みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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Suffer, Nihil, Subdue.3

 

 

「よお、また会ったな」

 

 その声は、静寂の神域を切り裂くように響いた。

 熱と灰の残る戦場の向こう、漂う粉塵の帳を押し分けるように、ひとりの少女が姿を現す。

 黒に近い深緑のざんばら髪が、風にあおられてふわりと揺れた。

 乱雑でありながら、光を受けるたびに透き通るような翡翠の光沢を放つ。

 その右手には、まるで内側から命脈が灯っているかのような魔剣――翡翠色の輝きを宿した一振り。

 

 その光景を見た瞬間、運命の肩が僅かに揺れる。

 二度目の邂逅。忘れるはずもない声。忘れたいほどに刻まれた戦いの残響。

 仮面の奥で、ディスプレイの瞳がわずかに警戒の色を増す。

 他の四人――トロイ、オラス、玄鉄、濡羽――は、初めて対面するその存在に、どこか“懐かしさ”と“寒気”の入り混じった感覚を覚えていた。

 目の前の少女から放たれる霊圧は、確かにリンデンのものだった。

 優しく、誠実で、どこまでも真っ直ぐだったあの弟の気配。

 だが同時に、その奥に潜むのは、腐蝕し歪んだ怨嗟の匂い。

 オラスが、思わず身を乗り出した。

 

「これ……リンデンの、気配……?」

 

 声は震えていた。

 玄鉄は目を細め、舌打ちを一つ。

 

「片割れにしてはくっそ似てないなー。ガワと霊子だけ似通った別物でしょ」

 

 濡羽はキャンディの棒を握りしめたまま、一歩後退しながらも魔術構成を展開している。

 

「これ……偽証罪で訴えてもいいですよね……!」

 

 だが、その声音には確かな戦意が宿っていた。

 少女はそんな彼らの反応を愉しむように微笑んだ。

 彼と同じ、暗紅の光が瞳の奥で揺らめく。

 

「御機嫌よう、リンデン(オレ)の諸兄諸姉におかれましては――お元気そうで何よりだ」

 

 その口調は皮肉と戯れをまぜこぜにした、芝居がかった丁寧さ。

 まるでこの場全てが一興の舞台であるかのように。

 だが、その言葉の端々には、ぞっとするほどの冷たさが潜んでいた。

 運命の仮面が低く光を放ち、空気が張り詰める。

 

『その魔剣……リンデンの――』

 

 問いかけというよりも、確信に近い声。

 剣から流れ出す霊子波が、確かに“彼”のものであることを運命は感じ取っていた。

 その瞬間、少女は唇を歪め、愉快そうに肩を竦めた。

 

「ご明察だよ、皇帝陛下」

 

 軽やかにそう言いながら、少女は手にした魔剣を一度、軽く振るう。

 ひゅう、と空を裂く音。

 翡翠の光が風に散り、周囲の地面が波紋のように歪む。

 

「オレとリンデン(オレ)は元々一つだからな。――半分くらい、回収させてもらったよ」

 

 少女は笑みを浮かべたまま、まるで他愛もない雑談のように言葉を落とした。

 その声音の軽さとは裏腹に、その告白が意味するものは、あまりにも重い。

 

「半分……回収……?」

 

 濡羽が呟く声は震えていた。

 玄鉄は冷静に見えるが、指先はわずかに痙攣している。

 オラスは息を止め、マクスウェルとラブレスを構えた。

 少女の黒緑の髪が揺れる。どこか、リンデンと同じ影を宿した揺らぎだった。

 

「ま、その結果――リンデン(オレ)は、ああなっちまったけどな」

 

 その一言に、トロイの瞳が鋭く光る。

 唇がきつく結ばれ、聖槍リタの柄が僅かに軋んだ。

 あの異形。血と呪詛に塗れ、右腕が獣のように肥大化した彼の姿。

 それを生んだのは――目の前のこの少女。

 

「お前らがボロボロにしてくれたおかげで、助かったよ」

 

 少女は唇を歪め、楽しげに笑う。

 

異形(アレ)になった部分を剥がして、残りを回収するだけで済む。

 ほんっと、ありがたい話だな」

 

