それからも、3人の進行は続いていた。
割り当てられた挟撃ルートは、依然として種子体の発生密度が高かった。
だが、配置には明確な偏りがあった。
密集地帯ではリンデンが単独で前衛に出て殲滅を担当。
ナンナリスによる霊子支援とヘイロリウムの砕断によって、危険因子を最小限に抑えながら道を切り拓いていく。
一方、出現数が限定されているエリアでは、
ユウトとアイナの2人が主軸として戦闘を担う場面が増えていた。
「右、もう一体! 援護お願いッ!」
ユウトが突撃しながら叫ぶ。
右腕のガトリングロッドが回転し、杭を連続射出――種子体の外殻にひびが走る。
「展開、間に合って……防御、維持!」
アイナが祈術コードを連結し、
霊子防御のヴェールがユウトの側面を守る。
戦いながら、連携しながら、
2人は最初の震えやぎこちなさを確実に捨て去っていった。
リンデンは、その様子を一歩後ろから見届けていた。
その表情に、変化はない。
ただ、彼らが“自分の手を借りずに敵を倒している”という事実だけを、静かに受け止めていた。
何も問題はない。
すべては順調だった。
――だからこそ、誰もまだ気づいていなかった。
この“順調”が、どれほど不自然な静けさの上に成り立っていたかを。
次の曲がり角を曲がった先、種子体の反応はなかった。
一時的な無風状態――休息というには短いが、息を整えるには十分な時間だった。
「ふーっ……アイナ、今のカバー完璧だったぞ」
「……当然でしょ。突っ込むって分かってたし」
「いや、それな? オレも最近わかってきた気がする。ああ、今このタイミングで動けばいいっていう……“勘”みたいなの」
「……それはまだ、ただの自信過剰っていうんだよ」
いつもの軽いやりとり――
だが、そこには戦場に適応し始めた者たちだけが持つリズムが宿り始めていた。
そのやり取りを聞きながら、リンデンは淡く口を開いた。
「ユウトさん。さっきの種子体の殴り込み、二撃目は角度を三度下げていれば、芯に入っていました。
推進回転は充分だったので、次は“押し込む”より“流す”意識を持つと良いでしょう」
「マジで……? やっぱ見てたんすね……了解、試してみます!」
「アイナさんの祈術展開、展開域は充分ですが、解放指示をもう0.2秒早くできます。
ギリギリまで張るより、一瞬の余裕で“味方の選択肢”を残す方が、後の判断に繋がります」
「……はい。次から意識してみます。ありがとうございます」
ふたりは、真っ直ぐに聞いていた。
疑いも、斜に構えることもなく、ただ素直に――「吸収しよう」という意志だけがそこにあった。
リンデンは少しだけ、その表情を緩めた。
そして、まるで誰に言うでもなく、静かに言葉を落とした。
「……貴方たちは、きっといいガーデナーになります」
風が、またひとつ通り過ぎる。
それを背に、3人の影が次の交差点へと進んでいった。
次の区画に踏み入れた瞬間、空気が変わった。
崩れかけた橋脚の向こう側――
入り組んだ瓦礫とビルの骨組みの影に、種子体が、異様な密度で配置されていた。
「……え?」
ユウトが小さく声を漏らす。
見えるだけでも十体以上。
しかも、通常の分布ではありえない至近距離で並び立っていた。
黒鉱の棘が密集し、霊子的な圧迫感が、視界にすら歪みを生んでいる。
「なんでこんなに……」
さらに、種子体の間を縫うように、白い影が動いていた。
汎用型ドール――すでに召喚され、徘徊している天使たち。
二体、三体……いや、もっと。
瓦礫の裏、ビルの内部、天井崩落の隙間からも、奴らの白い肢体が揺れていた。
リンデンは、即座に足を止めた。
空気を読むまでもなかった。
この構成は、偶然でも、巡り合わせでもない。
「――ここが、“何か”の中心です」
静かに断言するその声に、アイナが反応した。
「……何かって、さっきの通信にあった“魔剣使い”ですか……?」
「可能性は高いです。……もうひとつの可能性は、“その奥の手”」
その言葉の意味は、2人にも伝わっていた。
ただの敵ではない。
全体の“目的”そのものが、ここに置かれている可能性――あるいは。
リンデンは少しだけ周囲を見渡し、ナンナリスのセンサー波を短波で走らせる。
反応密度は明らかに異常だった。
“踏み込めば出血する”構造になっている。
「……一旦止まりましょう。私が先に動きます。様子を見ますので、二人は警戒を保って待機してください」
いつも通りの、平坦な命令口調だった。
だがそこには、わずかにこれまでとは違う慎重さが含まれていた。
風が一度、全てをなぞるように吹き抜けた。
リンデンは一歩、進んだ。
ユウトとアイナを背後に残したまま、ヘイロリウムを構え、異常密度の戦域へと足を踏み入れる。
即座に空気が変わる。
霊子が軋み、何かが“感知された”音がした。
その瞬間だった。
「……来る」
呟いた直後、地面が膨れ上がった。
種子体が次々と霊子を跳ね上げながら爆発的に成長する。
黒い霊子鉱の棘が地面を裂き、視界を塞ぐほどに伸びる。
まるで、「そこから先には進ませない」とでも言うように――
リンデンは即座にヘイロリウムを振るい、
前衛を砕断しながら突破口を作る。
しかし、そのわずかな間に――召喚が始まった。
赤黒い粒子が空中で渦を巻く。
既に数体が徘徊していたはずの汎用型ドールが、再び“意図的に”呼び出される。
一体。
二体。
三体。四体。五体――止まらない。
「これは……」
リンデンの思考が一瞬、走った。
この召喚の“反応速度”と“密度”は、自衛反応ではない。
“初めから待ち構えていた”配置――予め組まれた防衛陣だった。
背後の2人へ、短く通信を走らせる。
「複数体、召喚連鎖を確認。目視分で十体以上、増加継続中――これは“対応戦力”ではありません。
――敵は、我々の到来を予期していました」
その言葉と同時に、最前線の天使たちが動き始める。
リンデンは、反力場を最大展開。
――この戦場は、「突破」ではなく、「切り開く」必要があった。
リンデンは盾を振るい、ただ黙々と進んだ。
種子体の外殻を砕断し、呼び出された汎用型ドールの頭部を躊躇なく叩き潰しながら――しかしその瞳は、ずっと、何かを探していた。
“何かがおかしい”。
敵の配置、召喚の速度、展開の流れ。
そのすべてが、「後方」を殺すように組まれている。
なのに、目に見えるものは全て“正面からの迎撃”だった。
――まだあるはずだ。
そう思いながら、リンデンは中央部の戦場へ足を踏み入れる。
その時だった。
「……!」
振り返った気配がした。
振り返ってはいない。だが確信した。
足音――走ってくる足音。しかも、二つ。
すぐに分かった。ユウトとアイナだ。
指示は出していない。
あの二人が、簡単にそれを破るはずがない。
リンデンはすぐに仮説を立て、正解に辿り着いた。
背後へ目を向ける。そこに隆起していたのは、三つの巨大な影。
魔剣種子体。
だが、通常のものではなかった。
中心核肥大化し、黒霊鉱から女神が形成されかけている。
霊子の濃度、外殻の硬度、そして反応速度。
明確に、ただの種子体ではない。
既に“次の段階”に進んでいる。
アイナが即座に防御式を展開し、ユウトがガトリングロッドを構えたのが見えた。
だが、分かっている。
彼らでは、この三体は“止められない”。
リンデンは、息を呑み、理解した。
――これは、「退路を潰すための配置」だった。
前に進ませるのではない。
前に“進ませるしかない”ように、囲い込んだ罠。
挟撃ではない。
包囲。
背後に死、正面に未知。ならば、選ぶ道は一つしかない。
リンデンは前を見据えた。
構えたヘイロリウムが、低く軋んだ音を立てる。
「……進みます。
どんな罠でも、どんな相手でも構わない」
呟いた言葉は、誰に向けたものでもない。
ただ、心に刻むように。
「この2人を……必ず、生かす」
足が、地を蹴った。
霊子が巻き上がり、突進する重音とともに、リンデンは“次の戦場”へと突入した。
虚輪が回転し、盾が衝撃を逸らす。
天使たちの身体は叩き潰され、種子体の核は砕断され、リンデンの足が、道を切り拓いていく。
その背後を、ユウトとアイナが走る。
彼らはすでに言葉を交わしていなかった。ただ、前を往くその背中が、“生き延びる術”そのものだと理解していた。
そして。
視界が、急に“開けた”。
廃墟の奥、瓦礫の壁を抜けたその先には――広大な吹き抜けの構造体があった。
リンデンの足が、止まる。
ユウトも、アイナも、それに続く。
そこに、いた。
それは、ただの“種子体”ではなかった。
その中心核、既に剣としての形状を確立している。
全長二メートル超。
構造は複雑で、同調回路と思しき霊子構成が幾重にも編み込まれている。
周囲を覆っていた黒霊鉱は変質し、白く脱色されながら“女神”の姿に再構築されていた。
両腕は失われている。だが、その喪失こそが“完成への前段階”であるかのように、異様な神々しさを放っている。
リンデンが、呟いた。
「……これは……」
アイナが、小さく声を漏らす。
「魔剣……? いえ……“なりかけ”……?」
違う。
ユウトが言いかけたその時、リーインシアからの通信が割り込んできた。
『霊子測定値が異常です、リンデンくん……! その個体、胎蕾体です――“極”指定……っ!』
その言葉に、二人の表情が強張る。
――【極】。
魔剣種子体の中でも、“開花すれば伝承級魔剣”として分類される超存在。
本来ならば、応対するのは不老不死の騎士団。
ガーデナーではなく、“騎士”が向かうべき敵。
中規模神域で、なぜ。
なぜここに、こんな存在が。
リンデンの目が細められる。理解が、戦術思考へと変わっていく。
これは“罠”ではない。
これは“突破された時の切り札”だ。
進ませるのではない。
突破した者を“消し去るため”の、一手。
背後では胎蕾体の女神像が、微かに頭を傾けた。
まるで、自らを迎えに来た“運命の者”を見つけたかのように。
胎蕾体の胸核に宿る“剣”が、わずかに発光した。
次の瞬間。
――砲撃のような霊子の衝撃波が、空間そのものを削り裂いた。
「下がって!」
リンデンが両腕でヘイロリウムを構え、盾面の反力場を限界近くまで展開する。
発生する磁場が軋みを上げ、盾の表面で光が幾重にも砕けた。
直後。
光の奔流が周囲を襲った。
建造物の壁が、天井が、空間の床までもが砕けて崩壊する。
地鳴りとともに重力の感覚が狂い、瓦礫が光に溶かされて霧散した。
それでも。
盾の内側だけは、何ひとつ、壊れなかった。
リンデンの背後、かろうじて無事だった2人。
ユウトも、アイナも、ほんの少し――震えていた。
それが“当然”であるほどの、異常。
リンデンはその気配を感じながら、低く、静かに言葉を紡いだ。
「大丈夫です。必ず……必ず、私が何とかしますから」
その声に込められたものは、安堵ではなかった。
希望でも、勇気でもなかった。
ただ、“事実”として、そうでなければならないという意思だけ。
そして、胎蕾体が再び動いた。
白い女神の口が震え、空間に軋むような“祈り”が響いた。
呼応するように、次々と出現する天使たち。
──汎用型ドール。
──剣闘型ドール。
血濡れのアイガードに、試合用の騎士剣を携えた闘技場の亡者。
──重装型ドール。
小柄な少女のような体躯に、異様なまでの質量をもった騎士盾を構える堅牢な壁。
──犬型天使。
頭部が無く、嗅覚と熱感知のみで追尾する、“群れる番犬”たち。
リンデンは言葉なく、ナンナリスの演算出力を上げた。
限界近くまで霊子供給を開き、まずは二人に“防御式”を流す。
バフの霊子線が緑の光を放ち、2人の装備の縁を輝かせる。
残りすべてを、自身の術式に。
ヘイロリウムが唸りを上げる。
盾面が収束震動を走らせ、重力負荷と共鳴圧が空気を軋ませた。
一歩。
踏み込む。
咆哮が轟く。
犬型天使が群れで突進し、空間を圧迫する。
剣闘士の影が剣を振り上げ、重装型が防壁となって道を塞ぐ。
――それでも。
その中に、彼だけは踏み込んでいく。
人ではなく。
もはや何者でもなく。
ただ、“守る”という一つの式を、構造として成り立たせた存在のように。
雷鳴のような衝突音が、空間を震わせていた。
正面。
瓦礫の舞う廃墟、その中心にて、リンデンが次々と襲いかかる天使たちと拮抗していた。
盾の縁が赤熱し、振るわれた刃輪が空間ごと天使の肉体を切り裂いていく。
だが、数は減らない。
呼び出された天使の数も、強さも、明らかに“通常”の域を逸していた。
それでも、あの背中は一歩も退かない。
「……っ、あれが……本物の戦いってやつかよ……」
ユウトの喉が、ごくりと震える。
怖くないはずがなかった。
自分たちが刃を交わしてきた実戦とは、桁が違う。
あれは、人の限界を超えてなお“立ち向かい続ける何か”だった。
「アイナ……俺たち……何か……」
ふと、言葉が途切れた。
地鳴り。
背後の地面から、何かが“生える”ような感触。
振り向く。
そこには、ゆっくりと地面を割って隆起する、黒霊鉱の尖端。
――魔剣種子体。
さっきリンデンが打ち砕いてきた“未成熟の魔剣たち”が、再び芽吹き始めていた。
「来る……!」
アイナの声と同時に、数本の触手のような鉱石が、周囲を這うように伸びる。
未成熟。だが、油断すればそれでも死ねる。
そして何より、このまま後背から攻撃されれば――リンデンは、前線に集中できなくなる。
二人は、一瞬だけ視線を交わした。
「ユウト。私は……やるから」
「……ああ。俺も、やる。やるしか、ねえよな……!」
逃げるな。怯えるな。無力だと嘆くな。
今、ここで足を踏み出さなければ。
あの背中に恥ずかしいと思ってしまう――自分自身に負けてしまう。
二人は一歩、前に出た。
産まれたばかりの魔剣種子体に向かって、構えを取る。
この一歩が、何かを守ることに繋がると、ただ信じて。
戦況は、拮抗していた。
――いや、実際には、ジリジリと“削られ始めていた”。
盾の刃が振るわれるたびに天使が砕ける。
しかし砕けば砕くほど、胎蕾体は更なる天使を呼び出していた。
しかも、その召喚に“選別”が混じり始めていた。
跳躍と共に切り込んできたのは、強襲剣闘型ドール。
剣闘型ドールの上位種にあたる個体であり、巨大な両手騎剣を自在に振るう“剣の技巧者”。
盾の角度を一つ間違えば、全身を断ち割られかねない。
さらにその後方からは、青く輝く装飾杖を構えた医療型ドールが祈りを捧げていた。
祈術にも似た不可解な手順。
――それは、砕かれたはずのドールたちを再び立ち上がらせていく。
「……際限がない、ですか……っ」
リンデンは歯を食いしばる。
ただの量産型の寄せ集めではない。
これは、明確に個体の特性と役割を編成された、戦術的な召喚構成だ。
突き刺すような思考の中でも、ヘイロリウムは機械的に振るわれ続ける。
回転刃が重装型ドールの装甲を裂き、盾面が振り抜かれるたびに天使の群れが弾け飛んだ。
だが、その勢いは――確実に鈍り始めていた。
そして、背後。
決して安全圏とは呼べぬ場所で、二人は戦っていた。
「くっ……ッ! アイナ、バフもう一回ッ!」
「再展開中……あと五秒、もたせて!」
ユウトは地を蹴り、黒鉱が伸びる前に跳び込む。
右腕に接続されたガトリングロッドが唸りを上げ、回転しながら杭を射出。
射突された鉄杭が種子体の中枢へと突き刺さり、爆ぜた。
無造作に巻き上がる破片。
それでも、すぐにまた別の“芽”が地表を突き破る。
「しつこい……けど、全部――!」
後方支援を受けながら、ユウトは再び前へ出る。
その背中を、アイナが必死に支える。
彼女の祈術は未熟だが、それでも今この瞬間だけでも戦場に立たせるための力を必死に練っていた。
正面と背面。
二つの戦場が、じわじわと飲まれていく。
誰一人として、まだ“折れて”いなかった。
︎︎しかしそれも長くは続かない。
拮抗が――崩れた。
それは、前線ではなく、後方の崩壊だった。
「ッ、こっち……数が多すぎるッ!」
ユウトが叫ぶ。
轟音と共にガトリングロッドを叩きつけ、目前の汎用型ドールの胴体を弾けさせる。
けれども、その直後に――背中を狙う別の腕が伸びる。
「ユウトッ!」
アイナの叫びと同時に、彼の身体が地面に打ちつけられた。
それでも何とか反撃し、さらに一体を撃破したが――
その代償は、あまりにも大きかった。
ガトリングロッドが軋んだ音を立てて、砕け散る。
連動していた右腕に衝撃が走り、鈍い音と共に骨が砕けた。
「……ッ、く……、ああ……ッ!」
ユウトが呻きながら膝をつく。
その横で、アイナが彼を庇うように立ちはだかるが、祈術の補助など、直接的な暴力の前ではほとんど意味をなさない。
それを――リンデンは見ていた。
「……!」
刹那。
彼は振り返った。
背後からの斬撃が、彼の背を裂く。
鮮やかに、制服の背が裂けると――その下に“銀色の縦線”が覗いた。
血と油が混ざり合うように滲み、
斬られた背から、人工脊柱ユニットがその輪郭を露わにする。
だが彼は、痛みにも、悲鳴にも、振り向かない。
ただ、守るために跳んだ。
「下がってくださいッ!!」
跳躍と共に、盾の構えが弾ける。
ヘイロリウムの回転刃が軋みを上げ、地面から立ち上がりかけた種子体を粉砕。
粉塵と破片が弾ける中、ユウトとアイナは目を見開いていた。
自分たちに向かって咆哮していた天使もろとも、リンデンが踏み潰したのだ。
そこにあったのは、剣ではない。
神聖さもない。
ただ、“戦場の壁”だった。
「……動けますか?」
血を滲ませた背中のまま、彼は静かに問う。
その姿を、アイナは息を呑んで見上げていた。
――この人は、傷ついても、
――それでも、守る者なのだと。
だがその一瞬の転身により、前線の胎蕾体の陣形が回復した。
先鋒を潰されたものの、すぐに次の召喚が走る。
上位ドールたちが再配置され、天使群の密度が急上昇する。
そして――それはつまり。
この瞬間から、“一人”による戦線維持が始まるということだった。
崩れた拮抗。
――リンデン一人による、二人を守るための地獄の防衛戦が、幕を開けた。
リンデンは、ただ、打ち合っていた。誰の助けも、交代もない。
天使たちの群れと――たった一人で。
ヘイロリウムが天使の胸を砕く。
盾で軌道を捌き、回転刃で粉砕する。
数歩下がれば、アイナたちがいる。
その一歩を踏ませないために、彼は前に出続けた。
だが――敵は、減らなかった。
それどころか。
「ッ……!」
粉砕したはずの天使の肢体に、癒しの光が注がれる。
――医療型ドール。祝福された杖が掲げられ、祈りにも似た音が響く。
次の瞬間、砕けた腕が再生し、脚が繋がり、天使が再び剣を振るってくる。
それをリンデンは、また砕く。
けれど、また蘇る。
ジリ貧だった。本当の意味での、消耗戦。一人の限界を、越えさせられる地獄。
その最中、彼の耳元に通信が割り込んだ。
『――リンデンくん!』
リーインシアの声。
淡く震えているが、確かに届いた。
『今、別働隊を援護に向かわせています!あと10分……いえ、5分でいいです、それまで持ちこたえて!お願い、あなたが――』
通信が切れる。
その言葉を、彼はただ小さく頷いて受け止めた。
そして、後方。
傷つき、地面に伏していたユウトと、彼を支えるアイナが、その声を聞いていた。
5分。
あと5分。
たったそれだけ。
――だけど。
彼はもう血を流していた。背中は裂け、右脚の動きも鈍い。
それでも一歩も下がらない。
彼が、盾となっている。彼一人の命で、今この場が保たれている。
それに、守られている自分たちは――何もできていない。
ユウトは悔しさに唇を噛んだ。
右腕はもう動かない。武器も破損した。
でも、でも――
「……なにか、なにか……できること、ないのかよ……ッ」
アイナも必死に考える。
祈術、支援術、物理防壁、回復術――どれもリンデンの“前に出る戦い”を直接支えるにはあまりにも力不足。
でも、せめて。
“足を引っ張らないように”じゃなくて――
“彼を、救う為の助けに”なりたい。
守られているだけの自分たちにできることは、なんなのか。
考えろ。
諦めるな。
彼は――一人で戦ってるんだ。
その背中に、命を張って。
――まだ、終わってない。
天使たちの剣戟が鳴る。
打ち合いの音、金属音、砕ける音、そして盾が天使を叩き落とす轟音。
そのすべてを聞きながら、アイナは――見ていた。
リンデンが戦っている。
傷だらけの背を晒し、必死に天使の群れを食い止めている。
……そのせいで、視界の一部が――空いていた。
「……ある」
思わず、呟く。
見えた。
リンデンが注意を引き付けてくれているからこそ生まれた、敵の視線の“死角”。
そこから胎蕾体に至る――たった一つの、細い導線。
「あるよ……ユウト!」
アイナは、地面に伏していたユウトを振り返った。
瞳に宿るものは、確かな光。
「今なら、いける……!」
「リンデンさんを、助けられるかもしれない!」
アイナの言葉に、ユウトは一瞬だけ戸惑いを見せる。
だが――その直後に、ハッと息を吸って、折れた右腕を抱えながら立ち上がった。
「……ッ、そっか……そうだ、アイナ。俺たちには……!」
思い出す。
出撃前、支給された“あれ”。
新人という理由で、万が一に備えて支給された、たった一度きりの戦術装備。
通常戦術には不適でも、今だけは、それが“唯一の希望”になる。
「使おう。今しかない。上手くいけば――リンデンさんは助かる!」
二人は、頷き合った。
それは、希望ではなく、覚悟の合図だった。
次の瞬間。
リンデンが天使の一体を砕いた拍子に、敵の陣形が一瞬だけ崩れる。
その時――
「今!」
風を裂いて、二人が飛び出した。
ユウトの左腕が、アイナの身体を庇うように引き寄せ、共に疾走する。
全力の走り。全ての痛みを無視して。
目指すは――胎蕾体。
決着の鍵を、その手に握って。
走る。
走る。
天使たちの目を掻い潜るように、瓦礫を蹴って疾走する二つの影。
その先には、まだ胎蕾体――未だ開花を終えていない、魔剣の蕾。
それを視界に捉えた瞬間、リンデンの目が見開かれる。
「……ッ!」
彼らが向かうその先は、敵の中心。
今この瞬間、彼自身が背中を晒してでも守っていた最も危険な座標。
「駄目です……戻って! そこは……!」
そう思った時にはもう遅く。
天使たちが絶え間なく襲いかかる。
リンデンはヘイロリウムを掲げ、次の一撃を受け止める。
反力場が軋み、金属が火花を散らす。
剣撃と衝撃が交差するたびに、前へ出ることが叶わない。
――動けない。
――彼らの元へ行けない。
その中で、一瞬だけ。
斬り結ぶ隙間から、彼の視界に飛び込んできた。
走る二人の手。
握られていたのは、黒く重厚な筐体――。
『対重霊子構造爆雷』
「……っ、な……に、を……ッ!」
全身から冷たい汗が吹き出す。
血の気が引いたのではない。逆だ。熱が、怒りが、叫びが、全身を突き抜ける。
――なんだ、それは。
――なぜ、それを、二人が持っている……!
本来、彼らのような新人に支給されるはずのない兵装。
対象を霊子構造ごと焼き潰す、帰還を前提としない“特攻兵器”。
されるとすれば、そこに与えられたのは“未来”ではなく、“死を許容する枠”。
「……違う、それは……違うッ……!」
怒鳴るように、吼えるように、リンデンは叫んだ。
「戻って、戻ってくださいッ!」
返事はなかった。
爆雷を携えたまま、二人の背中は真っ直ぐに。何一つ揺るがぬ意志で――胎蕾体へと向かっていた。
それは、あまりにも小さな背中だった。
だがそれでも、その小さな背は、誰よりも大きな決意で満ちていた。
リンデンの制止は、確かに届いていた。
聞こえていた。胸に刺さっていた。
――それでも。
「へへっ、リンデンさんの成功保証に、泥を塗る訳にはいかないからな……!」
ユウトは走りながら、口の端を吊り上げて笑った。
呼吸は荒い、血が混じっている。それでも、笑っていた。
「――あの人なら、きっと……この後も、何とか出来るから!」
それに応えるように、アイナも声を上げた。
視線を交わすことすらせず、ただ並んで走る。だが二人の鼓動は、確かに一つだった。
だから、助ける。
この人を、自分たちの手で、生かす。
“成功を保証する”という言葉の、その意味を――今、誰よりも深く知っているから。
だが、その背後。
空気を裂いて迫る、殺気の塊。
強襲剣闘型ドールの一体が二人の動きに気づき、背後から疾駆していた。
圧倒的な速度で、音もなくユウトの背中に肉薄する。
「アイナッ!!」
咄嗟の声と共に、ユウトは右手で握っていた爆雷をアイナに投げ渡す。
直後――閃く斬撃。
「……が、っ……!」
右肩から袈裟に裂かれたユウトの上半身が崩れる。血飛沫が宙を舞い、地に落ちる。
アイナは振り返らない。受け取った爆雷を両手に、ただ前だけを見て走る。
ユウトは、足を引きずりながら立ち上がる。
今にも再加速しようとするドールの脚に、自らの全身をぶつけ、組みついた。
「――まだ……終わってねぇだろ、バカ……!」
片腕と身体だけで食い止める。
たとえ一瞬でもいい。彼女が辿り着く、その一歩を守るために。
そして、あと十数歩。
胎蕾体が目前に迫る。
アイナは走る。
何かが突き刺さった感覚――。
直後、前方に影が落ちる。
ドールが投擲した巨大な騎剣。その刃が彼女の背中から胸へ、一直線に貫いていた。
「っ……!」
赤が、口から溢れる。
肺を穿ち、心臓の近くを通り抜けてなお、アイナは――走る。
爆雷の起動シーケンスが、手の中で始まる。
手首を這う赤いコード、霊子起動確認の信号。
――あと、数歩。
あと、少しだけで、届く。
そして。
崩れるようにして胎蕾体に辿り着いた彼女は、震える両腕を振り上げ、叫んだ。
「GARDENランヴィリズマに――栄光をっ!!」
それを振り下ろす。全ての命を込めた、一撃。
爆雷が炸裂した。
辺り一帯を焦がす白熱の閃光。
爆風、灼熱、破壊の奔流。
天使を、魔剣種子体を、そして彼ら自身を――塵一つ残さず飲み込む炎。
その中心で、確かに――二人は笑っていたように見えた。
閃光が収まり、焼け爛れた地表にゆっくりと立ち上る煙。
空気が変質し、熱と霊子の澱が混じり合う。
その中央、焦土の中に――まだ立っていた。
軋む音。
重々しい鋼の悲鳴をあげながら、構えられた斧盾。
ヘイロリウムが、変形を終える音が戦場に響く。
リンデンは、その爆発の余波を――全て、受けきっていた。
盾による反力場展開と、自らの霊子制御によって直撃を逸らし、命だけを残した。
しかし、その代償は大きい。
全身を震わせる痺れ。
神経が焼け、血が逆流し、思考がうまくまとまらない。
小刻みに震える指先が、"守れなかった"という現実をなぞっていた。
――また、だ。
またこれも、“計算”されていたのか。
この結果すら、誰かの意図通りなのか。
あの爆雷は、誰が渡した。
誰が、支給を許した。
何もかもが、見えない掌の上。
そうでなければ、あの2人は、あんな兵装を持っているはずがない。
「……っ」
伏せていた顔を、ゆっくりと上げる。
――その先に、胎蕾体。
爆発の直撃を受けた影響で、外殻はところどころに大きなひびが走っていた。
軟体のようにうねる外層、内側から漏れ出す霊子エネルギーが、青白く発光している。
中枢部はまだ健在。だが、もはや時間の問題。
周囲には、天使の姿も、種子体の残骸すらない。
ユウトとアイナが巻き込んだ全てが、吹き飛ばされていた。
静寂。
だが、それは嵐の前の――。
リンデンは、斧を手にする。
ヘイロリウムが変形を完了し、その姿を凶器へと変えていた。
もう、守るものは無い。
もう、壊すべきものしか、無い。
リングユニットが、唸りをあげる。
臨界を超えた回転が、空気を振るわせ、共鳴音を起こす。
金属と霊子の融合体が、空間を裂く。
全てを崩壊させる音が、神域中に響き渡った。
まるで悲鳴のように。まるで祈りのように。
ただ――壊すための、音。
低く、軋むような音が空を割った。
地鳴りのような重圧を孕んだその周波は、遠く離れた戦線にまで届き、耳だけでなく骨の奥まで嫌な振動を響かせる。
「うわっ……うるさくないけど、うるさっ!」
叫んだガーデナーが振り返る間もなく、目前の汎用型ドールが迫る。
反射的に手にした刃を突き出し、金属質の皮膚を裂いた。
体液のように飛び散った霊子光が、空中で一瞬だけ花のように広がる。
「ここまで響くって……やっぱ相当だよな、マガジンさんの弾切れ音」
別の一人が、肩で構えた霊子巨銃の引き金を引く。
咆哮と共に放たれた極大の弾丸が、別個体の天使の額を撃ち抜いた。
無音で崩れた肉体が、煙のように地に溶ける。
「お前ら、そろそろ仕上げるぞ!」
隊長格の男が叫ぶ。片腕の盾で天使の斬撃を受け止めながら、後ろへと跳び退った。
「全滅保証が保証効かせたからな!」
誰かがそう言って笑った。
だがその笑いには、震えが混ざっていた。恐怖ではない。理解だ。
あの音の意味を、あの“保証”の代償を、全員が知っていた。
そしてその変化は、まるで“見えない何か”が空をなぞったかのように訪れた。
前方にそびえていた高層ビル群の一帯――そこに、弧を描くような“空白”が突如現れる。
輪郭が、建材が、構造が。まるで削り取られたように、そこだけが綺麗に“無かったこと”になった。
音はない。ただ、残された建物の上半分がバランスを失い、落下する。
だが、その“落下”すら起こらなかった。
地に届く前に、それらも霧散するように溶け、気配ごと掻き消えた。
風が吹いた。静かな、だがやけに冷たい風だった。
「……マガジンさん、やばすぎだろ、あれ」
「ビル群ごと吹き飛ばすって、どんな保証だよ……」
「おい、仕上げ急げ、全滅保証が最終処理入ったぞ!」
「うわっ、まじか。マガジンさん、敵より怖ぇわ……!」
ガーデナーたちは、異様な光景にも立ち止まらない。
やるべきことは分かっている。あの“音”が鳴った時点で、もう終わりが近い。
それが、“マガジンさんの弾切れ”の合図だ。
崩壊したビル群の向こうから、何かに追われるように一人の女が駆けてきた。
その姿は、明らかに異様だった。
左腕が無い。いや――正確には“消えて”いた。肩口から下が、跡形もなく削り取られたように失われている。
だが残った右手には、確かに魔剣が握られていた。
この神域を産み出した、起源たる魔剣。その使い手。
口元を震わせながら、彼女は呪詛のように呟き続けていた。
「あんなのがいるなんて聞いてない……あんなのがいるなんて聞いてない……!」
乱れた呼吸と共に駆け続けていた魔剣使いは、やがて目前の戦闘ラインに気付く。
迎え撃つガーデナー部隊。数人の視線が彼女に集まった。
「……マジでクライマックスになってるじゃん」
誰かがぽつりと呟いたその言葉を無視するように、女の目がギラリと光を帯びた。
「アレの相手をするくらいなら……あんたらを蹂躙した方が、マシだ……っ!!」
叫びながら、魔剣使いは魔剣を振りかぶり、前方の部隊に向かって一歩踏み込む。
血も、理性も、何もかも捨てたその突進の背後から――
振動の波が追ってきていることには、最後まで彼女は気づいていなかった。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった