閃光が収束した。
量子の粒子が残光の尾を引いて、運命たちの身体から離れて消えていく。
足元を踏みしめた瞬間、砂利のように脆く崩れる音がした。そこはもう、地上とは似ても似つかぬ荒野――荒れ果てた断崖の神域だった。
赤黒い霊子が噴き出すように小さな柱となってあちこちで立ち上り、まるで地面そのものが血を流しているかのようだった。風は無い。だが霊子の奔流が時折突風のように空気を引き裂き、耳鳴りを残していく。
運命が最後に目にした時よりも、さらに荒れていた。
いくつもの巨大なクレーターが地平を歪ませ、そこに残るのは爆ぜた焦土。さらに、数百メートルもの範囲が、不自然に「何もない」空白の土肌となって広がっていた。分子そのものを砕き消した、跡形のない消失。
――リンデンが、その力を振るった痕跡。
荒野の静寂には、生物の気配が欠けていた。
鳥も虫もいない。風切り音すら、霊子のざわめきに呑まれて途切れ途切れに消える。
ただ、存在するはずのものが削ぎ落とされた“穴”だけが、そこに確かに広がっていた。
最初に口を開いたのはスリーだった。無数の焦土に目を細め、銃を手にしたまま静かに息を吐く。
「この痕跡は……リンデンか」
言葉というより、確認するような低い呟き。
運命は仮面越しに頷いた。
『うん……間違いなくリンデンだよ』
その一言に、空気が微かに張り詰める。
プロブレムは肩を震わせ、小さな息を呑むと、次の瞬間にはもう足を踏み出していた。
「じゃあ、まだ近くに――!」
いつもの弾ける調子を抑えながら、それでも焦りが隠せず駆け出す。
アンサーはすぐにその背を追い、伸ばした手で肩を押さえた。
「待ってプロブレム。まずは計画と準備から、でしょ?」
落ち着いた声に見えて、視線の奥は同じ不安を映していた。
斬は刀の柄に手を添え、ゆるりと視線を巡らせていた。
「リンデンの救出と並行して、この神域の魔剣使いの調査もしないとですね」
その声音は真剣でありながら、責務を背負う者の冷静さを失わない。
「そうですよね。神域もどうにか出来なかったら本末転倒ですし」と、濡羽がキャンディの棒を噛みながら呟く。
その隣で玄鉄は肩を竦め、飄々とした笑みを浮かべる。
「まあ、そっちも優先しないとだよねー」
オラスは視線を泳がせ、言葉を探すように口を開いた。
「も、もしかしたら人員を分けた方がいいかもしれない…とか、思うんだけど…」
弱々しい声は霊子のざわめきに呑まれそうだったが、確かな提案の芯はあった。
スリーは静かに頷き、目を細める。
「合理的だ」
そして、全員の視線を束ねるようにして、運命を見据えた。
「さて、閣下。どう仕切るか──判断を」
スリーの問いに、運命はゆっくりと頷いた。
『二手に別れようか』
仮面のディスプレイに映る淡い光が、決断の色を帯びる。冷たさではなく、仲間の判断を信じる静かな意志だった。
『それでいいよね、トロイ?』
沈黙を守っていたトロイが、ようやく口を開いた。
「それが間違いないかなー。トロイさん的にも、あんまり大人数でぞろぞろ動くのはねー」
軽く肩を揺らす声は柔らかだが、彼女の瞳は遠くの荒野を射抜くように細められていた。裂けた断崖の彼方を見つめるその姿は、仲間たちよりも一歩早く、この神域の奥で待ち受けるものを探ろうとしているかのようだった。
やがて彼女は、気配を振り払うように小さく首を傾ける。
「ねえ、玄鉄ちゃん」
軽い響きの中に、僅かな緊張が混じっていた。
「この神域の霊子、ちょっと変じゃないー?」
玄鉄は「んー」と唇を尖らせ、数瞬目を閉じる。霊子の流れを肌で感じ取るように呼吸を整え、耳元のピアスに指を軽く触れた。
「ま、言われてみりゃ確かに変なとこあるね。濃度が高すぎるってわけじゃないけど、ちょっと歪んでる。ウチら魔術系には、気持ちよく力を流してくれないタイプの空気感、っていうのかな」
片目を覗かせて、からかうような笑みを浮かべる。
「まあ俗に言う“魔女の勘”ってやつ?半分当たり、半分気分。そんなとこ」
トロイはその言葉を聞くと、口元に僅かな笑みを刻んだ。
「やっぱりそうだよねー。じゃあ、ただ二手に別れるだけじゃなくて、誰と誰が組むか考えないとだねー」
彼女の声色はいつも通り緩やかだったが、その裏に計算の光が確かに滲んでいた。
空気を張り詰めるように、霊子の奔流が突風めいて荒野を走る。赤黒い柱が揺らぎ、光が歪む。仲間たちの視線が自然と斬へと集まった。呪術に通じる第二騎士団の騎士なら、この違和感に答えられるかもしれない。
斬は真剣な表情で周囲を見渡し、唇を結ぶ。
「申し訳ないですが、オレには断言はできません。輝夜さんや紫亜がここにいれば、呪術的な相性を解析できたかもしれませんが……」
言葉を濁しながらも、刀の柄を握る手は緊張を示していた。
「ただ一つ言えるのは、この神域そのものが“意図して”外来の術式を受け付けにくい構造になっている、そんな気配はあります」
仲間たちの間に、重い沈黙が落ちた。だがそれは絶望のものではない。むしろ、未知を共有したことで、それぞれの役割を見定めるための一瞬の間合いだった。
霊子の風が吹き抜ける音だけが、断崖にこだまする。
議論はすぐに「どう分かれるか」へと移った。
霊子の流れが彼らに与える不利は、誰がどう動くべきかを分かち難く示していた。
運命の限定神域の加護を受けなければまともに戦えない者たち――トロイ、濡羽、玄鉄。
この三人は必然的に救出班に組み込まれることになった。
「こればかりは仕方ないよねー」
トロイは肩を竦めながらも、どこか達観した口調で呟く。
「陛下の傘の下で雨宿りさせてもらわんと、ウチらもねー。しゃーないっちゃしゃーない」
玄鉄も同意するように笑みを浮かべ、指先でピアスを弄んだ。
濡羽はむくれ顔でキャンディをくわえたまま黙って頷く。その仕草に「納得はしてないけど理解はしてる」感情がにじんでいた。
一方で、残された者たちは――プロブレム、アンサー、スリー、オラス、斬。
彼らは霊子の影響をそこまで受けず、別働隊として神域調査に動く候補に上がった。
「うー、ほんとはリンデンくんを助けに行きたいけど……」
プロブレムは唇を噛んで俯いた。だが、次の瞬間に拳をぎゅっと握りしめて自分を抑え込む。
「我慢、我慢……っ!天才は空気も読むのも天才だからっ!」
そう言って無理やり笑顔を作り、後方を任される覚悟を示した。
しかし、まだひとつの問題が残っていた。救出班の前衛が不足している。
トロイや濡羽、玄鉄ではどうしても前に立つには心許ない。
誰か、斬かオラスのどちらかが加わる必要があった。
「斬くん、どう思う?」
問いかけに、斬は姿勢を正し、短く返す。
「……あくまでお任せします」
その言葉には、己が盾であることを承知しつつも、隊全体の采配に従うという信頼が込められていた。
視線は自然とオラスへと集まる。
「えっ、わ、私?」
唐突に名前を出されたオラスは、目を泳がせて後ずさる。
「え、えっと……その……別働隊でもがんばれるし、でも、でも……」
両手をぶんぶん振って散々迷い続け、しばらく視線を泳がせた後、意を決して顔を上げる。
「……わかった!行くよ!救出班、オラスも入る!マクスウェルもラブレスも、全力でやるから!」
霊子の流れに左右される者と、まだ動ける者。
二手に分かれた布陣は、それぞれの役割をはっきりと刻んでいた。
救出班――運命、トロイ、濡羽、玄鉄、そしてオラス。
リンデンを迎えに行くための矛と盾。
別働隊――スリー、プロブレム、アンサー、斬。
神域を調査し、妨害勢力を封じるための目と手。
運命は一人ひとりの顔を見渡した。
仮面のディスプレイに青白い光が瞬く。その奥で、彼女は確かに仲間たちを刻んでいた。
この場で誰一人として欠けさせないために。
『……みんな、気をつけてね』
その声に応じて、それぞれが短く頷き、武器を握り直す。
足元の大地から、赤黒い霊子が吹き上がる。
荒野の静寂を切り裂くように、二つの小隊は動き出した。
別働隊の四人──スリー、プロブレム、アンサー、斬。
それぞれが陣形を広げ、赤黒い荒野に散らばる影を斬り伏せ、叩き伏せ、撃ち抜いていく。
襲いかかる魔剣種子体の群れは、数そのものは少ない。だが牙を剥くたびに漂う気配は異様で、妙な静けさが辺りにまとわりついていた。
「はあっ!」
刀を振るい、斬が二体まとめて断ち切る。舞い散るはずの霊子は、空気に溶けずにその場で淀み、濁った塊のように残り続けていた。
「……おかしい」
スリーは血飛沫のように飛んだ残骸を踏みしめ、眉を寄せる。
「普通ならとっくに還元されてる筈。だが、これは……分解されてない」
戦場の片隅には、さらに不気味な光景が散らばっていた。
腕の千切れたドール。胴を抉られたドール。首だけとなったドール。
だがどれも、戦闘の痕跡にしては生々しすぎる。
しかも、その多くは彼らの刃ではなく、別の何かに粉砕された跡だった。
「……ねえ、みんなも思わない?」
プロブレムが不安げに眉をしかめ、周囲を見回す。
「数が少ないっていうかさ、なんか──狩り残し、って感じがしない?」
「そうね」
アンサーが冷静に応じ、視線を断崖の奥へ向けた。
「まるで、私たちの前に“誰か”が通ったみたいに……戦場そのものが削られている」
風が吹き抜ける。赤黒い霊子を巻き上げ、耳障りなざわめきのような音を残していく。
違和感は、確実に積み重なっていった。
ここに漂うものは、敵が生きている証ではない。
むしろ──敵すら飲み込む“何か”がすでにこの神域を食い荒らしている証だった。
四人は戦闘の余韻を振り払いながら、さらに神域の奥へと歩を進めていた。足元に散らばるのは霊子に還らない残骸ばかりで、進むごとにその異様さが強くなる。
やがて、断崖の地形は途切れ途切れの小さなクレーター群へと変わり、まるで幾度も隕石が叩きつけられたかのように地表が穿たれていた。赤黒い霊子はそこから噴き出し、重苦しい空気をさらに濃くする。
「……なに、これ」
先頭を進んでいたプロブレムが、足を止めてしゃがみ込む。彼女の視線の先には、無惨に折れ曲がった金属のアームが転がっていた。煤と赤黒い斑点に汚れたその形状は、四人全員に見覚えのあるものだった。
「ナンナリス……?」
アンサーが息を呑み、すぐさまプロブレムの隣に膝をついた。指先で慎重に残骸をなぞり、その感触に表情を曇らせる。
「間違いないわ。リンデンくんの後部ユニット……アームの一本よ」
スリーも歩み寄り、斬も無言で傍らに立った。
ナンナリスのアームは頑丈無比。通常の戦闘はおろか、よほどの破壊エネルギーを受けなければ折れることはない。しかも、それを知っているのはこの場の二人──プロブレムとアンサーだけではなかった。
「……おかしいよね。こんなとこ、絶対に壊れるはずないのに」
プロブレムが声を震わせ、折れた接合部を指差す。
「だってこれ、私たちORANGEがデータから詰めて、リンデンくんと一緒に作り上げたやつだよ? 私たちが一番、どれだけ強度あるか知ってる……」
アンサーも静かに頷き、手を引いた。彼女の瞳には理知の光と、言い知れぬ不安が宿っていた。
「そうね。設計段階から、ありとあらゆる破壊を想定した。霊子の干渉も、物理的な衝撃も、全部テスト済み……それでも折れたのなら、これはただの戦闘じゃない」
スリーが低い声で口を開く。
「つまり、それすらを凌駕し破壊する力が……この神域には在る、ということか」
四人の間に重苦しい沈黙が落ちた。
赤黒い風が吹き抜け、転がる残骸の金属片をカランと揺らす。その小さな音は、無数の言葉より雄弁に、状況の異常さを物語っていた。
斬が口を開いたのは、その沈黙を断ち切るためだった。
「……いずれにせよ、リンデンがここを通った証です。ならば進むしかありませんね。たとえ待ち受けるものが何であろうと」
彼の言葉に、全員が無言で頷いた。
ナンナリスの残骸を手にしたまま、四人は再び前へと歩き出す。
この先に待つのは救うべき仲間か、それとも──もっと違う何かか。
赤黒い霊子の霧が濃くなる中、四人は足を止めた。
視界の先、崩れた岩場を越えた小さな盆地に──異様な「それ」がいた。
魔剣種子体の群れと、召喚された汎用型ドールたちが無数に転がっている。だが、それらを討ち倒したのは人類側ではない。
白い筋肉が露出した逆関節の脚が、地面を食い込むように支えている。頭部は存在せず、胴体の先端そのものが巨大な顎と化し、むき出しの歯が血肉も鉄屑も選ばず噛み砕いていた。
ぐしゃり、と音を立ててドールの首が砕ける。
ぐわりと顎が開き、溶けるようにドールの躯が咀嚼される。
そして──背中に癒着した一本の金属のアームが、低い唸りを上げながら光を帯びた。
「……っ!」
次の瞬間、残っていた汎用型ドールの数体が、放たれた霊子ビームに吹き飛ばされ、粉砕された。
そのアームは間違いなく、さきほど拾ったものと同じ「ナンナリス」の一部。
だが、こちらはまだ生きていた。生き物の一部のように、異形の背に吸い付いて、まるで戦利品であるかのように機能していた。
プロブレムの瞳が大きく見開かれる。
「……っ、なん、で……なんでソレが……ッ!」
怒りで声が詰まり、言葉にならない。
自分たちが、リンデンと共に積み上げてきた結晶。壊れるはずのないナンナリスの二本目が、よりによって怪物の背にある。
その現実に、プロブレムの顔は怒りと恐怖で引きつっていた。
アンサーが素早く彼女の肩を掴み、冷静な声を投げる。
「プロブレム、落ち着いて。今は感情よりも状況を見ないと。あれは……想定外でも、敵よ」
スリーは無言で前に一歩出て、ホルスターにある武装に手をかける。
斬は刀を抜き放ち、腰を低く構えた。
四人の間に一気に緊張が張り詰める。
白い脚の怪物が、ぎちぎちと歯を噛み鳴らしながら振り向いた。
顎しかない胴体の奥、その口腔の闇に、ぞっとするような霊子の輝きが灯っていた。
赤黒い霊子が靄のように漂い、空気そのものを重く濁らせていた。
︎︎救出班の五人は言葉少なに歩を進める。足元に散乱するのは、天使──無機質なドールの残骸と、砕けた魔剣種子体の破片。どれもが霊子に還らず、その場に物質として残されている異常が、じわりと胸の奥をざわつかせる。
首のないドールの巨体は岩壁に叩きつけられたまま凹んでおり、甲殻に似た破片は鋭利に裂かれ、辺りに飛び散っていた。
︎︎地面には無数の亀裂が走り、焦げ付いたような痕跡が続いている。まるで一帯を巨大な獣が暴れ回り、蹂躙して去ったかのようだった。
濡羽が口元を引き結びながら、崩れたドールの腕に視線を落とす。
「……おかしいですよね。残骸が消えてない。普通なら霊子に戻ってるはずなのに」
玄鉄は足元の破片を蹴り上げるように拾い上げ、手のひらで重みを確かめた。
「んー……物質化が固定されてる。神域の霊子がこっちの理屈と噛み合ってない証拠かな。嫌な残り方してるねぇ」
オラスは背中に大きな拳ユニットを揺らしながら、落ち着きなく周囲を見回した。
「……へーか、なんか怖いんだけど……これ、絶対ただの戦闘痕じゃないよ。人間が暴れた感じに見えない」
トロイはそんな彼女をちらりと見て、笑みを浮かべたまま視線を前へ向けた。
「人間、ねー。もしそうなら……ずいぶん荒っぽい“人間”がここにいたんだろうねー」
運命は立ち止まり、膝をついて地面に残る踏み跡を撫でた。深々と抉られたその痕跡は、確かに彼女の知る歩幅と一致していた。
『……間違いない。この痕、リンデンのものだよ』
言葉を失う一行。霊子の風が荒れ果てた断崖を撫で抜け、ひとときの静寂が広がる。
︎︎彼らが進むべき先には、まだ姿を見せぬ“彼”が待っている。その気配が、地に残された暴虐の痕跡からは確かに漂っていた。
︎︎──救出は近い。しかし同時に、避けられぬ邂逅の予感も。
間を置かず、乾いた空気を裂くように、突如「バンッ」と何かが爆ぜる音が五人の耳に飛び込んだ。岩を叩き割る衝撃音とも、内臓を抉る破裂音ともつかぬ、不吉な響きだった。
︎︎全員が同時に立ち止まり、視線を交わす。ここで戦闘を行う存在など限られている。別働隊が戦っているのか、片割れの少女が暴れているのか──あるいは。
その答えにたどり着くより先に、彼らの足は自然と音の方向へと駆け出していた。
︎︎断崖の岩肌を削るように、赤黒い霊子が吹き出す。進むほどに、地面には砕け散った魔剣種子体の鉱片が転がり、ひしゃげたドールの無機質な手足が折り重なって散乱していく。
︎︎腕がねじ切られ、頭部が噛み砕かれた残骸──いずれも常識的な戦いの痕跡ではなく、暴力そのものの爪痕だった。
オラスが思わず足を止め、息を呑んだ。
「……これ、絶対、ただの戦闘じゃない……」
誰も返事をしなかった。ただ足音だけが、硬質な大地に規則正しく響く。近づくほどに、戦闘音は激しさを増し、何かを粉砕するような衝撃と、霊子の軋む音が耳を打つ。そして──。
中心地へ辿り着くと同時に、音は唐突に途絶えた。張りつめた沈黙の中、霧のような霊子の霞の向こうに、一人の人影が立っていた。
︎︎周囲に散らばるのは、種子体を殴り潰し、ドールを粉砕して崩れ落とした直後の光景。大地は陥没し、岩片が宙を舞ってなお落ちきっていない。
その背中は、彼らがよく知るものに酷似していた。
『……リンデン?』
運命の声が、沈黙の霊子を震わせる。その瞬間、人影の肩がピクリと動いた。振り向きは遅々としていた。だが、その一挙一動が、見ている者の心を締め付ける。
三つ編みが、赤黒い霊子に染み込まれたように揺れる。かつて整然としていた髪は煤け、血と灰を吸ったように重く垂れている。ゆっくりと、顔だけがこちらへと振り返った。
紅蓮。
瞳に宿るのは人の光ではなく、灼熱の残光。まるで燃え盛る炎が形を持って収まっているかのような赤が、救出班を捉えた。
トロイの胸が強く跳ねた。濡羽は息を止め、玄鉄は無意識に手をコートの内へ差し入れていた。オラスの拳ユニットが震える。
だが、その全てを呑み込むように、彼の視線はただ、運命たちを焼き尽くさんばかりに注ぎ込まれていた。
それは懐かしい弟の目ではなかった。
けれど、確かにリンデンの目だった。
リンデンの背が、ゆっくりと正面を向く。霊子の霞の中から浮かび上がったその姿を見て、トロイは思わず小さく息を飲んだ。手は自然と、自身の聖槍リタを胸元へと引き寄せていた。
右腕は、もはや人の形を留めていなかった。肉は異様に肥大し、節くれだった筋が石のように硬質化して膨張し、腕全体は地を擦りながら存在している。その表面に走る亀裂の奥からは、まるで肉に埋め込まれたかのような歯列が覗き、ガチガチと噛み合わさっては、断続的に不気味な音を鳴らす。
『神魔調伏! 悪鬼覆滅!』
その歯列が、あるいは右腕そのものが、呪詛を唱えるようにそれだけを叫び続けていた。生身のリンデンの声とは異なる、しかし確かに彼の体から発せられる叫び。耳にするだけで霊子が軋み、胸の奥を掻き乱す。
その異形が、一歩。
また一歩。
ゆっくりと、だが確実に、運命たちの方へ歩み出す。
まるで帰るべき家を見つけた子供が、家族の元へと帰ろうとするように。
玄鉄は、コートの中に潜ませていた手を引き抜いた。掌に握られていたのは、小さな小瓶──濃縮した霊子を封じ込めた魔術媒体だ。ひとつ息を吐き、彼女は飄々とした仮面を崩さずに臨戦の気配を纏った。
濡羽とオラスは、まだ事態を呑み込みきれずに立ち尽くしていた。震える瞳に映るのは、かつて弟や仲間と呼んだ存在の変わり果てた姿。言葉を探すより先に、心が追いついていなかった。
運命の手には、既に魔剣が握られている。その切っ先は迷いなくリンデンへと向けられていたが、胸の奥底では僅かに震えが走っていた。
その時だった。
リンデンの強張っていた口元が、軋むように開いた。
――
その瞬間、右腕が異様な速度で振り上げられた。無数の歯が軋みを上げ、裂け目の奥から赤黒い光が滲み出す。
次の一撃は、再会の抱擁などではない。
牙を剥いた怪物としての「帰還」の証。
轟音と共に、異形の腕が救出班を薙ぎ払うように襲いかかった。
すみません、めっちゃスランプ入ってます。
6章と若干ネタ被りしてる感じがするんですじゃ……
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった