みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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Smile, Needed, Secret.2

 

 ――視界が、赤黒く染まっていた。

 

 天を覆うのは、血と煤を混ぜたような空。

 濁流のようにうねる雲が、低く重く垂れ込め、時折稲妻めいた閃光を吐き出す。

 その光が断続的に地表を照らすたび、文明の痕跡ひとつ残されていない荒廃の姿が露わになる。

 地平は裂けていた。

 断崖が幾重にも折り重なり、亀裂が走る大地はまるで世界そのものが引き裂かれたかのようだ。

 そこから吹き上がる風は熱を帯び、霊子の澱みを伴って皮膚を突き刺すように叩きつけてくる。

 足元にあるのは、崩れ落ちた岩と、干からびた灰。

 都市も建物もなく、ただ「かつて何かがあった」気配すら残さない。

 無人どころか、人が存在できたことすら疑わしい、完全なる断絶の地。

 リンデンはヘイロリウムを盾状態で構えたまま、運命の前に立っていた。

 突発的な霊子の奔流から庇い切った後、そのまま仮面へ振り返る。

 

「……ご無事ですか、陛下」

 

『……うん、大丈夫。ありがとう、リンデン』

 

 短い応答に、赤黒い風が割り込む。

 互いに息を整えながらも、周囲を警戒する視線は緩まなかった。

 

「……神域の内部で、このような急拡張が起きるなど……」

 

『普通なら、有り得ないことだよ。

 何かが、この地を意図的に“作り替えている”』

 

 声を交わしながらも、二人は霧に裂かれた荒野を見据えていた。

 閉じ込められたという事実が、じわじわと胸の奥を締め付けていく。

 赤黒い空の下、断崖と亀裂の荒野を二人は歩き出した。

 外套を揺らす熱風は、途切れることなく霊子のざわめきを含んでいる。

 周囲には文明の痕跡どころか、生命の気配すらない。

 ただ無限に続くかのような荒廃が広がるばかりだった。

 

「……どうやって抜けるか、考えねばなりません」

 

 リンデンの低い声に、隣を歩く運命は仮面を傾ける。

 

『……方法は、二つかな』

 

 少女のような柔らかな声音に、しかし確かな緊張が混じる。

 

『ひとつは、この神域の端部まで歩き続けて、そこで限定神域を展開して強引に脱出する方法』

『もうひとつは――原因を探し出すこと。この神域を生み出している魔剣、あるいは魔剣使いを討伐する』

 

 リンデンは無言で頷き、赤黒い空を仰いだ。

 遥か先の地平は霞み、終わりがあるのかも見えない。

 

「……規模が大きすぎます。二人だけで端部まで到達するのは、困難でしょう」

 

 足を進めながら視線を巡らせる。

 亀裂の底からは霊子の濁流が吹き上がり、耳鳴りのような低い唸りが続いていた。

 

『でも、魔剣と使い手を探すのも同じくらい困難だよ。

 この広さの中で、痕跡を辿れる保証はない』

 

 運命の声は柔らかいが、仮面の奥に宿る光は真剣そのものだった。

 

「……どちらを選んでも、道は険しい。けれど――止まるわけにはいきませんね」

 

 リンデンの言葉に、運命は小さく頷く。

 その仮面の微笑は変わらない。だが足取りは、先ほどよりもわずかに力強かった。

 

 

 赤黒い空の下、断崖と亀裂が幾重にも続く荒野を二人は進み続けていた。

 歩を進めるごとに、空気は濃く、霊子のざわめきは耳鳴りのように重さを増していく。

 だが、変化のない荒廃が続く中で――ふと、リンデンが足を止めた。

 

「……陛下、こちらを」

 

 彼の視線の先にあったのは、大地に刻まれた深い裂け目だった。

 ただの自然現象ではない。斜めに抉られた痕は、鋭い刃によって穿たれたものにしか見えなかった。

 周囲を見渡せば、砕けた岩の破片が散乱している。

 そこには霊子がまだ澱んでおらず、どこか新しさを残していた。

 運命は仮面を傾け、崩れた岩片へと手を伸ばす。

 指先に残る熱を確かめるように一拍置き、静かに言葉を落とした。

 

『……これは、戦闘の痕跡だね。しかも――そこまで古くない』

 

 リンデンは頷き、周囲の地形を目で追った。

 裂け目は一方向へと走り、まるで戦いながら移動したかのように続いている。

 

「……魔剣の斬撃。間違いありません」

 

 赤黒い空の下で、互いの呼吸がわずかに荒くなる。

 確かにここには、魔剣使いが存在している。

 そして――この神域を歪めた原因の一端が、まだすぐ近くにある。

 裂け目を辿りながら、二人は足を進めていく。

 だが歩を重ねるごとに、胸の奥にじわりと広がる感覚があった。

 ――まるで、誰かに導かれている。

 いや、それ以上に、意図的に「誘い込まれている」ような気配だった。

 足元に転がる岩片は、新しい傷跡を示している。

 そして道半ばで、リンデンはふと立ち止まった。

 

「……これは」

 

 赤黒い霧の中、崩れた岩陰に散らばっていたのは、汎用型ドールの残骸だった。

 球体関節は無残に砕かれ、顔に空いた穴の奥は黒ずんで焼け焦げている。

 本来ならば戦闘後、霊子に還り消滅するはずのそれが、ここには残されていた。

 運命が静かに歩み寄り、残骸に視線を落とす。

 仮面に映る光が、かすかに揺れる。

 

『……誰かが、このドールを無理やり“切り離した”。

 魔剣使い……それに、未知の何かが戦っていた形跡だね』

 

 リンデンは顎を引き、盾の感触を確かめるように左腕を固める。

 外套を揺らす赤黒い風が、耳鳴りのように響いていた。

 

『……嫌な予感がする』

 

 運命がぽつりと呟く。

 その声音はいつもの柔らかさを保ちながらも、微かに沈んでいた。

 リンデンは短く頷き、少しだけ歩幅を狭める。

 全身をわずかに緊張させ、霧の向こうへ視線を凝らす。

 

 ――そして、その予感が形を成した。

 

 進んだ先の霧が、不自然に揺らいでいた。

 気配。

 冷たいものが皮膚を刺すように、確かに「何か」の存在がそこにあった。

 霧の奥で、赤黒い光がひときわ強く瞬く。

 二人は同時に立ち止まり、その方角を見据えた。

 

 

 ︎︎赤黒い霧がざわめき、空間を切り裂くように揺れた。まるで誰かが幕を押し広げるように、その濃霧の奥から影が歩み出てくる。

 

「――なんだよ、こっちから行くつもりだったのに……もう来たのかよ」

 

 低く響いた声は、ぶっきらぼうで硬質な響きを持ちながらも、どこか確信に満ちていた。

 姿を現したのは一人の少女だった。

 

 肩口でばらばらに切り揃えられた黒緑の髪が霧に濡れ、光を受けて艶めく。

 左右非対称の黒のジャケットは片側が長く垂れ、もう片側は短く切り落とされており、腰にかけて巻かれた結晶のベルトが妖しく光を放つ。

 足元のブーツのヒールが硬い岩盤を打ち、乾いた音を響かせるたびに、その立ち姿は異界のモデルのような冷ややかな美しさを際立たせた。

 

 だが、何よりも目を引いたのはその瞳だった。

 鋭く、暗紅に染まった光。

 冷たさと渇望がないまぜになったその眼差しが、赤黒い霧の中で燦然と輝いていた。

 

 一見すれば、リンデンとは似ても似つかない。

 しかし、その姿を見た瞬間――仕草、立ち姿、纏う空気の重さが、どうしてもリンデンと重なってしまう。

 明確に異なる存在でありながら、「同じ」であると本能が告げてくる矛盾。

 

『……リンデン?』

 

 思わず運命の口から零れた言葉は、霧を震わせるように響いた。

 少女はそれを聞くなり、唇を歪めて笑う。

 

「……やっぱ育ての親は違ぇな。半分正解で、半分ハズレだよ」

 

 その声音は挑発的でも侮蔑的でもなく、奇妙に淡々としていた。

 しかし同時に、どこか愉快そうな色を含んでいる。

 これまでの道中で目にしてきた、鋭利に抉られた岩盤や残された斬撃痕。

 すべての発生源が、この少女であることは疑いようがなかった。

 加えて、ドールの残骸に残されていた異様な爪痕――彼女が何か未知の存在と交戦していたことも、間違いない。

 だが、彼女が今ここで戦いを挑むつもりなのか、それとも別の意図を抱いているのかは分からない。

 赤黒い空の下、その笑みはどちらとも取れる曖昧さを湛えていた。

 

 リンデンは一歩前に出て、運命の前に立ちはだかる。

 ヘイロリウムを構え、全身に警戒を纏わせ目の前の少女を睨む。

 霧が渦を巻き、緊張が張り詰める。

 彼と、彼に酷似した存在が初めて相対する瞬間――神域そのものが呼吸を止めたかのように、世界は静まり返っていた。

 赤黒い霧の中で、少女はからからと笑った。

 

「よう、リンデン(オレ)。元気そうでなによりだわ」

 

 挑発めいた軽さに、リンデンは目を細める。

 盾を前に出したまま、声を低く返した。

 

「……私は、貴女ではありません」

 

「まあそう突き放すなよ」

 

 ざんばら髪をかき上げ、少女は片手をひらひらと振った。

 その仕草には余裕があり、敵意は隠されている。

 だが、ただの虚勢とも言い切れない。

 運命が一歩だけ前へ出る。仮面越しの声は落ち着いていた。

 

『……あなたは、いったい何者?』

 

 少女はその問いに肩をすくめ、赤黒い瞳で二人を順に見やった。

 

「覚えてねぇのか? あんたが拾ったのは――片方だけだったんだよ」

 

 リンデンの呼吸が浅くなる。

 彼女の言葉に、記憶の底がざわめいた。

 ――あの日。

 魔界の片隅、群生する魔剣種子体の胎動の中で拾い上げられた、ひとつの命。

 それがリンデン。

 そして、拾われなかった方の赤子。

 彼女が、その「もうひとつ」だった。

 運命はわずかに声を詰まらせ、しかし否定はしなかった。

 

『……そう……だったんだ』

 

 少女は不敵に笑い、荒廃した大地に響かせる。

 

「まあそんなことどうでもいいんだけどな。

 生まれがどうだろうが、やる事は結局ひとつだし」

 

 そう言って彼女は歩みを進め、リンデンとの距離を詰める。

 黒と深緑のジャケットが霧を裂き、結晶装飾が赤黒い光を反射した。

 そして、手を差し出す。

 爪先までしなやかなその指は、挑発ではなく真剣な意志を帯びていた。

 

「な、ひとつになろうぜ、リンデン(オレ)

 もう十分、人生ってやつ――楽しんだだろ?」

 

 その声はぶっきらぼうで冷たい響きを持ちながら、底にどこか切実な渇望を滲ませていた。

 赤黒い霧がざわめき、二人の間に漂う空気が、一層重くなっていった。

 差し出された少女の手を、リンデンは一瞥する。

 次の瞬間、わずかに顔を伏せ、低い声で言葉を放った。

 

「……私は、貴女とは一つにならない」

 

 静かな拒絶だった。

 強い調子ではない。それでも揺らぎのない意志が込められていた。

 暗紅の瞳の少女は、しばしその言葉を受け止めるように黙り込む。

 霧が渦を巻き、彼女の髪を乱れさせる。

 そして――肩をすくめ、吐息混じりに呟いた。

 

「……ふぅん」

 

 怒声も、苛立ちもない。

 ただ小さく笑みを浮かべると、あっさりと言葉を続けた。

 

「ま、そりゃそうか」

 

 その声音は淡白で、どこか納得すらしているようだった。

 しかし、瞳の奥に宿った光が冷たく鋭さを増していく。

 

「……それじゃ、ぶち殺して取り込むしかなくなっちまったな」

 

 その宣告に、空気が震えた。

 赤黒い霧がざわめき、断崖の影が不気味に揺らめく。

 リンデンは即座に一歩踏み込む。

 外套をはためかせ、盾を正面に構える。

 その背後では、運命が静かに魔剣を抜き放ち――地面へと突き立てた。

 鈍い音と共に霊子の波動が走り、限定神域の余韻が周囲へと広がっていく。

 少女の影が赤黒い光に照らされ、獣のように笑った。

 神域の中心で、対峙する二つの存在。

 それは避けられぬ衝突の始まりを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 空気が裂けた。

 片割れの少女は差し出した手をそのまま握り込み、赤黒い霧をかき乱しながら地を蹴った。

 動きは荒々しいはずなのに、妙に研ぎ澄まされた洗練を纏っている。

 ジャケットの裾が翻り、黒緑のざんばら髪が弧を描く。

 

