道徳以外を教えます   作:マウスブン

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コルネリア

フォドラの地深く岩盤をくり抜いたような薄暗い地下室。そこは「闇に蠢く者」たちが拠点としていた場所の一つであり、コルネリアとアランデル公――タレスが密談を交わすための格好の隠れ家となっていた。湿った空気とカビの匂いが混じり合った異様な臭気が漂い、壁に灯された松明の頼りない光が、二人の歪んだ野望を映し出すかのように揺らめいている。

 

「…それでコルネリア。例の男…カシアンとかいう、元教師の件だが。調査の進捗はどうなのだ?」

アランデル公の仮面の下からタレスの冷徹な声が響いた。その声には苛立ちと隠しようもない期待の色が滲んでいた。先だってのソロンという貴重な駒を失ったことの責任の一端はカシアンという男の存在にもあった。

 

コルネリアはその妖艶な唇に歪んだ笑みを浮かべアランデル公の問いに答えた。彼女の声は絹のように滑らかでありながら、どこか蛇のような粘り気と冷酷さを感じさせる。

「ええ、アランデル公。まずガルグ=マクでの戦い以降消息が消えていたあのカシアン本人に間違いありません。カシアン領――いえ、今やあの男が実質的に支配するあの忌まわしき『アビスの巣』の調査は、着実に進んでおりますわ。そして実に興味深い我々にとって極めて確度の高い『都合の良い』仮説にたどり着きましたのよ」

 

「ほう…? 都合の良い仮説、だと?」タレスの目が、仮面の下で鋭く光った。

 

「ええ」コルネリアは指先で自身の唇をなぞるような、蠱惑的な仕草を見せながら続けた。

「カシアンという男…あの男の髪の色が、かつての黒から、まるで女神の血を引く者のような不気味な緑色へと変じているという情報を掴みましたわ。それもあのガルグ=マクでの戦闘で深手を負い、その後数年に渡り『眠りについていた』と言われる期間を経ての変化だとか」

 

「髪の色が緑に…? 女神の血だと…?」タレスは、その言葉の意味を即座に理解し、眉をひそめた。

「まさか…あの『女神の器』、ベレスが関わっているというのか?」

 

「ご明察ですわ」コルネリアは、うっとりとした表情で頷いた。

「あのベレスが女神ソティスの力をその身に宿していたことは、我々も既に確認済み。そしてカシアンはガルグ=マクでレアの竜の爪によって、まさに致命傷とも言える深手を負った。それを考えれば至極当然の帰結ですわ。あの小娘…ベレスが自らの『女神の血』を瀕死のカシアンに分け与えた。その結果カシアンは一命を取り留め、そしてその影響で彼の肉体に女神の力の残滓が顕現し、髪の色が変化した…そう考えるのが最も自然では?」

 

タレスはコルネリアのその仮説にしばし沈黙した。女神の血…その力の一端が、あのカシアンという男にも宿ったというのか。それは予測外だが無視できない変数だった。

 

コルネリアはアランデル公の反応を愉しむかのように、さらに言葉を続けた。その声には確信と、そして抑えきれない欲望の色が濃く滲んでいた。

「そしてスパイによると何より重要なのはその『女神の器』たるベレスもまたカシアンと共に、彼の領地の地下深くで、今もなお眠り続けている可能性が極めて高い、ということです。おそらくはレアとの戦いの傷、そしてカシアンに力を与えた代償として彼女自身も深い眠りについているのでしょう。そしてカシアン自身も女神の眷属の力の一端を持つというのならば…我々が追い求めるべき『標的』は、今や二人になったということです。少なくとも一人、恐らくは二人まとめて確保あるいは殺害し、その力を解析し我々の悲願のために利用する…これ以上の好機はございませんわ」

 

「ふむ…実に、素晴らしい好機、か」アランデル公は、コルネリアの言葉を反芻するように呟いた。その声には、彼女の計画への賛同と、彼自身のより深い闇の野望が静かに呼応しているかのようだった。

「女神の器とその眷属…か。確かに生きていようが死んでいようが、両方を手に入れられるならばこれ以上の成果はないだろう」

 

コルネリアはアランデル公のその反応に満足げに微笑むと、具体的な行動計画を口にした。

「幸い、今は帝国と王国が、フォドラの覇権を巡って泥沼の戦争を続けておりますわ。王国の一員である私がカシアン領を攻める口実もあり多少の混乱を引き起こしたところで、帝国も王国も、そしてあの忌々しい中央教会も容易には手出しできない。まさに火事場泥棒にはうってつけの状況です」

彼女はアランデル公に向き直りその瞳に妖しい光を宿らせて言った。

「つきましては、アランデル公。あなたには帝国側の足を引っ張っていただきたい。カシアン領への援軍やあるいは我々の行動を嗅ぎつけたヒューベルトのような目障りな輩が、余計なちょっかいを出してこないように、よしなに…ね?」

 

「…良いだろう、コルネリア」アランデル公は、その提案を静かに受け入れた。

「帝国軍の動きを多少鈍らせることなど造作もない。お前の手腕、期待しているぞ」

 

「お任せください。必ずや手に入れてご覧にいれましょう」

コルネリアはそう言って深々と一礼した。その顔には獲物を見つけた蛇のような、残忍で狡猾な笑みが浮かんでいた。

 

だがアランデル公の仮面の下では、別の計算が働いていた。

(ふん、コルネリアめ。女神の器とその眷属を、みすみす貴様の好きにはさせぬ。あの二つの力はいずれこの私が手に入れ利用してくれる…!今は泳がせておくが、いずれ…)

 

薄暗い地下室で交わされた、二つの黒い野望。フォドラの地は、英雄たちの眠りの裏でさらに深い混沌と新たな戦乱の嵐へと静かに、確実に引きずり込まれようとしていた。

 

 

 

 

アリアンロッドの堅牢な城壁は今やコルネリアの黒き野望を体現するかのように、不気味な熱気を帯びていた。彼女の巧みな扇動とアランデル公(タレス)からの裏の支援、そして「闇に蠢く者」のネットワークを通じて集められた兵力は、瞬く間に膨れ上がり、アリアンロッドの城下を埋め尽くすほどの大軍勢と化していた。その数実にカシアン領の貧弱な防衛兵力の五倍を優に超える。一般兵士に加え、禍々しいオーラを放つ闇魔術師の一団も含まれており、彼らが使役するという異形の魔獣の噂は兵士たちの士気を異様な形で高揚させていた。

 

「ふふふ…カシアン、そして女神の器よ。あなたたちの安息の時はもう終わり。この私が直々に引導を渡して差し上げますわ」

コルネリアはアリアンロッドの城門を見下ろすバルコニーから、進軍を開始する自軍の黒い奔流を眺め恍惚とした表情で呟いた。彼女の白い肌は月光を浴びて妖しく輝きその瞳の奥には残忍な悦虐の色が浮かんでいた。

 

コルネリア軍進撃の報は瞬く間にカシアンの領地へと届いた。カシアンの指示のもと、ユーリス、バルタザール、そして死神騎士イエリッツァらが中心となりアビスの住人と領民からなる防衛隊は、即座に迎撃態勢を整えた。

 

「ちっ、あの毒婦、本気で攻めてきやがったか!」

ユーリスは実質的な現場指揮官として舌打ちし斥候からの報告に目を通す。その隣ではイエリッツァがいつものように無言で巨大な鎌を肩に担ぎ、その仮面の奥の瞳だけが戦いへの渇望に鈍く光っていた。

 

「カシアンの旦那の指示通り、まずは奴らの進軍を徹底的に遅らせる。ペトラの部隊が運び込んだ『アレ』も活用し、街道筋に罠を仕掛け、徹底的に道を使えなくしてやれ!」

ユーリスの指示を受けバルタザール率いる工作部隊や、手先の器用なアビスの住人たちが、夜陰に紛れてコルネリア軍の進軍経路へと散っていく。彼らの手にはカシアンが図面を残した衝撃を感知すると爆発する原始的ながらも強力な爆薬や、鋭利な金属片を仕込んだ落とし穴の材料が握られていた。

 

先鋒として進撃してきたコルネリア軍の一部隊は早速その洗礼を受けることになった。森の中の街道を進んでいた彼らの足元で地面に仕掛けられた衝撃を受けたら起動する魔法付きの爆弾により、数名の兵士が吹き飛ばされる。混乱する兵士たちに、今度は両側の茂みからロングアーチによる正確な矢の雨が降り注ぎ、先頭部隊はみるみるうちに数を減らしていった。

 

「何事ですの!?」

後方で優雅に輿に乗っていたコルネリアは報告を受けて柳眉を逆立てた。

「たかがアビスのネズミどもがこの私に歯向かうというの? 面白い…実に面白いじゃありませんか!」

彼女は扇子で口元を隠しクスクスと笑い声を漏らすと、傍らに控えていた闇魔術師の一団に冷たく命じた。

「お前たち出番ですわよ。可愛い『獣』たちを呼び出しなさい。そして鬱陶しいネズミどもを、一匹残らず踏み潰してしまいなさいな」

 

闇魔術師たちは禍々しい呪文を詠唱し始めると、虚空から次々と異形の魔獣を召喚した。それはガルグ=マク周辺でカシアンたちが遭遇した個体よりも小型で数は多いものの、その凶暴性とおぞましさは劣らない。獣たちは血に飢えた咆哮を上げながら、罠を仕掛け、あるいはロングアーチで抵抗するカシアンの兵士たちへと襲いかかった。

 

「ぐおおおっ!化け物だ!」

「こいつら、数が多すぎる!」

 

罠やロングアーチによる攻撃は単体の兵士には有効だったが、知性をあまり持たず痛みも感じにくい魔獣の群れに対しては、足止めすることが難しい。時に死神騎士イエリッツァや英雄の遺産を持つユーリスやバルタザールといったアビスの猛者たちがその超人的な戦闘能力で魔獣を何体も屠ったものの、召喚される魔獣の数はそれを上回り数の暴力は確実に彼らを消耗させていった。

 

「ちっ、キリがねえ! 一旦引くぞ!」

ユーリスは的確な判断を下しイエリッツァやバルタザールもそれに頷く。彼らは魔獣の群れに一撃を加えて攪乱すると、近くの森へと巧みに姿を消した。深追いすればさらなる罠が待ち受けていることを警戒したのか、あるいはコルネリアの指示か魔獣たちもそれ以上追撃してくることはなかった。

 

「ふん、逃げ足だけは速いネズミたちですこと」

コルネリアは扇子を煽ぎながら進軍を再開させた。しかし彼女の行く手を阻むものは、それだけではなかった。

進むほどに道は荒れ破壊された橋や巧妙に隠された落とし穴が次々と行く手を阻む。爆薬による奇襲も断続的に発生しコルネリア軍の進軍速度は著しく低下した。

 

「…まあ、鬱陶しいこと。これでは日が暮れてしまいますわ」

コルネリアは、苛立ちを隠さずに呟くと、再び闇魔術師に命じた。

「空を飛べる魔獣を出しなさい。そしてあの忌々しいネズミどもが、どこでコソコソと罠を仕掛けているのか、空から見つけ出して、一人残らず始末なさい」

コルネリアの冷酷な命令一下、闇魔術師たちの詠唱によって数十羽にも及ぶおぞましい鳥型の魔獣が召喚された。血走った単眼、鋭利な鉤爪、そして翼を広げれば家屋ほどにもなるその巨体はカシアン領の上空を瞬く間に覆い尽くし不吉な影を地上に落とした。

 

「キシャアアアアアッ!」

耳障りな甲高い鳴き声を上げながら鳥型魔獣の群れは、地上で必死に罠の設置や道路の破壊工作を進めていたカシアンの兵士たち――その多くはアビスの住人やこの町で新たな生活を始めたばかりの領民だった――へとまるで死の使いのように急降下を開始した。

 

「上だ!空から来るぞ!」

「散開しろ!計画通り倒すぞ!」

だが一部地上部隊は突然の空からの脅威にパニックに陥った。木々の間や岩陰に身を隠そうとするが、遮蔽物の少ない街道筋では魔獣の鋭い視線と鉤爪から逃れることは容易ではない。次々と兵士たちが魔獣の餌食となり、断末魔の悲鳴が森に木霊した。

 

「ここまでです!」

その絶望的な状況を切り裂くように凛とした声が空に響いた。声の主は、カシアンの要請でこの地に駆けつけていたブリギットのペトラだった。彼女は愛竜の背に跨がり帝国から派遣されたペガサスナイトとドラゴンナイトからなる精鋭飛行部隊を率いてまさに絶妙のタイミングで戦場に到着したのだ。

 

「皆、怯むな! 鳥どもを、一羽残らず狩り尽くす!」

ペトラの号令一下ペガサスナイトたちは空を舞うように散開し、弓や槍で鳥型魔獣を的確に射抜き突き落としていく。ドラゴンナイトたちはその屈強な巨体と炎のブレスで複数の魔獣を同時に相手取り、地上部隊への攻撃を阻止しようと奮戦する。

ペトラ自身も愛竜を巧みに操りまるで嵐の中を舞う蝶のように鳥型魔獣の群れの中を駆け抜け、その槍の一閃一閃が、次々と魔獣の翼を砕き、心臓を貫いていった。彼女の戦闘技術はガルグ=マクの士官学校時代からさらに磨きがかかり、ブリギットの戦士としての誇りとフォドラの空を守るという強い意志が、その槍先に炎のように宿っていた。

 

空戦は熾烈を極めた。鳥型魔獣の数はペトラの飛行部隊を遥かに上回っており、その鉤爪や嘴による攻撃はペガサスやドラゴンにとっても脅威だった。しかしペトラの卓越した指揮とブリギットの戦士たちの勇猛さ、そして帝国騎士たちの熟練した技術は数の不利を補って余りあった。彼らは巧みな連携で互いをカバーし合い一糸乱れぬ動きで次々と魔獣を撃墜していく。空からは断末魔の鳴き声と共に、おぞましい鳥の死骸が雨のように降り注いだ。

ペトラの飛行部隊は数騎が翼を傷つけられたり、乗り手が軽傷を負ったりしたものの、幸いにも大きな損害を出すことなく驚異的な戦果を挙げ、空を覆っていた鳥型魔獣の群れの多くを打ち破ることに成功した。

 

だがその間にも、地上の被害は拡大していた。ペトラたちが空の脅威に集中している隙を突いて、あるいは撃ち漏らされた鳥型魔獣の執拗な攻撃によって罠を仕掛けていた地上部隊の兵士たちは次々と傷つき倒れていった。彼らは空からの攻撃に対してあまりにも無力でありペトラたちの奮戦も、全ての地上兵を守り切るには至らなかったのだ。

 

「ユーリス様! ダメです! 空からの監視と攻撃が激しすぎて、これ以上の罠の設置は不可能です! 道路の破壊もこの状況では…!」

「こちらもだ! 負傷者が続出している! このままでは全滅するぞ!」

各地で作業にあたっていた部隊長たちから、次々と悲痛な報告がユーリスの元へと届けられる。

 

ユーリスは空を見上げ、ペトラたちが奮戦している姿とそれでもなお地上へと降り注ぐ魔獣の脅威を冷静に分析した。そして、奥歯を噛み締め、苦渋の決断を下す。

「…やむを得ん。全隊に告げろ! 現時点での妨害工作は中止! 生存者は負傷者を援護しつつ、直ちに城壁内へと撤退せよ! 急げ!」

 

ユーリスからの苦渋の伝令を受け生き残ったカシアンの兵士たちは、傷ついた仲間を抱え肩を貸しながら、最後の砦である城壁の内側へと命からがら撤退を開始した。ペトラの飛行部隊も最後の鳥型魔獣を撃ち落とすと、地上部隊の撤退を援護するように上空を旋回しやがて彼らもまた城壁の内側へとその翼を収めた。

 

コルネリアの圧倒的な兵力、魔獣という非道な兵器の前に、そして空からの奇襲という予想外の攻撃によってカシアンが築き上げた防衛網の第一段階――進軍遅滞のための妨害工作――は、ここに完全に破られた。カシアンの領地の守備隊は多くの犠牲を払い、ついに城壁の内側へと閉じこもることを余儀なくされた。

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