翡翠の欠片が、空気を裂いた音だけが残っていた。
その直後、戦場の上へひと拍ぶんの沈黙が落ちた。
絶叫も、破砕音も、肉の潰れる湿った音も消えてはいない。けれど、そのすべてに先んじて、理解だけが遅れた。静けさというより、誰も状況へ辿り着けていない空白だった。
砕けた骨の内側で、トロイは呼吸の仕方を忘れていた。
肺が膨らむたび、胸郭のどこかが遅れて鳴る。
身体に残っていたのは温度ではなく、“潰された”という事実そのものだった。痛みは輪郭を持たず、ただ平たく全身へ貼りついている。指先まで、自分のものとは思えないほど遠い。
その遠さの中へ、誰かの腕が差し込まれた。
背を支えられる。肩の下へ手が入る。
抱き起こされる感覚に、ばらばらになっていた重力が、わずかに向きを揃える。沈みかけていた意識が、床から剥がれるように浮いた。
まぶたが震える。
視界の奥へ差し込んできたのは、光ではなかった。
いま在るはずのない輪郭だった。
黒緑の髪。
黒いベールで結われた束が、風のたび細く揺れている。前髪の隙間から覗く暗紅の瞳。戦場の濁った光を受けても沈まない、あの深い色。息を吸うたび、焼けた金属と血の匂いに混じって、遠い記憶の気配が近づく。薄く、熱を帯びた――彼の体温を思わせる匂いだった。
トロイは、声にならない息を漏らした。
喉は動く。けれど言葉へ届く前に、胸の奥で何かが詰まる。
上手く吸えない。上手く吐けない。傷ついた場所より先に、別のところが苦しくなる。
「……リン……」
呼びかけるより早く、彼の声が落ちてきた。
「――良かった、姉さん」
その呼び方が、胸の底を一度だけ叩いた。
あまりにいつも通りで、あまりに今さらで、だからこそひどかった。
トロイは震える手を持ち上げた。指先が彼の輪郭へ届くまでに時間がかかる。視界はもう合っているはずなのに、感覚の方が遅れている。夢の続きを触ろうとしているように、指が何度か空を掻いた。
触れたのは、頬ではなかった。
ダイブギアスーツの胸元。紺灰色の布地。その下に仕込まれた簡易装甲の硬さ。さらに奥には、確かな熱がある。硬い素材越しに、鼓動がいた。弱くもなく、急きもせず、ただそこに在るというように打っている。
その感覚が指先へ届いた瞬間、遅れて理解が追いついた。
トロイの喉が、小さく鳴る。
――生きている。
ただそれだけの事実が、ひどく重かった。
軽く受け取れるものではなかった。
黒いベールが揺れた。
自分が頭を覆っていた、あの黒だ。彼の亡骸の傍で、指先がうまく動かないまま、それでも髪をまとめて結んだ時の感触が蘇る。あの時、笑っていたつもりだった。送り出すふりもした。けれど声だけは、どうしても震えていた。
――そこに居てよー?
……絶対に迎えに行くから。
置いてきた言葉が、遅れて胸の奥へ返ってくる。
約束は果たされた。
果たされてしまった。
嬉しさは、確かにある。
胸のどこかで、壊れたままの鈴が鳴るように、それはある。けれどそれより先に、もっと重いものが沈んだ。
また、この子は戻ってきてしまった。
"戻ってきた"というより近いのは、そちらの方だった。
痛い方へ。壊れる方へ。間に合ってしまう方へ。あの子はまた、自分からそこへ帰ってきてしまった。
「……ごめんね……」
唇だけが動いた。声にはならない。
謝りたい相手が誰なのか、自分でもうまく分からなかった。迎えに行くと言ってしまった自分か。戻ってきてしまったこの子か。それとも、そんな約束ひとつで帰ってきてしまうほど、ずっと
代わりに、指先がもう一度、胸元の布を掴む。
ほどけかけた現実を掴み直すように。消えてしまわないように。確かめるというより、縋るに近い動きだった。
リンデンは、その手を落ち着かせるように、ほんの少しだけ指を添えた。
強く包むのでも、撫でるのでもなく、そこにある位置を静かに教えるような触れ方だった。
「……立てますか、トロイ姉さん」
トロイは返事をしない。できない。
喉の奥が痛い。何かを言えば、別のものまで一緒に零れてしまいそうだった。
それでも掴んだ指先だけは離せないままの彼女から、リンデンは視線を前へ送った。
トロイの身体を支えたまま、戦場の中心へ向き直る。
限定神域の中心に、久条運命がいた。
魔剣を地面へ突き立てたまま、その場から動けない。退けば崩れる。手を放せば全員が死ぬ。その一点に、自分ごと戦場を縫い止めている。仮面の表示が揺れていた。感情を表しているのか、通信の乱れなのか、それさえ判別のつかない揺れ方だった。
『――リンデン』
運命の声は、擦れていた。
届いているのかどうかも曖昧な距離で、それでも確かに名を呼んだ。
その一音だけで、いくつもの確認と、いくつもの否定と、いくつもの願いが押し込められているのが分かった。
「ご無事ですか、陛下」
ただ、それだけ。
状況を説明しない。
帰ってきた理由も言わない。
何を失って、何を拾って、何を手にしてここへ来たのか。そのどれも口にしない。
戦場は、そんな余白を許さなかった。
運命は返事を探すように、仮面の表示を揺らした。
『君は――』
言葉は続かなかった。
白い肉体が、動いたからだ。
主核個体。その姿は一体でしかないはずなのに、踏み込みと同時に戦場全体の空気が脈を打つ。周囲に散るナンナリスクリーチャーの気配が、一斉に同じ呼吸を始める。個ではなく構造が動く時の圧だった。白い筋肉の束が捩れ、肩に生えた女の肉像が、目を覆ったままわずかに揺れる。
主核は、リンデンを見た。
視線があるわけではない。
けれど、見た、としか言いようがない。存在そのものが、彼を捉えた感覚だった。
そして、言葉を置いた。
《終而不終》
《滅而不滅》
《――欺誑の剣、再び至る》
経文のように、淡々と。
怒号ではなく、呪詛でもなく、すでに何度も唱え尽くした句を、またひとつ確認するような口調だった。
けれど、その一節だけに、わずかな歪みがあった。
“剣”という語に、温度が混じる。僅かな、しかし確かに腐食性のある熱。理解より先に憎んでいるものへ向ける声音だった。
主核の腕が持ち上がる。
運命へ向かっていた軌道が、今度はリンデンを含む範囲へ滑ってくる。
遅い。――それでも、避けるという発想そのものを押し潰してくる種類の速度だった。届くかどうかではなく、届くことが前提になっている軌道。質量と理屈が結託した一撃。
トロイの背骨が、反射で縮む。
身体が、痛みを思い出す。
潰された感覚。砕けた骨の位置。祈術防壁ごと押し込まれた時の、息の止まり方。身体はまだ、あの白い腕の圧を自分の中へ保存していた。
だが、リンデンは動かなかった。
剣を抜かない。
構えもしない。
ただ、視線だけを主核へ向けた。
次の瞬間。
翡翠結晶が、そこに“刺さっていた”。
主核の腕の関節。可動域の噛み合う一点。そのほんのわずかなずれで、軌道全体が歪む場所。そこへ、翡翠の楔が置かれるように現れる。飛翔の途中がない。生成の過程もない。ただ、気づいた時にはすでに深く食い込み、白い肉の奥で鈍く光っていた。
同時に、翡翠の爪刃が降り注いだ。
雨のような密度ではない。
撒き散らすでも、飽和させるでもない。必要な場所へだけ、必要な数だけ。輪壊者の肢体と、ナンナリスクリーチャーの群れの“継ぎ目”へ。構造が次の動作へ繋がる寸前の細い箇所へ。そこだけを選び、裂き、止める。
血が飛ぶ。
白い肉が割れる。
翡翠の断面が、遅れて光を返す。
それでも主核は止まらない。
白い巨体はそのまま踏み込んでくる。損傷を無視してなお前へ出る。破壊を引き受けた上で、目標だけを潰しに来る。
しかし、わずかに。
腕の軌道が“ずれた”。
届くはずの距離が、届かない距離へ変わっている。
リンデンは動いていない。重心も、回避の気配さえしていない。なのに主核の一撃だけが、ほんの指先ひとつぶん、致命から外れていく。
主核の腕が空を噛む。
砕けた岩床がその余波で裂け、破片が跳ねる。だが、その破壊だけがひどく場違いに見えた。力が外れている。世界の方が、一撃の届く先を拒んだような違和感があった。
リンデンは、そこでようやく片手を上げた。
トロイの身体を支えていた手ではない。
もう片方の手。
――彼が生きていた頃に、トロイを殺しかけた手。
その指先が、空間へ触れるように伸びる。
ただ前へ差し出しただけの動きなのに、見えない輪郭を確かめているようだった。
「……近いと思いましたか」
声は低い。揺れない。
けれど言葉の端には、焼け残った痛みの匂いがあった。何も失わなかった者の声では出ない温度だった。
主核が、もう一度踏み込む。
踏み込んだはずなのに、距離が縮まらない。
詰めたはずの間合いが、次の瞬間にはひとつ手前へ戻されている。主核の質量だけが前へ進み、接触の結果だけが遠ざけられていく。戦場の理屈が、すでに彼の立つ位置を中心に、別のものへ差し替わり始めていた。
トロイは、リンデンの袖を掴んだまま、離せなかった。
嬉しいというより、怖い。
帰ってきてしまったこの子が、もう以前と同じ理屈の中にはいないことが、怖い。
それでも。
この手の温度だけは、離したくなかった。
たとえ痛みの方へ戻ってきたのだとしても。たとえまた壊れるのだとしても。いま、自分の指先に触れているこの熱だけは、もう一度置いていくことなどできそうになかった。
リンデンは、トロイの指先が袖を掴んでいるのを確かめてから、ゆっくりと膝を立てた。
主核個体はなお前へ来る。
残存するナンナリスクリーチャーの群れも、赤黒い大地の上でぎこちなく呼吸を揃え始めていた。白い肉の脚が土を踏み、背の砲身が濡れた音を立てる。そのたび、周囲の空気がひずむ。
けれど、届かない。
翡翠結晶が要所へ刺さる。
爪刃が関節を裂く。
踏み込んだはずの距離が、次の瞬間にはひとつ遠ざかる。
主核の腕が振るわれるたび、赤黒い大地が大きく抉れた。土が砕け、黒い礫が跳ね、衝撃が低く腹へ響く。
だがその破壊は、リンデンと運命へ届く直前でわずかに外れる。外された、というより、そこにあったはずの距離だけが抜き取られている。
リンデンはトロイを支えたまま、立ち上がった。
トロイの脚はまだ震えていた。
砕けた骨が戻り切っていない。肉も、神経も、呼吸も、立つという動作に追いついていない。けれどリンデンの腕が背を支え、腰の横で重心を受け止めると、膝だけはどうにか折れずに済んだ。
「……ごめん、リンデンちゃん」
声はかすれていた。
リンデンは前を向いたまま、わずかに首を振る。
「謝らないでください」
背中で、硬い展開音が鳴った。
黒灰の背から量子展開された、ナンナリスが開く。
本来なら四本あるはずの支援アームのうち、二本は根元近くから失われていた。裂けた接続部には焦げた痕が残り、内部の霊子導線が翡翠色の光を細く漏らしている。
残った二本のアームが、震えるように持ち上がった。
その先端がトロイの背と脇腹へ向く。
触れる手前で停止し、薄い光の膜だけを彼女の身体へ重ねる。翡翠と淡緑の混じった霊子が、折れた骨の周囲へ染み込み、潰れた筋肉へ流れ込んでいった。
トロイの喉が、小さく鳴る。
痛みが消えたわけではない。
ただ、痛みの下に立つための芯が戻ってくる。砕けた胸郭の内側へ細い支柱が通されるように、呼吸の道がひとつずつ開いた。
「……また、そんなとこまで……」
半ばで止まったトロイの言葉に、リンデンは何も返さない。
ただ、支える腕に少しだけ力を込めた。
トロイは小さく息を吸い、手に残った聖槍リタを握り直す。
槍身は赤黒い土と白い肉片で汚れていた。けれど握ればまだ、そこには祈りの形が残っている。
トロイは自分の胸元へ、槍身を軽く当てた。
「……懺悔、終わったら聞くからねー?」
かすれた声で、いつもの調子に似せる。
似せただけだった。間延びした声の中に、息が足りていない。
それでも聖槍は応えた。
淡い光が、まずトロイ自身の身体を包む。砕けた骨の音が内側で組み替わり、裂けた肉が薄く閉じる。完全ではない。戦える形に、最低限だけ戻す光だった。
次に、トロイは視線を横へ送った。
赤黒い大地の上に、玄鉄が倒れている。分厚い魔術コートは裂け、銀髪の片側が土に沈んでいた。少し離れた場所には濡羽が転がっている。魔女帽は潰れ、棒付きキャンディの残骸が指のそばで折れていた。
トロイは槍を傾ける。
霊子が流れた。
リンデンのナンナリスから供給された翡翠の光が、聖槍リタを通って淡緑の祈術へ変わる。細い帯のように伸びた光が、玄鉄と濡羽の身体へ届いた。
玄鉄の指が、ぴくりと動く。
濡羽の喉から、詰まった呼気が漏れた。
「……っ、は……訴え、ますよ……ほんとに……」
掠れた声が土の上で震えた。
玄鉄は片目をうっすら開け、血に濡れた口元だけで笑おうとする。
「……いやぁ……訴える余裕、ある……?」
トロイは返事をしなかった。
返事の代わりに、さらに光を流す。冗談を返せる余裕は、まだどこにもなかった。
その間も、リンデンは主核の進行を止め続けていた。
視線が動く。
翡翠が刺さる。
指がわずかに曲がる。
距離がずれる。
それだけで、主核の腕は届かない。ナンナリスクリーチャーの砲身は狙いを失い、突進する四肢は土を噛む。赤黒い大地の上に、何度も無意味な破壊だけが刻まれていった。
やがて、前線に散っていた面々が戻ってきた。
最初に見えたのは、斬だった。
刀を杖のように土へ突き、肩で息をしている。衣の袖は裂け、白いメッシュの混じった髪に血が絡んでいたが、目だけはまだ折れていない。
その後ろから、エリスがガトリングを引きずるようにして戻る。狐耳が片方だけ伏せていた。オラスは片腕を押さえながら、けれど目を見開いたままリンデンを見ている。
エラーの周囲では、放電の残滓がまだ小さく弾けていた。
オーバーフローは杖を握ったまま、何かを測るようにリンデンと主核の間の空白を見ていた。アンサーは槍を地に立て、息を整えながら、傷ついた仲間たちの位置を一つずつ確認している。
言葉は、すぐには出なかった。
戻ってきた。
生きている。
けれど何が起きているのか、誰もまだ追いついていない。
その中で、プロブレムだけが一歩、遅れて動いた。
光学ドローンを背に、彼女はぽろぽろと涙を溜めたまま、走った。いつもの跳ねるような速度ではない。足元が一度もつれ、それでも止まらない。
「――リンデンくんっ!」
叫びは、戦場の音を裂いた。
リンデンはトロイを支えていない側の腕を、わずかに開いた。
プロブレムはそこへ飛び込む。ぶつかる寸前に減速する余裕などなく、胸元へ額を押しつけるようにしてしがみついた。
「ほんとに……っ、ほんとに、もう……っ!」
それ以上は言葉にならない。
普段ならいくらでも騒げる口が、今だけは詰まっていた。
リンデンはその背に手を回さなかった。
回せなかった。片腕はトロイを支え、もう片方は主核との距離を押さえている。だから代わりに、少しだけ胸を下げる。プロブレムの額が、そこに確かに触れられるように。
「……すみません、プロブレム姉さん」
謝罪だけが、静かに落ちた。
プロブレムは返事の代わりに、彼のスーツをぎゅっと掴んだ。
少し離れた場所で、スリーが足を止めた。
彼はリンデンを見た。数秒だけ。その瞳に浮かんだものは、すぐに軍人めいた静けさの奥へしまわれる。
それから、彼は振り返った。
補給コンテナの方へ向かう。
赤黒い土の上を、壊れた装備と肉片を避けながら歩く。コンテナの内部では、携行型コンソールに突っ伏すようにして、マシーナリーが動かなくなっていた。指はまだ端末の縁にかかり、表示はひび割れた画面の中で細く点滅している。
スリーは膝をついた。
何かを確認するように、短く首元へ手を当てる。
それから、静かに息を吐いた。
「……ご苦労だった、マシーナリー」
声は低かった。
戦場の中で、誰か一人にだけ届けばいい声音だった。
スリーはその身体を抱え上げ、コンテナの隅へ運んだ。雑には扱わない。急いではいる。けれど急ぎの中に、乱暴はない。彼は使われなくなった弾薬ケースをずらし、そこへマシーナリーを横たえる。
その動作を終えてから、スリーは再び銃を手に取った。
戦場は、まだ終わっていない。
リンデンの腕の中で、トロイの呼吸がわずかに整っていく。
玄鉄と濡羽も、土の上で身を起こし始めていた。完全な復帰には程遠い。けれど、瀕死のまま置かれるほどではない。
リンデンは短く息を吸った。
その首元に、チョーカーデバイスはない。
彼のチョーカーは、いまトロイの首にある。死んだはずの彼の傍で、トロイが受け取ったもの。戻るための約束の代わりのように、ずっとそこにあったもの。
リンデンの視線が、トロイの喉元へ落ちる。
トロイは何も言わず、少しだけ顎を引いた。
触れていいよ、という代わりの仕草だった。
リンデンは支えていた腕を崩さないまま、空いている指先でチョーカーデバイスへ触れた。
黒いベールで束ねられた髪が、風に揺れる。死体の傍で交わされたものが、いま、生者の通信回路として再び繋がっていく。
小さな起動音。
砂を噛むようなノイズの向こうで、回線が開いた。
「リーインシアさん」
その名を呼んだ瞬間、向こう側の呼吸が止まった。
『――リンデン、くん……?』
声が震えている。
けれど崩れない。崩れるより先に、彼女は飲み込んだ。泣くための息を、仕事をするための息に変える音がした。
リンデンは、主核から視線を外さない。
「状況をください」
短い沈黙。
その奥で、リーインシアが深く息を吸った。
『……はい』
返答は、もうオペレーターの声だった。
『神域内、主核個体健在。残存ナンナリスクリーチャー群、再同期中。GARDEN第十三層、有翼個体と交戦継続。双方に、リンデンくん由来と思われる翡翠反応があります』
リンデンの瞳が、前髪の隙間で暗く光った。
『同期反応は、まだ切れていません』
「分かりました」
主核が再び踏み込む。
リンデンの指がわずかに動き、距離だけがまたずれた。
赤黒い大地が砕ける。
けれど、誰にも届かない。
リンデンは静かに言った。
「では、同時に押します」
十三層の甲板を、蒼い光が削っていた。
浮遊大陸の外縁から吹き込む風は冷たい。けれど甲板の上だけは、焼けた装甲と翡翠結晶の熱で、息を吸うたび喉の奥がざらついた。防護柵は半ばから捻じ切れ、床面には斬撃と衝撃で刻まれた溝が幾重にも走っている。
その中心で、ブルーは有翼個体とぶつかっていた。
聖弓ベルガンテは、すでに弓の形をしていない。
左右の手に握られた漆黒の双剣が、翼から伸びる翡翠の爪と噛み合う。火花は散らない。代わりに、霊子の粒が割れ、蒼と翡翠の欠片が風に散った。
ブルーは退かない。
肩口を裂かれても、踏み込む。
脇腹を掠められても、刃を返す。
頬に血が走っても、その血が顎から落ちるより先に、有翼個体の喉元へ刃を叩きつける。
避けるための半歩が、すべて詰めるための半歩に変わっていた。
「っ、ぁああああッ!」
叫びは短い。
言葉にはならない。言葉にする時間すら惜しいように、ブルーは刃を振るう。
有翼個体の背から伸びる翼が、甲板の風を切った。
白い肉の骨格に羽を模した指と翡翠結晶が絡み、羽根というより刃を束ねた構造に近い。振るわれるたび、空気が硬く鳴る。そこへ、ブルーは真っ向から飛び込んだ。
双剣が交差する。
受けた瞬間、ブルーの足元の装甲が沈んだ。
膝が軋む。腕の筋が張る。けれど彼女は押し返すのではなく、さらに前へ出る。受け止めた刃を滑らせ、翼の根元へ身体ごと潜り込もうとする。
「ブルー、下がって!」
カノンの声が飛んだ。
次の瞬間、有翼個体の尾が横から奔る。
ブルーの視界の外。反応が半拍遅れる角度。そこへ、金の軌跡が割り込んだ。
巨大な聖剣が尾を受ける。
衝撃に、カノンの靴底が甲板を削った。細い身体が押し込まれ、それでも彼女は歯を食いしばって踏み留まる。
「今のは、だめ!」
返事はない。
ブルーはカノンの制止を聞いていないわけではない。ただ、聞いた上で、前へ行く。そんな動きだった。
甲板の陰から、青白い火がぽん、と浮いた。
「我が眷属よ、其の翼を縫い止めて……!」
久理の声は震えていた。
高飛車に響かせようとしているのに、喉の奥へ緊張が絡んでいる。それでも彼女が両手を掲げると、甲板の割れ目や装甲の影から、小さな人魂たちが次々に飛び出した。
丸い火の尾。
ぷかぷか揺れる半透明の身体。
額には小さな鬼の角が二本生えている。
悪霊と呼ぶには、あまりに愛嬌のある姿だった。
けれどそれらは久理の号令に合わせて、きゅう、と目を細めるように揺らぎ、一斉に有翼個体へ飛びかかる。
小さな角が、翡翠の翼の隙間へ引っかかった。
火の尾が絡みつき、白い肉の骨格へぺたりと張りつく。押さえ込む力は弱い。引き剥がされるまでの時間も、ほんの数秒あるかどうか。
それでも、その数秒が、ブルーの刃を一度だけ深く入れる。
黒刃が、白い肉を裂いた。
有翼個体が鳴く。
声というより、複数の骨筒を同時に鳴らしたような音だった。傷口から翡翠の粒子が噴き、ブルーの頬と髪を汚す。
ブルーの瞳が、さらに細くなる。
その粒子の中に、彼女はまだ知っている気配を見ていた。
リンデンの力。
あの子から奪われ、使われているもの。
双剣の柄が、軋むほど握り込まれる。
「返せ」
小さく、言葉が落ちた。
次の瞬間、ブルーは再び踏み込んだ。
甲板の後方で、モノはその全てを見ていた。
肩掛け式の大型端末、氷冥桜が彼女の身体に沿って低く唸っている。雪のような微粒子が周囲に散り、薄い回路を空中へ描いていた。そこから放たれた小さな雪兎たちが、甲板を駆ける。
一匹はブルーの足元へ。
一匹はカノンの背後へ。
もう一匹は久理の悪霊群の近くで跳ね、霊子の乱れを補正する。
ブルーの周囲には、薄い回復領域が貼られていた。
傷を塞ぐには足りない。致命傷を遅らせる程度の膜。だが今のブルーには、その程度の猶予すら必要だった。
「……馬鹿みたいな前進ね」
モノは呟く。
皮肉の形をしていたが、声に余裕はない。
氷冥桜の表示上では、ブルーの損傷値が警告域に入っている。カノンの筋力補正も過負荷。久理の悪霊群は召喚維持率が低下し、次の大型衝突には耐えられない。
それでも有翼個体は落ちていない。
翡翠反応は、むしろ濃くなっていた。
有翼個体の内部で、何かが脈打っている。主核とは別の同期点。奪われた力を、そこに抱えたまま動いている。
氷冥桜の通信回線に、ざらついたノイズが走った。
『――モノさん』
リーインシアの声だった。
モノは視線を戦場から外さない。
「聞こえてる。状況なら最悪よ。そっちは」
『神域側、リンデンくんが復帰しました』
氷冥桜の演算表示が、一瞬だけ空白になった。
モノの指が止まる。
戦場の音は続いている。
ブルーの刃と有翼個体の翼がぶつかり、カノンが叫び、久理の悪霊が引き千切られる。その全部が、数拍だけ遠く聞こえた。
「……今、何て言ったの」
『リンデンくんが復帰しました。現在、主核個体を足止めしています』
「蘇生? 再構成? それとも別個体?」
『判別不能です。ですが、声紋、霊子反応、行動判断はリンデンくん本人と一致しています』
モノは奥歯を噛んだ。
聞きたいことが多すぎる。聞くべきことも多すぎる。けれど、そのどれも今ではない。
「……説明は後でいい。神域側の回線、こっちへ回せる?」
『はい。リンデンくんからも、接続要求が出ています』
「よりによって今ね」
『今です』
その返答に、モノは小さく息を吐いた。
「そう。でしょうね」
氷冥桜の表面を、指が走る。
回線の層を開き、ノイズを削り、神域側の通信帯域を十三層の局所回線へ重ねる。雪兎の一匹がモノの足元へ戻り、耳のような突起を震わせた。
次の瞬間、別の声が入った。
『モノ姉さん』
硬い声だった。
少し低く、かすかに疲労が混じっている。けれど、その呼び方だけは間違えようがなかった。
モノは一瞬だけ目を伏せた。
それから、すぐに開く。
「……リンデン」
『はい』
「今、あなたの状態を問い詰めると、私はたぶん三十項目くらい確認を始めるわ」
『後でお願いします』
「当然。今は要点だけにして」
通信の向こうで、短く息を吸う音がした。
リンデンの背後には、別の戦場の音がある。土が砕ける重い音。白い肉が裂ける湿った音。神域側もまた、余裕などない。
『そちらの有翼個体は、まだブルー姉さんと交戦中ですか』
「交戦という言葉で済ませるなら、そうね」
モノは視線を前へ戻す。
ブルーが有翼個体の翼を蹴り、双剣を逆手に握り替えて首元へ斬り込んでいる。反撃の爪が肩を裂いたが、彼女は止まらなかった。血が散る。蒼い髪が乱れる。それでも刃は前へ出る。
「実際には、あの子が自分の損傷を計算に入れずにぶつかってる。カノンが致命だけ受けて、久理が悪霊で翼を乱して、私は回復と場面整理でどうにか落とさないようにしている」
『止めなくていいです』
モノの眉が、わずかに動いた。
「……本気で言ってる?」
『はい』
「今のブルーは冷静じゃないわ」
『分かっています』
「分かっていて、止めないのね」
『止めたら、届きません』
短い沈黙があった。
モノはその言葉の意味を、戦場の数字ではなく、ブルーの背中で理解した。
あの子は怒っている。悲しんでいる。奪われたものを取り返そうとしている。理屈ではなく、衝動の形で有翼個体へ噛みついている。
そして、今だけはそれが必要なのだと。
リンデンはそう言っている。
「……嫌な信頼の仕方をするのね、リンデン」
『すみません』
「謝罪は後。何が必要?」
リンデンの声は、そこで一段だけ静かになった。
『ブルー姉さんに、お願いがあります』
モノは氷冥桜へ手を置いた。
冷たい端末の表面が、彼女の霊子を受けて淡く光る。
「内容は」
『三十秒で、有翼個体に致命を入れていただきたいです。こちらも同時に主核を押します』
「その言い方だと、ただ倒すだけじゃないわね」
『有翼個体に、私の力が残っています。主核はそれを利用して、同期を維持している可能性が高い』
「切り離させるのが目的?」
『はい。主核に、選ばせます』
モノは舌打ちを飲み込んだ。
無茶だ。
けれど無根拠ではない。
そこまでは分かる。
問題は、三十秒でそこまで持っていく手段だった。
「ブルーに細かい指示は通らないわよ」
『通す必要はありません』
「……何?」
『ブルー姉さんのやりたいようにしていただきます』
モノは、ほんのわずかに目を細めた。
『私が、全て合わせます』
戦場の風が、氷冥桜の雪片をさらった。
モノの足元で、雪兎が一匹、耳を立てる。
「……あきれた、見ないうちに自信家にでもなった?」
『そのようです』
「褒めてないわよ?」
『はい』
モノは指先で氷冥桜の音声拡張回路を開いた。
ブルーの周囲に展開している回復フィールドへ、通信の細い線を重ねる。ゆきうさぎたちが一斉に甲板を走り、蒼い軌跡の外周へ散った。
「氷冥桜、音声拡張。対象、ブルー周辺局所」
端末が低く応える。
モノは前方で有翼個体へ斬り込むブルーを見た。
その背中はまだ燃えている。怒りで、痛みで、戻らないはずだったものへの渇きで。
「リンデン」
『はい』
「一度しか通さない。あの子が止まるから」
『分かっています』
「止まった隙は、こっちで潰す」
『お願いします』
モノは短く息を吐き、回線を開いた。
蒼い刃が、翡翠の翼と噛み合う。
その衝突音の内側へ、リンデンの声が差し込まれた。
『ブルー姉さん』
ブルーの動きが、止まった。
ほんの一瞬だった。
けれど、戦場では十分すぎる空白だった。
振り下ろしかけていた双剣が、空中でわずかに迷う。蒼い軌跡が途切れる。呼吸が詰まり、瞳の奥で燃えていた怒りの火が、別の色を帯びた。
有翼個体は、その隙を逃さなかった。
背の翼が大きく開く。
翡翠の羽根が束になり、一本の槍のように収束する。先端が歪み、肉の内側から結晶が押し出され、ブルーの胸元へ向かって真っ直ぐに伸びた。
「ブルー!」
金の光が割り込んだ。
カノンが前へ出る。
巨大な聖剣を両手で構え、翡翠の槍翼を受け止めた。刃と結晶が噛み合い、甲板全体へ重い衝撃が走る。カノンの靴底が装甲を削り、足元に火花ではなく霊子の粉が散った。
「っ……!」
細い腕が震える。
だが聖剣は落ちない。
カノンは歯を食いしばりながら、背後のブルーへ声を投げた。
「聞いて、ブルー!」
有翼個体の翼がさらに押し込まれる。
カノンの膝が沈む。聖剣の腹に翡翠が食い込み、ぎり、と嫌な音を立てた。
「その声、聞き逃したらだめ!」
ブルーは、呼吸を忘れたように立っていた。
頬に流れた血が、顎先から落ちる。
蒼い髪の一部が翡翠の粒子で汚れ、傷口から流れる血と混じって暗く濡れている。それでも彼女の意識は、目の前の有翼個体でも、割り込んだカノンでもなく、耳の奥へ届いた声に縫い止められていた。
聞き間違えるはずがなかった。
少し低くて。
静かで。
いつも、誰かに迷惑をかけないように言葉の角を削っているような声。
あの子の声だった。
「……リンデン、なの?」
問いは、ひどく小さかった。
戦場の音に呑まれてしまいそうなほど細い。けれど氷冥桜の回線は、その声を拾い、神域側へ返した。
『はい』
返事は短かった。
ブルーの喉が、小さく動く。
「……ほんとに?」
『はい。戻りました』
戻りました。
その言葉が届いた瞬間、ブルーの眉が歪んだ。
嬉しさより先に、胸の奥で何かが握り潰される。戻ってきた。帰ってきた。そう受け取るには、声があまりに平静だった。まるで自分が死んだことも、壊れたことも、置いていったものも、全て仕事の一部として片づけてしまうような声。
双剣の柄を握る指が、震えた。
「……っ」
言いたいことは、いくらでもあった。
どうして。
どこにいたの。
何をされたの。
無事なの。
痛くないの。
どうして、そんな声で戻ってきたなんて言えるの。
けれど、そのどれも形にならない。
目の前に、有翼個体がいる。
その身体の内側に、リンデンの力がある。奪われ、使われ、翡翠の粒子となって戦場を汚している。
ブルーの瞳が、ゆっくりと有翼個体へ戻った。
カノンが押さえている翡翠の槍翼が、ぎしぎしと聖剣を削っている。久理の小さな悪霊たちが翼の隙間へ取りつき、ぷかぷかと必死に揺れながら引き剥がされまいとしていた。モノの雪兎が、ブルーの足元を走り、薄い回復の膜を張り直す。
全部が、ぎりぎりだった。
通信の向こうで、リンデンが言った。
『ブルー姉さん。お願いがあります』
ブルーの息が、止まる。
お願い。
その言葉は、彼からあまり聞かないものだった。
いつも、すみません、と言う。大丈夫です、と言う。自分でやります、と言う。頼るより前に、自分の手足を削って道を作ってしまう。
そのリンデンが、お願いと言った。
ブルーは、双剣を握り直した。
「――うん」
声が震えていた。
けれど、もう途切れてはいなかった。
「何でもする。何でも言って」
通信の奥で、ほんの短い沈黙があった。
それはためらいに似ていた。
あるいは、受け取ってしまったことへの痛みに似ていた。
『有翼個体に、私の力が残っています』
リンデンの声は、感情を抑えていた。
けれどその奥で、何かが焼けている。ブルーには、それが分かった。
『主核はそれを利用して、双方の同期を維持しています』
「……あいつが」
ブルーの視線が、有翼個体の胸奥へ刺さる。
そこに、翡翠の光が脈打っていた。
肉の奥で、結晶とも心臓ともつかないものが震えている。見るだけで腹の奥が熱くなる。あれがリンデンのものだと思うと、呼吸が荒くなった。
『三十秒で、有翼個体に致命を入れてください』
「倒せばいいの?」
『完全に倒す必要はありません。主核に、切り離す以外の選択肢がない損傷を与えます』
ブルーは目を細めた。
「難しいことは、よく分からない」
『はい』
「でも、あいつを斬ればいいんだよね」
『はい』
即答だった。
それだけで、ブルーの中にあった余計なものが一つ落ちた。
難しい理屈は、リンデンが持っている。
戦場の全体は、モノが見ている。
カノンが守る。久理が邪魔をする。リーインシアが繋いでいる。
――なら、自分は斬ればいい。
あの子の力を抱えたまま、あの子の匂いを汚したまま、まだそこに立っている白いものを。
斬る。
「どうすればいい?」
ブルーが問う。
返ってきた答えは、指示ではなかった。
『ブルー姉さんのやりたいようにしてください』
双剣の切っ先が、わずかに下がる。
「……え?」
『全て、私が合わせます』
ブルーは、瞬きを忘れた。
風が吹く。
十三層の冷えた風が、血に濡れた頬を撫でていく。蒼い髪が揺れる。ベルガンテの刃から、細い光が漏れた。
やりたいように。
そんなことを、リンデンが言う。
自分の感情が乱れていることも、怒っていることも、傷を厭わず突っ込んでいることも分かっていて。止めるのではなく、整えるのでもなく、そのまま走れと言う。
合わせる、と。
ブルーの唇が、かすかに震えた。
「……リンデン」
『はい』
「怒ってるよ、私」
『はい』
「すごく、怒ってる」
『知っています』
「止まれないかも」
『止めません』
その答えで、ブルーの目元が一度だけ歪んだ。
泣きそうな顔だった。
けれど涙は落ちない。落とす前に、彼女は息を吸った。深く、長く、胸の奥へ戦場の風を入れる。
「……そっか」
双剣が、低く構え直された。
さきほどまでの刃は、ただ前へ出ていた。
今の刃は、向かう場所を知っている。怒りは消えていない。むしろ熱は増している。けれど、その熱の形が変わった。
燃え広がる火ではなく、炉の奥で白く尖る火。
「なら、やる」
ブルーは小さく言った。
「私のやりたいように、やる」
カノンが、聖剣を弾くように振り上げた。
翡翠の槍翼が逸れ、有翼個体の身体が一瞬浮く。
久理の悪霊たちが、ぷかぷかと有翼個体の翼へ群がる。何匹かは弾かれ、甲板の上をころころ転がったが、すぐにふわりと起き上がって、また角を突き立てにいく。
モノの氷冥桜が、低く鳴る。
雪兎たちが甲板を走った。
ブルーの足元に、薄い霜の軌跡が引かれる。ただ滑るための氷ではない。踏み込む瞬間だけ抵抗を消し、蹴り出しの瞬間だけ反発を返す、短い道。
モノは通信の向こうへ声を飛ばした。
「リンデン。こっちは準備する」
『ありがとうございます』
「礼は成功してから」
『はい』
ブルーは双剣を握る手に力を込めた。
ベルガンテに纏う蒼が、深くなる。
刃の輪郭が細く伸び、弓だった名残が、双剣の内側で弦のように震えている。
有翼個体が、再び翼を広げた。
翡翠粒子が噴き上がる。胸奥の光が強く脈打つ。まるで、そこにあるものを見せつけるように。
ブルーの瞳が、その光を捉えた。
「返してもらうから」
声は静かだった。
怒りは、その中に沈んでいる。
泣き声ではなく、叫びでもなく、刃の形になって。
通信の奥で、リンデンが言った。
『三十秒です』
「うん」
『私が、全て姉さんに合わせます』
「――うん」
ブルーは、ほんの少しだけ笑った。
痛そうな笑みだった。
けれど、そこにはもう迷いがなかった。
「じゃあ、ちゃんと見ててね。リンデン」
返事は、すぐに来た。
『はい。ブルー姉さん』
十三層の甲板に、冷たい風が走る。
双剣が低く鳴り、氷冥桜の雪片が舞い、聖剣カノンが金の光を帯びた。久理の悪霊たちが、再び有翼個体の翼の周囲へ散っていく。
ブルーは一歩、前へ出た。
その一歩に合わせて、神域側の回線から、リーインシアの声が重なる。
『同時攻勢まで、五秒』
モノが目を細める。
「全員、位置固定」
カノンが聖剣を構え直す。
「いつでも!」
久理が杖を掲げる。
「冥王の命において、道を開けよ!」
ブルーは、息を吸った。
『四』
有翼個体の胸奥で、翡翠が脈打つ。
『三』
ベルガンテの双剣が、蒼い弧を描く。
『二』
遠い神域の向こうで、リンデンの気配が重なった。
『一』
ブルーの瞳から、余分な揺れが消えた。
零。
十三層の甲板上で、ブルーが踏み込んだ。
同じ瞬間、遠い神域の赤黒い大地で、リンデンも前へ出る。
別々の戦場。
別々の空。
けれど、二つの距離はもう断絶していなかった。
ブルーの蒼が、有翼個体の胸奥へ向かう。
リンデンの翡翠が、主核個体の進路を縫い止める。
モノの氷冥桜が鳴った。
カノンの聖剣が金の軌道を描く。
久理の悪霊たちが、翡翠の翼へ一斉に食らいつく。
通信の向こうで、リンデンの声が落ちた。
『姉さん』
「うん」
ブルーは笑わなかった。泣きもしなかった。
ただ、刃だけが応えた。
十三層の甲板上に。
そして、赤黒い神域の大地に。
一節の詩が、同時に紡がれた。
「『武装詩篇、展開』」
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった