陽が地平線の向こうに完全に沈み、空が深い藍色に染まる頃、川辺の開けた場所は昼間とは全く違う顔を見せていた。いくつかの大きな焚き火がパチパチと音を立てて燃え上がり、その暖かな光が周囲を照らし出し、生徒たちの顔を生き生きと映し出している。昼間に青獅子の学級が苦労して作った料理の残りに加え、黒鷲、金鹿の生徒たちが持ち寄った色とりどりの食材――焼きたてのパン、チーズ、果物、燻製肉、そして甘いお菓子などが、即席のテーブル代わりの敷物の上に所狭しと並べられた。飲み物も、水の他に果実水や、どこから持ち込まれたのか、微かにアルコールの香りがするエールのようなものまで用意されている。
「さて、皆、準備は良いかな?」
クロードが陽気な声を張り上げた。
「カシアン先生主催、『軍隊における宴の効用と実践に関する訓練』、別名、三学級合同・お疲れ様バーベキュー大会の始まりだ! まずは、この過酷な(?)訓練を乗り切った青獅子のみんなと、食材提供に協力してくれた黒鷲、金鹿の有志たちに、乾杯!」
クロードの音頭に、生徒たちから歓声と笑い声が上がり、各々が手に持ったカップ(木製や金属製など様々だ)を軽く打ち合わせた。カシアンが言い出した「宴の訓練」という奇妙な名目は、いつの間にか生徒たちの間で都合よく解釈され、昼間の過酷な行軍と調理の疲れを吹き飛ばす、楽しい交流会の始まりへと変わっていた。青獅子の生徒たちも、最初は戸惑っていたものの、他の学級の友人たちの楽しそうな様子や、美味しそうな料理の匂いに誘われ、結局ほとんどの者がこの場に残ることを選んだようだ。
宴が始まると、そこかしこで賑やかな会話の輪が生まれた。
「うわっ、このチーズ、黒鷲が持ってきたやつ? すごく濃厚で美味しい!」「こっちの干し肉もなかなかいけるぜ! 金鹿の誰かの自家製だってさ!」「昼間に青獅子が作ったスープ、冷めちゃったけど温め直したら結構いけるな!」生徒たちは学級の垣根を越え、持ち寄った料理を分け合い、互いの健闘(?)を称え合っている。
少し離れた場所では、フェルディナントとローレンツが、案の定、互いの家柄の歴史や貴族の在り方について熱弁を振るい合っていた。周りの生徒たちは、その熱量に若干引き気味だが、二人は全く意に介していない。
「ふふん、エーギル家の紋章の由来を知っているかね? 我が家系こそが…」「いや、グロスタール家こそが古来より…」
その隣では、ヒルダが木に寄りかかってうとうとし始めているのを、レオニーが「ほら、ヒルダ! まだ始まったばかりだろ! 少しは手伝え!」と引っ張っている。シルヴァンはその様子を面白そうに眺めながら、「まあまあ、レオニーちゃん。ヒルダちゃんには休息が必要なんだよ。ね?」と、火に油を注いでいた。
焚き火の近くでは、リシテアとアネットが、リシテアが持ってきたらしい焼き菓子をつまみながら、熱心に魔道の話をしている。「あの新しい魔法陣の理論だけど…」「ええ、私も興味があります! あの術式には…」普段は少し気難しいリシテアも、共通の話題となると饒舌になるようだ。
広場の隅では、ドロテアが透き通るような美しい歌声を披露し始めた。彼女の歌声に誘われて、生徒たちが自然と集まってくる。陽気なラファエルが即興で手拍子を始め、カスパルがぎこちないながらも楽しそうにステップを踏む。クロードがどこからか取り出したリュートを爪弾き、ドロテアの歌に優しい音色を添えた。焚き火の光と音楽、そして生徒たちの笑顔が、夜の川辺を幻想的な空間に変えていく。
教師たちの姿もあった。カシアンは、宴の輪の中心からは少し離れた、木陰の岩に腰を下ろし、腕を組んで全体の様子を静かに観察していた。時折、クロードやエーデルガルト、あるいはヒューベルトなどが近づいてきて、彼に何か話しかけているが、カシアンは短い言葉で応じるだけで、自ら輪に入ろうとはしない。彼の頭の中では、この状況下で得られる情報や、生徒たちの意外な一面、交流のパターンなどが、冷静に分析し、無表情ながら楽しんでいるようだ。
ベレスは、そんなカシアンの近くに、しかし生徒たちの輪にも見える位置に、静かに座っていた。彼女もまた、自分の分の食事をゆっくりと口に運びながら、楽しげな生徒たちの様子を眺めている。表情は乏しいままだが、その大きな瞳には、普段よりもわずかに柔らかな光が宿っているように見えた。メルセデスが隣に座り、優しく話しかけると、彼女は小さく頷きながら、短い言葉で応じている。カシアンとベレスの間には、言葉は少なくとも、時折、互いの存在を確認するかのような視線が交わされていた。
宴は和やかに、そして賑やかに続いていく。学級の違いや、貴族・平民といった立場の違いも、この焚き火の前では意味をなさないかのように、生徒たちは打ち解け、笑い、語り合っていた。昼間の訓練で共有した苦労と、この予期せぬ交流の機会が、彼らの間に新たな絆を育んでいる。
ディミトリも、最初は戸惑いを見せていたが、今はアッシュやメルセデスと穏やかに言葉を交わしている。彼の表情から、昼間の厳しい雰囲気は少し和らいでいた。ふと、彼の視線が、少し離れた場所で一人、焚き火の炎を見つめているエーデルガルトに向けられる。二人の間に流れる複雑な空気は、この賑やかな宴の中でも、消えることはないようだった。
夜空には満天の星が輝き、川のせせらぎと生徒たちの楽しげな声、そしてリュートの音色が溶け合っていく。カシアンが仕組んだこの奇妙な「宴の訓練」が、どのような意図で始められたものであれ、今この瞬間、生徒たちの心には確かな温もりと、忘れられない思い出が刻まれていくのを感じられた。
宴が始まって一時間ほどが過ぎた頃だろうか。川辺は三つの学級の生徒たちの賑やかな声と笑い声、そしてドロテアの歌声やクロードのリュートの音色で満たされ、和やかな熱気に包まれていた。焚き火の炎が明るく揺らめき、生徒たちの楽しげな表情を照らし出している。昼間の過酷な訓練のことなど、すっかり忘れてしまったかのように、誰もがこの予期せぬ交流を楽しんでいた。
カシアンは、そんな喧騒の中心から少し離れた、川の流れがよく見える木陰に一人佇み、腕を組んで全体の様子を静かに観察していた。彼の視線は、特定の生徒に向けられることもなく、かといって無関心というわけでもなく、ただ淡々と、この「宴の訓練」が生み出す様々な人間模様と情報を収集しているかのようだった。
その時、背後に静かな、しかし有無を言わせぬ気配が現れた。カシアンがゆっくりと振り返ると、そこには予想通り、厳しい表情を浮かべたセテスの姿があった。彼は音もなくカシアンの隣に立ち、宴の騒がしさには目もくれず、低い、抑えた声で問い質した。
「カシアン。これは一体どういう騒ぎだ?」
その声には、明確な非難と怒りが込められていた。
「私が許可したのは『行軍中の調理訓練』であり、それに付随する、あくまで教育的な野外活動のはずだ。だが、目の前で繰り広げられているのは、三学級を巻き込んだ、単なる無秩序な宴会にしか見えん。このようなことを許可した覚えは、私にはないぞ」
セテスの緑の瞳が、カシアンを鋭く射抜く。
しかし、カシアンはセテスの詰問にも全く動じなかった。彼は落ち着き払った様子でセテスに向き直る。
「セテス様、それは誤解です」彼の口調はあくまで冷静だ。
「これは、申請し、貴方様から正式に承認をいただいた野外活動の延長線上にある、『宴の効用と実践に関する訓練』に他なりません」
そう言うと、カシアンは再び懐からあの羊皮紙を取り出し、セテスの目の前に広げて見せた。そこには確かに、セテスの承認印が押されている。
「ご覧の通り、本日の活動は日没後の継続も含めて許可されています。そして、この『宴の訓練』は、兵士の士気向上、集団の結束強化、情報交換能力の育成といった、極めて教育的な目的を持って実施されております。規定時間内での、申請内容に則った活動であり、何ら問題はないはずですが?」
カシアンは、理路整然と、しかしどこか挑戦的に言い返した。
セテスは申請書とカシアンの顔を交互に見比べ、苦々しげに眉をひそめた。形式上は、カシアンの言う通りだ。しかし、彼が申請の文面を都合よく解釈し、このような状況を作り出したことは明らかだった。
「…言葉遊びをするつもりか。申請の本来の意図を、故意に拡大解釈しているようにしか私には見えんがな。第一、他の学級の生徒まで巻き込んで…」
セテスがさらに追求しようとした、その時だった。
「あら、お兄様!」
明るく、少し間の抜けたような声が、二人の間に割って入った。声のした方を見ると、フレンが楽しそうに手を振りながら、こちらに歩いてくるところだった。どうやら彼女も、友人であるメルセデスやアネットに誘われて、いつの間にかこの宴の輪に加わっていたらしい。
「まあ、お兄様もいらしていたのですね!」
フレンは、兄とカシアンの間に流れる険悪な空気に全く気づいていないかのように、無邪気な笑顔で言った。
「こんな風に、夜に生徒さんたちと一緒に楽しまれるなんて、珍しいですわ! きっと皆さん、喜んでいらっしゃいますわよ! たまにはこういうのも、とっても素敵ですわね!」
フレンの言葉は、まるで乾いた大地に降り注ぐ慈雨のように(あるいは、火に油を注ぐように)、場の空気を一変させた。セテスは妹の予期せぬ登場と、その能天気な言葉に、一瞬言葉を失う。
その隙を、カシアンが見逃すはずはなかった。
「ええ、フレン殿のおっしゃる通りですよ」
彼は、フレンの言葉に同意する形で、すかさずセテスに向き直った。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。
「生徒たちには、日々の厳しい勉学や訓練だけでなく、時にはこうして肩の力を抜き、学級や立場の垣根を越えて仲間との絆を深める機会も、必要不可欠なのです。これもまた、彼らの人間的な成長を促すための、重要な教育の一環ですよ、セテス様。貴方も、そうはお考えになりませんか?」
フレンにまでそう言われ、さらにカシアンに正論で畳みかけられたセテスは、ぐうの音も出ない。彼は苦虫を噛み潰したような、非常に複雑な表情で、カシアンとフレンを交互に見る。これ以上ここでカシアンを問い詰めても無駄だと悟ったのか、あるいは妹の手前、事を荒立てるのを避けたのか、彼は「…フン」と一つ鼻を鳴らし、踵を返して立ち去ろうとした。
「あら、お兄様、もうお帰りになるのですか?」
しかし、フレンが素早くその腕を取って引き止めた。
「せっかくここまでいらしたのですから、少しだけでもご一緒しませんこと? 生徒さんたちも、お兄様がいらしたらきっと喜びますわ!」
彼女は満面の笑みで兄を見上げる。
セテスの周囲にいた生徒たち、特にメルセデスやアネットなども、フレンの言葉に便乗するように声をかけた。
「セテス様もぜひ! 美味しいお菓子がありますのよ!」
「わ、私たちがお茶を淹れます!」
セテスは内心では全く乗り気ではなかったが、妹の強い(そして無邪気な)誘いと、生徒たちの純粋なように見える声に、さすがに断固として拒否するわけにもいかなかった。ここで無下に断るのも大人げないし、あるいは、この機会に少し生徒たちの様子を直接見ておくのも悪くないかもしれない…そんな考えも頭をよぎったのかもしれない。
「……仕方あるまい。ほんの少しだけだぞ、フレン。長居はせん」
セテスは大きくため息をつくと、渋々といった体で言った。
「まあ、嬉しいですわ、お兄様!」
フレンはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに兄の手を引いて、焚き火の輪へと連れて行こうとした。厳格なセテスの突然の参加に、生徒たちの間には一瞬緊張が走ったが、フレンが甲斐甲斐しく兄の世話を焼いたり、メルセデスがおずおずとお茶を勧めたりするうちに、ぎこちなさは少しずつ和らいでいった。セテス自身は、厳しい表情を崩さずに腕を組んで座っているだけだったが、その鋭い目は、楽しげに語り合う生徒たちの様子や、並べられた料理、そして遠巻きに見ているカシアンの姿を、注意深く観察しているようだった。
カシアンは、セテスが宴の輪に加わるという予想外の展開を、相変わらず少し離れた場所から静かに眺めていた。彼の表情からは、その心中を読み取ることはできない。計画に加わった新たな変数(監視者)を冷静に分析しているのか、あるいはこの状況すら楽しんでいるのか。
厳格なセテスまでもが一時的にせよ、巻き込まれることになった、カシアン主催の奇妙な「宴の訓練」。それは単なる息抜きや交流会というだけでなく、様々な立場の人々の思惑が交錯する、不思議な夜となり始めていた。この夜が、彼らの関係性や士官学校の日々にどのような波紋を広げていくのか、それはまだ、燃え盛る焚き火の炎のように、揺らめいて定かではなかった。