ガルグ=マク大修道院の地下に悪夢のような罠の迷宮が完成してから、1ヶ月の歳月が流れていった。カシアン自身もあれほど熱中して作り上げたトラップの数々の存在を日々の領地経営と、ベレスとの穏やかな生活の中で、半ば忘れかけていたほどだった。帝国のヒューベルトからの定期連絡によれば、王国はデアドラでの大敗とカシアン領から王国各地へとばら撒かれる「悪魔の囁き」(プロパガンダ印刷物)や密造酒などによって、その結束を著しく乱し大規模な軍事行動を起こせる状態にはないとのことだった。ディミトリら王国の生徒たちも治安と軍隊の維持だけで手一杯との報告もあった。
その日カシアンは自らの執務室でベレスと共に領内の農地拡大計画に関する地図を広げていた。
「…この川の上流に小さなダムを建設し、用水路を整備すれば、この一帯の不毛な土地も豊かな麦畑へと変えることが可能でしょう。食料の自給自足は長期的な独立の基礎ですからね」
カシアンがいつものように合理的な計画を語ると、ベレスは「うん、すごい。でも、ダムを作るのは大変そうだね。私が手伝うよ」と力強く頷いた。
その平和な日常を再び引き裂いたのは、血相を変えて執務室へと転がり込んできた一人の斥候兵だった。
「カシアン様! ベレス様! 大変です! 北の国境監視所から、緊急の狼煙が!」
斥候兵は、息も絶え絶えに叫んだ。
「セイロス騎士団です! あの、白銀の旗印…! レア元大司教と、雷霆のカトリーヌが、直々に騎士団の精鋭を率い、我がアイスナー領北部国境を突破! こちらへ向かって、進軍を開始したとの報せです!」
その報告を聞いた瞬間カシアンの顔から血の気が引き、ベレスの表情は一瞬にして戦士のそれへと変わった。レア。そしてカトリーヌ。忘れるはずもない、因縁の相手。アリアンロッドという大きな盾を失った今、彼女は自らの手で、この「異端の巣」を叩き潰しにきたのだ。
「…ユーリス! バルタザール! 全軍に非常招集をかけろ!」
カシアンの声は一瞬の動揺の後、すぐに冷徹な指揮官のそれに戻っていた。
「帝国軍本隊と合流する! エーデルガルト陛下にもただちにこの事態を報告し、迎撃の許可を要請しろ! 急げ!」
カシアンの号令一下アイスナー領はにわかに活気づいた。アビスの者たちと、この地で訓練を積んだ領民兵たちは驚くべき速さで武装を整え隊列を組んでいく。ベレスは天帝の覇剣をその手にカシアンは頭巾を目深にかぶり彼らは帝国軍との合流地点である、領地北部の広大な平原へと、全軍を率いて急行した。
平原には既にエーデルガルト皇帝自らが率いる帝国軍の精鋭部隊が、黒と赤の旗印を掲げ整然と布陣していた。その数カシアンの軍勢と合わせれば、レア率いるセイロス騎士団を遥かに上回る。兵力的に見れば帝国軍が有利だった。
やがて地平線の向こうから白銀に輝く一団が姿を現した。その数は帝国軍に比べれば遥かに少ない。だが一騎一騎から放たれる練度の高さと、何よりもその中心にいる二人の人物から発せられる圧倒的なオーラは、数の優位など何の意味もなさないのではないかと錯覚させるほどに強烈なものだった。
先頭に立つのは純白の戦装束に身を包みその美しい顔に女神のごとき威厳と底知れぬ怒りを浮かべたレア。その隣には獅子のような金色の髪をなびかせ、腰に差した英雄の遺産「雷霆」の柄に手をかけた、”雷霆”のカトリーヌが、鋭い視線でこちらを睨みつけている。
両軍は互いに数百メートルの距離を置いて対峙した。風が乾いた土埃を巻き上げ、戦場の緊張感を否応なく高めていく。
