救世主
「出し惜しみをするな」お前らは言うな。「『身の丈にあった場所にいよう。もう傷つきたくないんだ』そんな風に自分の境遇に甘んじていたら。『今はこの場所に相応しい振る舞いをしているだけ。私だってやればもっと出来るんだ』そんな風に考えていたら。いつか本当に全力が出せなくなる。そう気づいてから後悔したって遅いんだ。何で余力を残したまま努力をやめて納得している? どうして君は本気を出さないんだ」
ああ、立派な心がけだ。感動で涙が出るよ。
きっとそうやって全力を出して結果を出せる者は、さぞ幸せなんだろう。
その振る舞いに周囲からも好かれて引き立てられ、どんどんと『上』に行ける。
そこではまたそいつの前に立ち塞がる『試練』が待っていて、きっとそいつは努力してそれを乗り越えて、更に経験値を積んで力量を積んで、もっともっと上へ上へと昇っていくんだ。
でもな、そうじゃない奴だっていっぱいいる。
その全力を出して、力及ばなかった。『次』へ行くことが叶わなかった者。
最初にボタンを掛け違えて、やること為すこと裏目に出てしまった者。
全力を出して嘲られ。認めてくれる者に出会えずそのまま孤立する者。
そうやってとうとう“どん底”にたどり着いちまった者たちの集まるのがこの場所だ。
そしてそこで何とか生き残るために、僅かでも残った自分のプライドを守るために。汲々と日々暮らしているのが私たちの現状。
そこで100%の力を出す。出し惜しみしない。努力を続けるよう心がけよう。そんな生き方をしてどうなる。
それで上に行ける保証なんてないのに。
何もかも裏目に出て、気持ちすら相手に逆に受け取られ軽蔑される。またあの苦しい思いをしろと。
誰も助けてくれなかったのに。今さら何でそんなことを。
私たちはこの今を守りたい。ただそんな気持ちなんだ。
善良たる皆様はそうした有り様を目ざとく見つけて言い募る。
「ほらな、こいつらは『全力』を出して来なかったから、こんな有り様なんだ。『今』から脱出しようとしない怠け者なんだ」
こう語る方々は、自分の努力が常に正当に評価され報われてきた、きっと幸せな者たちなのだろうな。
ああ、そうだ私たちは負け犬だ。
で、そんな負け犬たちが集まったこのコミュニティで、気持ちの通じ合った仲間を守りたい、かけがえのないこの居場所を守りたい。
そういう気持ちでいっぱいのどうしようもない者たち。
笑うなら笑えば良い。
ただ1つ言えること。
「たとえどこであろうとも、私たちは、いつだって、自分の居場所を、プライドを、そして大事な仲間たちを、守るために戦ってきた」
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「はぁ、はぁ、っつ……、はぁ、はぁ……」
息せき切って走る。
時おり相手がもう諦めてくれたか確かめようと、祈るように後ろを振り向いては顔を歪ませる。依然追手は彼女の後ろについている。そうやって後ろを振り向く度に、距離が詰められていた。
そんな何度も振り向いて、ただその分速度が落ちるだけだ。一心に前を向いて走れば良いだろうに。だけど気持ちも萎え、そうした心意気すら彼女から拭い去られる。
「あっ」
今、地面に転がるプラスチックケースを蹴ってよろけた。薄暗い、狭い路地裏だ。バランスを崩してつんのめる無様な姿が、長い影となって雑居ビル裏小汚い壁に映写される。
ロクに整備されてないコース。アウトローの狩り場。
端から全力で走ることを想定されていない場所で、だとしても彼女の有り様は走ることを宿命づけられたウマ娘のそれにしては心許なくないか。
既に力尽きかけているのだ。もう趨勢は定まり、後はどれだけ敗北の時を伸ばせるかといった状態。いっそ立ち止まれば楽になるのに、ただ虚仮のような情念がこの小柄なウマ娘の脚を闇雲に動かしていた。
追手もそれを分かっていたから、わざと足音をがなり立て相手を怯えさせたり、ときに道路脇の障害物に飛び乗りそこから囃し立てたりと言った具合に、ねぶるように追いつめている。
ただ追いついたって面白くない。そうやっていっそ“心”をへし折ってさえしまえば、もう今後も歯向かう気だって起こらないだろうと言わんばかりの暴虐邪智。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
もう駄目だ。これ以上は無理っ。
小さな逃亡者がついに脚を緩めた、その時である。
「…………」
路地の更に狭い横道。そこから静かに歩み出る者がいた。
そいつは逃走者の前に立ち塞がるようにすると、しかし「私はあいつらとは関わりない」とばかりの体。
か弱き逃亡者は思わず立ち止まってしまう。
眼の前の相手は鈍重なコートを羽織り、フードを目深に被っている。故にその顔を仔細に伺い知ることはできない。
ただフードの奥、親しみのある表情を見せて立ち止まった相手を安心させると、次いで未だ迫りくる追っ手、眼の前の逃走者、双方を見比べ、
「Weapons Free。敵・味方の識別完了。双方の戦力比を確認。我の介入条件クリア。走路、ストリート。ルール、無制限。我の一切を以って敵を打倒する」
何事かを呟いたかと思うと、己の首筋に手をかけ首に巻いていたチョーカーを引きちぎる。
「ここからは私が代わりに行く。OK?」
これまで頑張ってきた「逃走者」に尋ねる。
「己に預けろ」と言うのだ。逃走の目的。まさに彼女がこれまで持って来た「それ」を持って。己が代わりに逃げると。
そしてそればかりではない。「この勝負」そのものを、自身が引き受けると。代理競争だ。
こんな状況の中、小さなウマ娘はマジマジと眼の前に現れた救世主を見つめた。
本当なら、信じるのは難しかったかも知れない。
突然現れた見ず知らずの相手に、自分の大事なものを信用して譲り渡せ。そのまま彼女に任せろと? どうかしている。それこそ敵とグルで、体よく渡した物を奪われるだけかも知れないじゃないか。
そして代わりに走ってもらったとて、勝てる保証がどこにあると?
それでもだ。
眼の前の相手は我々とは何かが違う。抽んでたものをその裡に潜めている。
「この『今』を変えてくれる。現状を打破して、私たちを救ってくれるような何かを、期待しても良いですか」
この場をやり過ごす。それだけじゃない。「ここ」を越えた先の向こう側、そこにたどり着きたい。そんな願いもあったのかも知れない。
だから彼女は眼の前の相手に、「それ」を持った手を差し出していた。
「ありがとう」とばかりに表情を作ると、この突如現れた救援者は彼女から目的の物を受け取り、「今度は私が相手だ」とばかりに、追っ手に向けて腕を掲げてみせた。
「ち、面倒くさいことになった」
新たな対戦者の登場に舌打ちする追っ手たち。だがどうでも良い。相手が誰だろうとここは我らのホームグラウンド。如何様にでも追い詰められるのだから。
お互いに見交わし隊列を作ると、チーム五人揃って急加速する。
それを合図にするように、この突如現れた救世主も護送対象の品を小脇に抱え、振り向きざま一気に駆け出していた。
レースが始まった。