道徳以外を教えます   作:マウスブン

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籠城2

コルネリア軍の攻城兵器と魔獣の猛攻はカシアン領の第一防衛線に着実に致命的なダメージを与え続けていた。土煙と悲鳴が絶え間なく上がり城壁に刻まれた亀裂は見る間に広がり部分的な崩落がいつ起きてもおかしくない、まさに風前の灯火といった状況だった。もはやこの第一線を維持することは不可能に近い。

 

だがカシアンの表情に焦りの色はなかった。彼の頭脳はこの絶望的な状況すらも次なる罠への布石と捉えていた。

「ユーリス、バルタザール!」カシアンは負傷者の後送と防衛ラインの再編を指揮していた二人に冷静な有無を言わせぬ口調で最終指示を飛ばした。

「これより第一防衛線を放棄、全軍を第二防衛線まで後退させる。だがただではやらん。置き土産をくれてやるのだ」

 

カシアンの指示は既に数日前からアビスの工作部隊によって秘密裏に進められていた。第一防衛線の市街地――既に住民の避難は完了し、ゴーストタウンと化していた――の各所に彼の悪魔的な知略が凝縮された罠が周到に仕掛けられていた。

主要な通路や広場には熟練の罠師ですら見破ることが困難なほど巧妙に偽装された、巨大な落とし穴がいくつも掘られていた。それは一度足を踏み外せば数十メートルの深さまで人馬もろとも飲み込み鋭利な杭が待ち受けるというまさに地獄への入り口だった。

さらに特定の狭い路地や敵が密集して通り抜けざるを得ないであろう建物の軒下には、わずかな衝撃や特定の重量感知によって頭上から大量の瓦礫や鉄屑が崩落するように設計された圧殺トラップが仕掛けられていた。

 

そして何よりも恐ろしいのはカシアンが硝石と硫黄、そして独自の配合で生み出した特製の高性能爆薬だった。それは建物の基礎部分や、敵が陣地として利用しそうな主要な通路の壁際にまるで血管のように張り巡らされ設置されていた。それぞれの爆薬は、起爆のタイミングと爆発の指向性が精密に計算されており、連鎖的に爆発させることで、第一防衛線一帯を文字通り焦土へと変えることが可能な、大規模破壊兵器と化していた。

 

「頃合いだ。…始めろ」

城壁が大きく崩れコルネリア軍の先鋒が雪崩を打って第一防衛線内部へと侵入を開始したのを確認するとカシアンは冷徹に命じた。

その合図と共に城壁の上やまだ辛うじて持ちこたえている建物の窓という窓から、カシアン軍の兵士たちが一斉に奇妙な物体をコルネリア軍の先頭集団へと投げ込み始めた。それは、破裂すると鼓膜を劈くような轟音と閃光をまき散らす、カシアン特製の「爆音筒」と、そしてもう一つは強烈な刺激臭を放つ薬草を乾燥させて詰めた「異臭袋」だった。

 

「グワアアアン!」「ギャアアア!」

「な、なんだこの音は!?耳が!」「くっ、臭え!息ができない!」

爆音と異臭のダブルパンチはコルネリア軍の兵士たちだけでなく、嗅覚の鋭い魔獣たちをも直撃した。兵士たちは耳を押さえてうずくまり魔獣たちは興奮して暴れ回り、同士討ちを始めるものまで現れる。先頭集団は完全に混乱状態に陥り、進軍の勢いが著しく削がれた。

 

「今だ!退け!第二防衛線まで全速力で後退しろ!」

カシアンはその隙を逃さず第一防衛線に残っていた自軍の兵士たちに撤退命令を下す。彼らはこの混乱に乗じて蜘蛛の子を散らすように第二防衛線へと続く通路を駆け抜けていった。

 

「おのれ、小賢しいネズミどもめが…!こんな子供騙しの陽動で、この私を止められるとでも思いましたか!」

後方で戦況を見ていたコルネリアは、忌々しげに扇子を叩きつけたが、すぐに闇魔術師に命じて混乱を鎮圧させた。魔獣は痛みや不快感に鈍感な個体が多く、闇魔術による強制的な鎮静も比較的容易だった。

「全軍、怯むことはありません!あの城壁の崩れた箇所から一気に侵入し、第一層を完全に制圧なさい!抵抗する者は一人残らず殲滅ですわ!」

 

コルネリアの鶴の一声で、一時的に混乱していたコルネリア軍は再び勢いを取り戻し、大きく崩落した城壁の缺口から、怒涛のように第一防衛線の市街地へと突入していった。先頭に立つのは人の血肉を求める魔獣の群れ、そしてそれに続く重装歩兵と闇魔術師たち。彼らはもはや敵の姿も見えない無人の市街地を何の抵抗もなく蹂躙し、カシアンが放棄した建物を次々と占拠していく。コルネリア軍の主力の多くが第一防衛線の奥深くへと足を踏み入れた、まさにその時だった。

 

第二防衛線の城壁の上、カシアンは静かに右手を挙げ振り下ろした。

「―――起爆」

 

その短い命令と共に第一防衛線の地下に張り巡らされていた導火線に火が走った。そして一瞬の静寂の後地獄の釜が開いたかのような凄まじい大爆発が、第一防衛線の全域で同時に発生した。

ドゴオオオオオオオオオオオオオン!!!!!!!!

轟音と共に大地が裂け建物が基礎から吹き飛び、巨大な火柱と黒煙が天高く舞い上がる。精密に計算された指向性爆薬は、その破壊力を最大限に発揮し足元の地面を巨大な落とし穴へと変、建物の瓦礫を凶器として降り注がせ、コルネリア軍の兵士と魔獣たちをその爆心地で容赦なく飲み込んでいった。

 

「ぎゃあああああっ!」「助けてくれえええ!」「何が起きたんだ!?」「体が…体が燃える!」

爆炎と衝撃波、そして降り注ぐ瓦礫の中でコルネリア軍の兵士たちは阿鼻叫喚の地獄絵図を現出した。つい先ほどまで勝利を確信していた彼らの顔は、今は絶望と恐怖に染まりなすすべもなく命を散らしていく。魔獣たちもその強靭な肉体をもってしても、この規模の爆発と崩落には耐えられず断末魔の咆哮を上げながら次々と土砂と炎の中に消えていった。

 

第一防衛線は文字通り焦土と化し、夥しい数のコルネリア軍の兵士と魔獣の死骸が転がる巨大な墓標へと姿を変えた。カシアンの仕掛けた冷徹にして非情な殲滅作戦は、見事なまでに成功したのだ。

 

「まあ…!これほどの被害を出しながら、まだあの男は抵抗するというのですか…!」

水晶球を通してその惨状を目の当たりにしたコルネリアは一瞬言葉を失ったが、すぐにその美しい顔を怒りと屈辱に歪ませた。彼女にとって兵士や魔獣の命など、使い捨ての駒に過ぎない。だがこれほどまでに手酷い反撃を受けるとは予想外だった。

「ですが…ええ、いいでしょう。この程度の被害女神の力が手に入るというのなら、安いもの!」

彼女は狂気じみた笑みを浮かべると、残存する闇魔術師たちに新たな命令を下した。

「お前たち、何をためらっているのです!追加の紋章石を使いなさい!そしてありったけの魔力を注ぎ込み、さらに強力な魔獣を召喚するのです!あの忌々しい第二防衛線の壁も今月中に必ず打ち破ってみせますわよ!」

 

コルネリアの命令を受け、闇魔術師たちは新たな紋章石を取り出し禁断の召喚魔術の詠唱を開始した。カシアン領の上空に再び暗雲が垂れ込め新たな強力な魔獣の群れが、そのおぞましい姿を現そうとしていた。

戦いはまだ終わらない。むしろこれからさらに激化し泥沼化していくことを、その光景は雄弁に物語っていた。

 

 

 

 

カシアン領第二防衛線の最奥。かつては領主の館の広間であったその場所は、今や野戦司令部としての機能を辛うじて維持していた。壁には煤がこびりつき窓は木の板で塞がれ部屋の隅には血の滲んだ包帯や空になった薬瓶が無造作に転がっている。第一防衛線がコルネリア軍の圧倒的な物量と非情な焦土作戦によって突破されてから既に数週間が経過していた。その間コルネリア軍の猛攻は一瞬たりとも止むことなく、第二防衛線の城壁もまた、日夜攻城兵器の砲撃と魔獣の爪牙に晒され続けていた。

 

その薄暗い司令部の一室でカシアン、ユーリス、ジェラルト、ハピ、そしてコンスタンツェが大きな木製のテーブルを囲んでいた。テーブルの上には、この第二防衛線の簡素な見取り図と残り少ない兵站物資のリストが痛々しく広げられている。部屋の空気は硝煙の匂いと疲労、そして拭い去れない焦燥感で重く淀んでいた。

 

ジェラルトは右腕を気遣うように左手で庇いながら険しい表情でテーブルの上の地図を睨んでいた。先の戦闘で負った肩の傷は癒えたものの、彼の右腕はもはや以前のように自由には動かせず直接剣や槍を振るって前線に立つことはあまり叶わなかった。今はその長年の経験と戦術眼をもって、後方からカシアンの指揮を補佐するに留まっている。

 

「…カシアン、例の帝国からの援軍は、まだ何の音沙汰もありませんの?」

沈黙を破ったのはコンスタンツェだった。彼女のいつもは自信に満ち溢れた声にも隠しきれない不安の色が滲んでいた。ティーカップを持つ指先が、微かに震えている。

「わたくしたちがあれほど手紙にて懇願した。陛下もご理解してくださるはず…。このままではジリ貧ですわ」

 

カシアンはコンスタンツェの焦燥に満ちた問いかけに対し静かに首を横に振った。その頭巾の下の表情は窺えないが声にはいつもの冷静さの奥に、深い疲労の色が隠されていた。

「斥候は幾度となく放ってはいる。だが誰一人として、生きて帰ってきた者はいない。おそらくコルネリアの奴がこの領地の周囲に我々の想像以上に厳重な警戒網と、おそらくは…おぞましい『何か』を配置しているのだろう。現状我々は外部の情報を完全に遮断されこの籠城という名の檻の中に閉じ込められているに等しい」

 

「秘密の脱出経路も、もう使えそうにないのかよ、カシアン?」

ユーリスが忌々しげに舌打ちしながら尋ねた。アビスの者たちが長年かけて整備してきた地下通路は彼らにとって最後の切り札のはずだった。

「ああ、斥候の報告によれば、その先の森は今やおびただしい数の魔獣の群れによって完全に封鎖されている。それもただの魔獣ではない。知性すら感じさせる統率された動きでまるで我々が逃げ出すのを待ち構えているかのようだ。あの数を相手に今の我々の戦力で脱出路を切り開くのは…不可能に近い」

 

部屋にさらに重い沈黙がのしかかる。援軍は来ない。逃げ道もない。まさに袋の鼠だった。

 

「…物資の方は、まだ多少の余裕はある」ユーリスが、気を取り直すように報告を続けた。

「あんたが事前に備蓄させていた食料と、ロングアーチの矢も持つだろう。だが…」

彼の声が、苦々しく歪む。

「問題は兵士たちの消耗だ。アビスの連中もこの町の連中も、もう何週間も、昼夜を問わず戦い続けている。休息もろくに取れず傷ついた仲間が次々と倒れていくのを目の当たりにして…士気はもはや限界に近い。いつ誰が精神的に壊れてもおかしくない状況だ」

 

ハピが付け加えた。その瞳には深い憂鬱と諦観の色が浮かんでいる。

「それにカシアンが作らせたあのロングアーチだけど…。最初のうちは、面白いように魔獣を串刺しにできてたけど、最近コルネリア軍の魔獣ども、いやらしいことに、自分たちの急所…心臓とか、頭とかに、分厚い鉄板みたいなのを装着してくるようになったんだよね。ロングアーチの矢も、あれじゃあなかなか貫通できなくなっちゃって…。ダメージが全然通らなくなってきてる」

 

「ふむ…敵も学習している、ということか。厄介なことだ」カシアンは顎に手を当て、思案する。

「鳥型の魔獣の動きは? 空からの脅威が最も厄介だが」

 

「それについては、不幸中の幸いと言うべきか」ユーリスが答えた。

「ペトラの嬢ちゃんたちが、最初の戦いやその後に大暴れしてくれたおかげでな。コルネリア軍も飛行型の魔獣をあれだけ消耗させられたのは痛手だったんだろう。最近はほとんど見かけなくなった。上空の警戒は、以前よりは格段に楽にはなっている」

 

だがそのわずかな光明も、すぐに次の凶報によってかき消された。

「…だが、地上戦力の方は、さらに厳しい。…バルタザールと、あの死神騎士が、昨夜の戦闘で深手を負った」

ユーリスの声が、重く沈む。

「死神騎士の方は幸い急所は外れたらしく、数日もすれば無理やり戦線には復帰できるだろうが…バルタザールはダメだ。左腕を魔獣の爪でズタズタにやられた。アビスの薬師も全治には最低でもひと月はかかると言っている。それまでは戦力としては完全に期待できない」

 

バルタザールの離脱。それはただでさえ疲弊しきっているカシアン領の防衛戦力にとってあまりにも大きな痛手だった。彼の圧倒的な突破力と、仲間を鼓舞するその存在感はこの絶望的な戦いの中で、数少ない希望の光の一つだったのだから。

 

司令部の空気はもはや絶望という言葉ですら生温いほどに、冷え切っていた。カシアンは仲間たちの報告を黙って聞いていたが、その頭巾の下でどのような表情を浮かべているのか誰にも窺い知ることはできなかった。ただ彼の指先が、テーブルの上の地図のある一部隊を繰り返しなぞっているのが、微かに見て取れただけだった。




今更「ここすき」の機能を知りました。つけてくれた方ありがとうございます。トマシュの所だけ伸びてますね。
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