2084年 作:キージェンエグゼ
しばらくの間、スミダは「2084」という数字の羅列を見つめ続けていた。ミンムーから流れる音声は、いつの間にか耳障りな軍歌へと変わっていた。重たく響くリズムが頭蓋の内側を叩き、思考の流れをかき乱す。
自分は何を書きたかったのだろう?
準備はしてきた。何週間も、心の中で言葉を繰り返してきた。それなのに、今になって何もかもを見失った。勇気さえあれば十分だと思っていた。だが違った。必要だったのは、もっと別の──たとえば、絶望を飲み下してなお立ち上がれるような、鈍感な覚悟だった。
文字を書くことは難しいものではない。少しの教養があれば、子どもにだってできる。
ただ思うままにペンを走らせればいい。
なのに手が動かない。指先は凍りつき、胸の奥で呼吸が苦しくなる。
あまりの無力感に、思わず白酒に手を伸ばした。
だが微酔いの感覚も、虚しさをわずかにぼかすだけだった。
時間だけが無意味に過ぎた。
目の前に置かれた白い空白、肺を締めつける圧迫感、鳴り止まない軍歌。
それ以外、スミダの意識には何もなかった。
そして、唐突に。
体中を雷のような衝撃が駆け抜けた。
スミダは反射的にパニックに陥り、何を書いているのかもわからぬままペンを走らせた。
最初は律儀に筆順を守っていた文字も、やがて崩れ、子どもがなぐり書きしたような無様な字に変わっていった。
だがそれでも、スミダは書き続けた。
書かなければ、今度こそ何かが壊れてしまう気がしたからだ。
2084年4月4日
昨夜は映画をいくつか見た。すべて戦争映画だった。
ほとんどが政府の戦争行為を賛美する内容だったが、ひとつだけ心に残るものがあった。
それは、北大西洋連合軍に捕らえられた捕虜を救出する作戦を描いたものだった。
他の映画のような誇張や美化はなく、現実の苛烈さをむき出しにした作品だった。
特に印象に残った場面がある。
救出部隊が捕虜たちのもとへ突入したとき、4人のうち1人に爆弾が取り付けられていた。
爆弾にはタイマーがあり、表示されていた時間は「1:24」。
兵士たちは必死に解除を試みたが、うまくいかない。
残り時間が「0:30」と表示を変える中、捕虜は自ら「俺を置いて行ってくれ」と懇願した。
部隊は命令に従い撤退する。しかし、30秒、20秒とカウントが進む間、捕虜の叫び声が響き渡った。最初は新世界同盟を讃える言葉だった。だが、0に近づくにつれて声は震え、やがて叫んだ。「母さん、死にたくないよ」あまりにも人間らしく、あまりにも生々しい声だった。
その捕虜はきっと──
スミダの手は止まった。ペンを握る手が震えていた。なぜこんなくだらないことを書こうとしたのか、自分でもわからない。だが、ペンを動かしている間、心の奥から奇妙な記憶が溢れ出してくる。それを書き留めなければ、という衝動が消えない。
そして、ようやくスミダは悟った。今日帰宅して、無理やり日記を書き始めた本当の理由。それは昨晩見た映画だけではなかった。もっと別の、朝に<歴史修正局>で起きた出来事。あの、言葉にするのも難しい、ひどく漠然とした「異変」が──
この行動の、本当の引き金だったのだ。