轟音。
霊子が吹き荒れる中、リンデンの視界の前で、光を纏った何かが立ちはだかっていた。
その姿は、炎の縁をまとった幻のようで、形を掴もうとするたびに滲んでいく。
巨大な二つの影が衝突し、火花が散る。世界が軋み、空気の粒がひとつ残らず焼けた。
右腕が勝手に持ち上がる。
振り下ろしたのか、押し返されたのかも分からない。
金属が噛み合うような音が鳴り、胸の奥にまで震えが走った。
その痛みを、彼は懐かしいものだと錯覚した。――誰かと手をつないだ時のように。
伸ばす。
もう一度、光の方へ。
けれど、目の前の輝きはまたも弾かれるように離れていった。
届かない。
まるで“拒まれる”という動作が世界の法則に組み込まれているかのようだった。
――何をしているんだろう。
自分が誰に向かって腕を伸ばしているのか、思い出せない。
けれど、その光だけは確かに“帰り道”のように見えた。
掴めば帰れる。帰ればきっと、痛みは消える。
だから、腕を振る。
血が滲み、歯列が鳴る。
声が漏れる。
紅蓮の瞳に映る景色が、波のように崩れていく。
誰かが叫んでいる。けれど、その言葉の輪郭は霧に溶けた。
意味は無い。ただ音の波。
そして、自分の喉もまた勝手に震える。
――神魔調伏。悪鬼覆滅。
それは、祈りでも呪いでもなかった。
呼吸と同じように自然に生まれ、空気に混ざって消えていく。
どんな意味を持つのかを考えることもなく、
リンデンはただ、胸の奥から押し出される声の震えを感じていた。
金属の悲鳴。
世界のひび割れた音。
爆ぜる霊子の火花が頬をかすめ、焼けた匂いが肺に降りてくる。
それでも、どこかで安らぎを覚えた。
光の中に、家族の面影を見た気がした。
――暖かい。
その一言の感覚だけが、確かだった。
遠くにもうひとつの光が見えた。蒼い。
青という名の安心を、彼はまだ覚えていた。
だから、もう一度だけ手を伸ばした。
届かないと分かっていても、伸ばさずにはいられなかった。
その度に右腕は悲鳴を上げ、歯列が何かを噛み砕く。
地面が割れる。
音が散る。
そして、痛みだけが彼に現実を思い出させた。
轟音がまだ耳の奥で鳴っていた。
霊子の風が肌を裂く。地面が崩れ、粉塵が吹き上がる。
リンデンの右腕が再び振り下ろされ、爆ぜた衝撃が周囲の岩盤を叩き割った。
それを、光を纏った誰かが受け止めている。
鋼鉄の腕のような光が、ぶつかり合うたびに火花を散らした。
弾かれた反動で背中が軋み、骨が鳴る。
――どうして、届かないのだろう。
踏み込むたびに、足元が崩れる。
それでも光は後ろへ下がらない。
必死に支えている。
その姿が、まるで迎えに来てくれた人のように見えた。
だから、リンデンはさらに腕を振るった。
金属と金属が噛み合う音。
火花の霧の中で、視界が紅く染まる。
誰かの祈りの声が、轟音の奥から滲み出てきた。
槍が地面を突き、眩い光が壁となって彼の腕を逸らす。
祈術の波が皮膚を焼き、霊子が耳鳴りに変わる。
██イ姉⬛︎ん。
名前を思い出しかけた瞬間、紅蓮の瞳が反射的に輝いた。
――神魔調伏。悪鬼覆滅。
言葉はただの衝動だった。
口が勝手に動き、喉がそれを押し出した。
世界の合わせ目を縫い直すような響き。
意味も、違和感もない。ただ声が通る。
光が弾け、足元から熱風が吹き上がった。
地表が溶け、空気が叫び声を上げる。
そこへ重なる別の声。詠唱。
玄⬛︎の低い詠いと、⬛︎羽の澄んだ声が混ざり、空が震える。
その音の交差点で、リンデンは息を呑んだ。
――歌だ。
帰り道を照らす灯りみたいに、柔らかく、美しい。
胸の奥に青い火が灯る。
紅蓮の瞳が細まり、歯列が震えた。
右腕の奥から、圧縮された熱が滲み出す。
紅蓮の奔流が、祈りに応えるように噴き上がった。
光と影が衝突した。
白と黒の奔流が交わり、世界がひとつの音になって鳴った。
轟音の中、彼は立ち尽くしていた。
何かが体を貫いたのを感じた。
それが光なのか、祈りなのか、死なのかも分からなかった。
爆裂の光が、ゆっくりと静まっていく。
空を満たしていた轟音が引いて、代わりに耳鳴りのような低い唸りが残った。
焦げた風が頬を撫で、肌に張りついた灰がざらりと崩れ落ちる。
リンデンは、その灰の重みでようやく自分が膝をついていることを知った。
右腕がまだ動いている。
歯列が空しく噛み合い、金属が擦れる音を立てている。
その音が、どこか心臓の鼓動に似ていた。
身体の奥で何かが溶けて流れていく。
熱いのか冷たいのか、もう区別がつかない。
外套は焼け落ち、胸の奥で血が泡立つ。
息を吸えば、内側で音がした。
ズズ……ッ。空気の代わりに痛みが肺に満ちる。
呼吸をすれば、世界が軋む。
それでも彼は俯かない。
顔を上げる。
紅蓮の瞳が、まだ光を捉えていた。
その光の中に、何人もの影が立っている。
拳を構え、魔術を構え、祈りを構える影たち。
彼らの輪郭が滲んで、誰が誰かも分からない。
けれど、胸の奥では確信していた。――家族だ。
だから、左手が動いた。
ずっと使わなかった手。
焦げて、震えて、もはや感覚のない指先。
それでも、伸ばさずにはいられなかった。
風が吹く。
灰が舞い、血の雫が指先からこぼれる。
掌を開いた。
頼りなく、けれど真っすぐに。
その先に、光の中の影がひとつ、こちらを見ていた。
彼女の瞳が、揺れている。
――トロイ、姉さん。
思い出す。
笑って、叱って、祈ってくれた人。
槍の先に宿る光が、彼女の心のように見えた。
もう少しで、触れられる気がした。届けば、帰れる気がした。
空気が強張る。
光の向こうで、トロイが槍を下げていた。
彼女の唇が震え、もう一方の手がゆっくりとこちらへ伸びる。
あと少しで、触れられる距離。
その仕草があまりにも優しくて、リンデンの胸が軋んだ。
――帰れる。
心がそう告げた。
その時、二人の視線が交わる。
紅蓮と紫。
光の中で、互いの瞳が確かに映り合った。
――なんだ、これは。
光が、砕けた鏡のように揺れていた。
その中に、トロイの顔があった。
涙を溶かしたような瞳の奥に、紅蓮の光が映っている。
その光は、彼女を焼いているのではなく――自分だった。
自分が、燃えていた。
皮膚がひび割れ、筋肉の間から赤黒い光が漏れている。
歯の列が、勝手に噛み鳴らされている。
右腕の奥で、何かが笑っていた。
それが、自分の身体を動かしている。
――これが、私なのか。
声にならない言葉が胸の奥で弾けた。
いままで祈りの音だと思っていた轟音は、誰かの悲鳴を押し潰すための音だった。
抱きしめたいと思っていた光は、焼き滅ぼすために伸ばした腕の閃光だった。
トロイの瞳の中で、自分が膨張していく。
血と光と歯列の塊。
人の形を取り繕っていた“何か”。それが、家族に向かって口を開けている。
彼女の手は、まだ伸びたままだ。
その指先が震えている。届くはずの距離だった。
なのに、リンデンの腕は止まらない。
ああ、違う。
こんな形で帰るつもりじゃなかった。
手を取ってほしかっただけだ。
ただ、貴女のもとへ――。
焼け焦げた息が喉を突く。紅蓮の光が視界を塗り潰す。
世界が軋み、祈りの音が悲鳴に変わる。
トロイの瞳の中で、異形の自分が咆哮した。
その声が空を裂き、大地を焼く。
自分の叫びだとは、もう思えなかった。
――ああ、間違えた。
帰る場所を。
帰る方法を。
帰る自分の姿を。
指の先から力が抜けていく。血が掌を滑り落ち、灰の上に散った。
右腕が咆哮し、歯列が開き、閃光が弾ける。
大地が砕け、風が逆巻く。
世界が、真白に反転する。
その光の中で、彼は確かに見た。
トロイが、自分の名を呼ぶ口の形。
その唇が、何かを言おうとして――音になる前に、紅蓮が全てを呑み込んだ。
紅蓮の光が遠のく。
光の奔流が止み、崩れた断崖に夜のような静けさが戻った。
リンデンはその中心で、ゆっくりと立ち上がる。
足元が崩れ、瓦礫が滑り落ちた。
身体が傾き、膝が笑う。それでも、歩こうとした。
上ではまだ風が唸り、誰かの声が響いていた。
けれど、もう届かない。
右腕の先が重い。
焼けた皮膚が剥がれ、黒い靄のようなものが滲み出していた。
それが血の代わりに流れ、岩肌に触れた瞬間、じゅっと音を立てて蒸発した。
痛みはなかった。
ただ、身体の奥が空洞になっていくような感覚があった。
――間違えた。
呟く声が、自分のものに聞こえない。
肺に残った空気が漏れていくだけの、風の音。
何を間違えたのかも、思い出せない。
ただ、もう戻れないということだけが確かだった。
足が前に出ない。
膝から下が石のように重く、皮膚の下で何かが蠢いている。
嫌な音がする。
筋肉が泡立つように膨れ、骨がきしむ。
膝から太腿へ、腹部へ。血の代わりに霊子が脈打つ。
それが右腕の中の“何か”と共鳴している。
脈動が早まる。
呼吸のたびに、胸の奥で弾けるような痛みが走った。
骨が軋み、関節が鳴る。
皮膚が内側から押し拡げられていく。
張り裂けるような圧。
肉が伸び、骨が軋み、筋が引きちぎられて再構築される。
右肩から、異形の影が這い出していく。
白い塊が肉と混ざり合い、ぶくぶくと膨張を続ける。
泡のように、皮膚の表面で無数の突起が生まれ、弾け、また形を変える。
手首の歯列が新しい関節を生み、腕の長さが伸びていく。
肉と金属の境界が曖昧になり、
リンデンの身体は、もはやどちらにも属さないものになっていった。
――やめろ。
そう思った。
だが、声は出ない。
喉の奥で霊子が泡立ち、黒い光が漏れた。
背中が裂け、そこから骨のようなものが突き出す。
それが風を受けて震えるたび、鈍い金属音が響いた。
膨張は止まらない。
肩が、胸が、腹が、音を立てて膨れ上がる。
皮膚がひび割れ、光が漏れる。
人の形が、保てない。
身体が外側に押し出されるように、内側の“何か”が膨れ続ける。
リンデンはその場に崩れ落ちた。
足が砕け、腕が地を掻く。
爪が剥がれ、歯列が地を噛む。
霊子の奔流が岩を削り、周囲の地面を泡立てていく。
――姉、さん。
その言葉が、最後の“人間の声”だった。
次の瞬間、右腕の影が全身を覆い尽くす。
紅蓮の瞳が、黒い光の中でふっと沈んだ。
そこに残ったのは、歪んだ輪郭と、止まらない脈動だけだった。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった