道徳以外を教えます   作:マウスブン

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助っ人たち

アイスナー領の広大な演習場は乾いた土埃と兵士たちの熱気、そして間近に迫った決戦への張り詰めた緊張感に満ちていた。カシアンは小高い丘の上からその光景を腕を組み静かに眺めていた。彼の隣には動かぬ右腕を庇いながらも老練な傭兵ジェラルトが佇んでいる。

 

「カシアン様! 本日の練兵結果、ご報告いたします!」

そこに馬を駆けさせ額に汗を光らせながらやってきたのはアロイスだった。彼の顔にはかつての底抜けの明るさと戦士としての精悍さが刻まれている。

「王国軍からの投降・逃亡兵と我が騎士団の者たちを合わせた混成部隊の連携訓練、進捗は上々です! 皆、最初は戸惑っておりましたが、今は共通の敵を前に、見事な結束を見せておりますぞ!」

 

アロイスはカシアンらがガルグ=マクの地下に仕掛けた罠でセテスらと共に捕虜となった。だが王都での救済の話などを聞き、今回の戦いでは帝国側として戦ってくれることになっていた。

「よろしい。ご苦労だったなアロイス。部隊を休ませてやれ」

カシアンは短く労うとアロイスは「はっ!」と力強く応え、再び訓練場へと戻っていった。

 

「…元セイロス騎士団の人たちの様子は、どうですか、ジェラルト殿」

カシアンはアロイスの後ろ姿を見送りながら、静かに尋ねた。

 

「…半分、といったところだな」ジェラルトは忌々しげに吐き捨てた。

「アロイスのように、王都でのレアの狂気じみた騒乱を逃げてきた民から直接聞いて、ようやくあの女の変質を理解して協力してくれるようになった者も何人かはいる。だが…」

ジェラルトは遠い目をして続けた。

「残りの大半は、無理だろうな。長年植え付けられた信仰心はそう簡単には消えん。彼らにとってレアは今でも女神の代行者であり、我々こそがフォドラを乱す異端者なのだ。説得は無意味だろう」

 

カシアンはその言葉に静かに頷いた。近くの別の訓練場では、ディミトリの死の報せから力強く立ち直ったイングリットやメルセデス、そして牢屋から解放されたフェリクスらが、動ける王国兵たちをまとめ鬼気迫る表情で厳しい訓練を施しているのが見えた。彼らはひとまずやるべき事を定めた。憎むべきは友を死に追いやった、あの狂った聖職者だけだ。

 

カシアンは懐から取り出した羊皮紙の束――王国から命からがら逃れてきた難民たちや密造酒を販売していたルート先などから集めた王国内の最新の情報――に、改めて視線を落とした。そこにはレアが狂信の軍勢を再編し、王都に集結させつつあるという絶望的な報告が記されている。

 

「…もうすぐ、攻めてきますよ。戦場はタルティーン平原です。」カシアンは誰に言うともなく静かに呟いた。

「レアも我々も、これが最後の総力戦になることを理解している。どう転ぶにしろ、この戦いがフォドラの未来を決める。…その後の戦いはゴミ掃除になります。」

その声には戦略家としての冷徹な分析と、そして避けられぬ運命への静かな覚悟が滲んでいた。

 

そしてカシアンはまるで自分自身に言い聞かせるかのように、そしてこのあまりにも大きな役割を背負わされた自らの運命を、自嘲するかのようにぽつりと言った。

「…しかし一体なぜ私なんかが人間の代表の一人として重責を担い、竜や化け物と戦わねばならんのでしょうねぇ。多くの人間のために身を粉にするなんて好きな仕事ではありませんよ。」

その言葉には彼らしい皮肉と偽らざる本音が込められていた。

 

ジェラルトはカシアンのその言葉に、ふっと、乾いた笑いを漏らした。そしてその左腕でカシアンの肩を力強くどこか温かく叩いた。

 

「寝言は寝て言え、カシアン」

ジェラルトの声はいつものようにぶっきらぼうだったがその瞳には深い理解と、そして父親のような優しい光が宿っていた。

「確かにお前さんは聖人君子とは程遠い捻くれ者で悪魔みてえな男だ。それは俺が一番よく知っている」

彼はそこで一度言葉を切ると遠くで兵士たちを鼓舞するベレスの姿へと視線を送った。

「だがなカシアン。正義だの信仰だの、立派な御託を並べるだけの奴らじゃ、本当に変えなきゃならねえもんは、何も変えられねえ時もある。偶にはお前さんのように毒をもって毒を制し悪を以て悪を断つ…そんな人間が必要なんだろうよ」

 

そしてジェラルトはカシアンの顔を真っ直ぐに見つめその声に揺るぎない信頼を込めて言った。

 

「それに何より…そんな悪魔みてえな男を俺の娘は選んだんだ。あいつが心の底から信じ、そして共に未来を歩みたいと願ったのが他の誰でもないお前さんだった。…ならば、俺に言えることはもう一つしかねえ」

 

ジェラルトはニヤリといつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ぐだぐだ言ってねえで腹を括りやがれ、カシアン=アイスナー。…そして俺の娘を絶対に幸せにしやがれ。…それができなきゃ、たとえこの腕が動かなくなろうとも、俺がお前さんを地獄の底まで追いかけて叩き斬ってやるからな」

 

その言葉は父親としての何よりも重く、そして何よりも温かいカシアンへの最後の「命令」だった。

カシアンはジェラルトのその言葉に一瞬だけ虚を突かれたような顔をしたが、やがて頭巾の下で力強く頷き返すのだった。

 

 

 

 

帝国軍が臨時の司令部として使用している壮麗な大広間。その一室である作戦指令室の空気はフォドラ全土の命運を左右するであろう、王国・教会連合軍との最終決戦を前に、鉄のような緊張感で満ちていた。

皇帝エーデルガルトは広げられた巨大な軍事地図を前に、鋭い視線で戦況を分析し、腹心ヒューベルトは、その傍らで各地から寄せられる報告書に目を通し、必要な情報を整理している。そしてベレスもまた天帝の覇剣を傍らに置き一人の指揮官として、来るべき戦いに向けて思考を巡らせていた。

 

その張り詰めた静寂を破ったのはあまりにも場違いなほどに陽気で、そしてどこか気の抜けた声だった。

 

「やっほー、エデちゃん! ちょっといいかしら?」

 

バンッ、と音を立てて無遠慮に扉が開かれ、そこに立っていたのはいつものように華やかな装いのヒルダだった。彼女の隣には少し呆れたような、しかしどこか彼女のペースに巻き込まれることを諦めたかのような表情のローレンツが控えている。そしてその後ろに…もう一人、黒いマントで全身を覆い顔には仮面をつけた長身の男が静かに佇んでいた。

 

「ヒルダ…ノックくらいなさい」

エーデルガルトはこめかみを押さえながら深いため息をついた。

「今は重要な作戦会議中です。一体、何の用?」

 

「えー、だって急ぎの用事だったんだもーん」

ヒルダは悪びれる様子もなくずかずかと部屋に入ってくると、その仮面の男の背中をポンと軽く叩いて前に押し出した。

「紹介だけさせて! この人、今回の戦いできっとすっごく役に立つと思って、私が特別に雇ってきた切れ者だから!」

 

エーデルガルトはその怪しげな仮面の男を値踏みするように、そして深い疑念の目で見つめた。独特な装飾された弓、軽装ながらも隙のない立ち姿、そして何よりもその仮面の隙間から覗く見覚えのある黒色の髪と悪戯っぽい光を宿した瞳。

彼女は本日何度目か分からない深いため息をつくと心底うんざりしたような声で言った。

「…ヒルダ。どう見ても、クロードよね?」

 

その言葉にローレンツは「やはり一目で分かるか…」と納得したように頷き、ヒューベルトは「茶番にも程がありますな」と、冷ややかに吐き捨てた。

 

するとその仮面をつけた男は芝居がかった仕草で首を横に振ると声を僅かに変え、いや隠しきれないいつもの響きを滲ませて言った。

「人違いです。私はしがない旅の傭兵…名を『クロ』と申します」

 

「………………」

作戦司令室が、一瞬完全な沈黙に包まれた。

エーデルガルトはそのあまりにも安直でふざけきった偽名と、隠す気があるのかないのか分からないその態度に、もはや怒る気力すら失せてしまったようだった。彼女はどうしようかと本気で迷い、ちらりとヒューベルトに視線を送った。ヒューベルトは「陛下のご判断にお任せしますが、いずれにせよ即刻つまみ出すことを推奨いたします」と、無表情で進言する。

 

エーデルガルトは数秒間天を仰いで深く、深く考え込んだ。そして観念したように力なく首を横に振った。

「…もう、いいわ。私は何も見なかった。ここにいる『クロ』と名乗る傭兵殿のことも知らない」

彼女はヒルダに向き直り心底疲れた声で言った。

「だから勝手にしてちょうだい。ただし作戦の邪魔だけは絶対にしないでね」

 

「わーい! さすがエデちゃん、話が分かるー!」

ヒルダはぱっと顔を輝かせると、「それじゃ、クロくん、ローレンツ、行こっか! 私たちも私たちのやり方で、ちょーっとだけお手伝いしてあげるから!」と言い、二人の腕を引いて楽しそうに作戦司令室から去っていった。その背中はまるで難しい交渉を成功させた敏腕の商人のようでもあった。

 

嵐のように現れ、そして去っていった三人の後ろ姿を、エーデルガルトとヒューベルトがただ呆然と見送っていた。

そんな中、今まで黙ってその一部始終を見ていたベレスが、ふと何かを思い出したようにぽつりと呟いた。

「……級長は仮面をつけて正体を隠すのが好きな者が、多いんだね」

 

その言葉は純粋な観察に基づく感想だったが、その場にいたエーデルガルトの胸には鋭い槍のように突き刺さった。彼女の脳裏に、かつて自らが「炎帝」として、仮面でその素顔を隠し、フォドラの闇で暗躍していた日々の記憶が鮮明に蘇る。

 

「師、わ、私のあれは…!」

エーデルガルトは思わず少しだけ上擦った声で反論した。

「フォドラの未来を賭けた、真剣な戦いのための必要に迫られてのやむを得ない手段だったの…! あの男のあのようなふざけた真似とは訳が違うわ!」

その声には皇帝としての威厳よりも、むしろ図星を突かれた少女のような焦りと、隠しきれない羞恥の色が滲んでいた。

 

その姿は帝国の皇帝ではなく、ただの昔の教え子に戻ったかのような可愛らしいものだった。ベレスはそんな彼女の様子に、くすりと優しく微笑み返すのだった。

作戦司令室の張り詰めていた空気は、その奇妙な訪問者たちと、かつての級友たちの、どこか微笑ましいやり取りによってほんの少しだけ和らいだかのようだった。




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