2084年 作:キージェンエグゼ
「粛清」──政治犯や思考犯をこの世から消去する。それはこの世界では日常茶飯事の出来事だ。グレートファザーこそが絶対的な神であり、唯一無二の法である。民族的なアイデンティティは”分断行為”として禁じられ、その文化の保持、宗教の信仰、あるいは精神的支柱を外部に委ねる”思考の外部委託”行為もすべて禁止されている。許されるのは、ただ一つ──グレートファザーが提唱した”同盟説”のみ。それ以外の信仰は、この世に存在しないことになっている。
スミダが生まれた頃には、まだテラやジンジャといった伝統的な建築が残っていたと聞く。しかし今では、それらの面影は跡形もない。徹底的に破壊され、記憶からすら抹消されてしまったのだ。けれども、そんなことはスミダにはどうでもよかった。彼にとって、過去は重みのない霧のようなものでしかない。
背後のミンムーは、第9次興盛三年計画と半導体の生産目標達成についてひたすら喋り続けていた。ミンムーは単なる情報端末ではない。搭載された監視AI「順心(シュンシン)」が、常に人々を見張っている。小型カメラが部屋の隅々を監視し、体温、心拍、眼球の動き、筋肉の緊張、呼吸のリズムまでリアルタイムで解析している。もし異常な反応や感情の波が検知されれば、即座に「監視対象」に指定され、一定以上の異常値が記録されると、忠誠監察局の監察官たちが派遣される。
そこに「沈黙」や「孤独」は存在しない。旧時代の言葉で言えば──プライバシーの死滅だ。寝室、浴室、スマホ、自転車、果ては衣服のボタンにまでミンムーが組み込まれている世界。逃れようとすることすら、思考犯罪に問われるのだ。
“正しい心は、正しい未来に”──ミンムーのスローガンはそう掲げられている。そして、その「正しい未来」とは、当然ながら新世界同盟にとっての「正義」だけを意味する。
スミダは、ミンムーの正面を避け、背を向けて作業に取り掛かった。それだけでもわずかに気持ちが落ち着く気がした。しかし背後に突き刺さる監視の視線を感じずにはいられない。ほんの些細な表情や姿勢ですら、順心に読み取られているかもしれないと思うと、肌が粟立つ。
窓越しに見える灰色の都市風景──それが、スミダの職場「歴史修正局」の所在する東明京だ。コンクリートと排気ガスが渦巻く街。東明京は、新世界同盟の中で第3の人口を誇る<東亜第三区>の首都である。
スミダは記憶をたぐり寄せようとする。かつて、もっと青い空が広がっていたような気がする。子供たちの笑い声が、もっと澄んでいた気もする。しかし、思い出そうとすればするほど、記憶はぼやけ、靄の中に溶けていく。ただ一つ確かなのは、今この瞬間、目の前に広がる世界は徹頭徹尾、グレートファザーの世界であるということだけだった。
<歴史修正局>──統語で<リシュウゾン>と呼ばれる組織は、灰色の都市風景の中でも異様なほど際立っていた。スミダの住む栄望塔マンションからもはっきりと見える、白銀色に輝く超高層塔、東明京塔。無機質なコンクリートの海の中に、冷たく無感情に突き立つその巨塔は、上空634メートルにまで達し、テラス状に何層にも重なった構造を持っている。
塔には、新世界共産党の三大スローガンが誇らしげに掲げられている。
战争即和平
自由即奴役
无知即力量
地上部には4000を超える執務室があり、同様の規模の地下施設も存在すると噂されている。しかも、東明京にはこの塔が4本もあるのだ。それぞれが新世界同盟の4つの省──至理省、永平省、至忠省、民豊省──の拠点となっており、街全体を冷たい支配の網で覆っている。
たった4つの省が、この地球の3分の1を統治しているとは、外から来た者には信じられないだろう。だが、スミダにとってはそれが当たり前だった。この世界は巨大すぎる官僚機構でも、緻密な自治制度でもない。たった4つの巨大な意志によって成立している、ひたすら無機質な帝国なのだ。