 乾いた靴音が、岩の上に響いた。

 翡翠の魔剣が、静かに地を撫でる。

 その軌跡から、粒子がこぼれ――やがて、粒子は形を変えた。

 爪のように鋭い翡翠の刃が生え、空気の中で結晶が咲く。

 それらが音もなく空間を漂いながら、まるで意思を持つかのように救出班を囲んでいく。

 

「……!」

 

 濡羽が息を呑み、玄鉄の指が魔術式を走らせる。

 トロイは槍を構え、オラスは前へと一歩踏み出した。

 運命はその中心で、仮面の奥の瞳を細める。

 

『また、ここからなんだね……』

 

 少女が薄く笑う。

 

「そう、“また”だよ、皇帝陛下。――今度は終わらせないとな」

 

 次の瞬間、翡翠の爪刃が一斉にきらめき、結晶が弾けた。

 戦闘前の静寂を裂く音が、神域の奥へと響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 空気が裂ける音とともに、翡翠の閃光が空間を走った。

 結晶化した霊子が弾丸のように散布され、ひとつひとつが衝突のたびに小さく爆ぜる。雨のような輝きは美しくも無秩序で、視界を埋め尽くすほどだった。

 オラスはマクスウェルを突き出し、正面の翡翠結晶をまとめて叩き砕く。

 

「ちょ、ちょっと!? また数増えてんだけどぉっ!?」

 

 彼女の声が神域の空に反響する。破裂する霊子の光に顔をしかめながら、次の攻撃に備えて姿勢を低く取った。

 すぐ傍らでは、トロイが聖槍リタを横薙ぎに振るい、空を走る結晶の雨を祓い落とす。彼女の動きはまるで祈りの所作のように滑らかで、槍の残光が後を引いた。

 

「オラスちゃん、あんまり突っ込みすぎないでねー、足場も崩れてるよー」

 

 軽口のように聞こえるその声の裏で、彼女の眼差しは一瞬たりとも敵を離さない。

 少女は高台の岩の上、翡翠の粒子をまとって佇んでいた。

 ざんばらに乱れた黒緑の髪が微かに風を撫でるたび、光がその隙間でちらつく。右手に握られた魔剣が、呼吸に合わせるように低く唸った。

 玄鉄が小瓶を握りながら一歩引く。

 

「トロイ、もう一陣くるっぽい。散開、散開!」

 

 声と同時に、少女の翡翠結晶がまた空間に散布された。

 玄鉄はそのまま小瓶の中身をばら撒き、短い詠唱を口の中で転がす。

 白煙のような魔術陣が彼女の前に展開し、次の瞬間、地表から鋭い氷柱が突き上がった。

 降り注ぐ結晶群がその氷柱に弾かれ、爆ぜ、灰色の閃光が霧のように散る。

 

「数、エグいって。爆撃モードじゃん加減しろよー……!」

 

 焦げた前髪をかき上げながら玄鉄が呟く。

 濡羽は背後から詠唱を重ね、魔力の線を引く。

 

「……座標指定、右上三十度。雷閃陣――起動ッ!」

 

 魔法陣から迸る雷撃が、翡翠結晶の群れをまとめて撃ち抜く。

 閃光と雷鳴が重なり、視界が一瞬真白く染まった。

 

 その爆光の中で――少女が動いた。

 

 霊子を纏って踏み込んだ一歩は、音すら置き去りにする速度。

 オラスが反応したのは、背後の気圧が変化した瞬間だった。

 

「っ……うそっ、後ろ!?」

 

 反射的にラブレスを振り上げる。だが間に合わない。

 少女の膝が音もなく跳ね上がり、オラスの腹部にめり込んだ。

 衝撃が抜け、オラスの身体が宙を舞った。

 瓦礫に叩きつけられた魔拳が火花を散らし、爆風のように霊子の光が弾ける。

 

「がっ……は、ぁっ!」

 

 苦痛に呻く声をかき消すように、翡翠の粒子が空気を焼いた。

 トロイが槍を構え直し、玄鉄が魔法陣を再展開する。

 濡羽は即座にオラスの前へと滑り込み、雷撃の障壁を展開。焦げた空気が弾かれて霧散した。

 

 少女は、煙の向こうに立っていた。

 黒緑のざんばら髪が翡翠の光を反射し、右手に握られた魔剣が低く唸る。

 その口元には、笑み――だがどこか、吐き気を催すほどの冷たさが宿っていた。

 

「なあ――お姉様方よ」

 

 その声が響いた瞬間、神域の空気が一気に静まり返る。

 

リンデン(オレ)との“家族ごっこ”は、楽しかったか?」

 

 ︎︎翡翠の魔剣を肩に乗せ、少女は軽やかに言葉を放った。

 

「楽しかったろ? どうせお遊びみたいに何度でもリセットできるんだもんな。

 死んでも、失敗しても、数百年経てば忘れて笑ってられる――永遠の命ってのは、そういうもんなんだろ?」

 

 言葉のひとつひとつが、毒のように鋭く、心臓を刺す。

 その挑発を聞いて、誰よりも早く顔を上げたのは――オラスだった。

 マクスウェルとラブレスが低く唸り、焼けた金属の軋みが響く。

 彼女の頬に付着した血が、一筋だけ伝って落ちた。

 

「……遊び、だって?」

 

 震える声が、低く地を這う。

 そして、オラスの双眸に燃えるような熱が灯った。

 

「――誰が、“家族”を遊びでやってんだよ……!」

 

 金属と霊子が軋むような音が、神域の空間を貫いた。

 オラスの拳がマクスウェルを通じて地面を抉り、赤黒い空気を裂く。

 少女はそのすぐ先で、翡翠の魔剣を片手に軽やかに跳ね、まるで遊びのような笑みを浮かべていた。

 血の匂いと焼けた霊子の蒸気。戦場の空気は、もう“戦闘”というよりも“感情の爆心地”だった。

 

「へぇ、怒るんだ?」

 

 少女が唇の端を歪めた。

 ざんばらの黒緑の髪が、剣の残光に照らされ翡翠のように煌めく。

 

「“家族ごっこ”って言葉が効くんだな。お前ら、自覚あるんじゃん?」

 

 その声音は柔らかく、しかし底には確かな毒があった。

 オラスは短く息を吸い、眼を細める。

 

「……うるさい」

 

 ラブレスがうなりを上げる。衝撃波の余波が、瓦礫と灰を巻き上げた。

 

「“ごっこ”なんかじゃない。陛下も、リンデンも、みんな……本気で向き合ってた!」

 

 少女は鼻を鳴らして、わざと剣を肩に乗せる。

 

「本気で? ああ、そうか。本気でやって、こんな事になったわけだ。……傑作だな、お姉様」

 

 刹那、オラスの身体が爆ぜたように動いた。魔拳が音速を超え、少女の頬を掠めて空気が爆ぜる。

 

「反応は悪くねぇけどさ」

 

 少女が軽口を叩くより早く、爪刃がオラスの脇腹を裂いていた。

 

「感情で殴るのは、弱い奴のやり方だよ」

 

 オラスの目に炎が宿る。

 その時、横合いから青白い光が奔った。

 

「――《蒼氷圏界・零度収束》!」

 

 玄鉄の詠唱。冷気が奔流のように広がり、少女の脚を凍りつかせる。

 だが少女はすぐに、地面を貫いて氷を破壊した。破片が閃光を散らす中、彼女は余裕の笑みを浮かべる。

 

「おー、魔女様も健在。古典魔術ってやつ?趣があるよな」

 

 玄鉄は淡々と肩をすくめた。

 

「趣があるって言葉、似合わない顔してるぞー。……てか、リンデンの中身、覗いたんでしょ?」

 

 少女が目を細める。

 

「何を」

 

「分かったなら、もう口にできないはずだけどねー。“あの子”が何を見て、何を願ってたか」

 

 少女は短く沈黙した。

 風が止まり、霊子の流れがわずかに乱れる。

 

「だから間違ってたんだよ。リンデン(オレ)は帰る場所を間違えた。お前らなんかに拾われなきゃ――」

 

「でも拾われたんだよね」玄鉄の声がかぶせた。

 その口調は穏やかだが、鋼のように強かった。

 

「それが現実。あの子は“拾われたからこそ”、笑えるようなったわけ」

 

