青白い稲光と、色を異にするもう一条の雷が、ほとんど同時に白い肉塊へ走った。
空気が裂ける。
次の瞬間、主核の前面を塞いでいたナンナリスクリーチャー群が、まとめて弾けた。
焼け爛れた肉と翡翠片が飛び、遅れて雷鳴が岩壁を叩く。ひとつはエラーの放った高圧電撃、ひとつは攻勢へ転じたオーバーフローの事象改変雷撃だった。重なった二色の閃光が、主核へ続く白い壁を一息に薙ぎ払う。
「開いた! そのままぶち抜け、筋肉!」
「指図すんじゃねぇよクソガキ!」
罵声は飛ぶ。
けれど、踏み込みの呼吸は揃っていた。
オーバーフローの
通る。
そう見えた、直後だった。
空いた穴へ、次の異形が飛び込んでくる。
倒れた肉塊の陰から、横合いから、後方から。白い肢体がひとつ潰れるより早く、別の一体がその位置を継いでいる。
オーバーフローの雷が異形の背を薙ぎ、エラーの電撃球が胸部を爆ぜさせても、その先に生じるはずの空白が残らない。
「キリがねぇぞ、おい!
「舗装でも何でもいいから、崩すまで撃てよ!」
エラーの舌打ちに、オーバーフローが怒鳴り返す。
返したその声の下で、もうひとつ異音が走った。
甲高い反射音。
エラーの放った電撃が、異形の翡翠装甲に斜めに弾かれていた。
白い肉の上に異様な層を成しているそれは、ただの結晶ではない。
翡翠装甲型。
片割れの少女の残滓を学習した個体群が、主核前面へ折り重なるように躍り込み、雷撃の侵徹を受け流している。火花が装甲の稜線を走り、砕けた翡翠片が散った。砕けてもなお、その後ろから同じ形状が現れる。
「……はっ、そう来るかよ」
エラーが歯を剥いた。
「
主核が進む。
速くはない。
だが、止まらない。
周囲の個体群が削られるたび、その損耗を埋めるように別の異形が斜めへ滑り込み、主核の前だけが絶えず繋がり続ける。守られているというより、送り出されている進み方だった。
エラーが低く身を沈めた。
次の瞬間、白い異形の脚の間を縫うように加速する。
「そっちはまだ行けねぇのかよクソガキ!」
「そっちこそさっさとぶち抜けよバカ筋肉!」
怒鳴り合う声が交錯する。
オーバーフローは返事と同時に杖を振り抜き、主核の左側へ走り込もうとした三体をまとめて焼いた。開いたわずかな綻びへ、エラーが一直線に食い込む。
肉薄する。主核の膝元まで、あと数歩。
その踏み込みの、死角だった。
横殴りの砲撃が別の個体の背から放たれ、地表を舐めるように走る。
直後、その爆圧を推進力へ変えたひとつの異形が、弾丸そのものの速度で飛び出した。
「――ッ!」
エラーの視界を、白と鉄色が横切る。
咄嗟に身を捻る。頬先を裂く風圧。轟音と共に、異形が通り過ぎた先の岩盤が大きく抉れた。
背に突き出しているのは、刃ではなかった。
消失した銃剣ガーデナーが用いていた、あの超大型の銃剣を模した器官。異形の脊柱に沿って不格好に生えたそれが、翡翠混じりの肉と結びつき、異様な突撃機構として成立している。
着地した個体が、低く唸る。
背部器官の銃身が赤熱し、その周囲で肉が泡立った。
エラーの口元が引きつった。
「……おいおい」
吐き捨てるように笑って、血の滲んだ頬を親指で拭う。
「
「喜んでる場合じゃないよ、エラー!」
「喜んでねぇよ!
オーバーフローの雷がすぐ脇へ落ち、追撃に入ろうとしていた別個体の頭部を吹き飛ばす。エラーはその閃光の裏へ踏み込み直し、突撃してきた銃剣型と正面から向き合った。
主核は、その背後でなお進んでいる。
止めている。
削っている。
それでも、届くまでの距離だけが減っていく。
白い異形どもは、主核の盾ではなかった。
主核を運ぶための
「病的に笑えねぇな……!」
エラーが電撃を迸らせる。
「こいつら、ほんとに道になりやがる!」
「だったら焼き切るだけだ!」
オーバーフローの声が鋭く落ちた。
「前、開ける! 三秒で決めろ!」
「
乾いた破裂音が、間断なく重なっていた。
スリーの両手で、黒鉄の銃身が目まぐるしく角度を変えていく。ひとつの構えに留まることはない。引き金を絞りながら次の射線を切り、撃ち終えるより早く別種の銃器を持ち替える。精密射撃の細い火線が主核の胸を穿ち、次の瞬間には散弾が膝下を抉り、さらに追いすがるように集束弾が肩口へ叩き込まれた。
命中している。
白い肉が裂け、翡翠の薄片が弾け、巨体に幾筋もの損壊が刻まれる。
けれど、その歩みだけが鈍らない。
「右肩、二発。左膝、三発。――まだ足りんか」
スリーの声は低い。焦りを押し殺し、数だけを積み上げていく響きだった。
主核の進路へ火線を重ねる、その周囲へ白い影が殺到する。
斬が踏み込んだ。
刃が一閃する。
スリーの脇へ飛びかかった四足の首が、遅れて滑り落ちた。返す刀で二体目の前肢を断ち、身を沈め、下から振り上げた刃で三体目の胴を割る。白い肉の断面から濁った液が噴き、翡翠片が血飛沫のように散った。
「背後、二」
「承知」
短い応答だけで十分だった。
スリーが振り向かないまま肩越しに火線を流す。斬はその下を潜るように駆け、銃火の途切れ目を埋める位置で異形の脚を払った。切り伏せるというより、寄らせぬために斬っている。守るべき中心はあくまでスリーの火線だった。
それでも、余裕はない。
斬の袖が裂けた。
掠めた爪が布ごと皮膚を薄く抉り、血が走る。だが彼は見もしない。間合いへ入った個体だけを選び、無駄のない角度で斬り捨てていく。スリーの半歩前、半歩横、そのどちらにもなりきらない位置で、白い群れの圧を受け続ける。
「寄せさせません」
斬の声は熱を帯びていた。
「ですので、どうか撃ち続けてください」
「言われるまでもないさ」
スリーの
今度は長い銃身。乾いた単発が三つ、主核の顔面と喉、胸骨の継ぎ目へ吸い込まれた。狙いは正確だった。白い肉が裂け、巨体がわずかに仰け反る。
効いている。
そう見えたのは、一瞬だった。
胸を穿ったはずの孔が、次に視線を置いた時にはもう浅い。喉を裂いた線も、崩れた肉の縁も、そこに残っていたはずの損壊だけが曖昧に薄れている。塞がったというより、傷として留まっていない。
斬の目が細まった。
けれど何も言わない。言葉にする暇が惜しかった。
主核の左右では、新たな異形が折り重なるように走り込んでくる。
斬がそれを斬る。スリーが撃ち抜く。倒れる。次が来る。
削れてはいる。
だが、止まらない。
「……閣下の前に出すなよ」
スリーが小さく言った。
それが独り言ではないことを、斬は知っている。
「無論」
刃が鳴る。
白い肢体がまた一体、斜めに折れた。
そのときだった。
低い駆動音。
斬の間合いのさらに外、倒れた異形の背後から、細い砲身が幾本も持ち上がる。ナンナリスの支援アームを模した器官――背部砲身型。白い肉に埋まったそれらが一斉に光を溜めた。
「スリーさん!」
叫ぶより早く、射撃が走る。
地を舐めるような連続光が、スリーの立っていた位置を抉った。
彼はほとんど反射で身を投げ出していた。肩から地へ落ち、そのまま一回、二回と転がる。熱線がコートの裾を掠め、焼けた布の臭いが一瞬で立った。
転がりながら、スリーの視線だけが上を向いている。
主核の位置。砲身の角度。斬の立ち位置。そこへ寄ろうとする四足の軌道。
「斬、三歩下がれ!」
命じながら、片腕が振られる。
掌から離れた黒い塊が、砲身群の足元へ低い弧を描いた。
次の瞬間、爆圧が白い肉塊ごと砲身型を持ち上げた。遅れて炸裂した破片が周囲の異形へ食い込み、二体、三体とまとめて吹き飛ばす。斬は言われた通り半歩だけ退き、その空白へ滑り込んできた個体の喉を逆袈裟に断った。
「助かります!」
「礼はいい、まだ来る!」
スリーが起き上がる。膝をつく動作の途中でもう別の
それでようやく、一瞬だけ周囲が開く。
主核が見えた。
白く、巨大な。
たしかに撃ち込み、たしかに裂いたはずの箇所がある。胸を抉った裂口も、肩口を崩した損壊も、片脚へ刻んだ深い傷も、見えていた記憶ほど深くは残っていない。そこに傷があったという事実だけが、薄く、曖昧に後退している。
撃っている。
裂いている。
それでも、傷だけが居着かない。
スリーの目が細まった。
「……冗談がきついな」
吐き捨てるように言って、照準を上げる。
斬もまた呼吸を乱したまま、刀を構え直した。肩で息をしている。足元には白い肉片が積もり、袖から落ちた血が手元を滑っている。それでも、退かない。スリーの周囲へ寄る影だけを、次に斬るべきものとして視ている。
「まだ、抜かせません」
「そうだな」
スリーの声は静かだった。
「オレたちが止める。せめて、一拍でも長く」
銃声がまた響く。
斬の刃がその脇で閃く。
火線は途切れない。
護りも崩れてはいない。
しかし主核は、そのどちらの中心にも捕まらぬまま、確実に距離を削っていた。
外周が、脈打っていた。
砕かれた白肉の山、その奥。翡翠の粉をまぶしたような肉塊がひしゃげ、裂け、そのたびに別の輪郭が押し出されてくる。四足の獣型。背に細い砲身を林立させたもの。肉の翼をひらいた翡翠装甲の個体。さらに、背負った炎熱霊槍器官へ赤熱を宿し始めた異形が、低い唸りと共に身を屈める。
「来ますわよ!」
エリスの声とほとんど同時だった。
赤熱していた器官が途中で弾けた。
翡翠混じりの肉が内側から吹き飛び、熱の行き場を失った衝撃が個体そのものを引き裂く。だが、その爆ぜた破片の向こうで、すでに別の一体が同じ姿勢へ沈み込んでいた。
「懲りませんのね……!」
エリスの狐耳がぴんと立つ。
「溜めさせませんわ。一発たりとも」
ガトリングが再び回った。
今度は熱源そのものを潰すように、炎熱霊槍器官の接合部へ弾丸が吸い込まれていく。赤い光が灯る、その前に砕く。溜め始めたなら、その時点で爆ぜさせる。彼女の火線はすでに、敵の挙動ではなく、敵が選ぼうとする次の工程へ狙いを定めていた。
頭上で甲高い音が裂ける。
「うわ、そっちも来る!? マジで欲張りセットじゃん!」
プロブレムが顔を上げた。
肉の翼を大きくひらいた翡翠装甲型が、三、四、六――数を増やしながら空へ躍り出ている。翡翠の膜を張った翼面が光を返し、そこへ埋め込まれた結晶が細かく軌道を変えるたび、飛翔そのものが不規則に跳ねた。
「クーエー! 上取って! やっぱそれで飛ぶの反則なんだけどー!」
大型ドローンが唸りながら上昇する。
光学砲身が展開し、細いレーザーの束が翡翠装甲型へ突き刺さった。直撃した個体の片翼が焼き切れ、空中で姿勢を崩す。だが、墜ちるより先に別個体がその脇を掠め、翡翠の破片を散らしながらQAへ体当たりを仕掛ける。
「けっこう、やるじゃん……っ!」
プロブレムが笑う。
その笑いは軽い。けれど、指先の動きは一瞬も緩まない。
「でもプロブレムちゃんの空中戦、ナメすぎっしょ!」
ドローンのひとつが急角度で沈み込み、追ってきた翡翠装甲型の腹下へ潜る。次の瞬間、真上へ向けてレーザーが噴いた。肉と翡翠をまとめて貫かれた異形が悲鳴のような軋みを漏らし、翼を千切られて落下する。その残骸を、別の一機が横からの光線でさらに断ち切った。
下では、アンサーがひとつ呼吸を整えていた。
砲撃型の群れが外周の岩陰へ張りつき、ナンナリスの支援アームを模した砲身をいくつも持ち上げている。互いの死角を埋めるように並んだその列は、放置すれば戦場のどこへでも針のような射撃を通せる配置だった。
「砲列を崩すわ」
彼女の声は穏やかだった。
「ここを通せば、後ろが持たない」
次の瞬間、炎熱霊槍『OW』の尾部が爆ぜた。
熱風が地を叩く。ジェット機構による瞬間加速。アンサーの身体が火線そのものの速度で前へ弾かれ、砲撃型の群れへ深く突き刺さる。
最初の一体は、気づいた時にはもう貫かれていた。
白い肉の胴を槍身が正面から抜き、その勢いのままアンサーは半歩だけ軸を傾ける。横にいた二体目の砲身が熱を吐くより早く、槍の尾で顎を跳ね上げ、返す穂先で胸を裂いた。爆ぜる。砕ける。焼けた肉が散る。
「そこ、危ないわよ」
静かな警告と共に、OWの穂先が横薙ぎに走る。
砲身を束ねた個体の列が根元から折れ、翡翠混じりの残骸が吹き上がる。アンサーは立ち止まらない。砲撃型は数を揃えて初めて脅威になる。ならば列を乱し、位置関係を崩し、撃つ前の形を壊し続ければいい。彼女の突撃は勇敢さより、計算の結果だった。
その外縁を、オラスが駆けている。
「うわっ、また増えた! 聞いてない聞いてない! 無限湧き、普通にクソゲーなんだけど!?」
半ば悲鳴のような声とは裏腹に、踏み込みは鋭い。
翡翠装甲型が二体、三体と地を裂くように曲線を描いて迫る。その一体の顎を、オラスの
「オラス、対人コミュだけじゃなくて対獣コミュも不得意なんですけど!? でも殴る、殴るしかない!」
翡翠装甲型は速い。
四足で駆け抜ける個体群は、着地の反動すら次の跳躍へ変えてくる。正面から殴れば横へ逃げ、横を見れば背後へ回る。だが、オラスは逃がさない。軌道の内側へ無理やり拳を差し込み、装甲ごと肉を歪ませ、殴り合いの距離へ引きずり込む。
「っ、は、はぁ!? まだ来るの!? リキャスト回らなくない!?」
もう一体が、彼女の脇を抜ける。
オラスの拳が届くより一瞬早く、その翡翠装甲型がエリスの側へ跳んだ。
「――! エリス、そっち行った!」
オラスの声に、エリスは視線だけでそれを捉えた。
鈍い音が鳴る。
翡翠装甲が砕け、異形の首が斜めに折れ曲がる。
「一昨日おいでになってくださいまし!」
怯んだその胸へ、至近距離から乱射。
霊子弾が白い肉を穴だらけにし、背の翡翠片ごと吹き飛ばす。砕けた肉塊が地へ散る、その向こうでは、すでに別の炎熱霊槍型が熱を溜め始めていた。
「次ですわ、次!」
エリスの尾が大きく膨らむ。
「のんびりしている暇などありませんことよ!」
「了解、了解ー!」
上空でプロブレムが叫ぶ。
「クー、エー! 右上二枚焼いて、そのあと下の砲列も抜いちゃって! 多分そうした方がいい気がするー!」
「無理はしないで」
砲撃型の群れを串刺しにしながら、アンサーが短く言う。
「でも、止まるのはもっと駄目。そういう局面よ」
「うわ、その言い方いちばんやばいやつ!」
オラスが叫び返す。
直後、左右から迫った翡翠装甲型二体の頭部を、両の魔拳で同時に打ち砕いた。骨とも翡翠ともつかぬ硬質なものが砕け、衝撃が腕へ重く返る。痛い。重い。けれど、退けば抜ける。
「ほめろ! あと援護! いややっぱ先に援護!」
息を切らしながら、オラスはさらに前へ出る。
「これオラスが止めないと、普通にぜんぶ後ろへ行くやつだよねー!」
四人とも、それを理解していた。
主核へ届こうとする者たちとは別に、外周から生まれ続ける異形は、それだけで戦場を食い破る牙だった。炎熱霊槍型の熱は一発で陣を崩す。砲撃型の列は射線を縫って隙間へ刺さる。翡翠装甲型は地と空の両側から間を裂く。だから誰かが押さえ続けなければならない。叩き、崩し、焼き、殴り、飛ばし、溜める前に潰し続けるしかない。
押さえている。
たしかに、押さえている。
けれど。
その最中にも、中央では別の異常が静かに進んでいた。
外周を削るたび、熱を潰すたび、砲列を乱すたび、空を焼くたび。
それでもなお、戦場の芯へ近づいていくものだけは、止まり切っていない。
プロブレムが一瞬だけ視線を落とした。
アンサーも、エリスも、オラスも、同じものを見たわけではない。けれど、同じ違和を、胸のどこかで掴んでいた。
ここはまだ持っている。
それなのに、まだ足りない。
主核の歩幅が、ひとつぶん広くなった。
誰も止められていない。
正しくは、止めようとしていた全員が、別の場所で止められていた。外周へ湧き続ける異形を押さえ込んでいるつもりで、いつのまにかその外周そのものに手数を奪われ、足を縫い留められている。中央へ残るべき刃も、火線も、祈りも、すでに十分ではなかった。
白い巨体が近づく。
翡翠の粉をまとったその輪郭だけが、戦場の喧噪から切り離されたように静かだった。
「んで、まんまとここまで来られちゃった訳だ。ウケんねー」
玄鉄が笑う。
喉の奥だけで転がしたような、浅い笑いだった。
「言ってる場合ですか!? もうギリギリですけど!?」
濡羽が声を張り返す。
同時に、口の中で棒付きキャンディを噛み砕いた。小さな破砕音。甘い匂いが一瞬だけ血と焦げの臭気に混じって、すぐ消える。
「だからでしょ」
玄鉄は振り向きもしなかった。補充された媒体を片手で弾き、指の間へ挟み込む。
「ギリギリの時くらい、ちょっとは笑わないとさ」
次の瞬間、彼女は走っていた。
ばらまかれた媒体が地に触れる前に発光する。
空中で符号が組み上がり、白く曇った輪郭が一斉に伸びた。氷柱。細く鋭いものではない。太さを持った、押し潰すための氷塊だった。主核の正面、左右、膝裏、肩口へ、角度を変えながら同時に殺到する。
主核が腕を上げる。
その前腕へ氷柱が最初に当たり、鈍い破断音が続いた。二本目が脇腹へ潜り込み、三本目が膝を払う。足元の岩盤に霜が奔り、巨体の白い肉へ霜紋が噛みつく。
「今です!」
濡羽の声が弾けた。
彼女の周囲へ幾何学の枠が幾重にも展開する。青白い線が空中に走り、直方体めいた術式フレームが高速で回転しながら収束した。式の中心で圧縮された光が、針の束のような形を取る。一本ではない。数十。数百。
次の瞬間、それらがまとめて主核へ突き立った。
青白い貫通光。
遅れて、内部で遅延起動した術式が炸裂する。白い肉の内側へ刻まれた線が一斉に交差し、座標ごと断ち切るような衝撃が連なった。胸部、喉元、肩口、腹部。穿たれた箇所から翡翠の光が明滅し、巨体が半歩だけ押し返される。
「効いてます! そのまま、押し込んで――!」
濡羽の叫びへ、さらに別の色が重なった。
薄緑の壁が、静かに立ち上がる。
トロイの祈術防壁だった。
ただの板ではない。幾層にも薄い膜が重なり、半透明の緑が主核の前面を包むように湾曲している。ひとつの壁ではなく、祈りそのものが幾重にも折り畳まれているような構造だった。主核の進行がそこへぶつかる。
ギチギチ、と。
耳障りな圧縮音が鳴った。薄緑の面が軋み、押され、けれど崩れず、じりじりと巨体を押し返す。
「もー、重たいねー……」
トロイが聖槍を持ち上げる。
穂先を防壁の中央へ添えるように当てると、薄緑の膜がさらに一段濃くなった。
「でも、まだ通さないよー」
主核の足が止まる。
ほんのわずか。だが確かに。
その隙を、運命は見ていた。
見ていて、剣を握ったまま動かない。
「運命ちゃん、下がって」
トロイが言う。声は柔らかいままだった。
「ここはトロイさんたちで止めるからー」
「陛下!」
濡羽も叫ぶ。
「今のうちです、離脱してください! 限定神域の内側にいる必要はもう――」
『だめだよ』
運命の返答は、あまりに早かった。
仮面の向こうで、青い表示がわずかに揺れる。
『ここを解いた瞬間、みんな死ぬ』
短い言葉だった。
言い切ったあとで、彼女は一歩も退かない。
『だから、私は下がれない』
玄鉄が舌先で小さく笑った。
「だよねー。ま、言うだけ言っとこって話」
「軽く流さないでくださいよ……っ!」
濡羽が怒鳴る。その手は止まらない。
新たな術式フレームが展開し、先ほどよりも薄く、鋭い線が主核の関節部へ集中していく。氷柱がさらに二本、玄鉄の指先から生まれ、今度は真正面ではなく斜め下から噛みついた。トロイの防壁が押し込み、その圧へ濡羽の現代魔術が追従し、玄鉄の古式魔術が外縁を凍結して閉じる。三つの理屈が一箇所へ重なり、主核の巨体をその場へ縫い止める。
止まった。
そう見えた。
白い胸部へ穿たれていた孔が、次の瞬間には浅い。
喉元を断ったはずの線も、肩口を崩したはずの損壊も、輪郭だけを残して薄れていく。塞がるのではない。傷であった時間そのものが短い。
濡羽の目が見開かれる。
「っ、また……!」
「居着かないねー……」
玄鉄の声から笑みが落ちた。
「ほんと、性格悪」
主核が、そこで初めて大きく力を込めた。
薄緑の防壁が軋む。
ギチ、ではない。もっと深い、骨ごと圧し潰されるような音だった。氷柱の根元へ亀裂が入り、濡羽の術式フレームのいくつかが火花を散らして明滅する。トロイが歯を食いしばった。聖槍を押し込み、祈りの層をさらに重ねる。
「もっ、ちょっとだけ……っ」
彼女の声から、いつもの緩さが削れる。
「そこで止まっててくれると、助かるんだけどなー……!」
主核の腕が持ち上がる。
ゆっくりと。けれど、決定そのもののような動きで。
「濡羽、下がって!」
玄鉄が叫んだ。
だが遅い。
振り下ろされた一撃が、防壁の中央へ触れる。
薄緑の膜が一瞬だけ凹み、次の瞬間には砕けた。音が消える。消えた直後、破裂だけが遅れて来た。
濡羽の術式が正面からひしゃげる。
青白いフレームが紙のように折れ、逆流した光が彼女の右肩から腕へ走った。悲鳴と共に身体が横へ弾かれ、岩壁へ叩きつけられる。鈍い音。肩口があり得ぬ角度に沈み込み、砕けた媒体が周囲へ散る。
「ぁ、――ッ!」
声になりきらない息だけが漏れた。
玄鉄はその衝撃を受け止めようとして、半歩前へ出ていた。
氷を噛ませる。足元へ凍結層を幾重にも敷き、振り抜かれた圧を滑らせるつもりだった。だが、触れた瞬間にそれごと割れた。膝が逆向きにごり、と音を立て折れ、表情が初めて歪む。
「――、っは」
笑い損ねたような息。
次いで、玄鉄の身体が吹き飛んだ。横倒しに弾かれ、地を二度、三度と転がる。銀髪が血で汚れ、分厚い魔術コートの裾が裂ける。止まった時には、両脚がもうまともに地を踏める形ではなかった。
「玄鉄ちゃん!」
トロイの声が裂ける。
返事はない。
濡羽も動かない。指先だけが痙攣のように震え、それきりだった。
主核が、再び前を向く。
その正面に立っているのは、もうトロイだけだった。
薄桃の髪が乱れ、祈術の残滓が淡い緑となって肩口に散っている。聖槍を握る手は吐息と共に震えた。けれど、その足はまだ退かない。
運命の前に残った空間が、ひどく狭く見えた。
その狭さへ、トロイが踏み込む。
聖槍リタの穂先が、薄緑の残光を引いた。
裂けた防壁の欠片がまだ空中に漂う中、トロイはその残滓を踏み越え、主核の腕へ真正面から槍を合わせる。白い巨腕と十字の槍身がぶつかり、金属ではない音が鳴った。骨と石と、濡れた肉を同時に軋ませるような音だった。
「まだだよー」
トロイが笑う。
声だけは、いつもの調子に近かった。
「まだトロイさんが残ってるからねー」
主核の拳が押し込んでくる。
トロイの靴底が岩盤を削った。膝が沈み、聖槍の柄がしなり、掌の皮膚が裂ける。けれど穂先は逸らさない。薄緑の祈術が槍身へ巻きつき、衝撃を横へ逃がしながら、主核の腕をわずかに弾く。
その隙に、トロイは身を滑らせた。
聖槍が下から跳ね上がる。
白い腹部を裂き、翡翠の光を散らす。返す動きで柄尻を膝へ叩き込み、さらに踏み込んで喉元へ突きを放つ。三撃。どれも浅くはない。肉は割れ、霜のような祈術の痕が損壊部へ食い込んだ。
それでも、傷は居着かない。
裂いたはずの腹部が曖昧に戻る。
喉元の孔も、そこに在った時間だけを削り取られたように薄れていく。
「……ほんと、無尽蔵かよ」
トロイの袖口が揺れた。
赤黒い光が三つ、そこから飛び出す。
針。細く、短く、祈術の色とは異なる暗い艶を帯びたニードルが、主核の肩口、肘裏、眼のない顔面へ向けて走った。刺さる。深くはない。けれど針の周囲から赤黒い線が滲み、主核の動きが一瞬だけ歪む。
「こういうのも、持ってるんだよねー」
トロイはその一瞬に身体を反転させた。
聖槍の十字が主核の腕を絡め取り、関節の外へ捻る。薄緑の防壁が半円に開き、運命との間へさらに一枚、膜を張る。防ぐための壁ではない。時間を稼ぐための、薄い、頼りない層だった。
『トロイ!』
運命の声が響く。
「だいじょーぶ」
トロイは振り返らない。
振り返る余裕がなかった。
「トロイさん、けっこうしぶといからー」
主核の二撃目が来た。
聖槍で受ける。
受けた瞬間、音が変わった。柄を通して衝撃が腕へ流れ、肩の奥で何かが砕ける。トロイの身体が横へ振られ、踏みとどまるはずの足が地を失った。それでも彼女は空中で槍を返し、主核の胸へ穂先を突き込む。
届く。
刺さる。
深く沈む。
だが主核は止まらない。
白い腕が、槍ごとトロイを掴むように振り払った。
薄緑の膜が砕ける。
トロイの身体が岩盤へ叩きつけられた。息が潰れる。背中から鈍い音が鳴り、肺の中の空気が細く漏れた。
それでも、指は聖槍を離さなかった。
「……っ、は……」
膝をつく。
立ち上がる。
その動きだけで、足元へ血が落ちた。
「まだ」
トロイは槍を構え直す。
薄桃の髪が頬に張りつき、片目を隠している。聖槍の穂先だけが、まだ主核へ向いていた。
「まだ、通さない」
主核が踏み込む。
トロイも踏み込んだ。
互いの距離が消える。聖槍が白い腕を裂き、暗器の針が脇腹へ刺さり、薄緑の祈術がその足元へ絡む。主核の拳が落ちる。トロイは半身で躱しきれず、肩口に受けた。
骨の音がした。
身体が傾ぐ。
そこへ、二撃目。
槍で逸らす。逸らしきれない。衝撃が脇腹へ入り、肉も骨も奥から砕ける感触が走る。トロイの口元から赤い飛沫が散った。足がもつれ、それでも倒れる前に柄を地へ突き、無理やり身体を支える。
『もういい、トロイ!』
運命が叫ぶ。
トロイは笑おうとした。
けれど、笑みの形は最後まで作れなかった。
「……よくないよ」
声は小さい。
それでも、運命には届いた。
「ここ、通したら……だめでしょ」
主核の腕が、三度目に振り下ろされた。
聖槍リタが受ける。
薄緑の祈術が重なる。赤黒いニードルが主核の手首へ突き刺さる。全部が一瞬だけ噛み合った。
次の瞬間、全部が砕けた。
衝撃がトロイの身体を貫いた。
聖槍ごと地面へ叩き伏せられ、岩盤が皿のように割れる。薄緑の光が散り、赤黒い針が跳ね、折れた祈術の膜が風に溶けた。
トロイは動かなかった。
指だけが、まだ槍の柄にかかっている。
それも、やがて力を失う。
主核が彼女を越える。
もう、遮るものはなかった。
運命は動かない。
魔剣は地面へ突き立てられたまま、限定神域の中心として青い光を放っている。足元から広がるその光は、薄く、広く、戦場全体を辛うじて繋ぎ止めていた。
退けない。
解けない。
逃げられない。
仮面の表示だけが、わずかに乱れていた。
白い巨体が、すぐ前に立つ。
遠くで、誰かが叫んだ。
「運命くん!」
「陛下!」
声は幾つも重なった。
爆音と肉の軋みと雷鳴の向こうから、届かない手のように伸びてくる。けれど、誰も間に合わない。外周の異形がまだ絡みつき、火線も刃も拳も、その一歩を塞がれている。
主核の腕が持ち上がる。
白い肉の塊が、運命の頭上で影になる。
落ちれば終わる。限定神域の中心に立つ彼女が潰えれば、薄く広げられていた青い光も、そこに縫い止められていた全員の生も、一息にほどける。
腕が落ちる。
その直前だった。
鋭い音が、戦場の外から走った。
翡翠の結晶が一本、主核の前腕へ突き刺さっていた。
誰も、その軌道を見ていなかった。
弾丸ではない。矢でもない。空間の一点から、そこへ在るべきものとして現れたように、淡い緑の結晶が白い腕を貫いている。
主核の動きが止まる。
運命の仮面に、乱れた青い光が走った。
次の瞬間、二本目が来た。
肩へ。
胸へ。
膝へ。
翡翠の煌めきが、遠い彼方から雨のように降り始める。
結晶だけではない。爪刃。薄く湾曲した翡翠の刃が、風を裂きながら白い異形どもへ突き刺さり、肉を裂き、翡翠装甲を砕き、外周へ群がっていたナンナリスクリーチャーの群れを斜めに断ち割っていく。
光ではなかった。
救いと呼ぶには、あまりにも硬い。
地面へ突き立った結晶が、乾いた音を立てて割れる。割れた破片がさらに小さな刃となり、跳ねるように白い脚を刻んだ。
飛行していた翡翠装甲型の翼が裂け、砲撃型の背部砲身が根元から吹き飛び、炎熱霊槍型の赤熱器官へ結晶が噛み込んで、その熱ごと内側から破裂させる。
「――な、に……?」
濡羽の声が、岩壁の下からかすかに漏れた。
スリーが顔を上げる。
エラーが舌打ちの途中で言葉を失う。
オーバーフローの杖先が、わずかに下がる。
プロブレムのQ&Aが空中で急停止し、アンサーの穂先が砲列の残骸を貫いたまま静止した。
誰もすぐには名前を呼べなかった。
それは援軍の到着ではなかった。
戦場に混じっていた翡翠の意味が、急に別の向きへ反転したような感覚だった。
主核が腕を引く。
引こうとして、動きがわずかに鈍る。突き刺さった結晶が、白い肉の内部で根を張るように軋んでいた。傷はまた薄れていく。裂けた箇所は居着かない。だが、結晶そのものだけは消えない。
異物として、そこに残る。
主核が初めて、運命から視線を外した。
その先。
砕けた岩盤と、漂う翡翠の粉塵の向こう。
――人影があった。
ゆっくりと、こちらへ進んでくる。
破れていたはずの重厚なフード付きの外套が、風を受けて大きく揺れていた。煤と血に汚れた裾はところどころ裂け、けれどその下に覗く装備だけは、異様なほど輪郭を保っている。
紺灰色の密着スーツ。
胸部、膝、肩、脇腹。各部を保護するための簡易装甲が、必要な箇所だけに薄く据えられている。無骨ではない。機械的でありながら、身体の線を殺しきらない、深く沈んだ色の戦闘装束。
――ダイブギアスーツ。
その、
風が吹いた。
外套の前が開く。
"黒いベール"で結われた長い黒緑の髪が、遅れて舞い上がる。ほとんど黒に近いその色は、翡翠の粒子を受けた一瞬だけ、深い緑へ透けて見えた。
運命の仮面表示が、かすかに震えた。
『――』
声が届いたのかは、分からない。
けれど、その言葉と同時に。
彼方の人影は、戦場へ飛び込んだ。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった