アイスナー領(旧カシアン領)の領主の館、その一番大きな執務室はフォドラ全土を覆う戦乱の喧騒が嘘のように、穏やかな午後の日差しと暖炉で静かにはぜる薪の音、そして二人の間に流れる静かで満ち足りた空気に包まれていた。
カシアンは執務机の上で領内の防衛網の再編と、新型ロングアーチのさらなる改良案に関する羊皮紙に目を通していた。彼の隣ではベレスが、カシアンが目を通し終えた書類に、領主代理として、そして今や彼の妻として滑らかな筆致でサインを書き加えている。彼女もまた戦場の女神としてだけでなく、一人の指導者として驚くべき速さで成長を遂げていた。カシアンが戦術と戦略という大局を担い、ベレスが兵士たちの訓練や領民との対話といった、人の心に寄り添う部分を担う。その絶妙な役割分担は、この領地に確かな安定と、兵士たちに揺るぎない士気をもたらしていた。
また時折カシアンが難しい顔で図面を睨みつけていると、ベレスが彼のカップにそっとハーブティーを注ぎ足す。カシアンがそれに気づき、「ありがとう」と短く呟くと、ベレスは嬉しそうに微笑んで再び書類にペンを走らせる。言葉は少なくとも二人の間には深い信頼と安らぎが確かに存在していた。
その裏でベレスはカシアンが「カシアン」とサインした書類を見つけると、「カシアン=アイスナー」と書き直させるなど、私情も混じっているが大した問題ではない。
そのあまりにも平和で二人にとっては何物にも代えがたい穏やかな時間を破ったのは、慌ただしい足音と切迫したノックの音だった。
「カシアン! 緊急の報告だ!」
許可を待たずに扉を開けて飛び込んできたのは、ユーリスだった。彼の顔にはいつもの皮肉めいた笑みはなく、珍しく焦りの色が浮かんでいる。
「どうした、ユーリス。そんなに慌てて。コルネリアの亡霊でも見たか?」
カシアンは、書類から顔を上げずに軽口を叩いた。
「冗談言ってる場合かよ、旦那!」ユーリスは一枚の羊皮紙をカシアンの机の上に叩きつけるように置いた。
「王国でとんでもねえ法律が制定、実行されたって情報が入った。あんたもこいつを見りゃあ、そんな軽口叩いてる余裕はなくなるはずだぜ」
その言葉にはカシアンの反応を予期しているかのような、悪戯っぽい響きすら含まれていた。
「ほう…?」カシアンはようやくユーリスのそのただならぬ様子に、興味を惹かれたように羊皮紙へと手を伸ばした。隣のベレスも心配そうにその羊皮紙を覗き込む。
羊皮紙にはファーガス神聖王国の王家の紋章が押され、厳格な書体で、ある法律の制定が布告されていた。カシアンはそのタイトルを目にした瞬間その動きがぴたりと止まった。
『王国全土における「禁酒法」の制定及び即時施行に関する布告』
「………………は?」
カシアンの口から間の抜けた声が漏れた。彼は信じられないといった表情で、その文字を何度も何度も見返した。そして、布告の詳細な内容を読み進めるうちに、その頭巾の下の顔からみるみるうちに血の気が引いていくのが、ベレスにもはっきりと分かった。
「馬鹿な……」
カシアンは呻くように呟いた。その声は震えていた。
「正気か、あの国は!? この戦乱の世において兵士たちの唯一の慰めであり、士気を保つための最後の砦とも言える酒を全面的に禁止するだと!?これは文明に対する冒涜だ! 狂気の沙汰としか思えん!」
カシアンは椅子から立ち上がり部屋の中を意味もなくうろうろと歩き回り始めた。その様子は、まるで檻の中の獣、禁酒を命じられたアル中のように落ち着きがなく、彼の合理的な精神が、この理解不能な事態によって完全に混乱していることを示していた。