 濡羽が前に出る。

 キャンディの棒を口から抜き、小さく息を吐く。

 そのまま棒を地に捨て、手の中に小さな魔方陣を浮かべながら言った。

 

「……つまりあなた、“それ”が気に入らないだけなんですね」

 

 少女が眉をひそめる。

 

「は?」

 

「自分には帰る場所が無いからって、帰れた誰かを壊そうとしてる。

 でも、それってただの八つ当たりです。――それで気持ちよくなるなら、訴えてもしょうがないですけど」

 

 小さな体から発された声には、凛とした力があった。

 少女の口角がピクリと動いた。

 だが笑いではなく、怒りの予兆。

 翡翠の奔流が渦を巻く中、トロイは一歩前に出た。

 聖槍リタを肩に担ぎ、ゆるりと首を傾ける。

 その姿はあまりに静かで、戦場の喧騒が嘘のようだった。

 

「あのさー」

 

 ふわりとした声音。まるで、日常の雑談でもするかのような柔らかさ。

 

「これはトロイさんの個人的な見解なんだけどねー」

 

 軽い調子で言いながら、トロイは少女の瞳を真正面から見据えた。

 その一瞬――空気が、変わった。

 温度が急激に下がったような錯覚。霊子の流れすら止まる。

 

「――あの子の記憶を覗いたくらいで、分かった気になってんじゃねえよ。ブス」

 

 声は低く、氷のように冷たかった。

 先程までの穏やかさは消え失せ、トロイの瞳だけがまっすぐに少女を射抜いていた。

 場の空気が一瞬で凍りつき、翡翠の結晶がひとつ、ぱきんと音を立てて砕けた。

 少女の表情がわずかに歪む。

 トロイは続けた。今度はわざと、言葉を荒く、汚く吐き捨てるように。

 

「トロイさんね、赦すのは得意だけど、軽んじられるのは嫌いなんだー。

 “あの子”をわかったつもりで話すなよ。リンデンちゃんはな、お前が思ってるより、ずっと――綺麗な子なんだよ」

 

 静かな声音のまま、だが棘のような怒気がその一語ごとに滲み出ていた。

 その“綺麗”という言葉には、戦場の誰もが知らないほどの深い想いが込められていた。

 嘲笑でも、挑発でもない。

 ――“痛みを知っている者”の、魂を削るような言葉だった。

 少女の唇がピクリと動く。

 

「あ?」

 

 乾いた声が、空気を切る。

 少女の顔がわずかに歪み、笑いと怒りの狭間で崩れていく。

 

「それを、お前が言うのかよ」

 

 吐き捨てるように笑いながら。

 

リンデン(オレ)を“赦す”とか言っときながら、結局失敗した一番の戦犯がよ」

 

 挑発の言葉。刃のように鋭く、まるでそのまま心臓を抉るようだった。

 それでも――トロイは、一歩も引かなかった。

 返す言葉もなく、ただ静かに少女を見据える。

 その瞳の奥に宿っていたのは怒りではなく――確かな覚悟だった。

 沈黙が落ちた。

 トロイの瞳を真正面から受け止めた少女は、唇の端をわずかに歪め、やがて喉の奥から漏らすように、小さく呟いた。

 

「――ああ、そうかい」

 

 その声は、乾いていた。

 嘲りとも、諦めともつかない響き。けれどその裏には、焼け焦げるような怒りが潜んでいた。

 少女の足元に、翡翠の結晶が静かに芽吹く。

 小さなひび割れのように光が走り、瞬く間に複雑な幾何学を描き出す。

 結晶は呼吸をするように膨張し、彼女の身体をゆっくりと持ち上げていった。

 空気が震える。霊子の流れが変わる。

 風が、止んだ。

 地上にいる運命たちは、息を呑んで見上げた。

 結晶の光を背に、少女は冷たく笑っていた。

 その瞳には、もはや“人”の感情ではないものが宿っている。

 

「結局お前らが見てるのはリンデン(オレ)じゃなくて――“自分達の中で育てたリンデン(オレ)”だってのは、分かったよ」

 

 魔剣が、軋む。

 翡翠の輝きが刃に収束し、次の瞬間、世界そのものを裂くような音と共にひと薙ぎされた。

 刃の軌跡から無数の粒子が噴き出し、少女を中心に円を描くように放射される。

 それは霊子とは異なる、存在そのものを侵食する“翡翠の塵”――。

 

 風が翡翠色に染まり、空気が痛みを帯びる。

 光はゆっくりと拡散し、神域の隅々にまで広がっていった。

 まるで、この場所に生きる“すべて”を均一に削り取るように。

 

 「そんなお前らへ――弟くんの代わりに伝えてやるよ」

 

 少女の声が、翡翠の海に響いた。

 彼女の腕がゆっくりと掲げられ、肩に乗せていた魔剣が真上へと持ち上げられる。

 その瞬間、光が脈打った。

 

 “主核”――奪われたリンデンの力が、完全に解放される。

 

 神域が軋む音がした。

 霊子の循環が乱れ、結晶の波紋が空を裂き、時間の流れすら歪む。

 トロイが反射的に聖槍を構え、運命が魔剣を強く握り締める。

 濡羽の詠唱が途切れ、玄鉄の息が止まる。

 ――そして、少女の口元が、ゆっくりと嗤った。

 

 「――お前らと同じ場所に立ちたいってさ(自分と同じ高さに落ちて欲しいってさ)

 

 その一言が落ちた瞬間、神域が軋んだ。

 光が弾けた。

 音よりも早く、翡翠の奔流が四方八方へ広がる。

 視界が白く反転し、霊子がねじれ、空間そのものが“裏返る”。

 無数の粒子が、流星のように降り注いだ。

 それは霊子でも炎でもなく、存在の境界を穿つ光。

 触れたものすべてを透過し、貫き、魂の奥に“何か”を刻みつけていく。

 運命が咄嗟に限定神域を強化し、トロイが聖槍を突き立てて防壁を張る。

 だがそれらをすり抜けるようにして、粒子は静かに彼らの身体を通り抜けた。

 ――刺すような痛みはない。

 ただ、胸の奥が凍るような感覚。

 血が温度を失い、霊子の流れが一瞬だけ“止まった”ような錯覚。

 玄鉄が息を飲み、濡羽が肩を押さえる。

 オラスの魔拳から微かに火花が散り、トロイの頬に一筋の汗が流れた。

 彼らの中を、確かに“何か”が通り抜けた――それだけが、恐ろしく鮮明に残った。

 

 神域の空がひび割れる。

 翡翠の粒子が空間に滞留し、ゆっくりと地上へと降り積もっていく。

 少女はその中心で、静かに魔剣を下ろした。

 

 「――ほら、願いは叶ったろ」

 

 そう呟いた声が、霊子の残響と共にかき消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が戻る。

 重たい呼吸の音が、耳の奥で反響していた。

 瞼を開けると、視界に映るのは淡く緑がかった空気の粒――あの翡翠の残滓が、まだ宙を漂っている。

 

 運命が意識を取り戻したのは、断崖の影だった。

 背中には冷たい岩肌の感触、口の中には血と鉄の味。

 身体の節々が痛みを訴えるたびに、筋肉が強張り、軋む音を立てた。

 不死の再生が――働いていない。

 ゆっくりと上体を起こすと、視界の先には、まるで隕石でも落ちたかのような光景が広がっていた。

 断崖の至るところにクレーターが穿たれ、削げ落ちた岩の縁からはまだ淡い翡翠の光が漏れ出している。

 風が吹き抜けるたび、耳の奥で金属的な共鳴音が鳴った。

 神域そのものが、まだ震えている。

 

 「おっ、ようやく陛下のお目覚めかー」

 

 掠れた声がした。

 そちらを振り向けば、崩れた岩の上に腰を下ろした玄鉄がいた。

 彼女の姿は、ひどくボロボロだった。

 白いシャツは煤にまみれ、袖口には焼け焦げの跡。

 分厚い魔術外套はところどころ裂け、刺繍糸がほつれて垂れ下がっている。

 頭の三角帽子は片方のつばが裂け、まるで歯欠けのように歪んでいた。

 それでも、彼女は飄々と笑っていた。

 

「痛みはあるけど、生きてる。どうやらウチらの“永遠”(長所)は取り上げられたっぽいねー」

 

 口調は軽いが、その目の奥には疲労と焦燥が滲んでいる。

 運命は数秒だけ呼吸を整え、周囲を見回した。

 瓦礫と砂塵の先には、もう誰の姿も見えない。

 トロイも、オラスも、濡羽も――あの少女も。

 ここにいるのは、二人だけ。

 片割れの少女の放った一撃が、彼女たちをバラバラに弾き飛ばしたのだ。

 位置も距離も分からない。

 だが、確かなことがひとつだけある。

 

 ――この場所には、もはや“不死”の庇護は存在しない。

 

 風が吹き抜ける。

 砂に混じる翡翠の粒が、淡く光って散った。

 

『玄鉄、他のみんなは……?』

 

 運命の問いかけに、玄鉄は小さく肩をすくめた。

 その仕草はいつも通りの軽さを装っているが、視線だけはどこか遠くを彷徨っている。

 

「陛下を引っ張るので精一杯だったからねー。正直、把握できてないんだよ、これが」

 乾いた笑みを浮かべながら、玄鉄は手のひらで首筋の傷を押さえる。

 指の隙間から、赤い血がにじんだ。

 

「……まー、少なくとも“やられてはいない”ってことくらい?」

 

 冗談めかした声色とは裏腹に、その手は震えていた。

 彼女の血は、止まらない。

 魔術の詠唱をしても、霊子が思うように反応しない。

 いつもなら瞬く間に塞がるはずの切り傷が、じくじくと痛みを残している。

 

 運命は無言のまま、その様子を見つめた。

 玄鉄の外套の裂け目、焦げた肌、ひび割れた爪――どれも、時間の流れが止まったように修復されない。

 

『……体が、重い』

 

 運命はようやく声を出した。

 息を吸い込むたび、肺の奥が軋む。

 霊子の循環が鈍く、世界と自分の“境界”が少しだけ下がったような感覚。

 

「それなー。格、落ちてる感じするよね」

 

 玄鉄は空を見上げながら言った。

 崩れた断崖の上、翡翠の塵が風に乗って漂っている。

 それはまだ淡く光り、まるで空気そのものが彼女たちを見下ろしているかのようだった。

 

「空気が軽くなったっていうか、呼吸の奥が変に引っかかるっていうか……」

 

 玄鉄の言葉に、運命も静かに頷く。

 

『――“存在の階層”が下がってるような感じだね』

 

 それは、誰に向けるでもない独り言だった。

 不死者として生きてきた彼女には、それが“どれほど危険な兆候か”理解できていた。

 風が、また吹き抜ける。

 血と塵の匂いを含んだ風。

 玄鉄の三角帽子の残骸がひらひらと飛ばされ、崖下へ消えていく。

 

「陛下ー、どうする? 他のメンツ、探しに行く?」

 

『……行こう。ここに留まっていても、何も戻らないからね』

 

 そう言って、運命は崩れた岩に手をかけ、ゆっくりと立ち上がった。

 足元には、血の跡。

 自分のものか、誰のものかも分からない赤が、乾かぬまま地に滲んでいる。

 玄鉄も、運命に合わせてゆるりと立ち上がる。

 その横顔にはまだ笑みがあったが、どこか遠い。

 

「……ま、行こうか。どうせ座ってても、死ぬわけじゃ――いや、死ぬんだった」

 

 乾いた冗談を吐き、足を踏み出す。

 風が砂と血の匂いを巻き上げ、断崖の縁で渦を描く。

 翡翠の粒子がまだ漂い、二人の輪郭を淡く染めた。

 それは、あの少女が残した“呪いの光”の名残。

 運命は空を仰ぐ。赤黒い空と濁った翠の霧が、薄く揺らいでいた。

 

『……リンデン』

 

 名を呼んだ声は、風に溶けて消える。

 翡翠の粒が頬をかすめた。

 冷たい。けれど確かに“触れる”その感覚に、運命は小さく息を吐いた。

 彼女たちの歩みを見送るように、神域は静まり返る。

 風の音だけが、世界の底から響いていた。

 ――その音を聞きながら、運命は思う。

 これは終わりではない。

 けれど、確かに“永遠”の終わりの始まりだった。

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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