みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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本編開始です。
とてもコテコテなお話やっていきますね。





【S.N.S】編
Smile, Needed, Secret.1


 

 

 指定された時間より、ほんの数分だけ早く扉を押し開けた。

 冷たい電子音とともに自動ドアが開き、薄明かりの室内が現れる。

 リンデンは、習慣のようにまず全体を見渡した。

 壁面に並ぶ投影端末、整然と配置された椅子、机に走る青い光のライン。

 いつも通りのブリーフィングルーム――そう思った刹那。

 彼の足は、不意に止まった。

 視線の先、卓の中央に。

 あり得ないはずの姿が、そこにあった。

 黒を基調とした衣装にフードをまとい、仮面のディスプレイに柔らかな微笑を浮かべる人物。

 十年近く、音沙汰のなかった彼の育ての親。

 ――久条運命。

 空気が急に重くなる。

 全身の血の気が引き、心臓の鼓動が異様に大きく響いた。

 頭で「声をかけろ」と理解しても、喉が動かない。

 

『……久しぶりだね、リンデン』

 

 仮面越しに、優しい声が降りてくる。

 その声音に、リンデンの胸はきつく締め付けられた。

 

「……陛、下」

 

 途切れ途切れに、ようやく絞り出された言葉。

 その声は掠れて、普段の彼らしくもなかった。

 沈黙が降りる。

 互いに言葉を探しながら、視線だけが交錯する。

 十年という空白が、部屋の空気を重く押し広げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ︎︎数日前、交渉用に設けられたセル内で説明を聞き終えたリーインシアは口を開いた。

 

「……運命陛下、何故リンデンくんなんですか」

 

 声を出した瞬間、自分の中に滲む焦りを、リーインシアは隠しきれなかった。

 本来ならば――こうした危険な任務を負うのは、不老不死の騎士である兄姉達の役目のはずだ。

 彼は、すでに十分過ぎるほど戦ってきた。

 二十七になった背に、これ以上どれほどの重荷を背負わせるつもりなのか。

 

 机を挟んで向かい合う久条運命は、静かに目を伏せていた。

 仮面のディスプレイには、変わらぬ柔らかな表情が映っている。だが、その声音は思いのほか真剣で、優しい。

 

『……君がそう言うのは、分かるよ。リーインシア』

 

 呼びかけられた名に、胸の奥がかすかに揺れる。

 だが彼女は唇を噛みしめ、食い下がった。

 

「私が言っているのは当然のことです。彼は……もう充分に傷を負ってきました。

 危険の多い実験任務に投入するなんて、正気の沙汰ではありません」

 

 声が思わず強くなる。

 彼を守りたい気持ちが、言葉の節々から零れていた。

 運命は、しばらく彼女の瞳を見つめたまま沈黙していた。

 そして、そっと吐息を混ぜるように声を落とす。

 

『……だからこそ、だよ』

 

 その声音はやわらかで、真面目な少女のような響きだった。

 強制ではなく、願いを込めるような調子で続けられる。

 

『彼は、ずっと一人で重さを抱えてきた。

 でも――君がそばにいるから、ここまで歩いてこられたんじゃないかな』

 

 リーインシアは胸の奥を突かれるような思いで、目を伏せた。

 自分が支えになれていると、そう言われることが嬉しいはずなのに、素直に頷くことができない。

 それは、彼を危険に差し出すことと同義に思えてしまったから。

 リーインシアは視線を落としたまま、深く息を吸った。

 胸の奥に渦巻くものを抑えようとするが、言葉は抑えきれず、自然と口をついて出る。

 

「……リンデンくんがガーデナーになった理由を、陛下はご存じでしょう」

 

 その声音には淡々とした理知がにじむ。だが、奥底にはどうしようもない憂慮が揺れていた。

 

「彼は……兄姉である騎士の方々と肩を並べたいと、ずっとそう言っていました。

 自分は騎士になれないから、せめてガーデナーとして、その背に追いつきたいと。

 でも――それは叶わぬ夢でした。彼がどれほど努力を重ねても、同じにはなれない」

 

 言いながら、喉が痛んだ。

 認めたくなかった現実を、あらためて言葉にする苦しさ。

 それでも、彼を守るためには言わずにいられなかった。

 

「……また、あの人に叶わない願いを追わせるつもり(歪な夢を開かせるの)ですか」

 

 その一言は、刃のように鋭かった。

 彼女自身が一番恐れていること――運命や騎士団が再び関わることで、リンデンが忘れかけていた願いをもう一度掴もうとして、また傷つくのではないか。

 その懸念が、切実な響きとなって空気を震わせた。

 リーインシアの問いは、鋭く、痛烈だった。

 その響きは確かに運命の胸を突き刺したはずなのに――彼女は微笑を崩さない。

 ただ、仮面の奥に揺れる想いは、ひどく真剣なものだった。

 

『……リーインシア。君の言うことは、正しいよ』

 

 少女のように素直な声音。

 責めを受け止めることを恐れず、真正面から頷く。

 

『あの子は、騎士にはなれない。どれほど願っても、私たちと同じ場所には立てない。

 それでも……あの子は歩き続けた。背中を向けることなく、ただ前へ進み続けたんだ』

 

 静かな言葉のひとつひとつが、部屋に重く落ちていく。

 

『叶わない夢だと分かっていても、それでも追いかけてしまう――それがリンデンという子だよ。

 そして私は、それを“間違っている”なんて言いたくない。だって、その願いがあの子を人にしてきたから』

 

 運命は一拍置いて、優しく言葉を続けた。

 

『リーインシア。君は彼の傍にいて、ずっと支えてきてくれた。

 君がいるから、あの子はまだ折れずにいられるんだよ。

 だから……どうか今回も、信じて託してほしい。君と一緒なら、リンデンは帰ってこられる。そう思うから』

 

 その声は願いであり、祈りだった。

 命令ではなく、ただ心の底からの懇願。

 少女のような優しい響きでありながら、その根には皇帝としての決意が宿っていた。

 リーインシアは、長い沈黙の後に瞼を伏せ、唇を噛んだ。

 反論の言葉はもうなかった。

 ただ、胸の奥で燻る不安は消えない。

 

「……分かりました」

 

 ようやくそう告げた声には、諦めと抵抗の両方が滲んでいた。

 そして、渋々と頷いた後、彼女は小さく吐息をついて続ける。

 

「……でも、一つだけ」

 

 机に置いた手を強く握り締めながら、絞るように言葉を吐き出す。

 

「貴女達が彼を育ててきた親で、兄姉であるのは分かっています……ですが」

 

 一度だけ息を整えて、視線を運命へと突き刺す。

 

「それでも、もうこの一件以降、彼に会わないでください。

 彼を……これ以上、追い詰めないでください」

 

 言葉を吐き切ったリーインシアは、長い沈黙の中でただ運命を見つめていた。

 自分の口から出た一言がどれほど卑怯で、どれほど重い願いか――痛いほど理解していた。

 それでも、そうせずにはいられなかった。

 運命は、すぐには答えなかった。

 仮面に映る微笑みは変わらない。けれど、その奥にある沈黙は、確かに受け止めて考えているものだった。

 反論も否定もなく、ただ静かに、少女のように柔らかな気配のまま、彼女はリーインシアの言葉を胸に落とした。

 やがて。

 ほんのわずかに頷くような仕草を見せ、仮面が再び静かな光を灯す。

 

『……分かったよ』

 

 短く、優しく。

 それ以上は、何も言わなかった。

 その答えにリーインシアは視線を伏せ、握りしめた手をほどいた。

 安堵ではない。諦めでもない。

 ただ、自分の卑怯な願いが確かに届いてしまった、その事実に胸が重くなる。

 セル内を包む静寂は、張り詰めた糸のように痛々しく続いた。

 結論は出たはずなのに、心の奥底に残る澱は、まだ消えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンの低い振動が、船体をわずかに揺らしていた。

 輸送機の狭い客席には二人きり。

 外壁の遮光パネル越しに映る魔界への降下映像が、ぼんやりと薄緑の光を差し込ませている。

 久条運命と、久条リンデン。

 十年ぶりに同じ空間に乗り込んだ二人は、向かい合うわけでもなく、わずかに斜めに並ぶ形で座っていた。

 沈黙が重い。

 互いに言葉を探しながら、それでも口を開くのが遅れる。

 

『……体調は、どう?』

 

 先に声を出したのは運命だった。

 仮面のディスプレイに浮かぶ微笑は柔らかく、何気ない会話の切り口を探すようだった。

 

「問題ありません。……任務に支障は出ないよう、常に整えています」

 

 リンデンの返答は、必要最低限の報告に留まった。

 形式張った口調に、自分でもわずかな違和感を覚える。

 本当はもっと自然に話せるはずの相手だったのに。

 

『そっか……。うん、それなら安心したよ』

 

 運命は一拍おいて、少しだけ身を傾ける。

 けれど、次の言葉が見つからないのか、仮面の奥で沈黙が広がった。

 リンデンもまた、外の光景へと視線を逸らす。

 船体の窓を流れていく雲と、赤黒い大気の影。

 普段なら戦況や地形に意識を向けるはずなのに、今はただ目を泳がせることしかできない。

 

「……陛下は」

 

 ようやく声を絞り出す。

 けれど続きが出てこない。

 十年の空白が、言葉の橋を壊していた。

 

『……私は、変わらないよ。ラーメン屋も、まだやってる』

 

 少しだけ冗談めかした調子。

 けれどリンデンは笑えなかった。

 頭の奥に、まだ幼かった自分が厨房で器を並べていた頃の記憶が鮮やかに蘇る。

 

「……そう、ですか」

 

 返す声は平板で、温度を欠いていた。

 会話が途切れる。

 だが、それでも運命は諦めなかった。

 少しだけ声を柔らかくして、問いを重ねる。

 

『任務は、どう? 辛くはない?』

 

「……慣れました。今更、辛いなどとは」

 

 反射的にそう答えると、自分の声がどこか硬く響いた。

 運命の仮面がわずかに俯く。

 沈黙がまた、船室を包む。

 ただ、互いの存在だけが近くにあって、言葉にならない思いが重なり合う。

 船体を震わせるエンジンの唸りが、二人の間に流れる沈黙をかき消していた。

 その沈黙の中で、どちらからともなく、また言葉を探す。

 

『……今も、夜は眠れてる?』

 

 運命の問いは唐突で、けれど優しさを滲ませたものだった。

 リンデンは一瞬、答えを迷ってから小さく頷く。

 

「……ええ。必要な分は、眠れています」

 

 短い答え。だがそれは、嘘の半分を含んでいた。

 彼の瞳に走る影を、運命はきっと見逃さなかったはずだ。

 けれど責め立てるような言葉はなく、ただ仮面に柔らかな光を残したまま、頷くだけだった。

 

『……そう。なら、よかった』

 

 沈黙。

 それは会話の終わりではなく、また次の糸口を探すための間だった。

 

「……陛下は。十年の間……」

 

 リンデンは、喉の奥で言葉を探し、途切れさせながら続ける。

 

「……その、どうされていたのですか」

 

 問いというより、ただ口にせざるを得なかった一言。

 運命は少しだけ仮面を傾け、ふっと微笑を浮かべた。

 

『私はね……いつも通りだよ。

 任務をして、ラーメン屋もやって。……あ、フィギュアが、少し増えたかな』

 

 少女のように屈託のない声。

 懐かしさを引き寄せようとするような響きだった。

 リンデンは一瞬、幼い頃の自分を思い出す。

 店の奥で器を拭いた手、両手で大きな丼を運んだ記憶。

 その記憶が胸をかすめ、けれど彼は目を伏せて短く返す。

 

「……そう、ですか」

 

 また会話が途切れる。

 それでも、どちらも沈黙を完全には受け入れなかった。

 

『……君は、昔から真面目だから。

 もっと自分を甘やかしてもいいんだよ』

 

「……陛下に言われても、実感が湧きません」

 

