道徳以外を教えます   作:マウスブン

93 / 95
邪神

タルティーン平原はもはやかつての激戦地ではなかった。血と鉄の匂いは乾いた風に攫われ兵士たちの断末魔の叫びは、今は遠い日の記憶の彼方へと消え去っていた。その代わりに平原を満たしていたのは人々の喧騒と香ばしい肉の焼ける匂い、そしてどこか物見遊山のような不思議な活気だった。

 

戦いの終結から数ヶ月。帝国軍が念入りに燃やし浄化したはずのその地に巨大な石造りの建物がまるで戦いの傷跡を誇示するかのように、また同時に未来への希望を象徴するかのように、堂々と聳え立っていた。建物の入り口には今日もまたフォドラ各地から訪れた人々が長い列をなし、その日の入場を今か今かと待ちわびている。

「押さないでください!順番にお進みください!」

建物の警備にあたる、今や「アイスナー領」の紋章を誇らしげに掲げた兵士たちが、人々を巧みに誘導する。

 

この異様な熱狂の中心にある施設の名は『タルティーン平原 戦争博物館』。

そしてその発案者こそ、今や帝国の誰もがその名を知りある者は英雄と讃え、ある者は悪魔と恐れる男、カシアン=アイスナーその人であった。

 

事の起こりは戦後処理における一つの極めて厄介な問題だった。タルティーン平原に残された、レアが成り果てたあの異形の怪物の巨大な骨格。それは女神の眷属としての神聖な力を宿しているためか、帝国軍の誇る最新の兵器をもってしても、その骨の一片たりとも完全に破壊することは叶わなかった。海に捨てるにもその巨体と重量は、あまりにも膨大な労力と費用を要する。帝国の将軍たちが頭を悩ませる中、カシアンはただ一言こう言い放ったのだ。

「…ふむ、壊せないのであれば見せ物にすればよろしい」と。

 

彼のその常軌を逸した彼らしい合理性に貫かれた一言によってこの戦争博物館は生まれた。

 

博物館の薄暗いメインホール、その中央にはかつてフォドラを恐怖のどん底に叩き込んだ、あの異形の怪物の巨大な骨格が禍々しいまでの存在感を放って鎮座していた。複数の頭部、歪な脚、そして無数に生えていた尾の名残。その一つ一つがあの戦いの凄惨さを、そしてレアという存在が抱えていた狂気の深さを無言のうちに物語っている。来場者たちはその圧倒的な姿を前に息を呑み恐怖に顔を引きつらせ、これを打ち破った帝国軍の力と、それを指揮した者たちへの畏敬の念をその心に深く刻み込んでいた。

 

骨格の周囲にはこの戦争で実際に使われた様々な遺物が、丁寧な解説文と共に展示されている。エーデルガルトが振るったアイムール(レプリカ)、ベレスが使った天帝の覇剣(精巧なレプリカ)、そしてカシアンが開発したというロングアーチや爆弾の残骸。さらには王国軍や教会軍が使っていた武具や、彼らの悲壮な覚悟が滲む手紙の類まで。

実際にこのタルティーン平原で戦い生き残った兵士たちが、時折「語り部」として博物館や地元に帰った際に立ち自らの武勇伝と、レアや教会の狂信がいかに恐ろしいものであったかを多少の脚色を交えながら熱弁を振るうものだから人々の噂は噂を呼び、この博物館は瞬く間にフォドラで最も人気のある観光名所の一つとなっていた。

 

博物館の外に出ればそこはもう一つの祭りのような賑わいを見せている。

「へいらっしゃい! アビス名物、猪の丸焼きだよ! 味はカシアン様のお墨付きだぜ!」

元兵士たちが上半身裸で巨大な肉塊を豪快に切り分けながら客を呼び込んでいる。なおカシアンは販売の許可をしただけでお墨付きなど与えていない。いつも通り勝手な奴らである。

その隣ではユーリスが仕切る賭博場が開かれ、今日の「魔獣対兵士」の模擬戦の勝敗に兵士や市民たちが熱狂していた。リングの中では捕獲された比較的大人しい魔獣を相手にアビスの若手が剣技を披露し観客から盛大な喝采を浴びている。

「さあさあ、張った張った! 次の勝負、赤の傭兵が勝つか、それとも青の魔獣が牙を剥くか!」

 

その全ての光景をカシアンは博物館の最上階に設けられた、展望室の窓から静かに満足げに見下ろしていた。その手には自らが醸造したばかりの芳醇な香りを放つブランデーのグラスが握られている。

 

「…素晴らしい。実に、素晴らしい光景だ」

カシアンは誰に言うともなく、ぽつりと呟いた。

「来場者数は私の予測を15%も上回っている。記念品の売り上げも好調。そして何よりもこの博物館の存在が帝国の正当性と旧教会の非道を、最も効果的な形で人々の記憶に刻み込んでいる。レアの骨も死してなお私のために実に良く働いてくれているというわけだ」

その口元には完璧な事業を成功させた、冷徹な経営者の笑みが浮かんでいた。

 

「カシアン」

静かな声が背後からかけられた。振り返るとそこにはベレスが淹れたてのハーブティーを二つ、盆に乗せて立っていた。彼女の表情は穏やかだったがその緑の瞳の奥には目の前の光景に対する、わずかな戸惑いの色が浮かんでいる。

「…本当に、これで良かったのかな」

ベレスはカシアンの隣に立ち眼下の喧騒を見下ろしながら、静かに尋ねた。

「戦争はたくさんの悲しみを生んだ。多くの人がここで命を落とした。その場所でこんな風に、まるでお祭りのように騒ぐのは…少し不謹慎なような気がして」

 

ベレスのその言葉にカシアンはふっと息を漏らした。そして手に持っていたブランデーグラスを静かに置くと、ベレスの手からハーブティーのカップを受け取り、その温もりを確かめるように両手で包み込んだ。

「…不謹慎、ですか。ええ、そうかもしれませんね。ですがベレス」

カシアンの声は、いつもの彼からは想像もつかないほど優しく、どこか哲学的な響きを帯びていた。

「人は悲しい記憶だけを抱えて生きていくことはできない。どれほど辛い出来事があってもいつかはそれを乗り越え、笑い、未来へと歩んでいかなければならない。この博物館はそのための一つの『装置』なのですよ」

彼はベレスの肩をそっと抱き寄せた。

 

「人々はここで過去の悲劇を学び、そして二度とあのような過ちを繰り返してはならないと心に誓う。同時にここで新しい仲間と出会い美味いものを食べ、明日の活力を得る。死者の魂を弔うことと生者が未来を築いていくことは、決して矛盾するものではない。むしろそれこそが我々人間が幾多の悲劇を乗り越えて、それでもなおしぶとく生き続けてきた理由なのではないでしょうか」

 

そしてカシアンはベレスの緑の瞳を真っ直ぐに見つめ、その声に深い愛情を込めて言った。

「…それに何よりもこの事業で得た莫大な利益で、アイスナー領の孤児院を拡張することも、戦争が無くなり行き場がなくなった一部の兵士たちに仕事を与えることもできた。それだけでもこの博物館を建てた価値は、十二分にあるというものです」

 

ベレスは一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐにくすくすと幸せそうな笑い声を漏らした。

「…もう。カシアンのくせに、良い事もするね。」

彼女はそう言ってカシアンの肩に、こてん、と自分の頭を預けた。

 

眼下ではタルティーン平原に沈む夕陽が博物館の巨大な建物を、そしてそこに集う人々の笑顔を、黄金色に優しく染め上げていた。フォドラの夜明けはまだ始まったばかり。だが少なくともこの場所には過去の悲劇を乗り越え、未来へと向かう人々の力強い営みが息づいていた。カシアンとベレスはその光景をただ静かに、そしていつまでも見つめ続けるのだった。

 

 

 

 

 

フォドラに平和が訪れてから、早一年。

アイスナー領(旧カシアン領)は、驚くべき速度で復興を遂げ今や帝国内でも有数の、活気と、そして何よりも「奇妙な文化」の発信地として知られるようになっていた。その中心にあったのが、カシアンが設立した活版印刷所である。

 

そこで生み出された数々の出版物の中でもコンスタンツェ=フォン=ヌーヴェルが中心となって書き上げた英雄譚『暗黒竜と光の剣』は、爆発的な大ヒットを記録していた。民を虐げる邪悪な竜と、それに立ち向かう光の勇者の物語は長きに渡る戦争に疲弊した人々の心を掴んで離さず、瞬く間に重版を重ねた。帝都アンヴァルではドロテアを主演の一人として舞台化の話まで持ち上がるほどの熱狂ぶりだった。

 

「ふむ…素晴らしい。実に素晴らしい」

カシアンは執務室でうず高く積まれた『暗黒竜と光の剣』の最新版と、インクの匂いがまだ新しい舞台の脚本案、そして何よりもそれらがもたらした莫大な利益が記された帳簿を眺め、頭巾の下で満足げに頷いていた。増設した印刷所ももはやフル稼働状態だ。

 

だが彼の飽くなき探求心と、そして何よりもその商魂はこの程度の成功で満たされることはなかった。

(小説の売り上げは好調。舞台化が実現すればさらなる利益が見込めるだろう。だが…まだだ。まだこの『コンテンツ』から搾り取れる蜜は、こんなものではないはずだ)

カシアンの瞳が新たな金脈を発見した探鉱者のように、ギラリと怪しく光った。

 

一週間後。

カシアンは領主の館の一室にこの地の主要メンバーを呼び集めた。妻であり、この領地のもう一人の主であるベレス。アビスの者たちをまとめ、裏社会との繋がりも維持するユーリス。そして、『暗黒竜と光の剣』の原作者であるコンスタンツェ。

 

「さて、皆さん。今日は我が領地のさらなる経済的発展と文化振興のための、新たな事業計画について提案したい」

カシアンはテーブルの上に一枚の設計図らしきものを広げた。そこに描かれていたのは、物語に登場する勇者や仲間たちの、精巧な三面図だった。

 

「これは…?」ベレスが首を傾げる。

「これより我々は、この『暗黒竜と光の剣』に登場するキャラクターたちの、立体造形物――すなわち『フィギュア』の製作と販売を開始します」

カシアンは、高らかに宣言した。

 

「まあ!わたくしの愛すべきキャラクターたちが、三次元の芸術としてこの世に生み出されると!? なんと素晴らしい!なんとエレガントな発想でしょう!」

コンスタンツェは、扇子を広げ感極まったように声を上げた。

 

「へっ、フィギュアねぇ。子供向けの玩具でも作って、小銭を稼ごうってか、旦那?」

ユーリスがいつものように皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「小銭、などではありませんよ」カシアンはユーリスのその言葉をきっぱりと否定した。そして、彼の悪魔的な計画の真の核心部分を語り始めた。

「そして、これはただのフィギュア販売ではない。より多くの人々により深く、そしてより射幸心を煽る形で楽しんでいただくための特別な販売形式を取ります。名付けて『秘蔵木箱(シークレットボックス)』システムです」

 

カシアンは流れるようにその悪魔のシステムを説明した。

「フィギュアは、中身が見えない統一された木箱に入れて販売します。そしてその中身には、『レアリティ』を設定する。例えば物語であまり活躍しない、人気の低いキャラクターは『ノーマル』。そこそこ人気のあるキャラクターは『レア』。そして、主人公の勇者や、麗しの姫君といった、誰もが欲しがるキャラクターは『スーパーレア』としてその封入率を極端に低く設定するのです」

 

彼はそこで一度言葉を切り、そしてとどめの一撃とばかりにその瞳を悪魔的に輝かせた。

「ちなみに、この『スーパーレア』の封入率は、様々な統計と人間心理を分析した結果、全体の3%程度に設定するのが、最も効率的に、そして長期的に、我々に利益をもたらすと私は結論付けました。人々はお目当ての『スーパーレア』を手に入れるため何度でも、何度でも、この『秘蔵木箱』を購入することになるでしょう。ふふふ…実に、美しい集金システムだとは思いませんか?」

 

そのあまりにも悪辣で完璧に計算され尽くした計画に、コンスタンツェは「まあ、商売とは奥が深いのですね…」と感心したように頷き、ユーリスは「…旦那。あんた、マジで悪魔だな。俺でもそこまでは考えねえぜ」と、呆れを通り越して感嘆の息を漏らした。

 

だがその時だった。

「ダメ」

静かだが有無を言わせぬ響きを持った声がその場の空気を凍りつかせた。声の主は今まで黙って話を聞いていたベレスだった。

「3%は、低すぎる」

彼女の大きな緑の瞳は、カシアンを真っ直ぐに見据えていた。その瞳には非難と深い悲しみの色が浮かんでいる。

「この物語を好きになってくれた子供たちがなけなしのお小遣いを貯めて、勇者のフィギュアが欲しいって、ドキドキしながら箱を開けるんだよ? それなのに、97%の確率で、欲しくない兵士が出てくるなんて…そんなのあんまりじゃない。子供たちの夢をそんな風に弄ぶようなことは私は許さない」

ベレスの言葉はカシアンの冷徹な論理を純粋な感情で、何よりも強く否定するものだった。

 

ユーリスもベレスのその言葉に深く頷いた。

「ベレスの嬢ちゃんの言う通りだぜ、旦那。俺も裏の商売には詳しいがそういうえげつないやり方は長続きしねえ。客の信頼を失ったら、そこでおしまいだ。もう少し夢を見させてやるくらいの『優しさ』は必要ってもんじゃねえのか?」

 

「うぐっ…」カシアンは愛する妻と信頼する部下からの、まさかのダブルパンチに言葉を失った。

「し、しかし、私の計算ではこの3%という数字こそが、最大の利益を…!」

 

「カシアン」ベレスの声がさらに真剣な響きを帯びる。「もう一度聞くよ。何%にするの?」

 

「…………よ、4%では、どうでしょう…?」カシアンは冷や汗を流しながら必死の妥協案を提示した。

 

「「まだ低い」」ベレスとユーリスの声が完璧にハモった。

 

その後数十分に渡る激しい交渉の末、ついに『スーパーレア』の封入率は、当初の3倍以上である「10%」にまで引き上げられることでようやく合意がなされた。

カシアンは自らの完璧な数式が、愛という名の非合理的な力によって無残にも書き換えられたことに深い絶望と、安堵したような複雑な表情で力なく頷くしかなかった。ベレスとユーリスはその結果に満足げに微笑み合った。

 

そして数週間後。

満を持して発売された『暗黒竜と光の剣 秘蔵木箱フィギュア』は、フォドラ全土で社会現象と呼ぶにふさわしい空前の大ブームを巻き起こした。

だがそこで一つのカシアンですら予測できなかった事態が発生する。

フィギュアのあまりの人気に、そして何よりもその一体一体を手作業で丁寧に作り上げる職人たちのこだわりと、作業の手間によって、生産が需要に全く全く追いつかなかったのだ。

 

町の販売所には発売日の数日前から長蛇の列ができ、商品は販売開始からわずか数分で完売。

結果としてカシアンが考案した「スーパーレアを求めて何度も買わせる」という悪魔の集金システムは、ほとんどの人がそもそも箱を一つ買うことすらできなかった。供給不足という単純な現実の前ではその真価を発揮する機会すら与えられなかったのである。

 

結果として邪神が司るガチャと言う悪魔の思想や技術はフォドラの闇へと葬られることとなってしまったフェー。めでたしめでたし。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。