柔らかな座布団の上に置かれたベビー椅子に座って、へのじちゃんは自然体のまま目の前に座る法衣姿の男性に向き合う。
「…………」
「…………ばぶ」
関東圏のとあるお寺の中。板張りのお堂の中でへのじちゃんと向き合う男性は、穏やかな表情を浮かべたままへのじちゃんをしげしげと眺め、唐突に視線を外しやい子に言葉をかける。
「やこちゃん。急に連絡寄越して来たと思ったら、なんだか凄い子連れてきたねぇ」
「叔父さん。ごめんだけど、叔父さんしか頼れんのよ」
彼は
大事故配信が行われた日の夜、『へのじちゃんねる』の関係者+1(へぶん)はこれ、このまま夜を明かしていいのか、という話し合いを行った。あの大事故配信の後も一切態度を変えないりんとへのじちゃんは兎も角、やい子と何故かこの話し合いに参加したへぶんがお祓いに行った方が良いと主張したためだ。
その話を聞いていた
寝息を立てるへのじちゃんを起こさないように声を潜めて、くろじとぺこをペットホテルに預けた後。知り合いにうってつけの人がいるというやい子の伝手に連絡を取り、レンタカーを走らせて数時間。そうして到着したのがこの
「それで、どう? なにか悪いものが憑いてるとか、そういうのある?」
「うーむ」
心底から心配そうな姪っ子の言葉に、
とはいえ碌に付き合いのない
「そうだな。まず、なにか悪いものがこの子に憑りついているだとか、そういう気配はない」
むしろそういう気配が強いのはやい子の隣で座布団に座り、ヘッドフォンを耳に当ててガタガタ震えながら般若心経を呟くへぶんの方なのだが、そちらは姪っ子の要件を終わらせてからでも良いだろうと
「輪廻転生という言葉を知っているかな、やい子ちゃん」
「え……こ、言葉だけは」
「あ、うち知ってます! なろう小説で読んだ! 生まれ変わるって意味ですよね!?」
「はんにゃーはーらーみーたー」
なろう小説で読んだ、と元気に応えるりんに
「人間はね。皆生まれて、そして亡くなる。誰しもが車輪のように死と再生を循環しているんだ。これが輪廻。転生とは生まれ変わる事。魂が新しい肉の器に宿り、新たな人生が肉の器が再び滅びるまで歩むんだね。それが輪廻と転生。誰しもがそれを繰り返して、そして忘れているだけなんだ。赤ん坊の時とかにね」
「おぉ~なるほど! へえ~理解した!」
「お前絶対分かってないだろ」
「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」
「ははは。まぁ、中にはその繰り返しを覚えて居たりすることもある。時たまふっと、経験したことがないのに見覚えがあるといった事や始めてきた場所なのに何度か来たことがあるような気がすることはないかな? 程度の差こそあれ、そういったデジャヴは前世での経験を魂が思い出しているのかもしれないんだ。この子は、それが他者よりもちょっとだけ強いんだろうね」
女三人寄れば姦しいとは言うが、若い子のパワーは凄いな。思わずそう笑ってしまいそうになった
「さぞや前世で徳を積まれた御仁とお見受けする」
「
「ははは。不思議だ、言葉は伝わらないというのに謙遜されたことだけはなんとなく分かる。何も知らずに接すれば御仏の化身かと見間違えそうだ」
「
悪いものは憑いていない。輪廻転生。現代っ子には理解できない単語の二つに押しつぶされそうなやい子だったが、その様子を
「やこちゃん。科学では説明できない事柄はこの世の中、往々にして存在するんだ」
「……いや、でも。叔父さん」
「理解できないのは怖いかい? そうだね。人は幽霊や妖怪を畏れるものだ」
今日、
悪いものがその精神の隙間に憑りつかれそうになっていたのは、やい子である。
「だけどね、やこちゃん。それらが怖いという感情は、大体が理解できない事柄だからなんだよ。君が今日、怖いと感じたのはなにについてかな。いきなり人影が現れては消えた事かい? それならば今日理解できたね。幽霊は存在するし、対処法も存在する。人影が消えたのは昇天したからだよ。それともそれを成したへのじちゃんが怖いのかい? もしそうなら、よく見るんだやい子。この子の事を」
にこやかな表情のまま、叱咤するように
彼の視線を受けてやい子は、自分の前に座る赤ん坊に視線を向ける。元々、明らかに知能が発達しすぎていると思った。まるで大人のように振る舞う0歳児の姿に逸材だとばかり考えていたが、改めて考えればどう見繕っても異常としか言えないではないか。
前世、というものを信じたことはなかったが、今ならば素直に受け止められる。この赤ん坊は普通じゃない。普通じゃないという事は、異常であるという事だ。異常であるという事は――
やい子の考えが危険な色を帯び始めた時。相棒の様子にりんが視線を向けた時。
「
顔色を悪くしたやい子を気遣うかのようにへのじちゃんは自身の宝物であるおしゃぶりを彼女に差し出した。
初めて出会った時と同じように、心配そうな表情を浮かべて。
「……あ、はは」
「やー子。どったの?」
「はは……なんでもない。なんでもないよりん」
「お、おう。マジどったの?」
やい子の思考を全て一蹴するかのような湿り気を帯びたおしゃぶりは、彼女の手に収められた。小難しい話が何度も何度も頭の中を埋め尽くしていたが、やい子は至極単純なことにようやく気付いたのだ。
「あんがとね、へのじちゃん。これ、返す」
「
カポっとおしゃぶりを口にくわえてご満悦の様子に、やい子は憑き物が落ちたかのような表情を浮かべてへのじちゃんの頭をなでる。
大事な宝物を気遣うように差し出す、優しい子だ。そんな簡単な事をやい子は今さらになって思い出したのだ。
「それはそれとして、そちらのお嬢さんが今回の原因だね。正式なお祓いしよっか」
「やっぱりアンタか! おらヘッドホンなんて外せ! おら!」
「ひょええええぇ!? へ、へのじちゃんの般若心経がぁ!!?」
へのじちゃんの読経で今現在寄り集まっていた霊魂はなんとかなった。だが原因を調査してそれを封じなければまた元の木阿弥となってしまうのは明白だ。
結局へぶんのお祓いは一晩中をかけて行う事となり、その様子を撮影したやい子は『全ての元凶』と題したその一連の様子を動画配信で公開。りんとへのじちゃんは
しばらくの間宗教系のアカウントからの勧誘がしつこかった。
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