道徳以外を教えます   作:マウスブン

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灰燼の章
1181年から1184年夏


ガルグ=マク大修道院での帝国軍と教会軍の激戦は、双方に甚大な被害をもたらしながらも、ついに帝国軍の勝利という形で終結した。中央教会の中枢たるガルグ=マクは陥落し、エーデルガルト率いるアドラステア帝国軍の旗が、その歴史的な建造物の上に翻った。

大司教レアは竜の姿のまま辛くも包囲を突破し、ファーガス神聖王国の方角へと逃亡。その地で傷ついた巨体を潜め、回復の時を待っていると噂された。

 

ガルグ=マクを占拠した帝国は、間髪入れずに次なる手を打つ。王国、そしてレスター諸侯同盟に対し、中央教会による長年のフォドラ支配体制の欺瞞と不正を厳しく糾弾し、旧体制の打倒と新たなる秩序の確立を掲げて、正式に宣戦を布告した。フォドラ全土を巻き込む大戦の幕が、ここに本格的に切って落とされたのだ。

 

しかしそうした世の中の喧騒や、フォドラの未来を左右するであろう戦乱の動きとは全く無関係に、ベレスとカシアンは、歴史の表舞台からひっそりと姿を消していた。

ガルグ=マクでの激戦の直後、ジェラルトと、ユーリスをはじめとする信頼篤いアビスの者たちの手によって、二人は厳重な秘密裏にカシアンの領地の地下区画へと運び込まれ、手厚く保護されていた。

 

表向きには、ベレスもカシアンも「ガルグ=マクの戦いで行方不明」あるいは「混乱の中で戦死したものと思われる」という情報で曖昧に処理された。これはジェラルトと、事情を知る数少ないエーデルガルトらが、ベレスの血が起こした奇跡的な治癒――女神の力の一端が露見することを防ぎ、彼女とカシアンをこれ以上の陰謀や、いずれ起こりうるであろう「女神の力」を巡る争奪戦から守るために下した苦渋の決断だった。

 

その為にカシアンがレアに暗殺されかけた事実を公にもできず、その事実は主に帝国側とレアのみが把握し、口外されることはなかった。その結果レアの悪行が王国や同盟に漏れることはなかったが、レアへ歪んだ成功体験を与えることとなった。

 

彼らが匿われたのは、カシアンがアビスの主となってから密かに整備していた、彼の私的な隠れ家だった。それはアビスの住人たちでさえ滅多に近寄らない古い酒蔵の、さらに地下深く、迷路のような通路を抜けた先に設えられた、静かで、外界の光も音も届かない石造りの小部屋だった。

そこに並んで横たえられたカシアンとベレスは、まるでこの世の全ての争いから解放されたかのように、穏やかな表情で、しかし深く、長い眠りについていた。

カシアンの胸には、竜の爪によって穿たれた凄惨な傷跡が生々しく残っていたが、その傷口は完全に塞がり、彼の呼吸は静かで規則正しい。ベレスもまた、カシアンの隣で、彼に寄り添うようにして眠り続けていた。その顔色はまだ蒼白さが残るものの、その寝顔は安らかそのものだった。

 

アビスの者たちが交代で彼らの世話をし、部屋の清潔を保ち、最低限の栄養を点滴などで補給していたが、二人が目覚める気配は一向になかった。まるで、フォドラ全土を覆う戦乱の嵐が過ぎ去り、新たな時代の夜明けが訪れるのを、深い眠りの中で静かに待ち続けているかのようだった。

 

 

 

 

ガルグ=マク大修道院がアドラステア帝国の手に落ちてから、既に一年以上の歳月が流れようとしていた。帝国首都アンヴァルの宮城、皇帝執務室。エーデルガルトは、フォドラ全土に広がる戦況図を前に、難しい表情で顎に手を当てていた。傍らには、彼女の影とも呼ばれる腹心、ヒューベルトが静かに控えている。

 

不意に、エーデルガルトは戦況図から顔を上げ、窓の外に広がる帝都の空を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「…ベレス先生は、まだ目覚めないのかしら」

その声には、戦況への焦りというよりも、もっと個人的な、どこか寂しげな響きが滲んでいた。

 

ヒューベルトは、手にした羊皮紙の報告書に一度視線を落とすと、抑揚のない声で答えた。

「はっ。先日、ジェラルト殿よりアビス経由で寄せられました定期連絡によりますと、依然としてお目覚めにはなっておられぬ、と。ですが、生命活動に異常はなく、ジェラルト殿の見立てでは『女神の御業による消耗と、深い魂の休息が必要なのだろう。気長に、あるいは…数年は待つ必要があるやもしれん』とのことでございます」

 

「はぁ……数年、ね…」

エーデルガルトは、重いため息を一つ吐いた。その短い言葉には、フォドラの未来を急ぐ彼女の焦燥と、かつての師への複雑な想いが凝縮されているかのようだった。

彼女は再び戦況図に目を戻し、今度はファーガス王国方面を指でなぞりながら、独り言のように続けた。

「そして、あのガルグ=マクの戦い以降、ぱったりと戦場から姿を消したレアも、同じようなものなのかしらね。王国で傷を癒やしているという噂は絶えないけれど…」

 

ヒューベルトは静かに頷いた。

「左様でございましょうな。レア元大司教もまた、あの竜化と戦いの傷の代償は計り知れず、再起には相応の時間を要すると推測されます。下手に動けば情報網に掛かるやもしれませんし、今は息を潜めているのが賢明でしょう」

そこでヒューベルトは、わずかに声のトーンを変え、まるで付け加えるように言った。

「…ついでに申し上げるなら、それは陛下がガルグ=マクの混乱に乗じて『行方不明』として処理なされた、カシアン殿も、同様かと」

 

その言葉に、エーデルガルトは小さく眉をひそめたが、特に反論はしなかった。ベレス、レア、そしてカシアン。フォドラの運命の歯車を大きく狂わせた、あるいはこれから狂わせるであろう2人のキーパーソンと1人のおまけが、奇しくも時を同じくして歴史の表舞台から姿を消している。この奇妙な静寂が、次なる嵐の前の静けさでないことを、エーデルガルトは祈るしかなかった。

 

 

 

 

エーデルガルトとヒューベルトが、眠り続けるベレスたちのことを憂慮していた頃、その懸念は現実の脅威となってフォドラの地に影を落としていた。ガルグ=マク大修道院のすぐ西に位置するカシアンの領地――アドラステア帝国によってその自治と防衛管理を正式に認可されたその地は、今や王国軍との最前線と化していたのだ。

 

戦端が開かれたのは、帝国暦1181年の冬。ファーガス神聖王国は、帝国への侵攻路の一つとして、このカシアン領に狙いを定めた。当時、町の城壁はカシアンの指示のもと建設が開始されてから約1年が経過していたが、まだ未完成の部分も多く、防衛体制は盤石とは言い難かった。兵力も、アビスの者たちを中心とした少数精鋭に頼らざるを得ない状況だった。しかし、そこには生ける伝説、ジェラルト=アイスナーがいた。彼の老練な指揮と、アビス兵の奮闘により、数で勝る王国軍の第一次侵攻は辛くも頓挫させられた。

 

だが王国軍は諦めなかった。戦略・地理的に見て、帝国への侵攻ルートが限られていることもあり、彼らは年に一度の頻度でカシアン領への攻撃を執拗に繰り返した。ジェラルトたちは、その侵攻の合間を縫うようにして、領民総出で城壁の改修と強化を続け、当初一層だった防壁は、二層、三層構造を持つ堅固なものへと徐々に姿を変えていった。しかし、その一方で、ジェラルトの肉体は確実に蝕まれていた。百余年の長きに渡る戦いの連続は、彼の身体に容赦なくその代償を求め、戦闘中に右腕が動かなくなる、あるいは一時的に視界が霞むといった変調が、年を追うごとに増えていった。

 

そして帝国暦1184年の夏。王国軍は、これまでにない大規模な兵力をもってカシアン領へと侵攻を開始した。その中には、フラルダリウス公爵家の嫡子にして恐れられる若き剣士、フェリクスの姿もあった。

激しい攻防が続く中、ついに恐れていた事態が発生する。最前線で指揮を執っていたジェラルトの右腕が、激しい剣戟の最中に完全に動かなくなったのだ。その一瞬の硬直を、フェリクスは見逃さなかった。彼の鋭い剣閃がジェラルトの肩口を深く切り裂き、鮮血が舞った。

「ぐっ…!」

ジェラルトは部下たちに守られ、辛くも戦線を離脱したが、その負傷は誰の目にも明らかだった。

 

指揮官ジェラルトが戦闘不能となり、カシアン領の第一防衛線は、王国軍の猛攻の前に長くは持たなかった。ついに城壁は突破され、勢いに乗った王国軍は雪崩を打って第二防衛線へと攻撃を開始した。「ジェラルト討ち取ったり!」という誤報にも近い報が王国軍の士気を天にも届くほど高め、さらに本国から追加の援軍も間もなく到着するとの情報が、カシアン領の守備兵たちに絶望的な影を落とした。

 

帝都アンヴァルでは、この報を受け、ヒューベルトがエーデルガルトに対し、カシアン領からの即時撤退を改めて強く進言していた。

「陛下、カシアン領の戦略的価値は、隣接するガルグ=マクの存在を鑑みれば、もはや低いと言わざるを得ません。貴重なアビスの兵力をこれ以上消耗させるのは得策ではございません。即刻、生存者をガルグ=マクへ収容し、防衛線を再構築すべきです」

エーデルガルトも、その冷静な分析に頷かざるを得なかった。彼女の脳裏には、未だアビスの奥深くで眠り続けるベレスとカシアンの姿があった。

「…ジェラルト殿には申し訳ないけれど、ヒューベルトの言う通りね。先生を…いえ、可能な限りの領民と共に、より安全な場所へ早く移すべきだわ。指示を」

 

その頃、カシアン領の上層部――ジェラルトに代わって指揮を執る古参の傭兵や、ユーリスらアビスのまとめ役たちは、残された矢弾、食料、医薬品の量を冷静に計算し、既に結論に達していた。「このままでは、もって三、四ヶ月。それ以上は、いかなる奇跡が起きようとも不可能だ」と。

町をいつ放棄するか――それが、彼らの軍議における、最も重く、そして喫緊の議題となっていた。




注意:
ここまでもこれからもノープロット、ノープランです。ただここまでの話でもですが、原作で深堀されてない設定や、ありえるけど本編で描かれてないものをメインにしています。
また説明欄にもありますが、まずネームドキャラも死にます。そのため本編同様に大団円はないと思いますし、色々と泣いて終わるキャラも出ると思います。
特にあるキャラは原作より酷いことを行いそうで、救いも与えません。その点をご了承ください。
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