暖簾をくぐるたびに、香ばしい湯気が頬を撫でる。
《ラーメン処 運命屋》――L字型カウンターの向こうには、寸胴から立ち昇る白濁スープの湯気が、静かに空気を満たしていた。
券売機の前には、制服姿の学園生たち。
「今日は塩とんこつかな」「魚介も捨てがたいんだよな」そんな声が行き交いながら、食券が次々と押し出されていく。
厨房の最奥、スープを睨むように見つめるのは黒衣の少女――久条運命。
顔は仮面に覆われているが、その手元の丁寧さ、音のない所作には一分の隙もない。
トングで泳がせた麺が揚がる瞬間を、音ではなく香りと色で見極めているのがわかる。
「一番、海苔塩とんこつ【極】、入ります」
手前、カウンターの中ほどで、黒いエプロンを締めたリンデンが小声で告げる。
食券を一瞥し、すぐに丼を温め、スープを注ぐ。
素早く受け取った麺に合わせてトッピングを並べていく動きには、迷いがない。
チャーシューを沈め、海苔を立て、メンマを添える。
指先の所作まで研ぎ澄まされたような動きには、職人の風格すらあった。
「お待たせいたしました。海苔塩とんこつ【極】です」
差し出された丼の向こうで、客が思わず息を呑む。
「美しい……って言葉がラーメンに似合うと思わなかったけど、今日のは間違いないわ」
「ありがとうございます。カウンター左手に箸とレンゲがございます。どうぞ、ごゆっくり」
リンデンが一礼し、背後に下がると、奥で運命がふっと視線を上げた。
『手つき、また少し洗練されたね』
「ありがとうございます。……陛下の教え方が良かったので」
仮面に表示される目元が、やや柔らかな形になる。
照れたような、でも嬉しそうな表情だった。
『最初は、レンゲの向きすらうまく置けなかったのにね』
「……何年も前の話ですよ?」
『でも私は、そういう“最初の頃”を忘れたくないな』
『だって、リンデンが少しずつ出来るようになっていくのを見るのが、私にとっては……すごく、嬉しい事だったから』
リンデンは、その言葉に一瞬だけ手を止める。
しかしすぐに、「……ありがとうございます」とだけ小さく答え、次の丼を手に取った。
カウンターではすでに別の客がラーメンを啜っている。
早い者は、もう席を立っていた。
『この仕事、楽しいよね』
「……ええ。忙しいけれど、毎日、決まったことを積み重ねていくのは、落ち着きます」
『うん。私も、ずっとこの店を続けていきたいと思ってる』
『……できれば、リンデンにも、ずっとこの景色を見ていてほしいって、思ってしまうけど』
その言葉に、リンデンはスープの色を見つめたまま黙り込む。
すぐに返答はせず、代わりにチャーシューを切り分ける手を静かに動かす。
そして、完成した丼を差し出しながら、ようやく一言。
「それでも……きっと僕は、外へ出ていくことになると思います」
『……うん』
それを聞いて、運命の声が少しだけ震えたように聞こえた。
それでも、彼女は決して否定しない。
仮面の奥で、きっと目を細めているのだろうと、リンデンは勝手に想像する。
『……ちゃんと、美味しいもの食べて、暖かいところで眠ってね。約束』
「はい、陛下」
厨房の湯気の中、二人の背中には言葉にならない時間が静かに流れていた。
何度も繰り返した一日の、きっと最後になるかもしれない、その午前。
――店内に、食券が一枚、また一枚と重なっていく。
回転の波が過ぎ去ると、店内にはようやく、静けさが戻ってきた。
最後の客が食器を片付け、頭を下げて店を後にする。暖簾の影がふっと揺れ、扉の開閉音が静かに響く。
カラン、と控えめな鐘の音が鳴って、午前の部が終わった。
リンデンは手際よく丼を回収し、カウンターを拭き清めていく。
厨房では、運命が火を落とし、寸胴の蓋をそっと閉じていた。
『今日もお疲れさま、リンデン』
「ありがとうございます、陛下。今日の塩とんこつも完璧でしたね」
仮面の奥で照れたように目元が揺れる。
『そう言ってもらえると、少しは自信になるかな……ううん、かなり、ね』
リンデンは小さく微笑んで、丁寧にタオルを折りたたむ。
厨房とカウンター、それぞれの持ち場での動きが、自然と店じまいの所作に繋がっていく。
