1階のルームに足を踏み入れると、オーデンは更に感心したように目を光らせた。
まだ夕方になる前だというのに、ヒトが多い。
ストリート・レースの熱狂を浴びにやって来たウマ娘もいる。割合は少ないが、人間も混じっている。彼ら彼女らが皆、【ストリート・レース】の存在を嗅ぎつけここへやって来た、鋭敏な嗅覚の持ち主なのだ。
事務作業用に明るい照明が灯されて、整然とした2階に比べこちらのあり様。
スタート地点を眺める窓から太陽光を取り入れてはいるものの、元が日照の悪い場所で十分には光量が足りない。窓のない三方の壁は、黒カーテンがかけられ闇を演出する。
ここはもう『夜』の世界だと、告げられているよう。
照明は薄暗く灯され、奥の巨大モニターが眩い。あれにレースの光景を映し出すのだろうか。
モニター前に何列かになって並んだ申し訳程度の低い椅子は、座ってくつろぐと言うよりは、整列させる用途で設けられたものだろう。
そちらから離れた場所に、バーのカウンターの様に設置されたくつろげるスペースがあるが、そちらを利用したかったら相応のドリンクを注文してねということの様だ。
「あら、新顔かしら」
そちらに赴くと、カウンターで接客をしていたのは人参色の髪の毛のウマ娘。
「あれ、先ほどお会いしませんでしたっけ!?」
「さぁ、何かしら」
と、コールの驚きはあっさり返されてしまう。
「一杯頂けるかな」
「適当に見繕って構わないかしら?」
「ああ、頼む」
ウマ娘店員は冷えたグラスを取り出すと、その中に氷を入れる。
棚からジンジャーエールと色のついたボトルを取り出して適当に注ぐと、マドラーと混ぜて差し出すのだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
「(大人なやり取りだ……)」
などとコールがグラスに注がれた真っ赤な飲料に視線を注ぎながら心で密やかに感激するやり取りがあったが、出されたのは無論ノン・アルコールである。
ちなみにコールに差し出されたのは、グレープジュース。
ドリンクをちびちびゴクリとしながら、また部屋の中を見渡す。
先の2階の受付を、「病院の待合室のよう」と言った。となればこちらはどこかのレイブ会場といった風情。
実際DJが適当にチョイスしたBGMを流している。わざわざ雇われたというよりは、自発的に参画している者だろうか。
もちろん客もリズムに乗って景気よく踊り出しはしないのだが、仲間と話しながらちょっとおどけてみたり、その場で身体をゆさゆささせてみたりといった位のゆとりは、会場にはある。
一息つきがてらカウンターに座ったものの、モニターの方はまだレースの光景を映しておらず、さてどこからレースを眺めたものかと思っていると、
「あ、あっちの窓から直接スタート地点を見れるんですよ」
コールが指さして説明する。
「もちろんスタートしたらすぐに出走者は見れなくなっちゃいますが」
「なるほど。パドック兼ゲートみたいになってる訳か。じゃああのモニターはレース中に映像を映し出してくれるのかな」
「はい、そうなります」
「街中でレースをするばかりでなく、その光景を中継するなんて大したものだな」 そうオーデンが感心していると、
「それだけじゃないわよ」店員が口を挟む。「今度ね、ストリートのレース場同士で、他のレース場のレースも同時中継できないか検討している最中なの。今は技術的な問題の解決に目処が立ったところよ」
「はい、そうなんです」と喜色ばんで追随したいコールだが、今は何も知らぬ一般人を装っているので我慢。
「そりゃあ凄いな。本物のシリーズとも遜色ない」
「何よ。ストリートこそ本物のレースなのよ」
「そうだ! そうだ!」
「よく言った、感動した!」
店員の言葉に、カウンターや近くにいた客たちが同調して囃し立てた。
彼女らの盛り上がりを背に、グラスを手に新参者は窓の側に赴いた。
そちらでは「我こそレースの語りで一目置かれる者」なんて面持ちの人間が窓の前に張り付いていて、同じくそこから出走者を眺めるオーデンに、「よっ、姉ちゃん。熱心だな」と歓迎の眼差しを向けるのだ。
それを受けてオーデンも悪い顔をせず、爽やかに笑みを返す。
相手も気を良くしたのだろう。外を見たまま隣の新参者に語りかける。
「ここじゃあ見ない顔だけど、あれかい、お姉ちゃんも走るヒト?」
「ええ、まぁそんな感じで」
「ふっ、じゃあ敵情視察ってやつかい」
と勝手に納得した評論家は、窓の外の出走者を次々と指さしては、説明していくのだ。
「んじゃ姉ちゃんに教えてやるよ。このレースで注目するならまずはあのウマ娘、レッドソックス。初心者ランクを順調に連勝して、いつ上級レースに進んでも良いと来ている。あちこちのチームからも声をかけられているって話だ」
レッドソックスと名乗ってはいるが、特別髪の毛が赤みがかっている訳ではなく、がは赤系統でまとめられている。
ストリートは命名も本人の自由だから、赤い衣装をまとってそう名乗ることでキャラ作りをしているのか、あるいは敢えてその名前の通り赤の意匠で決めることにしたのか。まぁいずれかだろう。
「上級レースにってことなら、あのハルサメサラダも本来それ位の走力の持ち主なんだが、本人が昼型なものでずっとこの時間帯のレースに居着いているな」
昔は確かに凄かったが、今は随所に家庭じみた雰囲気を漂わせた。そんな感じのする、ここでは年齢高めのウマ娘だ。ひょっとしたら既に所帯も持っているのかもしれない。
本業なり家事がある。ストリートで走りたいけれど、さりとてそこまでガチにならず程々のところで満足する。そうしたエンジョイ勢もいるということだ。
「そんな中俺が注目しているのが――」
最後に目を向けたウマ娘。
闊達そうな雰囲気を漂わせた好ましい印象のまだ若い少女で、レース直前の今も準備運動兼アップに余念がないその積極性。
その僅かな身体の動作手足の曲げ伸ばしでも、彼女が実にしなやかな身体の持ち主と伝わってくる。
「ほう、お姉ちゃんも感心しているようだね。まぁ無理もない。何せここいら一帯じゃ群を抜いた実績の持ち主だからな。こちらに越してくる前、地元のスクールでトレセン学園――おっとここじゃあんまり名前を出すのは好まれなかったんだ。すまないね。例の学園への推薦試験で優秀な成績をおさめて予備生徒として選抜されたっていうじゃないか。今は本入学するために、上京してこちらのスクールで本格的に実地演習に励んでるそうな。……まぁそんな子でもストリートの誘惑には抗えないってもんなんかねぇ」
実際スクールで選抜されたという実績は伊達では無いようで、ただ走力があるだけでなく、レースという【エンタテイメント】に参加する者にとって必要不可欠な『華』とでもいうべきもの。
例えば社交性なり華やかさも備えているようで、今も彼女に声援を送るファン(?)の子たちに、愛嬌たっぷりに振る舞っている。
と真剣な眼で競争者を見渡すオーデンの姿を見て、同行者は、
「そうだった。オーデンさんの本来の目的……。『新しいチームを作る』。その為には、自分たちが走るだけではなく、共に協力してくれる、有力な仲間も見つけないといけないんだ」
そう、ここに来た目的を思い出す。
「やっぱりオーデンさん、気になる人を勧誘とかするのかな。あの人がチームに加わったら、一気に戦力も向上しそう」
などと検討をつけながらオーデンの方を見やれば、眼の前の出走者に対しそこまでの積極性は見られないのだった。
「あまり乗り気ではないのかな……? それとも今の私たちじゃ勧誘しても断られるだけって思っているのかもしれない」
そう思案するコールの傍らで、オーデンの胸の内、
(――必要なのは……飢え……。もっとこう、この場にかける意気込み。何が何でも勝たなければという貪欲な意志、執念なんだ。「ただ自分のレース欲を満たしてくれるこの場所に、腰掛けがてら参戦した」というだけじゃ足りない。到底足りないんだ……。)
発走時間になり、出走者がスタート地点に集結した。
レッドソックスは一枠一番の好位。ハルサメサラダがやや大外から1つ中。一番注目と言われた子は、真ん中に位置した。
オーデンにとって初観戦のレースのスタートが切られた。
いち早く抜けたのはレッドソックス。ハルサメサラダは悠然とした走りで、しかし中に詰め先団を獲った。例の子は中で埋もれている。
如何に見物用の窓が大きいとは言え、車の走行スピードで急発進して飛び出したようなものだ。
スタートを切ったウマ娘は、あっという間に見えなくなった。
しからばと視点をモニターに向ければ、早速そちらにレースの情景が映し出されている。
中央に映し出されているのが、今走っている場所の映像だ。
左右で縦に幾つも小さな枠に分割されていて、そこに各地点の定点カメラからの映像や各集団の情景が入れ替わりで映し出されている。
中央の映像が直線映像に切り替わった。
「ひゃふうううぅぅぅぅぅぅ」
大音声に何事かと思えば、先頭の紅脚。そんな雄叫びをあげながら直線を走り抜ける。そしてコーナーに突入する時、
ダンッ!
力を込め地面を踏みつけたかと思うと、
右足を振り上げ、横から薙ぐように蹴りをしたかと思うと、そのまま足をまっすぐと伸ばす。
コマのようにスピンした。
そのままバネで弾かれた様に、コーナーの先新たな直線に突っ込んでいく。
パフォーマンスを取るのは彼女だけに留まらず、皆が思い思いの振る舞いでコーナーを曲がる。前宙をする者までいた。
ハルサメサラダはカメラの位置を把握しているのか、そちらに向かって投げキッスをするのだった。
レースが進み、趨勢はレッドソックスの勝利に定まりつつあった。
その頃にはレースも猥雑さを増し、朗々と歌い出す者、あっちからこっち地面に敷かれたトタン板やら白線やらを土台に見立てて忍者のように飛び回る者。
壁走りに近い真似までする者もいた。
そうした者たちを背に、レッドソックスがゴールテープを最初に切った。
「よっしゃああぁぁぁ」
「もはや初級に敵なし!」
「早くうちのチームに来いやー」
観衆が彼女の勝利に歓声を送った。
そう、これがストリート。
単純な話、パフォーマンスや絶叫。走る際に余計なことをすれば、その分だけ速度は落ち走破タイムも伸びる。「レース」という順位を競う競技においては、無駄な行為でしかない。
しかしここではそうした観客に『魅せる』行為の一切が、本人の在り様として皆に伝えられるのだ。
だから「ここで存分に主張しろ」そういうことだ。
所謂表の『シリーズ』も、レースの後に観客に感謝のライブを披露する。総合的エンタテイメントを標榜しているからだ。
それがストリートにおいては、レースにおいて一切合切出し惜しみ無く表現しろと言っているのだ。
たった一戦。その一戦でストリートの在り方を遺憾なく受け取ることとなったオーデン。
「ここではただ走れば、走るのが速ければ良いって訳じゃないぞ。まぁもちろん『私は速さを追求するんだ』それも構わないが、そこまでガチった上で負けたら……分かるよなぁ? さぁ、お前はここで何を見せることが出来る? ストリートに集う人々に、何を与えられるっていうんだい」
まさにそうした『問い』を投げかけられるのだった。
……期待のウマ娘は中団に沈み5位だった。
――――。
午後の初心者クラスのレースプログラムが終了した。
この後は夕食の時間を挟んで(下校や通勤帰りで人通りが多くなる時間帯を避けようという意味だ)夜のレース。更に深夜のレースとなる。
ギャラリーも更に増え、レースの注目度によっては足の持って行き場がないくらいに混雑するという。
今日午後いっぱいレースを観戦し、更にこの先のレースも観戦となると、かれこれ半日は、ここにいることになる。
流石にレースに未出走で、ただここにいるだけで時間を取るのもどうだろうと思い始めた頃。
それで今日はホームに帰ろうかとコールに呼びかけようとしたその時、
「お、オーデンじゃないか」
新たにやって来た集団の先頭。
2人の姿を認め気安く挨拶をしてくる者がいた。
元『同盟』の賛同者、カツラミヤビであった。