みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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アンケートありがとうございます、やっぱ水着トロイさんはえっちなんですね。





ガーデナーと綽名.1

 鋭い金属音が、荒れた地表に鳴り響いた。

 右からの斬撃を、リンデンは腕に固定した重盾でいなす。

 衝突とともに、肩口まで伝わる鈍い衝撃。滑らせるように受け流した盾の表面には、浅く霊子の焼き痕が走っていた。

 目の前には三体のドール。

 一体は、身の丈に似合わぬ巨大な騎士盾を構えた重装型。

 残る二体は、剣闘型――素早い踏み込みと連撃で、ひとつの隙を奪いにくる。

 

 ︎︎どうして。

 

 言葉には出さない。

 けれど、胸の内にずっと張りついて離れない問いだった。

 低く構えを取り、足を軸に体を捻る。

 左の剣闘型が振り上げた瞬間、回転する盾縁のリングをぶつけるように叩きつけた。

 刃同士の干渉。機構が軋み、ドールの肩口が砕けて外れる。

 こちらの戦術配置に問題はなかった。

 部隊の陣形も、指揮伝達も、各自の対応も――少なくとも数値上は整っていた。

 それでも、八人いたはずの仲間は、既に自分を含めて三人しか残っていない。

 

 どうして。

 

 また剣闘型が踏み込んでくる。

 盾を低く差し出して受け止め、内蔵されたリングの回転で刃先を逸らす。

 別方向から、重装型の盾がぶつかってきた。衝撃に足が滑る。

 ――遠く、丘の上。

 残る二人のガーデナーが、別個体のドール群に対応していた。

 支援を受けられず、時間稼ぎのように動いているのが見える。

 苦戦していた。いつ、崩れるか分からない。

 背中のナンナリスが、四本のアームを動かし続ける。

 霊子強化の支援バフを、三人分に分散して送り続けている。

 リンデンは一体の剣闘型に踏み込み、盾の縁を跳ね上げるようにして頭部を粉砕した。

 白く濁った霊子が一閃、砂を焦がす。

 ――援護に向かう。そのつもりだった。

 けれど、視界の端に青く光る陣が見えた。

 術師型ドールの放つ、術式。

 乾いた霊子の砂が爆ぜ、斜めから視界を覆い尽くす。

 その瞬間――ナンナリスの一本のアームが、沈黙した。

 霊子循環のバフが切れた。

 ひとり、死んだ。

 反力場を強引に展開し、身体ごと突破を図る。

 砂を貫き、盾で正面を押し切るように駆ける。

 だが――間に合わなかった。

 最後の一人が、首を撥ねられた。

 霊子が散り、血が落ちる。

 ナンナリスが支援強化を打ち切り、完全停止した。

 自分以外、誰も残っていない。

 それでもリンデンは、盾を下ろさなかった。

 盾の縁が軋む音だけが、戦場の静けさを切り裂いていた。

 

 「……どうして」

 

 繰り返された問いが、砂を這うように微かに漏れたその刹那――

 後方から踏み込んできた剣闘型ドールの影が、彼の視界を覆った。

 リンデンは振り返らない。

 ヘイロリウムの縁を、わずかに傾けただけだった。

 リングユニットが回転速度を一段引き上げ、唸りを上げる。

 瞬間、ドールの胸部から頭部にかけて、粉塵と化して吹き飛んだ。

 装甲ごと削られた霊子の核が暴発し、爆ぜる閃光が背後を照らす。

 

 彼はただ一歩、後方へと下がった。

 左腕の接続ユニットが、無音のまま自動解放される。

 ヘイロリウムが、沈むようにその形を変えた。

 盾から――斧へ。

 柄が軋みながら展開し、リンデンはその重量を左手で受け止めた。

 背部から走った接続コードが抜け、霊子循環を切り離す。

 右手を添える。

 その瞬間――リングユニットが“臨界回転”へと移行した。

 盾形態では封じていた本来の機構が解放され、斧の刃にあたる円環が、外縁を暴風のような音を立てて回り出す。

 漂う霊子も周囲の空気をも粉砕させる。その低く唸る“異音”は、荒野の彼方にまで届くほどの強度だった。

 “戦場が変わる”音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重い空気を乗せたまま、輸送機がGARDEN中層の発着ポートに到着した。

 塗装の剥げた輸送機体が静かに脚を下ろし、機体腹部のハッチが滑るように開いていく。

 霧のような排熱と、焦げた霊子の残滓が吹き出す。

 その中から、ただ一人――リンデンが姿を現した。

 装備はまだ外していない。左腕の接続ユニットには乾いた血が固着し、背中の支援ユニット、ナンナリスは沈黙したまま黒く燻っていた。

 彼の目は、誰の姿も映していなかった。

 

「……あっ、GL(じーえる)さん、お疲れ様でーす」

 

 発着ポートの奥から、作業服姿のスタッフが手を挙げて声をかけた。

 軽いノリ。けれど、どこか距離感を測り損ねたような、妙な張り付きがあった。

 リンデンは、わずかに会釈だけして通り過ぎた。

 歩調は乱れず、速度も変えず、ただ静かにその場を後にする。

 彼の背が消えていくのを見届けてから、残った作業員たちが手を動かしながらぽつぽつと会話を始める。

 

「……やっぱ、GLさんって名前通りだったんだなぁ」

 

「“成功保証と全滅保証(ガランティ・リンデン)”なんて、最初聞いた時はなんの冗談だよって思ったけど……現実で見せられると、逆に笑えないよな」

 

「いや……マジで、全員いなかったの?今回も」

 

「うん、本人だけ。遺体も……ほとんどなかったって」

 

 一瞬、手が止まりかける。

 けれどそれを悟られないように、誰も目を合わせず作業を続けた。

 

「……不老不死の騎士に育てられたら、みんなあんな感じになるのかなぁ」

 

「それか、育て方間違えたんじゃね? ……いや、冗談」

 

 静かに笑う声と、また無言のまま進む整備音。

 誰も悪意では話していない。

 けれどそこには、理解も共感もない――ただの“遠さ”だけがあった。

 

 

 休憩室のドアが、自動で開く乾いた音を立てた。

 中に人影はなかった。明かりも最小照度のまま、天井の間接照明がぼんやりと淡い影を落としている。

 隅のカウンターに置かれた給湯器から、低く湯が湧く音だけが聞こえる。

 その奥、窓のない壁際にある一人用の椅子に、リンデンが静かに座っていた。

 装備の一部は外されておらず、疲労も、痛みも、どこにも見えないまま。彼は動かず、誰を待っているわけでもなく、ただそこにいた。

 ドアが再び開く。

 

「失礼します……」

 

 入ってきたのは、灰がかった髪をシニヨンにまとめた女性――リーインシアだった。

 制服の胸元にはオペレーター識別の青いラインが入り、手にはカップを二つ持っていた。

 一瞬、言葉をかけるか迷ったように口を開きかけて――思い直したように、静かにカップのひとつをカウンター脇に置く。

 

「……お疲れ様です、リンデンくん」

 

 その声に、リンデンはほんのわずかに顔を向けて、

 小さく――ほとんど形だけのような会釈を返した。

 リーインシアは、もうひとつのカップを手に持ったまま、彼の正面ではなく、少しだけ離れた席に腰を下ろした。

 沈黙。

 それは気まずさではなく、言葉が届かないと分かっていてもなお、そこにいようとするための時間だった。

 

「……今日の戦場、記録だけは確認しました。あなたの行動に、落ち度は一切ありません」

 

 返事はない。

 それでも、彼は聞いていた。ただ、言葉で返す必要を感じていないだけだった。

 

「誰かが……、あなたを責めるようなことがあったら、私が報告しますから」

 

 その言葉にも、リンデンは何も言わない。

 ただ静かに、テーブルの一点を見つめている。

 リーインシアは、それを遮るように一口、カップの中身に口をつけた。

 温度も味も印象に残らない液体が、喉を通っていく。

 そして、少しだけ声を落として言う。

 

「……あなたのせいじゃ、ありません」

 

 リンデンがわずかに視線を伏せた。

 それは、肯定ではなく――ただ、それ以上の言葉を許さない、静かな遮断だった。

 リーインシアはそれ以上を踏み出せなかった。

 寄り添いたかった。でも、その一歩を、踏み出すには理由が足りなかった。

 そして彼は、拒みはしなかったけれど――誰にも、踏み込ませることはなかった。

 やがて、椅子の軋む音。

 リンデンが静かに立ち上がり、無言のまま出口へと歩いていく。

 その背を、リーインシアは見送った。

 声はかけなかった。ただ、カップを両手で包み込むように抱えながら――そこに残っていた。

 液体はもう冷めきっていて、温かさの名残すら感じなかった。

 静かな室内に、彼女の呼吸音だけが残る。

 

 ――その時、ふと胸の奥に浮かび上がる光景があった。

 リンデンが、最初の任務から帰還した日。

 帰ってきた彼は、酷く俯いていて、言葉を絞り出すようにしてこう告げた。

 

『ダグザさん……貴女の父親は、殉職されました』

『私がそうしました。犠牲になれと、時間を稼いで死ねと、そう言いました』

 

 その言葉を聞いた瞬間、意識よりも先に――右手が、彼の頬を張っていた。

 父の死。

 その死が、目の前の少年によってもたらされたという事実。

 それでも――彼が生きて帰ってきてくれたという事実。

 全部が綯い交ぜになって、言葉が追いつかなかった。

 ただ、手が動いていた。

 頬を張られたリンデンは、驚くこともなく、

 痛みにも触れず、ただ――俯いたまま小さく呟いた。

 

『……ごめんなさい』

 

 その声は、ひどく小さかった。

 感情がこもっているようで、何も感じさせない声音だった。

 

 ――違う。

 ――私は、こんなことが、したいんじゃない。

 

 その場に立ち尽くすことしかできなかった自分を置いて、彼は何も言わず、立ち去っていった。

 リーインシアは、その背中を追うことができなかった。

 今も、きっと――その続きの時間の中にいるのだ。

 自分はただの傍観者になってしまった。

 あの日、あの瞬間から。

 言い訳はできる。

 責任からも逃げようと思えば逃げられる。

 でも――それは何も変えられなかった。

 

「……どうして」

 

 思っていたよりも、声は鮮明だった。

 口に出すつもりではなかったのに――それは、肺をすり抜けて、静かな室内を震わせるように空気に舞った。

 リーインシアは目を伏せたまま、カップを静かに置いた。

 その手には、わずかに力が入っていた。

 空気は重くもなければ、冷たくもなかった。

 けれど、リーインシアの肺には妙に深く、息が入りすぎてくる気がした。

 視線を落とせば、机の上に置いたカップの縁に、小さく指の痕が残っていた。

 力を入れていたことにも気づいていなかった。

 

「……私は、何をしてるんでしょうね」

 

 誰に向けたわけでもない問いが、また一つ、室内に落ちる。

 答えはない。あるはずもない。

 けれど、その言葉をこぼしたことで、ほんの少しだけ胸の張り詰めが緩んだ。

 彼の隣に並びたいと思ったことは、何度もあった。

 立ち止まっている時も、歩いている時も――。

 その背を追いかけようとした瞬間は、確かにあったはずだった。

 けれど、いつもあと一歩、足が出なかった。

 それは、自分自身が彼を“赦してしまうのが怖かった”からだ。

 あの日、彼の頬を張った自分を、未だにどこかで正当化しようとしていることに――気づいていた。

 『ごめんなさい』と俯いた少年に、

 何もしてあげられなかった自分がいた。

 その悔いと、憐れみと、哀しみがごちゃ混ぜになったまま。

 ただ「傍にいたい」と願っている。

 

 ――それでも。

 

「……私は、ここにいるんですよ。リンデンくん」

 

 その言葉はようやく、きちんと声になった。

 今はまだ、それしかできない。

 それでも、立ち去らずにこの場にいることだけは、選べた。

 カップを片付けることはせず、そのままにして立ち上がる。

 彼のために淹れたものは、飲まれることのないまま冷めきっていた。

 けれど、それでもいい。

 次もまた、ここで――同じように待つことができれば、それで。

 誰にも聞かれない足音を残して、

 リーインシアは静かに、休憩室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が、樹の間をゆっくりと抜けていく。

 風と呼ぶにはあまりに重たく、湿り気を帯びた空気は、肌の上を這うようにまとわりつく。

 腐食した基盤に苔のような膜が絡みつき、その下にはかつて神を作ろうとした人間たちの痕跡――歪んだ配線と溶けた鉄骨が見え隠れしていた。

 そんな異様な地表を、六人の影が慎重に進んでいた。

 外周索敵任務にあたる斥候遊撃部隊。構成員はいずれも、癖はあるが戦場慣れした精鋭ばかりだった。

 

「……これが、神様の工場の成れの果てってやつかよ。ロマンあるけど、気持ち悪ぃな」

 

 先頭を歩くのは、粗野な口調の銃撃手――アーマードジャケットに薄型の散弾銃を背負った大柄な男。

 見た目も態度も大味だが、過去に無傷で索敵圏を突破した経験を持つ熟練者だ。

 

「まあまあ。言うて雰囲気だけで言えば“遺跡マニア”にはたまらん場所だろ?」

 

 その隣で軽口を返したのは、細身の索敵青年。

 黒髪を一つに結び、常に霊子スコープと測定端末を片手に持っている。

 皮肉屋めいた物言いが多いが、機材の扱いは信頼されていた。

 

「……光の当たり方、周期でズレてる。空間、ちょいと歪んでるね。天使の気配はまだ薄いけど」

 

 スコープ越しに周囲を眺めながら、淡々と告げる。

 

「気配薄い時に言うなよ、やめろって。そういうの死亡フラグなんだって」

 

 小柄な青年――身軽な戦術斥候が肩を竦めながら苦笑した。

 跳躍と索敵範囲の展開に優れ、先行陽動を得意とする軽装型の戦闘員。

 足場を確かめるように進む彼は、警戒しつつもどこか軽さを忘れなかった。

 

「じゃあさ、死亡フラグ立てといて回収しなければ、むしろ生存率上がる理論、知ってる?」

 

「うるせえ」

 

 前衛の男が吐き捨てるように応じた時、後方の木陰からひとり、寡黙な女性がくすりと笑った。

 ショートボブの髪に霧避けのゴーグルを下げた彼女は、補助砲撃と結界処理に長けたベテランの隠密支援型だった。

 

「でもまあ、こうしてまともに仕事してると、あの“全滅保証(GL)さん”も、ただの大人しそうな子に見えるな」

 

 その視線の先にいたのは、隊列の中央やや後方――静かに端末を操作していたひとりの庭師。

 黒に近い緑髪の影を落とすその姿は、空間の色にさえ溶けて見えた。

 

「……ねえ、命の弾倉(マガジン)さん。今回の任務、どこまでが“想定内”?」

 

 問いかけたのは、最後尾を歩く青年だった。

 やや長身で整った顔立ち、だが疲れたような目をした分析官タイプ。

 手には改造型のタクティカルパッドを抱え、索敵データの後方処理を担当している。

 リンデンは、一瞬だけ顔を上げて、無機質な声で応じた。

 

「索敵範囲、計測通り。……現時点では、問題ありません」

 

 抑揚の薄い、静かな声音。

 その響きに、問いかけた青年は小さく肩をすくめた。

 

「やっぱ感情こもんないなぁ、マガジンさんは」

 

「……だからこそ生き残ってるって言い方もあるけどな」

 

 前衛の大柄な男が、ぽつりと呟くように言った。その一言に、誰も返さなかった。

 一瞬だけ、部隊の足音が止まる。

 けれどそれもすぐ、何事もなかったように再開された。

 【融解神這遺跡】アルダランビオン――。

 いま、この異形の空間には、まだ“異変”はない。

 けれど、何かが遠くで、静かに息を潜めていた。

 

 

 索敵中、霊子測定端末の光が、わずかに震えた。

 誤差と言ってしまえば、それまで。

 けれどこの空間では――その“わずか”こそが命取りになる。

 

「……っと」

 

 黒髪を束ねた索敵青年が端末を一瞥し、眉をひそめた。

 すぐさま全体通信を開く。

 

「数値、僅かに波打ってる。霊子の粒径、下層構造に干渉反応あり。……誤差範囲だけど、警戒、しとこっか」

 

 声が広域に響いた瞬間、全員の足音が一拍遅れて止まる。

 銃撃手の男が肩越しに振り返り、散弾銃の安全装置をそっと外した。

 

「誤差のうちに、片付けとくに越したことはねぇからな」

 

「そーいうの、言うと出るよ?」

 

「だから言ってんだよ」

 

 前線が静かに構えを取る。

 直後、音もなく、霧の中から影が現れた。

 ――数体の汎用型ドール。

 それぞれ、ぼろ布のような衣服を身にまとい、首には不釣り合いな巨大チョーカー。

 顔面には器官が存在せず、空洞になった“穴”だけがこちらを向いている。

 歩みは緩やかだが、確実に直進してくる。

 何の警告も、音声も、意思表示もない。

 それはただ、自動運行する“処理の機械”だった。

 

「来たな」

 

 銃撃手が動こうとした瞬間、誰かがひとつ、息を飲む音を漏らした。

 そして誰よりも早く、中央から一人の影がすっと前へ出た。

 リンデンだった。

 彼は何も言わず、ただ左腕を軽く傾ける。

 その動きに応じるように、接続ユニットの金属端子が自動で展開し――ヘイロリウムが量子展開された。

 灰緑の空気を割って現れたのは、鈍色の重盾。

 その縁に搭載されたリングユニットが、振動と共に回転を始める。

 刹那。

 彼は一歩、二歩と踏み込み――

 盾の外周で斜めから薙ぎ払うように、ドールの頭部を切削した。

 霊子の軋みと共に、一体が崩れる。

 その動きに一切の淀みもためらいもなく、振動回転を維持したまま、残る数体も順に――粉砕されていった。

 剥がれたボロ布が、虚空に舞う。

 霊子の反応、消失。完全排除確認。

 

「……さっすがマガジンさん。さすマガってとこだな」

 

 先行の斥候が、口笛をひとつ吹いた。だがそれは挑発でも皮肉でもない。

 むしろ“頼もしさ”への、照れ隠しめいた称賛だった。

 

「助かるわ、正直な話」

 

 後方の女性が、淡々と結界支援の陣を一時解除する。

「次があったら、またお願いね」とでも言うように。

 

「……索敵範囲、更新完了。ドールは群体での行動無し。別個体の兆候なし」

 

 索敵青年が端末を確認し、首を軽く回した。

 

「マガジンさん、反応の出現点……正確すぎ。あれ、完全に狙って踏み込んだでしょ」

 

 それにはリンデンは何も答えなかった。

 けれど確かに彼は、“そこに敵がいると知っていたように”動いていた。

 敵性反応の排除から、わずか数分。

 部隊は再び列を整え、慎重に索敵を続行していた。

 空間は静かすぎるほど静かで、一定周期で揺れる霊子濃度の波が足元を撫でていく。

 その揺らぎは微細で、定量的には“許容誤差”に収まっている。

 だが、全員が分かっていた。

 ――“数値”が正常でも、“風景”が異常なら、それはもう異常だ。

 

「……おい、後方。今の、見たか?」

 

 先頭の銃撃手が、小さく声を落とす。

 視線の先には、苔を引き裂いて踏み出してくる、ドールの影。

 汎用型ドール。

 先程と同じ型番の個体反応。反応波形も、行動パターンも一致。

 けれど――その身体が、濡れていた。

 滴るような水音が、乾いた地面に淡く響いている。

 装甲の継ぎ目から、絶えず水が滲み出しているようにも見える。

 

「……なんだよ、あれ。ここ、水場ねぇだろ?」

 

 斥候青年が呟くように言う。

 目の前にいるのは確かに、汎用型ドール――のはずだった。

 それでも、違和感が皮膚の裏から逆流してくる。

 

「さっきと同じ型。反応、変化なし……だけど“濡れてる”って、どういうこと?」

 

「いや、霊子漏洩……にしちゃ量おかしいだろ。あれ、ほぼ水だ」

 

「浸水起動してた? でもここ、そんな場所じゃない」

 

 仲間たちがざわめき始めた瞬間、前に出たのはやはりリンデンだった。

 手順通り、誰も止めない。

 彼は無言で、再び接続ユニットを起動し、盾の展開とリングユニットの振動を解放する。

 “濡れていた”ドールは、まるで何事もないように進み、そして――粉々に分解された。

 水音と霊子の爆ぜる音が、同時に重なって耳に残る。

 殲滅は成功。

 反応は消失。

 何も、異常は――ない。

 ただし、“目に映るもの以外は”。

 後方支援の女性が、静かに呟く。

 

「……濡れてたの、装甲の外だけじゃない。内部も、浸水してた。……何か、視えた気がする」

 

 その声に、誰も何も言えなかった。

 敵性反応の排除を終えた一行は、再び進行を再開した。

 だが、空気がわずかに変わっていることに、誰もが気づいていた。

 霊子濃度は安定していた。敵性反応もない。

 なのに、足音が水を打つように柔らかくなっていた。

 

「……ん?」

 

 先頭の銃撃手が、足を止める。

 分厚い軍靴が、乾いた苔を踏んだはずなのに、“ぬる”という感触が返ってきた。

 目を落とすと、そこには小さな水たまりが出来ていた。

 霊子に反応しない、ただの水――のようにしか見えない。

 

「いや……おい、待て。さっきここ乾いてたろ」

 

「乾いてた。通った。俺見た」

 

 斥候青年と戦術斥候が口を揃える。

 索敵端末にも、水系の霊子発生は記録されていない。

 

「……なのに、濡れてる?」

 

 そう呟く間にも、周囲の構造物に違和が広がっていく。

 崩れかけた壁面。突き出た配管。

 本来、乾いた金属と苔に覆われていたはずのそれらが――

 しっとりと濡れ始めていた。

 表面に滲むように、水分が浮かび、光を帯びてきらめく。

 それは雨上がりでもないのに、水膜を張ったような不気味さを放っていた。

 

「ちょっと待て、これ……漏水? いや、上からってわけでもない」

 

「下からじゃない。苔の下も乾いてた……よな?」

 

 索敵青年がしゃがみ込み、スコープを水たまりに向ける。

 だが何も反応しない。数値は異常なし、霊子反応なし、ただの水。

 

「なのに、増えてる……」

 

 視線を上げれば、構造物の影――薄暗い隙間に、複数の“水たまり”が広がり始めていた。

 道の端に、崩れた壁面の窪みに、裂け目の中に――おかしいほど水がある。

 

「――マガジンさん」

 

 誰かが呼ぶ。

 異常が起きたとき、最初に頼るべき“戦闘機械”の名を。

 だがリンデンは、それに答えなかった。

 彼は静かに、足元の水たまりを見下ろしていた。

 表面張力を保ったまま揺れもせず、澄んだまま沈黙している。

 分析値はゼロ。霊子反応も熱量変化も、何もない。

 水だ。間違いなく、ただの水だった。

 それでも――彼は、その“水”の意味を理解してしまった。

 そこに敵がいるのではない。

 そこに水があること自体が、既に“敵の意思”だと。

 その瞬間、リンデンは目を見開いた。

 

「下がってください」

 

 リンデンの声は静かだった。

 それだけに、異様な重みがあった。

 彼の視線は一点に注がれている。

 先程まで苔と金属が混じり合っていた地形の奥、濡れた壁の向こう――

 そこに“何か”が、確かに存在していた。

 

「今すぐ、ここから離れてください。……見られる前に」

 

「……は?」

 

 索敵青年が、一瞬だけ返す。

 それは反射的な反応だった。何を言われているのか、正確にはまだ理解できていなかった。

 けれど、その“理解の遅れ”が命取りだった。

 ぬるり、と音もなく現れたのは、巨体だった。

 不規則に脈動する粘膜のような脚部を持ち、鉄と血の香りを纏った“何か”が、ゆっくりと這い出てきた。

 ナメクジにも似た這い方。その背には、無数の排気マフラー。

 吐き出されるのは霊子でも毒気でもなく、ただの――水。

 その胴体には、上へ登ろうとした人間たちの身体が、癒着し、溶け、混ざり合い、止まっている。

 絶望の姿勢で凍った四肢、引き裂かれた皮膚、もはや顔とも呼べない歪みの群れ。

 そして、そのてっぺん。

 ――あれは、“笑顔”だった。

 魚眼レンズを通したように歪んだ巨大な女の顔。

 にっこりと歪みきったその表情の中で、女の腕には――赤ん坊が、抱かれていた。

 その赤ん坊が、薄目を開けて、こちらを見た。

 

「……っ!!」

 

 リンデンが叫ぶよりも、動くよりも、早かった。

 視線を捉えられたのは――中列の、戦術斥候だった。

 彼はほんの一瞬、困惑したような顔で振り返った。

 何が起きたのか理解しようとして――

 ︎︎パン、という音と共に、彼の身体は水風船のように弾けた。

 肉も骨も、衣服すらも。

 すべてが、破裂して――水へと変わった。

 言葉も、悲鳴も、血さえもなかった。

 その場にはただ、濡れた地面と、あり得ないほど澄んだ水溜まりが一つ、残されただけだった。

 沈黙が、音よりも重たく全員を押し潰した。

 

 ︎︎あれは――神にすらなれなかった、人工の廃棄物。

 誰かが創りかけて、捨てて、それでも死ねなかったもの。

 歪んだ祈りの残骸。祝福にも呪いにもならなかった、透明な地獄。

 いま、ここにいる全員が、

 “純水無躯(じゅんすいむく)”に触れてしまった。






とりあえず今まで通りに投稿して、キリのいいとこで閑話を少しだけ挟む感じにしますね。

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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