スープの香りがまだ少し残る中、店内に差し込む昼の光が、淡く床を照らしていた。
食器を洗い終えた運命が、ハンドドライヤーに手をかざしながらぽつりと呟く。
『午後は……少し、買い物に行こうかな』
「買い物、ですか?」
『うん。新しい展示スタンドが届いてるって連絡があってね。ついでに予約してたのも引き取りに行きたいなって』
運命の言葉に、リンデンは一瞬だけ目を細めて頷いた。
「では、私もお供します。荷物持ちとして」
『ふふ……頼もしいなぁ、私の専属店員さん』
「元より、専属ですから」
そう答えると、リンデンは静かに後片付けに戻っていく。
その背中を見つめながら、運命は静かに口元をほころばせた。
昼の熱気が冷めた店内には、涼やかな余白と、優しい光だけが残っていた。
空へ向かって伸びるビルが、いくつも重なるように林立していた。
第六層・市街区――GARDENランヴィリズマの中でも、企業・庁舎・商業街・娯楽街などが混在する高層都市であり、その大部分は立体交差の歩行路と空中搬送レーンで構成されている。
舗装された歩道の足元には、無数の光素粒子が流れ、歩く者の軌跡をほんのりと浮かび上がらせていた。
昼下がりの空は人工調整された青に透け、歩道の側面には広告映像や店舗情報が並ぶ。
そんな都市の風景の中、リンデンと運命は並んで歩いていた。
運命はフードを被ったまま、少し早足で歩く。
リンデンはその横を、二歩ほど下がった位置で控えめに歩調を合わせていた。
「……陛下、ペースが少し速いです」
『あ……ごめん。ちょっと、久しぶりに外に出たからかな。なんだか落ち着かなくて』
仮面のディスプレイに、淡い青の気恥ずかしげな表情が浮かぶ。
それに、リンデンはふっと息を洩らすように笑った。
「いえ。こうして、並んで歩くのも久しぶりですから」
『そうだね……思えば、昔はよく一緒に出歩いてたのにね』
『でも最近は、リンデンも忙しかったから』
運命は、ほんの少しだけ前を見つめながら言う。
その声には責める響きはなく、むしろどこか、寂しさを抱きしめるような柔らかさがあった。
リンデンはそれに応えるように、隣を歩く運命の横顔をちらりと見る。
「忙しかったというより、……不器用なだけです」
「それでも、今日こうしてお供できているのですから。……何より、僕にとっては貴重な時間です」
運命は、はっとしたように彼を見て、それから目を細める。
『……ありがとう、リンデン』
高層ビルの隙間から差し込む光が、二人の影を歩道に長く伸ばしていく。
遠く、空搬送レーンを走る配送ドローンの音が一瞬だけ空気を裂いた。
やがて、歩道脇のビルに連なるテナントに差し掛かる。
《TOY’s GARDEN -LAYER6 BRANCH-》。ディスプレイには最新フィギュアの回転映像が映っており、店先には既に数人の買い物客が出入りしていた。
運命はそこで立ち止まると、小さく声を漏らした。
『……あった。ここ』
「お目当ての物は、こちらの店舗に?」
『うん。ちょっと前に予約しててね、今日が受け取り日だったんだ』
「なるほど。……僕も一緒に中でお待ちしていますね」
『えっ、外で待っててもいいのに』
「いいえ。お供すると言った以上、最後までお付き合いします」
その言葉に、仮面のディスプレイがやわらかに笑った。
――それは、運命が最も心を許した者にだけ見せる表示だった。
そして二人は、ガラス扉の向こうへと歩を進めていく。
かつて手を繋いで歩いた道を、今は肩を並べて歩けるようになったことに、運命は少しだけ胸を締め付けられるような気がしていた。
ドアに取り付けられたベルが、軽やかな電子音を鳴らす。
店内に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに変わった。
明るすぎない照明の中、壁一面にずらりと並ぶフィギュアのパッケージとガラスケースが、静かな存在感を放っている。
中世風の甲冑をまとった戦士、魔導書を掲げた魔女、鋭い意匠のロボット、愛らしい獣人型の少女――。
見渡す限りの“理想と造形”の洪水。そのどれもが、運命の“もうひとつの世界”だった。
『……ふふ、やっぱりこの空気、好きかも』
仮面越しに漏れた運命の声は、店に入る前とは明らかに違っていた。
肩の力が少し抜け、呼吸が深くなる。普段よりほんの少し、無邪気な響きを帯びている。
リンデンは横に立ち、その変化をはっきりと感じ取っていた。
「……陛下は、こういう場所に来ると、本当に表情が緩みますね」
『えっ、そうかな……そんなつもりじゃ……』
「ええ。気づいていないだけで、今も仮面のディスプレイが“喜”表示になっていますよ?」
『わ……ほんとだ。恥ずかしい……』
小さな動揺が仮面の光に揺れ、運命は軽く咳払いをしてごまかすように前を向いた。
『……えっと、予約してたの、たしかカウンター奥の棚にあるって』
そのまま受付へ向かい、予約番号を伝える。
スタッフが「少々お待ちください」と言って奥へ消える間、リンデンは陳列棚の隅を何気なく眺めた。
……少し古めのシリーズに、白銀の髪をなびかせる少女型騎士のフィギュア。
風に翻るスカート、展開された魔導具、剣を構えるポージング――どれも丁寧に作られている。
(……造形への執着心が、選定の基準になっているのですね)
胸中で静かに納得していると、スタッフが奥から持ってきたパッケージを運命に手渡した。
彼女は両手でそれを受け取り、そっと保護ケースを開ける。
中に収められていたのは、軽やかな跳躍ポーズを取る少女のフィギュア。
しなやかな髪のなびき、布の動き、金属調の武器――全てが精密な仕上がりで、静かに主張するような存在感があった。
『……わあ……すごい、これは……想像以上かも』
「お目当ての品、でしたか?」
運命は小さく頷くと、ケースの縁に指を添えながら言葉を探すように続けた。
『あのね、この子……設定とかはともかくとして……とにかく、造形が……すごいの』
『髪の流れとか、脚の重心の置き方とか、衣装の布の張りと重力感の処理とか――あと、武器の表面処理とかも……』
『……なんていうか……“これを作ってくれた人”、本当にありがとうって感じ』
仮面のディスプレイ花火のようにきらきらと光る。
「陛下は……造形美に対して、時々詩人のようになりますね」
『えっ、そ、そうかな……? ちょっと語彙が崩れてたかも……』
「いえ。熱意が伝わってきて、むしろ僕も嬉しくなりました」
運命は、少し照れくさそうにフィギュアを紙袋へそっと収めた。
帰り際、店を出る前に、運命はふと思い出したように言った。
『リンデンは、何か欲しいものないの?』
「僕、ですか? そうですね……」
一度だけ棚を見回してから、静かに首を横に振った。
「――僕は今、欲しいものを受け取っている最中ですから」
運命はそれに、声を立てずに小さく笑った。
“嬉しさ”と“恥ずかしさ”と“愛おしさ”が、仮面越しの視線に滲んでいた。
店を出た二人は、紙袋を片手に市街の歩道を歩く。
運命とリンデンの歩調は自然と揃っていて、都市の喧騒の中にふたりだけの静かな空気が漂っていた。
高層ビルの壁面には大型ディスプレイが埋め込まれ、次々と最新モデルの広告が切り替わっていく。
歩道の反対側にはレストラン、書店、テック雑貨、そして――ふと目に入った、見慣れない新しいテナントのサイン。
《NeoMiniature Complex - Layer6 Annex》
『……あれ、ここに出来たんだ』
足を止めた運命が、軽く首を傾ける。
店頭のガラス越しに、白と金を基調とした一体のフィギュアが飾られていた。
それは躍動する少女型の造形で、剣の構え、翻る衣装、わずかな風の流れまで感じさせるほど精緻なディティールだった。
運命は吸い寄せられるように、展示ケースの前へと近づいた。
『……うわ……すごい……』
囁くような声が、思わず漏れる。
その目は真剣だった。まるで、目の前の作品の一部始終を記憶に焼きつけようとするように。
『風の抜け方まで考えられてる……素材の切り替え、塗装の発色……』
『脚の筋肉の張りも、すごく自然で……剣のバランスも……これは……』
言葉を探しながら、ショーケースの下に掲げられた価格プレートへと視線を落とす。
その瞬間、わずかに肩が揺れた。
『……あ、そっか……』
声のトーンがほんの少しだけ下がる。
その言葉の奥には、理解と、諦めと、未練が入り混じっていた。
「……なかなか、ですね?」
横に立ったリンデンがそっと言う。
運命は無言で小さく頷いた。
『……うん。今さっきフィギュアとスタンド両方買っちゃったから……今は、ちょっと無理かな』
指先が名残惜しそうにガラスの縁をなぞる。
まるで目の前にあるものを、どうにか心に留めておこうとするかのように。
「きっと、この完成度ですから。すぐには買い手はつかないと思いますよ」
『……え』
「陛下が“欲しい”と思ったなら、同じように“惹かれる”人は少なくない。でも、その分……すぐに決められる人も、そう多くないはずです」
運命は、その言葉に少しだけ視線を動かした。
ガラスの向こうのフィギュアと、隣に立つ少年の横顔を交互に見て――そして、目を伏せて静かに息をついた。
『……そっか。そうだね……ありがとう、リンデン』
「行きましょう。あまり立ち止まっていると、また欲しくなってしまいます」
ふっと笑いながら歩き出すリンデンに、運命はようやく名残を振り払うように踵を返し、歩調を合わせた。
その後ろ姿に、ショーケースの中の少女が、沈黙のまま見送るように佇んでいた。
しばらくして。
人の流れが再び交差する中、リンデンは歩きながらふと携帯端末を取り出した。
何気ない仕草で画面をひらき、ごく短い操作を行う。
表示された小さな画面には、製品コードの一部と、取扱い情報の簡易タグが浮かんでいた。
リンデンはそれに一瞥を送り、わずかに指を動かす。
手続きが完了したことを示す控えめな通知が表示されると、彼は何事もなかったように端末を閉じ、歩を緩めることなくポケットへ戻した。
――あくまで、ただの“確認”のような動作。
誰のためか、何のためか、それを彼は一言も語らなかった。
日が傾き始め、街の光が柔らかく変化していく頃。
再び暖簾が掲げられた《ラーメン処 運命屋》の前には、開店を待つ客たちの列ができていた。
学生、研究職らしき制服姿、軍服を崩したような男たち。年齢も立場もバラバラだが、彼らに共通するのは、ただひとつ――この店の味を信頼していること。
「……では、開店します」
リンデンが店内の鍵を外し、静かにガラス戸を押し開ける。
その声を合図に、列が前へと動き出す。
『いらっしゃいませ』
運命の静かな声が、湯気と共に厨房から響いた。
客たちが次々と券売機へ向かい、2種類のラーメンから選んだ食券を手にカウンター席へと滑り込んでいく。
そのたびに「極、入りました」「塩魚介、お願いします」と、リンデンの声が厨房へ通される。
白い湯気が再び店内を満たしていた。
寸胴のスープは午後のうちに新しいロットが温められており、火加減は絶妙。麺も湯に放たれ、正確なタイミングで揚がっていく。
『海苔塩【極】、仕上げお願い』
「はい」
カウンター越しに丼が受け渡されると、リンデンの手が滑らかに動き出す。
チャーシュー二枚、扇状の海苔、メンマ――完璧な配置。
迷いのない手つきに、列の後方で待っていた客がぽつりと呟く。
「……この前より、さらに速くなってないか?」
「綺麗に並べすぎてるだろ、あの盛りつけ……芸術かよ」
「分かってないな、お前。この兄ちゃんがやるから“極”なんだよ、“ただ美味いラーメン”じゃないの」
そんな会話をよそに、リンデンは淡々と、しかし丁寧に仕事をこなしていく。
厨房の奥からは、仮面に覆われた店主――久条運命が、静かに指示を飛ばしていた。
『カウンター奥、追加で一杯。塩魚介ね』
「了解しました」
寸胴の前に立つ運命の姿勢は、昼と変わらず凛としていた。
感情を派手に出すわけではないが、スープの香り、麺の弾力、湯気の流れ――すべてを感じ取っているのが伝わってくる。
その背中に、リンデンは一度だけ目を向ける。
湯気の向こうに浮かぶ仮面の輪郭。
“同じ景色”を、こうして何度も繰り返してきたのだと思う。
そして、また、今日も。
夜が深まり始めた《ラーメン処 運命屋》の店内。
夕飯のピークが過ぎ、今はカウンターの数席だけが静かに残されていた。
そのタイミングを見計らったかのように、ガラス戸が開いた。
冷えた外気と共に現れたのは、薄桃色の髪を編み込んだシスター服の騎士――トロイメライ。
続いて、蒼色の髪を揺らして手を振るブルー。
その後ろに並んでいたのは、無骨な体格に軍の気配を滲ませた中年の男と、すらりとした美貌の若い女性だった。
「どうもー、お邪魔するよー。まだやってるよねー?」
「リンデン、お疲れさま! ……あ、えっと、四人なんだけど、まだ空いてる?」
「いらっしゃいませ、トロイ姉さん、ブルー姉さん」
「奥のカウンター、空いてますよ。ご案内しますね」
そう答えながら、リンデンの視線が自然と後方の男性へ向かう。
やや無精髭の残る口元がわずかに笑みを浮かべていた。
「……また、大きくなったな」
「……お久しぶりです、ダグザさん」
ダグザ――ダグダヴェア。
かつて、5歳だったリンデンを“拘束”した男。だが彼はその後もずっと、変わらぬ距離感で彼を“気にかけて”きた数少ない人物だった。
「坊主の面影、少しも残ってねぇな。……良い顔になった」
「恐縮です」
柔らかな応答と共にリンデンがわずかに頭を下げると、その横から娘らしき女性が一歩前へ出た。
端整な顔立ちに澄んだ瞳、礼儀をわきまえた気配。そして、その視線がほんの少しだけ長く、リンデンを追っていた。
「こんばんは、リンデンくん。……お元気そうで、なによりです」
「リーインシアさん。……そちらこそ、お変わりなく」
軽く微笑み合う二人の間に、何かほんのわずか、柔らかな波が生まれる。
「では、皆さん。食券は券売機で。ラーメンは二種のみです」
「おっ、相変わらず潔いな」
ダグザが唸るように呟きながら、券売機の前に立った。
トロイとブルーが「どっちにする?」「いや今日は魚介にしようかなー」とわちゃわちゃ言い合いながら選び始める。
「トロイさん、先どうぞっ」
「えー、ブルーちゃんが先でいいよー。この前も最後に選ばせたら、時間掛かりすぎて苔生えるとこだったしー」
リーインシアはそんなふたりを少し後ろから見守りつつ、静かに券を購入していた。
最後にダグザが「どっちでもいいが、坊主のおすすめがこっちって言ってた気がするな」と言って海苔塩を選び、一同は券を手に奥のカウンター席へと向かっていく。
リンデンは一人ずつから順に食券を受け取りながら、それぞれと軽く目を合わせる。
「トロイ姉さん、魚介ですね。チャーシュー多めにしておきます」
「さっすがリンデンちゃん、トロイさんの事分かりすぎてて草ー」
「ブルー姉さんは……あ、海苔塩。最近はこちらの比率が高いですね」
「えへへっ、今日はなんか“しょっぱい気分”だったので!」
「ダグザさん、海苔塩を二枚ですね」
「ああ、俺のと、こいつの分だ。どっちがどっちでもいいけどな」
「承りました」
リンデンが最後にリーインシアと目を合わせると、彼女はほんのわずかだけ迷ったようにしてから、静かに言葉を落とした。
「……ラーメン、久しぶりなんです。……ちょっと、楽しみにしてました」
「ありがとうございます。精一杯、作らせていただきますね」
そう言って食券を受け取る手元を少しだけ見下ろしたあと、リンデンはふたたび背筋を正し、静かに厨房へと向かっていった。
店内に流れるのは、寸胴から立ち昇る湯気と、スープの煮える控えめな音。
厨房では、リンデンと運命が黙々と作業を進めていた。
その背中を、L字カウンターの奥に並んだ四人がそれぞれの思いで見つめている。
「……坊主、もう“堂に入った”って感じだな」
先に口を開いたのはダグザ。
肘をカウンターにつきながら、目を細めるようにして厨房の奥を見やる。
「ガキだった頃は、なにをやるにしてもおっかなびっくりだったんだがな。……今や立派な看板だ」
「そうだねー。リンデンちゃんって、無理に頑張ってる感じじゃなくて、ちゃんと“そこにいていい”って空気、出すようになったよねー」
隣でトロイが頬杖をつきながら、気だるげな声で応じた。
視線は厨房ではなく、どちらかといえば目の前のカウンターに落としながら、記憶をなぞるように。
