リシテアが自信満々に言いつつ周囲を見渡す。

 

その、まさに作戦が動き出そうとした瞬間だった。

 

「諸君! 我がグロスタール家の栄光を示す時が来た! 続け!」

 

甲高い声と共に、金色の鎧を輝かせたローレンツが、単騎、敵陣である黒鷲の学級がいる方向へと猛然と突進を開始したのだ。

 

「なっ!?」「ええっ!?」「ローレンツ!?」

 

金鹿の生徒たちから驚愕の声が上がる。カシアンが事前にあれほど「突出するな」「序盤は待機」と念を押したにも関わらず、ローレンツは完全に作戦を無視して英雄的な(あるいは愚かしい)一番乗りを狙ったのだ。

 

「あーあ、言わんこっちゃない」

クロードがやれやれといった表情で呟いた。彼は最初からローレンツが何かやらかすだろうと予想していた節がある。

 

案の定、ローレンツの単独での突撃は、規律の取れた黒鷲の学級にとって格好の的だった。前衛のフェルディナントとカスパルが素早く反応してローレンツの足を止め、側面からはヒューベルトの指示を受けたであろうドロテアの魔法とベルナデッタの矢が牽制するように飛んでくる。あっという間に、ローレンツは数人の黒鷲生徒に囲まれ、孤立無援の状況に陥った。

 

「くっ…! さすがは帝国貴族、なかなかの手際だが、このローレンツ=ヘルマン=グロスタール、この程度で!」

 

ローレンツは必死に応戦しているが、多勢に無勢、敗北は時間の問題に見えた。

 

カシアンは、その一部始終を後方の作戦盤の前で見ていた。彼の口から計算通り、というような深いため息が一つ漏れた。

 

「やれやれ…やはりあの男は期待を裏切らない」

 

彼はローレンツの愚行を嘆くでもなく、ただ静かに作戦盤の上の駒を動かす。まるでこの展開すら織り込み済みであるかのように。そして、隣に控えていたクロードに視線を送った。

 

「クロード」

 

「へいへい、了解。『おとり役』、引き受けたぜ」

 

クロードはカシアンの短い呼びかけだけで全てを察したようだ。彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、身を隠していた近くの茂みから音もなく飛び出した。手にした弓を構え、黒鷲の生徒たちの側面に向けて素早く矢を放つ。

 

「おっと、そっちはがら空きだぜ!」

 

クロードの放った矢は正確に黒鷲の生徒たちの足元や盾を捉え、彼らの注意をローレンツから逸らす。陽動だ。同時に、彼は巧みな動きで包囲の一角に隙を作り出し、ローレンツに撤退の機会を与えようとしている。表向きは。カシアンが事前に伝えていた真の狙いは、ローレンツ救出ではなく、黒鷲の注意をさらに引きつけ、あらかじめ定めた『罠』の場所まで敵の精鋭を誘い込むことにあった。

 

「まったく…これで第一段階は完了か」

 

カシアンは小さく独り言を漏らすと、手元の作戦盤に再び視線を落とした。ローレンツの突出とクロードの陽動によって、当初皆に伝えていた表向きの計画は早くも崩れた。だが、カシアンの思考はすでに次の段階へと移行している。黒鷲の精鋭がクロードに食いついた。エーデルガルト本体の動きは? そして、手薄になったであろう青獅子に対しては?

 

彼はリシテアとレオニーに視線を送った。

 

「リシテア、レオニー。予定通り、第二段階へ移行する。貴女たちには…」

 

カシアンの冷静な声が、一見混乱しかけた金鹿の陣営に新たな、しかし計算された指示を与え始める。彼の頭の中では、すでにいくつもの戦略が構築され、最適解が選択されていた。ローレンツの犠牲すら、この大きな絵図の一パターンに過ぎないのだ。鷲と獅子と鹿の戦いは、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

「おっと、そっちはがら空きだぜ!」

 

クロードの放った矢が黒鷲の生徒たちの注意を引きつけ、包囲にわずかな隙が生まれる。ローレンツにとって、それは絶好の撤退チャンスのはずだった。クロードも目で合図を送る。「今だ、退け!」と。

 

しかしローレンツは退かなかった。

 

「退かぬ! このローレンツ、敵に背を見せるわけにはいかん!」

 

貴族としての矜持か、あるいは単なる意地か。彼はクロードが作った隙を無視し、なおも黒鷲の生徒たちに立ち向かおうとした。その一瞬の判断の遅れが、命取りとなる。体勢を立て直したエーデルガルトが冷静に指示を飛ばし、フェルディナントの鋭い槍撃がローレンツの防御を打ち破った。

 

「ぐわっ…! こ、この私が…不覚…!」

 

ローレンツは派手な音を立てて地面に倒れ伏し、審判役の騎士によって戦闘不能が宣告された。金鹿の学級、最初のリタイアだ。

 

「ちっ、仕方ないか…(まあ、餌としては上出来だ)」

 

クロードは舌打ち一つでローレンツを見限り、即座に身を翻した。目的は陽動から、敵の追撃部隊を特定の地点へ誘導することへと切り替わった。彼はカシアンに指示された近くに見える森へと全速力で駆け出す。

 

「待て! 逃がすか、金鹿の指揮官!」

「俺に続け! あの弓使いを討ち取れ!」

 

ローレンツを討ち取って勢いづいた黒鷲の学級の一部、特にカシアンが『釣れる』と読んでいた血気盛んなフェルディナントとカスパルが、後続の兵を率いてクロードを追撃してきた。彼らにとって敵の指揮官格をここで叩いておけば、戦いを有利に進められると考えたのだろう。まさにカシアンの術中だった。

 

背後から迫る鬨の声と足音。しかし森に向かって駆けるクロードの口元には、なぜかかすかな笑みが浮かんでいた。それは焦りや恐怖とは程遠い、むしろ状況を楽しんでいるかのような、あるいはカシアンの描いたシナリオ通りに進んでいることを確信しているかのような不敵な笑みだった。

 

クロードが森の入り口付近、木々がまばらになった開けた場所――そこは巧妙に選ばれた、一見逃げ込みやすいが、左右の茂みが深く、伏兵を隠すのに最適な地点だった――に差し掛かった、まさにその瞬間だった。

 

「待ってたよー!」

「うおおおっ!」

「かかれっ!」

 

茂みの中から、突如として金鹿の生徒たちが躍り出た! 待ち伏せていたのだ。面倒くさそうにしていたはずのヒルダが、巨大な戦斧を振り回して突進してきたカスパルの勢いを殺し、体格の良いラファエルが雄叫びとともにフェルディナントの側面に完璧なタイミングで突っ込む。後方からはレオニーの正確な槍が追撃してきた黒鷲の兵士を的確に捉え、イグナーツの援護の矢が退路を断つように飛ぶ。リシテアの魔道も炸裂し、誘い込まれたことに気づかず油断しきって深追いしてきた黒鷲の前衛部隊は、完全な奇襲を受けて混乱に陥った。

 

「なっ!? 伏兵だと!?」

「しまった、誘い込まれたのか!」

 

フェルディナントやカスパルは、予期せぬ方向からの攻撃に虚を突かれ、慌てて応戦しようとするが、地の利と勢いは完全に金鹿側にあった。

 

追われる立場から一転、クロードは足を止め、くるりと反転した。その顔には、もはや隠そうともしない、いたずらっぽい笑みが満面に広がっている。

 

「やれやれ、やっとお出マシってわけだ。ご苦労さん、黒鷲のエリートさんたち」

 

彼は弓を引き絞り、混乱する黒鷲の生徒たち、特に伏兵から逃れようと後退する者や、後方から状況を把握しようとしている指揮官格に狙いを定める。

 

「カシアンの筋書き通り、ってな! さあ、狩りの時間と行こうぜ!」

 

言い放つと同時に、クロードの指から矢が放たれた。それは、金鹿の学級による計算され尽くした反撃の狼煙だった。ローレンツという犠牲を前提とした、カシアンの冷徹な罠が、今まさにその牙を剥いたのだ。

 

 

 

 

鷲と獅子と鹿の戦いは、既に終盤に差し掛かっていた。演習場を見下ろす近くの丘の上で、ジェラルトは腕を組み、静かに戦況を見守っていた。フィールドには、模擬戦用の武器を取り落とし、戦闘不能を示す白い旗を掲げた生徒たちが点在している。特に青獅子の学級の生徒たちの姿が多く見える。ディミトリたちの奮闘も虚しく、彼らは三つ巴の激戦の中で最初に脱落してしまったようだ。初戦で金鹿が黒鷲にカウンターを決めたが、うまく黒鷲は立て直せたようだ。

 

現在フィールドで動き回っているのは、主に金鹿の学級の生徒たちだ。クロードを中心に、ヒルダ、レオニー、ラファエルらが巧みな連携を見せ、着実に黒鷲の残存戦力を追い詰めている。その数はまだ大半が残っており、明らかに優勢と言えた。

 

対する黒鷲の学級は驚異的な粘りを見せていた。しかし残っているのはわずかに二人。皇帝の威厳を漂わせるエーデルガルトと、そしてジェラルトの娘であるベレス。二人は背中合わせになるようにして、多勢の金鹿勢を相手に奮闘を続けているが、敗北は時間の問題に見えた。

 

「団長! ご観戦でしたか! いやはや、今年も熱い戦いですな!」

 

背後から陽気な声が聞こえた。振り返ると、恰幅の良い騎士、アロイスが笑顔で立っていた。ジェラルトを探してここまで来たのかもしれない。

 

「おお、アロイスか」

ジェラルトは短く応えた。

 

「して戦況はどうですかな?」

アロイスは少し残念そうにフィールドを見渡した。

 

「見ての通りだ」

ジェラルトは顎でフィールドを指し示した。

「金鹿が圧倒的に有利だな。青獅子は早々にやられちまったし、黒鷲も残りはあのお嬢様と…うちのベレスだけか。金鹿の指揮を執ってる坊主…クロードだったか、かなり上手く立ち回ってる」

ジェラルトは、序盤の劣勢を覆し、的確な指示で戦局を有利に進めているクロードの手腕を素直に評価した。

 

アロイスはジェラルトの言葉に大きく頷いた。

「ええ、クロード殿も素晴らしいですな! 若いのになかなかの知恵者とお見受けします! ですが団長、ご存じでないのですね?」

アロイスは人差し指を立て、得意げに続けた。

「今の金鹿には、あのカシアン先生が臨時で入っておられるのですよ!この優勢は、きっと先生の采配のおかげでしょうな!」

 

「カシアン…」

ジェラルトの口から、その名前が低く漏れた。先日、釘を刺したばかりの男の顔が脳裏に浮かぶ。あいつが、この戦局を作り出したというのか。

「…アロイス、お前はあいつの何をそんなに知ってるんだ? やけに肩を持つじゃないか」

ジェラルトは、少し探るような視線をアロイスに向けた。

 

「おお! 団長もカシアン先生にご興味がおありで?」

アロイスは待ってましたとばかりに目を輝かせた。

「いやあ、カシアン先生はすごいのですよ! あれは忘れもしません、数年前のことですな。先生がまだ、ここの士官学校の学生だった頃ですが…」

 

アロイスは少し興奮した様子で語り始めた。

 

「士官学校の恒例行事で、学生の選抜チーム対我々セイロス騎士団の模擬戦というのがありましてな。まあ、我々もプロですから、学生相手に負けるわけにはいかんと、そう思っていたわけです。ええ、正直に申しますと、少しばかり油断していたのかもしれませんな、はっはっは!」

 

アロイスは一度笑ってから、真剣な表情になった。

 

「ところがですな、団長。その年の学生チームの指揮を執っていたのが、何を隠そう、カシアン先生だったのです。そして、彼の立てた作戦が…それはもう、見事というほかなく! 我々騎士団の連携は巧みに分断され、得意な戦法はことごとく封じられ、まるで赤子の手をひねるように、一人、また一人と打ち取られていきましてな…」

 

アロイスは当時の光景を思い出すように、少し遠い目をした。

 

「もちろん、学生側も必死でしたし、人数差もあったのかもしれません。ですが我々歴戦の騎士団が、学生相手にあそこまで手玉に取られ、完敗を喫したのは…後にも先にもあの時だけです! まさに歴史的な番狂わせ! 終わった後など、騎士団の皆は呆然としておりましたぞ。私も、腰が抜けそうになりました!」

 

アロイスは再び豪快に笑ったが、その話を聞くジェラルトの表情は硬かった。学生時代から、騎士団を手玉に取るほどの戦術眼を持っていた…? あのカシアンという男の異質さ、そして底知れない能力を、ジェラルトは改めて認識させられた。その才能が今、傭兵団ではなく、士官学校の、それも自分の娘を含む生徒たちに向けられている。それは果たして、良いことなのか、悪いことなのか…。

 

(学生の頃から、か…やはり、ただ者じゃないな、あいつは…)

 

ジェラルトはフィールドで繰り広げられる戦いの光景から、わずかに目を逸らした。カシアンという存在が、このガルグ=マクに、そして自分の周りに、どのような影響をもたらすのか。一抹の不安が、歴戦の傭兵の心をよぎっていた。

 

 

 

 

そんな話とは関係なく、鷲と獅子と鹿の戦いは劇的な結末を迎えた。終盤まで圧倒的優勢を保っていた金鹿の学級だったが、土壇場で黒鷲の学級、特にベレスの驚異的な奮戦によって戦況は一変した。彼女はまるで猛禽のように戦場を駆け巡り、的確な指示と自身の卓越した戦闘能力で、次々と金鹿の生徒たちを打ち破っていったのだ。そして最後には、後方で指揮を執っていたカシアン自身も、ベレスの放った一撃の前に為す術なく膝をつき、戦闘不能となった。

 

結果は黒鷲の学級の逆転勝利。エーデルガルトとベレス、わずか二人で掴み取った勝利に、観客席からは大きな歓声が上がっていた。

 

一方敗者となった金鹿の学級の生徒たちは、演習場の隅に集まっていたが、その雰囲気は重かった。誰もが汗と泥にまみれ、疲労困憊といった様子で地面に座り込んだり、壁にもたれかかったりしている。勝利を目前にしながらの敗北は、肉体的な疲労以上に、精神的な消耗をもたらしていた。

 

そんな彼らの前に、自身も模擬戦の土埃を纏ったカシアンが立った。彼の表情はいつも通り読み取りにくいが、その瞳には敗北に対する分析的な光が宿っている。

 

「さて」カシアンは冷静な口調で切り出した。

「戦闘は終わった。これより、今日の戦いについての反省会を始める」

 

その言葉に生徒たちから一斉にうめき声が上がった。

「ええーっ…今からですか、先生…?」レオニーが力なく呟く。

「もう、一歩も動けないよぉ…」ラファエルが大きな体を地面に投げ出している。

「反省は大事だけどさあ、今はちょっと勘弁してほしいなあ…」ヒルダが心底面倒くさそうに顔をしかめた。

 

生徒たちの反応は無理もなかった。誰もが限界まで戦い、そして敗れた直後なのだ。そんな彼らの様子を見て、クロードがやれやれといった表情で一歩前に出た。

 

「カシアン先生、気持ちはよーく分かります。今日の戦い、反省すべき点は山ほどありますからね。特に、俺たちの詰めの甘さとか」

クロードはちらりと他の生徒たちを見回した。

「でも見ての通り、みんなもうヘトヘトですよ。今ここで反省会をやっても、まともに頭が回らないんじゃないかな。ここは一旦休んで、後日、改めて時間を取るってのはどうでしょう?」

 

クロードは飄々とした口調だったが、その言葉には仲間たちを気遣う響きがあった。

 

カシアンは黙って生徒たちの様子を観察した。確かに、皆疲弊しきっている。この状態で無理に反省会を開いても、効果的な議論は期待できないだろう。彼の合理的な思考が、即時反省よりも、回復後の効率的な議論を選択させた。

 

「…分かった。クロードの言う通りだ」

カシアンは頷いた。

「今日のところは解散とする。ただし、各自、今日の戦いをよく振り返っておくように。なぜ優勢を維持できなかったのか、何が足りなかったのか。次の反省会では、具体的な意見を求める」

 

カシアンの言葉に、生徒たちから安堵のため息が漏れた。「助かった…」「ありがとうございます…」口々に言いながら、彼らは重い体を引きずるようにして、それぞれの寮へと戻っていった。

 

一人残ったカシアンも、演習場を後にしようと歩き出した。その時、ふと視線の先に、同じく帰り支度をしているベレスの姿を捉えた。彼女もまた、激戦の痕跡をその身に纏っている。カシアンは、迷うことなく彼女の方へ歩み寄った。

 

「ベレス」

 

呼びかけに、ベレスは静かに顔を上げた。その表情は、勝利の後とは思えないほど、いつも通り凪いでいる。

 

「どうしましたか、カシアン先生」

 

「いや…今日の貴女の戦いぶり、見事でしたよ」

カシアンは言葉を選んだ。その言葉に、ベレスの目がわずかに見開かれたように見えた。

 

「特に終盤の立ち回りは、戦局を覆すに足るものだった。あの絶望的な状況で、冷静さを失わずに最善手を選択し続けるとは…正直、感心しました」

カシアンは淡々と、しかし嘘偽りのない評価を口にした。

「戦術的な判断もさることながら、それを実行するだけの技量も伴っている。大したものだ」

 

彼はわずかに自嘲するように付け加えた。

「私の剣が貴女の一撃で沈められるのは昔のままですけどね。完敗です」

 

ベレスはカシアンの言葉を静かに聞いていた。そしてわずかな沈黙の後、小さな声で、しかしはっきりと答えた。

 

「ありがとう」

 

それだけ言うと、彼女は再び口を閉ざした。表情はやはり乏しいが、カシアンには、その短い言葉の中に、彼女なりの感情が込められているように感じられた。

 

「先生も、手強かったです」ベレスは付け加えた。

 

「…そうですか」カシアンは短く応じた。

 

それ以上の会話はなく、二人の間に静かな時間が流れた。やがて、ベレスは小さく会釈すると、カシアンに背を向け、歩き去っていった。

 

カシアンはその背中をしばらく見送っていた。ベレス・アイスナー。ジェラルトの娘。そして、黒鷲の学級を勝利に導き、自分自身を打ち負かした存在。今日の戦いを通して、カシアンは彼女の持つ規格外の力と、予測不可能な可能性を改めて認識させられた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。