みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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17歳と陛下.1

 

 暖簾をくぐるたびに、香ばしい湯気が頬を撫でる。

 《ラーメン処 運命屋》――L字型カウンターの向こうには、寸胴から立ち昇る白濁スープの湯気が、静かに空気を満たしていた。

 券売機の前には、制服姿の学園生たち。

 「今日は塩とんこつかな」「魚介も捨てがたいんだよな」そんな声が行き交いながら、食券が次々と押し出されていく。

 厨房の最奥、スープを睨むように見つめるのは黒衣の少女――久条運命。

 顔は仮面に覆われているが、その手元の丁寧さ、音のない所作には一分の隙もない。

 トングで泳がせた麺が揚がる瞬間を、音ではなく香りと色で見極めているのがわかる。

 

「一番、海苔塩とんこつ【極】、入ります」

 

 手前、カウンターの中ほどで、黒いエプロンを締めたリンデンが小声で告げる。

 食券を一瞥し、すぐに丼を温め、スープを注ぐ。

 素早く受け取った麺に合わせてトッピングを並べていく動きには、迷いがない。

 チャーシューを沈め、海苔を立て、メンマを添える。

 指先の所作まで研ぎ澄まされたような動きには、職人の風格すらあった。

 

「お待たせいたしました。海苔塩とんこつ【極】です」

 

 差し出された丼の向こうで、客が思わず息を呑む。

 

「美しい……って言葉がラーメンに似合うと思わなかったけど、今日のは間違いないわ」

 

「ありがとうございます。カウンター左手に箸とレンゲがございます。どうぞ、ごゆっくり」

 

 リンデンが一礼し、背後に下がると、奥で運命がふっと視線を上げた。

 

『手つき、また少し洗練されたね』

 

「ありがとうございます。……陛下の教え方が良かったので」

 

 仮面に表示される目元が、やや柔らかな形になる。

 照れたような、でも嬉しそうな表情だった。

 

『最初は、レンゲの向きすらうまく置けなかったのにね』

 

「……何年も前の話ですよ?」

 

『でも私は、そういう“最初の頃”を忘れたくないな』

『だって、リンデンが少しずつ出来るようになっていくのを見るのが、私にとっては……すごく、嬉しい事だったから』

 

 リンデンは、その言葉に一瞬だけ手を止める。

 しかしすぐに、「……ありがとうございます」とだけ小さく答え、次の丼を手に取った。

 カウンターではすでに別の客がラーメンを啜っている。

 早い者は、もう席を立っていた。

 

『この仕事、楽しいよね』

 

「……ええ。忙しいけれど、毎日、決まったことを積み重ねていくのは、落ち着きます」

 

『うん。私も、ずっとこの店を続けていきたいと思ってる』

『……できれば、リンデンにも、ずっとこの景色を見ていてほしいって、思ってしまうけど』

 

 その言葉に、リンデンはスープの色を見つめたまま黙り込む。

 すぐに返答はせず、代わりにチャーシューを切り分ける手を静かに動かす。

 そして、完成した丼を差し出しながら、ようやく一言。

 

「それでも……きっと僕は、外へ出ていくことになると思います」

 

『……うん』

 

 それを聞いて、運命の声が少しだけ震えたように聞こえた。

 それでも、彼女は決して否定しない。

 仮面の奥で、きっと目を細めているのだろうと、リンデンは勝手に想像する。

 

『……ちゃんと、美味しいもの食べて、暖かいところで眠ってね。約束』

 

「はい、陛下」

 

 厨房の湯気の中、二人の背中には言葉にならない時間が静かに流れていた。

 何度も繰り返した一日の、きっと最後になるかもしれない、その午前。

 ――店内に、食券が一枚、また一枚と重なっていく。

 回転の波が過ぎ去ると、店内にはようやく、静けさが戻ってきた。

 最後の客が食器を片付け、頭を下げて店を後にする。暖簾の影がふっと揺れ、扉の開閉音が静かに響く。

 カラン、と控えめな鐘の音が鳴って、午前の部が終わった。

 リンデンは手際よく丼を回収し、カウンターを拭き清めていく。

 厨房では、運命が火を落とし、寸胴の蓋をそっと閉じていた。

 

『今日もお疲れさま、リンデン』

 

「ありがとうございます、陛下。今日の塩とんこつも完璧でしたね」

 

 仮面の奥で照れたように目元が揺れる。

 

『そう言ってもらえると、少しは自信になるかな……ううん、かなり、ね』

 

 リンデンは小さく微笑んで、丁寧にタオルを折りたたむ。

 厨房とカウンター、それぞれの持ち場での動きが、自然と店じまいの所作に繋がっていく。

 スープの香りがまだ少し残る中、店内に差し込む昼の光が、淡く床を照らしていた。

 食器を洗い終えた運命が、ハンドドライヤーに手をかざしながらぽつりと呟く。

 

『午後は……少し、買い物に行こうかな』

 

「買い物、ですか?」

 

『うん。新しい展示スタンドが届いてるって連絡があってね。ついでに予約してたのも引き取りに行きたいなって』

 

 運命の言葉に、リンデンは一瞬だけ目を細めて頷いた。

 

「では、私もお供します。荷物持ちとして」

 

『ふふ……頼もしいなぁ、私の専属店員さん』

 

「元より、専属ですから」

 

 そう答えると、リンデンは静かに後片付けに戻っていく。

 その背中を見つめながら、運命は静かに口元をほころばせた。

 昼の熱気が冷めた店内には、涼やかな余白と、優しい光だけが残っていた。

 

 

 

 

 空へ向かって伸びるビルが、いくつも重なるように林立していた。

 第六層・市街区――GARDENランヴィリズマの中でも、企業・庁舎・商業街・娯楽街などが混在する高層都市であり、その大部分は立体交差の歩行路と空中搬送レーンで構成されている。

 舗装された歩道の足元には、無数の光素粒子が流れ、歩く者の軌跡をほんのりと浮かび上がらせていた。

 昼下がりの空は人工調整された青に透け、歩道の側面には広告映像や店舗情報が並ぶ。

 そんな都市の風景の中、リンデンと運命は並んで歩いていた。

 運命はフードを被ったまま、少し早足で歩く。

 リンデンはその横を、二歩ほど下がった位置で控えめに歩調を合わせていた。

 

「……陛下、ペースが少し速いです」

 

『あ……ごめん。ちょっと、久しぶりに外に出たからかな。なんだか落ち着かなくて』

 

 仮面のディスプレイに、淡い青の気恥ずかしげな表情が浮かぶ。

 それに、リンデンはふっと息を洩らすように笑った。

 

「いえ。こうして、並んで歩くのも久しぶりですから」

 

『そうだね……思えば、昔はよく一緒に出歩いてたのにね』

『でも最近は、リンデンも忙しかったから』

 

 運命は、ほんの少しだけ前を見つめながら言う。

 その声には責める響きはなく、むしろどこか、寂しさを抱きしめるような柔らかさがあった。

 リンデンはそれに応えるように、隣を歩く運命の横顔をちらりと見る。

 

「忙しかったというより、……不器用なだけです」

「それでも、今日こうしてお供できているのですから。……何より、僕にとっては貴重な時間です」

 

 運命は、はっとしたように彼を見て、それから目を細める。

 

『……ありがとう、リンデン』

 

 高層ビルの隙間から差し込む光が、二人の影を歩道に長く伸ばしていく。

 遠く、空搬送レーンを走る配送ドローンの音が一瞬だけ空気を裂いた。

 やがて、歩道脇のビルに連なるテナントに差し掛かる。

 《TOY’s GARDEN -LAYER6 BRANCH-》。ディスプレイには最新フィギュアの回転映像が映っており、店先には既に数人の買い物客が出入りしていた。

 運命はそこで立ち止まると、小さく声を漏らした。

 

『……あった。ここ』

 

「お目当ての物は、こちらの店舗に?」

 

『うん。ちょっと前に予約しててね、今日が受け取り日だったんだ』

 

「なるほど。……僕も一緒に中でお待ちしていますね」

 

『えっ、外で待っててもいいのに』

 

「いいえ。お供すると言った以上、最後までお付き合いします」

 

 その言葉に、仮面のディスプレイがやわらかに笑った。

 ――それは、運命が最も心を許した者にだけ見せる表示だった。

 そして二人は、ガラス扉の向こうへと歩を進めていく。

 かつて手を繋いで歩いた道を、今は肩を並べて歩けるようになったことに、運命は少しだけ胸を締め付けられるような気がしていた。

 

 ドアに取り付けられたベルが、軽やかな電子音を鳴らす。

 店内に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに変わった。

 明るすぎない照明の中、壁一面にずらりと並ぶフィギュアのパッケージとガラスケースが、静かな存在感を放っている。

 中世風の甲冑をまとった戦士、魔導書を掲げた魔女、鋭い意匠のロボット、愛らしい獣人型の少女――。

 見渡す限りの“理想と造形”の洪水。そのどれもが、運命の“もうひとつの世界”だった。

 

『……ふふ、やっぱりこの空気、好きかも』

 

 仮面越しに漏れた運命の声は、店に入る前とは明らかに違っていた。

 肩の力が少し抜け、呼吸が深くなる。普段よりほんの少し、無邪気な響きを帯びている。

 リンデンは横に立ち、その変化をはっきりと感じ取っていた。

 

「……陛下は、こういう場所に来ると、本当に表情が緩みますね」

 

『えっ、そうかな……そんなつもりじゃ……』

 

「ええ。気づいていないだけで、今も仮面のディスプレイが“喜”表示になっていますよ?」

 

『わ……ほんとだ。恥ずかしい……』

 

 小さな動揺が仮面の光に揺れ、運命は軽く咳払いをしてごまかすように前を向いた。

 

『……えっと、予約してたの、たしかカウンター奥の棚にあるって』

 

 そのまま受付へ向かい、予約番号を伝える。

 スタッフが「少々お待ちください」と言って奥へ消える間、リンデンは陳列棚の隅を何気なく眺めた。

 ……少し古めのシリーズに、白銀の髪をなびかせる少女型騎士のフィギュア。

 風に翻るスカート、展開された魔導具、剣を構えるポージング――どれも丁寧に作られている。

 

(……造形への執着心が、選定の基準になっているのですね)

 

 胸中で静かに納得していると、スタッフが奥から持ってきたパッケージを運命に手渡した。

 彼女は両手でそれを受け取り、そっと保護ケースを開ける。

 中に収められていたのは、軽やかな跳躍ポーズを取る少女のフィギュア。

 しなやかな髪のなびき、布の動き、金属調の武器――全てが精密な仕上がりで、静かに主張するような存在感があった。

 

『……わあ……すごい、これは……想像以上かも』

 

「お目当ての品、でしたか?」

 

 運命は小さく頷くと、ケースの縁に指を添えながら言葉を探すように続けた。

 

『あのね、この子……設定とかはともかくとして……とにかく、造形が……すごいの』

『髪の流れとか、脚の重心の置き方とか、衣装の布の張りと重力感の処理とか――あと、武器の表面処理とかも……』

『……なんていうか……“これを作ってくれた人”、本当にありがとうって感じ』

 

 仮面のディスプレイ花火のようにきらきらと光る。

 

「陛下は……造形美に対して、時々詩人のようになりますね」

 

『えっ、そ、そうかな……? ちょっと語彙が崩れてたかも……』

 

「いえ。熱意が伝わってきて、むしろ僕も嬉しくなりました」

 

 運命は、少し照れくさそうにフィギュアを紙袋へそっと収めた。

 帰り際、店を出る前に、運命はふと思い出したように言った。

 

『リンデンは、何か欲しいものないの?』

 

「僕、ですか? そうですね……」

 

 一度だけ棚を見回してから、静かに首を横に振った。

 

「――僕は今、欲しいものを受け取っている最中ですから」

 

 運命はそれに、声を立てずに小さく笑った。

 “嬉しさ”と“恥ずかしさ”と“愛おしさ”が、仮面越しの視線に滲んでいた。

 店を出た二人は、紙袋を片手に市街の歩道を歩く。

 運命とリンデンの歩調は自然と揃っていて、都市の喧騒の中にふたりだけの静かな空気が漂っていた。

 高層ビルの壁面には大型ディスプレイが埋め込まれ、次々と最新モデルの広告が切り替わっていく。

 歩道の反対側にはレストラン、書店、テック雑貨、そして――ふと目に入った、見慣れない新しいテナントのサイン。

 

 《NeoMiniature Complex - Layer6 Annex》

 

『……あれ、ここに出来たんだ』

 

 足を止めた運命が、軽く首を傾ける。

 店頭のガラス越しに、白と金を基調とした一体のフィギュアが飾られていた。

 それは躍動する少女型の造形で、剣の構え、翻る衣装、わずかな風の流れまで感じさせるほど精緻なディティールだった。

 運命は吸い寄せられるように、展示ケースの前へと近づいた。

 

『……うわ……すごい……』

 

 囁くような声が、思わず漏れる。

 その目は真剣だった。まるで、目の前の作品の一部始終を記憶に焼きつけようとするように。

 

『風の抜け方まで考えられてる……素材の切り替え、塗装の発色……』

『脚の筋肉の張りも、すごく自然で……剣のバランスも……これは……』

 

 言葉を探しながら、ショーケースの下に掲げられた価格プレートへと視線を落とす。

 その瞬間、わずかに肩が揺れた。

 

『……あ、そっか……』

 

 声のトーンがほんの少しだけ下がる。

 その言葉の奥には、理解と、諦めと、未練が入り混じっていた。

 

「……なかなか、ですね?」

 

 横に立ったリンデンがそっと言う。

 運命は無言で小さく頷いた。

 

『……うん。今さっきフィギュアとスタンド両方買っちゃったから……今は、ちょっと無理かな』

 

 指先が名残惜しそうにガラスの縁をなぞる。

 まるで目の前にあるものを、どうにか心に留めておこうとするかのように。

 

「きっと、この完成度ですから。すぐには買い手はつかないと思いますよ」

 

『……え』

 

「陛下が“欲しい”と思ったなら、同じように“惹かれる”人は少なくない。でも、その分……すぐに決められる人も、そう多くないはずです」

 

 運命は、その言葉に少しだけ視線を動かした。

 ガラスの向こうのフィギュアと、隣に立つ少年の横顔を交互に見て――そして、目を伏せて静かに息をついた。

 

『……そっか。そうだね……ありがとう、リンデン』

 

「行きましょう。あまり立ち止まっていると、また欲しくなってしまいます」

 

 ふっと笑いながら歩き出すリンデンに、運命はようやく名残を振り払うように踵を返し、歩調を合わせた。

 その後ろ姿に、ショーケースの中の少女が、沈黙のまま見送るように佇んでいた。

 

 しばらくして。

 人の流れが再び交差する中、リンデンは歩きながらふと携帯端末を取り出した。

 何気ない仕草で画面をひらき、ごく短い操作を行う。

 表示された小さな画面には、製品コードの一部と、取扱い情報の簡易タグが浮かんでいた。

 リンデンはそれに一瞥を送り、わずかに指を動かす。

 手続きが完了したことを示す控えめな通知が表示されると、彼は何事もなかったように端末を閉じ、歩を緩めることなくポケットへ戻した。

 ――あくまで、ただの“確認”のような動作。

 誰のためか、何のためか、それを彼は一言も語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が傾き始め、街の光が柔らかく変化していく頃。

 再び暖簾が掲げられた《ラーメン処 運命屋》の前には、開店を待つ客たちの列ができていた。

 学生、研究職らしき制服姿、軍服を崩したような男たち。年齢も立場もバラバラだが、彼らに共通するのは、ただひとつ――この店の味を信頼していること。

 

 「……では、開店します」

 

 リンデンが店内の鍵を外し、静かにガラス戸を押し開ける。

 その声を合図に、列が前へと動き出す。

 

 『いらっしゃいませ』

 

 運命の静かな声が、湯気と共に厨房から響いた。

 

 客たちが次々と券売機へ向かい、2種類のラーメンから選んだ食券を手にカウンター席へと滑り込んでいく。

 そのたびに「極、入りました」「塩魚介、お願いします」と、リンデンの声が厨房へ通される。

 白い湯気が再び店内を満たしていた。

 寸胴のスープは午後のうちに新しいロットが温められており、火加減は絶妙。麺も湯に放たれ、正確なタイミングで揚がっていく。

 

 『海苔塩【極】、仕上げお願い』

 

 「はい」

 

 カウンター越しに丼が受け渡されると、リンデンの手が滑らかに動き出す。

 チャーシュー二枚、扇状の海苔、メンマ――完璧な配置。

 迷いのない手つきに、列の後方で待っていた客がぽつりと呟く。

 

 「……この前より、さらに速くなってないか?」

 「綺麗に並べすぎてるだろ、あの盛りつけ……芸術かよ」

 「分かってないな、お前。この兄ちゃんがやるから“極”なんだよ、“ただ美味いラーメン”じゃないの」

 

 そんな会話をよそに、リンデンは淡々と、しかし丁寧に仕事をこなしていく。

 厨房の奥からは、仮面に覆われた店主――久条運命が、静かに指示を飛ばしていた。

 

 『カウンター奥、追加で一杯。塩魚介ね』

 

 「了解しました」

 

 寸胴の前に立つ運命の姿勢は、昼と変わらず凛としていた。

 感情を派手に出すわけではないが、スープの香り、麺の弾力、湯気の流れ――すべてを感じ取っているのが伝わってくる。

 その背中に、リンデンは一度だけ目を向ける。

 湯気の向こうに浮かぶ仮面の輪郭。

 “同じ景色”を、こうして何度も繰り返してきたのだと思う。

 そして、また、今日も。

 

 

 

 夜が深まり始めた《ラーメン処 運命屋》の店内。

 夕飯のピークが過ぎ、今はカウンターの数席だけが静かに残されていた。

 そのタイミングを見計らったかのように、ガラス戸が開いた。

 冷えた外気と共に現れたのは、薄桃色の髪を編み込んだシスター服の騎士――トロイメライ。

 続いて、蒼色の髪を揺らして手を振るブルー。

 その後ろに並んでいたのは、無骨な体格に軍の気配を滲ませた中年の男と、すらりとした美貌の若い女性だった。

 

「どうもー、お邪魔するよー。まだやってるよねー?」

 

「リンデン、お疲れさま! ……あ、えっと、四人なんだけど、まだ空いてる?」

 

「いらっしゃいませ、トロイ姉さん、ブルー姉さん」

「奥のカウンター、空いてますよ。ご案内しますね」

 

 そう答えながら、リンデンの視線が自然と後方の男性へ向かう。

 やや無精髭の残る口元がわずかに笑みを浮かべていた。

 

「……また、大きくなったな」

 

「……お久しぶりです、ダグザさん」

 

 ダグザ――ダグダヴェア。

 かつて、5歳だったリンデンを“拘束”した男。だが彼はその後もずっと、変わらぬ距離感で彼を“気にかけて”きた数少ない人物だった。

 

「坊主の面影、少しも残ってねぇな。……良い顔になった」

 

「恐縮です」

 

 柔らかな応答と共にリンデンがわずかに頭を下げると、その横から娘らしき女性が一歩前へ出た。

 端整な顔立ちに澄んだ瞳、礼儀をわきまえた気配。そして、その視線がほんの少しだけ長く、リンデンを追っていた。

 

「こんばんは、リンデンくん。……お元気そうで、なによりです」

 

「リーインシアさん。……そちらこそ、お変わりなく」

 

 軽く微笑み合う二人の間に、何かほんのわずか、柔らかな波が生まれる。

 

「では、皆さん。食券は券売機で。ラーメンは二種のみです」

 

「おっ、相変わらず潔いな」

 

 ダグザが唸るように呟きながら、券売機の前に立った。

 トロイとブルーが「どっちにする?」「いや今日は魚介にしようかなー」とわちゃわちゃ言い合いながら選び始める。

 

「トロイさん、先どうぞっ」

 

「えー、ブルーちゃんが先でいいよー。この前も最後に選ばせたら、時間掛かりすぎて苔生えるとこだったしー」

 

 リーインシアはそんなふたりを少し後ろから見守りつつ、静かに券を購入していた。

 最後にダグザが「どっちでもいいが、坊主のおすすめがこっちって言ってた気がするな」と言って海苔塩を選び、一同は券を手に奥のカウンター席へと向かっていく。

 リンデンは一人ずつから順に食券を受け取りながら、それぞれと軽く目を合わせる。

 

「トロイ姉さん、魚介ですね。チャーシュー多めにしておきます」

 

「さっすがリンデンちゃん、トロイさんの事分かりすぎてて草ー」

 

「ブルー姉さんは……あ、海苔塩。最近はこちらの比率が高いですね」

 

「えへへっ、今日はなんか“しょっぱい気分”だったので!」

 

「ダグザさん、海苔塩を二枚ですね」

 

「ああ、俺のと、こいつの分だ。どっちがどっちでもいいけどな」

 

「承りました」

 

 リンデンが最後にリーインシアと目を合わせると、彼女はほんのわずかだけ迷ったようにしてから、静かに言葉を落とした。

 

「……ラーメン、久しぶりなんです。……ちょっと、楽しみにしてました」

 

「ありがとうございます。精一杯、作らせていただきますね」

 

 そう言って食券を受け取る手元を少しだけ見下ろしたあと、リンデンはふたたび背筋を正し、静かに厨房へと向かっていった。

 店内に流れるのは、寸胴から立ち昇る湯気と、スープの煮える控えめな音。

 厨房では、リンデンと運命が黙々と作業を進めていた。

 その背中を、L字カウンターの奥に並んだ四人がそれぞれの思いで見つめている。

 

「……坊主、もう“堂に入った”って感じだな」

 

 先に口を開いたのはダグザ。

 肘をカウンターにつきながら、目を細めるようにして厨房の奥を見やる。

 

「ガキだった頃は、なにをやるにしてもおっかなびっくりだったんだがな。……今や立派な看板だ」

 

「そうだねー。リンデンちゃんって、無理に頑張ってる感じじゃなくて、ちゃんと“そこにいていい”って空気、出すようになったよねー」

 

 隣でトロイが頬杖をつきながら、気だるげな声で応じた。

 視線は厨房ではなく、どちらかといえば目の前のカウンターに落としながら、記憶をなぞるように。

 

「……あの子、いつも自分の居場所を探してたからねー。誰かに許されてるって思えた場所、やっと掴んだのかも」

 

「……許されてる、か。……そりゃあきっと、坊主にとっては……随分と、重たい言葉だったろうな」

 

 ダグザの声は、珍しく低く響いた。

 その言葉に、トロイも少しだけ頷いて、視線を厨房へ戻す。

 

「まー、今のリンデンちゃん見てると――うん、トロイさんも一安心って感じかなー」

 

「えへへ……そうだよね」

 

 その隣でブルーは、頬杖をついたまま、にこにこと笑いながらリンデンをじっと見つめていた。

 会話には加わらない。ただ嬉しそうに、ほわんとした表情で、厨房の彼を追い続けている。

 その表情は無防備すぎて、見ようによっては幸せそうで、見ようによっては少し切なかった。

 一方、もう一人の女性――リーインシアは、手元の水の入ったグラスを両手で包み込むように持ちながら、静かにリンデンを見つめていた。

 彼女の視線は、ブルーのように明るくもなければ、トロイのように揺らいでもいなかった。

 ただ、淡く、確かに――何かを言いかけてやめたような、そんな“温度”だけが残っていた。

 

「……」

 

 その静寂の中、ダグザがふと口元を歪めて呟いた。

 

「……あいつ、ああ見えて、変わってねぇよ。無理に背伸びしてる訳じゃないが、自分の中で全部、折り合いつけてる顔だ」

 

「うん、そうだねー。でもそれってさー……誰にも迷惑かけない代わりに、自分の中に全部詰め込んじゃう顔でもあるよねー」

 

「……ああ」

 

「……ねぇ、リーちゃん」

 

 突然、トロイが隣のリーインシアに声をかける。

 彼女は少し驚いたように顔を上げ、トロイと視線を合わせた。

 

「リンデンちゃんのこと、好き?」

 

「――っ」

 

 グラスを持つ手が、ほんのわずか震えた。

 リーインシアは何かを言いかけて、けれど結局、言葉を飲み込んだ。

 

「……はい」

 

 答えにならない返事を、小さく。

 ︎︎それを聞いたトロイは、悪戯げに「まあ、リンデンちゃんは顔も性格もいいからねー」と笑っていた。

 湯気をまとって、最初の丼がカウンター越しに運ばれてくる。

 

「お待たせしました。魚介【極】、チャーシュー多めです」

 

 手早く差し出された一杯を受け取りながら、トロイはふわりと笑った。

 

「ありがとー、リンデンちゃん。やっぱりこれだよねー」

 

 器の中を一瞥して、香りを深く吸い込むと、満足そうに頷く。

 

「……次はねー、トロイさんの好きな辛いやつもお願いしたいかなー?」

 

「……検討しておきます」

 

 淡々とした返答に、トロイはくすりと笑った。

 続いて差し出されたのは海苔塩【極】。

 丼のふちまで張った白濁スープに、丁寧に立てられた海苔が揺れている。

 

「ブルー姉さん、お待たせしました」

 

「えへへ、ありがとっ」

 

 笑顔で受け取ったブルーは、丼を前に目を輝かせながら箸を手に取る。

 どこか誇らしげにも見える笑顔には、他の誰でもなく“リンデンが作った”というだけで満足しているような、そんな色が滲んでいた。

 

「はい、ダグザさん。海苔塩です」

 

「ああ。悪いな」

 

 どっしりとした動きで器を受け取り、それに向かってレンゲを差し入れた。

 スープをひとすくいして、湯気越しに香りを確かめ、一口。

 

「……うまいな。……しっかりと味が煮出されてる。こりゃ手間かかってる」

 

 低く唸るような声に、リンデンは「恐縮です」とだけ短く答える。

 最後に、やや間を置いて丼を差し出す。

 

「リーインシアさん、こちらになります」

 

 彼女は咄嗟に顔を上げようとするが、先程のトロイとの会話を思い出し、その視線はリンデンの目元に届く前に逸れていった。

 視線を下に落としたまま、グラスを持っていた手をそっと器の側へ添える。

 

「……ありがとうございます。いただきます……」

 

 言葉は控えめで、声もか細い。

 だがその指先は、器の温もりを確かめるように、優しく縁に触れていた。

 厨房の奥では、運命が静かにその様子を見守っていた。

 仮面の奥、その表情は映らない。

 けれど彼女の動きには、今この時間を“誰より大切に感じている”という空気が、さざ波のように滲んでいた。

 

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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