ヒューベルトの執念の調査によって、長年フォドラの歴史の裏で暗躍してきた「闇に蠢く者」たちの本拠地、シャンバラの位置が特定された。エーデルガルトは、カシアンの進言と、千載一遇とも言えるこの好機を逃すことなく、カシアン領へと率いてきた帝国軍の精鋭、そしてベレス、カシアンを伴い、帝国の最東端、広大な地下深くに潜むというその忌まわしき都市へと、進軍を開始した。
しばらくの行軍の後、彼らはついにヒューベルトが示した座標へとたどり着いた。そこがシャンバラへの入り口であることは疑いようもなかった。周囲には人の手が入った痕跡と、そして何よりもフォドラの他のどの場所とも異なる、異質な魔力の残滓が漂っていたからだ。
エーデルガルトは斧を構え、兵士たちに突入の号令を下した。
「これより我々はフォドラを蝕む闇の根源を断つ! 一人として生きて帰すな!」
帝国兵たちが雄叫びを上げ、シャンバラの入り口へと殺到する。ベレスも天帝の覇剣を抜き放ちカシアンの腕を掴んだまま、その後に続いた。カシアンはベレスに腕を引かれる形で、しかしその瞳には冷静な分析の光を宿らせ、周囲の状況を的確に把握しようと努めていた。
シャンバラの地下都市へと足を踏み入れた彼らは、その光景に息を呑んだ。そこはフォドラの現在の文明レベルを、優に十世紀は飛び越えているかのような、驚くべき技術で構築された都市だった。金属とガラスで造られた滑らかな壁面、天井からは太陽光とは異なる眩いばかりの人工的な光が降り注ぎ、通路の壁にはめ込まれたガラス板の奥では、理解不能な紋様や数字が明滅し、複雑な機械が静かに稼働している。カシアンですら見たこともないような、高性能なPCらしき装置や、用途不明の巨大な機械設備が、整然と不気味なまでに静かに立ち並んでいた。それはまるで異世界に迷い込んだかのような、圧倒的な技術格差を見せつける光景だった。
「…これが、奴らの…」エーデルガルトは驚きと同時に、このような超技術を長年隠し持っていた者たちへの新たな怒りを覚えた。
その時広間の中央、一段高い場所にアランデル公――タレスが、ゆっくりと姿を現した。その顔にはいつもの傲岸不遜な笑みはなくただ純粋な怒りと、計画を邪魔されたことへの底知れぬ憎悪が浮かんでいた。
「エーデルガルト…!そして、女神のなりそこないめが!よくも…よくもこのシャンバラまで嗅ぎつけてきたものだな!」
タレスの声が、金属質な壁に反響する。
「あのコルネリアとかいう役立たずの女狐が、貴様らに敗れたという報告は受けていたが…まさかこれほど早く大胆不敵にこの聖域を侵してくるとはな!」
エーデルガルトはタレスを真っ直ぐに見据え、きっぱりと言い放った。
「アランデル公!…いえ、タレス! あなたが、コルネリアと手を組み、フォドラに混乱を撒き散らしていたことは、既に判明しているわ! あなたたちの長きに渡る暗躍も、今日ここで終わりよ!」
そして彼女は背後の兵士たちに向かって、力強く叫んだ。
「全軍、攻撃開始! あの者を討ち取り、シャンバラを制圧します!」
「オオオオオッ!」
帝国兵たちが一斉にタレスへと襲いかかる。ベレスもカシアンの手をさすがに離して、天帝の覇剣を構え突撃しようとした。
しかしタレスは嘲るかのように鼻を鳴らすと、一瞬にしてその姿をワープで掻き消した。そして彼の声だけが、広間の奥深くから響き渡ってきた。
「愚かな…! このシャンバラの真の力を、まだ貴様らは知らぬと見える! よかろう、ならば見せてやる! 我らが幾千年もの間、この地下で何を成し遂げてきたのかをな!」
声と共に地下都市の奥深くから、地響きと共に巨大な機械の起動音と、そして無数の防衛兵器が姿を現し始めた。壁からは自動迎撃用の魔道砲が床からは鋭利な刃を持つ機械兵が、次々と出現し侵入者たちへと襲いかかる。
タレスは地下都市の最深部、巨大な球状の制御装置の前に再び姿を現すと、その手を装置にかざした。そして広間へと繋がる拡声装置を通して、彼の憎悪に満ちた声がベレスたちへと届けられた。彼は特にベレスを指差すようにして叫んだ。
「地下に潜み、息を潜めて暮らすこと幾千年…。我らアガルタの民はただひたすらに、復讐の成就のみを念じて生きてきたのだ…! その憎き仇…我らが文明を滅ぼし、我らをこの暗き地下へと追いやった女神ソティス! その忌まわしき血を引く者が、今、この地に、のこのこと自ら姿を現したのだ!」
タレスの言葉は、狂信的なまでの憎悪と、長年の怨念が凝縮されたかのようだった。
「となれば、我らのなすべきはただ一つ……!」
彼の声がシャンバラ全体を震わせる。
「滅せよ! 高慢な女神に連なる者どもを未来永劫、人の世から葬り去るのだ!」
その宣言と共にシャンバラの地下都市は、古代の超兵器とタレスの歪んだ復讐心によって、エーデルガルト、ベレス、カシアンたちを迎え撃つ、死の迷宮へと変貌を遂げた。フォドラの未来を賭けた戦いの幕が、今、この忌まわしき地下都市で切って落とされようとしていた。
タレスの宣戦布告と共にシャンバラの地下都市は悪夢の迷宮へとその姿を変えた。エーデルガルトは怒号と共に斧を振り上げ、帝国兵を率いて都市の奥深くへと進軍を開始する。ベレスもまた天帝の覇剣を手に、その緑色の髪を戦場の風になびかせながら、エーデルガルトの隣で果敢に敵の防衛線を切り開いていった。彼女の剣技は、長い眠りを経てなお、あるいはそれ以上に冴え渡り、古代アガルタの機械兵や魔道砲を次々と沈黙させていく。
一方カシアンは、シャンバラの入り口付近、比較的安全と思われる広大なドーム状の空間に、エーデルガルトが残していった数名の帝国精鋭兵、そして何故か戦闘の喧騒から一人だけ離れ壁際で欠伸を噛み殺している黒鷲の学級の元生徒、リンハルトと共に取り残される形となっていた。先のコルネリア軍との戦いでの疲労が癒えていないカシアンはベレスから「この辺りで待っていること。無茶は許さない」と、半ば命令に近い形で固く言い含められていたのだ。
リンハルトはカシアンが腕を組み遠くで響く爆発音や金属音に時折眉をひそめながらも、その場を動こうとしない様子を見て、眠そうな目をこすりながら、彼にしては珍しく揶揄するような口調で話しかけた。
「やれやれ、カシアン先生。怖い顔をしたベレス先生に言われた通り本当にここでお行儀よくお留守番ですか。先生ほどの人が、こんなところで待機しているだけなんてらしくないですねぇ」
カシアンはリンハルトのその言葉に、頭巾の下でわずかに顔をしかめた。
「…そう見えるかね、リンハルト君。だが致し方ない。この戦地に来ることを許可してもらうだけでも、彼女に『戦いが終わったら、何でも言うことを聞く』という、実に理不尽な条件を飲まされる羽目になったのだからな。ここで約束を破れば、後が怖い」
彼はベレスのあの真剣な眼差しを思い出し小さくため息をついた。
リンハルトはそのカシアンの返答に、興味深そうに目を細めた。
「へえ…あのベレス先生と、そんな約束をねぇ。ですが先生、今のベレス先生…その何というか、以前にも増して先生への執着が強くなっているように見受けられますが…その約束、本当に大丈夫なんですか? 後でとんでもないことを要求されたりしませんかねぇ…」
リンハルトはそこで言葉を切り意味ありげな笑みを浮かべた。
「…大丈夫だろう」カシアンはリンハルトのその下世話な憶測を鼻で笑うように、軽く答えた。
「ベレスは確かに少し過保護になっているきらいはあるが、基本的に合理的な思考の持ち主だ。無茶な要求はないはずだ。それに恐らく私にとっても好都合になるしな。」
その言葉には彼自身も完全には自信が持てていないような、微かな不安が滲みながら、何かを待ち望んでいた。
その時だった。彼らが待機しているドーム状の広間の壁や床が、ゴゴゴゴ…と不気味な振動を始めた。遠く、都市の奥深くから断続的に閃光が走り、聞いたこともないような甲高い金属音や、巨大な何かが起動するような轟音が響き渡ってくる。
「…始まったようですね。タレスの奴がシャンバラの本格的な防衛システムを起動させたのでしょう」
カシアンは腕を組み冷静に状況を分析する。
報告によれば都市の奥へ進んだエーデルガルトとベレスたちの前には、通路を焼き尽くすほどのビーム砲や、巨大な戦闘機械が次々と出現しその行く手を阻んでいるという。
カシアンは広間の隅、地面に直接設置された祭壇のようにも見える大きな機械が、赤いランプを点滅させながら「ビー、ビー、ビー」と警告音のようなものを発していることに気づいた。それは、彼らがこの広間に入った時から静かに稼働していたが、都市の防衛システムが本格的に起動したのと連動して、その活動を活発化させたように見えた。
「…リンハルト君、あちらへ」
カシアンはリンハルトと護衛の帝国兵数名を伴い、その不気味な機械へと近づいた。機械の表面には理解不能な古代文字のようなものが刻まれ、内部からは何かのエネルギーが脈動しているかのような微かな振動が伝わってくる。
カシアンは試しに懐から取り出した魔導書を開き、初級の攻撃魔法である「ファイアー」をその機械に向かって放った。小さな火球が機械の表面に命中したが、それはまるで水滴が岩に弾かれたかのように何の効果も与えず霧散した。機械の表面には傷一つついていない。
「ほう…魔道抵抗力が極めて高い、か」
「カシアン卿、何をなさっているのですか?」
護衛の帝国兵の一人が訝しげな顔でカシアンに尋ねた。
「いやぁ、何」カシアンは悪戯が成功しなかった子供のような顔で答えた。
「敵の領地で何かよく分からないものが不気味に動いているのなら、とりあえず破壊しておくのが定石ではないかと思ってね。…君、少しその剣で斬りつけてみてくれないか? 物理的な耐久力も調べておきたい」
兵士はカシアンのその突拍子もない指示に一瞬戸惑ったが、コルネリアを倒したこの教師の言葉に逆らうわけにもいかず、「は、はい!」と返事をし、腰の長剣を抜き放つと、力任せにその機械の表面へと斬りつけた。
ガィィン!という硬質な金属音が響き渡り、兵士の手が痺れる。機械の表面には、確かに剣の跡が浅く刻まれたが、それは表面の装甲をわずかに傷つけた程度で、機械そのものが破壊されるような気配は全くなかった。
「…ふむ。物理的にも、相当な強度を持っているようだな。これは厄介なことになりそうだ」
カシアンはその頑強な機械を見上げ、頭巾の下で眉をひそめた。このシャンバラという都市は彼の想像を遥かに超える、未知の脅威に満ち溢れている。そしてその脅威の最も深い場所へベレスは今、進んでいってしまったのだ。彼の胸に新たな不安と焦燥感が、じわりと広がり始めていた。
カシアンはその頑強な機械の表面を注意深く観察していた。魔法も兵士の斬撃も、大したダメージを与えられなかった謎の装置。しかし彼の鋭い目は、機械の側面や上部に、規則的に無数の小さな穴が開けられていることを見逃さなかった。それはおそらく内部の機構から発生する熱を効率的に放出するための排熱孔のようなものだろう。複雑な機械であればあるほど熱処理は重要な問題となる。
(…排熱孔、か。内部は相当な高温になるということか。そしてこの構造…)
カシアンは自身の腰に下げた、アビスから持ち出した様々な道具が雑多に詰め込まれた革製の道具袋に手を伸ばし、中を探った。そして少しばかり躊躇うような、しかしすぐに何かを決意したかのように、小さく「…まあ、仕方ないか」と呟くと、一本のずんぐりとしたガラス瓶を取り出した。それは彼がコルネリア軍との戦いで「燃料」として大量に消費し、残り少なくなっていたはずのカシアン特製の高濃度蒸留酒だった。これは彼が個人的に皆で飲めないかと、隠し持っていた最後の数本だった。
「せ、先生…? 何を考えてるのですか? ここは戦場ですよ!?」
「知ってるよ。そして安心したまえ、戦場においても酒は百薬の長だよ。」
「まだ飲んでないですよね?素面ですよね?」
リンハルトがカシアンが取り出した酒瓶を見て、信じられないといった顔で声を上げた。護衛の帝国兵は、その突飛な行動に驚きながら興味深そうにカシアンを見つめている。
だがカシアンは兵士のそのもっともな制止を「まあ、いいから見ていろ」とでも言うように片手で制すると、慣れた手つきで酒瓶のコルクを抜き、おもむろにその中身を、先ほど発見した機械の小さな排熱孔へと惜しげもなく注ぎ込み始めた。琥珀色の極めて可燃性の高い液体が、機械の内部へとじわじわと染み込んでいく。
「…よし、こんなものか」
酒瓶の1/4ほどを注ぎ終えると、カシアンは残りの酒を懐にしまい再び右手を突き出した。彼の掌にゆらりと小さな火の玉が灯る。
「…さて、どうなるかな」
彼はまるで新たな実験の成果を確かめるかのように、その小さな火球を、アルコールが染み込んだ排熱孔へと正確に放った。
次の瞬間カシアンの予想通り、あるいはそれ以上の劇的な結果が現れた。
ボッッッ!!!という派手な音と共に、排熱孔から青白い炎が逆流するように噴き出し、機械の内部へと瞬く間に燃え広がったのだ! 高濃度のアルコールが、精密機械の内部で燃料となり、その複雑な機構を内側から焼き尽くしていく。
「ギギギ…ギャアアア…ピピピ…ガガガッ…!」
機械はまるで断末魔の叫びを上げるかのように、今まで聞いたこともないようなけたたましい異音を発し始め、激しく振動し表面のランプが乱雑に明滅を繰り返した。そして、数秒間の激しい痙攣の後、プスン…という小さな音と共に、全てのランプの光が消え不気味な警告音も、そして内部の稼働音も完全に沈黙した。ただ排熱孔から黒い煙が細く立ち上っているだけだった。
そのあまりにもあっけない見事な破壊劇を目の当たりにしたリンハルトと帝国兵たちは、ただ呆然とカシアンを見つめるしかなかった。
そしてそのカシアンの「実験」が成功したのとほぼ時を同じくして、シャンバラの奥深く、エーデルガルトたちがタレスの主力防衛兵器と激しい戦闘を繰り広げているであろう戦場から、一人の闇魔術師の狼狽したような声が、微かにここまで届いてきた。
「た、大変です、タレス様! シャンバラの防衛システムの一部…第7セクターの環境制御及びエネルギー供給ユニットが、原因不明の機能停止を起こしました! このままでは兵器にも影響が…!」
その報告を聞きカシアンは頭巾の下で満足げに、そして悪辣な笑みを浮かべた。
「…ふむ。どうやらこの機械は、インフラの一部の可能性が高いな。ただの置物ではなかったらしい。やはり酒は素晴らしい。」
彼は傍らでまだ口を開けている帝国兵に、先ほど懐にしまった残りの酒瓶を手渡すと、こともなげに指示を出した。
「さて諸君。念のため、この広間にある他の似たような機械も、同様の手順で『処理』しておこうか。万が一、予備システムだったり、あるいはもっと厄介な機能が隠されていたりしたら面倒だからな。大丈夫、やり方は私が丁寧に教えてやろう。」
その言葉には彼の持つ知識と経験、そして何よりも彼の特異な発想力が、この異常な戦場においてすら強力な武器となり得ることを改めて証明するかのようだった。帝国兵たちは、半信半疑ながらも、カシアンのその自信に満ちた指示に従い新たな「破壊工作」に取り掛かるのだった。その傍らでカシアンは近くに転がっている闇に蠢くものの魔術師の服装を見つめていた。