みにくい魔剣の子   作:えいちゃ

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お誕生日過ぎたのでここから飛び飛びになるます





2歳児と高熱

 淡い光が、静かに降りていた。

 

 室内の空気はあたたかく、けれどどこか澱んでいて、

 ガラス窓の向こうで揺れる葉の影が、床に柔らかな輪郭を落としている。

 音はほとんどない。電子機器の点滅ランプと、小さく唸る空調の音だけが、ひとつきりに続いていた。

 その静けさの中、白い保護マットの上に、ひとりの子供が座っている。

 黒に近い深緑の髪を持つ、まだ小さな男の子――リンデン。

 二度目の誕生日を過ぎて、ほんのすこし経ったばかりだった。

 この年頃にしては、おとなしい子だった。

 泣き声も騒ぎ声もあまり聞かない。

 喋る言葉はまだ拙く、単語と単語をつなげるような話し方だったが、時おり口にするその一言が、いやに鋭くて、大人の胸をざわつかせることがある。

 

 ――まるで何かを、見透かしているような。

 

 本来なら、今日の彼の世話はトロイが担うはずだった。

 けれど急な任務が舞い込み、運命とともに出てしまっている。

 そして、代わりを任されたのが―― 

 

「……わ、私……で、いいんだよね……?」

 

 そんなふうに、部屋の隅からそっと様子を覗き込んでいるのは、第一騎士団《ブレイドライン》のひとり、ブルー=ラプソディだった。

流れるような蒼髪と明るい部分が見当たらない程の黒の服も、普段と変わらない。そんな彼女はテーブルの端に肘をついたまま、じっとリンデンを見守っている。

 最初こそ、任されたことに慌てふためいていた彼女だったが、

 実際にこうして関わってみると、リンデンは驚くほど“手のかからない子”だった。

 静かで、暴れもせず、騒ぎもせず、ただ――ただ、ずっと、なにかを“見ている”。

 その手の中には、誕生日に贈られた玩具がひとつ。つみきのような、透明な感触の知育ブロック。

 リンデンはそれを積むでもなく、投げるでもなく、そっと指先で撫でては転がし、その輪郭を確かめるように、じっと見つめていた。

 玩具の表面に模様が浮かぶたび、

 リンデンは何かを感じ取るように、小さく呟く。 

 

「……このこ、つめたいね」

 

 ころり、とブロックが寝転がる音。

 

「つみき……いたいの?」

 

 またひとつ、声が落ちる。

 それは語りかけというにはあまりに小さく、

 けれど確かに、“こころのあるもの”へと向けられた声だった。 

 ソファに寄りかかってその様子を眺めていたブルーは、ぽつりとこぼす。

 

「……へんな子だなぁ……」

 

 誰に言うでもない、けれど、どこか笑みを含んだ声だった。

 ソファの背にもたれて、ブルーは膝の上で指先を組んだ。

 息をつくように、もう一度視線をリンデンへと戻す。

 ぺたりと床に座って、玩具を見つめるその背は、どこか――人形のように静かだった。

 動きがないわけではない。

 手も、目も、ちゃんと生きている。けれど。

 

(……なんだろうなあ)

 

 ふわふわとした気持ちで、ブルーは思う。

 この子には、何かが欠けているようで――

 それでいて、何かがありすぎるような、そんな奇妙な感触がある。

 「ねぇね」って呼ばれる覚悟なんて、当然まだなかった。

 けれど、それ以前の問題として、ブルーは少しだけ思い始めていた。

 この子は、ちゃんと“ひとり”で立ってる気がする。なのに――

 

(……なのに、ひとりぼっちみたいだ)

 

 言葉にならない印象だけが、胸にじんと残る。

 他の誰かがそうであるように、笑わせたり、抱っこしたりすれば、

 あっという間に心が動くわけでもない。

 むしろこの子は、誰のことも必要としていないような顔をしていた。

 

(――でも、それって、いいことなのかな……?)

