みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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ガーデナーと綽名.3

 アルダランビオンの外周部、廃墟と自然の境界を縫うように、三つの影が走っていた。

 足音を抑え、息を殺すように。それでも確かに生きている――そんな走り方だった。

 先ほど鳴った二度目の結界通知音から、すでに一分が経過していた。

 純水無躯の気配は、まだ遠い。

 このまま引き剥がしに成功すれば、最悪の結果は免れられる。

 残された時間は、およそ六分。

 

「こっち、左へ折れる」

 

 小声で指示を出したのは索敵青年だった。

 黒髪を一つに束ねた彼は、走りながらも鋭く地形を観察し、

 その手には小さな霊子反応装置と簡易設置型の爆破装置が握られている。

 廃墟の崩れかけた壁に一つ、

 倒木の陰に一つ、

 半壊した機械骨格の裏にもう一つ。

 彼は寸分違わぬ手際で罠を三つ配置していく。

 

「……感知式は駄目だ。水に触れる前に壊される。動作も反応も読まれる」

 

 そうぼそりと呟きながら、彼は最後の罠に起爆用のリモートコードを繋ぐ。

 まるで、それが日常の一部であるかのような手付きだった。

 

「俺が残る。ここが境界だ」

 

 言い切るように、索敵青年が立ち止まる。

 

「ですが……」

 

 すぐに食い下がるリンデン。

 霊子強化状態は維持したまま、左腕の接続ユニットには、未だヘイロリウムが展開されている。

 

「俺の方が位置取りと配置に慣れてる。あんたが残る方が、全滅の可能性が高い」

 

 乾いた声だったが、そこに迷いはなかった。

 

「結界士は、持ち場を捨てなかった。……俺も、同じだ」

 

 彼は少しだけ笑った。

 皮肉と自嘲、そして小さな誇りが混ざった、戦場でよく見かける笑い方だった。

 

「合理的に考えようぜ、“マガジンさん”。これが一番だ」

 

 リンデンの手に、煙幕と音爆の罠が押し込まれる。

 

「分析官は先導、あんたは戦力。俺は誘導と引き剥がし。……そう分けた方が、全員の生存率が高い」

 

「……わかりました」

 

 短く、静かに答えて、リンデンは受け取った罠を腰に収める。

 索敵青年は、それを確認すると深く息を吐き、

 右手で目の前の瓦礫を軽くどかすと、周囲に視線を這わせた。

 

「──行け。追いつかれるなよ」

 

 その言葉を最後に、青年は立ち止まり、振り返らなかった。

 ──背中越しに、足音が遠のいていく。

 それは確かに、二人が生き延びようとしている音だった。

 索敵青年は、その足音が完全に聞こえなくなるのを待ってから、

 ゆっくりと深く、呼吸を整える。

 彼は瓦礫に囲まれた小さな遮蔽物の裏に身を沈めた。

 冷えた岩肌が背中を押し返してくる。

 視界の前には、湿った空気と乾いた霊子スコープの照準。

 レンズの中心に、揺れる気配が映り始める。

 

 ──来た。

 

 空気が重く、濃くなる。

 湿度が異様な速度で上昇し、あたりに微かな水音が漂いはじめる。

 見えないはずのものが、肌を通して“近づいている”と分かる――そんな気配。

 やがて、視界の端から奴が現れる。

 腐食する床。

 ナメクジのように這いずる異形の脚部。

 排気マフラーのような単管が蒸気と水を噴き出し、

 ずるずると這い寄る巨躯の胴体は、

 のぼろうとして融合した無数の人間のようなもので構成されていた。

 そして――そのてっぺん。

 歪んで肥大した笑顔の“女”と、抱かれた“赤子”。

 あの視線にだけは、絶対に捉えられてはならない。

 スコープ越しに確認し、青年は目を細める。

 距離、角度、速度――最初の罠が生きる。

 静かに、指を伸ばし、リモートのスイッチを押す。

 

 ──爆音。

 

 音よりも先に、爆風が吹き抜けた。

 設置していた瓦礫が吹き飛び、

 崩れた建材が“あれ”の装甲と癒着体の一部に激突する。

 排気管の一部がひしゃげ、

 癒着した人間の顔が、何体かごとごとと地面へと転がり落ちた。

 が、悲鳴のようなものはない。

 それらが“かつて人間だったもの”かどうかも、今はわからない。

 青年は唾を飲み込みながら、冷静に“奴”の動きを観察し続ける。

 まだ終わっていない。

 彼にはまだ、あと二つの罠がある。

 第一の爆破では、あれの足は止まらなかった。

 火花が飛び散り、排気マフラーのひとつが完全に折れ曲がった。

 癒着した“顔”のいくつかが爆風に煽られて壁に叩きつけられ、

 地面には濡れた肉塊と髪のようなものが散らばる。

 

 ──けれど、それだけだった。

 

 水音が、変わらない。

 あれは、止まらない。

 索敵青年は息を潜めながら、冷静に次の罠へとスイッチを切り替える。

 起爆タイミングを測るため、スコープ越しにじっと“それ”を見据える。

 目が合わないように。

 絶対に、あの赤子と“目”を合わせてはならない。

 視線を逸らしつつ、スコープの端で距離と動線を読み取る。

 

 ──今。

 

 彼の指が、二個目の起爆スイッチを押し込んだ。

 爆発。

 音というよりも、破裂という表現のほうが近い。

 張り巡らされた倒木が弾け、砕け、

 鋭い木片が散弾のように周囲へ飛び散る。

 飛び交う破片に混ざって、先程拾った小石や鉄片も紛れていた。

 “あれ”の表面に幾つかが突き刺さる。

 排気管のひとつが落ち、胴体の癒着部が揺れる。

 重たい足取りが、わずかに……いや、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ軋んだ気がした。

 だが、それだけだった。

 水音が、また同じリズムで迫ってくる。

 止まらない。

 “あれ”は、進み続けていた。

 索敵青年は、スコープから目を離さない。

 呼吸は乱れていない。まだ冷静だ。

 だがその心拍だけは、ほんのわずかに速くなっていた。

 残る罠は、ひとつ。

 索敵青年は、いつでもスイッチを押せるように手を構えたまま、スコープ越しに“それ”を注視していた。

 呼吸は浅く、目は鋭い。どんな些細な変化も見逃さぬように、全神経を視界へと集中させる。

 

 ──その瞬間だった。

 

「……止まった?」

 

 純水無躯が、唐突に動きを止めた。

 水を吸ったような鈍重な足取りが、ぴたりと途絶えた。

 腐食しかけた地面を踏み締める音さえ消え、その場に“立ち尽くして”いる。

 いや、違う。

 癒着した胴の肉体たちが、ざらりと蠢いた。

 無数の腕がぎこちなく引き剥がされ、

 まるでなにかの儀式のように、ゆっくりと──空へと掌を向けていく。

 

「……なんだ?」

 

 索敵青年の眉がわずかに寄る。

 何をするつもりだ。

 警戒が先立ち、爆破のタイミングを一瞬見失う。

 

 ――放たれた。

 

 癒着した無数の掌から、

 真上に向けて、異様な水弾が撃ち出された。

 球体のまま、高く、高く打ち上がる。

 そして。

 それらは、そこに“浮かび”、止まった。

 濡れた瓦礫と木々の隙間に反射する光を受けて、水弾たちは光を返し始める。

 

「そういう、事か――!」

 

 索敵青年は直感で察した。

 浮かぶ水弾――あれは“鏡”だ。

 鏡に映ることで、赤ん坊の視線は届く。

 それを理解した刹那、咄嗟に親指がスイッチを押し込んでいた。

 

 ――爆ぜた。

 

 最後の罠に仕込まれていた打ち捨ての機械骨格が爆発し、

 鋼片と火花が飛び散る。

 宙空に留まった水弾が揺れ、細かな波紋が広がる。

 だが、それでも──遅かった。

 

 「……っ……」

 

 視界の端に映る、あの赤ん坊の眼。

 確かに、今、自分を見た。

 足が、手が、心臓が、肺が。

 皮膚の内側から異音がした。

 細胞の輪郭が、崩れていく。

 あらゆる内臓が、血が、骨が、水に――

 そうか、これは。

 

 「情報の書きか――」

 

 言いかけた言葉の続きを、彼の声帯は発することはなかった。

 音を立てる間もなく、索敵青年の身体は“弾けた”。

 水風船のように。

 そこに残ったのは、濡れた地面と、手放された起爆スイッチ。

 そして、重力に従って広がっていく、清らかな水の一滴だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆音が空気を裂いた。

 ヘイロリウムのリングユニットが高速で回転し、正面から迫ってきた汎用型ドールの頭部を大気ごと粉砕する。

 刹那、斬砕と圧壊の衝撃が波のように広がり、その衝撃に巻き込まれた数体の天使たちが霊子構造ごと崩れ、霧散した。

 

 「──っ、マガジンさん……!」

 

 後方で走る分析官の声が聞こえる。

 だが、彼は振り返らない。ただ前だけを見ていた。

 砕ける構造体、砕ける天使、その間を縫って突き進む。

 残り時間、三分。

 だが、どうしてだろう。

 さっきから時計の針が妙に鈍く感じる。

 踏み込むたび、空気が重くなり、時間が歪んでいくような錯覚。

 もう何十秒も進んだはずなのに、表示はまだ動いていない気がした。

 

 ――この三分は、きっと永遠よりも長い。

 

 無意識に歯を食いしばる。

 ようやく周囲の反応が途絶え、視界がひらけた。

 朽ちた柱と破れた壁、剥き出しの天井が残る一角。

 崩壊寸前の構造物ではあるが、視界は広く、罠の設置にも適していた。

 二人は足を止め、肩で息をしながら互いに視線を交わす。

 そのまま、言葉を交わすことなく――最後の足止めの準備に入った。

 

「……ここだ。崩れかけてるが、壁の向こうに抜け道がある。万が一の退路になる」

 

 分析官が肩越しに言いながら、手にした端末で周囲の構造物をざっと確認していく。

 遮蔽物として利用できそうな瓦礫の山、天井の落ちかけたフレーム、そして風通しの悪い斜面。

 最低限の戦場構築には、どうにか足りる。

 

「マガジンさん、受け取った罠は?」

 

「音爆と煙幕です。彼から……最後に託されたものです」

 

 言いながら、リンデンは左手の霊子接続ユニットから、量子保存されていた装置を展開した。

 まだ使用していない、残された最後の仕掛け――音爆罠と煙幕罠。

 

「煙幕を先に使っていこう。水の気配を散らせるかもしれない。音爆はタイミングを合わせて」

 

「ええ、了解しました」

 

 膝をつき、瓦礫の間に手際よく罠を設置していくリンデン。

 分析官も反対側の倒壊した壁へ回り込み、崩落しそうな梁を確認しながら一つの提案をする。

 

「もし、この煙幕の中で動きを誘導できるなら……梁を落として巻き込める、二段構えだよ」

 

「時間は……残り一分五十秒。可能性に賭けるしかないですね」

 

 あの廃棄物を、ほんの少しでも引き止められれば――。

 それだけで、誰かが生き延びられる。

 二人の動きには無駄がなかった。

 索敵青年の最期に、意味を与えるために。

 

 

 ――重たく、濡れた音を這わせながら、廃棄物が進んでくる。

 腐食した地面を押し広げるように、ナメクジ状の下半身が路面を這い、癒着した無数の人間たちの肉体を震わせながら、その異形は開けた広場へと姿を現した。

 その瞬間。

 仕掛けられていた罠が起動した。

 視界を覆い尽くす濃密な白煙が、廃棄物の前に立ち込める。

 成分は純粋な霊子混じりの煙。物理的な目眩ましであると同時に、水分の気配を撹乱する干渉濃度を含んだ罠だった。

 リンデンはそのタイミングを見計らい、音を立てるように歩を進めた。

 ヘイロリウムのリングユニットに出力を注ぎ込み、空気ごと振動を伝播させる。

 回転音は聞こえない。だが、確かに空気が唸りを帯び、鉄の擦過音のような微細な震えを拡散していく。

 純水無躯の気配が、確実にこちらへ向いた。

 赤ん坊の目が、白煙の向こうで揺れた。

 

 ――狙い通りだ。

 

 リンデンは走り出す。

 ただの陽動ではなく、確実に奴を殺せる位置へと。

 崩れかけた建造物の裏へと滑り込むように移動し、ヘイロリウムを大きく構える。

 盾形態のまま、リングユニットの回転出力を最大まで高めた。

 分厚い鉄骨とひび割れた外壁が、軋む。歪む。そして――。

 鈍い衝撃と共に、支柱が斜めに折れた。

 支えを失った天井がゆっくりと傾き、崩れた梁と共に、廃棄物の上に落ちていく。

 粉塵が舞い、鉄骨がねじれ、瓦礫が圧し掛かるようにその巨体を覆っていった。

 リンデンは立ち止まらない。

 すぐさま別の遮蔽物へと身を潜め、後方の分析官の無事を一瞥で確認する。

 

 ――時間は、あと数十秒。

 

 死に場所ではない。

 ここは、まだ生き延びるための地だ。

 一瞬だけ、空気が沈黙を飲み込んだ。

 崩落によって潰れた瓦礫の山から、音はなかった。

 空気に混じった塵と霊子の霧が、僅かに陽の差さぬ空を濁らせていた。

 

 ――このまま、数分を稼げる。

 

 そう思いかけた、その刹那だった。

 がらん、と。

 静寂の中で、鉄骨が押しのけられる低い音が響く。

 再び、動き出した。

 純水無躯が瓦礫を押し分けてゆっくりと起き上がり、天を仰ぐように仰角を取りながら、癒着した肉体たちの腕をみちみちと軋ませて持ち上げていく。

 そして――。

 その掌が、あらゆる方向へと向けられた。

 リンデンは直感的に理解し、咄嗟に身体を遮蔽物の裏へ滑り込ませ、ヘイロリウムの盾を正面に構える。

 同時に、半力場を展開。霊子障壁が盾を中心に前面を覆い、反射干渉の防壁が張り巡らされた。

 次の瞬間、音が爆ぜた。

 空気の張り詰めた緊張を切り裂くような、無数の破裂音。

 癒着した腕の掌から解き放たれたのは、超高圧で圧縮された水の弾丸だった。

 それらは銃弾のように一直線に撃ち出され、周囲の廃墟や木々を穿ち、建造物の壁をも貫通していった。

 断続的に衝撃が盾を叩き、力場の表面が波紋のように歪む。

 リンデンの防御は、辛うじてそれを受けきった。

 

 ――問題は、味方の生存だった。

 

 盾の裏から、反対側の遮蔽物を探る。

 そこに身を隠していたはずの分析官の姿を、視線が捉える。

 彼は、まだ立っていた。

 だが、肩口と太腿。

 その布地の裂け目から、染み出すように流れ落ちる水。

 銃創のような傷口が、はっきりと確認できた。

 それは、彼の身体を貫通した“水”だった。

 破壊ではない。浸透し、穿ち、貫いた“純水の刃”が、彼の肉体を削ぎ落とした。

 それでも彼は、生きていた。

 

 ――まだ、生きている。

 瓦礫に混じる血と水の匂い。

 純水無躯が、じり、と音もなく足を引きずる。腐蝕し爛れた地面に、幾本もの管が這いずるようにして後を引く。

 その重心は、ゆっくりと。けれど確かに、分析官の潜む遮蔽物へと向けられていた。

 逃げられない。

 傷口から血と混じって染み出す水が、分析官の命の残量を淡く示していた。

 それを見ていたリンデンの喉が震えた。

 感情ではなく、判断だった。

 

(やらせるわけには、いかない)

 

 腰のパックから、片手で取り出す。

 索敵青年から託された、最後の一手。

 音爆罠。

 霊子誘導式の爆裂装置――対象の認識系統を麻痺させる、極短時間の盲目を引き起こす。

 遮蔽物の下に、片膝をついて起動コードを押し込む。

 起動。

 ――甲高い音が、空気を裂いた。

 耳膜を焼くような共鳴。

 周囲の粒子が震え、瓦礫が微かに浮く。

 その音が、確かに純水無躯の動作を止めた。

 がくん、と。

 歪んだ微笑みのままの“女神の顔”が、わずかに傾ぐ。

 

 ――今しかない。

 

 遮蔽物から飛び出す。

 リンデンの身体が、滑るように地を走った。

 霊子を吹き上げる脚部強化。

 盾から展開されたリングユニットが、重低音を含んだ唸り声と共に回転数を上げていく。

 廃棄物の背面へ――接近。

 肉体で構成された異形の背中が、わずかに揺れた。

 その瞬間、リンデンは全力で踏み込む。

 回転するリングの唸りを前に、リンデンは最後の助走を踏み切った。

 霊子を焼き、足元の地面がひび割れる。その勢いごと、ヘイロリウムを突き出す。

 狙うは、癒着した人間の肉塊――その、中心軸。

 だが。

 

「――っ!」

 

 無数の腕が蠢いた。

 意思を持つかのように、いや、死してなお生きようとするかのように。

 打ち上げられるようにして、振り下ろされ、突き出され、盾を、斧を、破壊の回転を止めようとする。

 打突の軌道が逸れた。

 ヘイロリウムの刃が肉塊の一部をかすめ、血とも膿ともつかない液体が飛び散る。

 肉を斬る確かな手応え――だが、深くは届かない。

 前進の勢いが殺された。

 がくんと身体が止まり、重みを失った足が軋む。

 

 そして――それが“振り向いた”。

 あの、巨大な母性の偶像のような女神の顔が、リンデンに向けられる。

 その胸に抱かれた“赤子”の目が、ゆっくりと開いた。

 

 ――視た。

 

 視られた。

 

 リンデンの鼓動が、一瞬だけ凍った。

 認識の回路に、致命的な干渉が走る。

 

(まずい……このままでは――)

 

 だが、まだ“終わり”ではない。

 リンデンは、まだ諦めていない。

 肺が、心臓が、骨格が――ゆっくりと溶けていくような感覚。

 骨の芯から泡立つように、血が薄まり、組織が水へと変わる錯覚。いや、それは錯覚ではなかった。

 存在の深層――“自己”を構築する情報そのものが、他者の視線によって改ざんされていた。

 

(これは……認識と情報の、上書き――!)

 

 理解と同時に、背部装甲のナンナリスが展開する。

 補助アームが伸び、霊子を掬い上げるように展開式の認識安定領域を描き出す。

 警告音と共に、緊急機能が起動する。

 《霊子同調展開・第七構造式/意識補強・存在情報拘束》

 滅亡神域で使用されるダイブギアスーツの機能――その擬似再現による強制存在固定処置だ。

 

「……ッッ!」

 

 ナンナリスが収束する霊子が人工脊柱ユニットから脳幹に流れ込み、全神経に焼けつくような電流が走る。

 視界が一瞬、白く染まった。

 だが、その痛みが“自分がまだ存在している”という証だった。

 

 ――上書きは、止まった。

 

 水に変わりかけた内臓が、己の“情報”を思い出すように肉へと戻っていく。

 リンデンは歯を食いしばり、盾を構え直した。

 

「行きます……!」

 

 半力場を最大限に展開したヘイロリウムが、砕断の回転を伴いながら廃棄物に踏み込む。

 鈍く、重い衝撃。癒着した肉体たちが、砕かれ、裂かれ、飛散していく。

 飛び散る肉塊の間をすり抜け、盾の縁で腕を薙ぎ払う。

 そして、空いた一瞬を逃さず――右手には、量子展開された片手剣。

 鍔も、装飾もない。

 鋼色の刃身が、ただ敵を殺すために存在する。

 実用性に極振りされた、無骨な刃。

 

「――ッ!」

 

 盾で赤子の母体像を強引に押し退けると、振り向いたその顔の真下に肉薄した。

 赤子の瞳に、リンデンが映る。

 だが、今度は“視られる”前に――右手の剣が、その双眸を、斬り裂いた。

 抵抗も、悲鳴もない。

 ただ、映し鏡のようだったその目が、亀裂を走らせながら濁り、砕けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルダランビオン外縁・遺跡帯。

 砕けた石畳の上を、二筋の黒と金が駆け抜けていく。

 先行するのは久理。《ガーネット》と呼ぶ長杖を半身に抱え、風を裂くように跳躍した。

 その頭上からは、猫の形をした燐光がふわりと現れ、空洞の仮面を揺らす汎用型ドールの顔面へぶつかる。霊子の炸裂により仮面が割れ、布切れごと崩落したドールが砂塵と化す。

 

「ガーネット! 悪霊さん、おねがいっ!」

 

 杖先で指示を送るたび、さらに三体が連続して爆ぜる。久理の額に汗が滲むものの、足取りは止まらない。

 その後方、闇虹が手首を返した。

 黒と金の長髪を翻しながら指先で空間を摘まむ。目標座標の数値を読み上げることなく、空気を一段階折り畳むように圧縮。遮蔽代わりの残骸を飛び越えようとしていた別の汎用型ドールが、見えない万力で押し潰され、平面の残骸へと変形する。

 

「こっちも、こっちのルートも抑えられてる……嫌な感じ……!」

 

 闇虹の靴裏が地を蹴り、倒れた石柱を飛び越えた先も、ドールたちはきれいに列を成して配置されていた。最短経路を意図的に塞ぐような、不自然な出現位置だ。

 

「時間が無いよ、闇虹!」

 

「はぁ、仕方ないなぁ! 右回りで迂回、十五秒で抜けるよ!」

 

 二人は互いの視界を最小限に交差させると、定めた経路へ踏み込む。

 久理が接近してきたドールを引きつけ、闇虹が空間圧縮で側壁を崩し、動線を確保。瓦礫を走路に変えて最速の曲線ルートを描いた。

 ――約束の合流時刻から、すでに五分以上が過ぎている。

 調査班の断末魔のような通信を思い出すたび、胸の奥に冷たい針が刺さった。それでも足を止めれば、その先に待つものは助けではなく追悼だと分かっている。

 崩壊途中の天蓋の下、最後の角を曲がる。

 久理が再び《ガーネット》を突き上げ、悪霊の燐光が広域に散った。

 闇虹が空間の継ぎ目を一つ折り畳み、残存していたドールの列を一括で圧壊する。

 粉塵の幕が晴れる前に、二人は視線を交わした。

 ここを抜ければ、救援地点はすぐ先だ。

 

「くーちゃん、ラストスパート!」

 

「うん!」

 

 次の瞬間、ふたりの魔力が地を蹴った痕跡だけを残し、霧の向こうへ消えた。

 

 

 救出予定地点。

 廃棄された遺跡の外縁に残る小さな広場は、瓦礫と自生した植物に飲まれていた。

 通信の記録によれば、ここで合流するはずだった。

 だが、人の気配は、ない。

 鳥の声ひとつ聞こえず、風も止まっていた。

 ──静かすぎた。周囲の崩れた遺構や焼け焦げた樹皮に反して、そこに満ちていたのは、場違いなほど湿り気を帯びた空気。

 何かが、そこに“在った”のだ。

 そう確信せざるを得ない気配の残滓が、闇虹と久理の足を止める。

 

「……間に合わなかった、のかな」

 

 久理が呟く。

 その言葉に返事はなく、代わりに闇虹が周囲を注視する。魔術的残留反応はある。しかも、極めて高密度で不安定だ。

 周囲の木々がまだざわめいていた。誰かが通った直後のように。

 

「……くーちゃん、待って」

 

 闇虹の視線が、森の奥。

 自動演算で最短経路になっている斜面の向こう側──木々の間、けもの道のような痕跡を縫うようにして、ふたつの影がこちらへと歩いてきていた。

 ぼろぼろの服に血を滲ませた青年が、肩を貸されるようにしながら、確かに足を引きずり歩いていた。

 肩を貸す少年もまた、片腕を負傷しているようだったが、互いに寄り添うようにして、ゆっくりと。

 そして、その少年の髪が――

 

「――リンデン?」

 

 久理が、ぽつりと呟く。

 無意識に漏れ出たその一言に、闇虹ははっとして目を見開いた。

 

「う、嘘……対象部隊って、リンデンくんだったの!?」

 

 心音が跳ねる。

 救出対象、それが彼だったという事実に、ようやく脳が追いつく。

 遠くのふたりは、こちらに気づいてはいない。

 けれど確かに、あの深緑の髪――腰まで届く、毛先でひとつに結われた髪は。

 ずっと前に見た、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも折れそうだった、あの弟のものだった。

 

「……リンデンくん!」

 

 闇虹の叫びとともに、ふたりは駆け出していた。

 瓦礫を蹴り上げ、絡まるように伸びる蔓草を飛び越え、ただひたすらに前へ。

 見えていた。

 肩を貸していたのは、リンデンだった。

 肩を預けていたのは、あの部隊の分析官──疲れた眼差しと、冷静な指先を持っていた、最後列の男。

 遠目にも、彼が限界であることは明らかだった。

 それでもリンデンは、前を向きながら何かを語っていた。励ましていた。

 ──きっともう少しだと、

 ──あと少しで助けが来ると。

 

 だが。

 分析官の足が、止まった。

 小さく、口が動いた。

 何を言ったのかは、聞こえなかった。

 けれどその直後、彼の身体は一切の音を立てず──ただ、水になった。

 ばしゃり、と。

 音もなく、リンデンの肩から流れ落ちた液体が、地面に染みていく。

 その場に倒れるでも、崩れるでもなく、一瞬で、全てが水に還った。

 跡には何も残らなかった。

 リンデンの左肩と、足元に広がる一面の水たまりだけが、そこにあった。

 

 ──動かなかった。

 

 リンデンは、顔を伏せたまま。

 肩に残る重さがまだ在るとでも思うように、そこから一歩も動かず、黙って立ち尽くしていた。

 まるで、隣にいるはずの男がまだ息をしていると信じているかのように。

 

「――どうして」

 

 ︎︎駆け寄った2人の目の前で、リンデンはか細い声で小さく呟いた。

 

 彼の任務は、成功した。

 その部隊(マガジン)から命の弾丸を、一発残らず撃ち尽くして。

 ──『全滅保証』を冠されたその身で、確かに“成功”を証明したのだった。






次回が凄く難産なのと、アンチヘイトタグが凄く活きるので、投稿は多分間が開きます。

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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