ベレスはそんなカシアンの姿を興味深そうに見つめ、ユーリスから受け取った布告の付属資料へと目を移した。そこにはこの「禁酒法」が制定された王国側の公式な理由が、いくつか箇条書きで記されていた。
「カシアン、落ち着いて。王国側が発表した理由が書いてある」
ベレスはカシアンを宥めるように、その資料を読み上げ始めた。
「第一に、長引く帝国との戦争により、王国の国力は著しく疲弊し食料、特に穀物の備蓄にもはや余力がない。国民の食料を確保するため、酒類の醸造に使用される穀物の使用を国家として全面的に禁止する必要がある、と…」
「詭弁だ!」カシアンはその言葉を吐き捨てるように言った。
「食料不足は酒造を禁止したところで解決などしない! それは単なる経済政策の失敗であり、無能な為政者たちの責任転嫁に過ぎん! むしろ酒造業に関わる多くの人々の職を奪い、経済をさらに停滞させるだけの愚策だ!」
「第二に…」ベレスはカシアンの剣幕に少しだけ怯みながらも続けた。
「戦争の長期化に伴い、王国内の治安が悪化。特に飲酒に起因する兵士の軍規違反や、市民による暴力事件、喧嘩などが多発している。これ以上の治安悪化を防ぎ、社会の秩序を維持するため、一時的にではあるが酒類の流通と消費を禁止する、と…」
「これも馬鹿げている!」カシアンの怒りは収まらない。
「治安の悪化は戦争によるストレスと、将来への不安が根本的な原因だ! 酒はその捌け口の一つに過ぎん! それを無理やり塞き止めれば、溜め込まれた不満は、いずれもっと別のより歪んだ形で爆発することになる! なんという短絡的で非人道的な発想だ!」
ベレスは最後の、おそらく最も重要な理由を少しだけ言い出しにくそうに、読み上げた。
「そして、第三の理由として…現在、王国に身を寄せられている、セイロス聖教会のレア元大司教猊下が、この『禁酒法』の制定を、強く、強く後押しされた、と。その理由として『酒は人の理性を曇らせ、女神の教えに背く堕落の源である』という、かねてからの教会の公式見解に加え…」
ベレスはそこで一度言葉を切りカシアンの顔を窺うように見つめた。
「…『特にフォドラに混乱を撒き散らしているカシアン作成の高アルコールの酒、帝国資金源の一助としているという事実を断じて看過することはできない。彼が生み出す堕落の飲み物を、王国の敬虔なる民が手にすることを、断固として拒否するべきである』…と述べられたそうです…」
その瞬間カシアンの動きがぴたり、と止まった。部屋を支配していた彼の怒りのオーラが、すうっと消え失せ、代わりに絶対零度の氷のような静かで、しかし底知れないほどの冷たい殺気が、その全身から立ち上り始めた。
「……レア……」
カシアンの唇から、地獄の底から響くような、低い声が漏れた。
「あの女狐…! 私への個人的な嫌がらせのためだけに一国の民から、そのささやかな楽しみと、生きるための糧までも奪い取るとはな…! そしてその責任を、全てこの私に押し付けると…! やってくれる…! 実に、実に、面白いことをやってくれるじゃないか…!」
彼の肩がくつくつと、静かに震え始めた。それは怒りを通り越した、冷徹な愉悦の震えだった。
カシアンはゆっくりと執務机の椅子へと戻り、どっかりと腰を下ろした。そしてまるで今までの混乱が嘘であったかのように穏やかな、しかしその瞳の奥には悪魔的な光を宿した表情で呟いた。
「…ふふ、だがまあ、これで良かったのかもしれん。」
彼はユーリスとベレスの顔を交互に見つめ、そしてまるで最高の玩具を見つけた子供のような、無邪気で、しかし極めて悪辣な笑みを浮かべた。
「ユーリス、ベレス。これは、ビジネスチャンスだ。それもとびきり上等なね」
彼の頭脳は、レアへの個人的な復讐心と、生来の商魂、そして冷徹な戦略家の思考が完璧に融合し既に恐るべき計画を練り上げ始めていた。
「法律で禁止すれば、欲しがる者がいなくなる、とでも思ったか? 馬鹿め。むしろ逆だ。禁止されればされるほど、人はそれを渇望する。そしてそこには必ず『闇市場』が生まれる。王国とあの忌々しいレアに、経済戦争というものを、そして『需要と供給の法則』という、女神の教えよりもずっと確かなこの世の理を骨の髄まで叩き込んでやるとしよう」
カシアンはフォドラの地図を広げると、王国へと繋がるあらゆる密輸ルートの可能性を、その指先でなぞり始めた。彼の瞳には新たな戦いへの、そして巨万の富と、王国への最大級のダメージをもたらすであろう、壮大な「ビジネス」への、揺るぎない確信が燃え盛っていた。ベレスはそんなカシアンの横顔を呆れたような、どこか彼らしいと納得したような複雑な表情で見つめ、深いため息をつくのだった。この男の頭の中はやはり常人には理解できないらしい。
カシアンの執務室は彼の放った「ビジネスチャンス」という言葉によって、にわかに熱を帯びた。彼の瞳にはもはや王国への怒りやレアへの憎悪ではなく、目の前に現れた巨大で未開拓な市場に対する純粋な起業家精神と、そして敵国を内部から崩壊させるという冷徹な戦略家の愉悦が悪魔的な輝きとなって燃え盛っていた。
しかしそのカシアンの熱狂的な構想に冷静な水を差したのは、やはり現実を知る男、ユーリスだった。
「おいおい、カシアンの旦那。景気のいい話をしてくれるじゃねえか」
ユーリスは腕を組み、いつもの皮肉めいた、しかし的確な視点でカシアンを見据えた。
「だがな、あんたの言う『闇市場(ブラックマーケット)』ってやつを、この王国で、しかも今からゼロから作り上げるってのか? 下手をすりゃ準備だけで何年もかかるぞ。その前に戦争が終わるだろう」
ユーリスの指摘はもっともだった。闇市場とは、長い年月と、無数の裏切りと、そして血の匂いの中で、ゆっくりと育っていくものだ。今からそれを構築するなど、あまりにも非現実的に思えた。
だがカシアンはユーリスのその懸念を、まるで取るに足らないことであるかのように、鼻で笑い飛ばした。
「ふっ…ふっふっふ…」
カシアンの口から抑えきれない、そして心の底から楽しそうな笑い声が漏れた。彼は椅子から立ち上がると、執務室の隅に置かれた、一見するとただの古い革製のトランクへと歩み寄った。そしてまるで秘宝でも取り出すかのように、ゆっくりと芝居がかった仕草でその蓋を開けた。
「ユーリス、君の言う通りだ。ゼロから闇市場を築き上げるなどあまりにも非効率的で、時間の無駄だ。だが誰がゼロから作ると言った?」
カシアンはトランクの中から、一枚の禍々しい紋様が描かれた黒い布を取り出した。それは、シャンバラで彼らが鹵獲した「闇に蠢く者」たちが身に纏っていた、あの特徴的な魔術師の装束の一部だった。
「闇市場なら…我々が苦労して作り上げるまでもなく、既にこのフォドラに、完璧な形で存在しているではないか」
カシアンはその黒い装束を指し示し、悪魔的な笑みを浮かべて言った。
「タレスやソロンといった指導者こそ討ち取ったが、奴らの組織は、このフォドラの地下深くに、蜘蛛の巣のように張り巡らされている。彼らが長年かけて築き上げた、秘密の連絡網、物資の隠し場所。我々はそれをそっくりそのまま、拝借させてもらえばいい。これ以上の妙案が、どこにある?」
そのあまりにも大胆で悪辣な計画に、ユーリスですら一瞬言葉を失い目を見開いた。元敵のインフラを乗っ取り敵になりすまして、別の敵を攻撃する。それはまさにカシアンらしい常軌を逸した発想だった。
