みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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14歳と遏行.1

 乾いた靴音が、訓練場に二つ。

 小さな足と大きな足が、正対して止まる。

 リンデンは構えた。左足を少し引き、腰を落とし、両腕を開いた体術の型。

 視線は真正面。だが、その意識は全身に散っている。

 スリーが動いた。

 一歩。距離を詰めながらの牽制。

 その瞬間、リンデンは右腕を引いた。フェイントだ。スリーは読んでいる。

 二歩目で体ごと踏み込んでくる。上段の突き。

 その力を利用して、重心をずらす――避けず、受けて流す。

 

「……ッ!」

 

 腕に伝わる重さは、訓練用の加減を感じさせない。

 強引な崩しの後に、脚払い――読めていた。

 リンデンはわずかに重心を浮かせ、回避と同時に肘でスリーの胸元を狙う。

 だが、空振り。

 スリーの体が、消えるように沈んだ。

 姿勢を落とし、踏み込みながら下からの掌底。

 反応で腕をクロスさせて受けるが、体勢が崩れる。

 踏み込みの勢いを殺しきれず、背が仰け反る。そこへ首元を刈るような掌打。

 紙一重でしゃがみ込むことで回避し、そのまま足を引っ掛けて倒しにかかる。

 しかし。

 

「――甘いな」

 

 倒れない。

 スリーは足を地に滑らせながら、リンデンの膝裏を逆に刈り返す。

 そのままバランスを崩したリンデンの腹に、寸止めの拳が迫る――

 

「ッ!」

 

 両手を交差して受け、後方に転がる。地を蹴って距離を取った。

 ……息が切れていた。

 数分にも満たない攻防。しかし、全身が焼けつくように熱い。

 

(ここまで――食い下がれるようには、なった)

 

 かつてなら、一合も持たずに倒されていた。今は、目も、反応も、少しはついていける。

 けれど。

 当たらない。届かない。

 攻撃が、読めても追いつけない。流しても崩せない。

 ――今のスリー兄さんは、“訓練の中にある実戦”で動いている。

 そしてそれは――不老不死の騎士が、数万数千年かけて染み込ませた技と速度だ。

 思考を割り切る間もなく、再びスリーが仕掛ける。

 風切り音とともに拳が迫る。視認と同時に、重心が跳ねる。

 ――読んだ。

 左に跳ぶ。同時に回し蹴り。

 届かない。刃のない一撃が空を切る。

 その脚を掴まれ、次の瞬間、視界が回転していた。

 叩きつけられる。

 背中を打つ音が、訓練場の静寂に響いた。

 ほんの少し、肺が揺れて、空気が抜けた。

 

 リンデンは仰向けのまま、天井を見つめていた。

 白い光が差し込む天井。その輪郭が、ぐらついている。

 痛い。だが、致命的ではない。

 肩と背中を叩かれた感触よりも、その前に掴まれた足首の力の確かさが忘れられなかった。

 読んだつもりだった。反応したつもりだった。

 ――でも、スリー兄さんはもっと深く、もっと遠くを見ていた。

 足音が近づく。影が、視界を塞ぐ。

 

「……立てるか、リンデン」

 

 静かな声だった。感情も評価も、何も含まれていない。

 ただ事実を問う、スリーの声。

 リンデンは頷き、差し出された手を取った。

 引き起こされる途中、ふと手元が震えているのに気づいた。

 悔しさか、疲労か。自分でもわからなかった。

 

「もう一度お願いします」

 

 スリーは少しだけ眉を動かした後、微かに笑う。

 

「フッ……本当に、やるようになったな」

「技の読み、足さばき、体の流し方。どれも“見て覚えた”だけじゃない」

 

 その言葉が、胸の奥でゆっくりと広がっていった。

 自分の努力が、ちゃんと“形”になっている。そう思えるだけで、どれだけ救われるだろう。

 

「……ありがとうございます」

 

 言葉に込めた礼を受けて、スリーは一歩下がった。

 

「そろそろ、次の段階に進んでもいいかもしれないな」

 

 それはまるで、今までの訓練が“準備運動”だったかのような口ぶりだった。

 だけど――。

 胸が跳ねた。手のひらに力がこもった。

 この言葉を、ずっと待っていた。

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな部屋だった。

 人工照明が落とされた学習室。ホワイトパネルに霊子式と符号図が淡く光る。

 リンデンは端末を手に、集中していた。

 このところ、理解の速度が明らかに変わってきている――そう実感できるようになっていた。

 今取り組んでいるのは、《外部干渉下における霊子偏在の再定位と位相転写》。

 以前は読み取るだけで精一杯だった術式だが、いまは構築方法に自分なりの手を加える余裕がある。

 ペンが止まる。

 

「補助式の位相転写……“ズラす”んじゃなく、“浮かせて間を作る”ように再構成してみました。

 干渉点から出るノイズは、段階的な位相遅延で吸収できるかと」

 

 斜め後ろから覗いていたモノが、ファイルのページをぱら、と指先で送る。

 その仕草に評価の含みはないが、わずかに頷いた。

 

「……悪くないわ」

 

 その一言が、リンデンの中に残る。

 誇りではない。ただの“肯定”でもない。“認められた”という、重くて静かな実感。

 

「ありがとうございます」

 

 自然と出た言葉に、モノは返事をせず、次の課題を掲げた。

 

「次。“符号干渉による霊子乱流の均し”」

「明日からは、レベルを上げる予定。今日のうちに、ここまでは通していくから」

 

 リンデンの手が止まる。

 「レベルを上げる」という言葉の意味に、一瞬だけ思考が遅れた。

 けれどすぐに、気を引き締めるように深く頷く。

 

「……はい。お願いします」

 

 返事のあと、リンデンはもう一度手元の端末に視線を戻した。

 今ならまだ、集中力が切れていない。あと一題、いや二題はいける。

 ペン先が、無音の画面を滑る。

 小さくうなずきながら、式を書き、構造を書き換え、仮定を展開していく。

 目の動きは素早い。思考の速度が、追いついている。

 ほんの数ヶ月前なら、ただ書き写すだけだったこの内容に――いまは自分の意思で触れている。

 モノは椅子に座りながら、何も言わずその背中を見ていた。

 無表情なまま、手元のメモ帳に何かを書きつける。

 ペンの動きが止まると、そっと一言、誰にも聞かれないような声で呟く。

 

「……まあ、悪くないどころか、ちょっと異常の域よね」

 

 本人には聞こえなかった。

 だからリンデンはただ黙々と、目の前の問題に取り組み続ける。

 ――明日から始まる、“新しい段階”のことを、まだ何も知らないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騎士寮のエントランスロビーには、午後の陽射しが差し込んでいた。

 陽光は大きな窓から斜めに入り込み、床に柔らかな明るさを落としている。

 どこか学校の放課後を思わせるような静けさが、空間を包んでいた。

 リンデンはその窓際のテーブルに一人、座っていた。

 膝の上にタブレットを広げ、簡易スタイラスを使って画面に式を書き込んでいる。

 内容は、さっきまでモノと共に取り組んでいた霊子構造の応用式。

 難解で複雑な構成だが、それでもどこか“形”になりかけている感覚がある。

 

 ――今のうちに、自分の手で整理しておきたい。

 

 記憶が鮮明なうちに、自分の言葉で、思考で、図と数式をなぞる。

 誰かに教わったことを、そのままではなく、“自分の理解”として染み込ませたい。

 それは、彼にとって戦いと同じくらいの意味を持つ行為だった。

 ペン先が画面を走る。何度も書いては消し、図を描いてはまた重ね直す。

 音もなく、ただ霊子構造の輪郭だけが彼の中で少しずつ浮かび上がっていく――

 そんな静かな作業の最中。

 

「――あっ、リンデン!」

 

 不意に響いた明るい声。

 エントランスのスライドドアが音を立てて開き、扉の向こうから飛び込んできたのは、どこか無防備な足取りだった。

 

 黒のハーフブーツにタイトなパンツ。胸元にはアクセントのある黒地のトップス。

 戦場に立つときの“騎士”ではなく、どこかラフで、等身大の少女の姿だった。

 

 鮮やかな蒼髪が動きに合わせて揺れる。光を浴びて、その一部がふわりと透けるように輝いていた。

 ブルーはスキップするように小さく駆け寄ってくると、ひょこひょことリンデンのもとに近づいてきた。

 

「お疲れさまっ、今日もお勉強してたんだね!」

 

 言葉と同時に、彼の隣の椅子にくるりと回り込むように腰を下ろす。

 足を組むでもなく、背もたれに軽く寄りかかって、にこにこと笑顔を向けてきた。

 彼女の存在が入ってきただけで、空間の空気がふわりと柔らかくなる。

 

「ブルー姉さん、今日はお休みですか?」

 

 そう尋ねたリンデンに、ブルーは楽しげに頷いた。

 

「うんっ、今日はお休み!」

 

 手を広げるような仕草と一緒に、陽気な声が返ってくる。

 その声に含まれる小さな光が、リンデンの胸の中にもほんのり差し込む。

 

「リンデンはモノさんとお勉強してたんだ?」

 

「はい。ちょうど先程終わったところです」

 

 タブレットの画面に視線を戻しながら、リンデンは少しだけ目を伏せた。

 それは照れくささでもあり、自分なりの誇りでもあった。

 

「……ようやく、少しだけですけど、進めたような気がしてるんです」

 

 控えめに、それでも確かな手応えと共に発せられた言葉だった。

 その一言を聞いた瞬間、ブルーの表情がぱあっと華やかに変わった。

 光が跳ねるように、その笑顔はまっすぐにリンデンの方を向いている。

 

「そうなんだ! やっぱりリンデンは賢いねっ!」

 

 感情そのままを言葉にするような無邪気な声。

 どんな褒め言葉より、どんな評価よりも、真っ直ぐで気持ちのいい言葉だった。

 リンデンは少しだけ目を細めて、照れたように口元をかすかに引き結んだ。

 顔を伏せる仕草はどこか困っているようでもあり――それでも、嬉しそうだった。

 ひとしきり言葉を交わしたあと、リンデンはタブレットに目を戻した。

 画面にはまだ途中だった式の断片が、淡く浮かんでいる。

 霊子の分布、式の再構成、記憶の中の構造図。

 思考の続きを追いかけるように、手がまた静かに動き出す。

 何も言わない。けれど、今なら続けられる。

 ブルーと話して、ふっと肩の力が抜けた気がした。

 そんなリンデンの様子を見ていたブルーが、ふと思いついたように口を開いた。

 

「ねえリンデン。私、隣で見てていいかな?」

 

ブルーのその言葉に、リンデンはスタイラスを手にしながら「退屈だと思いますが……」と前置きし

 

「大丈夫ですよ」

 

と答え、再び手を動かし始める。

 

「うん!……あっ、でもお勉強は何も教えられないから!

私へっぽこなので! リンデンのお勉強を黙って見てますっ!」

 

 まるで“立派な見守り役”を任命されたかのように、えへへと笑う。

 少しだけ身を寄せて、テーブルに肘をつきながら、頬杖をついてリンデンの横顔を覗き込んだ。

 真剣な顔をして式を書き込むその横顔を、ブルーは黙って見つめている。

 目は細められ、口元にはほのかな笑みが浮かんでいた。

 声は出さない。邪魔もしない。

 ただ、そこにいて、隣で見ているだけ。

 それがきっと今の彼女なりの「応援」で――それを察したリンデンも、特に言葉は返さず、けれどほんの少しだけ、手元の動きが軽くなった気がした。

 

 

 数式の断片が一通りまとまったところで、リンデンはタブレットの画面を閉じた。

 カチリ、と音がして、ぴたりと光が消える。

 静かだった空気が、さらに一段落ち着いたように感じた。

 小さく息をつく。

 じんわりと頭の奥が熱を帯びている。けれど、それは心地よい疲労だった。

 

「……これで、ひと通りです」

 

 ぽつりと漏らすように呟く。

 その言葉に反応するように、ブルーがぱちりとまばたきをして、えへへと笑う。

 頬杖をついたまま、何も言わずにリンデンの横顔を見つめ続けていた。

 彼女の視線を感じながら、リンデンはそっと目を伏せた。

 ――明日から、少し難しくなる。モノ姉さんはそう言っていた。

 どこまで跳ね上がるのかは分からない。けれど、不安は不思議と少なかった。

 静かに、自分の手を重ねる。

 

「……もう少しだけ、届きたいな」

 

 その言葉が静かに落ちた瞬間――

 ふいに、もう一つの手がそっと重なる。

 

 「大丈夫だよ。リンデンなら――絶対、届くよ」

 

 顔を上げると、ブルーが笑っていた。

 まっすぐな目で、優しい光をそのまま宿したまま。

 ふいに胸の奥が少しだけ、あたたかくなる。

 リンデンはそれに、ほんの少しだけ口元を緩めて――黙って、頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練場の朝は、まだ人影もまばらだった。

 冷たい換気が吹き抜ける無人の訓練場に、リンデンの影だけが細く伸びていた。

 彼はすでに一通りの準備運動を終えており、呼吸と動作を同期させるように、静かに体を動かし続けている。

 

 (……次のステップ)

 

 昨晩、モノ姉さんが言っていた。スリー兄さんも同じことを言っていた。

 「そろそろ段階を上げよう」と。

 その言葉がどういう意味を持つのか、正直なところまだ理解しきれてはいなかった。

 けれど、あの二人が口を揃えてそう言うのなら、きっと“本物”なのだろう。

 少し怖い。けれど、止まりたくはなかった。

 ずっと背中を追い続けてきた兄姉たちに、少しでも――ほんの少しでも、近づきたくて。

 

 (……しっかり、向き合わなきゃ)

 

 タオルで額の汗を軽く拭い、リンデンは静かに立ち上がった。

 そして、その直後だった。

 

「朝から準備に余念がないな、リンデン。良い傾向だ」

 

 訓練場のスライドドアが静かに開き、乾いた足音が響く。

 現れたのはスリー兄さんだった。

 いつもの黒いワイシャツも、赤いネクタイもない。

 代わりに身につけていたのは、戦闘用のコンプレッションスーツ。黒を基調とした機能性重視の服装で、無駄な装飾は一切なかった。

 まるで戦場からそのまま来たような、研ぎ澄まされた気配だった。

 企業人の顔も剥がれ落ち、そこにいたのはただ一人の“戦士”だった。

 広い背中。傷ひとつ見えない肌に、逆に歴戦の重みが滲んでいる。

 動くたびに筋肉が密やかに軋み、訓練場の空気が少しだけ重くなる。

 その歩みは穏やかだが、緩やかなだけで、決して“優しい”わけではなかった。

 

「体温を上げておくのは正解だ。筋肉も、思考もな」

 

 隣に立ち、肩を回しながら言うスリーの声はいつも通り穏やかで、低く、よく通る。

 しかしその響きの中に、どこか“区切り”を告げるような静かな覚悟が混じっていた。

 

「今日のテーマは“本番”だ。肩慣らしは、ここまでにしておこう」

 

 その言葉に、リンデンは小さく息を呑んだ。

 この先にあるのは、今までの延長線ではない。

 “騎士たち”の領域と、自分自身の覚悟。その交差点に、今まさに足を踏み入れたのだと、そう思えた。

 スリーのウォーミングアップが終わると、彼は何も言わずに訓練用のフィールド中央へと足を運んだ。

 無駄な動きも、威圧もない。ただ立っているだけで、空気が引き締まる。

 まるでそこに“戦場”が出現したかのように。

 リンデンもゆっくりと歩き出し、真正面からその場に立つ。

 己の足音だけが静寂を踏みしめていく。スリーの眼差しが、静かに彼を射抜いていた。

 

「構えろ、リンデン。今日からは”本番”だ」

 

 その声は低く、しかし澱みのない力を持って響いた。

 リンデンは一つ頷くと、深く息を吸い込んだ。

 それは、これまで何度も繰り返してきた構え――

 足の裏で地を掴み、重心を落とし、前傾姿勢。肘を引き、視界の中心に相手を収める。

 だがその瞬間、スリーの姿が――かき消えた。

 いや、消えたのではない。ただ“動いた”のだ。

 信じられない速度で、リンデンの視界から外れ、正面からの圧力が消失した。

 体が反応するよりも早く、背に重み。

 振り返るより先に、肩口に手刀が迫る。

 

(――早い!)

 

 ギリギリで身を捻り、肩を滑らせてその手を外す。

 と同時に、反撃に転じようとした右肘が、空を切る。

 そこにはもう、誰もいなかった。

 次の瞬間、足元が崩れ――背中に衝撃。

 地面が背中を叩く音が、訓練場の静寂に吸い込まれていった。

 

「……見えてはいるな。だが、追いつけてはいない」

 

 スリーの声が、わずかに間をおいて落ちてきた。

 見下ろしてくる彼の眼差しには、非情さはなかった。ただ、静かな観察と確信。

 そして、それはリンデン自身にもよくわかっていた。

 “手応え”が、違う。

 これまでの訓練とは明らかに、世界の密度が変わっていた。

 まだ足を掬われた感覚が残る背中を叩き起こすように、リンデンは身体を起こし、素早く立ち上がる。

 息が荒い。けれどまだ動ける。まだやれる。

 

「もう一度、お願いします」

 

 その言葉に、スリーは何も言わず頷く。

 ――そして、再開。

 数秒と経たず、再び接近。

 リンデンの拳が踏み込んだ瞬間、スリーの軸が僅かにズレる。かわされた。

 次の瞬間、横腹に肘撃が刺さる。

 

「ぐっ……!」

 

 体勢を崩しかけるも、踏みとどまり反撃を試みる。だがそこには、もうスリーはいない。

 背中、首筋、膝裏――次々に刈り取るような打撃が走る。

 受けにすら回れないまま、また地面を舐めることになる。

 二度、三度、四度――

 攻撃の軌道すら掴めずに、リンデンは繰り返し倒され続ける。

 けれどそのたび、立ち上がった。

 歯を食いしばり、肩で息をしながら、それでも構えを取り直す。

 額からは汗が流れ落ち、口内には鉄の味。

 だが、まだ眼が死なない。

 スリーはフィールドの中央に立ったまま、黙って見つめていた。

 冷たくもなく、優しくもなく、ただ“見極める”者の眼差しで。

 

 ふと、スリーが静かに口を開いた。

 

「一つ、助言しよう」

 

「……はい」

 

「いまのキミは、“闇雲”だ。相手を見ていない。己の拳しか、視界に入っていない」

 

 静かに、しかし鋭く。

 

「力を出すのではなく、力を“通す”んだ。流れを見て、最も自然な道を選べ」

 

 その言葉に、リンデンは小さく頷いた。

 無理に歯を食いしばるのをやめ、深く息を吸う。

 ――もう一度、立て直す。

 倒されるたびに、それでも自分は進んでいるのだと信じたかった。

 再び拳を構えたリンデンは、さきほどよりもほんのわずかに沈みを深くして、姿勢を整えた。

 さっきのアドバイスを胸に、“通す”ように――流れの中に身を置こうとする。

 

 だが。

 スリーが一歩、踏み出した瞬間。

 その“流れ”すら、塗り潰された。

 思考の一拍先で動いている。

 殺気も気配もないまま、気づけば掌底が目の前に迫っていた。

 腕で受け止めた。が――止まらなかった。

 

「っ……がはっ……!」

 

 胸骨に響く衝撃音。

 喉が鳴るほどの打撃に後退しながら、それでも反撃を試みる。

 が、それすら“間に合わない”という形で潰される。

 わかっている。自分の動きは悪くない。

 それでも、“間に合わない”。

 蹴りを繰り出そうとする瞬間には、もう片脚を払われている。

 重心を移そうとした一拍前には、もうそこを狙われている。

 なにかが決定的に違う。

 自分がいままで訓練してきた誰とも。

 ――これは、“常識の範疇”にない。

 

「……ハァ、ハァッ……っ……!」

 

 地面に膝をつき、肩で息をするリンデンの脳裏に、ひとつの像が浮かぶ。

 スリーだけじゃない。スリー兄さんだけじゃない。あの人たち――

 ブレイドライン。千紫。第六教会。オッター貿易。アクシオンゲート。ORANGE。

 GARDENの騎士。不老不死の、“兄姉”たち。

 

 ――この人たちは、こういう存在だった。

 

 まるで、神話か物語の登場人物のような。

 自分がようやく届いたと思っていたその先に、まだこんなにも途方もない“絶対の差”があったのだ。

 スリーが歩み寄ってくる。

 

「立て、リンデン」

 

 その声は、どこまでも静かだった。

 怒りも、憐れみも、期待すら含まず――ただ、厳然たる事実としての命令。

 リンデンは、ふらつく膝を押さえつけるようにして立ち上がる。

 足元が少し滲んで見えた。

 けれど、目は逸らさない。

 

「お願いします……もう一度……!」

 

 声はかすれていた。

 けれど、決して折れていなかった。

 ――そう、“まだ折れちゃいけない”。

 この壁の前で、泣くことも、悔しがることも、自分には許されていない。

 泣くことは――罪だから。

 何度目の崩れ落ちだったのか、もう分からない。

 膝をついた床は、清潔な訓練場の合成材――冷たく、堅い。

 滑らかな素材に汗が滲み、肌にじわりと貼りついていく。

 リンデンは、軋む膝を支えにして、再び立ち上がった。

 体が意思に従うというより、意思だけが体を動かしている。

 喉の奥が焼けるように痛い。息が続かない。

 それでも、両手を上げて構えを取った。

 スリーは構えない。

 その代わり、全身を自然体に沈めて、目だけでリンデンを見据えていた。

 次の瞬間――ふ、と視界からスリーの姿が消える。

 次いで、身体が浮いた。

 いや、崩されたのだ。

 足払いか、重心の誘導か、見えてすらいなかった。

 床に叩きつけられた背に、鈍い衝撃が走る。

 肩口を打ち、肺から空気が逃げた。

 声も出ない。ただ、静かに――悔しいほどに、無力だった。

 それでも、リンデンは顔を伏せたまま拳を握った。

 何度倒されても、どれだけ打ちのめされても、泣くという選択肢は存在しなかった。

 代わりに、立ち上がるという行動だけがあった。

 それが、彼の生き方だった。

 

「……もう一度……お願いします」

 

 擦れた声が、床と反響して静かに響いた。

 そしてまた、沈黙の中、構えが取られる。

 スリーは何も言わない。

 ただ、目の奥で何かを計測するように、リンデンの動きを待っていた。

 リンデンが突っ込む。

 

 構えは低く、軸足はぶれず、踏み込みは鋭い。

 重心の切り替えも、頭で考えずに体が自然に行えていた。

 何度も叩き伏せられ、奪われ、磨かれた成果だ。

 

 だが――。

 それすら、スリーには届かない。

 踏み込みと同時に放った掌底。

 空を切った瞬間、視界が反転する。

 わずかな接触。

 たったそれだけで、重心が崩された。

 次の瞬間、床が目前に迫っていた。

 

 ──強い。

 

 脳裏に、単純な言葉が浮かんだ。

 叩きつけられた衝撃は先ほどより強くない。

 それでも、もう起き上がれなかった。

 力が残っていないのではない。

 体が『意味がない』と、悟ってしまっていた。

 常に余裕を崩さず、寸分の力も過たず、ただ圧倒する者。

 リンデンにとって、初めて触れた“完全”な戦士の姿だった。

 静かに近づいてきた気配。視界の端に、足元だけが映る。

 スリーは膝をつき、視線の高さを合わせるようにしゃがんだ。

 

「……終わりにしよう。これ以上は、学びにならない」

 

 穏やかな、けれど一切の甘さを許さぬ声。

 

「リンデン。戦いは根性では勝てない。技術、経験、力、判断……どれか一つでは届かない」

 

 そして、わずかに間を置いて言った。

 

「キミは“努力”を、ここまでで武器に変えた。それは素晴らしい資質だ」

 

 だが、とスリーの瞳が静かに深くなる。

 

「“資質”だけで、不老不死の騎士には届かない」

 

 その言葉は、慰めでも、否定でもなかった。

 ただの、事実だった。

 リンデンは床を見つめながら、小さく――それでも確かに頷いた。

 倒れたまま、口元だけで、何かをかみしめるように結ぶ。

 それがこの日、彼に刻まれた最初の「壁」だった。







壁「やあ」


恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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