トロイがリンデンを連れて出かけてから、数時間が経っていた。
プレゼントの山は、すでにある程度まで仕分けが済んでいた。
散らかっていた廊下も、いくつかのケースとラベル付きの荷物だけを残して静けさを取り戻している。
運命は仮面を外すことなく、ふぅと小さく息を吐いて、自分の部屋のソファに深く腰を下ろした。
壁掛け時計の針は、まだ午前中を指している。けれど作業量に見合った疲労感は、もうすっかり夕方のそれに近かった。
「運命くん、お疲れ様ですっ」
明るい声が部屋に差し込んだ。
振り向くと、キッチンの方からカノンが笑顔でこちらへやってきていた。
その手には、湯気の立つカップが二つ。香ばしいコーヒーの香りがふんわりと広がった。
彼女はそのまま近づくと、そっと一杯を運命に手渡す。
『カノン、手伝いに来てくれてありがとう』
仮面越しの声に、カノンはまっすぐ頷いた。
「大丈夫ですよ!お助け部ですからっ!」
そう言って、彼女は小さく拳を握り、腕を曲げて――可愛らしく“力こぶ”を作る仕草をしてみせた。
――カノンは、トロイからの連絡を受けて、朝の早い時間にこの部屋を訪れていた。
「運命くん、今日はきっと大変だと思いますから!」と、にこにこと笑いながら段ボールを抱えて現れたのだ。
仕分けの手際はもちろん、明るい声と絶えない会話が、作業を想像以上にスムーズに進めてくれた。
“お助け部”という彼女の看板に、まったく偽りはない。
運命は仮面越しに小さく笑う。ディスプレイには、ほのかに『にこ』の表示。
カノンはそのまま、運命の向かい側のソファに腰を下ろした。
膝の上で手を組みながら、少し視線を落として、ぽつりと呟く。
「でも……リンデンくんも、もう1歳になるんだね。名前を教えてもらってから、あっという間にそんなに経ったんだ」
『うん、そうだね。――最初は色々大変だったけど、今は皆が手伝ってくれて、すごい助かってる』
その言葉に、カノンは嬉しそうに頷いた。
カップの中で揺れるコーヒーの熱が、二人の間に静かな空気を作っていた。
カップに残ったコーヒーの湯気が、静かに細くなっていく。
しばらく言葉のない時間が流れた後、カノンがふと口を開いた。
それは独り言のようでいて、どこか運命に届けたい響きだった。
「……私たちって、"年を重ねる"ことは出来ても“歳をとる”ことがないじゃないですか」
運命は仮面ごとゆっくりと顔を傾けた。
ディスプレイには、淡い『……?』のマーク。
「だから、なのかな。誰かが“成長する”のを見ると……すごく特別なことに感じるんです」
カノンはそう言って、両手でそっとカップを包み込む。
その掌にある温度が、言葉にしきれない想いのかけらを留めているようだった。
「時間がちゃんと進んでるって、目の前で教えてくれるみたいで……ちょっとだけ、眩しいなって思ったりして」
その横顔は微笑んでいたけれど、どこか切なさを帯びていた。
永遠に近い命を持つ者だからこそ、生きることの変化に、時に胸が締めつけられる。
『……わかるよ』
仮面の奥から返ってきた運命の声は、静かで、あたたかかった。
『私も、この一年のことを思い返すと――すごく長くて、でも一瞬だったような気がする。“変わっていく子”がいるって、それだけで、私たちの時間も動いてるんだって……そう思うよ』
ディスプレイに浮かぶのは、やわらかな『にこ』。
「……うん」
カノンは小さく笑って、頷いた。
言葉を選ぶように視線を落とし、けれどすぐに顔を上げて、まっすぐな瞳で言葉を続けた。
「リンデンくんって、ちっちゃいのに、世界を連れてきてくれるんですねっ」
仮面の奥で、運命の視線がそっと揺れる。
――ちっちゃいのに、世界を連れてくる。
その言葉が胸の奥に灯のように残っていた。
『……そうだね。だから私も――』
言葉を探すように、少しだけ間が空く。
『この子の時間を、ちゃんと守っていけるように、在りたいなって……思ってる』
小さな声だった。
けれどその響きには、まっすぐな意志と、確かな想いが込められていた。
ディスプレイに浮かぶのは、すうっと穏やかな『…にこ』。
感情の揺らぎすら見せない仮面の下で、優しく結ばれた口元が確かに存在していた。
カノンは、その言葉を大切に受け止めるように目を細めて――静かに頷いた。まるで、「大丈夫」と、言葉にせず応えるように。
……そして、一拍。
「――そうだっ」
声のトーンが少しだけ跳ね上がる。
カノンは手のひらをポンと合わせて、ぱっと表情を明るくした。
「お祝いの用意、まだまだ途中でしたよね!運命くん、何が必要そうですかっ?」
空気がほんの少し、柔らかく弾む。
