領内の鍛冶工房の一角。そこではカシアンが熟練の鍛冶師と共に、何やら禍々しい形状の鎧の製作に没頭していた。火花が散り、金属を打つ音がリズミカルに響く。出来上がりつつあるのは、明らかにあの忌まわしき死神騎士の鎧に酷似した、しかしどこか歪で、見る者に言い知れぬ威圧感を与えるための「模造品」だった。
「ううむ、旦那。確かにこの鎧のデザインは、人を怖がらせるにはもってこいかもしれねえが…」
汗だくで槌を振るっていた老鍛冶師が、額の汗を屈強な腕で拭いながら、カシアンに尋ねた。
「これだけの鉄の塊だ。普通の人間にゃあ、重すぎてまともに動けやしませんぜ。本当に、こんなものをお作りになるんで?」
カシアンは設計図が描かれた羊皮紙と、製作途中の黒い鎧のパーツを交互に見比べながら、こともなげに答えた。
「心配は無用です親方。これは実戦用ではありません。あくまで『虚仮威し用』…つまり、敵兵に心理的な圧力をかけ、戦意を削ぐための『舞台装置』のようなものですから。重要なのは、その見た目が『それっぽく』、そして『不気味』であること。実際にこれを着て戦うわけではないので、重量や実用性は二の次で結構です」
彼は、鎧の肩当て部分の鋭角的なデザインを指でなぞりながら続ける。
「武器となる大鎌も同様です。見た目の威圧感さえあれば、刃の部分以外は大部分を木材で作り、黒く塗装するだけでも十分に効果があるでしょう。軽量化とコスト削減、そして何よりも製作期間の短縮が優先です」
鍛冶師はカシアンのその合理的なのか、それとも単に悪趣味なのか判別しかねる指示に首を捻りながらも、再び槌を手に取った。領主様の考えることは時々さっぱり分からん、とでも言いたげな表情だった。
まさにその時工房の入り口の薄暗がりから、冷たい嘲るような声が響いた。
「フン…随分と下らないものを作っているようだな。まさかこの俺の偽物まで作り出して戦場で見世物にするつもりか? 愚かしいことだ」
声の主は音もなく工房に姿を現した死神騎士、イエリッツァだった。彼は腕を組みカシアンと鍛冶師が製作している模造の鎧を、仮面の奥から射るような視線で見下ろしている。その全身からは本物だけが持つ圧倒的な威圧感と、隠しようもない嫌悪のオーラが放たれていた。
カシアンはイエリッツァの突然の出現にも全く動じることなく、作業台に置かれた模造の鎌の柄を軽く叩きながら、皮肉たっぷりに言い返した。
「おや、これはこれは死神騎士殿。わざわざこのような場末の工房までご足労いただき恐縮です。ですがこれは貴殿の『偽物』などという大それたものではありませんよ。強いて言うなら貴殿という『恐怖の象徴』をより効率的に低コストで『再現』しようという、ささやかな試みに過ぎません」
彼は、イエリッツァの仮面を真っ直ぐに見つめ、挑発するように言葉を続ける。
「それに考えてもみてください。本物の死神騎士殿が、いちいち全ての戦場に顔を出していてはお身体がいくつあっても足りないでしょう? 我々が用意するこの『代役』が、貴殿の威光を借りて敵兵を震え上がらせ、無駄な流血を避けられるのであれば、それはそれで、貴殿にとっても悪い話ではないのでは?」
イエリッツァはカシアンのそのふざけた、しかし妙に理屈の通った言い分に仮面の奥でギリ、と奥歯を噛み締めたのが分かるような気配を発した。だが彼はそれ以上何も言わず、ただ「フン」と一つ鼻を鳴らすと、カシアンと彼が作り出そうとしている不気味な模造品に最後の侮蔑の一瞥をくれてやり音もなく工房を立ち去っていった。その背中からは、カシアンへの不快感と彼が仕掛けようとしている「茶番劇」への冷ややかな嘲笑が、ありありと感じられた。
カシアンはイエリッツァの去っていった方向を静かに見送ると、すぐに鍛冶師に向き直り、何事もなかったかのように作業の指示を再開した。
「さて、親方。鎌の柄の部分ですが、もう少し禍々しい装飾を加えたいのですが…」
彼の頭の中ではこの「偽りの死神騎士」をどのように戦場で活用し、敵の心理を揺さぶり、味方の士気を高めるかという新たな悪魔的戦略が既に音もなく組み立てられ始めていた。
カシアン領の一角、かつての貴族の館の庭園は手を入れられ今は幾分かだが花々が咲き誇っていた。その庭園を見下ろすテラスでイエリッツァは帝国軍からカシアン領への援軍として派遣され、無表情のまま遠くの山並みを眺めていた。彼の心の内を窺い知ることは誰にもできない。
「あら、エミールじゃありませんの」
甲高いどこか気品のある声が、彼の背後からかけられた。振り返るまでもなくその声の主が誰であるか、イエリッツァには分かっていた。コンスタンツェ=フォン=ヌーヴェル。今は没落したとはいえ、かつては帝国の名門貴族ヌーヴェル家の令嬢であり、幼き日のエミール…そして彼の姉であるメルセデスとも、家族ぐるみの付き合いがあった女性だった。
「こんなところで何をしていらっしゃいますの? よろしければわたくしとお茶でもいかがかしら。ちょうど、いいお茶菓子もあるのですわ」
コンスタンツェは日傘を優雅に傾けながら、イエリッツァの隣に立った。その表情は、日の光の下では自信に満ち溢れ、かつての社交界の花と謳われた面影を色濃く残している。
イエリッツァは仮面の奥からコンスタンツェを一瞥したが、すぐに視線を外した。
「…不要だ。俺に構うな」
その声は死神騎士としての冷酷さを保っていたが、コンスタンツェに対してはどこか他の者に向けるそれとは異なる、微かな揺らぎが感じられた。
「まあ、つれないことをおっしゃいますのね、エミール」
コンスタンツェは彼の拒絶にも全く怯む様子はない。
「昔はわたくしやメルセデスと、よくお茶会を開いて他愛ないおしゃべりや、時には少しばかり羽目を外した悪戯にも興じたものでしたのに。あの頃が懐かしいですわね。ヌーヴェル家も、あなたの…バートリ家も、まだ輝かしい光の中にありましたわ」
「…昔の話はもうよせ」イエリッツァの声がわずかに低くなった。
「俺はもうあの頃のエミールではない。そしてお前も…」
彼はそう言い捨てると背を向けてその場を立ち去ろうとした。過去の記憶は彼にとって触れられたくない傷であり、忌むべき幻影でしかなかった。
「お待ちなさい、エミール!」
しかしコンスタンツェは彼の腕を見た目によらぬ強い力で掴んだ。その瞳には先程までの優雅さとは裏腹に、有無を言わせぬ強い意志が宿っている。
「どこへお逃げになるおつもり? 隠れようと、仮面を被ろうと無駄ですわ。わたくしにはあなたがお見通しですもの」
彼女はイエリッツァの抵抗をものともせず、彼の手を引いてテラスに設えられた白いテーブルへと導いた。
テーブルの上には既に美しい刺繍が施されたテーブルクロスが敷かれ、銀のポットに入った紅茶と色とりどりの焼き菓子が並べられていた。それは、カシアンがアビスの菓子職人と共に試作を重ねている新作の菓子だった。
「さあ、エミール。おかけになって」
コンスタンツェはイエリッツァを椅子に座らせると、自分もその向かいに優雅に腰を下ろした。
「紅茶は珍しいブレンドですのよ。そしてこのお菓子…エミール、あなたは甘いものもお好きでしたでしょう? どうぞ遠慮なさらずに召し上がって」
彼女は花びらの形をした可愛らしいクッキーをイエリッツァの前に差し出した。
イエリッツァはしばらくの間そのクッキーとコンスタンツェの顔を交互に見つめていたが、やがてまるで諦めたかのように仮面の一部をわずかにずらし、クッキーを一つ手に取って口に運んだ。サクリとした食感の後バターの豊かな風味と、控えめな甘さが口の中に広がる。
「…………旨い」
ぽつり、と彼が漏らした言葉はコンスタンツェの耳にはっきりと届いた。
「まあ、それはようございましたわ!」コンスタンツェはぱっと顔を輝かせた。その笑顔は幼い頃の天真爛漫だった彼女の面影を確かに宿していた。
「でしたら、このお菓子を作ってくださったカシアン先生にも、そう伝えておきますわね。きっとお喜びになりますわ」
その言葉を聞いた瞬間イエリッツァの表情が仮面の下で明らかに渋いものへと変わった。先程までの「旨い」という感想がまるで嘘であったかのように。
「……あの男が、作ったのか」
その声には隠しようもない不快感とわずかな…いや、かなりの嫌悪感が滲んでいた。
コンスタンツェはイエリッツァのそのあからさまな反応を見て、楽しそうにクスクスと笑い出した。
「ふふふっ。実はカシアン先生もわたくしがこのお菓子をあなたに食べさせると申し上げた時、あなたとそっくり同じようなお顔をなさいましたのよ」
彼女はおかしそうに肩を震わせながら続ける。
「あなたたちお互いに毛嫌いし合っているようでいて、そういうところは実はよく似ていらっしゃるんじゃありませんこと? 」
イエリッツァはコンスタンツェの言葉に反論することもなく、ただ黙って、二つ目のクッキーに手を伸ばした。その仕草はどこか不承不承のようでありながら、どこかこの甘いお菓子と昔馴染みの少女との奇妙なティータイムを、拒絶しきれないでいるかのようにも見えた。
テラスには紅茶の温かい香りとコンスタンツェの楽しげな笑い声、そして仮面の騎士の寡黙な咀嚼音だけが、午後の穏やかな日差しの中に静かに響いていた。
1週間後。ファーガス神聖王国のとある領内。夜の帳が下り月明かりだけが頼りの街道を、王国軍の小規模な輸送部隊が警戒しつつ進んでいた。彼らの任務は最前線へと続くこの道を確保し、物資を送り届けること。しかしその任務は突如として血と絶望の色に染め上げられた。
闇の中から馬の蹄の音もなく漆黒の影が躍り出た。月光を鈍く反射する巨大な鎌が一閃し、先頭を歩いていた兵士の首が宙を舞う。悲鳴を上げる間もなく、次々と兵士たちがなぎ倒されていく。その圧倒的な暴力の主は言うまでもなく死神騎士、イエリッツァだった。彼の剣技は、もはや人の域を超えただ死を振りまく天災のようだった。
「ひ、ひぃぃっ! で、出たぁ! 死神騎士だ!」
「ば、馬鹿な! あいつは、この前の戦で…討ち死にしたはずじゃ…!」
生き残った数少ない王国の兵士たちは恐怖に顔を引きつらせ震える声で叫んだ。彼らの耳には先日襲撃しカシアンが戦場に投入した「偽りの死神騎士」を打ち破ったと入っていた。それが本物の死神騎士の死として認識されたのだろう。
イエリッツァは兵士たちのその言葉を聞き、仮面の奥でわずかに眉をひそめた。そして脳裏に数日前の、あの忌々しい工房での光景――カシアンが自分に似せた禍々しい鎧をまるで玩具でも作るかのように鍛冶師に指示していた、あの光景――が蘇った。
(…フン。あの男のくだらぬ策か。死んだはずの俺が、こうして再び現れることで、敵兵にさらなる恐怖と混乱を与える、と。実に、悪趣味な…)
彼はカシアンのその底意地の悪い計略を思い返し、深いどこか諦念にも似たため息を仮面の奥で静かについた。
だが感傷に浸っている暇はない。彼の本能が目の前の獲物を狩り立てることを求めている。イエリッツァはため息と共にわずかに緩んだ殺気を再び研ぎ澄ませると生き残った兵士たちに向かって、無慈悲に鎌を振り下ろした。阿鼻叫喚の悲鳴も、やがて夜の闇へと吸い込まれていく。
彼の配下である重装騎兵たちはその間一切の言葉を発することなく、淡々と確実に王国の街道を破壊し補給路としての機能を徹底的に奪っていた。橋は落とされ道には深い溝が掘られ通行を妨げるための障害物が無数に設置されていく。
やがてその場には動くものは誰一人いなくなった。イエリッツァは返り血で濡れた鎌を軽く振るい月明かりに照らされた血だまりを見下ろした。
「…行くぞ」
彼は短く部下に告げると馬の頭を返し、新たな獲物を求めて再び夜の闇へとその禍々しい姿を溶け込ませていった。
この夜の出来事はファーガス神聖王国の兵士たちの間に新たな恐怖の伝説を植え付けた。死神騎士は死なない。たとえ討ち取られたとしても必ずや蘇りより残忍な姿で再び戦場に現れるのだ、と。
カシアンの仕掛けた「虚仮威し」は、本物の死神騎士の凶行と相まって皮肉にも、その恐怖を何倍にも増幅させる結果となったのだった。