アンケートありがとうございます、やっぱ水着トロイさんはえっちなんですね。
鋭い金属音が、荒れた地表に鳴り響いた。
右からの斬撃を、リンデンは腕に固定した重盾でいなす。
衝突とともに、肩口まで伝わる鈍い衝撃。滑らせるように受け流した盾の表面には、浅く霊子の焼き痕が走っていた。
目の前には三体のドール。
一体は、身の丈に似合わぬ巨大な騎士盾を構えた重装型。
残る二体は、剣闘型――素早い踏み込みと連撃で、ひとつの隙を奪いにくる。
︎︎どうして。
言葉には出さない。
けれど、胸の内にずっと張りついて離れない問いだった。
低く構えを取り、足を軸に体を捻る。
左の剣闘型が振り上げた瞬間、回転する盾縁のリングをぶつけるように叩きつけた。
刃同士の干渉。機構が軋み、ドールの肩口が砕けて外れる。
こちらの戦術配置に問題はなかった。
部隊の陣形も、指揮伝達も、各自の対応も――少なくとも数値上は整っていた。
それでも、八人いたはずの仲間は、既に自分を含めて三人しか残っていない。
どうして。
また剣闘型が踏み込んでくる。
盾を低く差し出して受け止め、内蔵されたリングの回転で刃先を逸らす。
別方向から、重装型の盾がぶつかってきた。衝撃に足が滑る。
――遠く、丘の上。
残る二人のガーデナーが、別個体のドール群に対応していた。
支援を受けられず、時間稼ぎのように動いているのが見える。
苦戦していた。いつ、崩れるか分からない。
背中のナンナリスが、四本のアームを動かし続ける。
霊子強化の支援バフを、三人分に分散して送り続けている。
リンデンは一体の剣闘型に踏み込み、盾の縁を跳ね上げるようにして頭部を粉砕した。
白く濁った霊子が一閃、砂を焦がす。
――援護に向かう。そのつもりだった。
けれど、視界の端に青く光る陣が見えた。
術師型ドールの放つ、術式。
乾いた霊子の砂が爆ぜ、斜めから視界を覆い尽くす。
その瞬間――ナンナリスの一本のアームが、沈黙した。
霊子循環のバフが切れた。
ひとり、死んだ。
反力場を強引に展開し、身体ごと突破を図る。
砂を貫き、盾で正面を押し切るように駆ける。
だが――間に合わなかった。
最後の一人が、首を撥ねられた。
霊子が散り、血が落ちる。
ナンナリスが支援強化を打ち切り、完全停止した。
自分以外、誰も残っていない。
それでもリンデンは、盾を下ろさなかった。
盾の縁が軋む音だけが、戦場の静けさを切り裂いていた。
「……どうして」
繰り返された問いが、砂を這うように微かに漏れたその刹那――
後方から踏み込んできた剣闘型ドールの影が、彼の視界を覆った。
リンデンは振り返らない。
ヘイロリウムの縁を、わずかに傾けただけだった。
リングユニットが回転速度を一段引き上げ、唸りを上げる。
瞬間、ドールの胸部から頭部にかけて、粉塵と化して吹き飛んだ。
装甲ごと削られた霊子の核が暴発し、爆ぜる閃光が背後を照らす。
彼はただ一歩、後方へと下がった。
左腕の接続ユニットが、無音のまま自動解放される。
ヘイロリウムが、沈むようにその形を変えた。
盾から――斧へ。
柄が軋みながら展開し、リンデンはその重量を左手で受け止めた。
背部から走った接続コードが抜け、霊子循環を切り離す。
右手を添える。
その瞬間――リングユニットが“臨界回転”へと移行した。
盾形態では封じていた本来の機構が解放され、斧の刃にあたる円環が、外縁を暴風のような音を立てて回り出す。
漂う霊子も周囲の空気をも粉砕させる。その低く唸る“異音”は、荒野の彼方にまで届くほどの強度だった。
“戦場が変わる”音だった。
重い空気を乗せたまま、輸送機がGARDEN中層の発着ポートに到着した。
塗装の剥げた輸送機体が静かに脚を下ろし、機体腹部のハッチが滑るように開いていく。
霧のような排熱と、焦げた霊子の残滓が吹き出す。
その中から、ただ一人――リンデンが姿を現した。
