道徳以外を教えます   作:マウスブン

34 / 95
ガルグ=マクの戦い1

数日の休息と軍備の再編を経て、ついに帝国軍によるガルグ=マク大修道院への総攻撃が開始された。フォドラの空気を震わせる鬨の声と共に、三つの巨大な軍勢が、長年戦いの無かった大修道院の城壁へと迫る。彼らはガルグ=マクの城壁の大きく欠けた部分から精鋭を突入させ、攻略する手筈となっていた。

 

左翼を進むのは、皇帝エーデルガルト=フォン=フレスベルグ自らが率いる、かつての黒鷲の学級の生徒たちを中心とした帝国精鋭部隊。ヒューベルトの陰険な策略、フェルディナントの勇猛果敢な突撃、ベルナデッタの正確無比な狙撃が、複雑に連携し、教会軍の防衛線を切り崩していく。

 

右翼には、ランドルフやラディスラヴァといった帝国軍の将軍たちが、重装歩兵と騎兵の大部隊を指揮し、力で教会軍の側面を圧迫する。その進撃は、さながら巨大な鉄槌のようだった。

 

そして中央。最も厚い守りが予想されるこの戦線を任されたのは、カシアンとベレス、そしてジェラルトとアビスの兵士たちで構成された、異色の混合部隊だった。

出陣前、エーデルガルトはカシアンにこう言い放ったという。

「ベレス先生を連れて中央を任せるのだから、あの程度の防壁、赤子の手をひねるように突破してもらわなければ、私の面目が立たないわ。期待しているわよ、カシアン先生?」

その言葉には、純粋な期待と共に、カシアンの能力を試すような、そしてベレスを「貸し与えた」ことへの意趣返しのような響きも含まれていた。

 

対する教会軍の防衛体制は、その指揮をセテスが行っていた。彼は冷静沈着に防衛ラインを再構築し、ガルグ=マクの地形を熟知した三層の防壁を敷いていた。特に中央の守りは厚く、第2層の指揮はセテス自らが執っていた。

「レア様の準備ができるまで、我らがフォドラの盾とならねばならぬ…!」

セテスは、手勢の精鋭騎士たちを率い、あえて第1層の防壁が突破されることを見越して、そのすぐ背後に巧妙な伏兵を配置していた。敵が油断して第1層を越え、狭い通路に殺到したところを一気に殲滅する算段だった。彼の表情には、悲壮な覚悟と、知将としての冷徹な計算が浮かんでいた。

 

「全軍、攻撃開始! 目標、正面第1防壁! ベレスは先陣を、ジェラルト殿は遊撃、アビスの者たちは左右から援護しつつ、一点集中で突破する!」

カシアンの明瞭な命令が飛ぶ。その声には、戦場の喧騒の中でも不思議なほどよく通る力があった。

 

ベレスは天帝の覇剣を抜き放つと、その緑色の髪を風になびかせ、女神の力を解放したかのように敵陣へと突撃した。彼女の一振りは、教会兵の盾を砕き、鎧を裂き、まさに薙ぎ払うという言葉が相応しい圧倒的な力で道を切り開いていく。

ジェラルトも、愛用の槍を振るい、老練な動きで敵の隙を突き、的確に指揮官クラスを討ち取っていく。

アビスの者たちも、ユーリスの短剣術、バルタザールの剛腕、コンスタンツェやハピの魔道、それぞれの特性を活かしてベレスとジェラルトを援護し、教会兵の防衛網を瞬く間に無力化していく。

 

彼らの進撃は、帝国軍の他の翼と比べても際立って速かった。第1層の防壁は、まるで存在しなかったかのように易々と突破され、カシアン率いる中央軍は、早くも第2層の防壁が目前に迫る地点まで、怒涛の勢いで攻め込んだ。

そのあまりの速さに、第2層にて伏兵の指揮を執っていたセテスも、わずかに目を見張った。

(速すぎる…! これが女神の力と、カシアンの指揮か…!)

しかし、彼の表情はすぐに冷静さを取り戻す。

「…よし、予定通りだ。よくぞここまで来た、侵略者どもよ。ここから先は、我が聖域。一歩たりとも通さん!」

セテスは剣を抜き放ち、伏兵たちに合図を送ろうとした。まさにその時――。

 

 

 

 

「――今です! 全員、例のものを!」

カシアンの声が、ベレスとアビスの者たちに鋭く飛んだ。次の瞬間、彼らは懐から取り出したいくつもの球体を、一斉に第2層の防壁の内側へと投げ込んだ。球体が地面や壁に当たって砕け、中からもうもうと濃密な煙が噴き出し始める。それはカシアンがアビスの薬草師たちと共同で開発した、特殊な煙玉だった。

 

瞬く間に、第2層の防壁内部は視界ゼロに近い濃煙に包まれた。

「な、何だこれは!?」

「敵の煙玉か!?」

教会兵たちの間に動揺が広がり、咳き込む音や混乱した声が煙の中から聞こえてくる。

 

セテスは、腕で口元を覆いながらも、必死に煙の中の状況を把握しようとした。

(煙幕か…!だが、この煙の中で突撃してくるとは思えん。何か狙いが…?)

その時、彼の耳に、確かに複数の馬のいななきと、地を蹴る蹄の音が煙の奥から響いてきた。そして、濃い煙の中に、ぼんやりとだが、数十騎の騎馬部隊らしき影が、勢いよくこちらへ突進してくるのが見えた。

 

(騎兵突撃だと!? この視界不良の中を!? …いや、だからこそか!混乱に乗じて一気に中央突破を狙うつもりか!)

セテスは、カシアンという男の用兵の常識外れさを改めて認識すると同時に、これが絶好の機会だと判断した。敵が密集して突っ込んでくるならば、伏兵の奇襲効果は最大になる。

「今だ!伏兵よ、かかれぃ! 煙の中の騎馬隊を一人残らず殲滅せよ!」

セテスの鋭い号令一下、防壁の影や瓦礫の陰に潜んでいた伏兵たちが、雄叫びを上げて一斉に飛び出した。彼らは煙の中に突入し、馬の影と思われるものに向かって、槍を突き出し、剣を振り下ろし、まさにめった刺しにする勢いで襲いかかった。手応えは確かにあった。馬の悲鳴や、何かが倒れる音も聞こえる。

 

「やったか!?」

一人の伏兵が叫んだ。しかし、次の瞬間、彼らは自分たちの攻撃対象がおかしいことに気づき始めた。手応えはあるものの、人の悲鳴が聞こえない。鎧を貫く感触もない。

 

やがて、カシアンたちが投げ込んだ煙玉の効力が薄れ始め、周囲の煙が徐々に晴れてきた。そして、伏兵たちの目の前に現れた光景は――。

 

そこには、帝国兵の姿は一人としてなかった。ただ、興奮して暴れ回る数頭の馬と、地面に無数に突き刺さった槍や剣、そしていくつかの藁人形が馬の鞍に括り付けられているだけだった。馬たちは、おそらくカシアンが意図的に興奮剤か何かを嗅がせていたのだろう。

 

「な……馬だけだと!?」

「帝国兵はどこにもいないぞ!」

伏兵たちの間に、当惑と、そして自分たちがまんまと騙されたことへの怒りが広がった。セテスもまた、その光景を目の当たりにし、苦虫を噛み潰したような表情で唇を噛んだ。カシアンの巧妙な陽動作戦に、一杯食わされたのだ。

 

「――総員、突撃ッ!! 目標、混乱中の第2防衛線中央! セテスを討ち取れ!!」

 

敵の伏兵が完全に機能を失い、混乱の極みにあるその絶好のタイミングを逃さず、カシアンの冷静かつ力強い突撃命令が下された。

 

「オオオオオオッ!!」

ベレスは、天帝の覇剣を雷光のように閃かせ、煙が晴れかかった第2層の防壁へと、アビスの先頭を切って突入した。彼女の瞳には、もはや迷いはなく、ただカシアンと共に勝利を掴むという強い意志だけが燃えている。

ユーリス、バルタザール、コンスタンツェ、ハピ、そしてジェラルトも、それぞれの武器を手に、怒涛の勢いでそれに続く。

 

