赤黒い霧が揺らぎ、重苦しい空気が満ちる。
リンデンは無言でヘイロリウムを両手に構え、斧形態へと完全展開した。
巨大な刃輪が振動を始めると、低い唸りは瞬く間に烈風へと変わり、周囲を震わせる。
背に展開したナンナリスのアームが光を放ち、霊子を貪るように吸収する。
赤黒い霧そのものも、岩盤に満ちる瘴気じみた力も、全てが振動へと変換されていく。
宙空に広がるグラフロジカの数式群は、変換されたエネルギーを律動させ、ただ一つの現象へと収束させた。
――瞬間。
振動刃が閃き、臨界の波動が解き放たれる。
空気も霧も岩盤も、半径数百メートルの荒野そのものが分子単位で震え、砕け、分解されて消滅した。
轟音は凄絶で、光と影の奔流が断崖を飲み込み、赤黒い空をも震わせる。
だが、その上から迫る影があった。
「――ッははっ!」
片割れの少女が高みから跳躍していた。
暗紅の瞳が笑みを湛え、彼女の全身から放たれる結晶が無数の爪刃へと変貌していく。
刹那、降り注ぐ爪刃の雨が赤黒い閃光となって、リンデンを中心に大地へと突き刺さった。
振動で消し飛んだ荒野に、さらに爪刃の嵐が叩きつけられる。
それは、まるで消滅した地を再び爪痕で刻み直すかのようだった。
振動と刃の嵐が交差し、神域の内部そのものが揺れ狂う。
霧は引き裂かれ、光が閃き、崩壊の音が轟き渡った。
振動の奔流と爪刃の雨が、赤黒い荒野を飲み込み続けていた。
リンデンがヘイロリウムを振り抜くたびに、刃輪から放たれる振動エネルギーは周囲の霊子を巻き込み、巨大な共鳴波となって大地を断ち割る。
削り取られた岩盤が震えながら粉塵へと変わり、亀裂からは赤黒い光が吹き上がった。
しかし、その荒廃を待たずに爪刃が降り注ぐ。
少女が空に浮かぶ結晶を操り、無数の爪を嵐のように叩き込んでいた。
振動で崩壊する前に、刃が空間を穿ち、削り尽くされた荒野に新たな刻印を刻む。
爪刃の一撃ひとつひとつは霊子を凝縮した鋭さを持ち、回転刃に激突するたび、火花と共に震動の嵐を広げた。
リンデンは両腕を痺れさせながらも盾斧を振り続ける。
ナンナリスが吸収する霊子が、すぐさま振動エネルギーへと変換され、グラフロジカの数式がその力を増幅し続けた。
だが、それでも少女の攻撃は止まない。
彼女の周囲に生み出された爪刃は、破壊されても次々と生成され、豪雨のように絶え間なく降り注いでくる。
「……くっ!」
斧の回転が臨界を超えてさらに加速する。
空気そのものが軋み、振動の奔流が音となって空を震わせた。
爪刃とぶつかり合うたび、爆音が重なり、音速を超えた衝突が衝撃波となって広がる。
少女は笑っていた。
赤黒い髪を振り乱しながら、空中で爪刃を次々と繰り出し、そのすべてを楽しむかのように声を上げる。
「そうだ――それでいい! 全部ぶつけろよ、全部潰してやるから!」
リンデンは応えなかった。
ただ牙を食いしばり、全身の力を込めてヘイロリウムを振り抜く。
振動波が地を割り、爪刃の群れと真正面から激突した。
――閃光。
神域の内部を埋め尽くす衝撃と破壊が、荒廃した大地を飲み込み、赤黒い空を光で裂いた。
互いの技が限界までぶつかり合い、世界そのものが崩壊しそうなほどに震えた。
衝突の余波を突き抜け、赤黒い霧を切り裂きながら肉薄したのはリンデンだった。
振動波と爪刃の嵐がまだ轟いている最中、彼は迷いなく次の武装を展開する。
――肩口に奔流のように浮かび上がる光の機構。
量子展開の収束が閃き、瞬時に形を成したのは、アイビス・クラスタ砲。
肩架式のクラスター砲であり、近距離での終撃を前提とした拡散型のスラッグ兵装だった。
刹那、少女の目の前に砲口が覗く。
暗紅の瞳が細まり、愉快そうに歪む。
「――っは! 隠し球ってやつか!」
次の瞬間、スラッグ弾が炸裂する。
外殻が爆ぜ、内包された48発のマイクロスパインが光の針となって四散した。
霊子を帯びた針弾は空気を裂き、面で標的を覆い尽くすはずだった。
――だが。
少女の目前、数ミリの距離で針弾は凍りついたように停止した。
空間そのものが拒絶したかのように、時間が歪んで数秒。
やがて全ての針弾は力を失い、カランと音を立てて大地に散り落ちた。
煙の向こうから、少女がゆっくりと歩み出る。
その手に握られていたのは一本の魔剣。
黒と紅が滲む異様な刃身は、ただ存在するだけで神域の霧を震わせる。
「……
片割れの少女が愉快そうに口元を歪め、宙空で魔剣を振り抜いた。
斬撃は飛ばなかった。
しかし確かにその一閃は実体を持ち、空間ごと断ち割り――
アイビス・クラスタ砲の砲身ごと、リンデンの右肩口を深々と切り裂いた。
「……っ!」
激痛が全身を駆け抜け、鮮血が振動する空気に飛沫となって散る。
身体が揺らぎながらも盾斧を手放さず、リンデンは荒い息を吐く。
少女は刃を振り抜いた姿勢のまま、暗紅の瞳で彼を射抜いた。
愉悦と挑発を込めた微笑みを浮かべ、静かに言い放つ。
「ほら、
さっさと
挑発というより、当然のことを告げるような調子だった。
暗紅の瞳は鋭い光を宿し、同時にどこか懐かしさを滲ませている。まるで鏡に映る自分へ声をかけるように。
リンデンは右肩を押さえ、深く息を吐いた。
砲身ごと切り裂かれた肩口は鮮血に濡れ、右腕は力なく垂れ下がっていた。
片腕を失ったような不自由さの中で、それでも左手だけでヘイロリウムの柄を掴み、震えながらも盾斧を支え続ける。
重みに軋む腕を押し上げながら、彼は静かに答えた。
「……私は、魔剣などではありません」
その声音には怒りも虚勢もなかった。
ただ、冷たく事実を告げるように、淡々と放たれた言葉。
否定ではあるのに、不思議と揺らぎがなかった。
赤黒い霧がふたりの間を流れる。
少女の唇が嘲るように吊り上がり、静寂を破る笑いが零れた。
「はは……まだ分かってねぇんだな。
ずっと前から魔剣だったんだよ。芽吹かせてもらえなかっただけでさ」
暗紅の瞳が細まり、楽しむようにリンデンを見据える。
挑発でも嘲りでもなく、むしろ確信をもって告げる声音だった。
リンデンの胸中に、冷たい何かが差し込んでいく。
彼は深く息を吐き、視線を落とした。
かつて――五歳の頃。
同世代の子供たちと遊んでいた時、無自覚に極小神域を発生させ、多くを犠牲にしてしまった。
その悲劇の後に執行された処置。
彼の全脊柱は切り取られ、人工脊柱ユニットに置き換えられた。
霊子を制御し、暴走を抑え込み、再発を防ぐための「鎖」。
そしてそれは同時に、本来ならば肉体に芽吹くはずだった魔剣を、二度と出現させないための「封印」でもあった。
人工の構造体が、芽吹きを拒み続けている。
たとえリンデンが望もうと、そこから生まれる剣は存在しない。
片割れの少女の言葉は、ただの嘲笑ではなかった。
――彼女こそが芽吹いた存在。
リンデンが背負わされた人工の鎖に対し、彼女は自然に芽吹き、魔剣として目覚めている。
その違いこそが、今の圧倒的な差だった。
霧がうねり、少女は魔剣を肩に担いだ。
笑みを崩さぬまま、声を低くして告げる。
「オレはこうして剣になった。
けど
片割れであるオレと
