2084年   作:キージェンエグゼ

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 時計の長針が、カチリと乾いた音を立てた。次の瞬間、ホール奥の巨大なミンムーに、<人民の敵>ジー・ハンリョウの顔が映し出された。不快な、不協和音のような音楽が場内に流れ始める。それは音楽というにはあまりに暴力的で、苛立ちと不安、焦燥と怒りを無理やり引き出すように設計された、精神を掻き乱す機械音だった。<二分間同調>が始まった。

 

 スミダは、周囲に立つ人々の空気が次第に尖っていくのを肌で感じていた。口元を引き結び、拳を握り、怒りと憎悪を静かに煮詰めていくような、そんな圧力がホールを満たしていく。先陣を切るように、1人の女が声を上げた。

 

 「ハンリョウは脱党者! 裏切り者!」

 

 その怒声は、他者の中にあった怒りに火を点けた。次々と叫びが上がる。罵倒、侮蔑、悲鳴のような怒鳴り声が、ミンムーに向かって一斉に投げつけられる。誰もが口汚くジー・ハンリョウを罵り、彼を打ち倒すかのように言葉の槍を放つのだった。

 

 ジー・ハンリョウは、かつて<グレートファザー>と並び称された革命の英雄だった。<新正統派>の理論的支柱であり、国家建設の中心人物とされていた。だがある日、彼は反旗を翻した。以降、彼は最も危険な<反正統派>の指導者とされ、思想犯罪者の象徴、裏切りの化身として記憶されるようになった。忠誠監察局によって逮捕され、死刑判決まで下されたが、死刑台に上るその直前、忽然と姿を消した。それ以来、彼は亡霊のように、そして悪夢のように、人々の中に居座っている。

 

 プログラムによっては<二分間同調>にハンリョウが登場しない日もあるが、今日は違った。今日は、彼だった。スミダの横隔膜が震えた。いつ見ても、この男の顔には耐えがたい感情が渦巻く。苛立ち、怒り、恐怖、困惑、そしてどこか、抑えきれない共感のようなものが。大きく見開かれたアジア人離れした目、高く尖った鼻、羊毛のような白髪、顎にわずかに生えたヤギひげ。それらすべてが「知性」を物語っているのに、どこか人を不快にさせる卑しさと愚鈍さを感じさせた。その鼻の先にちょこんとのった眼鏡が、妙に癇に障る。羊のような顔で、声もまた、どこか羊めいている。

 

 ハンリョウは今日も、党の原理に対して唾を吐くような演説をぶちまけていた。子供でも見抜けるほどに誇張され、あまりに大げさで、ねじ曲がった言葉。だが、あまりに巧妙だった。知性を持たぬ者ならば、その中身の毒に簡単に当てられてしまうだろう。彼はヒステリックな勢いで「言論の自由」「報道の自由」「集会の自由」「思想の自由」を叫び、「革命は裏切られた」と繰り返した。グレートファザーを嘲り、北大西洋連合との講和を要求する。しかもその演説には、皮肉に満ちた早口の語法が混じっていた。党の演説家たちが用いる統語法を逆手に取り、誇張し、言葉遊びのようにひねくり回していた。しかも、一般党員の日常会話の比ではないほどの高度な統語だった。

 

 その背後には、映像のなかで北大西洋連合の軍隊が無限ループのように行進を続けていた。筋骨隆々の、白人のように高くくっきりした鼻をもつ兵士たち。重厚な軍靴の音が、大地を打つように規則正しく響き、その足音があたかもハンリョウの羊のような声に伴奏を与えていた。

 

 映像は、現実のようでいて現実ではない。だが、スミダはそこに「真実」があるかのように思えてならなかった。




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