 少しだけ苦笑のような色が、リンデンの声に滲んだ。

 運命はそれに気づき、仮面のディスプレイに一瞬だけ安堵の色を浮かべた。

 短い会話。

 途切れては繋がり、繋がっては途切れる。

 手探りのように続くそのやり取りを重ねるうちに、輸送機はゆっくりと下降を始めていた。

 低い着陸警告音が、船内に鳴り響く。

 重力の揺らぎが、二人を現実に引き戻す。

 結局、語りきれない言葉が胸に残されたまま、輸送機は魔界の地に向けて静かに着陸していった。

 

 

 

 

 低い振動とともに輸送機が減速し、船体がわずかに揺れる。

 着陸脚が展開される重い音が響き、機体は魔界の地へと静かに降り立った。

 リンデンは無言で立ち上がる。

 纏っているのは、今回のために用意された新試作型のダイブギアスーツ。

 密閉型の紺のスーツに、フード付きの外套が重ねられ、要所には軽装甲が装着されている。

 防護と機動性の両立を狙ったその姿は、どこか戦場の影に潜む亡霊のようにも見えた。

 

「……」

 

 グローブ越しに腕部の接続ユニットを確認し、胸部の装甲を軽く叩く。

 リーインシアの声が通信に流れた。

 

『スーツ外殻、気密反応正常。呼吸数・体温・神経接続、すべて規定値内……問題ありません』

 

 冷静な報告が、鼓膜ではなく直接脳に届く。

 リンデンは小さく頷き、最後にフードを深くかぶった。

 傍らには、いつもと変わらぬ黒衣装に身を包んだ運命。

 彼女はリンデンを横目に一瞥し、仮面に柔らかな微笑を映した。

 

『……準備が整ったみたいだね。行こうか』

 

「了解しました」

 

 ランプが青に切り替わり、ハッチが開放される。

 外気の冷たさが、機内にまで入り込んでくる。

 魔界特有の瘴霊子を帯びた風が、フードを揺らした。

 リンデンと運命は、並んで輸送機を降り立つ。

 足元に広がるのは、亀裂が走り、緑黒の霧が漂う不毛の大地。

 天を覆う暗雲の下で、すべての音が遠くくぐもり、世界が閉ざされているかのようだった。

 

『ここから試験区域までは、およそ三キロ。進行ルートをマーカーに送ります』

 

 リーインシアの声が、淡々とした響きで二人を導く。

 

『霊子濃度、通常任務領域より高め。念のため耐性強化値を最大値に設定してください。

 ……運命陛下、リンデンくん、お気を付けて』

 

 リンデンは頷き、視界に浮かぶマーカーを確認する。

 歩き出すその背を、隣の運命が静かに追いかける。

 二人の影が、霧に溶けて揺れていった。

 

 

 

 

 リンデンは一歩、また一歩と地に足を置く。

 灰と黒が混じった岩盤はひび割れ、そこから微かに赤い光が滲み出している。

 足元からも霊子の澱みが立ち上り、外套の裾を揺らしていた。

 隣を歩く運命は、変わらぬ黒の衣をまとっている。

 彼女の仮面は静かな光を浮かべていたが、その奥に潜む視線は、時折リンデンへと注がれていた。

 それは監督者としてのものか、それとも――かつて育てた子を見守る親の眼差しか。

 判別はつかない。

 

『……通信、問題なし。音声も安定しています。周辺環境、危険度は想定内。進行を許可します』

 

 リーインシアの声が、脳の内側へと澄んだ響きで届く。

 リンデンは頷き、無言で足を進めた。

 荒涼とした大地を進む二人の影は、澱んだ霊子の霧に溶け込み、ゆらゆらと揺らめいていく。

 その背を、運命はほんの一瞬だけ見つめていた。

 何かを言いかけて、結局言葉にはせず。

 ただ歩みを合わせ、黙って並び続ける。

 

 澱んだ霊子の濃霧を切り分けるように、二人は歩を進めていく。

 リーインシアの声が、脳の奥で澄んだ響きを落とした。

 

『……試験を開始します。リンデンくん、まずは歩行の感覚を確認してください。通常歩行から軽い走行へ』

 

「了解」

 

 リンデンは短く答え、霧に沈む大地を踏みしめる。

 足裏から全身へと重さがじわじわと伝わる。

 本来なら数歩で膝が折れ、意識が霞むほどの澱み――。

 しかしスーツの密閉層が霊子の干渉を遮断し、呼吸も脈も乱れなかった。

 歩調を速める。

 外套が翻り、足音が乾いた岩盤に響く。

 視界の端に走る霧の揺らぎも、内部の遮断膜が乱れを正していた。

 

『数値安定。良好です。次に、跳躍をお願いします。着地時の衝撃も確認します』

 

 リンデンは短く息を整え、地を蹴った。

 澱んだ空気を押し分けるように体が浮き上がる。

 降下と同時に、全身に圧力が叩きつけられた。

 だがスーツは皮膚に重ねられたもう一枚の膜のようにそれを和らげ、体を護った。

 硬い岩盤に着地。

 衝撃が足から背に走ったが、吸収層が痛みを逸らし、姿勢は崩れなかった。

 

『異常なし。……良好です。では次に、霊子干渉の測定に入ります。

 リンデンくん、右手を伸ばして周囲の澱みに触れてください』

 

「了解」

 

 霧に漂う濃密な霊子へと右手を差し出す。

 瞬間、冷たい水に沈むような圧迫感が皮膚を覆い、意識の奥が一瞬だけざらついた。

 だがスーツの隔膜がそれを遮り、頭痛も幻覚も現れない。

 見守る運命は、黙ってその様子を注視していた。

 仮面に浮かぶ光は変わらず穏やかだが、その奥に潜む緊張の色だけが、かすかに伝わっていた。

 

『それでは――量子展開補助試験に移行します。リンデンくん、左腕の接続ユニットからヘイロリウムを展開してください』

 

 リーインシアの声音が、脳の奥に真っ直ぐ響く。

 リンデンは小さく息を整え、左腕を前へと差し出した。

 次の瞬間、接続ユニットに走る青白い光。

 周囲の霊子が揺らぎ、重い空気を切り裂くようにして黒鉄の斧盾が現出する。

 回転リングが低い音を立て、刃がわずかに震えた。

 

『展開速度、従来比およそ二割短縮。補助機能、良好です』

 

 淡々とした報告に頷き、リンデンは次の命令を待つ。

 

『続けて、背部ユニット――ナンナリスを』

 

 彼は肩を落とし、背部接合部に意識を通した。

 硬質な駆動音とともに、後方に二本のアームがせり出し、収束ユニットが花弁のように展開する。

 霊子を吸い込み、微かな光の粒が周囲に散った。

 

『霊子収束、安定。同期率九十二パーセント……問題ありません』

 

 リーインシアの声がさらに冷静に響く。

 リンデンは静かに頷き、視線を正面へ。

 

『最後に、グラフロジカを』

 

 リンデンの前方、宙空に白い紙片のような光が現れ、構造式が組み上がっていく。

 幾何学的な図表と文字列が浮遊し、展開した瞬間に空気が淡く脈動した。

 魔術式の補助端末――グラフロジカが、確かな存在感を示す。

 

『展開完了。すべて良好。……それでは再収納をお願いします』

 

「了解」

 

 指先を軽く鳴らすような仕草で、リンデンは展開した武装群を順次収束させていく。

 光が弾けるように消え、背中の収束ユニットが折り畳まれていく。

 重さも負荷も消え、再び静かな空気が身体を包んだ。

 

『補助機能、完全動作確認……試験第一段階、終了です』

 

 リーインシアの声が小さく和らぐ。

 

『次は、劣悪環境下への侵入テストになります。小休憩後、北東の澱みが濃いエリアへ進行してください』

 

 リンデンは視界に浮かぶタイマーを確認し、近くの岩へと腰を下ろした。

 霊子の澱みが漂う空気の中でも、スーツが隔膜となり呼吸は一定に保たれている。

 外套の裾を整えるように膝へ落とすと、傍らに立っていた運命も、静かに歩み寄って腰を下ろした。

 

『……休める時に休んでおかないとね』

 

 仮面のディスプレイに浮かぶ微笑は、いつも通り柔らかい。

 リンデンは一瞬だけ視線をそらし、短く頷いた。

 

「……はい」

 

 わずかな間を挟んで、また沈黙が落ちる。

 輸送機の中と同じ、言葉を探すような重い沈黙。

 けれど、今は隣に並んで腰を下ろしている分だけ、先ほどよりも距離は近い。

 

『……スーツ、似合ってるよ』

 

 ふいに運命がそう言った。

 からかうような響きではなく、ただ穏やかに、優しく。

 

「……任務のための装備です」

 

 短く返す声は硬い。

 しかし否定の響きの裏で、リンデンは胸の奥にかすかな温度を覚えていた。

 

『そうだね。でも……ちゃんと、君に合ってる』

 

 運命はそれ以上言葉を足さず、仮面を霧の奥へと向けた。

 リンデンもまた、外套の裾を握りながら同じ方向を見据える。

 沈黙の休憩。

 それでも、言葉にできないものが互いの間に確かに流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唸りをあげて回転刃が汎用型ドールを粉々に粉砕したのは、一瞬だった。

 ヘイロリウムの盾面に収められたリングが、凄絶な速度で回転する。

 防御のための盾は、そのまま破砕の兵器へと姿を変え、迫り来るドールの頭部を容易く断ち割った。

 重厚な盾を携えながらも、リンデンの動きに鈍さはない。

 重量を感じさせない低姿勢の機動で踏み込み、外套が霧を裂く。

 次の瞬間、振るわれた盾面がドールの胴を横殴りに叩き潰した。

 砕けた関節が宙に舞い、霊子の火花を散らす。

 

『反応速度、想定以上。ヘイロリウムとの同期安定。……そのまま続行してください!』

 

 リーインシアの声が脳裏で響く。

 リンデンは返事をせず、無言で次の敵へと踏み込む。

 汎用型ドールたちが奴隷のようにぼろ布を翻し、腕を振りかざして襲いかかる。

 掴まれれば引き裂かれるその腕を、リンデンは盾の縁で弾き飛ばした。

 同時に、回転刃が悲鳴のような唸りを上げ、相手の肩口から胸郭を容易く削ぎ落とす。

 重力と澱んだ霊子の圧迫が身体を押し潰そうとする中でも、彼の動きは淀みなく速かった。

 盾を前に突き出すたび、金属音と破砕音が連鎖し、次々にドールの残骸が地へ転がる。

 その後方で、運命は魔剣を手に静かに佇んでいた。

 仮面の微笑は崩さず、限定神域の展開を控えたまま、ただ彼の戦いを注視している。

 護るためではなく――彼がどれほど戦えるかを見届けるために。

 

 澱んだ霊子の霧をかき分け、リンデンは前へ踏み込んだ。

 盾面に収められたリングはさらに加速し、振動を帯びた唸りが周囲を震わせる。

 空気も霊子も構造も関係なく、触れるもの全てを粉砕する凶器。

 立ちはだかる汎用型ドールの首が、盾の一撃で容易く吹き飛んだ。

 回転刃が接触した瞬間、関節の強靱な装甲も意味をなさず、まるで砂のように砕け散っていく。

 

『……破砕反応、問題なし。行動パターン安定。――そのまま種子体へ』

 

 リーインシアの声に従い、リンデンは進む。

 次のドールが腕を振りかざすが、盾の縁を打ち付けると同時に回転刃が上半身を削ぎ落とした。

 粉砕音と共に火花が散り、残骸が霧の中に崩れる。

 数体のドールを危なげなく蹴散らし、遂に目の前にそれは現れた。

 ――魔剣種子体。

 鉱石のような表皮に覆われ、大地へ深く根を下ろした異形の結晶体。

 周囲から霊子を吸い上げるたびに、鈍く脈動するような光を放つ。

 

 リンデンは躊躇わなかった。

 盾を正面に構え、全力で踏み込む。

 唸る回転刃が結晶に接触した瞬間、鋭い音を立てて外殻が削り取られていく。

 硬質な表皮すら振動で分子から崩壊し、裂け目が走った。

 霊子を撒き散らしながら抵抗するかのように光が迸る。

 しかし、次の一撃でその心臓部が粉砕され、種子体は絶叫のような音を立てて崩壊した。

 残された汎用型ドールも、主を失った途端に糸の切れた人形のように膝を折り、構成を崩壊させる。

 澱んだ霊子の霧の中で、ただ盾を構えたリンデンの姿だけが静かに立っていた。

 

『……戦闘終了を確認。損傷なし、稼働数値も正常範囲内。……お見事です、リンデンくん』

 

 リーインシアの声が、安堵を滲ませながら響く。

 リンデンは頷くだけで応え、盾を静かに下ろした。

 

『……これで予定されていた総合試験はすべて完了です。

 残るは――ダイブギアスーツのメモリログの確認のみとなります』

 

 リンデンは深く息を吐き、盾を静かに収束させた。

 首元に触れると、チョーカー型デバイスが微かに光を瞬かせる。

 それは彼の戦闘記録を余すところなく保存していた。

 

『リンデン。……問題はない?』

 

 運命の穏やかな声が、霧の中で柔らかく響く。

 リンデンは仮面に映る微笑を見やり、短く答えた。

 

「……ええ。問題ありません」

 

 リーインシアはオペレーション・セル内で素早く端末を操っているのだろう。

 彼女の声は途切れ、通信越しには作業音だけが微かに聞こえる。

 

 霧の漂う荒野に残された二人は、無人輸送機へと歩みを向けた。

 足音だけが響く中、しばらく沈黙が続く。

 やがてリンデンが、少しだけ息を整えたように口を開いた。

 

「……良い、兵装ですね」

 

 硬さの残る声だったが、魔界に降り立った時よりは、ずっと素直だった。

 運命は一瞬だけ仮面を傾け、光の微笑を揺らす。

 

『……そう思ってくれたなら、よかった』

 

 会話は途切れる。

 けれどその沈黙は、先ほどまでのぎこちなさとは違っていた。

 互いの言葉が、ようやく少しずつ戻ってきている――そんな確かな感触があった。

 

 

 無人輸送機の姿が、霧の向こうにぼんやりと浮かんでいた。

 帰還を告げるその機影に、リンデンは一度深く息をつき、歩みを進める。

 外套の裾がわずかに揺れる。隣を歩く運命の仮面も、安堵を滲ませた光を宿していた。

 

 ――だが。

 

 ふと、足を止める。

 漂う霊子の流れが、いつもと違う。

 濃淡の揺らぎが乱れている。まるで何かが奥底から引き寄せられているかのように、微細な粒子が一定方向へと傾いていた。

 

「……?」

 

 リンデンが周囲に視線を巡らせるのと、ほぼ同じ頃。

 リーインシアの声が、通信越しに鋭さを帯びる。

 

『……周辺の変動値が不規則です。霊子の流れに、強制的な収束反応……?』

 

 言いかけた声が、僅かに揺らぐ。

 データに滲む異常が、ただの環境変化ではないことを告げていた。

 

『リンデンくん、運命陛下――警戒を――』

 

 その忠告が最後まで届くより早く。

 視界の端にあった霊子の壁が、突然、膨張した。

 黒と緑が混じった濁流のようなそれは、一瞬で形を変え、奔流となって迫る。

 遠くにあったはずの霊子の膜が、息を呑む暇すらなく、二人の眼前にまで迫り出ていた。

 空間そのものが押し寄せるかのような圧迫。

 岩盤が悲鳴を上げ、霧が千々に引き裂かれる。

 リンデンは思わず足を踏み込んだ。運命の前へ立つと、ヘイロリウムを展開しやってくるであろう衝撃へ備える。

 視界が歪み、鼓膜の奥で低い共鳴音が鳴り響く。

 外套を引き裂くほどの奔流は、逃げ場を与えず――。

 次の瞬間、すべてが呑み込まれた。

 世界がひっくり返るような圧迫感の中で、リンデンと運命の姿は濁流の奥へと消えていった。

 

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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