道徳以外を教えます   作:マウスブン

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ベレス無双1

夜明け前の薄闇がレスター諸侯同盟の領都デアドラを未だ包み込んでいる。帝国軍本陣から少し離れた草原では、カシアンがパルミラ軍襲来の報を受け、腐臭草や爆音玉の準備を中止し、全軍に帝国本隊との合流と迎撃態勢への移行を命じた、まさにその直後だった。

 

東の空、始暁の光を背に受けて突如として無数の黒い影がデアドラの海岸線から怒涛の勢いで帝国軍の側面へと殺到してきた。パルミラ王国が誇る、獰猛なワイバーンに跨った竜騎士たちと、独特の湾曲した剣を抜き放った軽装の戦士たちからなる大軍勢。彼らの鬨の声は、フォドラのそれとは異なる異質な響きを持ち、夜明け前の静寂を切り裂いた。

 

「ナデル様より伝令! 帝国軍にカシアンとかいう危険な男がいる!奴らが準備しているという『空裂く長弓』と『地を揺るがす鉄の咆哮』、あれを使われる前に、一気呵成に敵本陣を叩き、帝国軍の指揮系統を寸断せよ!」

パルミラ軍の先頭を進む屈強な部隊長が、馬上から鋭く叫ぶ。彼の言葉にはカシアンの新型兵器――おそらくは改良型ロングアーチや、ペトラが運用した爆弾樽の噂が歪んで伝わったものだろう――への明確な警戒と、それを未然に防がんとする焦りが滲んでいた。クロードとの間で練られたこの急襲作戦は同盟の勝利のため、そして何よりもパルミラの国益のために、多少の犠牲を覚悟の上で強行されたものだった。そのため彼らの進軍速度は凄まじかったが、その反面、個々の部隊の連携は乱れ、密集した隊形は側面からの攻撃に対して脆弱さを露呈していた。

 

だが彼らの前に立ちはだかったのは、帝国軍本隊ではなかった。

「―――そこまでだ」

静かだが戦場の喧騒を貫くような凛とした声。

パルミラ軍の先頭が、まるで不可視の壁に阻まれたかのように動きを止める。そこに立っていたのは、一人の、しかし戦場においては千の軍勢にも匹敵する存在感を放つ女剣士。淡い緑色の髪を夜明け前の風になびかせ、その手にはフォドラの聖なる遺産、天帝の覇剣が握られていた。ベレスだった。彼女の背後には、先のコルネリアとの戦いを生き延びたカシアン領の兵士たちが、彼女の盾となるように、しかしどこか彼女の力に絶対的な信頼を寄せているかのように、静かに、しかし隙のない陣形を組んでいた。

 

「異国のものたちよ。この先へ進むことは許さない」

ベレスの声には、感情の起伏は乏しい。だがその瞳には、仲間たちと、そして何よりも今この瞬間皆を守ると言う、鋼のような意志が宿っていた。

 

「小娘一人が何を言うか! 我らパルミラ最強の戦士たちの進撃を止められると思うな!」

パルミラ軍の部隊長が嘲笑し手にした湾刀を振りかざしてベレスへと襲いかかる。数騎のワイバーンナイトも、空から槍を構え、急降下を開始した。

 

しかし次の瞬間パルミラ兵たちの目に映ったのは、信じられない光景だった。

ベレスの振るう天帝の覇剣は、まるで生き物のようにしなり、その軌跡は神速。部隊長の湾刀は一瞬で弾き飛ばされ、返す刀で鎧ごと胴を両断される。空から迫るワイバーンナイトたちの槍は、彼女の周囲に展開された微かな光の障壁――女神の力の一端か、あるいはカシアンが彼女のために用意した何らかの魔道具か――によって軌道を逸らされ、あるいは天帝の覇剣から放たれる衝撃波によって、乗り手もろとも地面へと叩きつけられた。

ベレスは、その圧倒的な力で、瞬く間に数人のパルミラ兵を屠り、そしてなお、その体には傷一つ負っていない。血飛沫を浴びながらも、彼女の表情は変わらずただ淡々と、しかし確実に敵の命を刈り取っていく。その姿はもはや人間ではなく、戦場に舞い降りた破壊の女神そのものだった。

 

「な…なんだ、あの女は…!?化け物か!?」

「怯むな!数で押せ!囲んでしまえ!」

パルミラの兵士たちはベレスの常軌を逸した強さに恐怖を覚えながらも、ナデルから厳命された任務を遂行すべく、次々と彼女へと襲いかかる。だが彼らの攻撃はことごとく彼女に届かず、あるいは軽くいなされ、逆に手痛い反撃を受けて数を減らしていく。周りの兵士たちも、ベレスの周囲を固め、巧みな連携でパルミラ兵の側面を突き、あるいは魔法でその動きを封じ、ベレスが最も効率的に敵を殲滅できるよう補佐していた。

 

戦場の混乱の中、ベレスは一度天帝の覇剣を大きく振りかぶり周囲の敵を薙ぎ払うと、その声に魔力を込めて、戦場全体へと響き渡るように叫んだ。

「―――皆、私に続け! 勝つよ!!」

その短い力強い言葉は、後方で迎撃準備を進めていた帝国軍の兵士たちの耳にも確かに届いた。彼らはベレスのその神懸かり的な戦いぶりと、彼女の言葉に込められた揺るぎない確信に、まるで魔法にでもかかったかのように恐怖を忘れ、闘志を燃え上がらせた。

 

「ベレス先生が…!先生が、あのように戦っておられるのだ!」

「そうだ!我々も続け!皇帝陛下と、ベレス先生のために!」

エーデルガルトの隣にいたフェルディナントが、興奮のあまり声を張り上げる。カスパルも「うおおお!負けてられるか!」と雄叫びを上げ、リンハルトでさえ「やれやれ、騒がしいですねぇ…ですが、まあ、見て見ぬふりもできませんか」と、重い腰を上げた。ベルナデッタは後方で震えながらも弓を構え、ドロテアは戦場に癒やしの歌声を響かせ、ペトラは帝国の飛行部隊を率いて空からの援護を開始した。

 

「全軍、前へ! あのパルミラの蛮族どもに、帝国の力を見せつけてやるのです!」

エーデルガルトが皇帝としての威厳を込めて覇鎧アイムールを振り下ろす。それを合図に帝国軍の各部隊は、ベレスの言葉に鼓舞された高い士気と共に、雪崩を打ってパルミラ軍へと反撃を開始した。

 

戦いの趨勢はベレスという圧倒的な個の力と、彼女の言葉によって引き出された帝国軍の士気によって、パルミラ軍の急襲という当初の目論見とは全く異なる方向へと、急速に傾き始めていた。デアドラの夜明けは血と鉄の匂い、そしてフォドラの新たな戦乱の始まりを告げる、激しい戦闘の音と共に訪れようとしていた。

 

 

 

 

デアドラは血と鉄の匂いを纏い帝国軍と、クロード率いる同盟軍、そして突如として現れたパルミラの黒き翼が激しく衝突する、混沌の戦場と化していた。ベレスがパルミラ軍の先鋒と激闘を繰り広げている頃、それとは別の戦線が、静かに、しかし確実に動き出そうとしていた。

 

「もー、なんで私がこんな面倒な戦場に割り当てられた訳?」

レスター諸侯同盟が誇る猛将、ヒルダは愛用の斧を肩に担ぎ、露骨に不満そうな声を漏らしながらも、手勢の同盟兵たちを率いてデアドラ軍港の秘密の通用路から出撃しようとしていた。彼女の任務は、パルミラ軍が帝国軍の側面を突くのと呼応し別ルートから帝国軍の後方、あるいは手薄になったであろう中央部分へと奇襲をかけ、敵の指揮系統を麻痺させることだった。クロードが立案した、帝国軍を挟撃し、一気に殲滅するための重要な一手だ。

 

「ヒルダ様、お気持ちは分かりますが、これも同盟の未来のため。我らが殿の奇策、成功させねばなりませぬぞ!」

ヒルダの副官である、実直な騎士が彼女を宥めるように言った。

「はいはい、分かってるわよー。でもさー、もっとこう、楽して勝てる方法とかないのかしらねぇ。」

ヒルダは現実逃避にも似た妄想を口にしながらも、いざ戦場となれば、その面倒くさがりな性格とは裏腹に、父譲りの武勇と、仲間を見捨てない優しさ、そして何よりも英雄の遺産で圧倒的な戦闘能力を発揮することを、彼女の仲間たちは知っていた。

 

しかし彼女たちが軍港の迷路のような通路を抜け、いざ帝国軍の側面へと進撃を開始しようとした矢先、前方を索敵していた部隊から、混乱したような報告が舞い込んできた。

「ヒルダ様! 前方、帝国軍の警戒部隊らしき影は見えませぬが…その、何やら妙なものが!」

「妙なものぉ? なによ、それ。魔獣とかだったら、ちょっとだけなら戦ってあげてもいいけどー」

ヒルダが、緊張感のない声で聞き返す。

 

だが伝令兵の顔は真剣そのものだった。

「いえ、それが…突然、道の先で大きな爆発音がして、煙が立ち込めているのです! 何度も、何度も! 我が軍の兵士たちは、あれを敵の『爆弾』ではないかと恐れ、進軍を躊躇しております!」

 

「爆弾ですって!?」ヒルダの表情が、一瞬だけ険しくなった。まさか、こんな場所で、あのカシアンとかいうヤバそうな男が開発したという、あの新型兵器に出くわすことになるとは。

「ちょっと、私が見てくるわ! みんなはここで待機!」

ヒルダは面倒くさそうに頭を掻きながらも、フライクーゲルを握り直し、副官と数名の護衛だけを連れて、問題の場所へと馬を駆けさせた。

 

彼女が現場に到着すると、確かにそこには、兵士たちが言うように、白い煙がもうもうと立ち込め、時折「ドカン!」「バン!」という、腹に響くような大きな破裂音が鳴り響いていた。しかし、ヒルダの鋭い目は、その煙の中に、爆発によるクレーターや、何かが破壊されたような痕跡が一切ないことを見抜いた。そして何よりも、焦げ臭い匂いや、血の匂いが全くしない。

 

(…これは…)ヒルダは顎に手を当て、少し考える。

「ねえ、あんたたち。本当にこれ、爆弾だと思う? なんか、音と煙だけで、全然痛そうじゃないんだけど」

ヒルダが、煙の前で立ち往生している同盟兵の一人に尋ねると、兵士は怯えた顔で答えた。

「は、はい! この音と煙…間違いありません! 先日、カシアン領から逃げ帰ってきた者たちが口を揃えて言っていた、あの『悪魔の仕掛け』に違いありません! 一歩足を踏み入れたら、体が木っ端微塵に…!」

 

「悪魔の仕掛け、ねぇ…」ヒルダは、その大げさな噂話に、ふんと鼻を鳴らした。カシアンという男が、えげつない策を弄するのは知っている。だがこれ見よがしな音と煙だけで、実際の被害がないというのは、あまりにも不自然だ。むしろ、これは…。

「…ふん、こけおどしね」ヒルダは、確信を持って呟いた。

「いいわ、私が先に行って確かめてあげる! もし本当にただの脅かしだったら、こんなもので足止め食らってたあんたたち、後でクロードにたっぷり説教してもらうんだからね!」

ヒルダはそう言い放つと、フライクーゲルを軽々と肩に担ぎ直し、周囲の兵士たちが止めるのも聞かず、煙の中へとズンズンと進んでいった。

 

煙の中は確かに視界が悪く、時折鳴り響く爆音は不気味だったが、ヒルダの予想通り爆風も、飛んでくる破片も、そして何よりも危険な匂いも一切感じられない。ただ大きな音と、視界を遮る煙だけがそこにあった。

(やっぱりね。カシアン先生、相変わらず性格悪いわー。こんな子供騙しで、私たちの進軍を遅らせるつもりだったんでしょうけど、残念だったわね!)

ヒルダは内心でカシアンを罵りながら、煙の幕をあっさりと突破した。

 

「ほら、見たこと! やっぱり何ともないじゃない! ただの音と煙よ! さあ、みんな、こんなところで油を売ってないで、とっとと私についてきなさい! 遅れたら、ご飯抜きだからね!」

煙の向こう側から響くヒルダのその声に、後方で待機していた同盟兵たちは、半信半疑ながらも、恐る恐る煙の中へと足を踏み入れた。そしてヒルダの言う通り、何の危険もないことを確認すると、安堵の息を漏らし、慌てて彼女の後を追って進軍を再開した。士気は敵の罠を見破ったことで、むしろ高揚しているようにも見えた。

 

ヒルダは、そんな兵士たちの様子に、少しだけ満足そうな笑みを浮かべた。

(ま、たまにはこういうのも悪くないわね。私が先陣を切って、みんなを引っ張っていくってのも…ちょっとだけ、カッコイイかも?)

彼女が、そんな自己満足に浸りかけた、まさにその時だった。

 

木々の間から、無数の帝国兵たちが、まるで最初からそこに潜んでいたかのように、音もなく姿を現したのだ。彼らは既に弓を引き絞り、あるいは槍を構え、ヒルダたち同盟軍を完全な包囲態勢で待ち構えていた。

 

「なっ…!? 罠だったの!?」ヒルダの顔から血の気が引いた。あの音と煙は、やはりただの脅かしではなかった。帝国軍をこの場所まで誘い込み、油断させて包囲するための、巧妙な罠だったのだ。

 

「やられたわね!」ヒルダは即座に斧を構え直し、最も手薄に見える一点へと狙いを定める。

「みんな、怯まないで! ここを突破するわよ! 私に続けぇ!」

彼女は雄叫びを上げ、英雄の遺産の力を解放し、帝国兵の壁へと猛然と斬り込んだ。その一撃は凄まじく、数人の帝国兵が盾ごと吹き飛ばされる。

 

だがヒルダのその勇猛な突撃を阻むように、彼女が切り込もうとしたまさにその場所の煙の中から、突如として、ゴゴゴゴ…という地鳴りのような音と共に、異様な物体が姿を現した。それは、分厚い鉄板で全体を覆われ、まるで亀の甲羅か、あるいは小型の要塞のようにも見える、数台の巨大な荷車だった。荷車の後方には、数人の屈強な帝国兵が付き、まるで攻城兵器でも押し出すかのように、ゆっくりと、しかし確実に、その鉄の塊をヒルダたちの方へと押し出してくる。

 

「何よ、あれは!?」ヒルダは、その異様な荷車の姿に、一瞬動きを止めた。あんな兵器、見たことも聞いたこともない。

「こんな鉄クズ! 私がまとめてスクラップにしてあげる!」

彼女は気を取り直し斧を大きく振りかぶり、最も手前にあった荷車の鉄板目掛けて、渾身の一撃を叩き込んだ!

 

ガッッッッッッッッッッッッキィィィィィィィィィン!!!!!!!!

 

鼓膜が破れんばかりの凄まじい金属音が響き渡り、ヒルダの腕に強烈な衝撃が走る。しかし英雄の遺産による一撃を受けたはずの鉄板には、深い傷こそ刻まれたものの、破壊されるどころか、ひび一つ入っていない。荷車はその衝撃をものともせず、なおもゆっくりと前進を続けている。

 

「な…何なのよ、これ! 全然壊れないじゃない!」ヒルダは信じられないといった表情で、再び斧を振り下ろすが、結果は同じだった。鉄板は傷つくだけで、荷車の進撃を止めることはできない。

(まさか…これも、カシアンの仕業!? 本当にどこまで性格が悪いのよ、あの男は!)

ヒルダの脳裏に、あの忌々しい教師の顔が浮かぶ。

 

そしてその鉄の荷車は、ただ頑丈なだけではなかった。それらは複数台が横一列に並び、まるで巨大な鉄の壁のように、ヒルダたち同盟軍の進路を完全に塞ぎ、そしてじりじりと確実に彼らを後方へと押し戻し始めたのだ。なお荷車を押しているのはバルタザールとその部隊。彼も個人的な理由からヒルダを殺さないようにしつつ、任務を達成するために必死だ。その荷車の背後からは、帝国兵の弓矢が雨のように降り注ぎ、側面からも槍を持った兵士たちが迫ってくる。同盟軍は完全に包囲され、鉄の荷車によって、じわじわと狭い空間へと追い詰められていく。

 

「だ、ダメだ! 押し返される!」

「後ろは川だ! もう逃げ場がないぞ!」

同盟兵たちの間に、パニックが広がっていく。

 

そしてついにその時は来た。鉄の荷車は、最後の抵抗を試みるヒルダや同盟兵たちを、まるで巨大な雪掻き車が雪を押し出すように、容赦なく後方へと押しやり、そして――彼らの背後に広がっていた、デアドラの切り立った崖下、荒れ狂う波が打ち寄せる冷たい川の中へと、一人、また一人と突き落としていったのだ。

 

「きゃああああっ!」

「うわああああん!」

悲鳴と共に、多くの同盟兵が、重い鎧を纏ったまま、次々と暗い川の中へと姿を消していく。ヒルダもまた斧を握りしめたまま、鉄の荷車に押し出され、抗う術もなく、冷たい川の中へと叩き落とされた。

「ぷはっ! ごほっ、ごほっ…! な、何なのよ、もう! 最悪!」

ヒルダは、何とか海面に顔を出し、ずぶ濡れになった髪をかき上げながら悪態をついた。幸い、彼女は泳ぎには多少の心得があった。陸地まではそれほど距離もない。必死に手足を動かし、近くの岩場へと泳ぎ着こうとした、まさにその時だった。

 

ゴゴゴゴゴ……!!!

彼女の頭上で、再びあの地鳴りのような音が響いた。まさかとヒルダが恐怖に顔を引きつらせながら見上げると、そこには崖の上からあの忌まわしい鉄の荷車の一台が、バランスを崩したのか、あるいは意図的に突き落とされたのかゆっくりと彼女の真上へと落下してくる光景があった。

 

「うそでしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」

ヒルダの絶叫は打ち寄せる波の音と、遠くで続く戦いの喧騒の中に、虚しく吸い込まれていった。鉄の塊は一瞬にして彼女の視界を覆い尽くし、そして強烈な衝撃と共に彼女の意識を再び暗い水の底へと沈めていった。

 

 

 

 

デアドラの夜明けは鉄と血の匂いを纏い、三つ巴の激戦の舞台と化していた。東方より奇襲を仕掛けたパルミラ軍であったが、ベレスの神懸かり的な武勇と彼女に鼓舞された帝国軍の猛攻の前に、その勢いは瞬く間に削がれていった。ベレスの振るう天帝の覇剣は、パルミラの竜騎士が操るワイバーンの硬い鱗を紙のように切り裂き、湾曲した独特の剣を振るうパルミラの戦士たちを次々と薙ぎ払う。その姿は、かつてフォドラを救ったとされる女神の戦いぶりを彷彿とさせた。

 

「怯むな! 皇帝陛下と先生に続け!」

フェルディナントの勇ましい声が響き、カスパルは持ち前の突進力で敵陣に切り込み、ペトラは故国の戦士たちとは敵として対峙する複雑な想いを胸に秘めながらも、帝国の将として的確にパルミラの弓兵を射抜いていく。リンハルトは後方で欠伸をしながらも、的確な回復魔法と補助魔法で味方を支援し、ベルナデッタも恐怖に震えながら放つ矢が、何故か面白いように敵の急所に命中するという奇跡を見せていた。ドロテアの魔法は、戦場の喧騒の中にあって、兵士たちの疲弊した心に癒やしと勇気を与え、ヒューベルトはエーデルガルトの傍らで冷静に戦況を分析し、的確な指示を各部隊へと飛ばし続けていた。

 

パルミラ軍は、ナデル将軍の奮戦にも関わらず、ベレスという規格外の存在、そして結束した帝国軍の反撃の前に、徐々に戦線を維持することが困難になっていく。彼らが恐れていたカシアン開発の「爆弾」や「長距離弓矢」による組織的な攻撃こそなかったものの、ベレス一人、そして彼女に呼応する帝国軍の力は、それら秘密兵器がなくとも十分に圧倒的だったのだ。

やがてパルミラ軍の指揮官の一人がベレスの剣の前に倒れると、彼らの士気は完全に崩壊した。統制を失ったパルミラ兵たちは、蜘蛛の子を散らすように敗走を始め、あるいは武器を捨てて降伏する者も現れ始めた。エーデルガルトは追撃の手を緩めることなく、彼らをデアドラの海岸線から完全に駆逐するよう命じた。

 

一方パルミラ軍とは別ルートで軍港から打って出たヒルダ率いる同盟軍別動隊は、カシアンが仕掛けた鉄の荷車による恐るべき罠によって、その主力部隊の多くを海中に没し、ヒルダ自身も二度に渡り海に沈められるという散々な目に遭っていた。幸いにも、近くを通りかかった同盟の小舟に救助され、ずぶ濡れで意気消沈しながらも、なんとか軍港の奥深くへと撤退することには成功した。だが彼女の部隊は事実上戦闘能力を喪失し、クロードの描いた挟撃作戦の一翼は、ここに完全に潰えたと言ってよかった。

 

パルミラ軍を撃退しヒルダの別動隊も無力化した帝国軍は、ついにその全ての矛先を、デアドラ軍港の最深部に籠るクロードと、彼が率いる同盟軍本隊へと向けた。ベレスを先頭に、エーデルガルト、そして元黒鷲の学級の生徒たちが、まるで怒れる獅子の群れのように、軍港の複雑な通路や倉庫群を駆け抜けていく。

 

その頃帝国軍の本陣から少し離れた、戦闘の直接的な影響が及ばない小高い丘の上に、カシアンは一人、静かに佇んでいた。彼の足元には、先ほどまで彼が準備を進めていた「爆音玉」や「腐臭草」の材料が詰まった樽や袋が、出番を失ったまま無造作に置かれている。彼は、遠眼鏡を手に、デアドラ軍港で繰り広げられるであろう最終決戦の様子を、冷静に、しかしどこか達観したような表情で見守っていた。

(…ふむ、どうやら私の用意した『特別なおもてなし』は、クロード殿に届く前に、ベレスの活躍と、パルミラ軍の予想外の早すぎる敗走によって、完全にその必要性を失ってしまったようだな。まあ良いか)

カシアンは、そんなことを考えながら、頭巾の下で微かな笑みを浮かべた。彼の頭脳は、既にこの戦いの後、そしてフォドラ全体の未来を見据えて、次なる計算を始めている。戦場の勝敗がほぼ確定したと判断した彼は、遠眼鏡を置くと、今度は負傷した帝国兵が運び込まれている後方の救護テントへと、ゆっくりと足を向けた。

「さて、少しばかり『人助け』でもして、私の評判を上げておくとしますか。これもまた、将来のための重要な『投資』ですからね」

カシアンは、誰に言うともなくそう呟くと、救護テントの中で負傷兵の手当てに追われる衛生兵たちに、自身の持つ薬草の知識や、効率的な止血法、そして負傷者の心理的ケアなどを、淡々と、しかし的確に指導し始めた。その姿は、戦場の指揮官というよりは、むしろ風変わりな野戦医師のようでもあった。

 

デアドラ軍港の最深部、巨大な道具や船着き場が並ぶ広大な空間で、ついにクロードは、エーデルガルトとベレスによって完全に追い詰められていた。彼の周囲にはローレンツ、イグナーツ、レオニー、マリアンヌといった、かつての金鹿の学級の仲間たちが、それぞれ満身創痍ながらも、最後まで盟主を守ろうと武器を構えている。だが彼らの表情には、疲労と、そして拭い去れない敗北の予感が色濃く浮かんでいた。

「…はっ、ここまでか。大したもんだぜ、帝国さん、そしてベレス先生。あんたたちの強さは、俺の想像を遥かに超えていたようだ」

クロードは、愛弓フェイルノートを手に、しかしその弦を引くことなくどこか吹っ切れたような、それでいて悔しさを滲ませた表情で言った。彼の得意とする奇策や罠もベレスの圧倒的な力と、エーデルガルトの揺るぎない進軍の前に、ことごとく破られてしまったのだ。

 

「クロード…もう、終わりよ。これ以上の抵抗は無意味だわ」

エーデルガルトが斧を構えながら静かに、勝利を確信して告げる。

「武器を捨て、帝国に降伏なさい。そうすれば、あなたの命までは取らないと約束するわ」

その言葉にはかつての級友への皇帝としての最後の慈悲が込められていた。

 

ベレスもまた天帝の覇剣をクロードに向けながらもその瞳には深い悲しみの色を浮かべていた。

「クロード…これ以上続けるなら加減はできない」

 

クロードは二人の言葉に、そして周囲を取り囲む帝国兵たちの殺気にも臆することなく不敵な笑みを浮かべた。

「降伏、ねぇ…。そいつは、俺の性に合わねえ相談だな。だが…」

彼は、ゆっくりとフェイルノートを地面に置いた。そして両手を軽く広げてみせる。

「これ以上の血を流すのは確かに無意味かもしれねえ。俺の負けだ、エーデルガルト、ベレス先生。このデアドラは、あんたたちに明け渡そう」

その言葉は敗北宣言でありながら、どこか潔く、そして最後まで彼らしさを失わないものだった。ローレンツたちもクロードのその決断に、悔しさを滲ませながらも静かに武器を下ろし始めた。

 

エーデルガルトはクロードのその言葉に静かに頷いた。そしてベレスと視線を交わし、この長かったデアドラの戦いが、ついに終結したことを確かな安堵と共に実感するのだった。

空にはいつしか太陽が高く昇り、戦火に包まれたデアドラの港に、眩しい光を投げかけていた。それは、帝国の勝利を祝福するかのようでもあり、あるいは、これから始まる新たな時代の、不確かな未来を照らし出すかのようでもあった。

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