装備はまだ外していない。左腕の接続ユニットには乾いた血が固着し、背中の支援ユニット、ナンナリスは沈黙したまま黒く燻っていた。
彼の目は、誰の姿も映していなかった。
「……あっ、
発着ポートの奥から、作業服姿のスタッフが手を挙げて声をかけた。
軽いノリ。けれど、どこか距離感を測り損ねたような、妙な張り付きがあった。
リンデンは、わずかに会釈だけして通り過ぎた。
歩調は乱れず、速度も変えず、ただ静かにその場を後にする。
彼の背が消えていくのを見届けてから、残った作業員たちが手を動かしながらぽつぽつと会話を始める。
「……やっぱ、GLさんって名前通りだったんだなぁ」
「“
「いや……マジで、全員いなかったの?今回も」
「うん、本人だけ。遺体も……ほとんどなかったって」
一瞬、手が止まりかける。
けれどそれを悟られないように、誰も目を合わせず作業を続けた。
「……不老不死の騎士に育てられたら、みんなあんな感じになるのかなぁ」
「それか、育て方間違えたんじゃね? ……いや、冗談」
静かに笑う声と、また無言のまま進む整備音。
誰も悪意では話していない。
けれどそこには、理解も共感もない――ただの“遠さ”だけがあった。
休憩室のドアが、自動で開く乾いた音を立てた。
中に人影はなかった。明かりも最小照度のまま、天井の間接照明がぼんやりと淡い影を落としている。
隅のカウンターに置かれた給湯器から、低く湯が湧く音だけが聞こえる。
その奥、窓のない壁際にある一人用の椅子に、リンデンが静かに座っていた。
装備の一部は外されておらず、疲労も、痛みも、どこにも見えないまま。彼は動かず、誰を待っているわけでもなく、ただそこにいた。
ドアが再び開く。
「失礼します……」
入ってきたのは、灰がかった髪をシニヨンにまとめた女性――リーインシアだった。
制服の胸元にはオペレーター識別の青いラインが入り、手にはカップを二つ持っていた。
一瞬、言葉をかけるか迷ったように口を開きかけて――思い直したように、静かにカップのひとつをカウンター脇に置く。
「……お疲れ様です、リンデンくん」
その声に、リンデンはほんのわずかに顔を向けて、
小さく――ほとんど形だけのような会釈を返した。
リーインシアは、もうひとつのカップを手に持ったまま、彼の正面ではなく、少しだけ離れた席に腰を下ろした。
沈黙。
それは気まずさではなく、言葉が届かないと分かっていてもなお、そこにいようとするための時間だった。
「……今日の戦場、記録だけは確認しました。あなたの行動に、落ち度は一切ありません」
返事はない。
それでも、彼は聞いていた。ただ、言葉で返す必要を感じていないだけだった。
「誰かが……、あなたを責めるようなことがあったら、私が報告しますから」
その言葉にも、リンデンは何も言わない。
ただ静かに、テーブルの一点を見つめている。
リーインシアは、それを遮るように一口、カップの中身に口をつけた。
温度も味も印象に残らない液体が、喉を通っていく。
そして、少しだけ声を落として言う。
「……あなたのせいじゃ、ありません」
リンデンがわずかに視線を伏せた。
それは、肯定ではなく――ただ、それ以上の言葉を許さない、静かな遮断だった。
リーインシアはそれ以上を踏み出せなかった。
寄り添いたかった。でも、その一歩を、踏み出すには理由が足りなかった。
そして彼は、拒みはしなかったけれど――誰にも、踏み込ませることはなかった。
やがて、椅子の軋む音。
リンデンが静かに立ち上がり、無言のまま出口へと歩いていく。
その背を、リーインシアは見送った。
声はかけなかった。ただ、カップを両手で包み込むように抱えながら――そこに残っていた。
液体はもう冷めきっていて、温かさの名残すら感じなかった。
静かな室内に、彼女の呼吸音だけが残る。
――その時、ふと胸の奥に浮かび上がる光景があった。
リンデンが、最初の任務から帰還した日。
帰ってきた彼は、酷く俯いていて、言葉を絞り出すようにしてこう告げた。
『ダグザさん……貴女の父親は、殉職されました』
『私がそうしました。犠牲になれと、時間を稼いで死ねと、そう言いました』
その言葉を聞いた瞬間、意識よりも先に――右手が、彼の頬を張っていた。
父の死。
その死が、目の前の少年によってもたらされたという事実。
それでも――彼が生きて帰ってきてくれたという事実。
全部が綯い交ぜになって、言葉が追いつかなかった。
ただ、手が動いていた。
頬を張られたリンデンは、驚くこともなく、
痛みにも触れず、ただ――俯いたまま小さく呟いた。
『……ごめんなさい』
その声は、ひどく小さかった。
感情がこもっているようで、何も感じさせない声音だった。
――違う。
――私は、こんなことが、したいんじゃない。
その場に立ち尽くすことしかできなかった自分を置いて、彼は何も言わず、立ち去っていった。
リーインシアは、その背中を追うことができなかった。
今も、きっと――その続きの時間の中にいるのだ。
自分はただの傍観者になってしまった。
あの日、あの瞬間から。
言い訳はできる。
責任からも逃げようと思えば逃げられる。
でも――それは何も変えられなかった。
「……どうして」
思っていたよりも、声は鮮明だった。
口に出すつもりではなかったのに――それは、肺をすり抜けて、静かな室内を震わせるように空気に舞った。
リーインシアは目を伏せたまま、カップを静かに置いた。
その手には、わずかに力が入っていた。
空気は重くもなければ、冷たくもなかった。
けれど、リーインシアの肺には妙に深く、息が入りすぎてくる気がした。
視線を落とせば、机の上に置いたカップの縁に、小さく指の痕が残っていた。
力を入れていたことにも気づいていなかった。
「……私は、何をしてるんでしょうね」
誰に向けたわけでもない問いが、また一つ、室内に落ちる。
答えはない。あるはずもない。
けれど、その言葉をこぼしたことで、ほんの少しだけ胸の張り詰めが緩んだ。
彼の隣に並びたいと思ったことは、何度もあった。
立ち止まっている時も、歩いている時も――。
その背を追いかけようとした瞬間は、確かにあったはずだった。
けれど、いつもあと一歩、足が出なかった。
それは、自分自身が彼を“赦してしまうのが怖かった”からだ。
あの日、彼の頬を張った自分を、未だにどこかで正当化しようとしていることに――気づいていた。
『ごめんなさい』と俯いた少年に、
何もしてあげられなかった自分がいた。
その悔いと、憐れみと、哀しみがごちゃ混ぜになったまま。
ただ「傍にいたい」と願っている。
――それでも。
「……私は、ここにいるんですよ。リンデンくん」
その言葉はようやく、きちんと声になった。
今はまだ、それしかできない。
それでも、立ち去らずにこの場にいることだけは、選べた。
カップを片付けることはせず、そのままにして立ち上がる。
彼のために淹れたものは、飲まれることのないまま冷めきっていた。
けれど、それでもいい。
次もまた、ここで――同じように待つことができれば、それで。
誰にも聞かれない足音を残して、
リーインシアは静かに、休憩室をあとにした。
風が、樹の間をゆっくりと抜けていく。
風と呼ぶにはあまりに重たく、湿り気を帯びた空気は、肌の上を這うようにまとわりつく。
腐食した基盤に苔のような膜が絡みつき、その下にはかつて神を作ろうとした人間たちの痕跡――歪んだ配線と溶けた鉄骨が見え隠れしていた。
そんな異様な地表を、六人の影が慎重に進んでいた。
外周索敵任務にあたる斥候遊撃部隊。構成員はいずれも、癖はあるが戦場慣れした精鋭ばかりだった。
「……これが、神様の工場の成れの果てってやつかよ。ロマンあるけど、気持ち悪ぃな」
先頭を歩くのは、粗野な口調の銃撃手――アーマードジャケットに薄型の散弾銃を背負った大柄な男。
見た目も態度も大味だが、過去に無傷で索敵圏を突破した経験を持つ熟練者だ。
「まあまあ。言うて雰囲気だけで言えば“遺跡マニア”にはたまらん場所だろ?」
その隣で軽口を返したのは、細身の索敵青年。
黒髪を一つに結び、常に霊子スコープと測定端末を片手に持っている。
皮肉屋めいた物言いが多いが、機材の扱いは信頼されていた。
「……光の当たり方、周期でズレてる。空間、ちょいと歪んでるね。天使の気配はまだ薄いけど」
スコープ越しに周囲を眺めながら、淡々と告げる。
「気配薄い時に言うなよ、やめろって。そういうの死亡フラグなんだって」
小柄な青年――身軽な戦術斥候が肩を竦めながら苦笑した。
跳躍と索敵範囲の展開に優れ、先行陽動を得意とする軽装型の戦闘員。
足場を確かめるように進む彼は、警戒しつつもどこか軽さを忘れなかった。
「じゃあさ、死亡フラグ立てといて回収しなければ、むしろ生存率上がる理論、知ってる?」
「うるせえ」
前衛の男が吐き捨てるように応じた時、後方の木陰からひとり、寡黙な女性がくすりと笑った。
ショートボブの髪に霧避けのゴーグルを下げた彼女は、補助砲撃と結界処理に長けたベテランの隠密支援型だった。
「でもまあ、こうしてまともに仕事してると、あの“
その視線の先にいたのは、隊列の中央やや後方――静かに端末を操作していたひとりの庭師。
黒に近い緑髪の影を落とすその姿は、空間の色にさえ溶けて見えた。
「……ねえ、
問いかけたのは、最後尾を歩く青年だった。
やや長身で整った顔立ち、だが疲れたような目をした分析官タイプ。
手には改造型のタクティカルパッドを抱え、索敵データの後方処理を担当している。
リンデンは、一瞬だけ顔を上げて、無機質な声で応じた。
「索敵範囲、計測通り。……現時点では、問題ありません」
抑揚の薄い、静かな声音。
その響きに、問いかけた青年は小さく肩をすくめた。
「やっぱ感情こもんないなぁ、マガジンさんは」
「……だからこそ生き残ってるって言い方もあるけどな」
前衛の大柄な男が、ぽつりと呟くように言った。その一言に、誰も返さなかった。
一瞬だけ、部隊の足音が止まる。
けれどそれもすぐ、何事もなかったように再開された。
【融解神這遺跡】アルダランビオン――。
いま、この異形の空間には、まだ“異変”はない。
けれど、何かが遠くで、静かに息を潜めていた。
索敵中、霊子測定端末の光が、わずかに震えた。
誤差と言ってしまえば、それまで。
けれどこの空間では――その“わずか”こそが命取りになる。
「……っと」
黒髪を束ねた索敵青年が端末を一瞥し、眉をひそめた。
すぐさま全体通信を開く。
「数値、僅かに波打ってる。霊子の粒径、下層構造に干渉反応あり。……誤差範囲だけど、警戒、しとこっか」
声が広域に響いた瞬間、全員の足音が一拍遅れて止まる。
銃撃手の男が肩越しに振り返り、散弾銃の安全装置をそっと外した。
「誤差のうちに、片付けとくに越したことはねぇからな」
「そーいうの、言うと出るよ?」
「だから言ってんだよ」
前線が静かに構えを取る。
直後、音もなく、霧の中から影が現れた。
――数体の汎用型ドール。
それぞれ、ぼろ布のような衣服を身にまとい、首には不釣り合いな巨大チョーカー。
顔面には器官が存在せず、空洞になった“穴”だけがこちらを向いている。
歩みは緩やかだが、確実に直進してくる。
何の警告も、音声も、意思表示もない。
それはただ、自動運行する“処理の機械”だった。
「来たな」
銃撃手が動こうとした瞬間、誰かがひとつ、息を飲む音を漏らした。
そして誰よりも早く、中央から一人の影がすっと前へ出た。
リンデンだった。
彼は何も言わず、ただ左腕を軽く傾ける。
その動きに応じるように、接続ユニットの金属端子が自動で展開し――ヘイロリウムが量子展開された。
灰緑の空気を割って現れたのは、鈍色の重盾。
その縁に搭載されたリングユニットが、振動と共に回転を始める。
刹那。
彼は一歩、二歩と踏み込み――
盾の外周で斜めから薙ぎ払うように、ドールの頭部を切削した。
霊子の軋みと共に、一体が崩れる。
その動きに一切の淀みもためらいもなく、振動回転を維持したまま、残る数体も順に――粉砕されていった。
剥がれたボロ布が、虚空に舞う。
霊子の反応、消失。完全排除確認。
「……さっすがマガジンさん。さすマガってとこだな」
先行の斥候が、口笛をひとつ吹いた。だがそれは挑発でも皮肉でもない。
むしろ“頼もしさ”への、照れ隠しめいた称賛だった。
「助かるわ、正直な話」
後方の女性が、淡々と結界支援の陣を一時解除する。
「次があったら、またお願いね」とでも言うように。
「……索敵範囲、更新完了。ドールは群体での行動無し。別個体の兆候なし」
索敵青年が端末を確認し、首を軽く回した。
「マガジンさん、反応の出現点……正確すぎ。あれ、完全に狙って踏み込んだでしょ」
それにはリンデンは何も答えなかった。
けれど確かに彼は、“そこに敵がいると知っていたように”動いていた。
敵性反応の排除から、わずか数分。
部隊は再び列を整え、慎重に索敵を続行していた。
空間は静かすぎるほど静かで、一定周期で揺れる霊子濃度の波が足元を撫でていく。
その揺らぎは微細で、定量的には“許容誤差”に収まっている。
だが、全員が分かっていた。
――“数値”が正常でも、“風景”が異常なら、それはもう異常だ。
「……おい、後方。今の、見たか?」
先頭の銃撃手が、小さく声を落とす。
視線の先には、苔を引き裂いて踏み出してくる、ドールの影。
汎用型ドール。
先程と同じ型番の個体反応。反応波形も、行動パターンも一致。
けれど――その身体が、濡れていた。
滴るような水音が、乾いた地面に淡く響いている。
装甲の継ぎ目から、絶えず水が滲み出しているようにも見える。
「……なんだよ、あれ。ここ、水場ねぇだろ?」
斥候青年が呟くように言う。
目の前にいるのは確かに、汎用型ドール――のはずだった。
それでも、違和感が皮膚の裏から逆流してくる。
「さっきと同じ型。反応、変化なし……だけど“濡れてる”って、どういうこと?」
「いや、霊子漏洩……にしちゃ量おかしいだろ。あれ、ほぼ水だ」
「浸水起動してた? でもここ、そんな場所じゃない」
仲間たちがざわめき始めた瞬間、前に出たのはやはりリンデンだった。
手順通り、誰も止めない。
彼は無言で、再び接続ユニットを起動し、盾の展開とリングユニットの振動を解放する。
“濡れていた”ドールは、まるで何事もないように進み、そして――粉々に分解された。
水音と霊子の爆ぜる音が、同時に重なって耳に残る。
殲滅は成功。
反応は消失。
何も、異常は――ない。
ただし、“目に映るもの以外は”。
後方支援の女性が、静かに呟く。
「……濡れてたの、装甲の外だけじゃない。内部も、浸水してた。……何か、視えた気がする」
その声に、誰も何も言えなかった。
敵性反応の排除を終えた一行は、再び進行を再開した。
だが、空気がわずかに変わっていることに、誰もが気づいていた。
霊子濃度は安定していた。敵性反応もない。
なのに、足音が水を打つように柔らかくなっていた。
「……ん?」
先頭の銃撃手が、足を止める。
分厚い軍靴が、乾いた苔を踏んだはずなのに、“ぬる”という感触が返ってきた。
目を落とすと、そこには小さな水たまりが出来ていた。
霊子に反応しない、ただの水――のようにしか見えない。
「いや……おい、待て。さっきここ乾いてたろ」
「乾いてた。通った。俺見た」
斥候青年と戦術斥候が口を揃える。
索敵端末にも、水系の霊子発生は記録されていない。
「……なのに、濡れてる?」
そう呟く間にも、周囲の構造物に違和が広がっていく。
崩れかけた壁面。突き出た配管。
本来、乾いた金属と苔に覆われていたはずのそれらが――
しっとりと濡れ始めていた。
表面に滲むように、水分が浮かび、光を帯びてきらめく。
それは雨上がりでもないのに、水膜を張ったような不気味さを放っていた。
「ちょっと待て、これ……漏水? いや、上からってわけでもない」
「下からじゃない。苔の下も乾いてた……よな?」
索敵青年がしゃがみ込み、スコープを水たまりに向ける。
だが何も反応しない。数値は異常なし、霊子反応なし、ただの水。
「なのに、増えてる……」
視線を上げれば、構造物の影――薄暗い隙間に、複数の“水たまり”が広がり始めていた。
道の端に、崩れた壁面の窪みに、裂け目の中に――おかしいほど水がある。
「――マガジンさん」
誰かが呼ぶ。
異常が起きたとき、最初に頼るべき“戦闘機械”の名を。
だがリンデンは、それに答えなかった。
彼は静かに、足元の水たまりを見下ろしていた。
表面張力を保ったまま揺れもせず、澄んだまま沈黙している。
分析値はゼロ。霊子反応も熱量変化も、何もない。
水だ。間違いなく、ただの水だった。
それでも――彼は、その“水”の意味を理解してしまった。
そこに敵がいるのではない。
そこに水があること自体が、既に“敵の意思”だと。
その瞬間、リンデンは目を見開いた。
「下がってください」
リンデンの声は静かだった。
それだけに、異様な重みがあった。
彼の視線は一点に注がれている。
先程まで苔と金属が混じり合っていた地形の奥、濡れた壁の向こう――
そこに“何か”が、確かに存在していた。
「今すぐ、ここから離れてください。……見られる前に」
「……は?」
索敵青年が、一瞬だけ返す。
それは反射的な反応だった。何を言われているのか、正確にはまだ理解できていなかった。
けれど、その“理解の遅れ”が命取りだった。
ぬるり、と音もなく現れたのは、巨体だった。
不規則に脈動する粘膜のような脚部を持ち、鉄と血の香りを纏った“何か”が、ゆっくりと這い出てきた。
ナメクジにも似た這い方。その背には、無数の排気マフラー。
吐き出されるのは霊子でも毒気でもなく、ただの――水。
その胴体には、上へ登ろうとした人間たちの身体が、癒着し、溶け、混ざり合い、止まっている。
絶望の姿勢で凍った四肢、引き裂かれた皮膚、もはや顔とも呼べない歪みの群れ。
そして、そのてっぺん。
――あれは、“笑顔”だった。
魚眼レンズを通したように歪んだ巨大な女の顔。
にっこりと歪みきったその表情の中で、女の腕には――赤ん坊が、抱かれていた。
その赤ん坊が、薄目を開けて、こちらを見た。
「……っ!!」
リンデンが叫ぶよりも、動くよりも、早かった。
視線を捉えられたのは――中列の、戦術斥候だった。
彼はほんの一瞬、困惑したような顔で振り返った。
何が起きたのか理解しようとして――
︎︎パン、という音と共に、彼の身体は水風船のように弾けた。
肉も骨も、衣服すらも。
すべてが、破裂して――水へと変わった。
言葉も、悲鳴も、血さえもなかった。
その場にはただ、濡れた地面と、あり得ないほど澄んだ水溜まりが一つ、残されただけだった。
沈黙が、音よりも重たく全員を押し潰した。
︎︎あれは――神にすらなれなかった、人工の廃棄物。
誰かが創りかけて、捨てて、それでも死ねなかったもの。
歪んだ祈りの残骸。祝福にも呪いにもならなかった、透明な地獄。
いま、ここにいる全員が、
“
とりあえず今まで通りに投稿して、キリのいいとこで閑話を少しだけ挟む感じにしますね。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった