道徳以外を教えます   作:マウスブン

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タルティーン平原1

フォドラの歴史が幾度となく血で血を洗う戦いの舞台としてその名を刻んできた、タルティーン平原。その広大な平原は今、再び二つの巨大な軍勢によって埋め尽くされ空は鉛色の雲に覆われ、冷たい風がこれから始まるであろう最後の戦いの、不吉な序曲を奏でていた。

 

平原の南に陣取るは黒と赤の双頭の鷲の旗を掲げる、アドラステア帝国軍。皇帝エーデルガルトの元、王国や同盟から合流した者たちも加わり、その軍勢はフォドラ史上でも類を見ないほどの規模へと膨れ上がっていた。彼らの顔には長きに渡る戦いの証と、フォドラに新たな時代を築くという強い意志と希望の光が宿っていた。

 

そしてその帝国軍と対峙するように平原の北西には、白銀の旗印――セイロス聖教会の軍勢が、不気味な静けさと共に布陣していた。その中心に立つのは、純白の戦装束に身を包み、女神の代行者としての威厳と、もはや狂気とも言えるほどの憎悪をその瞳に宿した大司教レア。彼女が率いる軍勢は数こそ帝国軍に劣るものの、その構成はあまりにも異質で、見る者全てに本能的な恐怖を抱かせるものだった。

先頭に立つのは長年教会に仕え、レアの血と秘術によって人の理を超えた存在へと変貌を遂げた、「白き獣」たち。彼らはかつての人間としての理性を保ちながらも、その全身からは禍々しいオーラを放ち、レアの忠実なる尖兵として帝国軍を睨みつけている。そしてその後方には、王都フェルディアでのあの忌まわしき「救済」の儀式によって生み出された、百体近い「白き獣」や「化け物」の軍勢が獣のような低い唸り声を上げながら蠢いていた。少しの竜の部位と獣の部位が無秩序に融合した、おぞましい異形の兵士たち。彼らはただレアの命令に従い、破壊と殺戮を繰り返すだけの生ける兵器だった。

 

「邪悪なる帝国の者どもよ。フォドラを偽りの教えで惑わし、女神の秩序を乱す、忌むべき反逆者たちよ」

レアの声が魔力によって増幅され平原全体へと響き渡った。

「あなたたちの罪を裁き、この地を聖なる炎で浄化する時がついにやってきました。行きなさい、我が聖なる戦士たちよ! 女神の御名において全ての不浄を滅ぼし尽くすのです!」

 

その狂信的な号令一下、五匹の白き獣が一斉に咆哮を上げた。彼らは百体近い化け物の軍勢を統率し、まるで津波のように整然と帝国軍の陣営へと進軍を開始した。大地が揺れ空気が震える。フォドラの未来を賭けた最後の戦いの火蓋が、ついに切って落とされた。

 

「―――レア!」

帝国軍の最前線、その中央で皇帝エーデルガルトがアイムールを高く掲げ叫んだ。

「あなたのその歪んだ信仰と支配が、どれほど多くの人々を苦しめ悲しませてきたことか! フォドラはあなた一人のための箱庭ではない! 今日ここで、あなたのその長きに渡る歪んだ支配から、フォドラを、そして人々を完全に解放する!」

エーデルガルトのその力強い宣言に帝国軍の兵士たちから、地鳴りのような鬨の声が上がる。

 

そしてエーデルガルトは傍らに控えるヒューベルトに目配せを送った。ヒューベルトが静かに手を挙げると、帝国軍の後方から、数人の兵士たちが、厳重に布が巻かれた、いくつもの大きな塊を、台車に乗せて運んできた。

兵士たちはエーデルガルトの前に進み出ると、その布をゆっくりと取り払った。現れたのは淡い光を放つ、様々な形をした幾つもの紋章石の塊だった。それらはガルグ=マク大修道院の聖墓の奥深くに秘匿されていたものや、帝国や闇に蠢くものが長年、各地の遺跡から収集し保管してきたもの。紋章石はレアにとってそれらは単なる力の結晶ではない。かつてこのフォドラで共に生きた同胞たちの亡骸、その魂の欠片そのものだった。

 

「……ッ!!」

レアは、その光景を目の当たりにした瞬間、その美しい顔を驚愕と今まで見せたこともないほどの激しい怒りに歪ませた。

「ど、どうやって…それを…!本物か…!? いやそれ以前に貴様のような、女神を信じぬ穢れた人間が、我が同胞の聖遺物に、触れてよいものではないッ!!!!」

レアの絶叫が戦場に響き渡る。

 

しかしエーデルガルトはレアのその怒りを冷ややかにあざ笑うかのように見つめ返した。彼女は並べられた紋章石の塊の中からひときわ大きく、どこか見覚えのある心臓の形にも似た、一つの石をゆっくりと手に取った。それはベレスの心臓に埋め込まれていたという、神祖ソティスの紋章石に似せ帝国の最高の職人が寸分違わぬように精巧に作り上げた完璧な「偽物」だった。

 

「黙りなさい、レア」

エーデルガルトの声は氷のように冷たかった。

「あなたが神聖視し力の源としてきた、この『石ころ』にもはや何の力もないことを、そしてあなたの野望が潰えるのだと、今ここで証明してあげるわ」

 

そして彼女は手にした偽りの心臓を、そして傍らにあった他の本物の紋章石の塊をアイムールの圧倒的な力で何のためらいもなく次々と粉々に打ち砕いてみせた!

ガシャンッ! パリンッ!

かつてはフォドラの歴史を左右するほどの力を秘めていたはずの紋章石が、まるでただのガラス玉のように虚しい音を立てて砕け散り、その輝きを失っていく。

 

「ああ……あああああああッッッ!!!!!!!!!!!!」

レアの口からもはや人のものではない、獣の、あるいは神の、絶望的なまでの絶叫が迸った。同胞たちの魂が目の前で最も許しがたい人間の手によって、無残にも踏みにじられていく。その光景は彼女の千年に渡る孤独と母への想い、そして彼女の存在意義そのものを根底から否定するに等しい究極の冒涜だった。

 

次の瞬間レアの体から凄まじい量の金色の光と魔力が爆発的に噴き出した。彼女の体は見る見るうちに巨大な純白の鱗に覆われた竜の姿――「白きもの」へと変貌を遂げる。

そしてその巨大な竜は一度、天高く大きく飛び上がると、眼下で進軍していた自らの軍勢を、まるで取るに足らない小石の群れのように飛び越え、その全ての怒りと憎悪を一点に集中させ、ただ一人エーデルガルトが立つ帝国軍の最前線へと、隕石のような勢いで躍り出たのだった。

 

フォドラの未来を賭けた最後の戦い。それは二人の指導者の個人的な根深い因縁の、最終決戦という形でその幕を開けた。

 

 

 

 

タルティーン平原に神の怒りそのものとでも言うべき、巨大な白き竜が舞い降りた。レアがその真の姿――「白きもの」――を現したことによる衝撃波と風圧は、帝国軍の最前線の兵士たちをなぎ倒し、その陣形に一瞬の致命的な混乱を生み出した。

 

「グオオオオオオッ!!」

竜の咆哮はもはや人の言葉を発さず、ただ純粋な、そして全てを破壊し尽くさんとする憎悪の奔流だった。レアはその巨体から繰り出される爪と牙、そして灼熱のブレスで、眼前のエーデルガルトとその周囲の兵士たちへと、無慈悲な攻撃を仕掛け始めた。

 

「怯むな! 陣形を立て直せ! 皇帝陛下をお守りしろ!」

ヒューベルトの冷静な切迫した声が飛ぶ。エーデルガルト自身もアイムールを構え竜の薙ぎ払う尾を紙一重でかわし、その硬い鱗に渾身の一撃を叩き込む。黒鷲の学級の元生徒たちも恐怖を押し殺し、それぞれの武器で必死に応戦する。フェルディナントの槍が竜の足に突き立てられカスパルの斧がその側面を打ち、リンハルトやドロテアの魔法が閃光を放つ。彼らは確かにダメージを与えていた。だが竜の圧倒的な生命力の前には、その傷はあまりにも浅く、決定打には程遠い。

 

しかしその激しい戦闘の最中レアの巨大な黄金色の瞳は、エーデルガルトや兵士たちではなく地面に散乱する、砕け散った紋章石の欠片へと注がれていた。彼女の最初の目的は敵の殲滅ではなかった。エーデルガルトが破壊した我が同胞たちの魂の欠片が、本物であったか否かの確認。それが彼女の心を支配する最優先事項だったのだ。

 

竜の鋭敏な感覚が砕けた石の魔力の残滓を探る。多くの欠片からは確かにかつての同胞たちが宿していた懐かしい、そして悲しい力の波動が感じられた。だが同時にその中にただの石ころ…力を全く帯びていない、何の価値もない瓦礫が、数多く混じっていることにも気づいた。

(…罠か。あの小娘、そしてあのカシアンの差し金か!)

レアの心に新たな怒りが込み上げる。だがそれ以上に彼女の意識は、最も重要なただ一つの欠片へと集中していた。エーデルガルトがこれ見よがしに掲げ破壊してみせたあの心臓の形をした石。あれがもし本当に母上の…!

 

レアはその偽りの心臓の残骸に全神経を集中させた。そして数秒後。彼女の巨大な体から、ふっと、張り詰めていた力が抜けたのが分かった。

(…偽物。そうか、あれは偽物だったのか…)

安堵。心の底から込み上げてくる、どうしようもないほどの安堵感。母の聖遺物があの穢れた人間の手によって砕かれるという、最悪の事態だけは避けられた。その事実は彼女の燃え盛る怒りの中に、ほんの一瞬だけ冷静さを取り戻させた。

 

そのほんの一瞬の隙。それこそがこの戦いの趨勢を決定づける、運命の分岐点だった。

「―――待ちかねたぞ、小娘」

静かだが戦場の喧騒を貫く、どこか尊大で聞き覚えのある声。

レアがその声のした方へと顔を向けた時、そこには、いつの間にかエーデルガルトの隣に立つ淡い緑色の髪を持つ女剣士――ベレスの姿があった。

 

だが今の彼女はレアの知るベレスではなかった。その佇まい、その瞳の奥に宿る光、そして何よりもその口から紡ぎ出される言葉。その全てがレアの記憶の奥深くに眠る、最も敬愛し最も恐れる存在――母、ソティスのそれと完全に重なっていたのだ。

 

「全くいつまでそのような醜い姿で、下らぬ戯れを続けるつもりじゃ、我が娘よ」

ベレスは天帝の覇剣をまるで退屈しのぎの玩具でも弄ぶかのように、軽やかに構えながら言った。その口調は完全に神祖ソティスそのものだった。

「この我の顔に泥を塗り、あまつさえその力を己の矮小な野望のために利用するなど、千年を生きたにしてはあまりにも愚かな所業。見苦しいにも程があろう」

 

ベレスはソティスを演じながら、その剣の動きは彼女自身の神速の技のまま竜と化したレアへと流れるように斬りかかった。レアの心は激しく揺さぶられた。安堵したはずの心に今度は混乱と、そして聖なる存在を模倣されていることへの、新たなより冒涜的な怒りが爆発的に燃え上がった。

「その口を閉じよ! お母さまの真似など、断じて許さぬ! その穢れた舌を引き抜いてくれるわ!」

 

レアは絶叫しベレスに向かって、先程までとは比べ物にならないほど狂乱した無秩序な攻撃を仕掛け始めた。だがベレスはその猛攻をまるで戯れに興じるかのように軽やかに的確にいなし続ける。

「ほうら、どうした? 怒りに任せてただ腕を振り回すだけか? そのようなことで、この我に傷一つ付けられるとでも思うたか。全く、成長していないようじゃのう」

ベレスはソティスの口調を崩さず挑発を続ける。その言葉の一つ一つがレアの心をその信仰の根幹を鋭い刃のように抉っていく。

 

レアは怒り続けた。憎悪に身を任せ、ただ目の前の母を騙る偽物を破壊することだけを考えていた。その攻撃はもはや戦略も戦術も何もない。ただの力の暴走だった。

エーデルガルトやヒューベルトは、その異様な光景に驚きつつもレアへ攻撃を加える。その策がカシアンの入れ知恵なのは明らか。そしてそれが今、この戦場で最も効果的にレアの心を打ち砕く恐るべき心理戦の一手となっていた。

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