さっきまでの会話が霞んでしまわないように、けれど、沈んだままにはさせないように。
カノンの笑顔は、まるで朝の光のように優しく切り替えてくれた。
――そのころ、騎士寮エントランス。
リンデンの掌から、淡い霊子のハートがふわりと浮かび、静かに崩れていった。
光の粒は重力に逆らうように宙を舞い、やがてゆっくりと空気に溶けるようにして消えていく。
その様子を、トロイとアンサー、そしてオーバーフローは言葉もなく見つめていた。
現実感のない光景だった。
本来なら触れることもできないはずの霊視エフェクトを、あの子は、当たり前のように掴んでみせた。
「……え、普通は、掴めない……よね?」
アンサーがぽつりと呟く。
マグカップを両手で持ったまま、彼女の眉が困惑気味に寄せられていた。
「絶対に無理。あれは視覚誘導の粒子だから、物理干渉なんて設計されてない。っていうか、あの名刺にそんな機能あったらオレが怖いわ……」
オーバーフローが自身の名刺デバイスをひっくり返しながらぶつぶつと検証している。さっきまでのテンションは控えめで、どこか真面目なトーンだった。
そんな二人の会話をよそに――
「ふふー……リンデンちゃん、やっぱり不思議ー。掴んだら満足して、ぽいってしちゃうとこも、赤ちゃんらしくて草ー」
トロイは口元に笑みを浮かべながら、膝に抱えたリンデンの頭をそっと撫でた。
当の本人はといえば、霊子のハートが消えたことなどまるで気にしていない様子で、別の方向をぼんやりと見ていた。
まるで、最初から“掴めたこと”にも“それが特別だったこと”にも、気づいていないかのように。
「だからさ、あのエフェクトって“可視誘導式の流動霊子”を局所展開してるだけだから、物理干渉のはずがないんだって!」
「うん。しかも散布式で拡張範囲が設定されてない。対象に触れるだけの仮想粒子群なら、内部干渉が起きるはずがないわ」
「でしょ!?なのに、掴んだんだよ!?素手で!無補助で!」
「……想定外。再現性があれば“観測干渉の逆流”も考慮すべきだけど……うーん。オーバーフロー、あの名刺のログ残ってる?」
「残ってる残ってる!めちゃくちゃ高エラー値で燃えてるけどなっ!」
気づけばオーバーフローとアンサーは、名刺デバイスの解体に取り掛かり、あーでもないこーでもないとお互いの意見を交換しあっていた。
そんな騒がしくも真剣な2人の議論を尻目に、トロイはリンデンの支度を進める。
柔らかい生地の服を身に着けさせ、椅子に座らせて、簡単な朝食をひとさじずつ運んでいく。
「はい、あーん。今日のメニューは林檎のやわやわ煮込みー。厨房直送の愛入りでーす」
リンデンは一瞬きょとんとしながらも、おとなしく口を開けてスプーンを受け取った。
ぱく、と音を立てて口を閉じると、もぐもぐと咀嚼を始める。その頬が少しだけゆるんだ。
「……んふふー。ちゃんと咀嚼できてるのえらいねー」
トロイの言葉に、リンデンはこくんと小さく頷いて、再びスプーンを口元に運ばれていく。
その平穏な時間のすぐ脇で、オーバーフローとアンサーは、名刺デバイスをほぼ半分まで解体していた。テーブルの上には内部基板や霊子コンデンサがずらりと並び、工具が音を立てて転がっていく。
「おーい、それ逆位相フィルタ抜くなら三次干渉も考慮しないと!」
「わかってる。でも、これ多分構造的に干渉領域が折り返してる。ループログ読み込める?」
「ちょい待って、今引き起こして……うげ、めちゃくちゃ焼けてる!」
そんな風に、完全に技術者モードに入った二人の喧騒の奥で――カツ、カツ、と軽い足音がエントランスに響いた。
自動ドアが開く音に、トロイだけがふとそちらへ目を向ける。
入ってきたのは、黒と白を基調にした和装に身を包んだ青年だった。
散切りの黒髪には、ひと房だけ白いメッシュが光に浮かぶ。袖口には桜の刺繍、背には穏やかな刀気――千紫のFortress、
「お早うございますね、皆さん。ご健勝で」
軽く手を上げるように挨拶しながら、斬は空気を読み取るように一度室内を見回すと、そのまま迷いなく、トロイとリンデンの元へと向かってきた。
膝を軽く折り、小さくしゃがみ込んでリンデンの目線と高さを合わせる。そして、ごく自然に手を伸ばして、小さな頭をやさしく撫でた。
「お誕生日、おめでとう。……リンデンも元気そうでなにより」
トロイが「わー、斬くん優しいー」と口元を緩める横で、リンデンはスプーンを咥えたまま、ぽかんとした表情で彼を見上げていた。
その姿を見て、斬は少し笑ってから立ち上がる。
「……あんまりこういうの慣れてないんですけど、トロイさんに言われまして。“ちゃんと祝えー”って、昨日の夜に」
「あははー、言ったねー。ちゃんと来てえらいえらいー」
斬が苦笑気味に肩を竦めていると――
「ざきさんざきさん!」
オーバーフローが急に顔を上げ、パーツの薄い煤にまみれた指を振りながら駆け寄ってきた。
「ちょうど今すごい話してたんすよ!聞いてよ!リンデンが、さっきオレの霊子エフェクト、掴んだんだよ!手で!素手で!ノーバフで!」
「……え、エフェクト?掴んだ?」
「そう!あのふわふわしてる光のやつ!可視誘導式で、物理干渉できないやつ!」
斬は一瞬きょとんとしたあと、眉を軽く上げた。
「ああ、なるほど……要するに、“雲を掴む”みたいな例え話じゃなくて――ほんとに雲、掴んじまったってことですかね?」
「そうそうそう!それそれ!ざきさん語彙センス良い!」
斬は「いやいや」と笑いながら手を振った。
「オレ、機械のことはよくわかんないんですけど……でも、そんなすごいことが起きたなら――リンデン、ますます目が離せない子ですね」
「でもまあ……」斬は立ち上がったまま、少しだけトーンを落とす。
その視線は、再びリンデンの方へと向けられていた。
トロイの膝にちょこんと座るその姿。
スプーンを握ったまま、まだ半分口に残る林檎の味をゆっくりと確かめているような、無垢な仕草。
その一挙手一投足に、オーバーフローの言っていた“異常現象”の片鱗など微塵も感じさせなかった。
それでも、斬の中には微かに拭いきれない“警戒”の色があった。
「……ちゃんとこの子、観察してた方がいいですよ。
言い方は悪いかもしれませんが――あんまりにも、普通じゃない」
そう口にする時の彼の声は、どこか柔らかかった。
責めるでもなく、疑うでもない。ただ、まっすぐに見て、受け止めようとする人間の声音だった。
だが、それに応えたのは、どこまでも緩い調子の声だった。
「んー、そゆとこも含めてリンデンちゃんだからねー」
トロイは、スプーンをひとつ手に取りながら、ひらりと手首を返すようにして答えた。リンデンがもぐもぐと口を動かしている様子を見ながら、ゆるやかに微笑む。
「まあ、陛下もトロイさん達も、みんなで見てるから――何とかなるでしょー。実際のとこー」
その言葉に込められたのは、“何もかもをひとりで抱えなくていい”という、ごく自然な優しさだった。
トロイの目には、きっとどんな子であっても、“世界に嫌われる存在”として映ることはない。
斬は、一瞬目を伏せるように息を吐いた。
「……そうですよね。出しゃばっちまいました」
そして、肩をすくめながら、今度はほんの少し照れたように笑った。
「ま、難しいことはともかく……この子が元気なら、それが一番ですね」
その言葉には、剣士らしい理屈のない納得があった。
強いからとか、異質だからとかじゃない――ただ、大切にしたいから。
それ以上の理由は、もしかしたらもう、必要ないのかもしれなかった。
斬の言葉にトロイが笑みを返した、その直後だった。
――パンッ
鋭い破裂音が、部屋の空気を弾けさせるように響いた。
「わッちゃああああ!?!?!?!?」
爆心地――いや、名刺デバイスの残骸を囲っていた机の前で、オーバーフローが派手に跳ね上がっていた。
彼の手元では、内部回路が高熱を帯びたまま煙を上げており、まるで焦げたポップコーンのように黒い塊が散らばっている。
「やっべぇ……しくじった……再構築プロセス、逆回転してた……!オーバーフローだけにってか!?うわーもう……!」
「……あーあ。これで“答え”は先になりそうね」
アンサーは小さく苦笑しながら、燃えかけた端子を指先で摘まみ、ぽいと空いた金属トレーに投げ込んだ。
炎はすぐに鎮火したが、焦げた匂いだけが部屋の一角にほんのりと残る。
リンデンが「ぱちっ」と瞬きをしながら、口に入れかけたスプーンを一瞬止めた。
「デバイス一枚、火事の元で草も燃えちゃうから気をつけなよー?」
トロイがにこにこと笑いながら、ひときわ涼しい声で冗談を飛ばす。
オーバーフローが手をばたばたさせながら「ちょっ、それオレのネタ!燃やさないで!」と叫んだが、完全に手遅れだった。
その様子を見て、斬もつい、ふっと肩をすくめる。
「……ほんと退屈しませんね、騎士寮は。普通に来ただけなのに、軽く修羅場踏んだ気分です」
トロイは「でしょー?」と悪戯っぽく笑いながら、再びリンデンの口元へとスプーンを差し出した。
誕生日回なのに段々終わりが見えなくなって来ちゃったね……
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった