カシアンとベレスが彼らの拠点である西の領地へと帰還し、しばしの休息と次なる戦いへの備えを進めていた頃。ガルグ=マク大修道院の東方レスター諸侯同盟との国境線にて広大な草原地帯の一角では、カシアンの指示のもと奇妙な光景が繰り広げられていた。
見渡す限り緑の絨毯が広がるその草原には臨時の作業場が設けられ、帝国から派遣された少数の工兵とカシアンがアビスから連れてきた手先の器用な者たちが、黙々と作業に打ち込んでいた。彼らの手によって簡素ながらも頑丈そうな木のイカダや、数人が乗り込める程度の大きさの小舟が次々と形作られていく。その傍らにはカシアンがどこからか調達してきたのであろう様々な資材――タールが塗られた防水用の布、大量の乾いた藁、奇妙な形状の陶器の壺、そして鼻を突くような独特の匂いを放つ乾燥させられた得体の知れない植物の束などが、種類別に分けられ、山と積まれていた。
カシアン自身はその作業の様子を腕を組み頭巾を目深にかぶったまま、丘の上から静かに監督していた。時折工兵の長らしき男や、アビスの作業責任者に近づき、低い声で何事か指示を与えたり、運び込まれてくる新たな資材の置き場所を、地図と照合しながら細かく指定したりしている。その表情は窺えないが、彼の全身からは、何かの計画が着実に進行していることへの、静かな満足感のようなものが漂っていた。
そんなどこか不穏だが奇妙な活気に満ちた作業場に一人の少女がおずおずとした足取りで近づいてきた。黒鷲の学級の元生徒ベルナデッタだ。彼女はカシアンに何か届け物でも頼まれたのか、あるいは単に好奇心からこの場所へ迷い込んでしまったのか小さな籠を抱え、周囲の物々しい雰囲気に完全に怯えながらカシアンの傍らへとやってきた。
「あ、あの…カシアン先生…? こ、ここで、一体何を…なされているのですか…? なんだか物騒なものがたくさんありますけれど…」
ベルナデッタの声は小動物のように震えており、その大きな瞳は不安と恐怖で潤んでいた。イカダや小舟、そして用途不明の怪しげな資材の山は彼女の目には何か恐ろしい儀式の準備でもしているかのように映ったのかもしれない。
カシアンはベルナデッタのその怯えた声にゆっくりと顔を向けた。その頭巾の下の瞳が、一瞬だけ悪戯っぽい光を宿したように見えた。
「おや、ベルナデッタ殿。よく来られましたね。何をしているかですか? …ふむ、百聞は一見に如かず、と言います。少しご覧に入れましょうか」
カシアンはこともなげにそう言うと足元に転がっていた、粘土を丸めて乾燥させたような、鶏卵ほどの大きさの灰色の塊を一つ拾い上げた。そして何のためらいもなく、それをベルナデッタのすぐ近くの地面へと、ぽいと投げつけるように叩きつけた。
次の瞬間、パンッ!!!という、鼓膜が破れんばかりの空気を震わせる強烈な破裂音が草原に轟いた! 爆発そのものはなかった。煙も炎も上がらない。ただあまりにも大きな予期せぬ破裂音だけが、ベルナデッタの耳を直撃した。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!!!!」
ベルナデッタは絶叫と共にその場にへたり込み、両手で必死に耳を塞ぎぶるぶると全身を震わせた。その顔は完全に蒼白になり瞳からは大粒の涙が溢れ出している。まるで目の前で世界が終わるかのような衝撃を受けたかのようだった。
しかしカシアンはそんなベルナデッタの惨状を全く意に介する様子もなく、彼女のその反応を興味深そうに観察しながら冷静に言葉を続けた。
「…ふむ、これは試作品の『爆音玉』です。見ての通り殺傷能力は皆無ですがこの強烈な音は、敵兵の士気を著しく低下させ一時的な混乱状態を引き起こすのに極めて有効でしょう。特に密集した部隊や狭い場所に追い込んだ敵に対して使用すれば、その効果は絶大ですな」
彼はまるで新しい玩具の性能でも説明するかのように、淡々と語った。
そしてベルナデッタがまだ耳を押さえて震えているのを尻目に、今度は作業場に積まれていた、あの得体の知れない乾燥した植物の束から、一つかみ分を取り出した。それは黒紫色をした、何かの蔓のような植物で近づくだけで鼻の奥を刺激するような、不快な匂いを放っている。カシアンはその植物の先端に、懐から取り出した火打石で慣れた手つきで火をつけた。
ボッ、と音を立てて植物に火がつくと、次の瞬間周囲の空気が一変した。まるで腐った卵と硫黄と、そして何かもっと言葉にできないほど不快なものが混じり合ったような強烈で筆舌に尽くしがたいほどの悪臭が、黒紫色の煙と共に猛烈な勢いで立ち上り始めたのだ。
「うぐっ…げほっ、げほっ! な、なんなの、この、ひどい匂いはぁぁぁぁっ!? 目が…!鼻が…!喉がぁぁぁぁっ!!」
ベルナデッタは先程の爆音による衝撃から立ち直る間もなく、今度は耐え難い悪臭の波に襲われ咳き込み涙と鼻水を垂れ流しながら、その場を転げ回るようにして苦しみ始めた。もはや悲鳴というよりは断末魔の叫びに近い。
カシアンはその地獄絵図のような光景をやはり平然と、むしろ何かの実験結果でも記録するかのように冷静に見つめながら説明を続けた。
「こちらは、私が『腐臭草(ふしゅうそう)』と名付けた、特殊な植物を乾燥させ特定の薬品で処理したものです。燃やすとこのように極めて不快な人間が本能的に忌避する強烈な臭気を広範囲に拡散させることができる。これもまた敵の戦意を喪失させ、陣形を崩壊させるのに、非常に効果的な『兵器』となり得るでしょう。風向きさえ計算すれば、城壁の向こう側にいる敵兵すら行動不能に追い込めるかもしれませんね」
彼の声には自身の発明(?)に対する、確かな自信と満足感が滲んでいた。
そしてカシアンは涙と鼻水と咳でぐちゃぐちゃになりながら、もはや虫の息といった状態で地面を這いずり回っているベルナデッタの前に屈み込むと、その頭巾の下の表情は窺えないもののおそらくはにこやかな、しかし極めて悪魔的な笑みを浮かべて優しく問いかけた。
「…さて、ベルナデッタ殿。これらは全て間もなく始まるであろう、レスター諸侯同盟との本格的な戦いに備えて私が特別に用意している『おもてなし』の品々です。これで私がここで一体何をしていたか、もうお分かりになりましたかな?」
ベルナデッタはそのカシアンの言葉と彼から未だに漂ってくる微かな腐臭草の残り香に、最後の力を振り絞るようにして半狂乱の状態で叫んだ。
「わ、分かりました! 分かりましたから! もうこれ以上、実演するのは絶対に、絶対にやめてくださいぃぃぃぃぃっ!! 言葉だけで、言うだけで、私には、じゅ、十分すぎますからぁぁぁぁっ!! お願いですからぁぁぁぁっ!!」
彼女の悲痛な叫びは草原の風に乗って、どこまでも虚しく響き渡った。
カシアンはベルナデッタのその必死の懇願と涙でぐしょぐしょになったその顔を見て、頭巾の下で、くつくつと、本当に楽しそうに肩を震わせて笑った。彼にとってベルナデッタのこの反応は、彼の新しい「兵器」の有効性を証明する、何よりの実験結果だったのかもしれない。
「ははは、ご冗談を。これしきのことで音を上げるようでは、これからの戦い、生き残れませんよ、ベルナデッタ殿」
彼はそう言うと立ち上がり遠くに見えるレスター諸侯同盟との国境線――その先にはフォドラでも屈指の交通の要衝であり、堅固な守りで知られるミルディン大橋が横たわっている――へと視線を向けた。その瞳には悪魔的なまでの知略とこれから始まるであろう戦いへの冷酷な愉悦の色が浮かんでいた。
「…この『爆音玉』と『腐臭草』を先ほど作らせていた小舟やイカダに満載し夜陰に紛れてミルディン大橋の橋脚や橋を守る同盟軍の陣地へと接近させ、一斉にぶつけてやるのです。橋そのものを破壊する必要はありません。ただあの橋を渡ろうとする者、あるいは守ろうとする者全てに忘れられないほどの『不快な思い出』をプレゼントして差し上げるだけで十分。ふふふ…実に楽しいことになりそうだ」
ベルナデッタがカシアンの仕掛けた「おもてなし」の恐怖に打ち震え半狂乱で逃げ帰っていった数日後。カシアン領の南端に設けられた広大な臨時演習場には、朝の冷たい空気を切り裂くような、力強い声が響き渡っていた。声の主は帝国軍のフェルディナントだった。彼は真新しい帝国軍の練兵用指揮官服に身を包み、その背筋を誇らしげに伸ばし馬上で手綱を引き締めながら眼下に整列する兵士たちを見下ろしている。
「諸君! これより新型防衛兵装の性能実証演習を開始する!」
フェルディナントのその大仰な宣言は、彼の熱血漢ぶりとカシアンへの彼なりの敬意を示すものだったが、カシアン本人は演習場の隅に設えられた簡素な天幕の下、長椅子にゆったりと腰掛け淹れたてのハーブティーをすすりながらその様子をどこか面白そうに、そしてのんびりと眺めているだけだった。
演習場の中央には異様な姿の一団が整列していた。それはカシアンの指示でアビスの鍛冶師たちが作り上げた、巨大で分厚い金属製の盾を構えた重装兵の部隊だった。その盾は、一枚一枚が成人男性の身長を優に超えるほどの大きさで、表面には禍々しい紋様のようなものが微かに残り、およそ通常の鍛冶技術で作られたとは思えぬほどの威圧感を放っている。兵士たちは、その重さに顔を歪ませながらも、必死で盾を構え、不動の壁を形成していた。
「第一試験、対物理射撃防御! 攻撃部隊、射撃用意!」
フェルディナントの鋭い号令一下、演習場の反対側に布陣していた弓兵の一団が一斉に矢を番えた。彼らはこの演習のために特別に用意された、通常よりも強力な鉄製の鏃(やじり)を装着した矢を、力任せに引き絞る。
「放てぇっ!!」
フェルディナントの振り下ろす剣を合図に、数百本の矢が鋭い風切り音と共に空を覆い、巨大な盾の壁へと吸い込まれるように降り注いだ!
カンカンカンカンッ! バチバチバチッ!
無数の矢が盾の表面に激しく衝突し火花のようなものを散らしながら甲高い金属音を響かせる。しかしその結果は攻撃側の兵士たちの予想を遥かに超えるものだった。あれほど勢いよく放たれた鉄の矢はその分厚く、そして異様なまでに強靭な盾の表面にほんのかすり傷一つ付けることすらできずまるで硬い岩に当たった小石のように、力なく弾き返され、地面へと虚しく落下していく。盾の壁は微動だにしていない。
「…なっ!? 全く効いていないだと!?」
弓兵部隊の指揮官が信じられないといった表情で目を見開く。フェルディナントもその光景に一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直し力強く次の号令を発した。
「見事だ! さすがは新型兵装! だがまだ終わりではないぞ! 第二試験、対魔法攻撃防御! 魔道部隊、詠唱開始!」
今度は弓兵部隊と入れ替わるようにして、帝国軍の魔道士たちが隊列を組んだ。彼らはそれぞれ得意とする属性の魔法――燃え盛る炎の玉、鋭い氷の槍、迸る雷撃――を、その魔力の限りを込めて詠唱し始める。やがて、色とりどりの、しかしどれも強大な破壊力を秘めた魔法が一斉に巨大な盾の壁へと叩きつけられた!
ドゴォォン! バリバリバリッ! ゴウッ!
爆炎が上がり氷塊が砕け散り雷光が周囲の空気を焦がす。演習場はまるで神々の戦場のような様相を呈した。だが、その魔法の嵐が収まった時、そこに立っていたのは、先程と全く変わらぬ姿の巨大な盾の壁だった。盾の表面には確かに魔法による焦げ跡や氷の付着が見受けられたが、その防御機能そのものには一切の損傷が見られない。盾を持つ兵士たちも、その圧倒的な魔法攻撃の衝撃をまるで柔らかなクッションで受け止めたかのように平然と立ち続けていた。
「…おお…! これが…これが新たな盾…!」
フェルディナントはもはや感動のあまり声を震わせ、その新型兵装の圧倒的な防御力に、ただただ感嘆の息を漏らすしかなかった。
天幕の下でその様子を眺めていたカシアンは満足げにハーブティーを一口すすると事もなげに言った。
「ふむ、順調そうですね。計算通り、いや、計算以上の防御性能と言えるかもしれません」
彼の声には自身の開発した兵器への絶対的な自信が滲んでいた。
その巨大な盾の正体――それはかつてコルネリアが切り札として使役しシャンバラでの戦いで鹵獲、あるいは破壊された「闇に蠢く者」たちの超兵器、タイタニスの残骸だった。カシアンはあの異形の巨人の装甲が通常の物理攻撃だけでなく、高度な魔法攻撃に対しても驚異的なまでの耐久力と抵抗力を持つことに着目し、それを解体・再加工することで、この移動可能な超重装甲大盾「タイタニス・シールド」として生まれ変わらせたのだ。タイタニス一体をそのまま運用するには、莫大なエネルギーと高度な制御技術、そして何よりもそれを操るための特殊な才能が必要となるが、その装甲部分だけを切り出して盾として利用するのであれば、通常の兵士でも、数人がかりで運搬・運用することが可能となる。まさにカシアンの合理主義と、資源を徹底的に有効活用するという彼らしい発想が生み出した、新たな切り札だった。
カシアンはテストの成功に満足したように頷くと、ふと、演習場の隅で腕を組み、厳しい表情でこの演習の一部始終を見守っていたヒューベルトの姿に気づいた。彼はエーデルガルト皇帝からの特命を受け、カシアンの新たな兵器開発の進捗状況を視察するために、数日前からこの領地に滞在していたのだ。
カシアンはゆっくりと立ち上がりヒューベルトの元へと歩み寄った。
「ヒューベルト殿。ご覧の通り、コルネリアの残した『遺産』は、なかなか有効に活用できそうですよ」
カシアンは頭巾の下で皮肉な笑みを浮かべて言った。
ヒューベルトはその言葉に表情一つ変えることなく冷静に答えた。
「…確かに、その防御力は目を見張るものがありますな、カシアン卿。ですがあれほどの重量と大きさでは、機動的な運用は困難では?あくまで特定の地点を防衛するための、固定的な『壁』としての役割が限界かと」
彼の分析は常に的確で辛辣だった。
「ごもっとも」カシアンはあっさりと認めた。
「ですが、陛下にお伝えいただきたい。この『壁』はまだ完成形ではありません。移動方法の確立とそして何よりも…『数』を揃えることで、その真価を発揮するのです」
そして、彼はまるで子供が新しい玩具をねだるかのように、しかしその瞳の奥には確かな計算を光らせてヒューベルトに言った。
「つきましてはヒューベルト殿。シャンバラで我々が確保した、あのタレスが使っていたタイタニスの残骸…あれも、私が分解しこの『タイタニス・シールド』の材料として、有効活用させていただきたいのですが、ご許可いただけますかな? もちろん、完成した暁には、帝国軍にもその設計図と実物をいくつか献上する用意はありますが」
ヒューベルトはカシアンのその底なしの探求心と、抜け目のない交渉術に、内心で深いため息をついた。この男は、一度味をしめると、どこまでも貪欲になる。しかしその提案が帝国にとって不利益でない限り、そして何よりも彼が生み出すものが戦局を有利に導く可能性がある限り、それを無下に断る理由もない。
「…よろしいでしょう、カシアン卿」ヒューベルトはしばしの沈黙の後、静かに答えた。
「ただしそれはあくまで『帝国の所有物』を、貴殿に一時的に貸与し、その研究開発を委託するという形を取らせていただく。その前提であれば、シャンバラのタイタニスの残骸の利用を、皇帝陛下に代わり、私が許可しましょう」
その言葉にはカシアンの独走を許さず、あくまで帝国の管理下に置くという、ヒューベルトの確固たる意志が込められていた。
「ご賢察、痛み入ります」カシアンは満足げに恭しく一礼した。彼の頭の中では既に新たなタイタニス・シールドの設計図と、それを用いた恐るべき防衛戦術が、いくつも描き出され始めていた。
その時演習場にフェルディナントの朗々とした声が再び響き渡った。
「以上をもちまして、新型防衛兵装の性能実証演習、全て終了とする! 参加した将兵諸君、ご苦労であった!」
彼の声には今日の演習の成功と、帝国の新たな力の誕生への純粋な興奮と誇りが満ち溢れていた。兵士たちからも安堵と、そして新型兵器への期待が入り混じった力強い鬨の声が上がる。
カシアンはその光景を頭巾の下の冷めた目で満足げに眺めていた。フォドラの戦いの歴史は、今この瞬間も、彼のその異質な知性と尽きることのない探求心によって静かにれようとしていた。
桜井さんの爪の垢を煎じて飲み、社会人の休みをすべて生贄に捧げ、大方最終決戦まで書き終わりました。これで心置きなく心をゴリラにしてSwitch2を待てます。
最終話まで2日に1回の投稿で、10月上旬が最終回になります。あらすじ通りにネームドキャラの死人もそこそこ出ました。つまりハッピーエンドです。