みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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Shatter, Nightfall, Signal.1

 

 

 GARDENランヴィリズマ第十層。

 研究層と深層の境界線に分類されるこの区画は、浮遊大陸周辺に張り巡らされた蒼空防壁の出力処理と、各層へ霊子エネルギーを供給する巨大なパイプラインが集約された、いわば心臓部のひとつだった。

 天井高く走る導管は鈍い光を放ち、床下を流れる霊子の脈動が、低い振動となって常に空間を満たしている。

 人の出入りは少なく、作業音と計測機器の電子音だけが規則正しく響く、無機質で静かな場所。

 目の前に展開されたエネルギーグラフをひと通り確認し終えた職員は、椅子の背にもたれながら大きく息を吐いた。

 

「あー……っぱ辛ぇわ……」

 

 独り言のように零し、天井を仰ぎつつ眉間をぐりぐりと揉みこむ。長時間の監視業務で酷使された目の奥が、じんと鈍く痛んでいた。

 

「先輩、ご苦労様です」

 

 明るい声とともに、背後から軽い足音が近づく。

 振り返る間もなく、臙脂色のはね髪を揺らした女性研究員が、カップコーヒーを手に青年職員の横へ立った。

 白いカップの表面からは、立ち上る湯気と一緒に、焙煎された豆の香りがふわりと漂う。

 

「わりんな、助かる」

 

 気の抜けた礼を言いながら、職員はそれを受け取り、何の警戒もなく一口含んだ。

 次の瞬間、喉を通り抜けるはっきりとした苦味に、顔が思わず歪む。

 

「……無糖かぁ……」

 

 文字通り“苦い顔”をして、カップを少し遠ざけた。

 

「お砂糖のストックが切れちゃったので」

 

 研究員は悪びれる様子もなく肩をすくめる。

 

「先輩、いっつもカップコーヒーにすら角砂糖六個入れて、糖分過多なんですから。たまには我慢してください」

 

 その言葉に、職員は「うへー……」と情けない声を漏らし、なおもしかめ面のままカップを見下ろした。

 それでも結局、諦めたようにもう一口、苦いコーヒーを口に含む。

 職員が苦味に顔をしかめながら再びコーヒーを啜る様子に、研究員はどこか満足げな笑みを浮かべていた。

 そのまま、何気ない仕草で彼の背後――ホログラフのモニター群に目を向ける。

 並ぶ数値のひとつに、ふとした違和感を覚え、彼女は小さく眉をひそめた。

 

「あれ……? 第十二層のゲイン値って、思ったより低いんですね」

 

 そのつぶやきに、職員は椅子にだらしなく背を預けたまま、モニターを横目で見やりつつ応じる。

 

「ああ、それなぁ……。一応、稼働基準値の下振れ寄りではあるけど、まぁ誤差範囲っちゃ誤差範囲なんだよな……。

 もうちょっと下がるようなら、さすがにメンテ申請かけたいとこだけど」

 

「でも……三年前に一度、オーバーホール入れてるはずですよね? それにしては、ちょっと落ち過ぎなような……」

 

 研究員が不安げに首をかしげると、職員も「だよなぁ」と苦笑混じりに返した。

 そんな二人の会話を割るように、突如、モニター上部から微細な電子音が響いた。

 ピッと乾いた高音。ほんの一瞬の警告にも似たその音に、職員の身体が反応する。

 

「ん……?」

 

 椅子を前に引き寄せるようにしながら、彼は端末のインジケータを覗き込んだ。

 霊子出力、圧力ゲイン、迷彩偏差――一通りの表示を確認したあと、ふいに表情が曇る。

 

「……なんだこれ。防壁の出力は変わらずで、位相数値が……低下?」

 

「えっ?」と声をあげて、研究員も別のモニターに飛びつく。

 両手をホロキーボードにかざし、霊子グラフと迷彩演算のログを同期して確認していく。

 

「それは……ちょっとおかしいです。

 偏光式迷彩って、出力と比例して位相偏差が保たれてるはずなのに、位相だけが落ちるって……」

 

 呟きながら、彼女の指が加速度的に動く。

 次々とウィンドウが立ち上がり、補正値や偏差率を比較するデータが横並びに展開されていく。

 

「……ホントだ、どの数値も比例してない。整合性が取れてない……」

 

 研究員はホロキーボードを立て続けに叩きながら、眉間に皺を寄せてモニターに顔を近づける。

 口元からは、本人も自覚していないような小声がぼそぼそと漏れていた。

 

「メイン出力……44.6kRyd定格のまま……でも偏光反射値が2.2ポイント下落……位相偏差もマイナス方向に急傾斜してる……仮想霊子投影、シグナルレイヤーが歪んでる?あれ……相関式が逆……出力が+4.6で、位相が−4.6……?」

 

 呟きながら、何度も波形表示を拡大し、重ね、また戻しながら画面を追う。

 冷静な手の動きとは裏腹に、目はだんだんと見開かれていく。

 

「待って待って、これ位相差が正反相じゃない……?

 え、でも重心点がズレてる……数値がおかしい……中枢演算ログが……あれ、遡れない?ログストックは……なんでタイムラインが空白に……?」

 

 その声には、明確な“焦り”が滲み始めていた。

 数字は“正常”を示しているにもかかわらず、どこか明らかに“異常”な歪みがそこにある。

 霊子の位相だけが、まるで“地盤そのもの”を喪失したかのように、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。

 

「先輩、多分これ、何かあります……! すぐに中枢管理に報告を――!」

 

 声を張って告げる彼女は、反射的に振り返った。

 けれどそこには、誰もいなかった。

 空の椅子。

 ホログラムが照らす淡い光の中に、ただ一杯の飲みかけのカップコーヒーが残されていた。

 

「……先輩?」

 

 彼女が声を漏らしたその椅子の上には――誰かの存在を“記憶”させるように、微かに光を放つ翡翠色の粒子だけが、ふわりと漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤黒い空。

 その下で、しんしんと降り積もる翡翠の粒子を踏み散らすように、複数の足音が駆け抜けていた。

 粒子は光を帯びながらも重さを持ち、靴底に触れるたび、かすかな硬質音を立てて砕ける。

 神域の空気は冷え切っており、呼吸のたびに肺の奥が痛んだ。

 

 背後から迫るのは、複数の異形――ナンナリスクリーチャー。

 肉とも金属ともつかない白い肢体が不規則に蠢き、関節が軋むたび、嫌な音が戦場に残響する。

 背部には、ナンナリスを模した砲身。

 それは生き物の器官のように脈動し、内側で光を収束させていた。

 次の瞬間、焼けるような閃光。

 空気が震え、翡翠の粒子が一斉に弾き飛ばされる。

 運命たちは散開し、それをかわす。

 同時に振り返り、迎撃に転じた。

 

 刹那の交錯。

 刃と術式、銃火と霊子が交わり、異形の身体が引き裂かれる。

 ナンナリスクリーチャーは悲鳴を上げることもなく、崩れ、砕け、肉の飛沫となって沈黙した。

 ――そして。

 運命たちは、その場で足を止めた。

 

『……いったん、ここで落ち着こう』

 

 短く、しかし確かな運命の声。

 戦場の只中にあって、それは一種の境界線のように響いた。

 騎士たちは無言で頷く。

 張り詰めていた緊張が、わずかに緩む。

 

 プロブレムは「はぁーーー……」と大きく息を吐き、肩を落とす。

 スリーは即座に銃器の状態を確認し、マガジンを抜き、戻し、次の交戦に備えた。

 濡羽は新しい棒付きキャンディを口に放り込み、無意識の仕草で集中を保つ。

 他の面々も水分を摂り、装備を確かめ、負傷の有無を確かめ合う。

 誰もが理解していた。

 これは終わりではなく、ただの間隙に過ぎないことを。

 

 トロイもまた、チョーカーデバイスに手を添える。

 内部で循環する霊子が調律され、濾過されたそれが彼女の祈術として淡く広がっていく。

 目には見えないが、確かに仲間たちの身体を包み、傷と疲労を静かに撫でていた。

 その最中――。

 微かな振動が、トロイの首元を叩いた。

 

 一瞬、錯覚かと思うほどに弱い震え。

 戦闘の余波か、神域特有の干渉か。

 そう切り捨てるには、その感触はあまりにもはっきりしていた。

 チョーカーデバイスが、震えている。

 内包された霊子結晶が共振し、音になりきらない信号を発している。

 それは空気を震わせるのではなく、直接――トロイの脳裏に流れ込んできた。

 

『――こ、え――か――』

 

 ひび割れた通信。

 ノイズに覆われ、意味だけが断片的に届く。

 

『こち――イ、ンシ――』

 

 だが、確かにそれは“誰かの声”だった。

 そしてそれは、トロイにとって決して聴き間違えようのない名前だった。

 彼女は一瞬、息を飲んだ。濾過機能を残して、デバイスは通信機能も失っていたはずだ。

 そもそも、それは“あの少女の妨害”と同時に沈黙したものだった。今、再び接続されたということは―― つまり、干渉遮断は無くなった(片割れは死んだ)

 

「……りーちゃん?」

 

 ぽつりと、呟きが零れ落ちた。

 不意を突かれたように、周囲の仲間たちがトロイへと視線を向ける。

 それは、祈りにも似ていた。

 それは、失われたものへの未練でもあった。

 そして、明確な“確認”でもあった。

 ――通信の向こうから、再び聞こえてきた声。

 

『――トロイ、さん?』

 

 今度は、はっきりとした通信音声。

 直接脳内に響く、確かな声。

 リーインシアの声もまた、想定していなかった名前を口にしたことで、わずかな戸惑いを含んでいた。

 

 霊子的なノイズが徐々に収束し、通信回線が安定してくるのと同時に、周囲の空気にも微かな緊張が走った。

 ただの復旧ではない。

 今、確かに“向こう側”と、繋がったのだ。

 脳内に響く音声は、かすかに震えていた。

 だがその震えは、回線の乱れではない。

 リーインシア自身の――感情の揺らぎだった。

 

『こちら、リーインシア。通信回線、再接続を確認……現在位置は……』

 

 声が淡々と報告調に切り替わっていく。だが、その無機質な調子の裏に、必死に抑え込まれた何かが透けて見えた。

 彼女はまだ、心の整理がついていない。

 ──否、それは当たり前だった。何が起きたのか、断片だけが届き、全容はまだ見えていない。だが、言葉の端々から“察している”ことが分かる。

 トロイは、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。

 どうしても言葉にしたくなかった。

 でも、伝えなければならなかった。

 

「……通信、ずっと頑張ってたんだねりーちゃん。繋いでくれて、ありがとー……」

 

 ぽつりぽつりと紡ぐように言葉を重ねるトロイ。その声はどこまでも優しく、どこまでも弱々しかった。

 

「……でも、ごめんねー……」

 

 一拍の間。

 

「……あの子を……リンデンちゃんを、助けられなかった……」

 

 言った瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走る。

 誰よりもその報せを聞きたくなかった相手に、それを伝えてしまった。

 後悔にも似た感覚に、トロイは静かに瞼を閉じる。

 回線の向こう、リーインシアの声は途切れた。

 ほんの数秒――だが、それは彼女の心が大きく波打った証だった。

 

『……っ……』

 

 深く、息を飲む気配だけが共有される。

 その呼吸の一つひとつが、声に乗らない感情を訴えていた。

 やがて。

 

『……それでも』

 

 一度、言葉を切る。

 そこで喉が震えたのが分かった。けれど、彼女はそれを飲み込み、あくまで“オペレーター”としての立場を貫こうとした。

 

『それでも、皆さんがご無事でしたら……何よりです』

 

 言い終えたその声は、少しだけ掠れていた。

 それでも、涙の気配ひとつ漏らさず、リーインシアはただ、相手の無事を第一に言葉を継いだ。

 トロイは小さく唇を噛んだ。

 その返答が、どれほどに痛みを隠したものかを知っている。

 リーインシアにとって、あの子がどんな存在だったのか、誰よりも分かっていたから。

 ――それでも、誰かの無事を優先してくれる彼女の声が。

 今はただ、ひどく切なかった。

 

 静まり返った神域の中、粒子が降る音だけが、空間に淡く染み込んでいた。

 トロイの口から零れたリンデンの死は、言葉以上の重みを持って響いた。

 彼女の首に嵌まっているのが、リンデンのチョーカーデバイスである時点で――その意味に気づいていない者など、最初からいなかった。

 けれど、改めてそれを“言葉”という形で突きつけられた瞬間、騎士たちはそれぞれに視線を落とした。

 誰もが、それぞれのやり方で哀しみと向き合おうとしていた。

 プロブレムは、そっぽを向きながら無言で胸元のサングラスをなぞり、濡羽はキャンディの棒を噛みしめるように静かに舌で転がしていた。

 スリーは手元のマガジンを点検する振りをしながら、ほんの一瞬、遠くを見つめ、オラスは俯いてTシャツの裾を握りしめていた。

 そんな沈黙の中、運命が、穏やかな声で口を開く。

 

『……トロイ、こっちに通信を回せる?』

 

 トロイは軽く目を瞬き、仮面のディスプレイに浮かぶ瞳を見つめながら小さく頷いた。

 彼女は、まだ少しだけ息の定まらない声でリーインシアに伝える。

 

「りーちゃん……陛下に、通信回しても……大丈夫?」

 

 その問いに、通信の向こうから静かに返答があった。

 

『……分かりました。接続を開始します。少しだけ、お待ちください』

 

 チョーカーデバイスと、運命の仮面が霊子的に共振する。

 同調信号が転送され、次第に仮面側のホログラフに通話情報がリンクされていく。

 やがて――リーインシアの声が、仮面の拡張機能を通して周囲にも届くようになった。

 

『……運命陛下、そちらの状況はいかがですか?』

 

 響いた声は、先ほどよりも整っていた。

 感情を抑え、声色を均している。だが、その下にある張り詰めた思いは、通信越しでも分かるほどには明確だった。

 運命は一拍置いてから、いつもの穏やかで明るい声で答えた。

 

『私たちは……今のところ、全員無事だよ』

 

 その“全員”に、リンデンが含まれていないことは、誰の耳にも明らかだった。

 けれど、誰もそれを指摘することはなかった。あえて曖昧なまま、話は進んでいく。

 

『不死性が消えてしまってて……。あんまり無茶はできない体になっちゃったけど、それでも、動ける範囲ではしっかり頑張ってるよ』

 

 自分たちが“不老不死”であることを失った今、戦力としての限界やリスクは飛躍的に増した。

 けれど、それを悲観ではなく、“状況報告”として淡々と語るあたりが、運命という存在の強さだった。

 

『それとね、神域の発生源……その魔剣がまだ見つかってなくて』

 

 声に少しだけ苦笑の色が混じる。

 

『この神域を軌道消失させるのにも、もう少し時間がかかりそう。

 ごめんね、そっちにもきっと影響が出てると思う』

 

 報告を受けるリーインシアの側からは、しばらく返答がなかった。

 その沈黙は、怒りや焦りではなく――深い理解と共感に近かった。

 そしてその空気に、周囲の騎士たちも少しだけ肩の力を抜いていく。

 悲しみは、そこにある。消えない。けれど、沈黙に飲まれ沈むほどの重さではない。

 降り積もる粒子の光を肩に受けながら、運命は仲間たちの顔を順に見渡した。

 誰もが、何かを飲み込むように、少しだけ前を向いていた。

 

『……状況、把握しました。ありがとうございます、陛下』

 

 リーインシアの返答が、通信越しに静かに響いた。

 声には努めて平静を保った響きがあったが、細い震えがその奥に微かに潜んでいた。

 だが彼女は言葉を選び、最後まで“オペレーター”としての距離を崩さなかった。

 誰かの死と、誰かの生。それらが綯い交ぜになった報告に対し、彼女は礼を以て応じていた。

 運命は仮面越しに小さく息を吐き、チョーカーのリンクを解除しかけた。

 けれど、その瞬間だった。

 

 ――落ちた。

 否、“落ちるはずだった”翡翠の粒子が、空中で動きを止めた。

 まるで凍結したかのように、ゆるやかな弧を描いていた粒子が途中で静止し――次の瞬間、光の流れが反転した。

 落ちるはずの粒子が、地に触れることなくふわりと宙へ舞い上がる。

 だがそれは全体ではない。粒子の大半は地表に沈みこむように吸い込まれ、

 ごくわずかに残された“翡翠の残滓”だけが、逆流するように浮遊しはじめた。

 その様は、まるで空間が深呼吸をしているかのようだった。

 吐き出され、吸い上げられ、世界が異なる律動を刻みはじめる。

 

 その異変に、運命たちは即座に反応した。

 プロブレムは手のひらの動きでQとAを起動させ、スリーは迷いなく銃器の一つを構え、濡羽はキャンディを口から抜いたままそのまま固まる。

 玄鉄は足元の霊子を解析するように見つめ、アンサーは無言でトロイの前へと一歩出た。

 

 リーインシアも、回線越しにその変化を感じ取っていた。

 呼吸の乱れや通信の滞りはなかった。それでも、誰かが“身構えた”気配ははっきりと感知された。

 

『……運命陛下……いったい、何が……?』

 

 通信の向こうから、困惑する声が響く。

 だが、その問いに誰も返答を返すことができなかった。

 全員の感覚に、明確な“侵入者の予兆”が突き刺さっていたからだ。

 

 次の瞬間、風が消えた。

 鼓膜に微かな違和感が走る。

 それは音ではない。音が“削られていく”という感覚。

 まるで空間の中から余分な周波数だけが一枚ずつ剥がされていくようだった。

 耳に届くのは、リーインシアの困惑した息遣い、

 そして、ほんの一瞬だけ聞こえた砂を巻くような――否、それさえも曖昧な、音ともつかぬざらつき。

 

 それが、言葉になる。

 

《――苦諦である》

 

 それは“音”ではなかった。

 だが、全員が“言葉”として理解してしまった。

 まるで誰かが脳内に直接意味を置いたように、理屈もなく、意図だけが魂に刷り込まれる。

 

 その言葉に、反応するように――視界の端に“それ”が現れた。

 

 静かに、音もなく。

 逆関節の脚を持つ白い肉体が、翡翠の霊子を踏まず、影も歪めず、こちらへと歩み寄ってくる。

 その姿には目がなかった。

 だが、肩から生えた人の形をしたものが、片手で“その目”を覆っていた。

 あまりに静かで、あまりに異質な“来訪者”。

 まだ名はない。

 けれど、圧倒的な“到来”だけが、神域の空気を支配し始めていた。

 

 逆関節の足音は、聞こえないはずなのに、確かに地を踏んでいた。

 その“結果”だけが地面に刻まれていく。

 声ではない。だが誰もが、確かにそれを“聞いて”しまった。

 

《苦諦である》

 

 第一の“それ”が、霊子の舞う空気をかき分けるように、静かに進みながら断言する。

 その瞬間、霊子が空に吸われるように消えた。

 霊的干渉が“消されていく”。空間が、浄化ではなく削除されている感覚。

 

 プロブレムがQAを自動制御に切り替える。オラスが反射的に魔拳をそれに向けて構え、スリーが素早く位置取りし、引き金に指をかけた。

 斬とアンサーは即座に円形陣形を取るように移動し、玄鉄が僅かに唇を噛んで術式の補助詠唱を始める。

 運命も魔剣を呼び出し、仮面の奥で目を細めた。相手が何かは分からない。けれど、“ただの敵ではない”という直感が全身に突き刺さっていた。

 そして――。

 

《集諦である》

 

 背後。

 誰もが振り返るよりも早く、そこに“いた”。

 こちらを背に、最初のそれとは微妙に異なる骨格と質量。

 だが同じ構造。白い筋繊維、逆関節、そして――肩の上に“目を覆う手”。

 その存在が放つ言葉が、空気を震わせた。

 不明瞭な音の中に、構造化された意味が沈んでいく。

 

《滅諦である》

 

 また、別の方角。

 アンサーがわずかに視線をずらすと、そこには三体目が立っていた。

 最初の個体と似通いながらも、細部の配置が異なる。

 霊子の反応も、視覚への干渉も、似て非なる構造。

 まるで“似せて作られた試作群”のような、異様な一致と差異。

 誰もが口を閉ざしたまま、ただ空間を囲まれていく。

 そして、合唱のように三体が同時に言い放つ。

 

《――だが、道諦は成らず》

 

 その瞬間、世界から風が消えた。

 粒子の流れが止まり、音が引きちぎられたように途絶える。

 ただ、三つの存在が静かに歩み寄ってくる。

 名も知らぬ彼らの語る言葉だけが、世界に重く刻まれていた。

 それは定義であり、罪状であり、そして――終末の開示だった。

 まだその名は語られていない。

 だが、運命たちは直感していた。

 この存在たちは、“まだ誰にも知られていないはずなのに”、既に“知っていたはず”のような気さえするのだ。

 

 未知の既視。終わりの既成。

 その正体不明の予感だけが、脳髄をじわりと締め上げていく。

 

 空間を囲う三体の異形が、同時に動きを止めた。

 運命たちはその場から動けず、ただ視線だけで四方を確認し合う。

 攻撃を仕掛けるわけでもなく、詠唱を始めるわけでもない。

 ただ、言葉――否、“意味”を世界に置いているだけのように見えた。

 だが、その静けさは、ほんの前振りにすぎなかった。

 

 粒子が脈動する。

 空気がわずかに引き絞られ、次の瞬間――

 音すら無い、圧倒的な質量の到来。

 四体目の存在が、何の予兆もなくその中心へと現れた。

 

 それは他の三体とは明らかに異質だった。

 より大きく、より硬質で、より“中心”としての静けさを纏っている。

 人の形をしていながら、肉ではない。

 金属でも霊子の構成でもなく、形容できない“成り損ないの完全体”とでも呼ぶべき存在。

 そして、その肩にもまた、“目を覆う者”がいる。

 いや、両肩だけではなかった。

 その背中からも、さらに“人の形”をしたものが一体――

 白い女の像のようなものが、両手でその“目”を塞いでいた。

 

 四つの手が目を塞ぎ、三振の魔剣を掲げる“者”。

 圧倒的な“不在感”と共に、言葉が紡がれた。

 

《我等は終而不終である》

 

 ぞわり、と。

 運命の仮面の中で、霊子的なノイズが走る。

 まるで存在の“定義”がこの空間に書き込まれたようだった。

 直後、他の三体が反応する。声ではない。反射でもない。

 まるで儀式の中で、最初から決まっていた“合いの手”のように――

 

《神魔調伏》

 

 同時に、スリーの目が細くなる。

 誰かの命令で動いているのではない。

 意思というより、“文法”で行動しているような連携。

 それが余計に、この存在たちを“対話不能な災厄”へと引き上げていた。

 

《滅而不滅である》

 

 四体目が続ける。声は一定の抑揚で、説法のように、だが情動を完全に排した断定。

 その言葉に呼応するように、またあの合唱が返ってくる。

 

《悪鬼覆滅》

 

 響きの合間に、運命は小さく呟いた。

 

『……これは、その言葉は……』

 

 意味を成す言葉ではない。“存在を世界に定義する言葉”。

 それはまるで、ここにいる理由を世界に刻み込んでいるようなものだった。

 

《非得解脱。不成正覚。未証涅槃、生死未断》

 

 短くないフレーズが、ゆっくりと、だが一言も無駄なく続けられる。

 宗教的ですらあるその語彙に、濡羽が微かに肩を震わせた。

 

「……呪詛じゃない……これは、思想……?」

 

 次の瞬間、空気が重なり、四体が声を揃える。

 

《故に――》

 

 その“句読点”のような言葉の後、

 まるで決まりきった合唱のように、二声が重なる。

 

《神魔調伏!》

《悪鬼覆滅!》

 

 音ではない。音として聞こえているのに、空間が震えない。

 振動ではなく、“精神の奥”に刷り込まれてくる。

 それは言葉の形をした、情報の投擲。

 そして、中心に立つ存在――四体目が、最後の言葉を放つ。

 

《永劫漂泊。余燼である》

 

 周囲の三体が、即座に復唱した。

 

《神魔調伏!》

《悪鬼覆滅!》

 

 霊子が乱れ、翡翠の粒子が地面から剥がれ宙に溶けていく。

 気温は変わらないのに、呼吸が浅くなる。

 思考が熱を失い、皮膚が情報を拒絶しはじめる。

 そして。

 

《我らは、輪壊者である》

 

 その言葉をもって、空間の“定義”が完了した。

 やっと、“それ”に名が与えられた。

 

 運命たちがまだ知らぬ、その名。

 だが、それを知るということは、同時に“███”に触れるということ。

 空に残った翡翠の粒子が、名を聞いた瞬間、ぱらりと落ちていく。

 まるで、すべての魂がその名前に祈ることを拒絶したかのように。

 

 名乗りは、済んだ。

 次に来るのは――“実行”だ。

 

 





叡智なIFを書くとガチャが出るって聞いたので……(結果出た
https://syosetu.org/novel/394859/

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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