道徳以外を教えます   作:マウスブン

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注意:R-15 女神の血と紋章石に関しては独自設定です。


救済

ディミトリの最後の抵抗が、夜の森の闇へと消えてから一時間。レア率いるセイロス騎士団は王都フェルディアに残っていた最後の防衛部隊を教会の知る裏口より打ち破り、その旗を王城の最も高い尖塔へと掲げた。レアたちが急いだかいがあり、教会が裏切ったと情報が王都の民衆に広める前に潰すことができた。王都は完全に彼女の、教会の支配下に落ちたのだ。

 

街には混乱と恐怖が渦巻いていた。王城から響き渡った戦闘の轟音、そして王都の王国軍が壊滅したという絶望的な噂、そして短時間とはいえ王都での戦闘。民衆はこれから自分たちの身に何が起こるのか分からず、ただ右往左往し家財をまとめて逃げ出そうとする者、あるいは家に閉じこもり、息を殺して嵐が過ぎ去るのを待つ者たちで溢れていた。

 

そのパニックの頂点に達した王城前の広場に、レアはゆっくりと姿を現した。彼女は王城のバルコニーに立ち、眼下でざわめく数千の民衆を静かにその全てを見透かすかのような眼差しで見下ろした。その表情には勝利の傲慢さではなく、むしろフォドラの未来を憂う慈愛に満ちた聖母のような、深い悲しみの色が浮かんでいた。それは彼女が長年かけて培ってきた人々を魅了し、支配するための完璧な仮面だった。

 

「静まりなさい、ファーガスの民よ」

レアの声は魔力によって増幅され広場の隅々にまで、静かに響き渡った。その声には不思議な力がありパニックに陥っていた民衆の動きを止めた。

「私はセイロス聖教会大司教、レア。あなたたちに伝えなければならない、悲しい真実があります」

 

レアは芝居がかった仕草で一度目を伏せ、そして悲痛な表情で語り始めた。

「あなたたちの敬愛する王、ディミトリ王は…そして彼の忠実なる僕、ロドリグは、先程帝国軍との激しい戦いの中で我々を、そしてこの王都を守るためその尊き命を散らされました」

その言葉に民衆の間から悲鳴と嗚咽が上がる。

 

「彼らは最後まで勇敢に戦いました。ですが敵の力はあまりにも強大だった。そして何よりも…この王都の内部にまで帝国と通じ、我らを裏切った者たちがいたのです。その卑劣な裏切りによって我々は多くの兵を失い、ディミトリ王もまたその命を落とすことになった。…私や教会もまたこの戦いで、数えきれないほどの、敬虔なる信徒と兵士を失いました。この悲しみはあなたたちと、そして私と何ら変わることはありません」

レアは自らもまた被害者であると語ることで民衆との間に巧みな共感と連帯感を生み出そうとしていた。

 

「ですが!」

レアの声が力強く熱を帯びる。

「ですが、嘆き悲しんでばかりはいられません! このような悲劇の中にあっても、女神は我らを見放してはいなかった!」

彼女はバルコニーの壇上へと一人のセイロス騎士を招き入れた。その騎士は若いがその瞳には狂信的なまでの光を宿していた。

「見なさい、フォドラの民よ! 女神が我ら信じる者に与え給うた奇跡の姿を!」

 

レアがそう叫ぶと騎士は天を仰ぎ絶叫した。彼の体がおぞましい音を立てて変貌を始める。その姿は人のものではなく、純白の鱗と鋭い爪を持異形の「白き獣」へと、民衆の目の前で見る見るうちに変わっていったのだ!

 

「ひぃぃっ!」「ば、化け物!?」

民衆から恐怖の絶叫が上がる。だがレアはその反応すらも、自らの脚本の一部であるかのように、さらに声を張り上げた。

「恐れることはありません! これこそが、女神の聖なる加護! 彼女を信じ、その身を捧げる者にのみ与えられる、新たなる力、新たなる姿なのです! この力があれば我々は帝国を打ち払い、フォドラに真の平和を取り戻すことができる! 信じる者こそ救われるのです!」

 

レアのその言葉は狂信的な演説は、恐怖に打ちひしがれた民衆の心に甘い毒のように染み込んでいった。

 

「さあ、我が声を聞き、そして女神の御業を目の当たりにした善良なる市民たちよ! 信仰深き者たちよ! あなたたちの王が遺したこの国を、そしてフォドラの未来をあなたたち自身の手で守りたくはないのですか!? 今こそ教会と共に立ち上がる時です! その身を女神に捧げ、この聖なる戦いに加わる覚悟のある者は、この王城の前へ!」

 

レアのその呼びかけに民衆の反応は三つに分かれた。

ある者たちはその狂気と目の前の化け物の姿に本能的な恐怖を感じ、我先にと王都から逃げ出した。またある者たちはどちらにも与せず日和見を続けることを選んだ。

 

だがそれでもなお。

長引く戦争に疲れ果て救いを求める者たち。レアの言葉と目の前の「奇跡」に、最後の望みを見出した敬虔な信者たち。帝国への恨みを果たさんとする者。そしてこの混乱に乗じて、新たな力を手に入れようと画策する野心家たち。

レアの計画にとって十二分に必要な数の人間が、まるで何かに引き寄せられるかのように、次々と王城の前へと集い彼女の前に跪き始めた。その瞳には恐怖と狂信的な光が不気味に渦巻いていた。

 

レアはその光景をバルコニーの上から満足げに見下ろしていた。彼女の歪んだ「救済」の計画は、この王都フェルディアで新たな恐ろしい段階へと、その歩みを進めようとしていた。

 

 

 

 

王都フェルディアの広大な王城前広場は、もはや祝賀の場ではなく狂信と絶望が入り混じった、巨大な儀式の祭壇へとその姿を変えていた。レアの演説と目の前で繰り広げられた「奇跡」に心を奪われた、あるいは追い詰められた市民たちが、長い長い列をなして、彼女の元へと吸い寄せられるように集まってきていた。

 

レアによる市民への「救済」が、始まったのだ。

 

その方法はかつて彼女が信頼篤い教会の幹部たちに施した儀式とは、似て非なるものだった。以前は彼女自身の「聖なる血」と、聖墓に眠る紋章石の欠片を、それぞれ十分な量与えることで、被験者の肉体と魂を、より神聖な存在へと「進化」させていた。

 

だが今彼女の前に集ったのは多くの民。彼ら全てに十分な量の自らの血を与えることなど、たとえ女神の眷属であるレアをもってしても不可能だった。彼女の力もまた、無限ではない。

故に彼女は非情にして合理的な、そしてあまりにも冒涜的な手段を選択した。

 

祭壇にはいくつもの聖杯が並べられている。その中にはレア自身の血がごく、ごく少量だけ注がれていた。そしてそれに加えられていたのは、先日の戦いで命を落とした、あの白き獣へと変じた教会幹部たちの亡骸から無理やり搾り取られた血だった。死せる同胞の亡骸すら彼女は自らの計画のための「資源」として、何のためらいもなく利用したのだ。

その生と死が混じり合った禍々しい液体に王国に残されていた、ありったけの紋章石の欠片が粉末状にされて惜しげもなく投入された。レアの血による「神聖」の担保を最小限に抑え、その不足分を紋章石という純粋な魔力の塊で強制的に補う。それは何の力も持たない被験者の肉体と精神にどれほどの負荷がかかるかなど、一切考慮されていない、あまりにも乱暴で危険な賭けだった。

 

「さあ、こちらへ。女神の祝福を、その身に受けなさい」

儀式を執り行う司祭は感情を殺した声で、列をなす市民を一人、また一人と手招きする。彼らは恐れと、そして狂信的な期待が入り混じった表情で聖杯を受け取ると、その中身を一気に呷った。

 

そして地獄の釜が開いた。

 

「ぐ…あああああああああっ!」「あ、熱い! 体が…!体が内側から焼けるようだ!」「助けて…!助けてくれぇぇぇっ!」

悲鳴と絶叫が広場の至る所から同時に上がり始めた。聖杯を呷った者たちの体は、激しい痙攣を起こし、骨がきしみ、肉が裂けるおぞましい音と共に、その形を急速に変えていく。ある者は皮膚が鱗のように硬質化し、ある者は背中から歪な翼のようなものを生やし、またある者は、人の顔のまま、その手足だけが獣のそれへと変貌していく。

 

結果救済の儀式が終わり、その場に立っていた市民は、元の数の数割にも満たなかった。多くの者がその急激で強引な肉体変貌に耐えきれず、絶叫の中で肉塊と化し命を落としたのだ。元よりただの人間には過ぎたる力、運悪く与えられた紋章石が多すぎた、レアや死んだ白き獣の血が少なかった、死んだ理由なんぞそんなものだった。

そして生き残り、新たな「力」を得た者たちの姿もまた、レアが語った「聖なる姿」とは程遠いものだった。かろうじて白き獣、竜に近い姿を体の一部持っていたが、その大半は人の部位と獣の部位が悪夢のように無秩序に融合した、おぞましい「化け物」でしかなかった。

 

その光景を目の当たりにし儀式を受けるのを待っていた市民たちの中からも、悲鳴を上げて逃げ出す者たちが現れ始めた。

「化け物だ!」「女神の祝福なんかじゃない! あれは呪いだ!」「逃げろ! 殺されるぞ!」

彼らは愛する家族や友人が目の前でおぞましい怪物へと成り果て、あるいは無残な死を遂げた現実にようやく目を覚ましたのだ。

 

だがそれでもなおその場に留まり、震えながらも、目の前の現実を受け入れようとする市民たちも一部だがまた数多く存在した。

「だ、大丈夫だ…私は、あれほど苦しい思いをしたんだから、きっと大丈夫なはずだ…」

「そうだ、私たちは頑張ったじゃないか…女神様は、きっと見ていてくださる…」

「あれは…あれは、きっと何か意味があることに違いない。そうだ、信仰が試されているのだ。私たちは信じなければ…」

彼らは自らが下した決断を、そして失ったものの大きさを正当化するために、必死で自分自身にそう言い聞かせ目の前の地獄絵図から目を背け、狂気にも似た自己暗示の中に救いを求めていた。

 

レアはその混沌とした光景をバルコニーの上で、目を閉じて最後の決意を固めていた。教会のフォドラ支配を脅かす人、技術、思想は長い間排除してきた。だがレアは一度カシアンを殺し損ねてしまった。手緩い事をした、なぜ自分は余裕を見せてしまったのかと後悔し考え続けた。だからこそ今回は一切の妥協も躊躇もなく使えるものは全て使い、長い間準備してきたのだ。そして誰にも相談できずに一人で決断したのだ。

 

レアは目を開けると動揺する民衆に向かって再びその声を響かせた。

「静まりなさい、我が子らよ。これは試練です」

彼女の声は穏やかだったが、その瞳には何の慈悲もなかった。

「女神はあなたたちの信仰の深さを、今、試しておられるのです。この程度の苦痛や変化に心を乱されるようでは、真の祝福を得ることはできません」

 

そして彼女はおぞましい姿へと成り果て、新たな力に戸惑い、あるいは悦びを感じている「元市民」たちに向かって優しく、有無を言わせぬ口調で告げた。

「あなたたちも何も恐れることはありません。その姿は真の栄光へと至る、ほんの始まりに過ぎないのですから。これからもその身に宿した力を女神のために、そしてこの教会の正義のために尽くし、その信仰を示し続ければ…いずれ必ずあなたたちもまた、真に気高い、正しい竜の姿へと至ることができるでしょう。私がそれを約束します」

 

レアのその言葉は化け物となった者たちにとって唯一の希望であり、そして逃れることのできない呪縛となった。彼らは自らの醜い姿をいつか救われるための「過程」なのだと信じ込みレアへの絶対的な忠誠を、その異形の魂に深く刻み込む。化け物となり何かに飢えているのを自覚しながらも、必死に人としての矜持やセイロス教の教義で抑え込んだ。

 

王都フェルディアは、その日人の都ではなくなった。それはレアという狂気の神が君臨しその歪んだ信仰によって生み出された、おぞましい化け物たちの巣窟へと、完全に姿を変えていったのだった。

 

 

 

 

王都フェルディアの北、その一角にある指揮官用の簡素な建物の中で、シルヴァンは一人静かに思考の海に沈んでいた。部屋の空気は、彼自身の深い絶望と抑えきれない怒りによって鉛のように重く、そして冷え切っていた。

 

つい先ほどディミトリの最後の戦いに同行し、奇跡的に生き延びたという数名の少年兵たちが、この陣地へとたどり着いたのだ。彼らは涙と泥にまみれながら王都へ向かったディミトリの部隊とレア率いる教会軍との間で起こった、あまりにも一方的で悲劇的な戦いの顛末を途切れ途切れの言葉で語った。そしてその証拠としてディミトリが最後までその身に着けていたという、王家の紋章が刻まれた装飾品を震える手でシルヴァンへと差し出した。

その後の教会による王都での演説の内容と少年兵たちの悲痛な証言。それらが組み合わさった時ディミトリの死はもはや疑いようのない冷たい事実となってシルヴァンの胸に突き刺さった。

 

「…レア…ッ! あの女狐め…!」

シルヴァンは誰に聞かせるともなく低い声で悪態をついた。その握りしめた拳は怒りのあまりわなわなと震えている。王国を裏切り民を欺き、彼の幼馴染であり主君であったディミトリをあのような形で死に追いやった。その罪は万死に値する。

 

だが怒りに身を任せているだけでは何も解決しない。これからどうするか。シルヴァンは部屋の中を苛立たしげに歩き回りながら、自らが置かれた絶望的な状況を、冷静に分析し始めた。

 

まず地理的な問題だ。自分とこの地に残されたゴーティエの兵、そして王国軍の残党たちは完全に王都の北に取り残されている。レアの支配下に落ちた王都を抜け、南の帝国軍へと大勢を引き連れて亡命することなど不可能だ。レアは自身に従わない王国兵を練兵も兼ねて叩き潰している。途中で発見され殲滅されるのが関の山だろう。

 

では教会に与するのか? 馬鹿げている。ディミトリを仲間たちを殺したあの狂信者たちの軍門に下ることなど、彼のプライドが何よりもディミトリへの友情が決して許さない。

 

ならばこの地で徹底抗戦するか? それもまた無謀な選択だった。報告によればレアは人の理を超えた「化け物」の軍勢を生み出し始めているという。今の自分たちの疲弊した戦力では、まともな防衛戦すら長くは持つまい。ただ無駄に兵を死なせるだけの、犬死になるのがオチだ。

 

(…詰み、か)

シルヴァンは自嘲気味な笑みを浮かべた。どの道を選んでも待っているのは破滅だけ。この領地に立てこもり、嵐が去る以上の解決策がない。彼は一晩中部屋の中を歩き回り、あるいは地図を睨みつけ打開策を模索し続けた。だが夜が明け東の空が白み始めても、彼の頭には何一つ良い案など浮かばなかった。

 

疲労困憊で彼は椅子にどっかりと腰を下ろした。テーブルの上には少年兵が届けてくれた、ディミトリの銀の装飾品が朝の光を受けて鈍く輝いている。シルヴァンはそれを手に取り彼の最期を思った。あの真面目で不器用で、そして誰よりも仲間を想っていた男。彼は一体何を思い、何のために死んでいったのか。

 

その時シルヴァンの視線がふと部屋の片隅に無造作に置かれていた一本の酒瓶を捉えた。それは以前、カシアンの領地から流れてきた密造酒の一つだった。瓶に貼られた粗末なラベルには悪魔が舌を出しているかのような、悪趣味な印が描かれている。

 

その酒瓶を見た瞬間まるで天啓を得たかのように彼の心の中に、一つのあまりにも大胆で、そしてあまりにも彼らしい「策」が形作られ始めた。

 

「…俺なら、できるかもな」

 

シルヴァンは誰に言うともなくぽつりと呟いた。その声には先ほどまでの絶望の色はなく、確かな決意の響きが宿っていた。

そうだ、俺ならできる。正面からぶつかって勝てないのなら、その懐に飛び込み内側から食い破ってやればいい。レアを教会を、そしてこの歪んだ世界そのものを。

 

周りを仲間を、そして自分自身の心すら欺き続けて生きてきた。女好きで軽薄で不真面目なゴーティエ家の放蕩息子。それが俺が長年演じ続けてきた役割だ。そしてその仮面は、今や俺自身の一部となっている。ならばその俺の全てを使って最後の、そして最大の嘘をこの世界に仕掛けてやろうじゃないか。

 

シルヴァンの瞳に再び光が戻った。それは復讐の炎でも絶望の闇でもない。全てを賭けた大博打に挑む、狡猾な勝負師のどこか楽しげな光だった。

 

彼は最も信頼の置ける配下の一人を部屋に呼び寄せると簡潔に、有無を言わせぬ口調でいくつかの指示を与えた。

「俺はしばらくここを留守にする。俺がいない間、お前がここの指揮を執れ。防衛線を維持し、無用な戦闘は避け決して無駄死にはするな。そして可能な限り近隣の町も統治を手伝ってやれ。」

 

配下の兵士は主君のそのただならぬ気配と、その言葉に込められた覚悟に何も問うことなくただ深く頭を下げた。

シルヴァンは最後に一度だけ、ディミトリの装飾品を固く握りしめ、それを懐の奥深くにしまうと旅の準備を始めた。重い鎧も家の紋章が入った槍も全てを身に纏う。今まで思いと感じていた鎧も家の紋章も心に何を隠しているかを誤魔化すには丁度良い。

 

夜明けの光の中、シルヴァンは一人、誰にも見送られることなく陣地を後にした。目指すは南。レアが支配し狂信の巣窟と化した、王都フェルディア。

彼のたった一人での戦いが、今、静かに始まろうとしていた。

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