しかしそのカシアンの悪魔的な計画に静かに、しかしきっぱりと待ったをかけた者がいた。
ベレスだった。彼女は、カシアンが手に持つ「闇に蠢く者」の装束を、強い嫌悪感を滲ませた瞳で見つめていた。
「カシアン、その服は着たらダメ」
彼女の声は穏やかだったが、その奥には、決して譲れない鋼のような意志が宿っていた。
「仲間たちに、あの者たちと同じ格好をさせることは、私は許さない。彼らは多くの人を傷つけ、フォドラに悲しみをもたらした。それだけは絶対にダメ」
ベレスの言葉はカシアンの策略に対する純粋で、絶対的な倫理観からの拒絶だった。
カシアンはベレスのその真っ直ぐな瞳と彼女の言葉の裏にある深い悲しみ、そして彼女が決して譲らないであろうその一線を感じ取り、一瞬だけ本当にごく僅かな間だけ、狼狽したような表情を見せた。
「…うぐっ…」
彼は何か言い返そうとしたが、ベレスのその真剣な眼差しに結局は言葉を飲み込んだ。そして本日何度目か分からない深いため息をつくと、愛する妻の言うことには逆らえない夫のようにあっさりと、少しだけ不満げにその黒い装束をトランクの中へと戻した。
「……分かりました、ベレス。貴女がそう言うのなら、仕方ありません。確かにあの者たちになりすますのは、少々悪趣味が過ぎたかもしれませんね」
カシアンは驚くほど素直に、そして迅速に計画を修正した。
「では販路だけ活用させていただきましょう。奴らの組織は指導者を失い、今や統制の取れていない烏合の衆のはずだ。末端の売人や地方の連絡員に、我々が新たな『供給元』になったのだと信じ込ませ、彼らの既存のネットワークを乗っ取る。これならば、よろしいですね?」
彼はベレスの顔色を窺うように少しだけ上目遣いで尋ねた。
ベレスはカシアンのその修正案に、しばらくの間考え込んだが、やがて小さく頷いた。
「…うん。それなら、いい。でもカシアン。約束して。あまり危ないことはさせないで」
その言葉はカシアンへの最後の釘差しであり、彼を心から心配する愛情の表れだった。
「大丈夫ですよ、隠れて酒を売ってもらうだけですから。」カシアンは肩をすくめて答えた。そして彼は再び指揮官の顔に戻るとユーリスに向き直った。
「ユーリス、そういうわけだ。まずはシャンバラで確保した捕虜や資料から、奴らのネットワークの全容を洗い出せ。そして接触可能な末端組織のリストを作成し、我々が持ちかける『新しい商売』の準備を進めろ。帝国への正式な許可については、私からエーデルガルト陛下に直接話を通しておく。貴様は現場の手配を頼んだぞ」
カシアンの指示を受け、ユーリスはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「へっ、ようやく話が見えてきたじゃねえか、旦那。任せとけ。最高の『闇市場』を、この王国に作り上げてやるぜ」
数か月後。ファーガス神聖王国のとある都市、その裏路地。
戦禍の傷跡と、禁酒法による鬱屈した空気が、まるで澱のように溜まっている。一人の、まだ若い王国兵士が、周囲を何度も、何度も警戒しながら、その薄汚い路地裏の奥へと足を進めていた。その顔には、長引く戦争による疲労と、そしてこれから行う禁忌の行為への、罪悪感と期待が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。
彼は、一軒の、特に汚く、そして人の気配が全くしない建物の前に立つと、扉を、事前に教えられた合言葉のように、三度、短くノックした。
ギィ…と、錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉がわずかに開く。中から、フードを目深にかぶった、性別すら判然としない人影が、無言で彼を招き入れた。
兵士が中に足を踏み入れると、そこはカビと埃の匂いが充満する、薄暗い地下室だった。壁際には、いくつかの木箱が無造作に積まれているだけ。兵士は、ごくりと喉を鳴らし、震える声で切り出した。
「さ、酒を…酒を売ってくれ…! もう、限界なんだ…。あれがないと、俺たちはもう…明日、またあの地獄みたいな戦場に戻るなんて、考えられねえ…!」
彼の声は、懇願であり、そして悲痛な叫びだった。
フードの魔術師は、兵士のその言葉に静かに頷いた。
「…いらっしゃいませ。お客様、まずは、お落ち着きください」
その声は、若者のようでもあり、老人のようでもあり、不思議なほどに感情が読み取れない。魔術師は奥の木箱から、悪魔のラベルが貼られた、シンプルなガラス瓶を数本取り出し、テーブルの上に静かに置いた。琥珀色の液体が、ランプの頼りない光を受けて、妖しく揺らめいている。
「ご用件は、こちらでよろしいですかな?」
「ああ…そうだ…」兵士はその瓶に、まるで砂漠でオアシスを見つけた旅人のように、食い入るように見つめた。
「だが…本当に、本物なんだろうな…? 最近出回ってる、あの…頭が割れるみてえに痛くなるだけの、安物の密造酒じゃねえだろうな?」
魔術師はその問いに、ふっと息を漏らした。そしてテーブルの上の瓶の一つのコルクを、音もなく抜き放つ。途端に芳醇な、そして複雑で甘い香りが、薄暗い地下室に満ち満ちていった。魔術師はその瓶から数滴、液体をお皿に垂らし、マッチで火を起こす。そしてその液体を燃やし始めた。
「…ふふ。お客様。お判りいただけましたか?」魔術師は囁くように言った。
「これは、そこらの素人が作った密造酒などではございません。ましてや、一部の悪徳商人が、怪我の消毒に使う防腐処理用の薬液を水で薄めて売りさばいているという、あの忌まわしい代物でもありませんよ。これは…ある『悪魔』が、魂を込めて作り上げた、極上の逸品でございます」
兵士はその芳醇な香りと魔術師の自信に満ちた言葉に、ゴクリ、と大きく喉を鳴らした。もはや、疑う気持ちなど微塵も残っていない。
「…お代は、出せるのですかな?」魔術師が静かに鋭く問いかける。
「ああ…!」兵士は慌てて背負っていた麻袋をテーブルの上に置いた。中からは、ガチャガチャと重い金属音が響く。
「これだ! 王国の備蓄庫から、仲間たちと命がけでかき集めてきた! まだ新しい長剣が5本、鉄の盾が3枚、それに、これは貴族様用の…宝物庫から拝借してきた、銀の装飾が施された短剣だ! これで可能な限り…可能な限り、売ってくれ!」
兵士の瞳には狂気にも似た渇望が宿っていた。
魔術師は麻袋の中身を一瞥すると、フードの奥で満足げに頷いた。
「…素晴らしい。実に、素晴らしい『お代』でございます」
魔術師はテーブルの上の酒瓶を、まるで大切な宝石でも扱うかのように、一本、また一本と、兵士の差し出す麻袋の中へと、ゆっくりと収めていった。
「お客様の、そして貴方の仲間たちの、渇いた心と魂が、この『悪魔の雫』によって、少しでも癒されますように…」
その声は慈悲深い聖職者のようでもあり、あるいは人の魂を弄ぶ悪魔の囁きのようでもあった。
兵士は酒の詰まった麻袋を震える手で、何よりも大切な宝物のように固く抱きしめると、何度も何度も頭を下げ、そして逃げるようにして再び路地裏の闇の中へと消えていった。
後に残された魔術師は兵士が置いていった武器の山を冷ややかに、一瞥するとフードの奥でくつくつ、と静かな笑い声を漏らすのだった。
カシアンの仕掛けた経済戦争、そしてスパイ戦は、こうして王国の末端で静かに、その根を深く深く下ろし始めていた。