少女は肩に担いだ魔剣を軽く振り上げ、赤黒い霧の中で笑った。
その笑みは挑発でも憎悪でもなく、ただ真実を告げる者のそれに近かった。
「なあ、
呼びかけは軽く投げかけられたように聞こえた。けれど、その声音には確かな重みが宿っていた。
彼女の声が、霧の中で反響する。
「魔剣にもなれない」
言葉が一つずつ、鋭い刃となってリンデンの胸に突き刺さる。
彼女の赤紅の瞳は愉快そうに歪んでいるのに、吐き出す言葉は妙に冷たく、逃げ場を許さなかった。
「人間でもない」
霧が揺れ、過去の影が胸の奥をざわめかせる。
幼き日の罪。犠牲となった子供たちの顔。人工の脊柱。封じられた芽吹き。
リンデンはただ黙して斧を握り締める。
「神でも天使でも、
その一言に込められたのは、あらゆる存在からの断絶。
少女の声は冷ややかに、けれど決して嘘ではない響きを持っていた。
世界のどこにも居場所がなく、何かになり損ねた者――その像を突きつけてくる。
リンデンの胸が微かに震えた。
肩口を裂かれ、血に濡れた右腕は動かない。左手だけで支える斧の重みが、全身に沈むようにのしかかる。
霧の中に立つ自分の影が、何者なのか分からなくなる。
少女はそこで初めて、真っ直ぐにリンデンを射抜いた。
暗紅の瞳の奥に宿るのは、歓喜にも似た渇望。
「――何にもなれない、お前は何者だよ?」
その「お前」という呼びかけが、胸を深々と抉った。
これまで一度も向けられたことのない二人称。
片割れの少女が初めて「リンデンをリンデンとして」呼んだ瞬間。
赤黒い空の下、その問いは重く残響し、リンデンの沈黙ごと戦場を凍らせた。
岩肌を裂く轟音と共に、リンデンの身体が叩きつけられた。
右肩から背中へと走る痛みは鋭く、切り裂かれた右腕はもはや力を失い、ぶら下がるだけになっている。
残された左腕だけでヘイロリウムを支えるが、その重みは確実に全身を蝕んでいた。
背後で展開していたナンナリスのアームは四つのうち二本が根元から折れ、火花を散らしながら動きを止めている。
宙空に浮かんでいたグラフロジカもまた術式コードが焼き付けを起こし、霊子の数式が黒く崩れ落ちていく。
支援も解析もほとんど失われ、彼は今や半ば素手の状態に近かった。
そんなリンデンを見下ろすように、片割れの少女は笑う。
魔剣を肩に担ぎ、暗紅の瞳に獰猛な光を宿したまま、ゆっくりと歩を進めてきた。
「……距離ってのは、便利なもんだよな」
軽口のように零したその言葉の直後、少女の姿が霞んだ。
振り下ろされる刃は確かに遠くにあるはずなのに、次の瞬間には眼前に迫り、斧と火花を散らす。
逆に、斧を振り抜いたはずの衝撃は空を裂くだけで、届くはずの間合いをすり抜けて空虚を叩き割る。
“届かない”。
その感覚がリンデンの全身を締め付ける。
彼女の斬撃は、必ず届く。
自分の反撃は、ことごとく逸れる。
それは戦いの理ではなく、ただ「距離」という言葉で説明できてしまう不条理だった。
岩壁がまた裂け、リンデンは膝をついた。
左腕に握るヘイロリウムはまだ震え続けている。
だがその震えは、もはや斧そのものの振動か、彼自身の身体の限界かも分からなかった。
少女はゆっくりと歩み寄り、肩に担いだ魔剣を軽く揺らした。
赤黒い刃から滴る光は、まるで血と霊子が混じり合ったもののように揺れている。
「どうする? また通信を繋がせてやろうか? ……まあ、意味は無いけどな」
口調は気軽そのもの。だが、確実に死角を潰すような間合いで迫ってくる。
リンデンは左腕に全力を込め、ヘイロリウムを振り上げようとした。
その瞬間――
すとん、と軽い音を立てるだけで、少女の魔剣が彼の斧を叩き落とした。
反撃の意思はあったのに、刃は一寸も進まず、ただ地面に弾かれて沈む。
「……っ」
歯を食いしばり、リンデンは血の混じる息を吐きながら膝で地を踏ん張った。
それでも立ち上がろうとした刹那、頭上から爪刃が降り注ぐ。
振動斧で受け止める暇もなく、鋭い結晶の雨が肩と背を打ち抜き、彼の身体を岩肌へ叩き返した。
石と血が飛び散り、亀裂が大地を走る。
――抗えない。
立ち上がろうとする度に押し戻され、武器を構える度に弾き落とされる。
少女の「距離」に支配された戦場で、リンデンはただ、無力を突きつけられていた。
砕けた岩肌に倒れ伏すリンデンを見下ろしながら、少女は赤黒い霧の中で肩を竦めるように笑った。
振り返ることもなく、一歩、また一歩と間合いを詰めていく。
「……やっぱり、そうだよな。
軽やかな声色に滲むのは嘲笑ではなく、確信に似た響きだった。
リンデンは歯を食いしばり、左腕で斧を起こそうとする。だが、無情にも魔剣の一閃が刃を弾き落とし、地に沈める。
その光景を一瞥して、少女は薄く息を吐いた。
「もういいだろ。立つたびに潰されるだけだ。
……なら、オレが全部引き受けてやる」
呟きと同時に、彼女の魔剣が霧を震わせる。
リンデンの胸元、人工脊柱ユニットのあたりへと、赤黒い刃先がゆっくりと突き立てられた。
肉を裂く痛みはなかった。
だが、背骨の奥深くを抉られるような軋みと共に、霊子の奔流が軋む。
リンデンの身体から黒紅の光が糸のように引き抜かれ、少女の胸元へと吸い込まれていく。
――次の瞬間。
少女の中にあるはずの魔剣の因子が、リンデンの因子に触れた。
触れた途端、それは侵食されるように形を変え、音もなく「書き換えられて」いく。
自分が持っていたはずの力の輪郭が崩れ、リンデン由来の因子が中心となって再構築されていく。
その異様な感覚に、少女の瞳が細まった。
力を取り込んだはずなのに、膨らむ感覚は“自分のもの”ではなかった。
まるで、自分の中の核そのものがリンデンの存在に上書きされていくかのようだった。
「……ああ、分かった。やっぱりそうだ。
結局メインの核は
勝ち誇るはずの声音に、不意に混じるわずかな苛立ちと戸惑い。
それでも霊子の奔流は止まらず、力と共に記憶の断片までもが少女の中に流れ込んでいく。
暗く、重く、形の定かでない記憶。
痛みと孤独、誰にも告げられなかった苦悩の連なり。
赤黒い瞳に一瞬の揺らぎが走る。
唇が、僅かに歪んだ。
「……なんだよ。
これなら……もっと早く迎えに行けばよかったじゃねぇか」
誰に向けたものか、自分でも分からない声。
赤黒い霧の中に溶け、戦場に微かな静寂を落とした。
岩肌に沈み込むように横たわるリンデンの視界は、ゆっくりと霞んでいった。
赤黒い霧がどこまでも広がり、世界そのものが遠ざかっていくように感じる。
痛みは確かにあるはずなのに、それさえも意識の底に沈んでいき、次第に感覚の輪郭を失っていった。
ただ、そこに残るのはひどく冷たい虚脱――。
右腕はぶら下がるだけの無力な肉に変わり、左手に握るヘイロリウムも今やただの石塊のように重く冷たい。
振動していたはずの刃輪は、遠い夢の中の幻覚のように頼りなく感じられる。
武器が重いのではない。
重いのは、自分自身。
胸の奥から、何かがどろりと剥がれ落ち、底の見えない闇に流れ込んでいくようだった。
抜け落ちていく。
それは肉でも骨でもなく、もっと深い場所にある「核」のようなものだった。
自分を自分と呼べる根拠が、ひとつずつ削がれていく。
気づけば、身体の中心は空洞に変わっていた。
手を伸ばしても、掴めるものは何もない。
ただ、吸い込まれるような冷たい闇ばかりが広がっている。
――私は。
その声は、間違いなく自分のものだった。
けれど耳に届いた時には、ひどく遠く、知らない誰かの呻きのようにも聞こえた。
――私は、何者にもなれないのか。
その問いは、少女に浴びせられた嘲りの言葉そのもの。
けれど今は反論する術すらなく、胸の奥に突き立てられた杭のように深く沈んでいく。
――私は、どこにも行けないのか。
それは呟きではなく、諦めに似た吐息だった。
︎︎騎士ではなく、天使でもなく、人ですらなく。
居場所を失った者の呻きが、内側から響き渡る。
空虚は、冷たい。
だが、その冷たさはやがて別の温度に満たされていく。
じわり、と滲み出すように。
何かが侵入してきた。
熱とも冷気とも呼べないそれは、霧の粒子のように細かく、血肉の隙間を這い、骨の奥へ潜り込み、意識そのものに触れていった。
抵抗はない。
空虚であるがゆえに、拒絶する壁さえ存在しない。
ぽっかりと開いた空洞を、異質な何かが確実に埋めていく。
――私は。
声が重なった。
ひどく馴染んだ、自分自身の声。
だがその下層に、別の声が混ざっている。
囁くように、命令のように、祈りのように。
――
その言葉が、じわじわと心の空洞に染み込んでいく。
侵食か、それとも新たな誕生か。
区別はもはやできなかった。
空虚は空虚であることをやめ、異質な言葉の響きで満たされていく。
リンデンの意識は、もう自分のものであるかどうかすら定かではなかった。
ただ一つ確かなのは――「⬛︎⬛︎⬛︎」という名を持つ何かが、彼の意志に深く食い込み、全てを書き換え始めているということだけだった。
少女は吸収した力を胸の奥で転がすように確かめていた。
膨れ上がる霊子の流れ、意志の芯に差し込む感触。
理解するにつれて、その本質が見えてくる。
――これが、リンデンの核。
誰にも告げられなかった“欠落”に根ざした、あまりにも皮肉な力。
思わず口元が吊り上がる。
「……はは、なんの皮肉なんだろうな」
自分でも意味を測りかねる笑いを零しながら、倒れ伏すはずのリンデンに振り返った。
その瞬間、視界が激しく跳ねた。
――拳。
理解するより先に、右頬に衝撃が叩き込まれていた。
強烈な打撃に身体が宙を舞い、地面を何度も跳ねながら岩壁へと叩きつけられる。
石が砕け、砂煙が渦を巻いた。
その光景の中心で、拳を突き出したままの影が静止している。
リンデンだった。
だが、その右腕は、もはや人間のものではなかった。
白く筋肉質に肥大化した腕は醜悪に歪み、皮膚の裂け目からは無数の歯が覗き、呪詛のように意味の定かでない言葉を口ずさみ続けていた。
それはまるで、意思を持つ別の生き物のようだった。
リンデンは拳を下ろすと、ズシン、と地面を叩く。
大地が震え、赤黒い霧すら一瞬揺らめく。
砂煙を割って、岩壁に叩きつけられた少女が姿を現す。
右頬を抑えながらも、その瞳は怒りにぎらついていた。
「――ざっけんな。なんでオレじゃなくて、
怒声と共に、爪刃と結晶が宙に展開する。
握る魔剣は翡翠を帯びた輝きへと変貌し、リンデンの因子に上書きされた証を見せつける。
少女はそれを振りかざし、霧を切り裂いた。
対峙するリンデンの口が、低く開いた。
同時に、右腕の裂け目からも異形の声が重なるように溢れ出す。
「
「
聖句が重なり、霧を突き破るように大地が震撼する。
リンデンが一歩踏み出すと、地面が裂け、赤黒い亀裂が放射状に広がった。
その足音ひとつが、戦場全体を呑み込む宣告のように響き渡った。
翡翠を帯びた魔剣を振るい、少女は迫る右腕を受け止めた。
しかし、かつてのように「間合い」を自在に操る感覚は、もうそこにはなかった。
彼女の得意とした「距離」の伸縮は、核の上書きによって完全に奪われていた。
押し込まれる。
腕に伝わる衝撃は刃を通じて骨まで響き、肺の奥から空気を吐き出させるほど重かった。
力の奔流は、人間の延長にある剣技ではない。
異形の筋肉と呪詛を呟き続ける右腕、その異常な質量が少女を押し潰そうとしていた。
彼女は爪刃を展開し、結晶を散弾のように撃ち込む。
だが、リンデンはそれをものともせず前進する。
裂け目から覗く歯の列が、飛来する結晶を噛み砕き、散らす。
巨腕が唸りを上げ、ただ振り払うだけで周囲の岩塊を粉砕した。
何度も刃と拳がぶつかり、衝撃が荒野を裂く。
だが、交錯の度に後退させられるのは常に少女の方だった。
一撃ごとに腕が痺れ、膝が揺らぎ、視界が赤黒く滲む。
「……っ、くそ……っ!」
息が荒い。
背後の岩に叩きつけられ、そこから跳ね返るように飛び出しても、待ち構えていたのはまたあの巨腕だった。
拳がかすめただけで肩口の肉が裂け、血と霊子が飛沫のように散った。
少女の瞳に、苛立ちと共に焦燥が宿る。
この“怪物”は、もはや自分が知っているリンデンではない。
ただ右腕一つで戦場を支配し、押し潰してくる暴威の塊だった。
何度も打ち合い、結晶を砕かれ、爪刃をもぎ取られる中で――少女は、理解せざるを得なかった。
今の自分では、このリンデンをどうにもできない。
巨腕が振り下ろされ、またしても大地が裂ける。
その亀裂を飛び越えながら、少女は深く息を吐いた。肺の奥が焼けつくほどの疲労。握る魔剣は震え、指先から霊子がこぼれていく。
――勝てない。
幾度も歯を食いしばり、反撃を繰り返してきた。
だが、距離を失った自分にはもはや策がない。
怪物と化したリンデンの一撃一撃を受け止めるたびに、確実に削られ、追い込まれていく。
このままではただ潰されるだけだと、冷酷な現実が胸に突き刺さる。
少女は決断した。
刃を振り払い、残る霊子を全て脚に流し込む。
一瞬で間合いを切り裂き、リンデンの右腕が届かぬ距離まで全力で後退する。
砂塵が舞い上がる。
その向こうで、リンデンは追ってこなかった。
怪物じみた右腕を下ろし、ただ静かに立ち尽くしている。
少女は振り返りざまに叫んだ。
「ちゃんとケリをつけてやるから待ってろ……!」
怒りでもなく、怯えでもなく、何かを誓うような声だった。
翡翠の魔剣がきらめき、赤黒い霧の中へとその姿は消えていった。
――戦場に残されたのは、リンデンただひとり。
振り上げていた右腕を下ろす。
肥大化した白い筋肉がひび割れ、裂け目の口々がまだ呪詛を囁いている。
それでもリンデンは無言のまま、ゆっくりと歩み出した。
意識は混濁し、現実の輪郭は遠のいていた。
赤黒い霧も、大地の裂け目も、血に濡れた身体も――全てが夢の中の光景のように曖昧。
それでも、胸の奥に一つだけ確かな響きがあった。
――ああ、帰らないと。
誰に向けての言葉かも分からない。
家に、家族に、あるいはもう失った誰かに。
その曖昧な願いだけを胸に、リンデンは霧の荒野を、怪物じみた右腕を引きずりながら進んでいった。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった