みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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Save, Nonsense, Suicide.7

 

 

「――BLADE」

 

 吐息のように落とされたその一言が、戦場全体の空気を塗り替えた。

 トロイの足元から、翡翠とは異なる色――生まれたばかりの若葉が陽を浴びて震えるような、新緑の光粒がふわりと舞い上がる。

 光は彼女の周囲に渦を描きながら吸い寄せられ、まるで誰にも触らせない清浄な領域を作り出していた。

 

 トロイは静かに瞼を閉じ、胸の前で細く、しなやかに指を組む。

 祈りの姿勢。

 人を赦し、人を裁き、人を救う“聖女”の面影が、戦場のただ中でありながら不思議なほど自然に溶け込む。

 

 背後に浮かぶ聖槍リタは、主の祈りを受け止めるようにわずかに傾き、吸い上げる霊子は淡い新緑へと変質し、槍身の内部を清流のように満たしていく。

 その姿は、まるで若木が心臓を得て脈動し始めたようで――誰もが、息を呑んだ。

 

「させねぇよ……!」

 

 片割れの少女が吠えた。

 斬を蹴り飛ばした時と違い、今の動きには“焦り”が明確に混じっていた。

 運命の横をすり抜ける瞬間、少女の足が地面を抉る。

 彼女が狙うのは運命ではない。

 ただひたすらに、後方で祈るトロイだけだった。

 

「強く儚き者達へ――」

 

 トロイは振り返らない。

 淡々と、慈しむように、祈りの言葉を紡ぎ続ける。

 ふわり、とリタの槍身から大樹の枝ぶりのような霊子の角枝が伸び――

 そこに薄桃色の蕾が、静かに芽吹き始めた。

 その淡い桃色は、遠い昔、彼女が捨てた信仰よりも柔らかく、温かく、まるで“誰かの痛みや罪を赦すための花”のように見えた。

 プロブレムの大型ドローン(QとA)が上空で旋回し、翡翠結晶と爪刃への迎撃パターンを即時に切り替える。

 少女の進行ラインにレーザーを浴びせ、地面を焦がす矢の雨のように連射を叩きつける。

 

だが――止まらない。

 

 少女の脚は風を裂き、傷だらけの身体でありながら怯む気配もなく。

 光の網をひとつ、またひとつと抜けて、弾丸のような勢いでトロイへ迫った。

 

「リタ=レルリア天祈術、第9088秘匿禁技――」

 

 トロイの声は静かだった。

 蕾が震え、薄桃の花弁がゆっくりひらく。

 形は桜にも似ていたが、色はやや濃く、霊子の反射で宝石めいた煌めきを宿していた。

 

 少女の魔剣が振りかぶられる。

 霊子を削り、魂さえも分断しかねないほどの鋭い刃。

 その鈍い光がトロイの首筋へ落ちようとした――瞬間。

 

「……!」

 

 魔剣を握る手に、何かが激突した。

 

 鋭い破砕音。

 飛来した翡翠結晶が弾け、細い閃光となって散った。

 少女の手から、魔剣が滑り落ちる。

 握力が一瞬だけ空白になった。だがそれだけで十分だった。

 彼女は目を見開き、飛来元を睨む。

 

 そこにいたのは――

 膝をつき、肩で荒い息をしながらこちらを見上げているオラスだった。

 Tシャツは破れ、肌は擦り傷と血まみれ。

 右目の下には涙の跡のような汚れまでついている。

 それでも、彼女は笑った。

 いつもの、構ってほしがる配信者のような笑顔で。

 

「……へへっ、本命はオラスだぞ☆」

 

 銃にも見立てた指先――。

 レンズ越しに“視聴者”へ向けるような、しかし確かな殺意を秘めたその構え。

 砕けた魔拳(ラブレス)の親指から弾き飛ばされた翡翠結晶は、少女の魔剣を弾き落とし、軌道の乱れすら許さず、寸分違わない精度で少女を撃ち抜いていた。

 その一撃は、ただの援護ではなかった。

 “救い”でも、“奇跡”でもない。

 仲間を守るため、ただの一発。

 だが同時に――少女の敗北の、避けられない始まりでもあった。

 

 花が――開いた。

 

 静かな破裂音のように、薄桃色の花弁がふわりとほどける。

 その瞬間、蕾の中心から溢れ出した新緑の霊子が、まるで息をするかのように脈動し、限定神域全体へと一気に広がっていった。

 温かい春風のような光が戦場の瓦礫の影を押し返し、

 血の匂いすら薄めてしまうような、やさしい清浄さが大地を覆う。

 

「デフラワリングフレア――!」

 

 トロイの宣言とともに、花弁が弾け飛んだ。

 薄桃と新緑の霊子が混じりあい、柔らかな奔流となって渦を巻き、

 負傷した騎士たちの裂けた皮膚と、欠損した肉体を包み込んでいく。

 光が触れた部分は、まず痛みが消える。

 次に、“失われる前の身体の記憶”が蘇るように組織が組み上がり、

 霊子が新たな骨と筋肉を形づくり、血管を繋ぎ、皮膚を再生させる。

 

 スリーの脇腹、えぐられて空洞になっていたはずの箇所から、

 炭化しかけた肋骨の断面が光の中で滑らかに再形成され、

 そこへ筋繊維が細い糸のように伸びていく。

 右腕の欠損も、霊子の流動がまるで陶芸家の指先のように形を整え、

 指の爪の色まで完全に再現された。

 

 アンサーの右脚も同様だった。

 霊子の奔流が傷口に吸い込まれるたび、失われた脚部構造が淡い炎熱の粒子をまとって甦る。

 肉体が再生する音は小さいのに、戦場全体に“彼女が再起動する気配”が響いた。

 斬の胸の深い傷は、霊子の花びらがふわりと貼りつくことで急速にふさがり、玄鉄の全身の裂傷は薄桃の光が縫い合わせるように、滑らかに閉じていく。

 オラスの胸郭に走っていたひび割れは、折れた肋骨の輪郭が光の中で整い、再び正常な形を取り戻した。

 

 癒しの奔流は確かに届いた。

 “全員が再び立てる状態”という形で。

 

「――っ!」

 

 癒しの光に飲まれながらも、少女は即座に反応した。

 弾かれた魔剣を手元へ呼び戻す。

 彼女の霊子が渦を巻き、翡翠の刃が空間を裂いて出現する。

 

 そのまま少女は腰を落とし、全身のバネを使ってトロイの首へ魔剣を薙ぎ払った。

 殺意の起点から一切ブレず、音すら遅れて聞こえるほどの速度。

 

 金属がぶつかる甲高い音。

 魔剣の切っ先は、祈りを終えたトロイが持ち直した聖槍リタに阻まれていた。

 トロイは槍を握ったまま、ゆっくりと顔を上げた。

 彼女の肌はすでに浅黒く変質し、霊子の密度が常人の数千倍にまで跳ね上がっている。

 指の先から放たれる霊子は、もはや祈りの清浄さではなく――“魔王”と呼ばれる禍々しさを帯びていた。

 

 BLADEの副作用(いわゆる魔王モード)

 その顔には、シスターの面影も、癒しの優しさもない。

 残っているのはただ“根源から溢れた本質”だけ。

 

「――クソがよ」

 

 少女の罵声が飛ぶ。

 それに対し、トロイは唇をゆっくり吊り上げた。

 獣が喉を鳴らす寸前の、人ならざるあざ笑い。

 

「形勢逆転ってやつかなー。焦ってて草生えるー……」

 

 声は柔らかいのに、吐き出す言葉は鋭い。

 修道女の祈り声と、捕食者の本能が混ざったような声音。

 

「――さっさと来いよブス。ぶち殺してやるから」

 

 言葉と共にトロイがリタを押し立てた瞬間、金属音が弾け飛ぶような鋭い衝突が戦場の中心で火花を散らした。

 少女は弾かれた魔剣を握り直し、歯を食いしばる。

 トロイの浅黒く変質した腕、奔流のような霊子。

 両者のぶつかりあいは、祈りや憎悪といった感情すら超えて、ただ“殺意”と“意思”だけがむき出しで衝突する。

 

 刹那、二人の足が同時に地面を蹴った。

 トロイの踏み込みは、槍を地ごと割るように低く鋭く。

 少女の踏み込みは、魔剣と共に風そのものを斬り裂くように速く。

 ふたつの影が線となり、互いの急所へ向かって突き進む。

 金属と金属が擦れ合い、火花が円を描く。

 リタの穂先と魔剣の切っ先が噛み合い、軋音が空気を震わせる。

 踏み込んだ足同士がぶつかり、殺意の圧が押し合い、地面が割れ霊子が散る。

 その刹那には、言葉も、祈りも、怒号も存在しない。

 ただ――ふたりの“殺すための一歩”だけが、世界を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袈裟懸けに振り下ろされた刃が、空気を裂きながら少女の肩口を狙う。

 だが少女はその殺意の軌跡を半歩で躱し、風のように身を沈めて滑り抜けた。

 足裏が床を掠めた瞬間にはもう反転しており、追撃の影を振り払うように魔剣を翻す。

 

 しかし、避けた先にはさらなる殺気が待ち構えていた。

 アンサーの槍が――まるで太陽の破片を纏ったかのように炎熱をまとい、

 少女の側頭部を焼き焦がすほどの熱量で突き込まれる。

 それに重なるように、スリーの銃器群が一斉に火を噴き、

 複数の鉛玉が風圧すら伴って少女の胸、喉、脇腹を狙って飛んできた。

 通常の人間なら回避の余地など無い。

 だが少女は人間ではない。

 紙一重。

 本当に髪の毛一本分の差で槍の穂先を躱し、肩越しに弾丸を滑らせる。

 

 そのまま身体を捻り、逆に魔剣の切っ先から翡翠結晶をばら撒く。

 散弾のように拡散するそれは、一つひとつが“生身を容易に穿つ致死量”。

 速度も質量も十分で、触れれば肉体が砕け散るはずだった。

 

 ――だが。

 結晶は、騎士たちの身体に届く直前で、まるで壁にぶつかったかのように速度を落とした。

 霊子の抵抗膜。それはトロイの祈りの残滓か、あるいは限定神域そのものの作用か。

 いずれにせよ、少女の殺意は“世界そのものに阻まれた”。

 

 少女の眉が苛立ちに歪む。

 反撃とばかりに、少女は宙空へ爪刃を複数射出し、翡翠結晶の雨を降り注がせた。

 空中からの俯角攻撃。

 プロブレムの習性解析装置でも瞬時には割り切れないほど複雑な軌道。

 それに翡翠結晶の質量を重ねた“二段攻撃”。

 

 だが――それを迎え撃つ影が三つ。

 プロブレムの大型ドローン(Q&A)が空中に接近し、幾条ものレーザーが高速で照射され、爪刃の軌道を削り取る。

 同時に玄鉄の古典魔術が詠唱とともに雷撃を放ち、濡羽が片手を振り抜いて“電磁式の落雷術式”を叩き込む。

 青白い雷光が爪刃を焼き切り、翡翠の結晶弾を蒸発させる。

 雷鳴が限定神域に反響し、少女の髪を逆立てた。

 

 玄鉄が口角を上げ、濡羽が「ふふん!」と得意げに中指を立て、二人揃って悪態のような勝利のサインを送る。

 少女はギリ、と奥歯を噛み、低く吐き捨てた。

 

「……クソが」

 

 その直後、影が迫る。

 オラスの魔拳(マクスウェル)が振り下ろされた。

 砕けた装甲の隙間から露出した内部ユニットがむき出しの光を放ち、

 拳の軌跡には残光が残る。

 少女は反射的に魔剣を掲げ、その拳を受け止めた。

 骨が軋むような音。

 拳と刃がぶつかり合い、衝撃波が前方へ弾け飛ぶ。

 地が抉れ、飛沫のように散る瓦礫。

 少女の肩がわずかに沈む。

 

 押されている。

 “さっきまで圧倒していたはずの彼女”が。

 癒され、蘇り、戦線へ戻った騎士たちが一斉に押し込む。

 少女の呼吸が荒れ、体幹が揺らぎ、魔剣を保持する腕がわずかに震え始める。

 形勢は――完全に逆転していた。

 

 

 少女は、完全に悟っていた。

 いま胸を焼くこの感覚は余裕ではなく、ただの慢心だったのだと。

 勝てると思っていた。

 奪えると思っていた。

 手に入れられると思っていた。

 そのすべてが、今こうして己を滅ぼす毒となって喉の奥で苦く広がっている。

 失われた左腕。

 霊子が噴き出す断面はとうに止まり、痛みはもう感じない。

 だが腕を欠いたことで僅かに体幹が揺らぎ、踏み込みが乱れ、肺の奥に残る呼吸すら歪んでいる。

 それでも少女は、寸分違わぬ正確さで魔剣を振るった。

 刃筋は濁らず、斬撃は精密機械のように規則正しく、魔剣を握る右腕にはまだ十分な霊子が残っている。

 

 だが、それはもう意味をなさなかった。

 有効打すら通らない。

 致命傷に至らなければ、すべては後方の“あの女”――トロイによって無かったことにされる。

 回復も、再生も、霊子的巻き戻しすら可能な“反則級の癒し手”。

 いま自分がどれほどの攻撃を通しても、前衛の騎士たちはすぐに蘇る。

 

 少女は連撃の合間に、ちらりと後方のトロイへ視線を向けた。

 首元に光るチョーカーデバイス。

 リンデンの形見。

 生きているなら、こんなものを身につける理由は無い。

 

 ――死んだのだ。

 

 その事実が、胸の奥に鋭く突き刺さる。

 目の奥が焼け、理性を削るような痛みが走る。

 あのデバイスがトロイの首にある時点で、少女の願い――“リンデンとひとつになる”という目的は、永遠に成就しない。

 手に入れそこねた。

 奪い損ねた。

 自分のものになるはずだった未来は、既にどこにも存在しない。

 

 そもそも、あの“異形の群れ”――⬛︎⬛︎⬛︎たちが明確に自分を狙い始めたのは。

 少女がリンデンの力を取り込み、魔剣の力を解放した“あの瞬間”からだ。

 それまでは滅多に襲撃してこなかったクリーチャーたちが、GARDENと交戦するまでの道中、まるで“奪われる前に阻止する”かのように、

 何度も、何度も、何度も強襲を仕掛けてきた。

 少女は思い返す。

 あの時、あの状況、あの感触。

 

 ――高を括っていた。

 

 いつでもリンデンを取り込めると油断した。

 労をせず、誰よりも早く“完全”に辿り着けると思っていた。

 結果、リンデンは死に、自分は“未完成のまま”戦場へ立つ羽目になっている。

 完全にはなれず、目的も失い――そして今まさに、敗北のカウントダウンが始まっている。

 これは、これではまるで。

 

「……ああ、マジに最悪だ」

 

 喉の奥から絞り出すような声。

 少女の目が細められる。

 

 ――“あいつら”の思惑通りじゃねえか。

 

 怒りが、悔しさが、焦燥が胸を支配し、踏み込みのわずかな甘さとなって現れた。

 斬の視界が閃く。

 魔剣の一閃が彼の前で空を切った、その瞬間。

 

「――ッ!」

 

 斬の足元で霊子が弾け、白刃が閃く。

 超高速の納刀――からの抜刀。

 真空が発生するほどの速度で放たれた剣撃が、

 横一文字に少女の腹を薙ぎ払った。

 

 少女の身体が、爆発したように横へ吹き飛ぶ。

 霊子の血飛沫が軌跡を描き、肋骨の奥に届くほど深い裂傷が腹部に走る。

 地面を転がり、壁へ叩きつけられて停止するまで、少女は反撃の余力すら奪われていた。

 

 

 土煙がまだ晴れきらない。

 斬の一閃に吹き飛ばされた少女の身体は、砕けた岩肌の破片に半ば埋もれる形で転がっていた。

 しばらく動かなかったが、やがて破片ががらりと揺れ、少女がよろよろと身を起こした。

 

 腹部には、横一文字に大きく裂けた傷。

 肉は割れ、骨が覗き、霊子が煙のように漏れ続けている。

 その傷口から滴る血と霊子の粒子が、ぬめるように床へ落ち、赤黒い染みを作るたびに薄い蒸気が立ち上っていた。

 常人なら即死の損傷。しかし少女は歯を食いしばり、左腕の断面をかばいながら、片膝で立ち上がる。

 

 呼吸は荒く、肺の奥で血が泡立つ音がする。

 それでも、魔剣を握る右腕の震えは止まらない。

 震えは恐怖ではなく、まだ戦う意思による過負荷の反応。

 少女は裂けた腹部へ視線を落とし、荒い息の中で舌打ちする。

 そのまま自分の体内から翡翠結晶を強制生成し――骨の代わりに、肉の代わりに、腹部へ押し込むように生やしていく。

 “治す”のではなく、“縫いとめる”。

 荒療治どころではない。それでも少女は表情を歪めず、むしろふっと呆れたような笑みすら漏らした。

 

「――負けだわ、オレの。それも……つまんねー負け方」

 

 床に落ちる血の音がやけに大きく響く。

 敗北を認める言葉だが、その声音には“終わり”の色はない。

 まだ消えていない、何かを燃やし続けている者の声。

 

 少女は魔剣を握る右手へ残存霊子を集中させた。

 筋肉の線が浮き上がり、骨の周囲に霊子が走り、刃そのものが脈動する。

 その気配に、前衛の騎士たち――斬、アンサー、オラスが同時に身構えた。

 

 翡翠結晶の雨は止んでいる。

 爪刃も飛んでこない。

 障害はすべて消え、少女ひとりへ全戦力を向けられる状況。

 殺意の矛先が彼女一人に収束する。

 少女は血を垂らしたまま、哂うように息を吐いた。

 

「つまんねー負け方はしたけどな」

 

 そして、腹の底から振り絞るような声で続けた。

 

「――つまんねー死に方は、しねぇよ」

 

 魔剣を薙ぎに構える。

 片腕を失ってなお、その構えは獣のように鋭く。

 死へ向かう覚悟が、逆に恐ろしく研ぎ澄まされていた。

 同時に、前衛の三人が一斉に踏み込む。

 霊子の軌跡が三本の線となって少女へ殺到する。

 

 だが――その二歩目。

 全員の動きが、空気ごと止められた。

 

『みんな、止まって!』

 

 運命の声だった。

 叫びではない。

 恐怖でもない。

 確信を帯びた、ただの“指示”。

 しかしその音色は、未来を知っている者の声音だった。

 

 そして――少女は振り返った。

 

 まるで“来るのが分かっていた”と言わんばかりの動作。

 動きは遅いはずなのに、妙に滑らかな自然さがあった。

 彼女の瞳が、戦場の外側へ向く。

 

 同時。

 少女は全身の力を振り絞り、横薙ぎの一撃を後方へ叩き込んだ。

 飛来してきた“ソレ”を迎撃するために。

 衝突音は耳ではなく、骨に直接響いた。

 霊子が弾け、空間の霧が裂け、

 猛烈な圧が少女の魔剣をへし折らんばかりに叩きつける。

 土煙が後ろへ吹き飛び、戦場の大地が悲鳴を上げた。

 

 そこへ――肥大化した白い腕が伸びていた。

 

 少女の刃を止めたのは、神でも魔でもない。

 人の形をした“終焉(おわ)れないナニカ”だった。

 

 

 

 衝突の余波は、地形そのものを抉り取った。

 少女の横薙ぎと、異形の突進がぶつかった一点を中心に、岩肌が剥がれ飛び、地面は波紋のように盛り上がって砕ける。

 そこから放射状に広がった衝撃は、前衛の騎士たちの体勢を一瞬奪い、斬でさえ足を踏み直すほどの圧を持っていた。

 

 土煙が渦を巻き、空気が低く唸る。

 吹き飛ばされる砂塵の中、“ソレ”が姿を現す。

 魔剣に弾かれた人型の異形は、骨の軋む音も、肉の擦れる音もなく――本当に無音で、逆関節の脚を地面へ下ろした。

 

 白く筋肉質な肉体。

 皮膚という概念を拒絶したような、無機質で滑らかな白。

 両腕は人間の比ではないほど肥大化し、関節の角度も長さも破綻している。

 しかしその異形は、ただ立っているだけで“完全な平衡”を保っていた。

 

 そして、もっとも異様なのは肩だった。

 左右の肩から生えているのは、女性を模した肉塊のような“腕と顔の影”。

 その手は、人型異形の本来の“目”がある位置をしっかりと塞ぎ、

 まるで“見てはいけないものを見せないための覆い”のように、静かに貼り付いている。

 

 生物としての形をしていながら、そこには生命の躍動がない。

 ただ“動くための構造物”でありながら、“死の概念そのもの”をまとっていた。

 少女は血を吐きながら小さく舌打ちした。

 

「……まあ、狙うならここしかないよな」

 

 理解はしていた。

 こうなることも、こう来ることも。

 勘が当たったというより、“ずっと前から自分が狙われていた理由”の答えがそこに立っているだけだ。

 

 横薙ぎの反動で、腹部に縫いとめていた翡翠結晶がぱきんと砕ける。

 結晶に繋がれていた肉が再び裂け、赤黒い液体がだらだらと滴り、足元へ広がった。

 もう身体から漏れる霊子を止めることは出来ない。

 それでも少女は片腕で魔剣を構え直し、口元を歪ませる。

 痛みはもう感じない。

 血が減る感覚も曖昧で、体が揺れる。

 ただ――見えている。

 

 “こいつらが何をしに来たのか”。

 

 少女は、運命たちに背を向けた。それは逃走でも、諦めでもない。

 むしろ――覚悟を示す一歩だった。

 魔剣を引きずるように構えたまま、人型の異形へと一歩、踏み出す。

 かつてなら何でもない距離。だが今は、体重のすべてが腹部の裂傷に引きずられ、骨と内臓が軋むのを感じる。

 それでも、少女は止まらなかった。

 

 その一歩に呼応するかのように、

 人型の異形の背後――白い筋肉の足元で、大地が低く、嫌な音を立てて隆起し始める。

 

 ごり、と。

 ばき、と。

 

 岩盤が内側から砕かれ、土塊が弾け飛ぶ。

 次の瞬間、地面の裂け目から這い出てきたのは、白く、濡れた筋肉の束だった。

 

 十。

 二十。

 いや――数える意味がない。

 

 裂け目は次々と増え、地表はまるで生き物の皮膚のように蠢き始める。

 そこから生まれてくるのは、ナンナリスクリーチャー。

 進化に進化を重ねた個体群。

 かつて遭遇したものとは、もはや同一種とは思えない異形たち。

 

 ある個体は、背中からナンナリスの支援アームを模した砲身を生やしている。

 金属ではなく、筋繊維と骨格で構成された“砲”。

 内側で霊子が蠢き、発射口にあたる肉の輪が不気味に脈動していた。

 別の個体は、肉機械的な構造で炎熱の槍を模した器官を背負っている。

 脊椎から突き出した肉の支柱に、熱を帯びた槍状器官が固定され、

 呼吸に合わせて灼熱の蒸気を吐き出していた。

 

 さらに異様なのは、形状そのものを捨てた個体だった。

 四肢の区別すら曖昧な肉塊が、空中で再構成され、

 巨大な肉の翼を生やした“ドローン状”の存在へと変化していく。

 骨と膜で構成された翼が展開されるたび、空気が裂け、

 その影が地面を覆った。

 

 進化。

 模倣。

 最適化。

 

 すべてが、少女と騎士たちを殺すためだけに存在している。

 少女の背後で、運命たちが息を呑む気配がした。

 言葉はない。

 だが、空気が一瞬だけ凍りついたのが分かる。

 少女は口の端を吊り上げ、血の混じった唾を吐き捨てる。

 

「……ここまで来るとさ」

 

 声は掠れているが、不思議と震えはない。

 

「一周まわって、感心しかしねえよな」

 

 魔剣を握る指に、最後の力を込める。

 視線は正面の人型異形から逸らさない。

 背後に何百体いようが、関係ない。

 

 これは――奪われる直前の、最後の時間。

 少女は、はっきりと理解していた。

 次に動いた瞬間、すべてが始まり、そして終わるのだと。

 それでも彼女は魔剣を下ろさず、膝を折らず、ただ真正面から――“狩る側”を睨みつけていた。

 

 

 運命が、ゆっくりと魔剣を地面に突き立てた。

 限定神域の再展開。再び力場を広げ、今度は少女を守るための結界を張ろうとしていた。

 その意図を察した騎士たちも即座に動く。斬が踏み込み、アンサーが防御姿勢を取り、オラスの魔拳が展開準備に入る。

 だがその瞬間。

 

「――あ?」

 

 少女の声が、その場の空気すべてを凍らせた。

 冷たい。底冷えするような響き。声に込められた気配が、前線にいた斬ですらわずかに足を止めさせる。

 

「何、助けようとしてんだよ」

 

 少女は振り返らない。

 翡翠の魔剣を片肩に担ぎ、ただ一点――白き異形の群れに視線を向けたまま、足を止めない。

 運命の手元で、霊子が滲み出るようにして広がっていた限定神域の展開が止まる。

 彼女の言葉は、明確な拒絶だった。

 

「……言ったろ?『つまんねー死に方はしねぇよ』って」

 

 静かに続けるその声に、運命はほんの少しだけ食い下がった。

 唇を噛み、視線で語るように彼女の背中を見つめながら、絞るように声を出す。

 

『でも――』

 

 運命のその一言に、少女は深く嘆息し、ようやく背を向けたままの姿勢から、ゆっくりと振り返る。

 その顔には、怒りも焦りもなかった。ただ、ひどく静かな諦念と、燃え尽きる前の焔のような覚悟だけが宿っていた。

 

「あのな、皇帝陛下」

「これはオレの、落とし前なんだよ」

 

 腹の傷からは、翡翠結晶とともに赤黒い液体が垂れている。

 立っているのがやっとであろうに、彼女は一歩も引かず、言葉を紡ぐ。

 

「だからさ、首突っ込んで来るな」

「……勝ち犬様は、さっさと回れ右して尻尾巻いてどっか行ってろよ」

 

 その言葉に、アンサーが眉を下げて黙り込み、オラスがわずかに口を開けたまま言葉を失う。斬は目を伏せ、スリーは無言で運命に視線を送った。

 そして、その静寂の中で最初に動いたのは――トロイだった。

 

「……退こう、陛下」

 

 どこか吹っ切れたような、けれど優しさを含んだ声。

 肩の力を抜きながら、トロイは運命の傍に歩み寄り、そっと促すように言葉を続けた。

 

「ここからは、あの子のけじめだからねー」

 

 運命の手が魔剣から離れる。

 限定神域の光が収束し、霊子の揺らぎが消えた。

 一人、また一人と。

 斬が剣を下ろし、アンサーが霊槍を解放し、オラスがドローンを回収する。

 濡羽と玄鉄も、互いに無言でうなずき合い、戦闘態勢を解いた。

 

 その場を後にするように、運命たちは少女を残してゆっくりと駆け出す。

 背を向けた彼らの表情は見えない。ただ、その背中にはどこか痛みが滲んでいた気がした。

 全員が遠ざかっていく中、トロイだけが最後に足を止めた。

 振り返らない少女の背に、彼女はひとつ、呟くように語りかける。

 

「……そういう変に頑固なところは、あの子と同じだよねー」

 

 それに対する返事は、すぐに返ってきた。

 振り返ることなく、少女は魔剣を担ぎ直し、苛立たしげに、けれどどこか照れ隠しのような声で言い放つ。

 

「うるせーよブス、さっさとどっか行け」

 

 その言葉に、トロイは苦笑を浮かべ、小さく手を振って背を向けた。

 霊子の風の中、最後の一人が戦場を後にする。

 そして――それを待っていたかのように。

 

 人型の異形が、地を踏み鳴らした。

 それはまるで、退場を終えた舞台上に立つ主演を迎え入れるかのように、無言で、律儀に。

 少女は舌打ちしながら、残された霊子を魔剣に込めた。

 翡翠結晶が足元に咲き乱れ、戦闘の気配が再び辺りを包む。

 

「……猿マネ野郎のくせに、律儀すぎんだろ……クソが」

 

 少女と異形。

 世界の均衡を左右する者同士が、誰も見届けることのない最終幕に、静かに、踏み込みを開始した。





全然進まなくてスランプして叡智な方に逃げてました……。
こっちで叡智な閑話ちょっと書いてました。
https://syosetu.org/novel/394859/



恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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