「――来いよ、リンデン(オレ)!」

 

 鋭い暗紅の瞳が閃いた瞬間、少女の指先から結晶片が飛散し、鋭い爪のような光刃を形作る。

 それは魔剣種子体の欠片を核にした、彼女独自の武装だった。

 ひと振りで断崖の岩壁に深い爪痕を刻み、空気を震わせる。

 リンデンは即座に盾を構えた。

 ヘイロリウムが振動し、回転刃が唸りを上げる。

 迫り来る光刃を受け止めた瞬間、金属を軋ませるような音が神域に反響した。

 

「……っ!」

 

 火花が散る。

 片割れの少女の爪刃と、リンデンの盾が正面から拮抗した。

 霊子が荒れ狂い、赤黒い空が閃光に照らされる。

 

『リンデン!気を抜かないで!』

 

 運命の声が響く。

 彼女の突き立てた魔剣からは淡い光が広がり、二人を護るように限定神域が脈動していた。

 

「わかっています!」

 

 リンデンは低く返し、力を込める。

 盾を押し出すと同時に回転刃が加速し、少女の爪刃を弾き飛ばす。

 霧が一気に散り、双方が間合いを取り直した。

 

 少女は口元を歪め、愉快そうに笑った。

 

「やっぱり……いいじゃねぇか。

 さすがオレの片割れだわ!」

 

 その声と同時に、再び霧が渦を巻く。

 今度は複数の爪刃が彼女の周囲に浮かび上がり、槍のように二人へと突き出されていった。

 運命の魔剣から広がる光が、赤黒い空気を押し返した。

 限定神域の脈動が大地を覆い、霊子の圧迫を相殺していく。

 わずかに軽くなった空気の中で、リンデンは即座に動いた。

 

 背中で装甲が変形し、ナンナリスが展開される。

 複数のアームが背後から伸び、霊子を吸い込み、収束させながら煌めく。

 同時に、宙空にはグラフロジカが浮かび上がった。

 無数の数式が頁のように展開し、赤黒い霧の中で輝く術式を刻む。

 

「……行きます!」

 

 霊子が収束し、盾と刃を兼ねる《ヘイロリウム》へと力が流れ込む。

 振動刃が一層甲高い唸りを上げ、空気を震わせた。

 リンデンは地を蹴った。

 波状攻撃――盾の縁から繰り出される連打が、霧の中で火花を散らす。

 回転刃を叩き込むたびに断崖の岩肌が抉られ、赤黒い破片が舞い上がった。

 

「ははっ、いいねぇ!」

 

 片割れの少女は笑い、暗紅の瞳をさらに光らせる。

 彼女の周囲に浮かぶ結晶が次々と鋭い爪刃へと変わり、数十を超える光の爪が宙を舞った。

 嵐のように叩きつけられる爪刃が、盾を、アームを、そして霊子の防壁を次々と切り裂いていく。

 リンデンは怯まない。

 ナンナリスのアームが舞うように展開し、霊子を収束して障壁を補強する。

 グラフロジカの数式が光となって走り、爪刃の軌道を補正しながら迎撃の式を組み上げる。

 ヘイロリウムの突撃。

 振動刃が唸りを上げ、連撃の合間を縫って前へと踏み込む。

 盾で爪刃を弾き飛ばし、その勢いのまま少女へと迫った。

 

 ――衝突。

 

 鋭い爪刃と振動刃が火花を散らし、赤黒い霧が吹き飛ぶ。

 圧倒的な衝撃が周囲を震わせ、断崖の岩盤が崩れ落ちていく。

 互いの攻撃が幾度もぶつかり合い、重圧の奔流が荒廃の地を揺らす。

 運命の神域がなければ、とうに霊子の圧に押し潰されていただろう。

 だが、その光が後ろから二人を支え続けていた。

 片割れの少女は笑い、血のような声を放つ。

 

「もっとだ――もっと見せろよ、リンデン(オレ)!」

 

 リンデンは無言で盾を構え直し、赤黒い空を背に、再び踏み込んだ。

 ︎︎赤黒い霧を裂き、振動刃が閃光を描いた。

 ︎︎ヘイロリウムが叩き込まれるたびに轟音が走り、爪刃を弾き飛ばす。

 ︎︎ナンナリスのアームは霊子を収束させて絶え間なく補給し、グラフロジカが描き出す数式は次々と迎撃式を展開し、爪刃の軌跡を正確に潰していく。

 

「……はっ!」

 

 ︎︎低い声と共に、リンデンは突撃した。

 ︎︎回転刃を軸にした重撃が少女の爪刃を粉砕し、その勢いのまま彼女へ迫る。

 ︎︎振り抜かれた盾の縁が少女の身体をかすめ、裂けた外套の破片が霧の中に舞った。

 

 ︎︎一瞬、優勢だった。

 ︎︎爪刃の群れは押し返され、赤黒い空に霊子の火花が散る。

 ︎︎少女は後退し、岩盤を蹴って体勢を立て直す。

 ︎︎鋭い爪刃を携えていた手元から、ぱらぱらと結晶の欠片が零れ落ちた。

 

『……押してる! そのまま!』

 

 ︎︎運命の声が響き、限定神域の光がさらに霊子の圧を相殺する。

 ︎︎背後からの援護に支えられ、リンデンは息を詰めて攻め立てた。

 ︎︎盾の縁が岩盤を抉り、振動刃が霧を裂き、突撃の嵐が嵐のように少女を圧迫する。

 

 ︎︎だが――そのすべてを、少女は受け止めていた。

 

 ︎︎鋭い暗紅の瞳は微塵も揺らがず、差し出した爪刃で振動刃を受け止める。

 ︎︎裂けた外套の奥で筋肉が軋み、爪刃の軌跡は火花を散らしながらも確かに防ぎ切っていた。

 ︎︎そして、にやりと笑う。

 

「……それだけかよ?」

 

 ︎︎次の瞬間、彼女の周囲の結晶が一斉に光り、空間が歪んだ。

 ︎︎無数の爪刃が宙に浮かび、全てがリンデンを狙って牙を剥く。

 ︎︎先程までの受けから一転、すさまじい力で押し返してきた。

 

 ︎︎轟音。

 ︎︎リンデンの突撃は正面から押し返され、盾を通して全身に衝撃が走る。

 ︎︎地面が裂け、霊子の奔流が爆ぜる。

 

「……ぐっ!」

 

 ︎︎押し込まれながらも必死に踏みとどまるリンデン。

 ︎︎ナンナリスのアームが悲鳴のように軋み、グラフロジカの数式が崩壊しかけて再展開を繰り返す。

 ︎︎彼の全力の攻撃を凌ぎ切った上で、それ以上の力で叩き返してくる――片割れの少女の存在感が、否応なく際立っていた。

 

「そうだ……もっと、全力で抵抗してみせろよ!」

 

 ︎︎笑い声と共に爪刃が奔流となり、赤黒い空を覆うほどの光が一斉に降り注いだ。

 一つひとつが鋭い軌跡を描き、霊子の圧と共に地を叩き割り、断崖を砕きながら迫ってくる。

 リンデンは盾を前に突き出し、ヘイロリウムの回転刃を全力で加速させた。

 振動による砕断と反力場の展開――そのすべてを重ね合わせて防御に集中する。

 爪刃と衝突するたび、凄絶な火花が飛び散り、空気は裂かれ、霧は一気に吹き飛ばされた。

 しかし、それでも足りなかった。

 爪刃は反力場を容易く突き破り、盾の外周を削りながら肩や腕をかすめていく。

 外套は裂かれ、鋼の装甲に深い傷が刻まれた。

 防御の衝撃に膝が悲鳴を上げ、やがて片膝が地面に崩れ落ちる。

 

「……っ!」

 

 岩盤が砕け、膝をついた地面に霊子の裂け目が走る。

 重圧が押し寄せる中、リンデンは盾を離さず歯を食いしばった。

 

 背後で突き立てられた魔剣から、なおも光が広がっている。

 限定神域――運命が展開し続けるその空間が、霊子の圧をかろうじて相殺していた。

 しかし、その代償は明らかだった。

 仮面の少女の身体の所々には裂傷が走り、黒衣は切り裂かれ、血の滲む線が赤黒い光の下で鈍く輝いている。

 彼女は剣に体を預けるようにして立ち、荒い息を吐きながらも、その表情を崩さなかった。

 両腕は震えていたが、空間を維持する意志だけは揺らぎもしない。

 

『……大丈夫、まだ……持つから……!』

 

 その声は震えていながら、確かな決意を帯びていた。

 リンデンの胸に熱が込み上げる。

 ここで膝を折れば、この神域は一瞬で彼女を呑み込む。

 そして自分自身も――。

 

「……倒れるわけには……いきません」

 

 低く吐き出した声と共に、片膝を突いた足に力を込めた。

 震える脚を叱咤し、血に濡れた掌で盾を握り直す。

 赤黒い霧の中で立ち上がる姿は、傷だらけでありながらも決して折れてはいなかった。

 ナンナリスのアームが背で光を放ち、散り散りになった霊子を吸い上げ再び収束する。

 グラフロジカの頁が宙に浮かび、崩壊しかけた数式を再展開していく。

 立ち上がったリンデンの視線は、片割れの少女にまっすぐ向けられていた。

 彼女は愉快そうに舌なめずりをし、爪刃をさらに漂わせる。

 

「そうだよ……それでこそってやつだ。全力で反撃してこいよ」

 

 赤黒い空に笑声が響く中、再び激突の瞬間が迫っていた。

 リンデンは再び一歩を踏み込んだ。

 赤黒い霧を切り裂き、ヘイロリウムが唸りを上げる。背中でナンナリスのアームが稼働し、空間に漂う霊子を吸い上げ、再構築された力がリンデンの全身へと流れ込む。

 次の瞬間、迫り来る爪刃の奔流が直撃した。

 衝撃は身体を軋ませるほど強烈だったが、リンデンの眼は揺らがない。彼の力はただ受け止めるだけでなく、「変換」することにあった。

 地面を揺らす衝撃波を、その場で熱へと変換し、大地を一瞬で赤熱させる。

 音速で迫る爪刃の摩擦音を運動エネルギーへと変換し、逆流するように身体へ叩き込む。

 赤黒い霧を切り裂き、リンデンの突撃が疾風となって迸った。

 片割れの少女の瞳が、愉悦に歪む。

 

「――っはは!」

 

 無数の爪刃が再び弾け、壁のようにリンデンの前に展開される。

 だが、盾が受けた力は熱へと、振動は衝撃へと、音は加速へと――全てが別の力へ変換され、逆に少女へと叩き返されていく。

 リンデンの動きは、戦場そのものを呑み込むかのように重く、速く、鋭くなっていった。

 霧の奥で火花が連続して弾け、断崖が崩れ落ちる。

 両者の全力がぶつかり合い、神域の内部が悲鳴を上げるかのように震動した。

 

 その最中――。

 

 少女は鋭い爪刃でリンデンの盾を受け止めたまま、唇を寄せるように小さく囁いた。

 

「なあ……まだ全力じゃないだろ?」

 

 暗紅の瞳が覗き込み、笑みを浮かべる。

 

「三十秒。吹っ飛ばされてやるよ。……言ってる意味、分かるだろ?」

 

 その瞬間、リンデンの目が大きく見開かれた。

 彼女が言わんとしていることは理解できる。

 味方が背後にいる限り、斧形態へと変形したヘイロリウムを振るうことはできない。

 これまでの彼の戦闘は常に単独、仲間を守る必要のない戦場で全力を振るうことを前提としていた。

 ――だからこそ、今のリンデンは本来の力を出し切れていない。

 少女の言葉は、それを突き付けていた。

 後ろにいる「邪魔な面子」を退場させろ――その間は吹き飛ばされてやる。

 彼女の提案は挑発ではなく、本気の助言だった。

 

「……!」

 

 リンデンの胸が揺れる。

 その反応を見た少女は、愉快そうに口角を上げた。

 

「やっぱりな。顔に出てんだよ」

 

 その言葉と同時に、爪刃を交えた衝突が爆ぜた。

 烈風が霧を押し流し、岩盤が破砕される。

 

 ――宣言通り。

 

 片割れの少女の身体は、衝撃に呑まれ、赤黒い空の下で弾丸のように遥か後方へと吹き飛んでいった。

 その場に残されたのは、盾を握りしめ、荒い息を吐くリンデンと、背後で血に濡れながらも神域を維持し続ける運命。

 少女がくれたわずかな「三十秒」が、重くのしかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤黒い霧の奥へ吹き飛んでいった少女の姿は、しばらく戻ってくる気配を見せなかった。

 霧が揺れ、岩盤の砕けた音が遠くで反響する。

 リンデンは大きく息を吐き、崩れた呼吸を整えながら盾を下ろした。

 その肩口からは血が流れていたが、背後で展開したグラフロジカが数式を組み替え、祈術・魔術・呪術のコードを重ねて再構築する。

 光が傷口を縫い合わせ、熱が細胞を刺激し、呪術の抑制符が痛みを鎮めていく。

 即効性はなくとも、少しずつ確実に肉体が修復されていった。

 背後では、運命の身体に走っていた裂傷が閉じ始めていた。

 不老不死である彼女の再生は確かに進んでいる。だが、その傷跡が塞がるたびに彼女の呼吸は苦しげに震え、突き立てられた魔剣に体を預けたまま立ち尽くしていた。

 

『……リンデン。今のうちに、体勢を立て直そう。

 彼女はすぐに戻ってくる……』

 

 運命の声はかすかに掠れていたが、その仮面の表情は揺らいでいなかった。

 

「……はい」

 

 リンデンは短く答えたが、視線は霧の彼方に向いたままだった。

 少女の囁きが頭から離れない。

 

――三十秒、吹っ飛ばされてやるよ。言ってる意味、分かるだろ?

 

 その言葉が脳裏を巡る。

 自分がいまだ全力を出せないことを、あの少女は正確に見抜いていた。

 背後に守るべき存在がある限り、ヘイロリウムを斧形態に変え、戦場を破壊し尽くす一撃を振るうことはできない。

 彼女はその事実をあえて突きつけ、そして「退場の猶予」を与えたのだ。

 その真意を噛みしめるように、リンデンは奥歯を噛み締める。

 彼女の狙いが何なのか、全てを計算した上での行動なのか――その答えは未だ掴めなかった。

 

 その時だった。

 

 首元のチョーカーユニットが淡く点滅し、途絶えていた通信回線が不意に復活する。

 耳元に響くのは、懐かしくも緊張を帯びた声。

 

『……リンデンくん! 聞こえますか! こちら、リーインシア!』

 

 赤黒い霧の中、再び繋がった通信の声が、運命とリンデンの胸に重く響いた。

 耳を震わせるように、途絶えていた通信が復活した。

 首元のチョーカーユニットが淡く脈打ち、リーインシアの声が脳内に響く。

 

『こちらリーインシアです! ようやく接続が戻りました!』

 

 赤黒い霧に囲まれたまま、リンデンは荒い息をつきながら一瞬目を伏せた。

 再び聞こえてきたその声は、今の戦況に縋るような救いであり、同時に新たな重責を思い出させるものだった。

 

「……こちらリンデン。現在、陛下と共に閉じられた神域内部にいます。周辺は不安定……敵性存在との交戦中です」

 

 言葉を選びながら淡々と状況を告げる声は、霧に揺らぎながらも確かに響いた。

 数秒の沈黙の後、リーインシアが息を呑む音が届く。

 

『……こちらでも確認できました。状況は最悪ですね……』

 

 通信越しの声が少し震えていた。

 リンデンは盾を支え直し、背後にいる運命へ視線を落とす。彼女は魔剣に身を預けながらも限定神域を解除し、呼吸を整えていた。

 僅かな迷いを胸に押し込み、リンデンは小声で問いかけた。

 

「……今の座標から、陛下を強制送還することは可能ですか」

 

 その一言に、通信の先で気配が変わった。

 リーインシアは短い間を置き、即座に演算と判定を進めている。操作する指の音すら伝わってきそうな沈黙。

 

『……はい、可能です。神域内部からの強制送還にはリスクがありますが、不老不死である陛下なら耐え切れるはずです』

 

 リンデンは短く息を吐いた。

 重く胸の奥で揺れていた思考が、一つの線に収束していく。

 霧を押し返す光の中で、決断の時が迫っていた。

 通信の余韻が途切れたまま、赤黒い霧の中に重苦しい沈黙が落ちた。

 リンデンは盾を支え直し、深く息を吸い込む。

 胸の奥では葛藤が燃えていた。

 ここで彼女を退ければ、自分は独りになる。

 けれど、この場に陛下を留めておけば――守るべき背中がある限り、斧を振るえない。

 拳を固く握り締め、リンデンは小さく呟いた。

 

「……リーインシアさん。強制送還を開始してください」

 

 通信の先で、わずかな沈黙が走る。

 そして、静かに確認の声。

 

『……了解しました。転送シーケンスを開始します』

 

 その瞬間、背後で霧を切るように声が響いた。

 

『――待って!』

 

 運命が顔を上げ、仮面の奥から鋭く叫んだ。

 光が彼女の身体を包み始めている。

 その表情は、普段の静かな微笑ではなく、必死に食い下がるものだった。

 

『リンデン……分かってるんでしょ? 量子ジャンプでは、君は帰れない!』

『私だけを退かせても、君はここに残るしかないんだ!』

 

 言葉の端々に震えが滲む。

 彼女は、己が不老不死であるからこそ戻れることを理解していた。

 逆に、リンデンが帰還の術を持たないことも。

 リンデンは一瞬だけ目を閉じ、そして低く、静かに言葉を返した。

 

「……この戦闘のログを、必ず持ち帰っていただかねばなりません」

 

 そう言って首元のチョーカーユニットから結晶デバイスを外し、光を帯びるメモリを運命の手に無理やり握らせる。

 運命が目を見開き、口を開きかけた瞬間、リンデンはさらに続けた。

 

「任務を完遂するためにも……ここで陛下が退かれるのが最適です。

 私は、まだ戦えますから」

 

 方便。

 それが半分で、もう半分は紛れもない本心だった。

 背後を気にする限り、自分は全力を振るえない。

 ここから先は、自分ひとりで戦うしかない――そう決めていた。

 霧を押し返す白光がさらに強まり、運命の身体を呑み込んでいく。

 その瞳は揺らぎ、必死に言葉を探していた。

 白光が全身を包み込む中、運命は必死に声を張り上げた。

 

『――違う……違うんだよ、リンデン!』

『それは……そのスーツは……! 皆が、君のために作った――!』

 

 言葉の続きを残す前に、光が一気に収束する。

 赤黒い霧を裂いて、量子の粒子がきらめき、彼女の姿は一瞬で掻き消された。

 残響のように彼女の声だけが耳に残り、静寂が戦場を満たしていく。

 

 リンデンは無言で立ち尽くした。

 胸の奥に残る言葉は、最後まで語られなかった真実の断片。

 握らせたメモリが、今ごろ彼女の掌の中で光を宿しているはずだ。

 それが任務の証であり、そして――自分を戦場に残す決断の証でもあった。

 赤黒い霧が揺れ、足音が近づく。

 遠方に吹き飛ばされていた片割れの少女が、何事もなかったかのように歩いてきていた。

 黒と深緑のジャケットが霧を翻し、結晶の装飾が冷たい光を弾く。

 その姿は傷一つ負っていないかのようで、暗紅の瞳は愉快そうに細められている。

 

「よう。やっと二人きりになれたな、リンデン(オレ)

 ……これで本気出せるだろ?」

 

 気軽さを滲ませた声が、赤黒い空に広がった。

 挑発ではなく、当然のことを告げるような口調。

 リンデンは答えなかった。

 ただ無言でヘイロリウムを持ち直し、斧形態へと変形させる。

 重厚な刃輪が唸りを上げ、回転機構が震動と共に音を高めていく。

 空気が裂ける。

 霊子が揺らぎ、回転速度は一気に臨界点へ――。

 まるで神域そのものを断ち割るかのような轟音が響き渡った。

 赤黒い霧の中、ふたりの「同一」が対峙する。

 ここからが本当の戦いの始まりだった。

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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