みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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赤ちゃんと誕生日.3

 

 

 

 夕刻の回廊には、橙と蒼が混ざり合う柔らかな光が差していた。

 GARDEN第六層――

 騎士団の活動区画から少し離れた居住区画の倉庫エリアは、どこか空気の流れも穏やかで、誰かの一日が終わりに向かう、そんな気配を感じさせる静けさに包まれていた。

 トロイメライはゆるやかに歩いていた。

 肩肘を張らない、教会育ちらしい物腰。腕には、今日の主役――まだ小さな男の子が抱かれている。

 リンデンは、すやすやと眠っていた。

 この一日で何人もの騎士に祝われ、声をかけられ、頭を撫でられ、抱き上げられ、少し疲れたのだろう。今はトロイの胸元にぴたりと頬を預けて、静かな寝息を立てている。

 

「……今日もよく働いたねー。祝われ役として、完璧だったんじゃない?」

 

 小さな足が揺れて、靴の飾り紐がかすかに揺れる。

 どのタイミングで眠ったのか、思い返しても曖昧だった。

 “青い子”に顔を隠されたときか。

 “剣マニア”に真顔で剣の話を延々とされたときか。

 あるいは“カレー好き”に唐突にスパイスの瓶を握らされたときか。

 

「ま、どこも濃かったよねー」

 

 独りごちたトロイは、ほんのりと笑みを漏らす。

 この子はまだ、騎士たちが何者で、どんな戦場に立ってきたかなんて知らない。ただ、その手で抱かれたこと、笑いかけられたことだけを、ぼんやりと覚えていくだろう。

 やがて、廊下の突き当たりに、ひとつのスライドドアが現れる。

 今朝にその手前まで積み上がっていたプレゼントの山は、跡形もなくきれいさっぱり消えていた。

 その上で廊下の床は磨かれ、空気の流れすら整えられているようだった。

 

「おおー……ちゃんと片付いてるー……」

 

 思わず漏れる声に、トロイは目を細める。

 そして小さく肩をすくめ、眠るリンデンに囁きかける。

 

「まー、カノンちゃんも呼んだしねー。草一つ残るはずないかー」

 

 解錠端末に指をかざせば、スライドドアが音もなく開いた。

 ほんのわずか、あたたかな空気が漏れ出す。

 冷たい通路とは違う、生活の匂いのする空間。

 トロイは一歩、足を踏み入れた。

 

「ただいまー。……って言っても、まだ寝てるけどねー、リンデンちゃん」

 

 中は、ほんのりと暖かかった。

 高い天井に斜めの窓、淡く灯ったランプの光が室内をやわらかく照らしている。

 朝に訪れたときよりも、空気がどこか整えられていて、気配が静かだった。

 中央のテーブルの上、小さなケーキがひとつ。火の灯っていない蝋燭と、“1”の数字のピックが、静かに立っている。

 壁際には、あの山のようなプレゼントたちがきっちりと整頓されて並べられていた。

 

「わー……カノンちゃん本気出してるー。分類力、さすがだよねー……」

 

 思わず漏らして、眠るリンデンを軽く抱き直す。

 額にかかる髪がふわりと揺れ、小さな寝息がトロイの胸元に染み込んでいく。

 そのとき、奥のベッドルーム側――薄く開いた仕切りの向こうから、白と黒の気配が現れた。

斜めに差すランプの光を受けて、機械的な輪郭がゆっくりと動く。

 姿を現したのは、久条運命。

 その頭部は仮面で完全に覆われていた。仮面の表面――ディスプレイには、薄く光の波紋が揺れている。

 表情は見えない。だがその仮面は淡い青で微笑にも似た表示を浮かべた。

 

『おかえり。トロイ、リンデン』

 

 トロイはその声に振り返り、ゆったりと笑った。

 

「運命ちゃんただいまー。本日の主役ちゃんはお祝い疲れで寝ちゃってるけどねー」

 

 答えながら、彼女はソファへと近づき、リンデンをそっと降ろす。

 小さな体を横たえ、毛布のような上着をかけてから、ひとつ息をついた。

 そのまま腰を下ろし、ケーキの置かれたテーブルを見やる。

 

「これ、お手製のケーキ?」

 

 指差すような仕草で尋ねれば、運命は頷いた。

 

『レアリザスが「久しぶりに兄ちゃんが本気出すかぁ!」って作ってくれたケーキだよ』

 

 トロイは「うわー」と口元を引きつらせて、笑いながら肩を揺らした。

 

「絶妙に本気出すとこズレてて草ー。赤ちゃんなんだからそんなに食べられないのにねー」

 

 そう言って、それでもトロイはケーキを見つめ直す。

 シンプルなクリーム、少しだけ添えられた果物、蝋燭の立つ真ん中に飾られた控えめな“1”の飾り。

 

「まー、そういう気持ちが大切なのかもねー」

 

 言葉の余韻とともに、沈みかけた夕陽が窓の外でゆっくりと街を染めていく。

 その光が、テーブルのケーキにも、リンデンの頬にも、淡く触れていた。

 室内の時間が、ふと止まったように感じられた。

 ガラス越しに見える都市の輪郭が、じわりと深い赤に染まり、地表と見紛う雲の向こうへと陽が沈んでいく。

 その光が、斜めの窓から差し込んで、ソファの上の小さな寝顔をそっと撫でた。

 リンデンの睫毛が、ぴくりと揺れる。

 頬に触れた光のあたたかさを感じたのか、ほんのわずかに身じろぎをした。右手が、寝ぼけたように宙に浮かび、何かを掴もうとするように――ゆっくりと、光の方へ伸びる。

 まるで、その光が呼びかけているかのようだった。

 もしくは、夢の中で見た何かと、同じ色だったのかもしれない。

 

「あ……起きるー?」

 

 トロイが小声で呟いた。

 ソファの隣で身を起こし、リンデンの手の動きに合わせて視線を落とす。

 仮面の奥で、運命もまたわずかに顔を向けていた。

 ディスプレイには、呼吸のように静かに明滅する青白い表示。

 言葉はない。けれどその無言のまなざしが、「ちゃんと見てるよ」と伝えていた。

 やがて、リンデンの瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

 焦点の合わないまま、少しだけ瞬きをして、薄暗い天井と光の線を見上げた。

 その目が、運命とトロイの姿を見つけたのか、ほのかに揺れる。

 

「おはよう、リンデンちゃん」

 

 トロイがそっと声をかけると、リンデンは――まばたきを一つしたあと、ぐずるでもなく、ただ静かに、目だけで周囲を確かめ始めた。

 小さな唇が、開きかけて閉じ、また少し動く。言葉にはならない。けれど、彼なりに「起きたよ」と伝えているような気がした。

 運命の仮面が、ゆるやかに揺れる。

 ディスプレイには、光点がぽつ、と二つ。

 まるで、笑いかけているような、目を細めたような――そんな符号が、そこに浮かんでいた。

 リンデンの視線は、ゆっくりと揺れながら部屋を辿っていた。

 すぐ傍にいたトロイの顔を見上げ、その目元に映る笑みを確かめるようにじっと見つめる。

 トロイはそれに気づくと、ほんの少し眉を下げてやわらかく笑った。

 

「起きたねー。よく寝てたよー、リンデンちゃん」

 

 返事はない。けれど、リンデンのまばたきがひとつだけ深くなった。

 小さな手が一度開き、それから閉じる。

 その手が、今度はゆっくりと前に伸びて――正面にある、白いケーキへと触れようとするように動いた。

 白。丸。火のない蝋燭。

 彼の目は、それを見つめたまましばらく止まっていた。

 そのあとで、今度は壁際の“山”へと目をやる。

 箱。リボン。紙。色。音はないけれど、世界がそこにあると、彼なりに理解しているのがわかる。

 トロイは静かにそれを見ていた。

 視線を泳がせるでもなく、ただ、そこにあるものを“見る”という行為そのものに集中している――そんな目をしていた。

 

『……気になる?』

 

 運命の声が、少し遠くから届く。

 仮面のディスプレイには、呼吸のように揺れる青白い光点が浮かんでいた。

 リンデンは、その無機質な仮面を見上げる。

 何かを考えているわけではない。けれど、その顔に向けて、ゆっくりと目を細めた。

 それから――肩が、小さく揺れた。

 頷いたというにはあまりにもかすかで、けれど拒まない、やわらかな反応。

 呼吸に合わせた偶然のようにも見えたが、それでも確かに、「届いている」仕草だった。

 

「ふふ……気になるよねー、これ。いっぱいあるもんねー」

 

 トロイがソファの端にあったクッションを手に取り、リンデンの横に置く。

 今朝、誰かから贈られたものだったかもしれない。

 リンデンはそれを受け取ることも、強く掴むこともしなかった。

 ただ、その生地の感触を手のひらで確かめるように、そっと触れていた。

 仮面の奥で運命の表情はわからない。

 けれど、吐息のような電子音とともに、ディスプレイに点いた小さな符号がひとつだけ揺れた。

 

『……ちゃんと、届いてるみたいだね』

 

 リンデンの小さな手が、クッションの輪郭をなぞるように動いている。

 その様子を見届けながら、トロイはすっと立ち上がった。

 ソファの脇に置かれていた小さなライターを手に取って、ケーキの前へと歩く。

 

「じゃあ……せっかくだから、お祝い第二ラウンドだよー。火、つけるねー」

 

 ケーキの上に立つ一本の蝋燭。若干不恰好なその白い軸に、火がふっと灯る。

 その瞬間、室内の空気がわずかに静まったように感じた。

 炎の揺らぎが、ケーキの上にさざ波のような影を落とす。

 

『……準備、できてるよ』

 

 運命の声が、仮面越しに届く。

 そのディスプレイには、「◆」のような小さなアイコンが一瞬浮かんで、すぐに消えた。

 

 トロイはそれをちらりと見てから、再びリンデンの方へ振り返る。

 彼はまだ、仰向けのまま。けれど、目だけはしっかりと開いていた。

 炎の明かりを見ている。何かを見ている。

 

「ほら、リンデンちゃん。あの火、ふーってしていいんだよー。ね、いっしょにやってみよっか?」

 

 トロイがしゃがみ込み、そっと手を伸ばしてリンデンの脇に腕を差し入れる。そのまま、ふわりと抱き上げ、ケーキの前へ。

 小さな体が、トロイの胸元でぽすんとおさまる。

 運命も近づいて、ほんの少しだけ身を屈める。

 

『リンデン、今日はあなたの“お誕生日”だよ』

 

 仮面のディスプレイには、“1st”の文字がふわりと浮かんだ。

 リンデンは、ふたりの声に反応するように、もう一度だけ蝋燭の火を見つめた。

 

 そして、トロイがふっと耳元で囁く。

 

「いっしょにふー、だよー。いくよー……せーのっ」

 

 ふたりの息が重なり、小さな炎がゆらりと揺れ――やがて、静かに、消えた。

 

 薄明るい灯りの中、わずかに残った煙が螺旋を描いて昇っていく。

 リンデンの目は、何かを追うようにその煙を見つめていた。

 

 静かな祝福の瞬間が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 その後の時間は、驚くほど静かで、そして穏やかだった。

 ケーキは小さく切り分けられ、三人でゆっくりと味わった。

 トロイは最初のひと口を飲み込むと、わざとらしく目を丸くして言った。

 

「まじかー、これこんなに美味しいんだー……ちょっと、ずるくない?」

 

 そう言いながら、フォークを止める間もなくもうひと口。

 気取らない口調とは裏腹に、きちんと味わっているのが伝わってくる。

 運命はというと、仮面の下からごく自然な仕草でケーキを口に運んでいた。

 頭部を完全に覆うディスプレイ付きの仮面――そこには何も表示されていなかったが、どこかその動きには、満足げなリズムがあった。

 その合間合間に、リンデンもまた、小さな口をもぐもぐと動かしていた。

 甘さがまだ少し重たそうに見えたけれど、スプーンで運ばれるごとに、ほんの少しだけ、咀嚼の速度が速くなっていった。

 

 完全な夜になった頃には、昼に祝いそびれた騎士たちが、ぽつりぽつりと運命の部屋に顔を出し始めた。

 カノンはいつもの見慣れた私服で、静かに扉を開けて入ってくる。

 「改めてお祝いに来ましたっ」いつもの快活さを笑みに変えて、リンデンの元へ歩いた。

 そこから少し間を置いて、千紫のKINGである春夏秋冬(しき)

 快活な笑い声と共に「我が弟よ!」とリンデンの元までやってきた彼の右手には、色合いの複雑な勾玉のようなものを握りしめていた。

 曰くこの日のために“二百回ほど死んで”手に入れたらしいが、詳細は不明のまま。

 それより少しだけ遅れてやってきたモノは、静かに部屋へ入ると、

 何も言わず、壁際のプレゼントの山に視線を向けてから、そっと紙袋を差し出した。

 春夏秋冬が言ったその発言に対して、「呆れた」とほんの小さなため息をひとつ。

 舞護はナース服姿のまま、小走り気味に姿を見せた。

 「リンデンくん用のお薬っスよー!」と、手には効能不明の薬瓶がいくつか。

 誰がどう見ても効能が怪しいそれを、運命は一応受け取りつつも仮面の表示で『確認中』の文字を出していた。

 そして、最後に気づいた時には、黒猫姿のシオンがリンデンの隣に座っていた。

 いつからいたのかは誰も知らない。ただ、彼女は一度も声を発さずに、そっと前足でリンデンの頭を撫でるように、てし、と触れた。

 

 そんなふうに、特別で、どこか慌ただしく、けれど優しさに満ちた夜が続いていった。

 この子がこの世界に生まれて、初めて迎えた一日。

 それは、いくつもの手で触れられ、いくつもの眼差しに見守られながら――日の変わるほんの少し前、静かにその幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が、すっかり沈みきっていた。

 カーテンの隙間から射すわずかな都市の明かりが、天井にぼんやりと波を描いている。

 もう祝う者の声も、灯りの色もない。

 その静けさの中で、ふと、ベビーベッドの中で小さな動きがあった。

 リンデンが目を覚ました。

 すぐには泣かなかった。

 ただ、ゆっくりと瞼を持ち上げ、暗い天井をぼんやりと見上げていた。

 部屋は静かで、暗かった。

 灯りはすべて落ち、窓の外の街が、遠くに霞んで光っていた。

 よちよちと身を起こした小さな体は、ベビーベッドの中でぽすんと座る。

 目の前にある柵。

 その向こうに、斜めのガラス窓が切り取る夜の空。

 夜景に溶けるように、星がひとつ、明滅していた。

 ゆっくりと、けれど確かに。遠く、遠くで、小さく燃えていた。

 リンデンはそれを見つめていた。

 理由はなかった。

 意味もなかった。

 ただ、そこにあったから。

 小さな手が、星の方へと伸びた。ガラス越しに、夜の空と、星の光と、幼い指先が重なる。

 

 そして――手が、握られた。

 

 何かを掴んだわけではない。

 届くはずもない場所に向かって、ただ、そっと。

 ひとつの光を、確かめるように。

 

 その夜の静けさを、誰も知らない。

 ただ星だけが、それを見ていた。

 

 

 







なお、渡されたヴィトゲンシュタイン2世のクッショ……ぬいぐるみは好きでも嫌いでもないようです。



恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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