(盗賊も教会の兵も、混乱させれば大きな違いはないな)

 

教会軍の第2層は、伏兵が無力化され、煙による混乱から立ち直れていない状態だった。そこへ、フォドラ最強とも言えるベレスの力と、アビスの異能者たちの変幻自在な攻撃、そしてジェラルトの老練な戦術眼が、濁流のように襲いかかったのだ。

戦いの趨勢は、一気にカシアンたち中央軍へと傾き始めていた。

 

 

 

 

陽動作戦にはまり、伏兵を無駄にしたセテスは、眼前に迫るベレスとアビスの者たちの猛攻を前に、しかし臆することなく飛竜の背に跨がっていた。彼の碧眼は、カシアンの策への怒りと、それでもフォドラを守り抜かんとする不退転の決意に燃えていた。

 

「おのれ、小賢しい真似を…! だが、この聖域、貴様らのような侵略者や、女神を欺く者どもに渡すわけには断じていかぬ!」

セテスは天高く英雄の遺産を掲げると、その穂先を真っ直ぐにベレスに向け、急降下してきた。槍の先端が翠の光を放ち、空気を切り裂く音が轟く。

 

ベレスは冷静にそれを見据え、天帝の覇剣を構えた。セテスの飛竜が繰り出す爪や尾による攻撃を最小限の動きでかわし、時にはアビスの者たちが作り出す足場や、崩れた防壁の破片を蹴って高く跳躍し、槍の間合いを掻い潜って反撃を試みる。戦場は第2層の防壁上から、中庭、そして半壊した回廊へと目まぐるしく移り変わっていった。

 

「女神の力を得たからとて、増長するな、裏切り者!」

セテスが槍を横薙ぎに振るうと、ベレスはそれを天帝の覇剣で受け止め、火花を散らす。力と技、そして英雄の遺産同士が激しく衝突し、周囲の建物を震わせた。

「先生を殺そうとしたレアを許さない」

ベレスもまた、譲れない想いを胸に剣を振るう。

 

女神の力をその身に宿し、カシアンという戦術家と、アビスやジェラルトという頼れる仲間を得た今のベレスは、かつての彼女ではなかった。セテスの槍撃の軌道を読み切り、飛竜の動きの癖を見抜くと、彼女は大胆な一撃を放った。

天帝の覇剣が、まるで生き物のようにしなり、飛竜の翼の付け根を正確に切り裂いた。

 

「グアアアアッ!」

悲鳴を上げた飛竜はバランスを崩し、セテスもろとも中庭へと墜落する。砂塵が舞い上がり、勝負は地上戦へと移行した。

セテスは深手を負った飛竜を庇いながらも、なお戦意を失わずベレスに立ち向かうが、翼を傷つけられた竜はもはや以前のような機動力はなく、ベレスの剣技の前に徐々に追い詰められていく。そしてついに、ベレスの渾身の一閃が、セテスの構える槍を弾き飛ばし、その肩口に深々と食い込んだ。

 

「ぐっ…!」

セテスは膝をつき、血の滲む肩を押さえた。彼の周囲では、アビスの者たちとジェラルトが、セテス配下のセイロス騎士たちを完全に包囲し、武器を置くよう促していた。多勢に無勢、そして指揮官の敗北。勝敗は、もはや誰の目にも明らかだった。

 

その絶体絶命の状況下で、突如として、大修道院の最奥――第3層の方角から、凛とした、しかしどこか弱々しさも感じさせる女の声が響き渡った。それは、魔力によって増幅された、レアの声だった。

「セテス。……今はまだ、その時ではありません。退きなさい。傷を癒し、再起の機会を待つのです」

 

その声は、竜のものではなく、人の声だった。聖墓での変身の後、彼女は人の姿に戻り、第3層のどこかで戦況を見守っていたのだろう。

セテスは、悔しさに顔を歪ませながらも、その声の主の言葉には逆らえなかった。

「……承知、いたしました…レア様…」

彼は、ベレスとカシアンを睨みつけ、そして力なく呟いた。

「この屈辱…必ずや…!」

 

レアの命令を受け、セテスは残存する騎士たちに撤退を指示。彼らは、ベレスたちの追撃を警戒しつつも、統制を失うことなく第3層へと続く通路へと後退し、そのままガルグ=マク大修道院の深部へと姿を消していった。やがて、彼らが大修道院の裏手からフォドラの外部へと完全に撤退していったことが斥候により確認された。

 

後に残されたのは、第2層を完全に制圧したカシアン、ベレス、そしてアビスの者たちの姿だった。目の前には、静まり返った第3層への入り口が口を開けている。ガルグ=マク大修道院の陥落は、もはや時間の問題となっていた。

 

 

 

 

セテス率いる教会軍本隊がガルグ=マク大修道院から撤退したことで、第2層は完全に帝国軍の手に落ちた。カシアン、ベレス、アビスの者たち、そしてジェラルトは、息つく間もなく第3層への突入口へと駒を進める。そこには既に、エーデルガルトと彼女の腹心ヒューベルト、そして黒き獣のような威圧感を放つ死神騎士の姿があった。左右の翼を攻略した彼らもまた、この最終地点へと集結したのだ。

 

第3層――そこは、セイロス聖教会の最も神聖な領域であり、レアの私室や聖墓へと繋がる場所だった。荘厳な石造りの広間の中央に、レアは一人、静かに立っていた。その姿は人の形を保っていたが、纏うオーラは先程のセテスとは比較にならないほど禍々しく、そして神々しいという矛盾した印象を与える。彼女の周囲には、戦闘の痕跡も、護衛の姿も見当たらない。まるで、この状況を予期していたかのように。

 

「……裏切り者たちと、出来損ないの失敗作どもが。よくも、このような大罪を犯してくれたものですね」

レアの静かな、しかし底知れぬ怒りを孕んだ声が広間に響いた。その瞳は、ベレス、エーデルガルト、そしてカシアンを順番に射抜き、その言葉は彼女の歪んだ正義感と、裏切られたことへの深い絶望を物語っていた。

 

「レア! あなたがフォドラの民を女神の名の下に縛り付け、支配する時代は、今日ここで終わらせる!」

エーデルガルトが皇帝の威厳を込めて宣言し、魔斧アイムールを構えた。それを合図に、ベレスが天帝の覇剣を抜き、死神騎士が鎌を振りかざし、ジェラルトが槍を、アビスの者たちがそれぞれの得物を手に、一斉にレアへと襲いかかった。

 

しかしレアは、その全てを驚異的なまでの戦闘能力で捌き始めた。

ベレスの神速の剣閃を、古の剣技で受け流し、的確なカウンターを返し、軽い傷を与える。エーデルガルトの重い一撃を、華奢な体で軽々といなし、逆に体勢を崩させる。死神騎士の予測不能な太刀筋を、まるで未来が見えているかのように回避し、その隙に強力な光魔法を放つ。

ある時は剣で、ある時は素手での体術で、相手が距離を取れば瞬時に詠唱破棄された古代魔法で的確に牽制し、反撃する。その動きには一切の無駄がなく、まるで舞を踊るかのように、しかし一撃一撃が必殺の威力を秘めて、複数の強者を相手に一歩も引かないどころか、むしろ圧倒しているかのようにさえ見えた。

 

「くっ…!化け物め…!」

エーデルガルトが呻く。ベレスも天帝の覇剣を振るいながら、また何度も天刻の拍動を発動させやり直しを行いながら、その底知れない力に焦りを感じ始めていた。アビスの者たちも、ジェラルトも、それぞれが致命傷を避けながら戦線を維持し続ける。

 

その激しい戦闘の輪から少し離れた場所で、カシアンは直接戦闘には加わらず、壁際に身を潜めるようにしながら、戦況を冷静に観察していた。彼の視線は、レアの動きのパターン、魔法の詠唱の僅かな間隙、そして彼女が時折意識を向ける広間の特定の部分――例えば、古いタペストリーや、床に描かれた紋様――へと注がれていた。その手には、いつの間にかアビスから持ち出した数枚の羊皮紙と、奇妙な形状をした小さな金属片が握られている。彼は、戦いの喧騒の中で、何かのタイミングを、パズルの最後のピースがはまる瞬間を、じっと待ち続けていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。