TS雷家事親父   作:ぱちぱち

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『へのじちゃんとTVを見よう!』

「今日も残業かぁ……」

 

 

 職場の壁に備え付けられている時計に目をやり、彼は小さくため息をついた。定時は17時であるがここ数週間、定時に帰れた試しがないからだ。仕事があるのは良い事だ、なんて仕事を振ってくる上司は口にするが、当の本人は早々に帰宅してしまうため仕事を振られた側としては苛立ちしか湧いてこない。

 

――なにか買って食べるか。腹が膨れればもう少し気分も落ち着くだろう

 

 そう思い立ち、携帯を手に席を立とうとした彼は、その携帯に入ってきた新着の文字に目を止める。

 

 最近登録した『へのじちゃんねる』で生配信が行われているようだ。

 

 

「お。生へのじちゃんなんて珍しいな。やっぱ加工じゃないってあの顔はぁ」 

 

 

 誰ともなしに呟き、立ち上がろうとした席に座りなおしてスマートフォンを操作する。彼はへのじちゃんがSNSでバズった時から彼女のファンの一人で、へのじちゃんの顔は加工だと言い張るネット工作員をボコボコにすることに生きがいを感じている。職場のストレスを悪い奴退治で晴らす、実に日本人らしい性格の青年だ。

 

 始まったばかりの配信は『へのじちゃんとTVを見よう!』というシンプルなタイトルの物。同時接続数は数百人とまだまだ数千人しか登録者のいない『へのじちゃんねる』としては頑張った数字と言える。夕方の帰宅時間だと考えると、電車の中やバスの中などでこれを見てる人が多いだろう。

 

 どうやらこの配信の目的は夕方に流れる教育番組をへのじちゃんとリアルタイム同時視聴する、というものらしい。ストレス発散を目的としてへのじちゃんを追っている彼としてはあまり食指が動かない内容だが、生へのじちゃんの表情を見て加工厨どもを「生であの顔やってるやんwwwあほすwww」と嘲るためにも、ここは見ておくのがベターだ。そう考えた彼は残業用にコーヒーを入れなおす。

 

 

『ばぶ』

 

 

 画面の向こうのへのじちゃんは、配信が始まったと判断したのか。ぺこりと画面に向かって頭を下げると、小さな手には大きすぎるTVのリモコンを叩くようにして電源を入れる。

 

 

『皆さん今日はお集まりありがとうございまーす♪ へのじちゃんも喜んでるみたいです♪ これからXX局の「お遊戯であそぼ」をへのじちゃんと見るので、一緒に楽しみましょう♪』

 

 

 陽気な感じで若い女の声が響く。ナレーション代わりに喋る声を彼はなんどか動画内で聞いたことがある。恐らくこの女がへのじちゃんの母親なのだろう。若干棒読みに聞こえるのは台本でも読んでいるのだろうか。

 

――赤ん坊の娘を使って金儲けか。かぁ~これだから最近の若いもんは。

 

 恐らくそれほど年齢も違わないへのじちゃんの母親を内心で貶していると、番組が始まったのだろう。音楽が流れ始め、へのじちゃんも反応するようにくんっと頭を持ち上げる。いちいちレスポンスが良い。

 

――やっぱりこの娘なんか『持ってる』よなぁ。ドラマとかの子役の赤ん坊よりもこう、目を引くというか

 

 そうへのじちゃんを勝手に評価しながら、青年は入れたばかりのコーヒーを口に含む。

 

 

「ぶほっ」

 

 

 そしてそれを一気に自分のスマートフォンに向けて吹き出した。

 

 

『ばぶ……ばぶっ』

 

 

 コーヒーに塗れたスマートフォンの画面には、へのじちゃんがTV画面を見ながらなんども小さく頷いている姿が映し出されている。問題はその表情だった。

 

 まず、笑顔である。これは間違いないだろう。世に出回っているへのじちゃん画像集のどれもが口をへの字に曲げた不機嫌そうな画像であるのに対し、今日のへのじちゃんは非常にご機嫌の様子だ。口元もいつものへの字ではなく……これはなんというのだろうか。両頬を限界まで引き上げ、Uの字になっているというべきか。

 

 この表情をコーヒーを吹いた彼は見たことがある。遠い日の記憶、それこそ小学生に上がるか上がらないかの頃の話だ。

 

 当時、幼稚園に通っていた自分の送り迎えを、たまたま遊びに来ていた祖父がしてくれたことがある。あの時、めったに会えないおじいちゃんに会って駆け寄った自分を抱き上げた祖父がしていた表情が、これだった。

 

 職場のTVを着ける。へのじちゃんが見ている筈の教育番組では十名ちかくの保育園位の男の子や女の子が元気いっぱいに跳ね回る姿が映し出されていた。

 

――間違ってもこれを見て赤ん坊が浮かべる表情じゃないだろどっちかというとお前は見られる側じゃい!

 

 自分の内心だけでそう叫んでいると、ポンポン、と誰かが彼の肩を叩いたので振り返る。そこには職場の先輩が、自分と同じように胸元を濡らした姿で立っていた。

 

 

「――くん。見た?」

 

「あ、っす。先輩も?」

 

「うん」

 

「……残業、頑張りましょうか」

 

「うん。全部見終わってからね」

 

 

 その日、彼はそれまであまり絡んだことのない先輩と飲みに行った。

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