みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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トロイさんお誕生日おめでとう。
を、しようとする回



閑話:トロイの花丸

 

 リンデンがトロイの誕生日を知ったのは、ほんの数日前のことだった。

 GARDENで育てられてからの数年間――リンデンは毎年、自分の誕生日になると騎士団の兄姉たちや運命に囲まれ、ささやかだけれど賑やかな祝いを受けてきた。

 だが、ふと思った。

 “自分は祝ってもらってばかりで、兄姉たちの誕生日を何ひとつ知らない”と。

 それが急に恥ずかしくなった。申し訳ない気持ちになった。

 特に、トロイは――誰よりも傍にいてくれた人だったから。

 知ってしまったからには、何かを贈りたかった。

 けれど“プレゼント”と言われても、何を用意すればいいのか、まるで見当がつかない。

 迷ったリンデンは、その日からこっそりと、騎士団の兄姉たちに聞いて回ることにした。

 

「誕生日って……何をもらうと、嬉しいんだろう……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に話を聞いたのは、第七騎士団《アクシオンゲート》の兄たち――レアリザスとヴェクサスだった。

 騎士寮のエントランスの片隅で声をかけると、レアリザスは頭をかきながら、頭上の犬耳をふにゃりと揺らした。

 

「んー、誕生日……誕生日ねえ……」

 

 隣にいたヴェクサスがくるりと振り返り、クマ耳をピコっと立てながら頷く。

 

「兄ちゃんは、リンデンから貰えるものだったら何でも嬉しいけどなぁ……ヴェクサスは?」

 

「む、オレか……」

 

 ヴェクサスはメガネのフレームを指先でなぞり、真面目な顔で答えた。

 

「オレは、リンデンにお祝いされるだけでも最高の誕生日だ。……オレの鼻も、そう云っている」

 

「いやいや、プレゼント以前の話になってるぞー」

 

 レアリザスが吹き出すように笑い、ヴェクサスの肩を軽く小突く。

 

「む、そうだった。すまないな、兄さん、リンデン」

 

 そう言って、ヴェクサスは真面目な顔でメガネをくい、と持ち上げた。

 

 

 

 

 次にリンデンが足を運んだのは、第六騎士団《オッター貿易》の拠点だった。

 整然とした訓練室の片隅で、姉のトゥエルヴと兄のフィフティが荷物整理をしている。

 

「誕生日プレゼントぉ……?」

 

 トゥエルヴは、リンデンの言葉をそのまま反芻するように口を開いた。

 迷いのない即答だった。

 

「そりゃあ、非合理的なものより断然実用的なもの一択でしょ。スペース的にも邪魔にならないようなやつ」

 

 飄々とした口調で答えるトゥエルヴに、フィフティは「ええーっ」と声を上げる。

 

「でも、実用性がなくてもいいから、ちゃんと心のこもった贈り物の方がいいと思いますよ? たとえば、手紙とか……」

 

「はいはい、ロマンチストの坊やは黙っててー。送った側が良くても、貰った側が扱いに困るんじゃ意味無いっつーの」

 

 フィフティの言葉は、わりと容赦なく一蹴された。

 

「そ、そんなー……」

 

 肩を落として項垂れる彼の頭を、リンデンは思わずぽんぽんと撫でていた。

 自分よりずっと背が高いはずなのに、今だけは妙に頼りなく見えて、不思議とそうしたくなった。

 

 

 

 

 最後にリンデンが向かったのは、第三騎士団《MAZE.lab》の研究区画だった。

 部屋の中で書類を片手に座っていた姉、ラビリスに声をかけると、彼女は掛けていた瓶底眼鏡をくいっと持ち上げ、ニヤリと笑った。

 

「リンデンくんが誕生日プレゼントについて聞くということは、あの子案件だねぇ?」

 

 まるで探偵が犯人を見抜いたかのような口調だった。

 続けて、ラビリスは楽しげに言葉を転がす。

 

「うーん、甘酸っぱいアプローチ案件ー!いいぞいいぞー!」

 

 その言葉に、リンデンは小さく赤面しながら、視線を伏せた。

 と――自動ドアがすっと音もなく開き、どこから聞きつけたのか、MAZE.labのもう一人の姉、アズライトが患者衣のまま飛び込んできた。

 

「何やら青春と恋のアバンチュールがイベント期間中と聞きましてやって来ました。準一級プレゼント選別師アズライトです」

 

 抑揚のない無表情な声音にもかかわらず、放たれた言葉はテンションが振り切れていた。

 リンデンはアズライトにも同じように問いかける。

 

「ふむふむ、アズアズお姉ちゃん的にはリンデンくんのリビドーをささやかながらサポートしてあげたい所さんですが」

 

「ラビリスお姉ちゃん的にはちゃんと答えてあげたい案件だねー。たとえばね、リンデンくんがその子に“どうあってほしい”のかっていう、意味を込めたプレゼントっていうのも大切案件だからねぇ」

 

 なるほど、そういった考え方もあるのか――リンデンは真面目な顔で何度も頷いた。

 

「健康でいてほしい、綺麗でいてほしい、こちらに振り向いてほしい……など様々な思いがあると思いますが、それらを解決できるお薬がこちらです」

 

 アズライトはさも当然のように、ポケットから小瓶を取り出した。

 瓶の中で揺れているのは、虹色に輝く謎の錠剤だった。

 

「リンデンくんも、一錠飲みますか? ……副作用? はて?」

 

 すっと差し出されたそれを、リンデンはそっと押し返した。

 

 

 

 

 

 

 

 リンデンは、第六層の市街地を一人歩いていた。

 霊子濃度を抑える光膜の下、都市の喧騒は静かで、どこか霞がかったような午後の気配をまとっている。

 道端の売店では焼き菓子が香ばしく焼け、遠くの交差点からはGARDENのパトロール用ホバーバイクの音が微かに聞こえた。

 

 レアリザスお兄ちゃんは「何でも嬉しい」って言ってくれた。

 ヴェクサスお兄ちゃんは「祝ってくれるだけでいい」と言ってくれた。

 トゥエルヴお姉ちゃんは「実用性が大事」って言ってたし、フィフティお兄ちゃんは「気持ちがこもっていればいい」って言ってた。

 ラビリスお姉ちゃんは「意味を込めること」が大事って言ってくれて、アズライトお姉ちゃんは――うん、なんだかすごかった。

 

 皆、言っていることは違う。

 でも――どれも、全部、正しいのだと思う。

 “何が一番喜ばれるか”ではなくて、“自分にしかできない贈り物”が、きっと大切なのだ。

 どうすればいいのかは、まだ少しぼんやりしているけれど――それでも、少しずつ、見え始めてきた気がする。

 

 歩きながら、リンデンは自身の胸元に軽く手を添えた。

 その奥にある、自分だけの答えに、そっと触れるように。

 

「うん……まずは、陛下に相談しよう」

 

 そう呟いて顔を上げた先には、馴染みの暖簾が揺れていた。

 《ラーメン処 運命屋》。

 

 

 暖簾をくぐると、途端にふわりと漂ってくるスープの香りと、大鍋から立ち上る白い湯気。

 運命屋の中は、いつものように静かで、けれど温かかった。

 カウンターの中で作業していた運命が、湯切りの手を止めてこちらを見やる。

 

『いらっしゃいませー……あ、リンデン。どうしたの?』

 

 まだ昼時を過ぎたばかりの客足に紛れるようにして現れたリンデンを、運命はすぐに見つけた。

 

「お仕事中にごめんなさい……陛下に、ちょっと……聞きたいことがあって……」

 

 言いながら、少しだけ遠慮がちに立ち止まる。

 その姿に、運命は小さく微笑んだ。

 

『大丈夫。今は少し手が空いてるから、あそこの席に座って待ってて』

 

 指差したのは、客席の端にあるひとつだけのスツール椅子。

 そこは厨房からも客席からも少し離れた場所で、リンデン専用の“相談席”のような空気を持っていた。

 リンデンが小さく頷いて椅子に腰掛けると、運命はカウンター越しに訊ねた。

 

『それで? 何を聞きに来てくれたのかな』

 

 そう言いながら、運命は水の入ったグラスをカウンター越しに差し出す。

リンデンは「ありがとうございます」と小さな声で頭を下げて、それを両手で受け取った。

 薄いガラス越しに感じる冷たさが、緊張で火照った指先から肩口までじんわりと冷ましていく。

 ひとくち飲んで、喉の奥を水が通り過ぎていくのを感じた時、リンデンはようやく深く息をついた。

 少しだけ、胸の奥が軽くなる気がした。

 

『トロイのこと?』

 

 運命の声は、まるであらかじめ分かっていたように、柔らかく響いた。

 鍋の沸騰する音が遠くに聞こえる店内で、その一言だけが、とても近くに感じられる。

 リンデンはほんの少し口を引き結び、静かに頷いた。

 胸の前でグラスを抱えるようにして、そっと視線を膝の上に落とす。

 

「……はい。誕生日だと聞いたので、何か贈り物をと思って。でも……」

 

 どこかしら申し訳なさそうな声に、運命は手にしていたグラス拭きを置いて、姿勢を整えた。

 

『うん』

 

「何を贈ればいいのか分からなくて。お兄ちゃんやお姉ちゃん達に聞いて回ったんですけど、皆、言っていることが違っていて……」

 

 言葉の端に、迷いと戸惑いが混じっている。

 けれど、誰の意見も否定しないその口ぶりに、運命は小さく目を細めた。

 

『ふふ、らしいね』

 

 その一言に、リンデンは少し驚いたように顔を上げ、けれどすぐにまた視線を伏せた。

 

「でも、どれも正しいと思ったんです。だから……僕にしかできないものを、贈れたらいいなって。……けれど、それがまだ、ちゃんと形にはなってなくて……」

 

 グラスを持つ指先が、ぎゅっと力を込める。

 弱いわけじゃない。でも、まだ小さな自分の手の中で、どうすれば気持ちを形にできるのか、それが分からない――そんな、静かな葛藤がにじんでいた。

 運命は頷きながら、カウンター越しにもう少し近くへと身を寄せる。

 その仕草には、相手の言葉をちゃんと受け止めるという、意思がこもっていた。

 

『ねえ、リンデン。きっとトロイは、どんなものをもらっても、きっと笑って受け取ってくれるよ』

 

「……それは、分かっているんです。でも」

 

 リンデンは、グラスを置くと同時に、小さな声で言った。

 

「……喜んで、ほしいんです。ちゃんと、“トロイお姉ちゃん”に向けた贈り物として、受け取ってもらえるものを……」

 

 その言葉は、消え入りそうで、それでいて――とても、強かった。

 運命は仮面越しにほんの少し目を見開き、そして静かに、優しく、微笑む。

 

『そっか。うん、リンデンは優しいね』

 

「い、いえ……」

 

 小さく否定しようとする声も、すぐに遮るように運命が言葉を続けた。

 

『優しいよ。それは、きっともう、トロイにとっては世界にひとつだけの贈り物になってると思う』

 

 その一言が、胸の奥にそっと落ちる。

 リンデンは何も言わずに、ただ、照れたように小さく俯いた。

 

 ――その時、運命がふと、顔を寄せて、声をひそめる。

 

『でも――“世界にひとつだけの贈り物”って、見た目はあんまり可愛くないこともあるし、食べるとすっごく辛かったりもするからね?』

 

「……え?」

 

 不思議そうに顔を上げるリンデンに、運命は仮面のディスプレイに意味深な笑みを浮かべて、くすくすと笑っていた。

 その笑い声に、なぜか背筋が少しだけぞくっとする。

 リンデンは、グラスの縁を見つめながら、ほんのり不安な気配を滲ませた。

 

『実は、私もトロイにプレゼント……の、前にお祝いを用意してあるんだ』

 

 そう言って運命は、ひらりと手首を返して厨房の方へと向かうと、あっという間に調理に取りかかった。

 小気味よい包丁の音と、湯気を含んだ蒸気の立ち上る音が重なり、厨房が一気に活気づく。

 まずは、いつも通りに器を温める。

 寸分の迷いもない動きで白磁の丼を湯で満たし、次いで、その湯を捨てると、秘伝のスープをなめらかに流し込む。

 麺を茹で、湯切りの動作も見惚れるほど手際がいい。

 

「すごい……」

 

 つい、リンデンは見惚れて小さく呟いた。

 陛下の手際の良さは何度も見ているはずなのに、それでも目を奪われる何かがある。

 麺がスープに沈む。

 その上に、しっとりとしたチャーシューが一枚。

 コリコリとしたメンマが添えられ、ここまでは確かに、見慣れたラーメンだった。

 

 ――だが、次の瞬間。

 

「……あれ?」

 

 視界に、見慣れない光景が飛び込んできた。

 最後に乗せられたのは、

 ――白いホイップクリームで縁取られた、“バースデープレート”だった。

 しかも、そこには「Happy Birthday Troi」の文字が、チョコレートで手描きされていた。

 

『ハッピーバースデーラーメン。略してHBRのトロイ版!』

 

 トン、と運命が目の前に置いたそれは――もう、ラーメンではなかった。

 いや、どう見ても白いホールケーキだった。

 ふわふわのスポンジに見える側面。立ち上がる甘い香り……いや、スープの香りもまだ残っている。

 脳が情報を処理しきれず、リンデンは目の前の一品を凝視したまま固まっていた。

 

「え……? ……あれ……?」

 

 左脳でラーメン、右脳でケーキ。

 視覚と嗅覚がバラバラの結論を出してくる。

 器はラーメン、見た目はケーキ、香りは……混在。

 リンデンの中で、あらゆる認識がバグを起こした。

 リンデンは、しばらく固まっていた。

 けれど意を決したように、そっと箸を手に取る。

 

「……食べて、いいんですよね……?」

 

『うん、もちろん』

 

 運命がニコニコと頷いた。

 リンデンはそっとラーメン――もとい、ラーメンの見た目をしていない何か――に箸を差し入れる。

 ふわふわのホイップの下に、確かに麺があった。

 

「え……やっぱりラーメン……?」

 

 スープに触れた箸が、ねっとりと重たい感触を返す。

 麺を持ち上げると、クリームがまとわりつき、まるでケーキの中からうどんを発掘したような奇妙な見た目になる。

 

「いただき、ます……」

 

 ――その瞬間。

 

『あっ、それトロイ用でとんでもなく辛いから――』

 

 その声が最後まで届く前に、リンデンはひとくち、口に入れていた。

 

 ――次の瞬間。

 

「…………!!!」

 

 味覚が、爆ぜた。

 白いはずのスープは、口に含んだ途端に火を噴くような辛味を放った。

 甘い香りだと思っていたホイップ状の何かは、唐辛子の油を泡立てたものだった。

 喉の奥が焼ける。舌がヒリヒリする。鼻の奥まで灼熱が突き抜けてくる。

 

「……っっっッがふっ!? けほっ、ごほっ……!?!?」

 

 リンデンはテーブルに手をつきながら、咳き込み、顔を真っ赤にして目を見開いた。

 

『ああー……言い終わる前だったね、ごめんごめん。激辛モード、トロイの味覚に合わせてたから……』

 

 まったく悪びれる様子もなく、運命は微笑んだままグラスに水を注ぎ直す。

 

『でも、どうだった? “記憶に残るプレゼント”って意味では、割と上位じゃない?』

 

 リンデンは、返事をするどころか、スープの辛さにむせながらも――泣きそうな顔で頷いた。

 

「……プレゼントに、激辛は、だめです……」

 

 ようやく落ち着いてきた喉を手で押さえながら、リンデンは涙目のまま、か細い声で言った。

 唇の端はひくひくと震え、額には薄く汗が滲んでいる。

 まるで戦場から帰還した兵士のような表情だった。

 

『あはは、やっぱりダメだったかぁ。まあトロイ専用仕様だからね、普通の舌じゃまず無理だよ』

 

 悪びれもせず笑う運命に、リンデンは恨めしそうな目を向けた。

 けれどその顔もすぐに、考え込むように真剣なものへと変わっていく。

 

「……でも、そうですね。記憶に残るっていう意味では、間違いなく、忘れられないと思います……」

 

『でしょ?』

 

 嬉しそうに胸を張る運命に、リンデンは小さく笑った。

 辛さで火照った顔のまま、ふぅっと息をついてグラスの水をもう一口。

 

「……やっぱり、僕は“ちゃんと自分の手で作るもの”がいい気がしてきました」

 

『ふむふむ?』

 

「形にも、思い出にも残るもの。……でも、食べたら辛くないやつで」

 

『ふふっ、それ大事だね』

 

 ふたりの間に流れる空気は、少し前までの灼熱から一転して、どこか柔らかくなっていた。

 リンデンの視線は、グラスの縁の向こう――トロイの笑顔を思い浮かべるように、遠くを見ていた。

 

「……喜んでくれたら、いいな。僕が、ちゃんと作ったものでも」

 

『うん。きっと喜ぶよ』

 

 その答えには、迷いがなかった。

 運命はカウンターの向こうから、まるで背中を押すように、静かに言った。

 

『だって、リンデンが“その人のことを思って”選んだものだもの。それが、一番の贈り物だよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンデンは、買い物袋を大事そうにさげながら、騎士寮の通路を歩いていた。

 袋の中では、色とりどりの折り紙と、しっかりとした厚みのある切り絵用の紙たちが、かさり、と音を立てて揺れている。

 そこには、もう迷いはなかった。

 “誰かに聞いた正解”ではなく、“自分が信じた答え”が、確かにこの袋の中にある――そんな手応えが、少しずつ胸の内に生まれていた。

 

 分岐を抜けると、目の前の空気がふと変わった。

 第二騎士団《千紫》の寮区画――

 そこは、普段リンデンが過ごしている近代的な寮とはまるで趣の異なる、静謐な空間だった。

 

 木で組まれた低い屋根の屋敷。

 縁側には簾が掛けられ、障子の向こうには淡い明かりが揺れている。

 通路の先、外に広がる中庭には手入れされた池と石灯籠、そして控えめに揺れる紫の花。

 踏み出すたび、畳の香りと静かな空気がリンデンを包み込んでいく。

 

「……なんだか、空気が、綺麗……」

 

 無意識に漏れたその言葉は、誰にも聞かれることのない、ほんの小さな感想だった。

 けれどその空間にふさわしい、素直なひとことだった。

 買い物袋を両手でぎゅっと持ち直すと、リンデンは静かに、屋敷の中へと足を踏み入れた。

 

 木張りの廊下を、リンデンはそっと歩いていく。

 足音を立てぬよう心がけても、年季の入った板が時折、控えめに軋んだ。

 ひときわ静かなその空間に、足音はとてもよく響く。

 だからこそ、その音が聞こえていたのだろう。

 廊下の先、ふすまが静かに、するりと開いた。

 現れたのは――第二騎士団《千紫》のQUEEN、輝夜だった。 

 凛とした立ち姿のまま、薄紫の瞳がまっすぐにリンデンを見つめていた。

 

「聞き慣れない足音と思いましたが……よく来ましたね、リンデン」

 

 声は澄んでいて、どこか風鈴のような響きがあった。

 威圧ではなく、静かな気品。その佇まいだけで、この場の空気が整っていくような感覚すらある。

 リンデンは、思わず背筋を伸ばし、袋を胸元に抱えるようにして頭を下げた。

 

「……輝夜お姉ちゃんに、お願いがあって……来ました」

 

 その声は、小さく、どこか申し訳なさそうで。

 けれど――確かな意志が、その言葉の奥に宿っていた。

 輝夜は、ふすまを半ば開いたまま、片手をその枠に添えて立っていた。

 リンデンの返答を聞くと、まっすぐに頷く。

 

「……話は中で聞きましょう。こちらへ」

 

 柔らかい物腰ながらも、隙のない所作。

 その声には、余計な感情は混じっていないのに、どこか不思議と安心感があった。

 リンデンはこくりと頷くと、買い物袋を抱え直し、輝夜の後に続いて部屋へと入る。

 ふすまの内側には、畳敷きの静かな空間が広がっていた。

 壁際には文机がひとつと、折りたたまれた布の座布団が重ねられている。

 棚には花が一輪だけ――静かに咲いている。

 輝夜は、すっと腰を下ろすと、対面の座布団を指差した。

 

「おかけなさい、リンデン。お茶も用意します。……話は、それからでも構いませんよ」

 

「いえ、大丈夫です……その、あまり、お時間を取らせてしまうのも……」

 

 遠慮がちに言いながら、リンデンは正座で座布団に腰を下ろす。

 背筋はきちんと伸び、袋を抱えた両手に力が入っていた。

 その様子を見た輝夜は、ほんのわずかに口元を綻ばせる。

 畳の上にきちんと正座したまま、リンデンは膝の上に置いた紙袋をそっと見下ろす。

 その中には、今日、自分で選んで買った紙たち。これから作ろうとしている、たったひとつの贈り物のための材料。

 

 ほんの少し、息を吸って、リンデンは顔を上げた。

 

「その……輝夜お姉ちゃんに、お願いがあって来ました」

 

「ええ、聞きましょう」

 

 輝夜は姿勢を崩すことなく、まっすぐに答える。

 部屋の空気が、少しだけ張り詰める。

 

「実は……折り紙と、切り絵を、教えてほしくて……。僕――」

 

 その瞬間。

 襖の向こうから、パタパタと妙に軽い足音が迫ってきたかと思うと――

 

「ひゅへへ、 折り紙と切り絵〜? なになにー、相談ごとー? リンデンくんと密室とかアリ寄りのアリではー?」

 

 ばっ!と勢いよく障子が横に滑り、八積楓が笑顔全開で顔を出した。

 長く編まれた三つ編みを揺らしながら、子供のようなテンションで部屋に飛び込んでくる。

 

「ひゅへへ、千紫が誇る工作お姉さん。八積楓、お手伝いに参上仕りました〜っ!」

 

「か、楓お姉ちゃん……っ」

 

 リンデンはわずかに身体を引きつつ、紙袋を抱え直す。

 いきなりの登場に戸惑いを隠せないまま、ちら、と輝夜の方を見やる。

 ――が。

 

「……」

 

 輝夜は動じることもなく、抑揚のない声でひとこと。

 

「楓。襖は静かに開けてください」

 

「ひゅぇ!? ご、ごめんなさいぃ……」

 

 ぺたん、と畳に正座してぴしっと背筋を伸ばす楓。

 しゅんとしたその姿に、リンデンは小さく笑ってしまった。

 正座した楓は、相変わらず三つ編みを揺らしながら、けれど先ほどのふざけた調子は少しだけ控えめにしていた。

 その表情は、どこかくすぐったそうに笑っていて、けれどちゃんと、リンデンの顔を見ていた。

 

「で、で。リンデンくんが作りたいのって、どんなのー?」

 

 声の調子は明るいけれど、その言い方には急かすような響きはなかった。

 むしろ“ゆっくりでいいから教えてごらん?”というような、そんな包み込むような空気があった。

 リンデンは、少し躊躇ったあとで、抱えていた紙袋をそっと膝の上に載せた。

 

「……お姉ちゃんに、プレゼントを、渡したいんです。誕生日の……。でも、既製品じゃなくて、僕の手で何か、形にしたいと思って……」

 

 言いながら、袋の中から折り紙の束と、切り絵用の黒い紙を取り出す。

 どれもリンデンが自分で選んで、自分で買ったものだ。

 色の組み合わせは少しちぐはぐかもしれないけれど、それでも全部に“気持ち”が乗っている。

 

「お花……がいいかなって。たくさんの色の、ダリアの花を……」

 

 その言葉を聞いて、楓はふっと優しく笑った。

 普段のテンションの高さは、どこかへ引っ込んで、そこにいたのは“頼れる姉”そのものだった。

 

「そっかそっかー……うん、それなら、まっかせて!」

 

 ぱん、と両手を合わせると、楓はふわっと立ち上がる。

 その笑顔はまるで太陽みたいで、さっきまでの緊張が、すぅっと和らいでいく。

 

「ウチねー、見た目これでも工作得意なんよ? 花の折り方も、切り絵の重ね方も、なんなら“映えるやつ”の配置バランスとかも全部教えてあげるしー?」

 

「……ありがとうございます、楓お姉ちゃん」

 

 自然と漏れたリンデンの声は、先ほどまでよりもずっと素直で、柔らかだった。

 

 

 部屋の中央に、折り紙と切り絵用の紙が丁寧に並べられた。

 楓は畳にぺたりと座り込み、袖をまくりながら器用な指先で紙を手に取る。

 

「じゃあ、まずは基本の折り方から行こっかー」

 

 そう言って見せてくれたのは、五角形の花弁を折って重ねる“ダリア”の基本形だった。

 柔らかいピンクの紙が、楓の指の中でくるくると形を変えていく。

 

「花びらを重ねていくとね、こんなふうに……ほら、ちょっとずつ咲いていくんだよー?」

 

 にっこり笑いながら、楓は一枚のダリアをリンデンの前にそっと置いた。

 指先で触れてみたそれは、思っていたよりも繊細で、少しの力加減で壊れてしまいそうだった。

 

「……すごい。きれいです」

 

「でしょー? でもこれ、慣れたらリンデンくんにも絶対できるし。ちょっと根気はいるけど、気持ちが乗ると意外と集中できるからねー」

 

 楓の口調はいつも通り軽やかだったけれど、その目は真剣で、手元から一瞬も目を離さない。

 何枚もの紙が咲き始める横で、リンデンも一緒に、ぎこちなく折り始めた。

 

 ――最初の一枚。失敗。

 二枚目。少しだけ花びらが揃う。

 三枚目。楓に助けてもらいながら、ようやくひとつの花が形になる。

 

「……できました」

 

「うんうん、ばっちり! ひゅへへ――ほらねー、才能あるじゃーん?」

 

 楓が笑うと、リンデンも自然と口元がゆるんだ。

 その様子を、部屋の隅で見守っていた輝夜は、静かに湯を沸かしながら、そっと言葉を添える。

 

「……丁寧ですね、リンデン。手先から、気持ちがよく伝わってきます」

 

 その言葉に、リンデンは恥ずかしそうに、けれど少しだけ誇らしげに頷いた。

 

 

 花びらを一枚、また一枚と折りながら、静かな時間が流れていた。

 手元には、徐々に重なりを増していく折り紙の花たち。

 その中心で、リンデンは黙々と手を動かしていた。

 そんな中、楓がふと、柔らかい声で問いかけた。

 

「ねえ、リンデンくん。どうして、お花にしようって思ったの?」

 

 問いかけは穏やかだった。

 けれど、指先は決して止まらない。折りのリズムに呼吸を合わせるように、自然と続いていく会話。

 リンデンは少しだけ手を止めて、紙を見つめるようにして口を開いた。

 

「……僕が、五歳の時に。しばらくの間、隔離されていた時期があって……その時、トロイお姉ちゃんが、ずっと傍にいてくれました」

 

 語る声は静かだったけれど、言葉の一つひとつに熱が宿っていた。

 

「その時、部屋の中に何も無くて、真っ白で。でも、お姉ちゃんが、折り紙で花を作ってくれて……」

 

 そこまで話して、リンデンはほんの少し笑った。

 

「それが、すごく綺麗で、あったかくて。……だから、僕も、お姉ちゃんに返したくて。迷惑じゃなければ、僕の花で、あの時の……お返しをしたいなって」

 

 言い終えたあと、リンデンはそっと視線を伏せた。

 少し赤くなった頬を隠すように、手元の紙に集中する。

 楓はその横顔をじっと見ていた。

 そして、口元をきゅっと結んだあと――ふわりと、花が開くような笑顔を浮かべた。

 

「……ひゅへへ♥」

 

 その音を聞いて、リンデンは顔を上げる。

 

「……?」

 

「ひゅへへ そーゆーの、でら(ハオ)ー! 甘酸っぱーい! 初恋ー!? ピュアオブピュアー!」

 

 急にテンションが跳ね上がる。

 畳の上で立ち上がりそうな勢いで、手をぶんぶん振り回しながら、楓は笑い始めた。

 

「そっかーそっかー! これは絶対成功させなきゃじゃーん! よし、輝夜ちゃん! 特別任務発動だよーっ」

 

「ふふっ……ええ。心得ています」

 

 すっと差し出されたお茶の湯気の向こうで、輝夜がいつもの淑やかな表情で頷いた。

 ただ、その目元が和らいでいるのを、リンデンは確かに見た気がした。

 

 

 時間が経つのも忘れて、手を動かしていた。

 折り重ねられた花びらはひとつ、またひとつと形を整え、切り絵の縁も少しずつ仕上がっていく。

 

「ここをちょっとだけ角度つけると、奥行き出るよー。ほらね?」

 

「……ほんとだ、すごいです……!」

 

 楓の指導は的確で、教え方も丁寧だった。

 その合間に挟まる「ひゅへへ♥」も、もうリンデンには心地いいリズムになっていた。

 輝夜は必要以上に口を挟まず、黙って見守りながら、時折、紙の角度や切り絵の配置をそっと指先で正してくれる。

 

 そうして――夕刻が近づいた頃。

 

「……できました」

 

 リンデンが息をつきながらそっと机の上に置いたのは、額縁に収められた一輪の大きな切り絵のダリア。

 黒を基調にした紙の中に、鮮やかな赤と深い紫、そして淡い桃色の花びらが重ねられて咲いていた。

 余白には、大小さまざまな折り紙のダリアが丁寧に並び、それぞれが異なる色で咲いている。

 不器用だけれど、どこまでも真っ直ぐで、心がこもった花々だった。

 

「……ほんとに、できた……」

 

 リンデンは、自分の手のひらをじっと見つめた。

 小さなその手が、今日一日で、少しだけ違う何かを掴めた気がした。

 

「ひゅへへ……これもう、天才の域ではー? 世界記録級の“手作りの愛”だよ、これ……!」

 

 楓がオーバーリアクション気味に両手を広げながら、でも本当に嬉しそうに笑った。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 リンデンは、静かに深く頭を下げた。

 その姿を見た輝夜が、柔らかな声で言葉を添える。

 

「心からの贈り物ですね。……きっと、届きますよ、リンデン」

 

「……はい」

 

 しっかりと、頷いた。

 

 その夜。

 リンデンは、紙袋の代わりに新しく用意してもらったラッピングの包みを胸に抱きながら、寝台の上でそっと目を閉じた。

 明日が、少しだけ、楽しみになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 まだ空が薄水色に染まりきらないうちに、リンデンは目を覚ました。

 外からは、遠くで始まりかけた営巣塔のアナウンスが、かすかに音を引きずりながら響いてくる。

 GARDENの朝は、いつも静かで規則正しい――けれど、今日は少しだけ違って感じた。

 

「……よし」

 

 小さく呟いて寝台から降りると、昨日仕上げたプレゼントの包みを確認する。

 破損しないよう、運命が用意してくれた薄手のクッション材が丁寧に巻かれており、折れた花や切り絵が潰れないよう、緩衝材の隙間に包み込まれていた。

 それをそっと抱きかかえ、衣服の前を整える。

 

「……トロイお姉ちゃん、喜んでくれるといいな……」

 

 誰にも聞かれないように、胸の奥で呟く。

 少し早すぎるくらいの時間――でも、それがよかった。

 一番に会って、一番に渡したかった。まだ、誰の言葉も混ざる前に。

 運命の部屋をそっと抜けて、白く霧のような朝の光が揺れる通路を歩いていく。

 建材に霊子が反射しているのか、壁の一部がほのかに蒼く輝き、遠くでは朝の搬送ドローンの羽音が低く響いていた。

 包みをしっかりと胸に抱えて、リンデンは足を進めた。

 誰にも見られていないことを確認しながら、早足になったり、足音を抑えたり。

 何でもない一歩一歩が、今日は少しだけ浮き足立っていた。

 階層をひとつ上がり、騎士寮の通路へと出たときだった。

 

 ――角を曲がる、その瞬間。

 

「……あれ?」

 

 反対側の通路から、何かがすべるように迫ってくる気配がした。

 その姿はすぐに確認できた――猫型配膳ロボット《キーティ》。

 白くて細長い車体、耳のようなディスプレイライトがぴこぴこと揺れている。

 

「えっ――」

 

 予想よりも速い。

 リンデンが反応する前に、キーティは通路の角を抜けてくる。

 リンデンもとっさに身体をひねったが、左腕に引っ掛けていた紙袋が、バランスを崩した勢いで手から離れてしまった。

 

「――っ!」

 

 軽い破裂音のような音を立てて、袋が通路に落ちた。

 その瞬間、機械音とともに滑り込んできたキーティが、速度を緩める間もなく――

 

 “それ”を、轢いた。

 

 トン、ゴリ――ギシ、と嫌な音がした。

 

 視線の先には、紙袋から飛び出したままの、ラッピングされた額縁。

 その上を、キーティの無表情な車輪が容赦なく通過していく。

 

「……あっ……」

 

 リンデンの口から、掠れた声が漏れた。

 数秒遅れて、キーティが「配膳中デスニャ」と機械音声を鳴らしながら停止するが、もう遅かった。

 額縁の角はひしゃげ、フレームが斜めに裂けている。

 中に収めていた切り絵は、スープ染みのように黒ずんだ跡を残して裂け、花弁はめくれ、潰れ、千切れていた。

 リンデンは、呆然と立ち尽くした。

 足元に広がった、色と紙の、音のない崩壊。

 

 ――時間が止まったようだった。

 

 胸の奥に冷たいものが沈んでいく。

 目の前にある光景が、現実だと理解しているのに、どこか身体が追いついていない。

 手足は冷たく、喉は乾いて、口が開いているのに、声は出なかった。

 “それ”を作るために、どれだけの時間がかかったか、どれだけの想いを込めたか――

 今この場にある、壊れたそれは、もうその全部がこぼれ落ちてしまったものに見えた。

 

「…………」

 

 言葉は、ただ空気に溶けて消えていった。

 プレゼントを守るために巻いた緩衝材さえ、ぐしゃりと歪み、フレームの一部が金属疲労を起こしたようにねじれている。

 どこを見ても、もう元には戻らない。

 リンデンの足元には、散った折り紙の花びらがいくつも転がっていた。

 自分が、ひとつずつ折って、重ねて、切って、貼って……あの時、輝夜お姉ちゃんに「丁寧ですね」と言ってもらった――その、全部。

 

 壊れていた。

 

「……っ」

 

 胸の奥から、何かがせり上がってくる。

 悔しさでも、悲しさでもない。名前のない、冷たい穴のようなものが心の中心にぽっかりと開いていく。

 

 ――終わってしまった、と思った。

 

 せっかく、ちゃんと気持ちを込められたのに。

 せっかく、初めて“誰かのために作ったもの”だったのに。

 

「…………」

 

 けれど、その中で――手が、自然と動いた。

 潰れた額縁の横に落ちていた、ちぎれた花びらをそっと拾う。

 折れた切り絵の断片を、ひとつずつ集める。

 紙袋の中をのぞく。中にはまだ、使っていなかった折り紙が数枚、無事なまま残っていた。

 

「……まだ、……使ってない紙が……ある」

 

 かすれた声で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。

 涙は流れない。けれど、胸の奥で何かがきしむように、ずっと鳴っていた。

 ――誰にも助けを呼ばなかった。

 ただ、壊れたものを胸に抱えて、リンデンは引き返した。

 震える脚で、運命の部屋へと。

 

 

 

 運命の部屋は静かだった。

 壁一面の強化ガラスから、朝焼けの光が柔らかく差し込んでいる。

 その光を浴びながら、部屋の中央にあるガラス製のローテーブル。その前に置かれた深い青色のソファに、リンデンはゆっくりと腰を下ろした。

 破損した額縁と、拾い集めた紙片をそっとテーブルの上に置く。

 袋の奥から、まだ使っていなかった予備の用紙と折り紙を引き出す。

 その指先は、まだわずかに震えていた。

 でも、手は止まらなかった。

 作業シートを広げる。

 そこに、残された紙を丁寧に並べる。

 どこか折れたままの呼吸を吐き出しながら、リンデンはもう一度、切り絵の下描きを始めた。

 

 誰もいなかった。

 隣に楓はいない。明るく冗談を交えてくれる声も、

 落ち着いて見守ってくれる輝夜の気配もなかった。

 

 けれど――だからこそ、思い出せた。

 

 「……ここは、少し角度をつけて……」

 

 楓の指先が折って見せてくれた紙の端。

 「重ねすぎると光が透けるから、そこは少し開けておきましょう」と言ってくれた、輝夜の助言。

 全てが、手の中に残っていた。

 昨日まで、ずっと一緒にやってきたように、誰かの手が重なっていた記憶が――今、リンデンの手を導いていた。

 失敗した折り方を、思い出しながら避ける。

 ずれてしまった時の直し方も、覚えている。

 どれだけ静かでも、どれだけ孤独でも、指先はちゃんと進んでいく。

 紙の裏に透ける下描き線が、かすかに震えた。

 それでも、リンデンは顔を上げなかった。

 もう一度作ろう。今度こそ――必ず、届けよう。

 

 額縁は壊れている。でも、台紙は生きている。

 ラッピングはできなくても、思いは隠さなくていい。

 どんなに時間がかかってもいい。今日は、まだ、終わっていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の霧が薄く晴れていく中、学園への道を歩くトロイメライの姿があった。制服のスカートがゆるく揺れ、編み込まれた薄桃の髪が肩越しにふわりと流れる。

 

 その日は彼女の誕生日だった。

 

 学園の廊下には、いつもより少しだけ柔らかい笑顔を浮かべた仲間たちの姿があった。カノン、ソナタ、風雅、ロンド、ブルー……ブレイドラインの面々が、さりげなく、あるいは照れくさそうに、プレゼントを手渡してくれる。トロイは、いつものように気だるげな微笑を浮かべながら、軽い言葉と共にそれを受け取っていった。

 

「ありがとー、みんなまとめて大好きのお花畑ー」

 

 中身はその場で開けない。何が入っているかも問わない。それでも、きっとその全てが“トロイメライという存在”を思って選ばれたものだということは、手にした瞬間から分かっていた。

 午後。学園の授業が終わると、トロイはいつものようにひらひらと制服の裾を揺らして、第六層の市街地にあるとある一角へと足を向けた。

 

 そこにあるのは、「ラーメン処 運命屋」

 赤い暖簾をくぐると、カウンターの向こうには、黒衣に身を包んだ一人の少女が立っていた。フードを下ろしたその顔には、ディスプレイ付きの仮面。そう、店主の久条運命だった。

 

『いらっしゃい。……トロイ、今日だったよね』

 

「あははー、さっすが運命ちゃん。今日はちゃんと、お祝いラーメンあるー?」

 

『もちろん。今日のために、特別仕様の“アレ”を用意してあるから』

 

 そう言って、運命がカウンター越しにそっと差し出した丼は――とても“ラーメン”とは思えない外見をしていた。

 純白の生クリームに包まれた外見。側面にはカラフルなトッピングが円を描き、中央には「Happy Birthday」の文字。

 ︎︎どう見ても――白いバースデーケーキ、そのものだった。

 

「わーお……来た来た、ハッピーバースデーラーメン……」

 

 ︎︎そのままトロイは、なんの疑問も抱かずホールケーキに箸を沈める。すっと箸を持ち上げると、キラキラと煌めく黄金の細麺が姿を現した。

 

「……相変わらず原理が訳分からなくて草ー」

 

 レンゲを手に取り、ひと口。

 

「これでしっかりラーメンしてるの森ー」

 

 もう一口。舌に絡む熱と刺激。

 

「トロイさん好みの激辛で、美味しくて花ー!」

 

 そう言って微笑む彼女の周囲は、祝福の空気に包まれていた。

 けれど――まだ、あの子だけは来ていない。

 そのことに気づいていないふりをしながら、彼女は湯気の向こうで、ほうと一息ついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 控えめなノック音が、夜の部屋に優しく響いた。

 

 すでに日付は変わりかけていて、トロイは騎士寮の一室──自室のベッドに腰掛けたまま、読書灯の明かりで本を読んでいた。

 昼間にみんなからたっぷり祝われて、誕生日ラーメンなる奇天烈な献立も堪能して、楽しい一日が過ぎた後の静かな時間。

 明日からはまた、普通の日常に戻る。そんな夜。

 トロイは小さく首を傾げた。

 

「この時間に誰かなー……」

 

 立ち上がると、ゆっくり扉を開ける。

 そして、そこに立っていた子の姿を見て──ふわりと、目を細めた。

 

「……リンデンちゃん」

 

 廊下の明かりの中にぽつんと佇む彼は、衣服の上に羽織った薄い上着をしっかりと着込みながらも、どこか落ち着かない足取りで立っていた。

 胸元には、何かを隠すようにした紙袋。袋の口はきちんと閉じられていたけれど、ぎこちない手付きでそれを抱えている様子に、トロイはすぐに“何かあったんだなー”と察する。

 目が合うと、リンデンは小さく一礼し、ほんの少しだけ唇を動かした。

 

「……トロイお姉ちゃん、こんばんは。お休みのところ、遅くにごめんなさい……」

 

 声は震えてはいないが、どこか硬い。

 言葉を選ぶような、いや、選ばざるを得なかったような……そんな表情だった。

 トロイはくすりと笑って、ドアを開けながら言った。

 

「いいよー、どうぞ。……お茶もあるし、ちょうど静かだったからねー」

 

「……はい、失礼します」

 

 遠慮がちに部屋へ入ってきた彼は、部屋の隅へ目を向けたり、床に視線を落としたりと忙しく、なかなかトロイの目をまっすぐ見ようとしなかった。

 それでも、膝の上に紙袋を乗せるようにして、やがて意を決したように口を開く。

 

「……あの、今日は……誕生日……その、おめでとうございます」

 

「ありがとー」

 

 言葉だけは明るく返しながらも、トロイの目はじっと、リンデンの表情を見ていた。

 頬がこわばっている。視線が泳いでいる。……でも、手だけは、震えないようにしっかりと紙袋を押さえている。

 

 “たぶん、壊れちゃったんだろうな”

 “たぶん、間に合わなかったんだろうな”

 

 トロイは心の中で、そう呟いた。

 だけど、それでも来てくれた。

 夜になって、遅れて、それでも。

 ──この子は、届けに来てくれた。

 

 優しく微笑むと、トロイは静かに言った。

 

「じゃあ、その袋の中……見せてくれるかなー?」

 

 リンデンの肩が、ぴくんと震えた。

 きっとこの瞬間が、今日という日の中で一番怖かったはずだ。

 だけど彼は、震えを堪えながらそっと袋の口を開き──トロイへと送る、プレゼントを取り出した。

 

 それは、フレームの角が微かに歪み、少しだけ傾いていた額縁だった。

 中に収められていたのは、丹念に切り抜かれた――けれどほんの少しだけ、不格好なダリアの切り絵。

 余白のあちこちには、うっすらと黒い痕があった。細い車輪が踏みつけたような跡。その跡を隠すように、そして空白を埋めるように、周囲には折り紙で織られた数輪のダリアが、まるで縫い留めるように貼りつけられていた。

 ……きっと、ぶつかったのだろう。落として、壊して、それでも諦めなかったのだ。

 渡したい。ただそれだけで。たったそれだけの思いで、きっとこの子は最後まで手を動かし続けた。

 器用とか、不器用とか、そういう話ではない。

 この花たちにどれだけの気持ちが詰まっているか、それがもう、見ているだけで痛いほど伝わってくる。

 トロイは、そっと額縁から視線を外し、黙ってリンデンを見つめた。

 袖をぎゅっと握りしめて、まるで叱られるのを待つ子どものように、目を伏せて立つその姿。

 ――ああ。この子は、どんなに折れかけても。

 いつだって真心を、真心で返してくれるのだ。

 壊れても、傷ついても。決して諦めずに、誰かの心に届くまで。

 

 気づけば、トロイは額縁をそっとテーブルに置いていた。

 そして、ためらいもなく両腕を広げ、リンデンをぎゅっと強く抱きしめる。

 思いもよらない抱擁に、リンデンはびっくりしたように目を見開いて、

 そのまま身体をこわばらせて固まってしまう。

 けれど少しして、おずおずとした仕草で、リンデンもまた、トロイの背に手を回してきた。

 

「ねー、リンデンちゃん」

 

 トロイは、そっと名前を呼ぶ。

 この子が――ちゃんと笑っていられるように。

 真っ直ぐでいられるように。

 その思いをこめて、トロイはいつものように微笑んだ。

 

「トロイさん……嬉しすぎて、どうしたらいいか分からないんだけどー?」

 

 少しだけ、声が震えてしまった。

 でも、今夜くらいは、それも許してほしい――。

 トロイはそう願いながら、リンデンを、もうしばらく離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 夜の静けさに包まれた部屋の中、トロイは携帯端末を耳に当てたまま、窓際の椅子に腰掛けていた。月光が薄桃色の髪を優しく照らし、金のメッシュがほのかに揺れる。その視線の先では、トロイのベッドで眠る小さな少年──リンデンが、かすかに胸を上下させながら、安らかな寝息を立てている。

 

『……そっか、じゃあ今はトロイの部屋にリンデンがいるんだね』

 

 端末越しの運命の声は、いつもの平静を保ちながらも、どこか安心したような、少しだけ緩んだ響きを帯びていた。

 

「うん。リンデンちゃん、今日は一段と頑張ってたから、トロイさんの部屋で休んでもらうつもりー」

 

 目を伏せてそう答えながら、トロイは再び視線をベッドへ向ける。毛布にくるまるようにして眠るリンデンの顔は、まるで無垢な幼子のように穏やかだった。昼間のあの必死さも、泣きそうになって折り紙を抱えていた様子も、まるで夢のように遠く感じる。

 

 運命の声が再び、そっと鼓膜を撫でた。

 

『そっか……じゃあ、リンデンをよろしくね』

 

 そのまま通話が終わりそうになった瞬間、トロイは少しだけ身を乗り出すようにして、声を重ねた。

 

「ねえ、運命ちゃん。運命ちゃんの部屋のゴミ箱の中に……破れてたり、汚れてたりする折り紙ってないかなー?」

 

 一拍の沈黙が流れたのち、端末越しに紙を漁る音がかすかに聞こえてくる。トロイはその音を静かに聞きながら、膝の上で手を重ね、しばらく目を閉じた。

 

『……ちょっと待ってね』

 

 しばらくして、運命の声が戻ってくる。先ほどよりも少しだけ優しい、そして何かを察したような声だった。

 

『うん、あるよ。汚れたり破れたりしてる、折り紙の花。小さな白い袋にまとめて捨ててあった。』

 

「それ、取っておいてくれないかなー?」

 

 言葉にするだけで、胸の奥が少しだけきゅうっと締め付けられた。あの子があの小さな手で、誰にも見つからないように包み、隠すようにして捨てたもの。けれど、それは、あの子の今日一日の全部だった。

 

「……全部、トロイさんの大事なやつだからさー」

 

 運命の返事は、時間を置かずに届いた。短く、でも深い思いがこもっていた。

 

『わかった、じゃあ私の所で保管しておくね。綺麗な箱にでも入れておくよ』

 

「うん、運命ちゃんありがとー……ほんとに」

 

 小さく、息の混じるような声で礼を言うと、通話が静かに切れた。部屋は再び、月の光と静寂だけが満ちる。

 ベッドの上、静かに重ねたトロイの手を、無意識に握ったリンデンは、まだ夢の中にいる。

 眠るリンデンに握られた手を、トロイはそっと、包み込むように握り返した。

 すると、まるでそれに応えるように――眠ったままの彼が、ほんの少しだけ強く、トロイの手を握り返してきた。

 

 ほんの少しだけ、強く。

 

 それが、どうしようもなく愛しくて、可愛くて。

 ふふっと、トロイは小さく笑った。息を吐くような笑みの音は、どこか安堵の色も滲んでいて、今だけは誰にも見せない穏やかなものだった。

 

 そのまま、静かに彼を見つめる。

 頬に残る涙の痕。小さな寝息。指先の震え。

 全部が、彼が今日という一日を、どれほど真っ直ぐに生きてきたかの証だった。

 

「あ、そうだ」

 

 ふと、思いついたように口を開く。

 声のトーンはいつもよりも少しだけ高くて、どこか企んでいるような、けれどどこまでも優しい響き。

 

 そっとベッドに片膝を乗せ、眠る彼のすぐ傍まで身体を寄せる。

 右手の指先が、ゆっくりと伸びていく。彼の頬へ、恐る恐る触れるように――けれど迷いはなく。

 

「今日一日、いっぱい頑張ったリンデンちゃんに……」

 

 囁くように、けれどしっかりと聞こえるように。

 指先が彼の頬をなぞる。円を描くように、ゆっくりと、そっと――まるで肌の上に、見えない花を咲かせるみたいに。

 

「……トロイさんが、ご褒美の花丸をあげよー」

 

 その言葉とともに、彼の頬に描かれるのは、一輪の「はなまる」。

 指先の温もりで咲いたそれは、どんな言葉よりも、彼の心に優しく触れるはずだった。

 

 

 ――それは、いつか彼が大人になってしまった後。

 もう誰にも欲しいとすら言えなくなってしまった「承認」と「愛情」の証。

 子供の頃に心の奥に隠してしまった、小さな願い。

 それを、今この夜、トロイはようやく彼に与えた。

 

「おはなー♪」

 

 ひとつぶやき、笑う声。

 それは、彼にとっての祝福であり、赦しであり――ささやかな、贈り物だった。







誕生日記念で書いたけど、タイトルとは名ばかりで最後にしかトロイさん出せへんかった……。

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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