到来
「こっちまで来る訳か」
「はい、遠くなってすみません」
「いや。遠い場所だからこそ、こちらこそ案内してもらって助かるよ」
「そもそも私が迷惑をおかけしたことですから」
翌日のことである。
遅めの朝食は、オーデンの自宅に常備してあるフルーツシリアルに牛乳をたっぷりとかけたのを搔き込んだ。
それでコールが空っぽのお皿をじっと見つめていたのをオーデンが目敏く見つけて、
「これだけじゃ足りないだろ」
と言って、棚からツナ缶を出してくれた。目覚めて今一度顔を赤らめる。
午前中はリビングで液晶テレビを点けて適当に番組を眺めながら、オーデンはマットレスの上でレース日後のストレッチをこなす。
コールも倣って真似ようとするも、昨日着てきた外用の厚着のままだから、ちょっと動いただけで身体から汗がじんわりにじみ出てきた。
「今度オーデンさんのところに在宅する用の部屋着も用意しないと」なんて思う彼女である。
それから外出前に身だしなみを整えた。オーデンの髪のセットにそれなりに時間がかかったので、出かける時には正午を少し過ぎていた。
お昼は外で食べようってことになって近くのお店で一緒にランチをとった。
……何から何までオーデンさんにお世話してもらって、本当申し訳ないなぁ。その分絶対オーデンさんのお役に立たないと。
そう誓ったコールであった。
そして先の話である。
いよいよ午後になってストリート・レース場に赴くことにした訳であるが、オーデンが案内されたのは、拠点からやや遠いところに位置するレース場であった。
「【メイン】を訪れるのは後回しにして、まずは新参の為のレース場に行こう」となった時、ではどこが良いかと思案したコールは、【連合】の息がかかっていない『中立』地点を選んだのだった。
ここでコールの言う「迷惑をおかけした」とは、「自分を庇ったために【連合】から目をつけられることになってしまった」ことを指す。
こうして赴く場所であるが、これがまた面白い。
既に述べた通り、駅の北側にオーデンの住処はある。
そこからいったん駅まで出た後、高架をくぐって南口に。昨日『同盟』の為に集まった集合地点を見上げ、ロータリーを抜ける。
ちょうどお昼時ということもあり、駅前の繁華街はその辺りの飲食店にやって来た仕事中の人々たちで賑やかだった。
それからどう歩くのかと思えば、まっすぐ南へ。
このまま行くと、【トゥインクル・シリーズ】の方のバカでかい、本物の(?)レース場にぶち当たってしまう訳であるが、実際そのレース場に面した東西に走る通りを西、自分たちから見て右に進んだ。
その後レース場の西を走る街道に突き当たって、そちらをまた南に進むわけである。
昨日駅まで行くときは、そちらの街道をそのまま進んだわけであり、今日は迂回した形になった訳であるが、
「私はいつもこちらの道を進んでいるんです。こちらの道を通ると、なんだか心がワクワクしてくるんです」
と、コールは説明するのだった。
まぁ実際この辺りの道は木立の中を通るようで、日差しも柔らかく、歩いていて心地が良い。
それにレース場前は事故防止に歩道と車道が明確に分かれていて、表の雑多な道とは違って快適に歩けもする。横断歩道では警備員さんがわざわざ交通整理までしてくれて、歩行者優先で通してもくれる。
「オーデンさんだって本物のレース場の雰囲気に当てられて盛り上がってくれるかも」と、レース場前通りを歩く時こっそり観察していたわけである。
ちょうど正門前を通る時、門の向こうにレース場の立派な構えの建物が目に映る。
しかし彼女ときたらどうやらそちらにはてんで興味がない様子で、ぷいとそちらには目を背けてそれっきり。
また先に進むと塀とレース場の敷地内に生えた木々に遮られ、歩道からは何も見えなくなってしまう。
「余計なお世話だったのかな」と内心がっかりするコールであった。
さて、ストリート・レースの存在を知った人は、こう不思議に思うはずだ。
「街中でウマ娘がレースで走ったりなんかしたら、目立つに決まっているだろう。おまけに観客まで何十人もいるって話じゃないか。そんなにウマ娘や人間が集まっていたら、当然外部の目にも止まる筈だ。けれど、何でそんなレースが、『表』に知られず今の今までこっそりと営まれているんだ」
こうした疑問について解きほぐすために、まずは知って欲しい。
人間ってのは、存外自分が関係ない場所には訪れようとしないものなのだ。
例えば東京の駅、それも通勤や通学乗り換えで一日延べ何百万人も利用するような、新宿や渋谷や池袋といった大きな駅。
常時ひっきりなしに人が往来するようなそれらの駅を、深夜から日の出前にかけて訪れてみるといい。
そして終電もとうに出てシャッターの閉まった駅の前を所在なさげに歩いているうちに、ハッと気がつく筈だ。
「ひとけがまるでない」
そう、ヒトっていうのは、用のない場所には敢えて立ち寄ろうとはしないものなのだ。 だから「昼間みんな用があってあれほど訪れる場所」も、電車の走らぬ深夜にはもぬけの殻になってしまう。
……「そんな馬鹿な」って言いたげな君だって、実際それらの場所を訪れて確かめて見ようとは思わないだろう。
こうした「用のない場所」ってのを、探そうと思えば幾らでも見いだせる。
例えば工場や土建屋さんの集まるエリア。
出勤時間や退勤時間、お昼時を除いて存外静かだったりする。
そりゃ建物の中で仕事をしていたり、どこかの現場へ赴いている訳だから。
そんな感じで、24時間いずれかの時間において誰の用もない、この街中において「死角」になる場所ってのは、存外見つかるものなのだ。
(逆に「人の通らなそうな閑静な住宅街の路地」ってのが、むしろ人が通るってのは分かるだろう。住んでいる人の数だけ往復がある筈なんだから。)
他にも、
「この一帯を配達屋や郵便屋が通るのはいついつの時間帯だ」、
「この道路は毎日園児たちが保母さんに連れられて散歩しているぞ」
「来週あの辺りで工事があって通行止めするらしいぞ」
なんて情報を収集。
「人の目に留まらない」、「走るのに人が邪魔にならない」よう、コースを吟味している訳である。
もちろんタマには偶然の用だったりほんの気まぐれで、人がコースエリア内に紛れ込むことはあるし、そうした変わり者が競争中のウマ娘を目撃することはある。
でもそれだって結局は一回だけのすれ違い。
「なんかウマ娘の集団が走ってったぞ」って訝しんだところで、すぐに自分の用を思い出してまたそちらに考え事を巡らすだろう。
敢えて自分とは関係のない先ほどの出来事をいつまでも気に留めようなんて人は、そうそういないのだ。
――そうした「紛れ込んだ人間」相手への対処法なんかもあるのだが、それについてはまた機会があったら説明しよう。
ともかく、こんな感じで【ストリート・レース】の秘密性ってのは保たれてきた。
オーデンとコールが向かったのは、公式のレース場から南の方へ進んだ先。
高速道路の高架をくぐれば、その先は川を渡る大きな橋に向かう街道がくねっているが、そこに向かうまでに横道にそれれば、まさにさっき言った工場や土建屋さんの事務所なんかが並ぶエリアが広がっている。
東京の裏道らしく、道自体はそれなりに入り組んではいる。ただエリア内に並ぶ建物や土地の中には、敷地面積が広いものもあり、そういった不動産に面した道路は、直線距離がだいぶ長くなっている。
まぁコーナーの切り返しの多い箇所と、道中の直線での加速力を競う、コーナリングと脚力の両方を要す、ハイブリットなコースだろうと、オーデンは歩きながら推測をつける。
もちろん実際のところは説明を聞くなり走るなりして確かめる必要があるが。
「こちらになります」
両脇をトタンを壁に張り付けたような小さな工場や、何の用途か分からぬ倉庫、誰かが使っているだろう小さな駐車場なんかで挟まれた狭い路地を進んだ先。
それらに紛れた一軒の細長い建物を指差すと、コールは軽快な足取りでそちらに駆けていく。
そのままアルミ階段をカンカンと音を立てて登り、その先にあるドアノブに手をかけた。
もちろんオーデンも躊躇なく彼女についていた。
「失礼しまーす」
声を出しながら、ドアを押し開けた。