「なるほど、道理で」
へのじちゃんは昔取った杵柄というか、実際に昇天した記憶を持つ幽霊経験者として歌い手『へぶん』こと赤佐てんの背後に憑く幽霊たちに事情を聴くことにした。彼らは悪霊などではなくごくごく普通?の一般幽霊たちであり、嫌な感覚が無かったというのもある。
彼らの中でリーダー格というか、恐らくは赤佐氏の先祖であろう背後霊――むしろ守護霊とでも呼ぶべき人物によると、彼女にこれほどの数の幽霊が憑りつく様になったのは3年前からだという。
当時人気絶頂であった赤佐氏は自身のこれまでの活動の集大成として楽曲『天界への階段』を発表。その前後からまるで引き寄せられるかのように昇天できない地縛霊たちが赤佐氏に憑りつき始めたのだ。
「天界への階段か。昇天のイメージが掴めない者が藁にも縋った、ということだな」
「あのぉ。へのじちゃんさん、私の背後に向かってずっとばぶばぶ言われてるんですがぁ」
「ああ、たまにそういう事あるんだよね。ほら赤ちゃんとか動物ってなんもないとこ見たりするっしょ? 気にしないでも良いよ!」
「これ気にしないの相当胆力ないと無理ですよぉ」
確かに天に召されるときの昇天は人として生きた者には掴みづらいかもしれない。へのじちゃんも悔いなく逝けると最後の最後で確信できたからこそ迷いなく天に昇れた自覚があるため、人によっては迷ってしまい現世に囚われるかもしれない、というのは理解できた。
そしてそんな迷ってしまった霊魂たちが、救いを求めて縋ってしまうほどに赤佐氏が作った『天界への階段』という楽曲は素晴らしいのだろう。あるいは自分を天界へと送ってくれると錯覚してしまうほどに。
そして赤佐氏が3年前からなぜか人気を落としているという理由は、恐らくこれなのだろう。数十人規模の見えない重しが常に乗っているというデバフと、人々の無意識的な忌避感というやつだ。りん曰くパフォーマンスは落ちていないという事だから、赤佐氏は本来出せる以上の力を出していたか成長していたかでデバフをかき消していたのだろう。だがそれでもネット配信や動画配信の、その映像越しに違和感を覚えた人々が無意識に彼女を避けた結果が緩やかな人気の衰退という形になって現れたのだ。
実際に初めて赤佐氏と会ったやい子は、彼女が抱える異様な雰囲気にあてられたのか会話に口を挟むことなくりんに任せている。ではなんの問題もなく彼女と話せているりんはなんなのかという話だが、この忌避感はあくまでも無意識に感じる程度のものであり実際の感情に押し流される程度のものなのだ。
本当の意味で彼女のファンであるりんにはそれほど影響がなく、彼女の楽曲を今も聴いている20万人ほどの人々はおそらく、それだけ熱心に彼女の楽曲を支持しているのだろう。
哀れである
赤佐氏はただより良い作品を作ろうとした結果こうなってしまっただけであり、その行動には純粋なアーティストとしての欲求しかなかった。彼女の背後の霊達も彼女に害をなそうという訳ではなくただ救いを求めて彼女へ縋り付いただけだった。
哀れである
自身が幸せな前世を送った自覚があるからこそ、へのじちゃんは彼らの今を憐れんだ。無意識のうちに再度両手を合わせ、祈る様に口を開いた。
「仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経」
「あの。お宅の娘さんがいきなり私に向かってなにか……これお経!? お経詠んでませんかこの赤ちゃん!?」
「ちょ、撮れ高! こんなん撮れ髙でしょ! やい子ビデオカメラ!」
「もう回してる! お前もスマホで別角度撮って!」
手を合わせ、心を込めてへのじちゃんは般若心経を口ずさむ。自身の経験を踏まえてへのじちゃんはオカルトについて理解を持っているが自身が特別だという感覚はない。ただ普通の赤ん坊よりも知っているだけだと考えている。
だからこのときへのじちゃんが頭の中に思い浮かべたのは、前世で逝ったときの幸せな、悔いなく昇天した時のイメージだ。天に召される時のイメージを思い浮かべながら、それらが彼らに伝わるように心を込めて読経を始めたのだ。
意思が伝わったからだろうか。最初は戸惑うような雰囲気をかもしだしていた背後霊たちも、次第にへのじちゃんの周囲に集まり始める。天に上るという感覚を般若心境を媒介に彼らへと伝えるため、へのじちゃんは一心不乱に読経を続けていく。
一度目の読経が終わったとき、変化が現れた。年かさの霊魂の一人が、光に包まれて天へと昇って行ったのだ。やがてそれに釣られるかのように一人、また一人と導かれるように天へと昇っていく。二度目、三度目と繰り返すうちに霊魂の数は減っていき、4度目の時には赤佐氏に憑りつく霊魂は守護霊らしき女性のみになった。
それを確認したへのじちゃんは精も根も尽き果てたとばかりに深いため息をつき、ばたりと仰向けに寝転がる。疲れた。大分と疲れた。そう心の中で独り言ち、へのじちゃんは心地よい眠りの世界へと旅立っていった。
「………………」
「…………えぇ…………」
「うちのベイビーちゃん、寝顔もプリティよね♪」
事態の推移についていけず、ずっとカメラを回し続けて居た大人たちを残して。