 

 その問いは、誰に向けたわけでもなかった。

 ただ、ブルーの中にふわりと浮かんで、しばらく消えなかった。

 リンデンはまだ、玩具をじっと見つめている。まるで、その奥に何かを探しているように。

 その小さな手が、ふいに玩具の角を撫でる。指先は、とてもやさしい動きだった。

 それを見ていると、ブルーの胸の奥に、ぽつりと何かが沈んでいく。

 

(……この子、ほんとは、すごく、やさしいのかも……)

 

 けれど、そのやさしさは、なんだか自分が知っているどんなものとも、すこしだけ違うような気がした。

 触れたら壊れてしまいそうなものじゃない。

 もっと、遠くて、冷たくて――それでも、確かに“誰か”を見つめているような。

 しばらくして、ブルーはそっと身体を起こした。空調の音が変わり、部屋の中に、新しい風が流れはじめていた。

 時計の針が音もなく進んでいく。

 

「……お昼、にしよっか」

 

 自分のために言ったような声だった。

 それでもリンデンは、その言葉に顔を上げた。

 小さな目と、ブルーの目が合う。

 ――ほんの、数秒だけ。

 何かが伝わったわけじゃない。

 けれど、その視線にふっと胸を掠めた何かを、ブルーは「それでいい」と思った。

 

(へんな子だけど、でも……)

 

 その続きは、言葉にならなかった。

 部屋の空気が、少しだけ動いた。

 隅のパネルがわずかに点灯し、自動調理ユニットの作動音が低く響く。

 ふたつぶんの昼食が、決められたプログラムに従って、静かに調製されていく。

 漂いはじめた湯気とともに、わずかに香ばしい匂いが部屋に広がった。

 ブルーは一度、深呼吸してから立ち上がった。

 慣れない手つきで配膳トレイを持ち、こぼさないようにゆっくりと歩く。その姿は、戦場での彼女しか知らない者が見たら、きっと目を疑うだろう。 

 

「おまちどおさまー……って、ううん、そういうのじゃないよね。えへへ」

 

 マットの端に小さなテーブルを置き、その上に二人分の皿を並べる。

 リンデンの分は、まだ小さな口でも食べられるように、やわらかい炊き合わせと刻んだパンが中心だった。

 

「……ごはん、だよ」

 

 声をかけると、リンデンはおとなしく顔を上げた。

 そのまま、よちよちと歩いてテーブルの前に腰を下ろす。

 ブルーは、少し離れてその様子を見ていた。

 何も言わなくても、椅子に座って、スプーンを手にして、食べ始める。

 ――それが不思議に見えるくらい、リンデンの動作は整っていた。

 

「……ほんとに、手がかからないなぁ……」

 

 小さく呟いた声に、リンデンは反応しない。

 ただ、スプーンを持つ手の動きは、ほんの少しだけぎこちなくて。

 それがまた、彼の“子どもらしさ”の証のように見えた。

 

「それ、おいしい? 熱くない?」

 

 問いかけるブルーの声に、リンデンはわずかに首をかしげてから、パンを指さした。

 

「……ふわふわ、したの……すき」

 

 それだけ言って、また口を動かす。

 ブルーはその一言に少し驚いて、そして、ふわっと微笑んだ。

 

「……そっか、ふわふわの、すきなんだ」

 

 胸の奥が、やわらかくあたたまるような気がした。

 そのあとの食事は、ふたりともほとんど言葉を交わさなかった。

 けれど、時間は静かに、確かに、ふたりの上を流れていた。

 

 

 

 食器を片付け終えると、部屋は再び静けさを取り戻していた。

 光の角度がわずかに変わり、窓際の影が床の中心に移っていく。

 マットの上、リンデンは小さく丸まるようにして横になっていた。

 食後の眠気が訪れたのか、彼は何も言わずに自ら身を横たえ、まぶたを閉じた。

 かけられたブランケットを、かすかに指でつまみながら。

 その仕草が、あまりに自然で。

 ブルーは思わず、自分の胸元を軽く押さえた。

 胸が、ふわふわしていた。昼食のパンみたいに。

 

「……すごいなあ、リンデンって」

 

 誰に聞かせるでもなく呟いて、彼女はソファへと戻った。

 まだ落ち着かない気持ちが残っていたけれど、それでも「ちゃんと過ごせた」という実感が、少しだけ自信をくれた気がした。

 背もたれに身体を預けて、ふと空を仰ぐ。

 ガラス越しの空は淡く白みがかり、雲がゆっくり流れていた。

 静かだった。

 とても、静かで――

 

「……ちょっとだけ、寝ても……いいよね……?」

 

 ブルーは小さな声でそう言って、そっと目を閉じる。

 あたたかくて、ほっとして。

 ほんの数分だけ、と思ったそのまま、意識はゆるやかに沈んでいった。

 その部屋には、

 ふたり分の寝息だけが、穏やかに満ちていた。

 ――けれど、それが平穏の終わりになることを、まだ誰も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に気づいたのは、空気の重さだった。冷却ユニットの風はいつも通りに吹いているはずなのに、肌に触れる空気が、妙にぬるい。

 ブルーは浅くまどろみながら、目元をゆっくりしかめた。

 うっすらと汗をかいている。自分が熱を持っているのかと思ったが、違う――何かが、変わっている。

 身を起こすと、視界がやけに白んで見えた。

 室内はさほど変わっていない。けれど、なにかが…ひどく、澱んでいる。

 視線を横に向ける。

 マットの上で眠っていたはずのリンデンが、今もそこにいる。けれど、様子がおかしい。

 顔が赤い。

 ただの温もりではない、明らかな熱の色。

 小さな体がブランケットの中でじっとしている――いや、動かないのではない。動けないように見えた。

 ブルーは息を呑んだ。

 

「……リンデン……?」

 

 呼びかけに、応答はない。

 でも、わずかに肩が揺れる。

 呼吸が浅く、荒い。小さな喉が、かすかに詰まるように震えている。

 ブルーは慌てて駆け寄り、しゃがみ込み、リンデンの額に手を添えた。

 ――びり、と、熱が跳ね返ってくる。

 その感触に、思わず身体がこわばる。

 

「……っ、あつ……なにこれ……っ!?」

 

 額、頬、首筋――どこに触れても、熱い。

 じっとりと汗をかいて、身体は重く沈んでいる。 

 

「ねえ、リンデン? リンデン、大丈夫……?」

 

 声をかける。手を握る。けれど返事はない。

 まぶたは閉じたまま、唇はかすかに震えているだけ。

 とりあえず、何かをしなければ――そう思った瞬間には、もう動き出していた。

 ブルーはリンデンの身体をそっと持ち上げると、そのまま寝室奥のベッドへと移した。

 幼い体は、羽根のように軽い。けれど、その肌に触れるたび、熱が強く伝わってくる。

 枕元に腰を下ろし、ブルーは声をかける。

「……まっててね、リンデン……!」

 それだけ言い残して、部屋の水分供給装置へと駆け寄る。

 けれど、慌てすぎた。

 紙カップを取るつもりが、つかみ損ねて床に落とし、

 再度取り直してようやく水を汲んだものの、今度は勢い余ってこぼす。

 

「あわわ……っ、ごめん、ごめんね……!」

 

 自分に言っているのか、リンデンに言っているのかもわからない。

 けれど、謝らずにはいられなかった。

 冷やしたタオルを持って戻る途中、濡れた床に滑って転びそうになる。

 どうにか体勢を立て直して、タオルをリンデンの額に当てようとして――手が震えていた。

 熱を逃がそうと、首元のボタンを外す。

 服を緩めようとするが、どこまで外せばいいのかわからない。

 幼い身体の力加減がわからなくて、余計に手がぎこちなくなる。

 

「えっと……だいじょうぶ、だいじょうぶ、だから……!」

 

 声をかける。けれど、それは自分への言い聞かせだった。

 リンデンはずっと目を閉じたまま、苦しげに息をしている。

 額の汗は拭いても拭いてもにじみ、唇は乾いて、力が入っていない。

 ブルーはその様子を見て、ぐっと唇を噛んだ。

 

「ねぇ……リンデン……。……あのね、泣いても……いいんだよ……?」

 

 震える声で、そっと呟いた。

「だめかな……?つらいときは、泣いても……」

 

 けれど、リンデンは泣かなかった。

 ただ、小さな声で、「ねぇね……」かすかに唸っただけだった。

 その声が、余計に不安を煽った。

 胸の奥が、どんどん、冷えていく。

 

「……だれか……どうしたら……っ」

 

 声が漏れた。気づけば、涙がにじみかけていた。

 

 そのときだった。

 

 リンデンの喉がひくりと動き、

 口元がゆっくりと開く――

 次の瞬間、短い嗚咽とともに、

 ぐしゃ、と湿った音が布団を濡らした。

 

「……っ!? り、リンデン……!」

 

 ブルーが駆け寄るより早く、もう一度、

 喉の奥からごぽりと音がして、嘔吐が続いた。

 息が詰まりそうな匂い。熱と混ざった吐瀉物が、布の中に滲んでいく。

 ブルーの服にまで、飛沫がかかる。

 

「や……やだ……っ、リンデン、やだ……!」

 

 恐怖が一気に押し寄せて、ブルーの声が裏返る。

 どうしよう、どうしたらいい? 誰か、誰かに、助けてほしい。

 でも、部屋には自分しかいない。

 この小さな命を、今、守れるのは――自分しか、いない。 

 ブルーは、服が濡れるのも構わず、リンデンをそっと抱きしめる。

 小さな体が、びくんと震える。

 

「……だいじょうぶ、大丈夫だよリンデン……っ」

 

 自分でも信じきれていない声だった。

 けれど、今はそれを言わずにはいられなかった。

 

「ねぇねが……ちゃんと治してあげるからね……!」

 

 声が震えて、涙もにじんで、それでも。

 ブルーは、泣かなかった。

 この瞬間だけは、ただ、“ねぇね”であろうとした。

 泣かなかった。

 泣きたいのに、泣けなかった。

 リンデンの身体を抱きしめながら、ブルーはその小さな重みと熱に、全身で押し潰されそうになっていた。

 けれど――

 

「……このままだと、だめかも……っ」

 

 その言葉が、思わずこぼれた時。

 自分の中に、“決断”が宿ったのを感じた。

 誰かを待っていても、来ない。

 ここにいるのは、自分と、この子だけ。

 ――なら、動くしかない。

 

 ブルーは息を吸い込んで、ぐっとリンデンを抱き直す。

 濡れた服ごと、タオルでぐるぐるに包み込み、小さな身体を胸元に固定する。

 

「トロイさん……運命さん……お願い……」

 助けて、という言葉が喉まで上がる。

 でも。

 

「……違う。お願いじゃ、だめ。私が……」

 

 声が震えた。足も震えていた。

 けれど、一歩だけ前に出る。

 

「私が、連れていくから……っ」

 

 部屋のドアが、警告音もなく開いた。

 外は静かだった。寮区画まで続く廊下は、昼下がりの沈黙の中にあった。

 誰もいない。呼んでも、応答はない。

 それでもブルーは、リンデンを抱えたまま駆け出した。

 ブーツが床を打つ音が、空っぽの廊下に反響する。 

 

「だいじょうぶ……だいじょうぶだからね、リンデン……!」

 

 何度もそう言いながら、走った。

 腕の中の小さな体が熱を帯びて、どんどん重くなっていく。

 足がもつれる。目の前が滲む。

 それでも、止まらない。 

 

 しかし、曲がり角を越えたとき――

 ブルーの足が、ぴたりと止まった。

 

 どこに行けばいいのかが、分からなかった。

 騎士寮とその周囲の構造は知っている。けれど、幼児を診てくれる場所が、どこにあるのかが分からない。

 医務室?診療塔?でも、そっちは不老不死の騎士用で、リンデンみたいな子は……

 

「……っ……」

 

 焦りが胸を締めつける。

 重みを抱えたまま、ブルーはその場に立ち尽くす。

 

 そのときだった。

 抱えていたリンデンの体が、ぐらりと揺れて――

 

「……っ、リンデン……?」

 

 すぐに顔を見下ろす。だが遅かった。

 彼の身体がブルーの胸元に、ぐっと沈むように寄りかかってきて、

 ――再び、吐いた。

 ツンとした匂いが、空気を切るように広がった。

 濡れた吐瀉物が、ブルーの衣服の上に染み込んでいく。

 それでも、ブルーは腕の力を緩めなかった。

 

「だいじょうぶ、リンデン……だいじょうぶだから……!」

 

 必死に言い聞かせるように、何度もそう繰り返して。

 

「だからね……ねぇねが、ちゃんと連れていくから……ちゃんと助けるから……!」

 

 ぐちゃぐちゃの服も、染み込んだ匂いも、痛む腕も、全部かまわなかった。

 ただ一つ、この命を、運ばなきゃいけない。

 それだけを心に、ブルーはもう一度走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軌道エレベーターのドアが、静かな電子音とともに閉じた。

 ほんの一瞬の間を置いて、床がかすかに揺れ、下降が始まる。

 金属を這うような、低い駆動音。

 上下へと引かれるように、わずかに耳が詰まる感覚。

 その中で、ブルーは何度も腕の中の重みを抱き直した。

 リンデンは、何も言わない。目を閉じたまま、ただ熱を持った身体を預けている。

 エレベーターの側壁に取り付けられたフロアインジケーターが、「07」「08」「09」と順に明滅する。

 普段なら、何の感慨も抱かない表示。

 けれど今は。

 

(おそい……)

 

 ブルーの心の中で、言葉にならない苛立ちが膨らんでいた。

 

(こんなに……こんなに遅かったっけ、このエレベーター……?)

 

 拳を握りかけて、でも、また緩める。

 腕の中のリンデンが、かすかに喉を鳴らした。

 

「ごめんね、もうちょっとだから……もうすぐ、つくから……」

 

 そう言いながら、ブルーは唇を噛んだ。

 なにもできない。

 立ち止まれない。だけど、今は動きようもない。

 ただ、機械が動いてくれるのを、信じて待つしかない。

 インジケーターが、「09」を表示した。

 ほんの一瞬、扉が開くまでの沈黙が、永遠のように長く思えた。

 扉が開いた瞬間、冷たい空気が頬を撫でた。

 第九層――MAZE.lab 第三医療研究室前。橋のように細長く延びる連絡通路の先に、ガラスの自動扉が見えていた。

 廊下には誰もいない。無人。音もない。

 両側の壁面は半透明の強化パネルで、わずかに青白い光を通している。

 金属フレームが斜めに交差し、人工物らしい堅牢さが視界の端を覆っていく。

 ブルーは息を切らしながら、リンデンを抱きかかえたまま、その廊下に踏み込んだ。

 床に響く足音が、やけに大きく聞こえる。

 室内と外界の空気が断絶されたような感覚に、足元がぐらついた。

 けれど、立ち止まってはいけない。

 リンデンの身体はまだ熱く、脈は速い。

 ブルーの胸元に預けられた額から、じんわりと体温が伝わってくる。 

 

「……もうすぐだからね、リンデン……」

 

 小さな声でそう囁いて、自動扉の前に辿り着く。

 ピッ、と電子音が鳴り、扉が開く。

 

 次の瞬間、白い光と、柔らかな声がブルーを迎えた。

 

「ブルーちゃん? どうしたんスかー……って、えっ……!?」

 

 声の主――ピンクのラボコートを羽織った少女が、慌ててこちらに駆け寄ってきた。

 短めの茶髪にカチューシャ、白衣風の制服とMAZE.labのアウター。

 その名は、舞護(まいご)。GARDENでも有数の医療騎士であり、

 MAZE.labに所属する、信頼厚い“治す人”。

 ブルーは、言葉を探すように口を開いた。

 

「ええと、ええと……この子が……リンデンが、熱くて、ゲーってして、私……それで……!」

 

 言いたいことは山ほどあるのに、うまくまとまらない。

 言葉が涙と一緒に喉につかえて、目の端が熱くなる。 

 けれど――舞護は、笑顔を崩さなかった。

 

「だいじょうぶっスよ!しっかり、ちゃんと伝わってるっス!」

「今すぐ医務室行くっス!こっちっスよ!」

 

 そう言って、ぐっと背を押される。

 その手がとてもあたたかくて、ブルーはほんの少しだけ、力を抜いた。

 

 

 医療実験室のドアが開くと、そこには白と水色の光が広がっていた。

 壁一面のホログラムパネルが静かに点滅し、

 いくつもの診療用ポッドやモニターが、柔らかい音を立てながら稼働している。

 天井のリングライトが、淡く均質な光を降らせていた。

 まるで雪のように無音で、冷たくもあたたかくもない光。

 

「こっちっス!そのベッドに寝かせてっス!」

 

 舞護の声に導かれ、ブルーはリンデンを乗せたままベッドに近づいた。

 その脚は、もう震えていた。

 けれど、彼女は倒れなかった。

 リンデンをそっとベッドの上に横たえると、舞護が即座に動き始めた。

 

「熱、けっこう高いっスね……発汗も多め。嘔吐もしてるし、脱水が始まってるかも……」

 

 淡々と、それでいて優しい口調で状況を確認しながら、

 舞護は手元の端末に手をかざし、指先でホログラムパネルを操作する。

 

「補水剤点滴、投与開始。あとは体温調整と消化器サポート……」

 

 自動アームが動き、透明なインジェクターがリンデンの腕に接続される。

 処置用のシールドがベッドの周囲を覆い、状態表示が淡い光を放つ。

 ブルーは、その一連の作業をただ、見ていた。

 立ったまま、何もできず、何も言わず。

 けれど――どこか、身体の芯がやっと落ち着きはじめていた。

 

(大丈夫……)

 

 心の中で、ゆっくりとそう呟く。

 それは、現実を信じるための言葉というよりも、ずっと言いたくて、でも誰にも言えなかった願いだった。

 

(ほんとうに……大丈夫なんだ……)

 

 気づけば、腕に染みついた匂いも、服の汚れも、どうでもよくなっていた。

 

「ブルーちゃん」

 

 舞護がふと振り返り、目線を合わせてきた。

 

「ほんとによく運んできてくれたっスね。あの子、助かるっスよ」

 

 その言葉に、ブルーは小さく頷いた。

 目元が熱くなる。けれど、涙は出なかった。

 ただ一言だけ、ぽつりと呟く。

 

「……“ねぇね”って、呼んでくれたんだ……」

 

 それが何よりも、自分の中で一番、響いていた。

 補水処置と体温安定化の処理が完了し、ベッド周囲のホログラムが「STABLE」の文字を淡く灯した。

 医療アームがゆっくりと収納され、機器の動作音も静まっていく。

その光景を確認して、舞護はふうっと息をついた。

 

「これで……一安心っスね、ブルーちゃん」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ブルーの身体から力が抜けた。

 

「……良かったぁ……」

 

 盛大に息を吐いて、その場にばたんとへたり込む。

 肩で息をしながら、ずるずると床に座り込む姿は、まさに糸の切れた人形のようだった。

 

「うぅー……ちゃんと出来た……私、ちゃんと出来たよ……」

 

 ぐでぇ、と情けない姿勢のまま壁にもたれて、天井を仰ぐ。

 けれど、そんな彼女に、舞護はぴしっと背筋を伸ばして言い放つ。

 

「じゃあ今度はブルーちゃんっスね!」

 

「……へ?」

 

「舞護の服、貸すんで!シャワー、浴びてきてくださいっス!」

 

 ぴっと渡されたのは、MAZE.labの薄桃色の制服と、タオル一式。

 受け取る前に、ブルーは慌てて両手を振った。

 

「だ、だいじょうぶ!いいよ!リンデンのゲーだもん!ばっちくないからっ!」

 

 その瞬間、舞護の笑顔が、“圧のある医療者スマイル”に変わった。

 すっ……と顔を近づけて、ブルーの目の前にぴたりと止まる。

 

「シャワーを、浴びて、くださいっス」

 

 変わらない笑顔。けれどそこに込められた“医療機関の実務的正義”に、ブルーは凍りついた。

 

「うぅ……はい……」

 

 か細く頷き、渡された衣服を両手でそっと抱える。

 耳まで真っ赤にしながら、立ち上がる。

 その背中に、舞護が小さく笑いかけた。

 

「戻ってきたら、あの子の様子、一緒に見守るっスよ」

 

「……うんっ。ねぇねだからねっ!」

 

 それは少し照れて、でも胸を張って言った、

 今日一日でいちばん、誇らしい声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――あれから、数日が過ぎた。

 

 第六層、運命の私室。

 白を基調とした室内には淡い陽光が差し込み、

 その中でふたりの少女がソファに並んで腰掛けていた。

 運命と、トロイメライ。

 ふたりの視線の先――部屋の保護マットの上では、小さなリンデンが知育玩具に向かっていた。

 ひとつひとつ、丁寧に手に取っては、組み立てていく。

 そのすぐ隣で、ブルーがにこにこと笑いながら見守っていた。 

 

「ねぇね、ここ」

 

 リンデンが玩具を見せるように手を上げる。

 それが合っているかどうか、問いかけるように。

 

「ふぇ? 私に聞いてるの?」

 

 一瞬きょとんとしたブルーは、次の瞬間、ぱぁっと笑った。

 

「えへへっ」

 

 そう言いながら、リンデンの隣にぴたりと寄り添って座り直す。 

 

「ここはね……うんうん、そう! あってる!」

「あとね、こっちは……そう! えへへへ」

 

 リンデンが幼児用のギミックをちゃんと動かせたのを見て、

 ブルーは自分のことのように喜びの声をあげた。

 

「やっぱりリンデンは賢いねっ!」

 

 その光景を、少し離れたソファから見つめながら――

 

『リンデンが高熱を出したって聞いた時は、ほんとうに驚いたけど……』

 

 運命がふと、隣のトロイに声をかけた。

 

『ブルーがしっかり対応してくれて、良かった』 

 

「ねー」

 

 トロイはゆるく頷きながら、口元に笑みを浮かべた。

 

「あの子、えぐえぐするだけだと思ってたけど、気づいたらお姉ちゃんになってて、お花咲いちゃったねー」

 

 ――あのとき。医務室に駆けつけた時には、リンデンの容態はすでに安定していた。

 舞護が「もうリンデンくんは心配いらないっスよー!」と明るく太鼓判を押してくれていたのを、運命も覚えている。

 その隅、ベンチの上で。

 借りた白衣を着たブルーが縮こまっていた。

 

「よく考えたら黒じゃない服って、恥ずかしいよー……」

 

 そう呟いて、耳まで真っ赤にしながら膝を抱えていた。 

 そこへトロイが向かい――

 

「ブルーちゃん、ちゃんと出来て偉かったよー?」

 

 そう言って、慰めと褒めの両方をそっと渡していた。

 

 

 そのときのことを思い出して、運命がふっと笑う。

 

『リンデンが……またひとつ、誰かの世界を変えていったね』

 

「まー、リンデンちゃんだからー」

 

 トロイはいつもの調子でそう返すと、足を組み直した。

 時計の針が、昼前を告げる。

 やがて、運命がふと立ち上がって、マットに向かって声をかけた。

 

『ねえ、ブルー。お昼は何がいい?』

 

 その言葉に、ブルーはぱっと顔を上げて笑った。

 

「じゃあパン食べよっ! リンデンが好きな、ふわふわなやつ!」

 

 

 

 

 

 

 

 







命を壊す事しか出来ない子が、命を救う衣装を身に纏うの、ちょっと癖なんですよね……

恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。

  • ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
  • 息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
  • 叡智閑話
  • イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった
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