「……あの子、いつも自分の居場所を探してたからねー。誰かに許されてるって思えた場所、やっと掴んだのかも」
「……許されてる、か。……そりゃあきっと、坊主にとっては……随分と、重たい言葉だったろうな」
ダグザの声は、珍しく低く響いた。
その言葉に、トロイも少しだけ頷いて、視線を厨房へ戻す。
「まー、今のリンデンちゃん見てると――うん、トロイさんも一安心って感じかなー」
「えへへ……そうだよね」
その隣でブルーは、頬杖をついたまま、にこにこと笑いながらリンデンをじっと見つめていた。
会話には加わらない。ただ嬉しそうに、ほわんとした表情で、厨房の彼を追い続けている。
その表情は無防備すぎて、見ようによっては幸せそうで、見ようによっては少し切なかった。
一方、もう一人の女性――リーインシアは、手元の水の入ったグラスを両手で包み込むように持ちながら、静かにリンデンを見つめていた。
彼女の視線は、ブルーのように明るくもなければ、トロイのように揺らいでもいなかった。
ただ、淡く、確かに――何かを言いかけてやめたような、そんな“温度”だけが残っていた。
「……」
その静寂の中、ダグザがふと口元を歪めて呟いた。
「……あいつ、ああ見えて、変わってねぇよ。無理に背伸びしてる訳じゃないが、自分の中で全部、折り合いつけてる顔だ」
「うん、そうだねー。でもそれってさー……誰にも迷惑かけない代わりに、自分の中に全部詰め込んじゃう顔でもあるよねー」
「……ああ」
「……ねぇ、リーちゃん」
突然、トロイが隣のリーインシアに声をかける。
彼女は少し驚いたように顔を上げ、トロイと視線を合わせた。
「リンデンちゃんのこと、好き?」
「――っ」
グラスを持つ手が、ほんのわずか震えた。
リーインシアは何かを言いかけて、けれど結局、言葉を飲み込んだ。
「……はい」
答えにならない返事を、小さく。
︎︎それを聞いたトロイは、悪戯げに「まあ、リンデンちゃんは顔も性格もいいからねー」と笑っていた。
湯気をまとって、最初の丼がカウンター越しに運ばれてくる。
「お待たせしました。魚介【極】、チャーシュー多めです」
手早く差し出された一杯を受け取りながら、トロイはふわりと笑った。
「ありがとー、リンデンちゃん。やっぱりこれだよねー」
器の中を一瞥して、香りを深く吸い込むと、満足そうに頷く。
「……次はねー、トロイさんの好きな辛いやつもお願いしたいかなー?」
「……検討しておきます」
淡々とした返答に、トロイはくすりと笑った。
続いて差し出されたのは海苔塩【極】。
丼のふちまで張った白濁スープに、丁寧に立てられた海苔が揺れている。
「ブルー姉さん、お待たせしました」
「えへへ、ありがとっ」
笑顔で受け取ったブルーは、丼を前に目を輝かせながら箸を手に取る。
どこか誇らしげにも見える笑顔には、他の誰でもなく“リンデンが作った”というだけで満足しているような、そんな色が滲んでいた。
「はい、ダグザさん。海苔塩です」
「ああ。悪いな」
どっしりとした動きで器を受け取り、それに向かってレンゲを差し入れた。
スープをひとすくいして、湯気越しに香りを確かめ、一口。
「……うまいな。……しっかりと味が煮出されてる。こりゃ手間かかってる」
低く唸るような声に、リンデンは「恐縮です」とだけ短く答える。
最後に、やや間を置いて丼を差し出す。
「リーインシアさん、こちらになります」
彼女は咄嗟に顔を上げようとするが、先程のトロイとの会話を思い出し、その視線はリンデンの目元に届く前に逸れていった。
視線を下に落としたまま、グラスを持っていた手をそっと器の側へ添える。
「……ありがとうございます。いただきます……」
言葉は控えめで、声もか細い。
だがその指先は、器の温もりを確かめるように、優しく縁に触れていた。
厨房の奥では、運命が静かにその様子を見守っていた。
仮面の奥、その表情は映らない。
けれど彼女の動きには、今この時間を“誰より大切に感じている”という空気が、さざ波のように滲んでいた。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった