「よお、また会ったな」
その声は、静寂の神域を切り裂くように響いた。
熱と灰の残る戦場の向こう、漂う粉塵の帳を押し分けるように、ひとりの少女が姿を現す。
黒に近い深緑のざんばら髪が、風にあおられてふわりと揺れた。
乱雑でありながら、光を受けるたびに透き通るような翡翠の光沢を放つ。
その右手には、まるで内側から命脈が灯っているかのような魔剣――翡翠色の輝きを宿した一振り。
その光景を見た瞬間、運命の肩が僅かに揺れる。
二度目の邂逅。忘れるはずもない声。忘れたいほどに刻まれた戦いの残響。
仮面の奥で、ディスプレイの瞳がわずかに警戒の色を増す。
他の四人――トロイ、オラス、玄鉄、濡羽――は、初めて対面するその存在に、どこか“懐かしさ”と“寒気”の入り混じった感覚を覚えていた。
目の前の少女から放たれる霊圧は、確かにリンデンのものだった。
優しく、誠実で、どこまでも真っ直ぐだったあの弟の気配。
だが同時に、その奥に潜むのは、腐蝕し歪んだ怨嗟の匂い。
オラスが、思わず身を乗り出した。
「これ……リンデンの、気配……?」
声は震えていた。
玄鉄は目を細め、舌打ちを一つ。
「片割れにしてはくっそ似てないなー。ガワと霊子だけ似通った別物でしょ」
濡羽はキャンディの棒を握りしめたまま、一歩後退しながらも魔術構成を展開している。
「これ……偽証罪で訴えてもいいですよね……!」
だが、その声音には確かな戦意が宿っていた。
少女はそんな彼らの反応を愉しむように微笑んだ。
彼と同じ、暗紅の光が瞳の奥で揺らめく。
「御機嫌よう、
その口調は皮肉と戯れをまぜこぜにした、芝居がかった丁寧さ。
まるでこの場全てが一興の舞台であるかのように。
だが、その言葉の端々には、ぞっとするほどの冷たさが潜んでいた。
運命の仮面が低く光を放ち、空気が張り詰める。
『その魔剣……リンデンの――』
問いかけというよりも、確信に近い声。
剣から流れ出す霊子波が、確かに“彼”のものであることを運命は感じ取っていた。
その瞬間、少女は唇を歪め、愉快そうに肩を竦めた。
「ご明察だよ、皇帝陛下」
軽やかにそう言いながら、少女は手にした魔剣を一度、軽く振るう。
ひゅう、と空を裂く音。
翡翠の光が風に散り、周囲の地面が波紋のように歪む。
「オレと
少女は笑みを浮かべたまま、まるで他愛もない雑談のように言葉を落とした。
その声音の軽さとは裏腹に、その告白が意味するものは、あまりにも重い。
「半分……回収……?」
濡羽が呟く声は震えていた。
玄鉄は冷静に見えるが、指先はわずかに痙攣している。
オラスは息を止め、マクスウェルとラブレスを構えた。
少女の黒緑の髪が揺れる。どこか、リンデンと同じ影を宿した揺らぎだった。
「ま、その結果――
その一言に、トロイの瞳が鋭く光る。
唇がきつく結ばれ、聖槍リタの柄が僅かに軋んだ。
あの異形。血と呪詛に塗れ、右腕が獣のように肥大化した彼の姿。
それを生んだのは――目の前のこの少女。
「お前らがボロボロにしてくれたおかげで、助かったよ」
少女は唇を歪め、楽しげに笑う。
「
ほんっと、ありがたい話だな」
乾いた靴音が、岩の上に響いた。
翡翠の魔剣が、静かに地を撫でる。
その軌跡から、粒子がこぼれ――やがて、粒子は形を変えた。
爪のように鋭い翡翠の刃が生え、空気の中で結晶が咲く。
それらが音もなく空間を漂いながら、まるで意思を持つかのように救出班を囲んでいく。
「……!」
濡羽が息を呑み、玄鉄の指が魔術式を走らせる。
トロイは槍を構え、オラスは前へと一歩踏み出した。
運命はその中心で、仮面の奥の瞳を細める。
『また、ここからなんだね……』
少女が薄く笑う。
「そう、“また”だよ、皇帝陛下。――今度は終わらせないとな」
次の瞬間、翡翠の爪刃が一斉にきらめき、結晶が弾けた。
戦闘前の静寂を裂く音が、神域の奥へと響き渡った。
空気が裂ける音とともに、翡翠の閃光が空間を走った。
結晶化した霊子が弾丸のように散布され、ひとつひとつが衝突のたびに小さく爆ぜる。雨のような輝きは美しくも無秩序で、視界を埋め尽くすほどだった。
オラスはマクスウェルを突き出し、正面の翡翠結晶をまとめて叩き砕く。
「ちょ、ちょっと!? また数増えてんだけどぉっ!?」
彼女の声が神域の空に反響する。破裂する霊子の光に顔をしかめながら、次の攻撃に備えて姿勢を低く取った。
すぐ傍らでは、トロイが聖槍リタを横薙ぎに振るい、空を走る結晶の雨を祓い落とす。彼女の動きはまるで祈りの所作のように滑らかで、槍の残光が後を引いた。
「オラスちゃん、あんまり突っ込みすぎないでねー、足場も崩れてるよー」
軽口のように聞こえるその声の裏で、彼女の眼差しは一瞬たりとも敵を離さない。
少女は高台の岩の上、翡翠の粒子をまとって佇んでいた。
ざんばらに乱れた黒緑の髪が微かに風を撫でるたび、光がその隙間でちらつく。右手に握られた魔剣が、呼吸に合わせるように低く唸った。
玄鉄が小瓶を握りながら一歩引く。
「トロイ、もう一陣くるっぽい。散開、散開!」
声と同時に、少女の翡翠結晶がまた空間に散布された。
玄鉄はそのまま小瓶の中身をばら撒き、短い詠唱を口の中で転がす。
白煙のような魔術陣が彼女の前に展開し、次の瞬間、地表から鋭い氷柱が突き上がった。
降り注ぐ結晶群がその氷柱に弾かれ、爆ぜ、灰色の閃光が霧のように散る。
「数、エグいって。爆撃モードじゃん加減しろよー……!」
焦げた前髪をかき上げながら玄鉄が呟く。
濡羽は背後から詠唱を重ね、魔力の線を引く。
「……座標指定、右上三十度。雷閃陣――起動ッ!」
魔法陣から迸る雷撃が、翡翠結晶の群れをまとめて撃ち抜く。
閃光と雷鳴が重なり、視界が一瞬真白く染まった。
その爆光の中で――少女が動いた。
霊子を纏って踏み込んだ一歩は、音すら置き去りにする速度。
オラスが反応したのは、背後の気圧が変化した瞬間だった。
「っ……うそっ、後ろ!?」
反射的にラブレスを振り上げる。だが間に合わない。
少女の膝が音もなく跳ね上がり、オラスの腹部にめり込んだ。
衝撃が抜け、オラスの身体が宙を舞った。
瓦礫に叩きつけられた魔拳が火花を散らし、爆風のように霊子の光が弾ける。
「がっ……は、ぁっ!」
苦痛に呻く声をかき消すように、翡翠の粒子が空気を焼いた。
トロイが槍を構え直し、玄鉄が魔法陣を再展開する。
濡羽は即座にオラスの前へと滑り込み、雷撃の障壁を展開。焦げた空気が弾かれて霧散した。
少女は、煙の向こうに立っていた。
黒緑のざんばら髪が翡翠の光を反射し、右手に握られた魔剣が低く唸る。
その口元には、笑み――だがどこか、吐き気を催すほどの冷たさが宿っていた。
「なあ――お姉様方よ」
その声が響いた瞬間、神域の空気が一気に静まり返る。
「
︎︎翡翠の魔剣を肩に乗せ、少女は軽やかに言葉を放った。
「楽しかったろ? どうせお遊びみたいに何度でもリセットできるんだもんな。
死んでも、失敗しても、数百年経てば忘れて笑ってられる――永遠の命ってのは、そういうもんなんだろ?」
言葉のひとつひとつが、毒のように鋭く、心臓を刺す。
その挑発を聞いて、誰よりも早く顔を上げたのは――オラスだった。
マクスウェルとラブレスが低く唸り、焼けた金属の軋みが響く。
彼女の頬に付着した血が、一筋だけ伝って落ちた。
「……遊び、だって?」
震える声が、低く地を這う。
そして、オラスの双眸に燃えるような熱が灯った。
「――誰が、“家族”を遊びでやってんだよ……!」
金属と霊子が軋むような音が、神域の空間を貫いた。
オラスの拳がマクスウェルを通じて地面を抉り、赤黒い空気を裂く。
少女はそのすぐ先で、翡翠の魔剣を片手に軽やかに跳ね、まるで遊びのような笑みを浮かべていた。
血の匂いと焼けた霊子の蒸気。戦場の空気は、もう“戦闘”というよりも“感情の爆心地”だった。
「へぇ、怒るんだ?」
少女が唇の端を歪めた。
ざんばらの黒緑の髪が、剣の残光に照らされ翡翠のように煌めく。
「“家族ごっこ”って言葉が効くんだな。お前ら、自覚あるんじゃん?」
その声音は柔らかく、しかし底には確かな毒があった。
オラスは短く息を吸い、眼を細める。
「……うるさい」
ラブレスがうなりを上げる。衝撃波の余波が、瓦礫と灰を巻き上げた。
「“ごっこ”なんかじゃない。陛下も、リンデンも、みんな……本気で向き合ってた!」
少女は鼻を鳴らして、わざと剣を肩に乗せる。
「本気で? ああ、そうか。本気でやって、こんな事になったわけだ。……傑作だな、お姉様」
刹那、オラスの身体が爆ぜたように動いた。魔拳が音速を超え、少女の頬を掠めて空気が爆ぜる。
「反応は悪くねぇけどさ」
少女が軽口を叩くより早く、爪刃がオラスの脇腹を裂いていた。
「感情で殴るのは、弱い奴のやり方だよ」
オラスの目に炎が宿る。
その時、横合いから青白い光が奔った。
「――《蒼氷圏界・零度収束》!」
玄鉄の詠唱。冷気が奔流のように広がり、少女の脚を凍りつかせる。
だが少女はすぐに、地面を貫いて氷を破壊した。破片が閃光を散らす中、彼女は余裕の笑みを浮かべる。
「おー、魔女様も健在。古典魔術ってやつ?趣があるよな」
玄鉄は淡々と肩をすくめた。
「趣があるって言葉、似合わない顔してるぞー。……てか、リンデンの中身、覗いたんでしょ?」
少女が目を細める。
「何を」
「分かったなら、もう口にできないはずだけどねー。“あの子”が何を見て、何を願ってたか」
少女は短く沈黙した。
風が止まり、霊子の流れがわずかに乱れる。
「だから間違ってたんだよ。
「でも拾われたんだよね」玄鉄の声がかぶせた。
その口調は穏やかだが、鋼のように強かった。
「それが現実。あの子は“拾われたからこそ”、笑えるようなったわけ」
濡羽が前に出る。
キャンディの棒を口から抜き、小さく息を吐く。
そのまま棒を地に捨て、手の中に小さな魔方陣を浮かべながら言った。
「……つまりあなた、“それ”が気に入らないだけなんですね」
少女が眉をひそめる。
「は?」
「自分には帰る場所が無いからって、帰れた誰かを壊そうとしてる。
でも、それってただの八つ当たりです。――それで気持ちよくなるなら、訴えてもしょうがないですけど」
小さな体から発された声には、凛とした力があった。
少女の口角がピクリと動いた。
だが笑いではなく、怒りの予兆。
翡翠の奔流が渦を巻く中、トロイは一歩前に出た。
聖槍リタを肩に担ぎ、ゆるりと首を傾ける。
その姿はあまりに静かで、戦場の喧騒が嘘のようだった。
「あのさー」
ふわりとした声音。まるで、日常の雑談でもするかのような柔らかさ。
「これはトロイさんの個人的な見解なんだけどねー」
軽い調子で言いながら、トロイは少女の瞳を真正面から見据えた。
その一瞬――空気が、変わった。
温度が急激に下がったような錯覚。霊子の流れすら止まる。
「――あの子の記憶を覗いたくらいで、分かった気になってんじゃねえよ。ブス」
声は低く、氷のように冷たかった。
先程までの穏やかさは消え失せ、トロイの瞳だけがまっすぐに少女を射抜いていた。
場の空気が一瞬で凍りつき、翡翠の結晶がひとつ、ぱきんと音を立てて砕けた。
少女の表情がわずかに歪む。
トロイは続けた。今度はわざと、言葉を荒く、汚く吐き捨てるように。
「トロイさんね、赦すのは得意だけど、軽んじられるのは嫌いなんだー。
“あの子”をわかったつもりで話すなよ。リンデンちゃんはな、お前が思ってるより、ずっと――綺麗な子なんだよ」
静かな声音のまま、だが棘のような怒気がその一語ごとに滲み出ていた。
その“綺麗”という言葉には、戦場の誰もが知らないほどの深い想いが込められていた。
嘲笑でも、挑発でもない。
――“痛みを知っている者”の、魂を削るような言葉だった。
少女の唇がピクリと動く。
「あ?」
乾いた声が、空気を切る。
少女の顔がわずかに歪み、笑いと怒りの狭間で崩れていく。
「それを、お前が言うのかよ」
吐き捨てるように笑いながら。
「
挑発の言葉。刃のように鋭く、まるでそのまま心臓を抉るようだった。
それでも――トロイは、一歩も引かなかった。
返す言葉もなく、ただ静かに少女を見据える。
その瞳の奥に宿っていたのは怒りではなく――確かな覚悟だった。
沈黙が落ちた。
トロイの瞳を真正面から受け止めた少女は、唇の端をわずかに歪め、やがて喉の奥から漏らすように、小さく呟いた。
「――ああ、そうかい」
その声は、乾いていた。
嘲りとも、諦めともつかない響き。けれどその裏には、焼け焦げるような怒りが潜んでいた。
少女の足元に、翡翠の結晶が静かに芽吹く。
小さなひび割れのように光が走り、瞬く間に複雑な幾何学を描き出す。
結晶は呼吸をするように膨張し、彼女の身体をゆっくりと持ち上げていった。
空気が震える。霊子の流れが変わる。
風が、止んだ。
地上にいる運命たちは、息を呑んで見上げた。
結晶の光を背に、少女は冷たく笑っていた。
その瞳には、もはや“人”の感情ではないものが宿っている。
「結局お前らが見てるのは
魔剣が、軋む。
翡翠の輝きが刃に収束し、次の瞬間、世界そのものを裂くような音と共にひと薙ぎされた。
刃の軌跡から無数の粒子が噴き出し、少女を中心に円を描くように放射される。
それは霊子とは異なる、存在そのものを侵食する“翡翠の塵”――。
風が翡翠色に染まり、空気が痛みを帯びる。
光はゆっくりと拡散し、神域の隅々にまで広がっていった。
まるで、この場所に生きる“すべて”を均一に削り取るように。
「そんなお前らへ――弟くんの代わりに伝えてやるよ」
少女の声が、翡翠の海に響いた。
彼女の腕がゆっくりと掲げられ、肩に乗せていた魔剣が真上へと持ち上げられる。
その瞬間、光が脈打った。
“主核”――奪われたリンデンの力が、完全に解放される。
神域が軋む音がした。
霊子の循環が乱れ、結晶の波紋が空を裂き、時間の流れすら歪む。
トロイが反射的に聖槍を構え、運命が魔剣を強く握り締める。
濡羽の詠唱が途切れ、玄鉄の息が止まる。
――そして、少女の口元が、ゆっくりと嗤った。
「――
その一言が落ちた瞬間、神域が軋んだ。
光が弾けた。
音よりも早く、翡翠の奔流が四方八方へ広がる。
視界が白く反転し、霊子がねじれ、空間そのものが“裏返る”。
無数の粒子が、流星のように降り注いだ。
それは霊子でも炎でもなく、存在の境界を穿つ光。
触れたものすべてを透過し、貫き、魂の奥に“何か”を刻みつけていく。
運命が咄嗟に限定神域を強化し、トロイが聖槍を突き立てて防壁を張る。
だがそれらをすり抜けるようにして、粒子は静かに彼らの身体を通り抜けた。
――刺すような痛みはない。
ただ、胸の奥が凍るような感覚。
血が温度を失い、霊子の流れが一瞬だけ“止まった”ような錯覚。
玄鉄が息を飲み、濡羽が肩を押さえる。
オラスの魔拳から微かに火花が散り、トロイの頬に一筋の汗が流れた。
彼らの中を、確かに“何か”が通り抜けた――それだけが、恐ろしく鮮明に残った。
神域の空がひび割れる。
翡翠の粒子が空間に滞留し、ゆっくりと地上へと降り積もっていく。
少女はその中心で、静かに魔剣を下ろした。
「――ほら、願いは叶ったろ」
そう呟いた声が、霊子の残響と共にかき消えていった。
意識が戻る。
重たい呼吸の音が、耳の奥で反響していた。
瞼を開けると、視界に映るのは淡く緑がかった空気の粒――あの翡翠の残滓が、まだ宙を漂っている。
運命が意識を取り戻したのは、断崖の影だった。
背中には冷たい岩肌の感触、口の中には血と鉄の味。
身体の節々が痛みを訴えるたびに、筋肉が強張り、軋む音を立てた。
不死の再生が――働いていない。
ゆっくりと上体を起こすと、視界の先には、まるで隕石でも落ちたかのような光景が広がっていた。
断崖の至るところにクレーターが穿たれ、削げ落ちた岩の縁からはまだ淡い翡翠の光が漏れ出している。
風が吹き抜けるたび、耳の奥で金属的な共鳴音が鳴った。
神域そのものが、まだ震えている。
「おっ、ようやく陛下のお目覚めかー」
掠れた声がした。
そちらを振り向けば、崩れた岩の上に腰を下ろした玄鉄がいた。
彼女の姿は、ひどくボロボロだった。
白いシャツは煤にまみれ、袖口には焼け焦げの跡。
分厚い魔術外套はところどころ裂け、刺繍糸がほつれて垂れ下がっている。
頭の三角帽子は片方のつばが裂け、まるで歯欠けのように歪んでいた。
それでも、彼女は飄々と笑っていた。
「痛みはあるけど、生きてる。どうやらウチらの
口調は軽いが、その目の奥には疲労と焦燥が滲んでいる。
運命は数秒だけ呼吸を整え、周囲を見回した。
瓦礫と砂塵の先には、もう誰の姿も見えない。
トロイも、オラスも、濡羽も――あの少女も。
ここにいるのは、二人だけ。
片割れの少女の放った一撃が、彼女たちをバラバラに弾き飛ばしたのだ。
位置も距離も分からない。
だが、確かなことがひとつだけある。
――この場所には、もはや“不死”の庇護は存在しない。
風が吹き抜ける。
砂に混じる翡翠の粒が、淡く光って散った。
『玄鉄、他のみんなは……?』
運命の問いかけに、玄鉄は小さく肩をすくめた。
その仕草はいつも通りの軽さを装っているが、視線だけはどこか遠くを彷徨っている。
「陛下を引っ張るので精一杯だったからねー。正直、把握できてないんだよ、これが」
乾いた笑みを浮かべながら、玄鉄は手のひらで首筋の傷を押さえる。
指の隙間から、赤い血がにじんだ。
「……まー、少なくとも“やられてはいない”ってことくらい?」
冗談めかした声色とは裏腹に、その手は震えていた。
彼女の血は、止まらない。
魔術の詠唱をしても、霊子が思うように反応しない。
いつもなら瞬く間に塞がるはずの切り傷が、じくじくと痛みを残している。
運命は無言のまま、その様子を見つめた。
玄鉄の外套の裂け目、焦げた肌、ひび割れた爪――どれも、時間の流れが止まったように修復されない。
『……体が、重い』
運命はようやく声を出した。
息を吸い込むたび、肺の奥が軋む。
霊子の循環が鈍く、世界と自分の“境界”が少しだけ下がったような感覚。
「それなー。格、落ちてる感じするよね」
玄鉄は空を見上げながら言った。
崩れた断崖の上、翡翠の塵が風に乗って漂っている。
それはまだ淡く光り、まるで空気そのものが彼女たちを見下ろしているかのようだった。
「空気が軽くなったっていうか、呼吸の奥が変に引っかかるっていうか……」
玄鉄の言葉に、運命も静かに頷く。
『――“存在の階層”が下がってるような感じだね』
それは、誰に向けるでもない独り言だった。
不死者として生きてきた彼女には、それが“どれほど危険な兆候か”理解できていた。
風が、また吹き抜ける。
血と塵の匂いを含んだ風。
玄鉄の三角帽子の残骸がひらひらと飛ばされ、崖下へ消えていく。
「陛下ー、どうする? 他のメンツ、探しに行く?」
『……行こう。ここに留まっていても、何も戻らないからね』
そう言って、運命は崩れた岩に手をかけ、ゆっくりと立ち上がった。
足元には、血の跡。
自分のものか、誰のものかも分からない赤が、乾かぬまま地に滲んでいる。
玄鉄も、運命に合わせてゆるりと立ち上がる。
その横顔にはまだ笑みがあったが、どこか遠い。
「……ま、行こうか。どうせ座ってても、死ぬわけじゃ――いや、死ぬんだった」
乾いた冗談を吐き、足を踏み出す。
風が砂と血の匂いを巻き上げ、断崖の縁で渦を描く。
翡翠の粒子がまだ漂い、二人の輪郭を淡く染めた。
それは、あの少女が残した“呪いの光”の名残。
運命は空を仰ぐ。赤黒い空と濁った翠の霧が、薄く揺らいでいた。
『……リンデン』
名を呼んだ声は、風に溶けて消える。
翡翠の粒が頬をかすめた。
冷たい。けれど確かに“触れる”その感覚に、運命は小さく息を吐いた。
彼女たちの歩みを見送るように、神域は静まり返る。
風の音だけが、世界の底から響いていた。
――その音を聞きながら、運命は思う。
これは終わりではない。
けれど、確かに“永遠”の終わりの始まりだった。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった