みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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キャラ設定の捏造、始めました。(初夏)





8歳と仰望.2

 夜の空は、高く静かだった。

 連絡通路を歩いていたリンデンは、ふと足を止めて、斜め上の天井を見上げた。

 そこには、角度をつけて張られた透明な強化ガラス。その向こう――ランヴィリズマの外壁を超えた本物の夜空が、確かにあった。

 星がいくつか、またたいている。ほんのりと霞むように。

 偽物じゃない。これは、外の世界に実在する“宇宙の星”だ。

 

「……綺麗、ですね」

 

 誰にともなく、ぽつりと呟く。

 ガラス越しの空を見上げたまま、少しだけ息を吸った。冷えた空気が胸の奥に届いて、今日一日の熱が、静かに沈んでいくようだった。

 たくさんの人と出会って、話して、走り回った。

 いまはその反動のように、胸の奥がしんとしている。けれど、それが嫌じゃなかった。

 ロンドに渡された、小さな紅茶缶。両手で包み込むように持つと、まだあたたかい気がした。

 みんなと同じ匂いの、ちいさなおそろい。

 そんな夜道の途中で――

 

 視界の端に、誰かの姿が映った。

 照明が落ちかけた通路の先、暗がりの中。

 光を吸うような黒の衣装。落ち着いた銀髪。知性の宿る眼鏡と、分厚い魔導書のような端末ケース。

 ゆるやかな立ち姿のまま、こちらを見つめていた。

 

「……あれ、リンデンくん?」

 

 柔らかく声が響いた。

 けれどその声には、どこかで触れたことのない深度があった。――静かで、優しい。けれど、核心に触れてくるような。

 

「こんな時間にひとりでお散歩? ……それとも、おかえり?」

 

 煤墨だった。

 第六起源魔術教会のJOKER。今日は陛下――久条運命のサポート任務についていたはずだ。

 どうやら今、ちょうどその帰り道らしい。

 リンデンは、自然と立ち止まり、そっと頭を下げた。

 

「……こんばんは、煤墨お兄ちゃん。ぼくは……はい、帰る途中です」

 

 煤墨は、ゆるやかに歩み寄ってくる。

 その足取りは音もなく、風のように静かだった。

 

「そっか。……今日は、楽しかった?」

 

 問いかける声は柔らかい。けれど、それはただの雑談には聞こえなかった。

 その奥に、“何かを測る”ような間がある。

 リンデンは、迷いながらも頷いた。

 

「……はい。いろんな人と、お話しして。紅茶も、淹れました」

 

「うんうん。――それは、えらいね」

 

 笑った煤墨の目元には、どこか微かな翳りがあった。

 まるで、言葉とは別の意味を込めているように。

 そして彼は、ほんの一拍の沈黙を置いてから――ふっと目線を逸らすように、ガラス越しの星を見上げた。

 

「ねえ、リンデンくん。……“誰かのため”に頑張るのって、気持ちいい?」

 

 突然の問いだった。

 けれど、棘のある言い方ではなかった。あくまで優しく、静かに、水面をなぞるような声音で。

 ただ、それだけに――その言葉は、心の奥に、静かに染み込んでくる。

 

「……はい。ぼくは……みんなの役に立ちたい、です」

 

 リンデンは、少しだけ視線を落としながら答える。

 抱きしめていた紅茶缶をぎゅっと握る。誰かのために動いた今日。みんなが笑ってくれた今日。それが確かに嬉しかった。

 けれど煤墨は、その答えに対してすぐには何も言わなかった。

 代わりに、星を見たまま、ぽつりと呟くように言った。

 

「……うん。きっと、本当にそうなんだろうね」

 

 その声音には、不思議な余韻があった。

 同意とも違う。ただ、ひとつの“仮定”を受け取ったような。――もしくは、それを見つめる者の静かな寂しさ。

 煤墨は、すっと視線をリンデンへ戻した。

 その双眸は、やはり優しかった。けれど、その奥には――何かがある。名付けがたい深淵のような静けさがあった。

 

「でも……その“役に立ちたい”って気持ちってさ。ほんとうに、自分の気持ちかな?」

 

 リンデンは、思わず瞬きをした。

 問われた意味が、すぐには掴めなかった。

 

「え……?」

 

「だって、それって――“役に立たなきゃ、自分に価値がない”って思ってる子の言葉に、すごく似てるから」

 

 煤墨の言葉は、やはり優しいままだった。

 なのに、背筋の奥が、ひやりとした。

 言葉の刃ではない。ただ、静かに胸の真ん中に手を差し込んで、触れてくる。

 誰も見ていないはずの場所、誰にも見せていないはずの、ほんのわずかな“よごれ”に。

 リンデンは――少しだけ、呼吸を詰めた。

 煤墨の言葉は、凪いだ夜気のように静かだった。

 

 なのに、胸の奥が――ざわつく。

 

「……そんなこと……」

 

 リンデンは、否定しようとした。

 けれど、すぐには続く言葉が出てこなかった。喉の奥で引っかかる何かがある。うまく言葉にならない、曖昧なざらつき。

 煤墨は、それを咎めることなく、ほんの少しだけ首をかしげた。

 

「違うなら、それでいいんだよ。……ただ、少しだけ気になってね」

 

 優しい声音だった。

 なのに、まるで――“わかっていた”かのような眼差しが、まっすぐに向けられている。

 

「リンデンくんは……誰かに似ようとしたこと、ある?」

 

 その言葉に、リンデンの目が揺れる。

 

「たとえば、歩き方や話し方。誰かの言葉を覚えて、そのまま真似してしまったり。“こうすれば褒められる”“こうすれば必要とされる”――そんな形をなぞって、いつの間にか、それが“自分”になっていたり」

 

「……それは」

 

 ――ある。

 けれど、それは“努力”の一部だと思っていた。

 “なりたい誰か”に近づくための、ただの段階だと。

 煤墨は、やはり否定しなかった。

 ただ、目元に淡い陰を宿しながら言葉を続ける。

 

「でもね。誰かの形ばかりを真似していると……

 あるとき、ふと気づくんだ。“自分”って、どこにいたんだっけって」

 

 その声音は、変わらず静かだった。

 語られているのは、誰のことでもない。あくまで一般の“かもしれない”話。――けれど、どこか重たい確信が宿っている。

 

「気づいたときには、“何かになろうとした”誰かだけがいて。

 そこにいたはずの“ほんとうの自分”が、いつのまにか透明になっていたりする。……役に立てる形の、誰かの模造品だけが残っていて」

 

 リンデンは――息をのんだ。

 それは、誰のことも語っていない言葉のはずなのに。

 なのに、まるで自分自身の話をされているような錯覚があった。

 

「“誰かになれば、必要とされる”。“自分のままじゃ、愛されない”。

 ……そんな風に思ってしまった子の姿を、たくさん見てきたよ」

 

 煤墨は一歩、静かに距離を詰めてくる。

 その気配は、優しい。けれど逃がさない。

 

「君が誰かになろうとすればするほど、“君”はどこにもいなくなるかもしれない。……それでも、君はそれでいいと思ってる?」

 

 言葉が、うまく出てこなかった。

 否定したかった。けれど、完全にはできなかった。

 心のどこかに、煤墨の問いが引っかかっている。

 それはきっと、いま初めて気づいた何か――けれど、まだ名前もつけられないままの“痛み”だった。

 

「……わかり、ません」

 

 リンデンは、ぎゅっと紅茶缶を抱きしめた。

 掌の熱は、もう確かじゃなかった。

 煤墨は、それを責めなかった。ただ、ほんの少しだけ目を細めて微笑んだ。

 

「うん、それでいい。すぐにわかるものでもないから」

 

 そう言って、彼は内ポケットから何かを取り出した。

 一枚の、小さな魔術式の用紙だった。

 複雑な模様が走るその表面には、どこか未完成な余白が残っている。

 

「はい。これ」

 

 手渡された紙は、魔術教会で使われる“模写式”だった。

 訓練用の複写陣。写しながら、構造を覚えるためのもの。

 けれど、それはどこか――ただの学習素材以上のものに思えた。

 

「君は、まだ“誰でもない”。だから――何にでもなれるよ」

 

 煤墨は、ふっと視線を落とした。

 その声色は穏やかで、ほんの少しだけ遠かった。

 

「それは、すごく怖いことでもある。でも……自由って、本当はそういうことだから」

 

 歩き出そうとした背中が、一度だけ振り返る。

 

「おやすみ、リンデンくん。……星、綺麗だったね」

 

 そして――煤墨はそのまま、闇へと溶けるように去っていった。

 足音もなく、余韻だけを残して。

 リンデンは、立ち尽くしたまま空を見上げた。

 ガラスの向こう、夜空の星は変わらずまたたいていた。

 誰の形でもない、その光を――彼は、ただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九層は、いつもより少しだけ慌ただしく見えた。

 冷えた白の壁面。光の反射が柔らかい医療フロア。

 その中でもひときわ騒がしいのが、第三研究医療室――MAZE.labの主たちが詰める、実験と治療の狭間にある場所。

 リンデンは、その入口で深く息を吸ってから、一歩踏み込んだ。

 すぐに目に入ったのは、彼女だった。

 

「おっ、リンデンくん、来てくれたっスねー!」

 

 弾けるような声とともに、白衣の女性が両手を大きく広げる。

 柔らかな茶色の清潔感のある髪に、元気な瞳。JOKER、舞護。

 医療局所属の彼女は、今日一日リンデンの“先生”だ。

 

「今日はたっくさんお手伝いしてもらうっスよー!もう、助かっちゃうっスからね!」

 

 言いながら、舞護は後ろ手に持っていた小さな白衣をくいっと差し出してきた。

 子どもサイズに仕立て直されたもので、胸ポケットにはうさぎのワッペンがついている。

 

「……これ、ぼくの……?」

 

「そうっスそうっス!ほら、サイズぴったりにしといたんスから~!かわいくないっスか? 似合うと思ってたんスよね~」

 

 くすくす笑いながら、舞護はひょいとリンデンの背に回って白衣を手伝ってくれる。

 ぱたぱたと袖を通し、しゅっと前を閉めて、最後にぽんと肩を叩く。

 

「――うん、完璧っス!」

 

 リンデンは、少し照れながらも頷いた。

 

「……がんばります」

 

「うんうん、その意気っスよー!」

 

 舞護はノリノリで奥のカートを指差す。

 

「じゃあまずは、この医療品セットを第三処置室まで運んでほしいっス。あと、向こうのカートは検査機材っスね。ラベルに注意して運ぶっスよー?」

 

「はい、わかりました」

 

 リンデンは白衣の裾を整え、カートの取っ手に手をかけた。

 昨日、オッター貿易のお手伝いで分配と運搬のコツを学んだばかりだ。

 重心の取り方、滑りやすい床の歩き方――そのすべてを思い出しながら、そつなくカートを動かす。

 リズムよく、まっすぐに。

 機材を揺らさず、きちんと通路の隅を通るように。

 舞護が感心したように口笛を吹いた。

 

「おおお、運搬スキル高いっスね!? リンデンくん、昨日もどっかで手伝ってたっスか?」

 

「……はい。昨日はオッター貿易で、お荷物を運びました」

 

「いいっスね~っ!輝いてるっスよリンデン先輩!」

 

 ぴょんと片手でガッツポーズを決める舞護。

 そのテンションに、リンデンも思わず小さく笑った。

 

 

 検査機材を届けたあとも、リンデンは各処置室へ何度も往復した。

 

 薬品保管庫からは医療用の霊子液ボトル。滅菌室からは再処理済みのツール。

 舞護の指示を受けながら、ラベルやシールをきちんと確認し、ひとつずつ仕分けて運ぶ。

 

「うんうん、完璧っスよー!段取りも丁寧だし、コードの色もちゃんと見てる。素晴らしいっス!」

 

 そう褒められるたびに、リンデンの動きはほんの少しだけ軽くなる。

 “役に立てている”という実感が、身体に力をくれる。

 リンデンは、ふと歩調を緩めて、隣を歩く舞護を見上げた。

 

「……舞護お姉ちゃんは」

 

「ん?」

 

「どうして、お医者さんになったんですか?」

 

 ぽつりとした問いかけだった。

 けれど、それは今日一日、彼女の後ろ姿をずっと見てきたからこそ、浮かんだ疑問だった。

 舞護は、しばらく「んー」と唸るように考え込んで――それから、にっと笑った。

 

「昔のことなんで、動機とか理由とか、そういうのは忘れちゃったっスけど」

 

「……?」

 

「でもね、舞護は――それが“出来る人間”だったから。

 出来るって、そういうことだと思ってるっスよ。だから、ここに居るって感じっスかねー?」

 

 軽く肩をすくめるような声色。

 まるで何でもないことのように言うその言葉が、リンデンの胸の奥に小さな引っかかりを残した。

 出来るから、ここにいる。

 だから、そうしている。

 ……それって、すごいことなんじゃないだろうか。

 でも、それだけで良いんだろうか。

 “出来ない人”は、ここにいられない……?

 

 リンデンがほんの少し、考えに沈んだ――そのときだった。

 ご、と鈍い音がして、カートの車輪が小さな段差に引っかかる。

 考えに気を取られていたリンデンは、反応が一瞬遅れた。

 

「あっ――!」

 

 積んでいた器具のケースがぐらりと傾ぐ。

 すぐに手を伸ばして支えたものの、バランスを崩し、そのまま膝をついた。

 

「リンデンくん!?」

 

 舞護がすぐに駆け寄り、そっと支えてくれる。

 

「……だ、大丈夫です。ケースも、落ちてません……」

 

 そう言いながら、リンデンは俯いたまま、ほんの少しだけ奥歯を噛んだ。

 ミスをしたわけではない。けれど、思考に囚われて動きが遅れたこと――それが自分の中で、引っかかっていた。

 舞護はしばらくリンデンを見つめてから、ぽん、と軽く背中を叩いた。

 

「そっスね、落ちてない。ナイスセーブっス!」

 

 屈んだままの姿勢に、気負いを感じ取ったのか、舞護はいつもの調子で言葉を続ける。

 

「でも、ミスっても全然いいんスよ?」

 

「……え?」

 

「舞護たち、医療っていう“ミスしちゃいけない現場”で働いてるっスけど――だからって、“ミスしない子だけがここに居ていい”わけじゃないっス。誰にだって、つまづく瞬間はあるっスから」

 

 その目は、いつものように笑っていた。

 けれど、今の笑顔には、少しだけ“芯”があった。

 

「ちゃんと止めようとしたし、ちゃんと守ろうとした。リンデンくんの行動、舞護は見てたっスから。……そういうの、大事にしたいんスよね」

 

「…………」

 

 リンデンは、そっと頷いた。

 手のひらには、まださっき支えたときの緊張が残っている。

 けれど、今の舞護の言葉で――それが、ほんの少しだけほどけていった。

 

 そして、舞護はふいに思い出したようにポケットを探りはじめる。

 

「そうだそうだ、忘れるとこだったっス!」

 

「……?」

 

「はいっ、今日のおしごと診察券っス♪」

 

 差し出されたのは、包み紙にうさぎのシールが貼られた、まあるい飴玉。

 淡いピンク色で、光に透けてきらきらしている。

 

「これは“頑張った証”っスよ。ちょっと転んでも、また立ち上がれた子だけがもらえる特別仕様っス」

 

 舞護がそう言って、軽くウィンクしてみせる。

 

「お医者さんってさ、患者さんにも、スタッフにも、飴くらいはあげられる余裕が大事っスからね~。それがホワイト・キュア・ボーイへの第一歩っスよ♪」

 

「……ホワイト、キュア……?」

 

「うん、いま舞護が勝手に作った称号っス!かっこよくないっスか?ふふん」

 

 いつもの調子に戻った舞護に、リンデンは一拍遅れて――くす、と笑った。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「どーいたしましてっス!あとで食べるといいっスよ。すーっごく元気になる味、するんスから♪」

 

 

 

 

 

 

 カートも白衣も手放し、リンデンは医療局のフロアを出た。

 静かな廊下に出た瞬間、空気が一段落ちたように感じた。

 人の声、機械の音、忙しない足音――それらが背中のほうへ遠ざかっていく。

 今日の目的は、すべて終わった。

 あとは、帰るだけ。

 リンデンは第六層――自分が暮らす住居区画へと、ゆっくりと歩き出す。

 通路の壁に沿って、時折ガラス越しに見える空は、昼の青から、どこか淡い紫が混ざった色へと変わり始めていた。

 ポケットに入れた飴玉を指でそっとなぞる。

 ふと思い出すのは、舞護の言葉。

 

『出来るから、ここにいるっス』

 

 軽やかに放たれたそのひとことが、胸の奥に、なぜかずっと残っている。

 そして――それと重なるように、煤墨の声もふいに蘇る。

 

『“役に立たなきゃ、自分に価値がない”って思ってる子の言葉に、すごく似てるから』

 

 正しいとも、間違ってるとも言われなかった。

 けれど、その問いは、まだ答えが出ていないまま、どこかに引っかかっていた。

 今日、自分はたくさん働いた。役に立てた。

 でも――もし、何も“出来なくなった”ら?

 そんな問いが、ふと心の隅に影を落とす。

 答えは出ない。出す必要もないのかもしれない。

 けれど――それを考えるようになったこと自体が、何かの変化なのかもしれなかった。

 昇降ブロックに着いたとき、通路の照明がひとつ、時間帯に合わせて明るさを落とす。

 柔らかな光がリンデンの横顔を照らす。

 ――今日の自分は、昨日の自分と少しだけ違う。

 そのことを、誰かに言葉で証明する必要はないけれど。

 きっと、歩いていけば、どこかでわかる日が来るのだろう。

 リンデンは、静かに足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレベーターの扉が、同時に音を立てて開いた。

 片方は第九層から降りてきたリンデンの乗る昇降機。

 もう片方は、学園区画からの帰りと思しきエレベーター。そこから現れたのは、ひときわ小柄な少女だった。

 

「ぷみ? リンデン?」

 

 幼さの残るソプラノが、薄暮の空気に優しく響いた。

 雪のような白い髪。頭の後ろで結ばれた束がゆらりと揺れ、背中の大きなバッグが、彼女の華奢な肩をすっぽりと覆っている。

 叢裂だった。

 騎士団「千紫」のJOKER。見た目にはあどけなさが残るその姿は、しかし人類最強とまで囁かれる存在だ。

 

「叢裂お姉ちゃん……?」

 

 リンデンもすぐに気づいて、歩を止める。

 叢裂は、そっとバッグを背負い直して、控えめな歩幅で近づいてくる。靴音はほとんど鳴らず、まるで気配そのものが薄い。

 

「ぷみ……会えると思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃった……」

 

 声のトーンはやわらかく、どこか遠慮がちだった。

 でもその目――赤と青のオッドアイが、まっすぐリンデンを見つめていた。

 自然と、ふたりは並んで歩き始めた。

 第六層の中央回廊から、騎士寮を抜けて、運命の私室がある旧倉庫区画へ――いつも通る静かな帰り道。

 けれど今夜は、ほんの少しだけ、空気が違っていた。

 

「今日は……MAZE.labで、お手伝いをしていました」

 

 隣を歩きながら、リンデンがぽつりと呟く。

 叢裂は、視線をそっと彼に向けた。

 

「ぷみ? まいず……って、メイズママのところ?」

 

「はい。医療室の備品を運んだり、器具を片付けたり……いろいろと」

 

 淡々とした言葉の中に、ほんの少しだけ誇らしさが混じっていた。

 けれど、話すうちに少しずつ、リンデンの表情が陰っていく。

 叢裂は、ぴたりと足を止めた。

 そっとリンデンの袖をつまんで、不安げな声をかける。

 

「……リンデン? なんだか、しょんぼりしてる……?」

 

 リンデンも歩を止めて、少しだけ俯いた。

 しばらく黙っていたが、やがて、迷いながらも口を開く。

 

「……叢裂お姉ちゃんは、“叢裂”として、ここにいるんですよね」

 

「……ぷみ?」

 

「でも、ぼくは……ぼくが、なんなのか、よく分からなくて。何になればいいのか、何でいればいいのか……それが、分からない、んです……」

 

 その声は小さくて、ひとつひとつの言葉が丁寧すぎるほどだった。

 まるで自分の感情を傷つけないように、静かに並べるように。

 

「誰かの役に立てばいいって思ってたんです。だけど、昨日……煤墨お兄ちゃんに言われて、“それだけじゃ駄目なのかもしれない”って、考えてしまって……」

 

 目線は伏せたまま。

 声に焦りはない。でも、心の奥には、形にならない不安が静かに沈んでいた。

 

「“出来る人がいていい場所”っていうのが……

 “出来ないぼく”には、ちょっと、怖かったんです」

 

 叢裂は、何も言わずにリンデンを見つめていた。

  その視線は、困っているようで、それでも真剣で――どうすればいいかを懸命に考えている、そんな色だった。

 

 やがて、ぽつりと口を開く。

 

「……叢裂は、叢裂だよ。陛下の、人類の刃だから」

 

 リンデンが顔を上げる。

 叢裂は、胸の前で両手をそっと握りながら、続けた。

 

「何になればいいかとか、難しいことは……叢裂、あんまり分かんないけど……でも、“叢裂じゃなきゃだめだ”って言ってくれた人達がいたから、叢裂はここにいるよ」

 

 小さな声だったけど、その言葉には、不思議なほどの力があった。

 

「リンデンも、“リンデンでいい”って言ってもらえたら、きっと、見つかると思う……」

 

 そう言ってから、叢裂ははっとして、慌てて両手をぶんぶん振った。

 

「ち、ちがうのっ、叢裂が言いたいのはっ……!えっとえっと、

 いま、リンデンがそうじゃないって言ってるわけじゃなくて!ぷみ、ことばがへたっぴぃ……!」

 

 オッドアイの瞳が涙目になりかけて、リンデンは思わず口元を緩めた。

 

「……うん、大丈夫。ちゃんと分かります……ありがとうございます、叢裂お姉ちゃん」

 

「ぷ……ぷみ……?ほんと?」

 

「はい。少しだけ、楽になった気が、します」

 

 小さく微笑んだリンデンのその表情に、叢裂はようやく安堵したように、ほっと息をついた。

 そのすぐあと。ふと前を見やると、通路の脇に備え付けられた小さなベンチが目に入った。

 普段は通り過ぎてしまうような場所――でも今は、ふたりにとってちょうどいい“休憩所”のように見えた。

 

「あ……」

 

 声にならない気づきとともに、叢裂はちょん、と歩き出す。

 トコトコとリズムよく進み、ベンチの前でくるりと身体を回すと、背中のバッグをちょっとだけずらして、丁寧に腰を下ろした。

 そして、ぽんぽん、と自分の膝を叩いてリンデンを見上げる。

 

「リンデン、ここっ。叢裂のおひざ、空いてるよ……!」

 

 その無邪気な申し出に、リンデンは思わず立ち止まり、小さく目を見開いた。

 

「え、えっと……」

 

 口元がわずかに揺れる。

 目の前で膝を差し出してくる少女。それも、騎士団のJOKERでありながら、まるでぬいぐるみのように素直な声で――

 

「……それは……ちょっと……」

 

 戸惑う声に、叢裂は少しだけ目を潤ませながら、じりじりとベンチの端へ移動する。

 そして膝を差し出したまま、ぎゅっと拳を握って、切実な顔で見上げた。

 

「叢裂に甘えて……叢裂に甘えて……うずうず……!」

 

 その声は、本気だった。

 誰かの“お役に立ちたい”という願いが、子どもらしい姿に染み込んで、今は“ただ甘えてほしい”というかたちになってあふれていた。

 リンデンは――小さく息を吐いて、ゆっくりと歩み寄る。

 隣に腰を下ろし、しばらく膝と視線のあいだで逡巡したあと――

 

「……じゃあ、すこしだけ……お借り、します」

 

 そう言って、おずおずと横になり、叢裂の膝に頭を預けた。膝枕を成功させた叢裂はぱぁっと顔を輝かせた。

 両手で膝の上をしっかり支えながら、ふんわりとした笑みを浮かべる。

 

「えへへ……叢裂はお姉ちゃんだから、リンデンをいっぱい甘やかさなきゃ……」

 

 小さな手が、そっとリンデンの頭を撫でる。

 おそるおそる、けれど嬉しそうに、髪をなぞるように、ゆっくりと優しく。

 

「叢裂は武器だけど……リンデンは、何にでもなれるよ」

 

 その言葉に、リンデンのまぶたが少し揺れた。

 まるで、それを夢の中で聞いているような、静かな反応だった。

 

「だから、叢裂が斬るね。陛下の敵も、リンデンの敵も、全部」

 

 声に込められた強さは、その見た目には似合わないほど確かなものだった。

 けれどそれは、怖さではなく――まるで祈りのように、あたたかく響いていた。

 リンデンはまだ、自分が何になりたいのか分からない。

 でも今は、ほんの少しだけ――この小さな“お姉ちゃん”に、甘えてみたくなった。

 ゆっくりと寝返りをうち、叢裂のお腹のほうへ顔を向ける。

 そのまま、そっと額を預けるように押し当てた。

 

「……ぷみぃっ」

 

 叢裂がひときわ高い声を上げて、小さく赤くなる。

 でもすぐに「えへへっ」と照れた笑みを浮かべて、嬉しそうにリンデンの頭を撫で続けた。

 

「リンデン、いい子……いい子……」

 

 指先がふわりと髪をすくい上げるたびに、どこかで崩れかけていた不安が、ひとつずつ静かにほどけていく。

 通路の明かりが、時間に合わせて少しだけ落ちていく。

 ふたりのいるベンチだけが、まるで月明かりのような優しい照明に包まれていた。

 






評価10ありがとうございます……今夜はしゃぶしゃぶです


恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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