沈黙を破ったのはレアだった。彼女の声は魔力によって増幅され平原全体へと響き渡った。その声はかつての慈愛に満ちた大司教のそれではなく裏切られた神の怒りに満ちた宣告だった。
「ベレスッ!!」
レアはベレスの姿を認めるとその名を叫んだ。
「女神ソティス様の聖なる力をその身に宿しながら…あまつさえ、その力を帝国の覇道と、あの悪魔のごとき男のために振るうというのですか! なんと愚かで、そして救いようのない裏切り者! あなたのその穢れた魂は、もはや女神の器たる資格などありはしない!」
カトリーヌもまた雷霆を抜き放ち、その切っ先を帝国軍へと向けた。
「レア様を裏切り、フォドラを戦乱に陥れた不埒者どもめ! 今日こそ、このカトリーヌの雷霆にかけて神罰を下してくれる!」
彼女の瞳はレアへの絶対的な信仰と敵への純粋な敵意で燃えていた。
そのあまりにも一方的で狂信的な非難に対し、カシアンは馬上で頭巾の下で、ふっと息を漏らした。そして彼もまた自らの声を戦場へと響かせた。その声はレアの激情とは対照的に、どこまでも冷ややで、皮肉に満ちていた。
「これはこれは、レア元大司教猊下。教会の為に教師として働いていた私を裏切り、地下牢で餓死させようとしたことはもうお忘れになられましたか?」
「黙りなさい、異端のネズミがッ!」レアがカシアンのその挑発に激昂して叫んだ。
「ベレスに悪魔の考えを囁き、お母さまのための計画を破壊した罪は重い! !」
レアのその言葉にベレスは静かに首を横に振った。そしてカシアンの隣に馬を進めると天帝の覇剣を抜き放ち、その切っ先を真っ直ぐにレアへと向けた。
「レア。私は、私の意志でカシアンと共にここにいる」
ベレスの声は静かだったがその瞳にはもはや一点の迷いもない、鋼のような決意が宿っていた。
「歪んだ独善を振り回し皆を苦しめるのは止めて。」
ベレスのその言葉はレアにとって最後通牒に等しかった。レアの顔から全ての表情が消え失せ、代わりに純粋な殺意だけが浮かび上がる。
「…そう。ならば、もはや言葉は不要。ここであなたたち全員を神の御名において裁き滅ぼすまで」
その言葉を合図に両軍の間に張り詰めていた緊張の糸がついに断ち切られた。
「全軍、攻撃開始ィィィッ!!!」
エーデルガルトの高く力強い号令が戦場に響き渡る。
帝国軍の兵士たちが地鳴りのような鬨の声を上げ、セイロス騎士団へと殺到する。カシアンは冷静に迅速に、アビスの部隊と帝国軍の各部隊に指示を飛ばし最も効率的な包囲殲滅陣形を構築していく。
ベレスはカシアンの隣でただ静かにその全身から女神のオーラを放ちながら、レアとカトリーヌの二人だけを、その緑の瞳で見据えていた。
フォドラの未来をそして彼ら自身の運命を賭けた最後の戦いの一つが、今この広大な平原で激しく始まろうとしていた。
帝国軍とセイロス騎士団、両軍の鬨の声が平原を震わせ戦いの火蓋が切って落とされた。数の上で圧倒的に有利な帝国軍はエーデルガルトの的確な指揮と、ベレスという圧倒的な個の力の存在により、当初は戦局を優位に進めていた。アビスの者たちが側面から騎士団の陣形を巧みに切り崩し帝国軍の重装歩兵がその中央を押し上げていく。このまま数の暴力で押しつぶせるか――誰もがそう思い始めた、その時だった。
「―――我が敬虔なる子らよ」
戦場の喧騒の中レアの静かだが、力によって増幅された声が、セイロス騎士団の陣営に響き渡った。
「今こそ、その身を女神に捧げ、聖なる力の一端をその身に顕現させる時です。恐れることはありません。あなたたちに与えられるのは、苦痛ではなく、至上の悦びなのですから」
その声に呼応するようにセイロス騎士団の後方に控えていた、一見するとごく普通の、しかしその瞳に狂信的な光を宿した三人の信徒が一斉に天を仰ぎ絶叫を上げた。彼らの体は人間のものではないおぞましい音を立てて痙攣し骨がきしみ肉が引き裂かれ、見る見るうちにその姿を変貌させていった。皮膚は硬質な純白の鱗に覆われ手足は鋭い鉤爪を持つ強靭な四肢へと変わり、背骨は大きく湾曲して巨大な尾となる。それはガルグ=マクでレア自身が見せた「白きもの」への変貌を、小規模ながらも再現したかのような地獄の光景だった。
「グオオオオオォォォッ!!」
人の理性の大半を失いただ破壊と殺戮の本能だけを宿した三匹の竜と魔獣が混ざった化け物――地上を駆けることに特化したその異形の獣たちは、帝国軍の隊列へと大地を揺るがすほどの凄まじい勢いで襲いかかった!
「な、なんだ、あれは!?」「人間が…化け物に!」「ひ、怯むな! 槍を構えろ!」
帝国軍の兵士たちはそのあまりにもおぞましく冒涜的な光景に一瞬度肝を抜かれたが、すぐに体勢を立て直し勇猛に迎え撃った。しかし化け物と化した元信徒たちの力は常軌を逸していた。兵士の盾は紙のように引き裂かれ分厚い鎧もその鋭い爪牙の前には意味をなさない。一匹が暴れるだけで帝国軍の一隊が混乱に陥り、その陣形に大きな穴が空いていく。
数的有利はこの三匹の化け物という規格外の「駒」の出現によって、瞬く間に覆された。戦いはどちらが先に崩れるか分からない、一進一退の激しい消耗戦、互角の戦いへとその様相を変えてしまった。
カシアンは後方の小高い丘の上から馬上でその戦況を冷静に、内心では焦りを覚えながら見つめていた。
(人の体を変質させ竜と魔獣の混ざりものへと変える…だと? まさかあれほどのことをこうも容易く…! レアめ、やはり常識が通用する相手ではない…!)
そのカシアンの思考が目の前の戦局に集中していた、まさにその一瞬の隙をレアは見逃さなかった。
「カシアンッ!!」
憎悪に満ちた声と共にレア自身がまるで白い流星のように、三匹の化け物が作り出した混乱の隙間を縫ってカシアンが陣取る本陣へと一直線に突っ込んできた! その速度は神速。彼女の行く手を阻もうとした帝国兵たちは彼女の振るう剣の一閃でなすすべもなく薙ぎ払われていく。
「…っ!」
カシアンの近くで常に彼を守護するように戦っていたベレスが即座に反応した。彼女は天帝の覇剣を抜き放ち、カシアンの前に立ちはだかるようにしてレアを迎え撃つ。
キンッ!という甲高い金属音と共に、二人の剣が激しく火花を散らす。レアの剣技はもはや人間のそれではなく、一撃一撃が必殺の威力を秘めていた。ベレスはその猛攻を女神の力を全開にして必死で受け止め、捌き、押し返す。
戦場の喧騒の中心でまるでそこだけ時間が止まったかのように、レアとベレスは互いの瞳の奥にある憎悪と、決して譲れないものを確かめ合うかのように激しく睨み合った。
カシアンはベレスの背後に守られながらも目の前のレア、そして遠くで暴れ回る三匹の白い化け物をその分析的な瞳で見据えていた。
「…あの化け物は貴様の力か、レア。それとも教会が秘匿してきた何らかの遺物か…」
カシアンの呟きは純粋な戦術的疑問だった。しかしその言葉はレアの耳に確かに届いていた。
レアはベレスの剣を弾き返し一歩後退すると、カシアンに向かって歪んだ恍惚とした笑みを浮かべた。
「ふふふ…小賢しい盗人にしては、良いところに気がつきましたね」
彼女の声は勝利を確信した者のように愉悦に満ちている。
「私の血を少々と、紋章石を大目に…それを強い信仰心を持つものへ与えることで、『進化』させることができるのです。彼らは女神のためにその身を捧げ、戦うという至上の悦びを感じながらその命を美しく燃やし尽くす。…なんと、なんと幸せなことでしょう!」
その言葉は慈愛に満ちた聖母のそれではなく自らの信者をただの兵器として使い潰すことへの何の躊躇も感じさせない狂信者の論理だった。
カシアンはそのあまりにも冒涜的な思想に頭巾の下で深い侮蔑と怒りを込めて言い返した。
「幸せ、だと…? 貴様のその歪んだ自己満足のために人の命とその尊厳を踏みにじり、ただの化け物へと変える…それを幸福と呼ぶか、この狂信者が! 貴様のやっていることは、『闇に蠢く者』たちの所業と、何一つ変わらんぞ!」
カシアンのその言葉にレアの表情から笑みが消え再び氷のような冷たい怒りが宿った。
「黙りなさい、ネズミ風情が。貴様のような女神の恩寵も信仰の気高さも理解できぬ者に、私の大いなる悲願が分かってたまるものですか。」
レアはベレスとカシアンを交互に睨みつけ、そして彼女の真の最も絶望的な目的を、ついにその口にした。
「ええ、そうです。私の悲願はただ一つ…我が母上、女神ソティスを、このフォドラの地に再び完全なる形でお迎えすること。そのためならば全てを捧げる覚悟です。」
彼女の瞳はもはや正気の光を失い、ただ母への狂信的な愛だけで燃え盛っていた。
「そしてその大いなる計画を邪魔する貴様のような存在は、本来であればもっと早く確実に排除しておくべきだった! 貴様がこのフォドラにばら撒いた知識! あれらが私の計画を、フォドラの秩序をどれほど狂わせたことか!」
レアの絶叫が戦場に響き渡る。
「故に私も決めました。もはやエーデルガルトや貴様らの首を刎ねるだけでは生ぬるい。貴様らの未来そのものを、一度根絶やしにする必要がある、と。そう、帝国も、同盟も、そしてそこに住まう愚かな民草も全て、この私の手で破壊し更地にした上で新たなる母上の楽園をこのフォドラに創造します!」
その言葉はもはやフォドラの支配者でも聖職者でもない。ただ自らの願いのためだけに世界そのものを破壊し、作り変えようとする、狂気の神の宣告だった。
カシアンはそのあまりにも壮大であまりにも自己中心的な狂気に一瞬だけ言葉を失った。だがすぐに彼は揺るぎない決意を込めてレアに最後の言葉を投げかけた。
「…母の復活、か。馬鹿馬鹿しい。貴様はただ己の千年に渡る孤独と、満たされることのない愛情への渇望を癒すためだけに、このフォドラ全土を過去の幻影の中に無理やり閉じ込めようとしているに過ぎん!親を亡くした子供など私を含め多くのものが経験しているが、そこから動けずに妄執しているのは貴様だけだ。」
カシアンはベレスの隣に立ち彼女と肩を並べた。
「我々人間は不完全で愚かでそして過ちばかりを繰り返す存在かもしれん。だがそれでも我々は自らの知恵と力と、そして時にはこのような愚かな争いを経てでも、自分たちの手で未来を切り開いていくのだ! 貴様のような独りよがりの神もどきに好きにさせるものか!」
カシアンのその言葉は人間としての、そしてベレスと共に未来を歩むと決めた一人の男としての揺るぎない決意表明だった。その言葉に呼応するかのように、ベレスも天帝の覇剣を固く握りしめレアを睨み据える。
平原に三匹の白い化け物の咆哮と帝国兵たちの怒号、剣戟の音が鳴り響く。戦いの趨勢は化け物という規格外の存在の出現によって完全に膠着し、互いに決定打を与えられぬまま、ただ無益な血が流れ続けていた。
その戦場の中心、カシアンとベレス、そしてレアが対峙する一角は嵐の目のような異様な静寂と緊張感に包まれていた。レアの瞳は母を冒涜され、自らの悲願を嘲笑されたことへの、もはや狂気とも言える怒りの炎で燃え盛っている。彼女の全身から放たれる魔力は今にも暴発しカシアンとベレスをその存在ごと消し去らんばかりに膨れ上がっていた。ベレスもまた天帝の覇剣を固く握りしめ、一歩も引くことなくレアを睨み据える。今、まさにフォドラの未来を左右するであろう二つの巨大な力が、激突しようとしていた。
その張り詰めた糸がぷつりと音を立てて切れようとした、まさにその瞬間だった。
「レア様! レア様! ご報告、申し上げます!」
戦場の喧騒を切り裂くように一人のセイロス騎士が、文字通り血路を開いて、レアの元へと転がり込むようにして駆け込んできた。その騎士の白銀の鎧は土と血で汚れ、肩口には帝国兵の斧によって刻まれたであろう深い傷が生々しく息も絶え絶えだった。しかし彼の瞳にはそれ以上の信じがたい、絶望的な何かを目の当たりにした者の恐怖の色が浮かんでいた。
「何を騒いでいるのです! 私は今、この異端者どもに天誅を下さんと…!」
レアはこの重要な局面を邪魔されたことに、苛立ちを隠さずに叱咤した。
「も、申し訳ございません! ですが一刻も早く、お伝えせねばならぬのです!」
伝令の騎士は、ぜえぜえと荒い息を繰り返しながら震える声で、その悪夢のような報告を続けた。
「セテス様が…! セテス様が率いておられた、ガルグ=マク大修道院への奇襲部隊が…!…ぜ、全滅、いたしました…!」
「―――なんですって?」
レアの、そしてその場にいたカシアンやベレス、さらには近くで戦況を見守っていたエーデルガルトたちの動きが完全に止まった。
伝令の騎士はもはや涙ながらにその惨状を語った。
「我々はレア様よりお預かりした古地図に基づき、秘密の地下経路よりガルグ=マクの心臓部へと進軍いたしました。ですが…ですがそこはもはや人の手によるものとは思えぬ悪魔の所業としか思えぬ罠の巣窟と化しておりました! 通路は至る所で崩落し、濁流が我々を飲み込み、壁からは炎が噴き出し、そして…どこからともなく飛んでくる無数の矢と、鼓膜を破るような轟音…! 我々は敵の姿すらまともに見えぬまま一人、また一人と…!」
彼の声は恐怖で完全に裏返っていた。
「セテス様は最後まで我々を導こうと奮戦なさいましたが…脱出路もまた、巧妙な仕掛けによって偽装されており退却すら叶わず…。多くの者がその場で捕らえられたか、あるいは…! 生き残ってここまで辿り着けたのは、私を含めわずか数名にございます…!」
「セテスが…? あの、セテスが、全滅…? 馬鹿な…ありえない…」
レアはその報告が信じられないといったように、力なく首を横に振った。その顔から先程までの神々しいまでの威厳と怒りは消え失せ、ただ純粋な驚愕と動揺が広がっている。彼女にとってセテスやフレンは単なる仲間ではない。最も信頼し共に長い時を過ごしてきたかけがえのない存在だったのだ。
レアはわなわなと震える指でカシアンを指差した。その瞳にはもはや怒りというよりは恐れに近い感情すら浮かんでいた。
「…あなた、なのですね…。これも、これもまたあなたの仕業なのですか、カシアン…!」
その問いは非難というよりはむしろ目の前の男の底知れない知略とその非情さに対する戦慄の確認作業のようだった。
カシアンがその問いにどう答えようか頭巾の下で思考を巡らせるよりも早く、後方から追いついてきた、黒鷲の学級の元生徒たちの声が誇らしげに響き渡った。
「その通りだ、レア!」
フェルディナントが馬上で胸を張り朗々と叫んだ。
「我らが帝国軍カシアン卿の深謀遠慮、貴様のような過去の栄光にすがるだけの浅知恵で見抜けるものか! 貴様らがその汚れた足でガルグ=マクを再び踏みにじることなど、我らがカシアン卿は、とうの昔に、全てお見通しだったのだ!」
「ふん、愚かなことだ。陛下とカシアン卿の敷かれた盤面の上で、踊らされていることにも気づかぬとはな」
ヒューベルトもまた冷ややかに満足げに言い放った。
「そう、カシアンはあなたたちの浅知恵なんてお見通し。」
事情と経緯を知るベレスまでが少し笑みを浮かべ、追撃で悪ノリしている。
カシアンは味方であるはずの彼らの、そのあまりにもタイミングの良い、そして事実とは異なる賞賛の言葉に、頭巾の下で、冷や汗が背筋を伝うのを感じていた。
(うーん、私はただあの夜、酔っ払って勢いで言ってしまっただけ。 だがこれではもう、本当のことは誰にも言えんなぁ…!)
カシアンからすれば考えなしで買った馬券で偶然大勝したもの。カシアンは内心の考えを必死で押し殺すと自らの羞恥と気まずさから逃れるかのように、被っていた頭巾を、さらに深く深くその顔が完全に影に隠れるまで引き下ろした。
レアはベレスたちの言葉と何よりもカシアンのその不可解な沈黙を彼の揺るぎない自信と自らへの嘲笑だと受け取った。彼女の肩がわなわなと震え始めた。それは怒りからか、あるいは自らの計画がこうも完璧に打ち破られたことへの深い絶望からか。
「…やむを得、ません…」
レアは絞り出すようにそう呟いた。そして戦場に響き渡る声で、最後の命令を下す。
「白き獣たちよ! あなたたちの命、今こそ女神のために捧げる時です! 殿を務めなさい! 私がそして騎士団の者たちがここから安全に離脱するまでの、尊き礎となるのです!」
三匹の化け物はその命令に最後の理性を振り絞るようにして頷くと、帝国軍の前に立ちはだかり、その進路を完全に塞いだ。
レアはカシアンとベレスとエーデルガルトを、心の底からの憎悪を込めた瞳で、最後に一睨みすると残存するセイロス騎士団の兵士たちに撤退を命じ、その姿を戦場の混乱の中へと消していった。その背中はかつての絶対的な支配者のものではなく、全てを失い傷つき、それでもなお復讐を誓う哀れな敗残兵のそれのように見えた。
「敵将レア、撤退! 追撃の好機だ!」
「いや、待て! あの化け物どもが邪魔だ!」
帝国軍の兵士たちの間に一瞬の動揺が走る。
エーデルガルトがその混乱を断ち切るようにアイムールを高く掲げ叫んだ。
「怯むな! 敵の首魁は逃したが、勝利は我らにあり! 残るはあの化け物どもだけだ! 全軍、あの三匹の化け物を討伐し、この戦いに完全なる勝利を刻むのだ!」
「「「オオオオオオッ!!」」」
皇帝のその言葉に、帝国軍の兵士たちの士気は再び燃え上がった。彼らは残された三匹の化け物へと、勝利を確信した雄叫びと共に、最後の総攻撃を開始するのだった。カシアンはその光景を頭巾の下でぼんやりと一人、酒を飲んだら今日の出来事を忘れられないかなと考えていた。