みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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ソロガーデナーと告白.3

 

 

 試着室の扉が、静かに開いた。

 

 一番手に選ばれたのは、《NOCT.》の提案する“静寂の黒”。

 深く沈むような漆黒のロングジャケットに、立体裁断で構成されたレイヤードシャツ、そして緩やかに絞られたクロップドパンツ。

 光を吸い込むマット素材が、リンデンの透けるような白い肌をより鮮やかに浮かび上がらせていた。

 三つ編みは後ろに流すのではなく、前に一筋垂らすことで“夜に溶け残った孤影”を演出する。

 その佇まいに、思わずエイトが口笛を吹いた。

 

「……これは、殺れるな。武器だわ」

 

「彼が着ることで完成する、と思っています」

 

 担当スタイリストのシルヴィが、静かに言い切った。

 

 

 二着目は、《Éclettico》が選んだ“祝祭の偏光”。

 片袖のみが構造化されたショルダーアーマー風のパステルジャケットに、メタリックピンクのプリーツパンツ。

 左右で色調を変えたアシンメトリーなインナーは、視覚を惑わせる計算されたレイヤード。

 

「違和感は魔法。脳が処理しきれない美しさこそが、“存在”の再定義を生むんですよ」

 

 リンデンは試着室の鏡の前で、そっとジャケットの裾に触れた。

 布地がさらりと流れ、その音にさえ視線が集まる。

 

「似合う……けれど、これは私……なのでしょうか?」

 

 どこか戸惑うようなその呟きを、スタイリストのジーニャは満足げに見つめていた。

 

 

 三着目は、《Himmelblau》の“透明の余白”。

 限りなく白に近いアイボリーのオーバーシャツに、風を孕むリネンパンツ。

 袖口や裾には縫い目が見えないよう丁寧に処理され、全体はあくまで空気のように軽い。

 

「人は、“何もない”と思ったときに本質を見つめるんです。これは、在ることを際立たせる服」

 

 リンデンは首を傾げた。

 

「何も……していないようで、着ている。包まれているようで、自由……」

 

 彼の言葉に、スタイリストのロイスは小さく目を細めた。

 

 

 

 四着目は、《V.A.C.》の“行軍する意思”。

 マットグレーのミリタリーテイストジャケットに、ライン入りのモードパンツ。

 クロスボディの小型ギアバッグ、ベルトの先にはナノラベル付きのIDタグが揺れていた。

 

「着飾るための服じゃない。これは、歩くための装甲だ。

 “通した意志”がある奴だけが、服に勝つ。こいつは、それができる」

 

 ベアはそう言い、満足げに腕を組む。

 リンデンは姿勢を正し、何も言わずに一歩だけ鏡の前へ出た。

 まるで誰かに敬礼でもするような、その立ち姿は異様な説得力を放っていた。

 

 

 

 そして五着目。

 《seraphic:tone》が提案する、“夢に触れる透明”。

 淡いサクラ色と銀のグラデーションで仕立てたドレープカーディガンに、光の加減で浮遊感を持つシフォンシャツ。

 ボトムはラップ型のフレアスカートと、同系色の細身パンツを重ねたレイヤースタイル。

 

「この服に負けない瞳をしてるから、成立するコーデです」

 

 そう語ったアムリタは、リンデンが試着室から出てきた瞬間、何も言わずに微笑んだ。

 その姿は、どこか「完成」していた。

 誰もが息を呑み、言葉を失った。

 やがて、リンデンがぽつりと呟いた。

 

「……なんだか、夢の中の自分のようです」

 

 

 

 

 

 

「……いや、さっきのミリタリーのヤツじゃね?あれだと“意思”が見える」

 

「でも見た目のインパクトで言ったら、Écletticoの奇抜系が一番“話題にはなる”よねー」

 

 エイトとオーバーフローは、服の写真が並ぶタブレットを覗き込みながら、やや低い声で議論を交わしていた。

 売り場の端、少し静かな空間。そこに今、5着分の候補が並び、それぞれがどれだけ“映えたか”という話で意見が交錯していた。

 

 その中心、少し離れたソファ席に座っていたのは、リンデンだった。

 静かに視線を落とし、掌に残る布地の感触を思い出すように、そっと指先を動かしていた。

 

 ――どれも、美しい服だった。

 それぞれが違って、それぞれが「新しい自分」を見せてくれた。

 けれど、あの人の隣に立った時、それが「正解」かどうかは、まだ分からない。

 

「……私が“選ぶ”のではなく、“選ばれて”いるようで……どこか、違うのではと」

 

 低く漏れた声は誰にも届かない。

 リンデンの中にある微かな違和感は、今も答えを得られず、胸の奥で静かに渦を巻いていた。

 

 そのときだった。

 入口から、ゆっくりとした足音と、わずかなハンカチの擦れる音が近づいてくる。

 顔を上げたオーバーフローが、目を瞬いた。

 

 「……あれ、遅れてきた新手……?」

 

 入ってきたのは、小柄でふくよかな初老の紳士だった。

 小太りの体型に、上品なベストと柔らかなネクタイ。滲む汗をハンカチで丁寧に拭きながら、柔らかい笑みをたたえてこちらへと向かってくる。

 その隣には、スーツ姿の理知的な女性。冷静な眼差しの奥には、どこか観察者めいた鋭さが光っていた。

 

「これはこれは、大変遅れてしまい申し訳ありません……」

 

 深く頭を下げたその男が、胸元の名札を指でなぞる。そこには、小さなブランドロゴと──《Lythrum▶︎ArT◀codE》の文字。

 聞いたことのないブランド名に、エイトが小さく眉を上げた。

 オーバーフローも「どこかで聞いたような……」と首を傾げる。

 

「ああ、はい、我々のブランドはご存知ない方も多いと思います。ニッチでしてね」

 

 そう笑った紳士は、後ろ手から小さなガーメントバッグを差し出した。

 

「ただ、“中性的な身体にしか通用しない服”という極めて限られた一点突破で、細々とやっております」

 

 理知的な女性が淡々と補足を入れる。

 

「……流行には乗りません。売れることもあまりありません。しかし、今この場に合うのは――間違いなく、うちの一着です」

 

 その言葉に、リンデンはほんの少し、目を見開いた。

 そっと手渡された衣服は、指先に触れた瞬間から“異質”だった。

 光を吸い込むわけでも、反射するわけでもないその布は、存在の輪郭を曖昧にしようとでもしているかのようだった。

 指でつまもうとしたが、あまりに軽く、柔らかく、そして静かだった。

 持ち上げるというより、すくい上げるという感覚に近かった。

 リンデンは思わず、その場に立ち尽くした。

 普段の外套やダイブギアスーツとはあまりにもかけ離れた、“装束”としか言いようのない衣服に、明らかな戸惑いを隠せなかった。

 

「……こちらへどうぞ。試着スペースを整えてあります」

 

 理知的な女性スタイリストが、穏やかな声で促す。

 リンデンは一礼すると、抱えるように衣服を胸に寄せて、奥の試着室へと歩き出した。

 

 ――扉が閉まると、外の空気が遠くなる。

 小さな空間の中、リンデンはゆっくりと服を広げた。

 淡い灰紫と霧色の重なり。触れるたびに滑り落ちるような質感。

 

「これが……私に、似合うのでしょうか」

 

 ひとりごちた声は、壁にすら届かず吸い込まれていく。

 脱ぎかけた上衣を一旦手に持ったまま、ふと足元のブーツに目を落とす。

 踝を覆う構造は、一見無骨にも見えるが、その表面に刻まれたわずかな花弁模様が、静かに「これは装備ではない」と語りかけてくるようだった。

 

 ――自分に、これを着る資格があるのか。

 その問いを呑み込むように、リンデンは静かに着替えを始めた。

 襟のないトップス。締め付けのないパンツ構造。

 見た目以上に“何もしていない”ようなその衣服は、それでも不思議なことに、身体のラインに確かに沿っていた。

 装飾はない。だが鏡に映った姿は、どこか“浮いていた”。

 否――浮いているのではなく、地に足が着いていないように見えたのだ。

 袖を整え、ブーツを履き、最後に耳元へガラスピアスを軽く押し込む。

 何かを“纏った”という感覚が、どこにもなかった。

 ただ、「在るべき姿に戻った」ような、不思議な感覚が、身体の芯に流れ込んできた。

 ゆっくりと、扉の取っ手に手をかける。

 呼吸は浅く、鼓動は静かに、確かに。

 ――そして、試着室の扉が、再び、開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ふわり、と音もなくカーテンが開いた。

 柔らかな空調の風が布を揺らすのと同時に、そこから一人の少女が、ぎこちなく現れた。

 

 ゆっくりと、恐る恐る。

 足元をそっと運ぶようにして試着室の外に姿を現したブルーは、顔を真っ赤に染め、両手でスカートの裾をぎゅっと掴んでいた。

 

「ねえ……ほんとに、これ着ていくの……?」

 

 その声は今にも泣き出しそうに小さく、けれど確かに聞こえてきた。

 ブルーが身に纏っていたのは、白に近い薄い藤色の、ふんわりと広がるワンピース。

 胸元には同色のリボンが結ばれており、袖はゆるやかなパフスリーブ。

 ふわりとしたシルエットが彼女の柔らかな輪郭を浮かび上がらせ、長い蒼髪と金のメッシュ、そして澄んだ瞳のコントラストが、その存在をまるで“絵画”のように切り取っていた。

 が、当の本人はその美しさに気付く様子もなく、ただ恥ずかしそうに足元を見つめていた。

 

「うんうん、しっかり似合ってて花ー。ブルーちゃん、ちゃんとしてればすごい可愛いのにねー?」

 

 トロイが手を顎に当てて満足げに頷くと、くるりと彼女の周囲を一周しながら品定めするように視線を走らせた。

 軽やかな足取りで周囲を回る様子は、まるでブルーを中心に踊る花の妖精のようだった。

 その言葉に、近くで控えていたカノンも、静かに深く頷く。

 

「すごく……いいと思うよ。ブルーに似合ってる」

 

 

「やはり素材が良いですからねぇ! ロンドさんも選び甲斐があるってものですよ!」

 

 ひときわ高らかに、ロンドが誇らしげに胸を張った。

 まるで“この美少女は私が育てました”とでも言いたげに腕を組み、完全に自分の手柄のような顔をしていた。

 その横では、モノがタブレット端末を片手に、目にも止まらぬ速さでデータを操作している。

 

「最低でも五ジャンル。各三パターン。試着数は合計十五着が目標」

 

 まるでスケジュール管理AIのような口調でそう言い放つと、手元から服を一着取り出し、無言でブルーに差し出した。

 

「つぎ、これ」

 

 受け取ったブルーは、じっとその服を見つめた。

 素材は軽く、触れた指先が吸い込まれるような柔らかさ。けれど――

 

「なんで、黒が……一つもないの……?」

 

 ぽしょぽしょと呟く声は誰にも届かず、服を胸に抱えたまま、再び彼女は試着室の中へと姿を消していった。

 そしてまた、ふわりとカーテンが閉じる。

 

 

 試着室の静けさは、外の喧騒から切り離された別世界のようだった。

 わずかに響く空調の音と、自身の鼓動だけが、耳の奥に小さく鳴っている。

 ブルーは、そっとワンピースの袖を滑らせながら脱ぎ、服を畳んでからフックに掛ける。

 その動作も、どこかぎこちない。慣れない布地の感触が、肌にまだ残っていて、心までふわついたまま戻ってこない。

 

 気がつくと、視線は正面の姿見に吸い寄せられていた。

 そこに映っていたのは、下着姿の自分。

 裸というほどでもなく、守られているわけでもない――半端にあらわになった自分の姿だった。

 その姿に、ブルーはしばらく目を逸らせなかった。

 

「……なんか、ちがう……」

 

 小さく呟いた声は、室内の静けさに吸い込まれていった。

 蒼の髪は腰下まで流れ落ち、肌は白く、どこか儚げに見える。けれど――

 鏡越しに見える自分は、どうしても「特別」には思えなかった。

 身長は高くないし、スタイルだっていたって普通。

 胸も、よく言えば“多少はある”くらいで――

 あの子の隣で釣り合うような“華やかさ”が、自分には足りない気がしていた。

 周りがどれだけ「似合ってる」「可愛い」と言ってくれても、

 それは“お世辞”なんじゃないか、とさえ思ってしまう。

 

 『彼の隣で、私は――本当に、笑えるのかな?』

 

 心の奥で、その問いが何度も渦を巻く。

 それは答えのない疑問であり、けれど確かに彼女の歩みを鈍らせる“重み”だった。

 

 視線を落とすと、次に渡された試着服が、両手に抱えられていた。

 軽く、温かい。

 さっきの服よりも、色も形ももっと明るく、もっと“可愛い”服だった。

 ふと、彼の顔が浮かんだ。

 真っ直ぐで、優しい目をしたあの子の横顔。

 「似合っていますよ」って、あの声で言ってくれる姿が、ほんの少しだけ――頭の中に描けた気がした。

 ブルーは、震える腕でその服を抱きしめる。

 胸元でぎゅっと、潰してしまいそうなくらい強く。

 

「……がんばら、なきゃ」

 

 息を吸って、鏡を真正面から見つめた。

 蒼の瞳が、わずかに揺れて、そして静かに決意を宿す。

 これを着て、鏡の中の“自分じゃない自分”を超えたい。

 そう思った。

 

 ――その答えが見えるのは、あと二日後。

 その時まで、ブルーの鼓動はひとときも落ち着くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 デート前日の夜。

 GARDEN第六層、騎士寮のエントランスにある共有スペースは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 その一角で、ブルーはひとり、ローテーブルを前に真剣な表情を浮かべていた。

 広げられた数枚のペーパーには、カフェ「D&D」の人気カスタムメニューがびっしりと書き込まれている。

 隣にはイベントマップと、巡る順番のフローチャート。モノ特製、余白ゼロの攻略資料だった。

 

「カフェ・モカ・ジェラート・ツイン……なんとか……バニラ……ん……?」

 

 眉を八の字にして口を動かすブルーの声は、頼りなくかすれていた。

 

「ホワイト・オレ・トリプル・スチーム・ショット・……エクストラ……フォーム……うぅぅ……」

 

 たどたどしく音読を続けていたが、やがて限界を迎えたように、ブルーはぐったりとソファの背にもたれた。

 力が抜けきった腕が、紙の角をふわりと落とす。読みかけだったはずのページが、ひらりと床に舞い落ちた。

 目の奥がじんわりと重い。

 今日だけで何度ページをめくって、何度、書かれた言葉と格闘したのか分からなかった。

 文字はちゃんと読めているはずなのに、頭の中で意味が繋がらない。声に出して読んでも、どこかの行でつまづいて、また最初に戻ってしまう。

 メニューの名前。イベントの流れ。

 「これだけ覚えれば大丈夫」と言われた情報が、どれもこれも自分の中で定着していない気がして、焦りばかりが募っていく。

 

「こんなので、大丈夫なのかな……」

 

 思わず漏れた言葉は、ふにゃりと力のないものだった。

 反響するほど静かなエントランスで、それがやけに大きく聞こえた気がして、ひとりで顔を伏せた。

 

 昼間にエリスから受けた歩き方レッスンのことを思い出す。

 

「右足と左足の間に、一本まっすぐ棒が通ってるって思って歩くんですのよ」

 

 そう言われて必死に練習したけど、姿勢が固すぎてロボットみたいになってしまって、ゼロには「可愛いらしいな」と微笑まれた。

 可愛いって、そういう意味だったのかな。

 

 髪の整え方、肌の手入れ、所作や姿勢の気遣い――

 ロンドやトロイから教わったことも、きっとどれも“正しい”のに、全部自分には似合ってない気がしてしまう。

 モノが作ってくれた完璧な行程表すら、文字数を見ただけで心が逃げ出しそうになる。

 

「……っ」

 

 小さく息を吸って、天井を見上げた。

 光が落ちてくる真下で、ブルーの肩がそっと沈む。

 ふう、とため息をついた。

 風に乗って流れていったその吐息は、なんだか、自分の弱さそのものみたいだった。

 そして、心のどこかで浮かびかけた言葉が、すとんと胸に降りてきた。

 ――やっぱり、私なんかじゃ。

 

 その瞬間だった。

 

 

「くっくっく! あーーーっはっはっはっ!!」

 

「ほわぁっ!?」

 

 突如背後から響いた高笑いに、ブルーは反射的に飛び上がり、座っていたソファごと派手に転倒した。

 

「わっ、わっ……ごめんブルーさん、大丈夫……!?」

 

 ひっくり返ったソファの向こうで、手をバタバタさせて駆け寄ってきたのは――。

 第四騎士団(第六起源魔術教会)のKNIGHT、久理だった。

 目をぱちくりと瞬かせながら、逆さまの視界に飛び込んできたその姿に、ブルーは口をぽかんと開けたまま、固まっていた。

 

 視界が上下左右に揺れたまま、ブルーはひっくり返ったソファのクッションにもたれた姿勢で、ぼんやりと瞬きを繰り返していた。何が起きたのか頭が追いついていない。頬にはほのかに冷たい空気が触れていて、転倒の直後だというのに、どこか夢のような現実感のなさがあった。

 やがて、久理の手がそっと差し伸べられた。

 

 「うわ……こっちまで倒れそうだった……ご、ごめんねブルーさん、大丈夫?」

 

 少し息を切らした声とともに、差し伸べられた手を見上げる。そこにいたのは、見慣れた顔――いや、見慣れてはいるが予想していなかった顔だった。

 

「久理さん……?」

 

 呆けたように名前を呼ぶと、久理はにっこりと笑い返し、ぐいっと力強く彼女を引き起こした。

 ふらついたブルーをしっかりと支える腕の力は意外なほどしっかりしていて、なんだかいつもより“大人びて”見えた。

 

「こほん」

 

 久理は突然、咳払い一つ。姿勢をぴんと正すと、腕を勢いよく広げて謎の決めポーズを取った。両足をやや開き、片腕を天へ、もう片腕は心臓の位置にクロスさせるように添えるという、完全に厨二病めいた構えだ。

 

「くっくっく……蒼き咆哮――蒼黒の騎士よ!」

 

 久理の声がやや響く。演劇の舞台よろしく、彼女の背にスポットライトでも当たっているかのようだった。

 

「冥王クウリアンセムが力を貸しに来たぞ!!」

 

 言い切った久理は、腕を下ろし、ふぅと息を吐いた。その直後、まるでさっきの一幕がなかったかのように、いつもの少し抜けたような笑みを浮かべて、ぽそっと付け加える。

 

「――だからね、えっと」

 

 その言葉に、ブルーがぽかんと瞬きを返す。

 

「……一緒に、がんばろ?」

 

 それは、照れ隠しも、誇張もない、ごくまっすぐな声だった。

 いつものように笑っていて、でもその目は真剣で。冥王などと名乗ってはいたけれど、その目に浮かぶのは“仲間”としての誠実な想いだった。

 ブルーは目を見開いたまま、久理の瞳を見つめた。しばらく何かを探るように、じっと見つめ続け――。

 そして、ふっと表情が和らいだ。

 

「……うん、力を貸して! 冥王クウリアンセム!」

 

 ぴしっと胸元に両手を当て、まるで役になりきるように応える。

 思いがけないその返しに、今度は久理のほうが目を丸くした。けれど、すぐに目を細め、満足げに笑った。

 そして、ブルーの胸の奥のどこかで、先ほどまでくすぶっていた“私なんかじゃ……”という小さな不安が、そっと溶けていった。

 

 

 

 夜の帳がすっかり降りた騎士寮のエントランスで、二人は向かい合って座っていた。

 テーブルの上には数枚のペーパーが並び、そこにはカフェのメニューや地図、近隣のイベント情報がびっしりと印刷されている。

 ブルーはその一枚を両手で持ち、目を細めながら懸命に音読を続けていた。

 

「えっと……しろ、ちょこ……ちょ、ちょこらーて・も……か・しょっと……え、えくすとら……ふぉーむ……?」

 

 読み終えた後、顔を上げて久理をちらりと見上げる。

 久理はすかさず首を横に振った。

 

「“ショット”のところ、かまずに言えてた!でも“エクストラフォーム”のイントネーションが違う。あと“モカショット”じゃなくて“モカ+ショット”、別項目ね!」

 

「ぅええ……いっぱいあるぅ……」

 

 思わずブルーが天を仰ぐと、久理は笑って言った。

 

「でも、間違えてもいいんだよ。今のうちに間違っておけば、明日ミスっても怖くないよ?」

 

 その言葉に、ブルーは一瞬ぽかんとした後、小さく微笑んで頷いた。

 そしてまた紙へと目を戻す。

 そのあとは、淡々と――けれど、確かに熱のこもったやり取りが続いた。

 

「この“ミルクスチーム・トリプル”って、どういう意味……?」

 

「スチームミルクが3倍ってこと。でも3倍っていっても泡じゃなくて、温かさと比率の話だから──」

 

「……なるほどぉ……?」

 

「半分分かってたら充分!」

 

 言葉を交わすたびに、ふたりの距離は少しずつ近づいていくようだった。

 時折、笑い声がこぼれ、ペンがカチリと鳴る音や紙をめくる音が静かな空間に柔らかく響いた。

 夜は、どんどん更けていく。

 外の街灯の光も減り、窓ガラスには夜霧が薄くかかりはじめていた。

 それでも、二人はやめなかった。ブルーは弱音を吐かず、久理も根を上げなかった。

 

「もう、あと少し……」

 

 ブルーがそう呟いた時、ページの残りはあと一枚になっていた。

 きっと明日も、不安はある。

 でも、今夜だけは――この積み重ねが、彼女の背中をそっと支えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の光は、まだ少し冷たかった。

 それでも、騎士寮のエントランスには、確かな温かさが満ちていた。

 淡い陽光が差し込む窓辺。磨かれた大理石の床に映る朝靄のような反射が、ほんの少し、世界を柔らかく見せていた。

 その中心に立っていたのは、今日という日を迎えた少女――ブルーだった。

 髪を丁寧に整え、いつもとは違う明るい色味の服を身に纏っている。長い蒼の髪には、細やかに編まれた三つ編みがひと筋。そこには目立たないけれど、仲間たちがそっと添えた小さなリボンが揺れていた。

 その姿を囲むように、仲間たちが集まり、それぞれの想いを、言葉という形で彼女に託していた。

 

「ブルーさん、頑張ってね!」

 

 最初に声を上げたのは、久理だった。

 夜遅くまで一緒に勉強し、何度もくじけそうになるブルーを励まし続けてくれた彼女の声には、昨日よりも少しだけ背筋の伸びた優しさがこもっていた。

 

「デート中も、しっかり自分がどう映っているのか考えることも、忘れないでくださいまし」

 

 ピコンと揺れる狐耳とともに、エリスが静かに助言を添える。

 ぴっと指を立て、口調は真面目そのもの。けれど、視線の奥に浮かんでいたのは、まるで妹を送り出す姉のような、深い温度だった。

 

「Audentes fortuna iuvat.――運命は勇気ある者に味方する、だ」

 

 静かな低音でそう言ったのはゼロだった。

 腕を組み、いつものように鋭さを纏いながら、それでもどこか柔らかく微笑む。

 彼女の目には、ただの「デート」ではない、“決意”を背負った同志の旅立ちが見えていたのだろう。

 

「……良い貿易(ビジネス)をしてくるといい」

 

 そう言ったその語尾にすら、含羞のような期待があった。

 

「が、ががががんばりますっ!」

 

 緊張で肩が固まったまま、それでも精一杯の声でブルーが返した。

 その姿に、小さくくすくすと笑う気配があちこちから漏れる。

 

「ブルーちゃん、まだ緊張が解れてませんよぉ? ここはメイド流・緊張ほぐし術でも掛けておきましょうか?」

 

 ロンドが手をわきわきと動かし、明らかに怪しい手つきで迫ってくる。

 その表情はいつもの悪戯顔。けれど、それもまた、彼女なりの精一杯の応援だった。

 

「もうロンド、そういうのはいいから」

 

 カノンの一声でその動きが止まり、「ちぇー」と残念そうな声を漏らしながらロンドは下がる。

 カノンは、まっすぐにブルーを見つめ、簡潔な言葉だけを口にした。

 

「ブルー、頑張ってね」

 

 たったそれだけ。

 けれど、彼女の声には無駄な飾りも、余計な気遣いもなかった。ただ純粋に、まっすぐに想いだけが届いた。

 ブルーは喉の奥が詰まりそうになりながらも、言葉を返す。

 

「うん……ありがとう、カノン」

 

 そして、彼女は歩き出した。

 寮の自動ドアへと、一歩一歩、踏み出す。

 その扉の前に、最後の見送り役として、トロイが立っていた。

 いつも通りの、どこか飄々とした笑み。

 でもその瞳は、少し潤んでいるようにも見えた。

 

「トロイさん……」

 

 ブルーが小さく名前を呼ぶと、トロイはいつもよりゆっくりと微笑んだ。

 

「うんうん、今日のブルーちゃんはすっごく可愛いよー。

 世界で一番綺麗な魔王様……とか言ってねー」

 

 冗談交じりのようにそう言いながら、彼女の手を優しく取る。

 その手は、すべてを包むような安心の温度だった。

 

「いーい? ちゃんと、あの子の目を見て話すんだよー?

 それと、勢い余って急に告白しないこと!」

 

 ブルーはこくんと小さく頷いた。

 言葉は出なかった。出すには、胸の奥が温かくなりすぎていた。

 その様子を見て、トロイはそっと手を離す。

 

「――行ってらっしゃい、ブルーちゃん」

 

 その言葉は、祝福でもあり、託宣でもあり、門出の鐘でもあった。

 

「うん……! トロイさん、行ってきます!」

 

 自動ドアが静かに開く。

 朝の空気が、ほのかに冷たく肌を撫でた。

 ブルーは、外へ一歩、踏み出した。

 深く息を吸い込み、思いのすべてを抱えて――もう一歩。

 たとえ今日、どこかで転んでしまったとしても。

 言葉に詰まり、歩幅がずれて、慌ててしまっても。

 そそっかしくて、空回りして、失敗ばかりだとしても。

 それでも、今日だけは。

 それもぜんぶ、含めた“自分”を、しっかりと見てほしい。

 

 そう願いながら、ブルーは2歩目を踏み出した。

 その足音は小さく、けれど確かに“前へ進む”という音だった。

 空は澄み切っていて、太陽が遠くから差し始めている。

 彼女の影が、ゆっくりと道の先へと伸びていった。







今度こそ次回デート回です。

次のイベントがトロイさんメインなので情緒が追いつかないので筆が遅れるかもです。

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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