建物の中の情景を見て、オーデンは「ほう」と感心したように目を見開いた。
外から見るとまるでヒトの気配のないわびしい建物だ。
それが一歩足を踏み入れれば、屋内はウマ娘たちがわんさかと集っている。
混雑している病院の待合所を思わせるような密集具合。
実際出番待ちなのか、暇を持て余しているといった様子で幾人も長椅子に腰掛けている光景は、ある種の待合所を思い出させなくもなかった。
そんな待機者や観衆たちは、建物に入ってきた見慣れない面子を興味深そうに見やった。
1人はフードを厳重に被った小娘。
隣に付き添いのように侍る、毛髪全体が鹿毛に染まった若い女性。
――そう、今のオーデンは、前髪の白い流星を隠すため、厳重に染めていた。午前中出かけるのに時間がかかったのは、この作業のためであった。
そうした彼女の『変装』は、ストリートの敵対相手に対して正体を隠すための「小細工」と言うよりは、なにか自分がこれまでと姿を変える、ここでの『姿』を作る。こうした工程を経ることで、自分がこれより先ストリートという無頼の場所で生きていくのだという、「決意表明」の様に思えた。
……あるいはそれすらも言い訳。実のところもっと大きい何か。運命の束縛から、逃れようという努力だと言うのは、流石に意地悪すぎだろうか。
彼女たちの到来は前触れがなくあまりに唐突で、ともすれば場違いの建物に迷い込んだ人間のように思えなくもない。
実際1人はフードで厳重に顔を隠し、もう1人は珍しくも髪に流星のない者。
とは言えフードはしっかりとウマ耳付きのそれだし、もう一人も頭にれっきとしたウマ耳が生えている。
ここまで見事な鹿毛というのも、人間が染めてそう再現できるものでもあるまい。
2人は室内を進む。コールは自分に気づいてやや怖気づいたように。オーデンは悠然とした態度で。
まったく。案内するはずのコールの方が(必要はないのに)怯えてと、真逆の風体だ。
彼女の不安はまったくの杞憂。実際のところ意識過剰気味のようで、というのもストリートのウマ娘も、大半は諍いとか関わりなしに走りたい、いわゆる「エンジョイ勢」。
そんな「勢力争い」なんてものは「あー、なんか運営の方でやってるみたいだー」って思うくらいで、特に興味ないのだ。だから運営チームに所属していたと言え、所詮一出走者のコールなどは、顔も知らないときている。
それにここは【連合】の息のかかっていないところだから、彼らのチーム員も今はいなかった。
受付のウマ娘のお姉さんは、明るい顔で2人を出迎えた。
格好は普通だけど、人参色の奇抜な髪の色をした絵描きさんみたいな女性だった。
「あら、初めての子かしら」
「えっと」と、自分の立場なんかを長々と説明しようとするコールを制して、
「ああ、ぜひストリート・レースに出てみたいと思ってね」
「もちろん歓迎よ」
答える受付。
「ただ」と残念そうに、「もう今日のお昼のレースは枠が埋まっちゃっているのよ」そう説明するのだった。
「午前中なり前日までに来てもらえれば良かったのだけどね。……それと今はスマホ上でも登録状況の確認なんかも出来るのだけども、知ってたかしら」
「あっ」
チームに所属していて、登録はそちらに一任していたコールである。個人での登録の仕方などは把握していなかったのだ。
案内すると言いながらの、度重なる失態に縮こまんばかり。
「ああいや、本当に初めて来たもんでね。何も勝手が分からないんだ」
オーデンは、そこはそもそも自分が何も知らないせい。別にコールが悪いわけじゃないとばかりに、受け持った。
「明日以降なら予約は取れるけど」
「まだ予定は決めてないんだ」
「そう。じゃあ登録だけでもしていかないかしら。そしたら今度から面倒な手続きは省けるわよ」
「そうさせてもらうよ」
受付に差し出された紙に、記入事項を記していく。
ストリート・レースの出走名(ニックネーム可)
「レース中起きた事故の責任を自己のものとします」的宣誓
書くことはそれぐらいだ。
「ああ、そうそう」
記入中に受付が口を挟む。
「登録するのはこれが初めてよね。……たまにいるのよね、別の場所で複数の登録を繰返して、【チップ】をその分貰っちゃおうって考える子が。とは言っても登録時に貰える【チップ】なんてたかが知れてるから、どの道大したことは出来ないんだけど」
「心配しなくていいよ。もちろん今回が正真正銘初めてだ」
「さっきは脅すようなこと言ったけど、例えばここのところ上手く行かないから、心機一転気分を入れ替えて、新しい名前でデビューしたいなんて言うのは別に禁止はされていないから。最初にお試しでレースに出た後にあらためて登録し直すなんてこともして構わないわ」
「お気持ちありがとう。必要になったら考えておくよ」
用紙を受け取ったお姉さんが何やらPCに打ち込んで、登録は完了した。
元々そうした運営用のページが用意されているのだろう。
事務的な作業は完了したことで、手持ち無沙汰になったオーデンは部屋中を見渡した。
席に座るウマ娘たちは、特に新参に興味を持つことなく、時間の迫った自分たちのレースを前にそれぞれの時間を過ごしている。
レースで最善を尽くすためにコンセントレーションしている者もいれば、スマホで時間を潰す者もいる。その辺も千差万別。
壁にある貼り紙を眺めている者もいた。
オーデンも一緒になって見れば、それはどうやら本日のレースプログラムであったり、翌日以降の案内であったりといった感じだ。
なるほどレースの発走時間を見ると、人通りの途絶える午後に初心者向けのレースがあり、人々が本格的に寝静まる深夜帯にかけて、大きなレースをやるといった時間割がなされているようだ。
本格的にストリートに参戦しようとしたら昼夜逆転生活になってしまわないかと思わなくもないが、まぁその辺り専念できないウマ娘のために、午後から夜にかけての初心者向けのレースも充実しているのだろう。
他にも注意書きやら心得やら、それにチームの勧誘広告なんかも所狭しと貼られている。それらを眺めているうちに、出走時間が近づいたようだ。
時間が来たウマ娘たちが準備のため立ち上がり、パドックとして設けられたスペースへ。階段をカツンカツンと音を立て鳴らし降りて行く。
どこで見ようかな、と思案するオーデンに、
「あ、レースの観戦でしたら下の階に向かいましょう」
コールが呼びかけ、出走者たちが降り終えた外階段を自分たちも降りて、1階の観戦スペースへ向かった。